プルクローンズ・アフターライフ   作:ユトリノ・ニワカ

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あるニュータイプ少女の生い立ち

「うぅ。マリーダ、本当にアソコから入るのぉ?」

「仕方ないだろう。あの場所しか、T.I.C.Cに潜入できるルートがないんだから」

 潜伏していたビルの跡地を飛び立ってからというもの。

 プルたちを乗せたヘリは、とある川の上空をホバリングしていた。

 幅はおよそ10mくらい。流れは穏やかで、膝上くらいの水深の、ごくありふれた水路である。

 両端をコンクリートの側壁に囲まれ、市街地の裏通りを淡々とせせらぐその場所にはしかし、人っ子一人見当たらない。

 Tシティの河川は、水質汚染の進んだ貧民街でさえも、洗濯や水遊びを楽しむ子どもの姿が見られる。

 ところが、眼下に流れる川は、様々な有害物質が垂れ流されていて、入ることはおろか、衣服を洗うことすら困難なのだろう。

 水の色は所々が不自然なほど禍々しい緑やコバルトに染まっており、不法投棄されたと思われる大量のゴミが、そこら中に散乱している。

 貧民街でよく見かける簡易テントまで大量に投棄されている所を見ると、以前はここにも人が住んでいたらしい。

 川の流れに平行する形で、直径3mはあろう黒いチューブの束が繁華街に向かって伸びている所を見る限り、行政代執行による立ち退きを余儀なくされたのかもしれない。

「地中に埋めきれない送電ケーブルを、住民を押しのけてまで堤防に設置したのか。なるほど、アーグレット率いるネイチャー・リベリオンというスケープゴートがいなければ、彼らの不満は間違いなく権力者たちに向けられていただろう。さすがは広大な領土を統治する、超国家組織の成せる愚行。それにしても、地球は月やコロニーよりもずっと広い場所なのに、なぜ限られた範囲に資源を詰め込もうとするのか・・・」

 繁栄を極めつつあるビル群と、今まさに死に絶えつつある川を交互に見比べながら、マリーダは皮肉交じりにため息をついた後、相も変わらず出撃を躊躇っているプルを見て、「さぁ、行こう」と発破をかけた。

(セブン)(ナイン)、さっき伝えた通り、私とプルで侵入する。軍の追手が来たら、引き付けておいて欲しい。もし1時間経っても我々が戻らなければ、いったん本部に帰還。マスターに上と掛け合ってもらうこと。だが注意しろ。私たちはここまで、かなり不都合な真実を目の当たりにしてきた。上層部の連中がおかしな真似をしたら、身の安全を最優先にマスターを連れて逃げるんだ。私たちを使い捨てる腹づもりの連中になど、絶対的服従を誓う必要はない。P部隊は人形の集まりじゃなく、生命と人格を持った人間であるということを、忘れないで欲しい!」

 ヘリの操縦桿を握るプルシリーズたちに、指令を告げた後、マリーダは機体から勢いよく飛び降りた。

 地面すれすれの所で、サイコウェアに内蔵されたスラスターが起動し、身体を宙に浮かせる。

「じ、じゃあみんな。元気でね!」

 マリーダに続き、プルも、思わせぶりなセリフを残して飛び降りる。

 もちろん、彼女の場合は、(はなむけ)の言葉というよりも、これから汚水塗れになることへの、精神的なショックと覚悟から来る嫌味に近かったが。

 二人が無事着地したのを見計らい、ヘリが飛び去っていく。

 残されたプルとマリーダの目の前には、ちょうど人一人がうつ伏せで入り込めるくらいの、さび付いた下水管があった。

 水の勢いはそれほど強くはなかったが、濁った水に混ざって、廃油と思しき黒い液体や、赤茶色のドロドロとした物体が流れ出ていた。

 そこから放たれる臭気も強烈なもので、アンモニア混じりの刺激臭が、鼻の粘膜をゆうに通り越えて、直接脳天にまで突き刺さってくるほどだ。

「マリーダ。私もう、ジュドーのお嫁さんになるのは諦めたよ。この中に入ったら、きっとお風呂に入っても汚れは消えない。私は一生、()()()として生きていくことになるんだわ・・・」

 本人にとっては、死よりも恐ろしいであろう、不潔の極致とも言える下水管への侵入ミッション。

 汗一つかいただけでも風呂に入らなければ気の済まないプルは、とうとう将来描いていた(手前勝手な)ビジョンまで放棄するほど精神的に追い詰められた様子で、メソメソと泣き出していた。

 そんなプルの様子を見て、マリーダは寄り添うように肩に手を乗せた。

「心配するな、プル。サイコウェアで全身を密閉して、特殊仕様のヘルメットまで被るんだから、身体が汚れることはない。それに、ジュドー・アーシタの妻は困難でも、妹になるチャンスなら、まだ残されているぞ」

「え? それどういうこと」

 不意にマリーダの口から飛び出したジュドーの名前を聞いて、プルが思わず顔を見る。

「プルがダブリンで命を落としてから何年経った? その間に、実の妹であるリィナ・アーシタは確実に年を重ねた。これがどういう意味かわかるだろう? 彼女は、遅かれ早かれ恋人を見つけ、嫁ぐことになる。いや、もうすでに誰かと懇意になっているかも・・・そうすれば、妹好きのジュドーは確実にシスターロスに陥るはず。その時に、昔と変わらない姿の姉さんが再会しに行けば、彼は二重の喜びに狂喜乱舞する。私もお父さんを見ていて思うが、男と言うのは孤高に見えて、その実、女より他者に依存する生き物なんだよ」

 プルは、なおもマリーダの顔を黙って見ている。

「となれば、ジュドーの孤独を癒してやれるのは、誰だ? ルー・ルカでもエル・ビアンノでもない。エルピー・プルしかいないじゃないか。下水管の匂いが何だという? 肉親とも離別した彼の寂しさを受け止められるのは、世界中、いや、全宇宙を見渡しても、姉さんただ一人だけ。もしかしたら、その後の展開次第では、妹の座に加えて、妻として認められることすら可能かも・・・二人には血縁関係がない訳だし、理論上はどんな間柄だろうと自由なのだからな」

 汚水の流れ続ける下水管の奥を見つめながら、マリーダはそのままプルの身体を抱き寄せた。

 一方、ジュドーの存在を絡めた末妹による激励の言葉は、プルに対して当然のごとく奮起をもたらしたようだ。

 今さっきまで、絶望に包まれていた顔つきが瞬時に明るくなり、持っていたヘルメットを、慣れた手つきで頭に被り始めた。

 そして、呆気に取られているマリーダを急かすように、「何してるの、マリーダ。お姉ちゃん先に行くよ!」などと、勇ましい声を掛けた後、自ら先頭を切って下水管の中に突入していったのだ。

 久方ぶりに戻ってきた、頼もしい姉の後姿。

 その様子を見て、マリーダは安堵すると同時に、ある事実にも気付いていた。

「そう言えば、プルツーもジュドーを慕っていたか。まぁいい。二人が互いを意識して切磋琢磨すれば、人としても女性としても魅力が増す。最悪、法的な制限を除けば、一夫多妻だって問題ない訳だし」

 やはりマリーダも、どこかプルと同じ自己中心的な感覚を持っているらしい。

 遥か7億5000万キロ離れた木星にいる当事者の意思などまるで考慮する気がない様子で、彼女は勝手に姉たち中心の将来を思い描きながら、下水管の中に続いていった。

 

 

「は、はっくしょん! くそっ、こんな時に・・・」

 プルとマリーダが、下水管から救出に向かっていることなど露知らず。

 T.I.C.Cの地下室で取り調べを受けていたプルツーを、不意にくしゃみが襲った。

「何なの、強化人間が風邪? これから自分がどんな酷い目に遭わされるかもしれないという時に、ずいぶん余裕みたいね。それとも、あなたのお仲間さんが、無駄な救出作戦に頭でも悩ませているのかしら」

 互いににらみ合いをしている最中に緊張感を断ち切られ、チェナは拍子抜けすると同時に苛立ちも覚えたらしい。

 呆れた口調でプルツーを皮肉りながら、のけ反るような体勢で長い脚を組み返した。

「救出作戦など。脱出して間もないのに、いきなりそんな馬鹿なマネをすると思っているのかい? 私たちは特殊工作部隊なんだよ。まずはどんなネタを使ってあんたを追い落とすか。外堀から埋める方法を、綿密に考えているんだろうさ」

 プルツーは相も変わらず強硬な姿勢を崩そうとはしなかった。

 彼女はすでに、チェナが自分を殺すつもりであると結論付けていた。

 最初こそ、脅しのつもりで臨めば打開策が見出せるのではないかと考えていたが、今の相手はもはや()()()()()()の状態。自らの政治スキャンダルを所持する相手に、もはや駆け引きの余地などなかったようだ。

 とは言え、この時のプルツーは、なぜか自らに訪れたこの危機的状況を、何となしに脱することができるような気もしていた。

 理由はわからないし、少なくとも、プルやマリーダが助けにきてくれるという希望的観測でもない。

 だが、近い将来に何か別のイベントが発生し、そちらに身を投じさせられるのではないかという、漠然とした予感はあった。

 それは、ニュータイプの感性によるものではなく、クローンの操り人形として戦場を駆け巡ってきた、プルツー独特の、勘から来るものであった。

「あくまでも、私の素性を暴くつもりのようね。大人しく折り合いをつけてくれれば、良きに計らってあげようと思っていたのに。そもそもがネオ・ジオンのクローンに加え、モビルスーツのパイロットだった強化人間に、そんな妥協は期待できないか」

 チェナはそう言って、わざとらしく溜息をついた後、そのまま席を立った。

 そして、部屋の隅に待機していたMEXを身にまとった兵士を呼び寄せた。

 流体パルスシステムによる関節の駆動音が作動し、それに追従して地面を踏みしめる音が、だんだんと近づいてくるのがわかった。 

 案の定、彼女はプルツーを殺すつもりらしい。

「ふんっ。拘束した強化人間のスパイが暴れたため、安全を確保するべく殺害した・・・という幕引きか。自己保身にしては、ずいぶんと初歩的な偽装工作を仕組むんだな。あんた、連邦同士の内輪もめくらいで、どうしてわざわざESM社を乗っ取るなんてリスクを? 夫の陰に隠れながら、彼を裏で操り続けていれば、スリーパーとしては成功だった。政府を貶めるなんて真似を、短期間で達成できないことくらいわかっていただろうに」

 背後から、ガチャン、ガチャンという無機質な足音を聞き届けながら、プルツーはなおも落ち着き払った口調で、チェナを問い質した。

 プルツーは、どうしても解せないことがあった。

 言うまでもなくチェナは、工作員として非常に高い能力を持っている。確かに諜報世界の中では、電子戦(シギント)に関してはP部隊に一歩譲るものの、人間関係や経験則が趨勢を左右する人的情報戦(ヒューミント)に関しては、比較にならないほど優秀だ。

 戦争を裏から眺めつつ、ジオンと戦いがいずれ終わりを迎え、かつてのティターンズ対エゥーゴのように、連邦の息のかかった者同士による対立が再び始まることを、彼女は早くから予期していた。

 ではなぜ、そこまで先見の明を持ちながら、現役の軍人として法的正当性なきメディア企業そのものの掌握という、あるまじき行動に走ったのか。

 もしかして、彼女には、軍の方針とは異なる、個人的に急がねばならない事情を抱えていたのではないか――?

 そんな思いに駆られていたのだ。

 だが、プルツーがいくら思いを巡らせた所で、当のチェナたちには関係はなかった。

 プルツーの背後に迫っていたMEXがやがて立ち止まったかと思うと、モビルスーツと同じ形状をしたマニピュレータで、彼女のか細い首を掴み始めた。

「ぐっ! 化け物め・・・っ」

 プルツーが、苦悶の声を上げる。

 椅子に座っていた小柄な身体が、軽々と持ち上がった。

 金属の冷たい感触が全身に伝わると共に、強大な握力によって、どんどん息苦しさが増していく。

 強化人間ゆえ、簡単に失神することはなかったが、モビルスーツ譲りの機械の前には、遺伝子操作による肉体改造程度では、抗いようがなかった。

 ミシミシと骨の軋む音が、肉体を通じて聞こえてくる。

 と、ここでチェナが、何を思ったかプルツーの傍へ歩み寄り、彼女の耳元でそっと耳打ちした。

「ミス・プルツー。あなたたちの情報能力、新設の部隊にしては驚愕の精度だったわ。だから私も同業者として、冥途の土産に答えてあげるわね。いい? 連邦政府に対するプロパガンダというのはね、ステップの一つに過ぎないの。私の分析では、地球連邦はあと数年のうちに大きな転換点を迎える。共和制に移行したジオンが自治権を返上し、一年戦争から受け継がれた対立の系譜が、いったんは終結することになる。そうなれば、明確な目標を失った各地の人々は、平和という刹那の中で、それぞれ()()()()()に目を向けるはずよ。問題は、現時点で、防衛の要となるモビルスーツ開発の技術も物量も、月やコロニーが優位ということ。彼らはすでに、自給自足体制を整えて、地球(こっち)に物資を輸出すらしている。もう、どういう意味かわかるわね? 宇宙に暮らす連中は、もはや地球からの政治的庇護を必要とする理由はないという現実に気づく。そうなれば、かつて連邦領域だった場所のあちこちで、政治的な独立運動が活発化するわ。だからこそ今、()()()()()()()()()()()して、固有の軍事力を保持しなければ、この星はかつての同盟者たちによって、植民地のように扱われてしまうことになるのよ・・・!」

 そう言ってチェナは、プルツーの耳元から顔を離し、改めて正面から睨みつけた。

 わずか10㎝にも満たない距離に迫る、チェナの冷たい目線。

 その、表情のない素顔を目にしたプルツーは、あることに気づいた。 

「貴様・・・その顔、ほとんど人工皮膚だな? さては事故で宇宙空間にでも投げ出されたのか。体制を再構築するということは、クーデターを・・・」

 首を絞めつけられる中、プルツーは少しずつ視線を落とし、チェナの顔や体全体を見渡した。

 よく見ると、左目も義眼になっていたり、頭皮や髪の毛の一部も、人工的な組織で造られている。

 精巧な技術によって、傍目には生身の人間よりも美しい輝きを放っているが、チェナの身体は、その半分近くが、過去の本来の肉体ではなかったのである。

 てっきり准将という立場から連想して、現場を知らないエリート将校の一員と思っていたプルツーは、彼女がこれまで、数々の過酷な経験を重ねてきた兵士の一人であり、叩き上げの人間であることを、この時初めて感じ取った。

「う・・・く、くそ・・・」

 とは言え、それ以上、感傷に浸っている暇など残されていなかった。

 エクソスケルトンの無比たる怪力に首を締め付けられ続けていたプルツーは、いよいよ脳に酸素が行き渡らなくなったことで、目の前の空間が徐々に暗くなり、意識が遠のいていく感覚に襲われ始めた。

 どうやら、さっき一瞬抱いた期待は幻想に過ぎず、自分の命はここで潰えるらしい。

 プル、マリーダ――プルツーはここまでだ。あとは頼む。

 気絶する間際、仲間に対する刹那の願いが脳裏を横切る。

 やがて、緊張していた全身の筋肉が弛緩し始め、抵抗の術を失っていく。

 と、その時だった。

「何!?」

 突然、チェナの叫び声が聞こえたかと思うと、隣の部屋とを仕切っていたマジックミラーが勢いよく割れ、奥から一人の兵士が飛び出してきた。

 フェフだ。

「あなたは・・・フェフ?」

 チェナが、青ざめた顔で叫んだ。

 粉々に砕けたガラス片と共に床に転がり込んだフェフは、すかさず立ち上がり、身に着けていたライフルをMEXの背中に向けて発射した。

 銃弾は、機体に背負われていた円柱型の収納ボックスに命中し、バッテリーを損傷させた。

 機体の出力が大きく落ち込み、マニピュレータによって掴まれていたプルツーの身体が、力なく床に落下する。

 操縦していた兵士は、反撃すべく、予備電源用のコントローラーを操作し始めた。

 フェフはその挙動を予測していたようで、ライフルを投げ捨てながら駆け足で近寄っていき、腰に据えていた小銃を取り出した。

 そのまま、再起動に手間取っている機体の片脚目掛けて突進し、骨格の隙間から顔を覗かせているアクチュエーター目掛けて、近接距離から発砲した。

 バシッ! バシッ!

 光線による乾いた発射音が聞こえた直後、バチバチという火花が上がり、動力を伝える役割を担うアクチュエーターが破損した。

 機体は、まるで抜け殻になってしまったかのようにフラフラとバランスを崩し、とうとうその場に倒れ込んでしまった。

「フェフ、久しぶりに親の前に現れたと思ったら・・・兵士に扮してまで、こんな所に侵入してくるなんて。まだ、無政府主義者(アナキスト)たちの一味として、革命を起こそうなどと考えているの? いい加減、軽薄で中身のない理想など捨てて、家族の下に帰ってきたらどうなの」

 予想外のフェフの出現に、チェナは驚きを禁じ得ずにいたが、すぐに理性を取り戻し、わざとらしい笑みを浮かべて、彼に語りかけた。

 しかし、フェフは、そんなチェナの誘いを真っ向から突っぱねた。

「幼い頃から、家庭を顧みなかった人間が、今になって母親面か? 悪いが、軍の改革を自称しておきながら、自分の肉体を失ったことへの()()で行動しているあんたに、理想云々を批判される筋合いはない。俺たちは来る新時代に備えて、過去の宇宙世紀で抑圧された者たちの汚名を晴らすべく活動している。弱者も貧者も、アースノイドもスペースノイドも、誰もが平等に生活できる理想郷を実現するために、新たな選民思想がこの先生まれないために、国家という枠組みから脱却した、新しい世界を建設するんだ」

 母と子の二人が対峙していると、やがて割れた窓の奥から、アーグレットとアナウスが揃って飛び出してきた。

「フェフ、お前はまだそんなことを言っているのか! お前たちのやろうしていることは、少数派だった人間たちを多数派に押し上げるだけで、恒久的な種族の多様性など認めたことにはならないんだ。いいか、国家権力だけが差別や貧困の原因であるかのように考えるな。枠組みだけを排除し、個人の潜在力に期待したところで、最終的には新しい力学に依存した、歪んだ社会が形成されるという事実に気づけ!」

 息子に対してあくまでも淡々と語り掛けるチェナとは違い、アナウスは、演説の時のような抜け抜けとした態度とは一線を画し、必死になってフェフを説得していた。

 当然、フェフ自身にとっては、そんな父の声にも耳を傾けるつもりなど無い様子で、両親に揃って銃を向けながら、気を失い床に倒れているプルツーの下へ近づいていった。

「兄さん、その子を、プルツーをどうするつもり!?」

 今度は、アーグレットが問い質す。

 この時、妹に話しかけられたフェフは、初めて優しい顔つきになった。

「心配するな、アーグレット。お前を助けた恩人に、乱暴などしない。この子は元々、軍人だから、()()()()()のために必要なノウハウを少し提供してもらいたいんだ。ちょうど気を失っていてくれて助かった。協力さえしてくれれば、すぐに帰すよ」

 そう言って、フェフはプルツーの身体を抱きかかえ、出口に向かって歩き出した。

 急ぐ素振りも見せず、悠々と歩き続ける。

 そんな彼の姿を見て、チェナはここで初めて怒りの感情を爆発させた。

「この期に及んで勝手なマネを・・・フェフ! 息子だからといつまでも調子に乗るんじゃない! そのクローン人間はテロ容疑をかけられた重要参考人よ。連邦軍にとってもESM社にとっても脅威の存在。そのまま出ていくことは許されないわ! 」

 語気を強め、携帯していた銃を取り出し、引き金を引こうとする。

 だが、その様子を見ていたアーグレットが慌てて割って入り、銃を持っていたチェナの腕を掴んだ。

「何を・・・!? 放しなさい、アーグレット!」

 チェナが叫ぶ。

「嫌! 母さんは間違ってる! 自分の息子を、平気で撃とうとするなんて!」

 母と子が、互いに掴み合いを始めた。

 アナウスも、それを止めようと間に入っていく。

 三人の親子による、感情のぶつけ合い。

 と、ここで、部屋中に警戒音を知らせるアラームが鳴り響いた。

「!? プルツーの救出がやって来た!?」

 地下施設のあちこちで同様の音がけたたましく鳴り、辺りが騒然となった。

 警備にあたっていた兵士たちが、一斉に非常口から上の階へとなだれ込んでいく。

 時を同じくして、部屋の中にも一人の軍曹が慌てて飛び込んできて、チェナに報告を始めた。

「准将、T.I.C.Cの周辺に、民衆が殺到しています。それも、全員、頭がイカれてしまった様子で、刃物や凶器を振り回しながら、この施設になだれ込んできます!」

「何ですって!?」

 軍曹の報告を聞き、驚いたチェナは、慌てて机に据え付けられていたコントローラーを操作した。

 卓上に、立体映像が出現し、T.I.C.Cの外の様子が映し出される。

 それを見たチェナとアナウスは、愕然とした。

 Tシティの全方角から、数えきれないほどの市民たちが、怒涛の如く押し寄せてきたのだ。

 もちろん彼らは、環境フォーラムに参加していた、ネイチャー・リベリオンの支持者などではなかった。

 アーグレットの演説中に彼女を襲った、男女と同じ、怒りの感情に我を忘れた、老若男女の大群だったのである。

「ただの暴徒ではない。やはり、何か特別な力が外部から働いていたのね。ここを軍の拠点と知って、足場を崩す気なのか・・・そう言えば、フェフ? フェフとプルツーはどこ!?」

 画面に釘付けになっていたチェナは、冷静さを取り戻し、フェフたちの姿を探した。

 アナウスとアーグレットも、辺りを見回す。

 しかし、部屋の中に残されていたのは、バッテリーを破壊されて機能停止に陥ったMEXだけ。

 フェフは、気絶したプルツーを抱えたまま、すでに姿を消してしまっていた。

「あの出来損ないの悪童、どこまでも私をコケに・・・上等よ。軍曹、私が許可するから、外の連中は一人残らず拘束、射殺しなさい!」

 次々と起きる想定外の出来事に、チェナは義手の腕で思い切り机を叩きながら、報告に来た軍曹に向けて、命令した。

「し、しかし准将。何の警告もなしに一般人に危害を加えるなど。Tシティの内外から一方的な弾圧と非難されるのでは・・・」

「そうだぞ、チェナ。そんなことをしたら、軍の評判はおろか、我々の会社も信頼を失う。少し落ち着いて考えるんだ」

 軍曹に続き、アナウスまでもが再考を促すも、頭に血が上った状態のチェナは、聞く耳を持とうとしない。

「黙りなさい! 私に口答えするんじゃない! たかだか数千人規模の弾圧など、かつての戦場やコロニーで起きてきた多くの事件に比べれば、取るに足らないことよ。さぁ、早く兵士たちに伝えに行って。抵抗する者はどんどん制圧して。モビルスーツもMEXも、この施設に保管されているあらゆる火器を動員して、T.I.C.Cを死守せよ、と!」

 上司の命令には、軍曹もそれ以上は反論できなかった。

 彼は顔面を蒼白にしながら、おぼつかない足取りで部屋を出ていった。

「母さん、本当に街の人たちを殺すつもり? みんな操られているかもしれないんでしょ? しかも、よく見て。押し寄せている人たちの中には、軍や政府の支持者もいる。今の母さん、本当に変よ。目の前が見えなくなっている。まるで、棲み処を追われた動物みたいな・・・!」

 瞬間、言葉を言い終える前に、アーグレットがはたと口を噤んだ。

 チェナの奇行を止めようと焦る余り、思ったままの例えを口走ったせいもある。

 だが、それよりなにより、チェナがアーグレットに対して向けた目線が、娘に対する者とは思えない、死神のごとき冷徹さを醸し出していたからである。

「アーグレット。母さんはね、今の地位を手に入れるために、人生の大半を犠牲にしてきたの。これからの宇宙世紀は、これまでとはまったく違った時代になる。でも、その根底にあるのは、明るい未来などではなく、新しい共同体(コミュニティ)から生まれるであろう、自民族中心主義(エスノセントリズム)の思想に過ぎないの。これは、かつてのジオニズムよりも厄介な、社会的格差の肥大化した地球連邦をも滅ぼしかねない危機的な潮流よ。だからこそ、今のうちに地球そのものを変革し、来るべき有事に準備しておかなければならない。あなたのように、どこぞのニュータイプの女から産まれた子どもが、これ以上薄っぺらな人類の平等を叫ばないようにするためにもね!」

「え・・・ニュータイプの女・・・?」

 チェナの理路整然とした罵声の、最後に込められた言葉。

 それを聞いたアーグレットは、一瞬、意味がわからない様子で硬直した。

「何てことを! チェナ、それはアーグレットの前で言わない約束だったろう!」

 二人の母子の間に、アナウスが再び割って入った。

 彼にとっても、特別に都合の悪い話だったらしい。

 それまではチェナに対して従順だった顔つきが急に強張り、顔中を紅潮させながら、彼女の肩まで握りしめていた。

 しかし、夫がいくら説得した所で、もはや妻の心に響くことはなかった。

 チェナは、呆然と立ち尽くすアーグレットに向け、なおも畳みかけるように告げた。

「もういいでしょう? アーグレット、あなたは、私の本当の娘じゃないの。ここにいるアナウスが、仕事先で出逢った娼婦との間に偶然作ってしまった子どもなのよ。その女はどうもニュータイプで、特に変わった素質を持っていたらしくてね。あなたがアースノイドでありながら超自然的な感性を持っているのは、そのため。最初は娼婦の娘なんか引き取るつもりはなかったのだけれど、女が娼館を抜け出してまで彼に会いに来たことで騒ぎが大きくなった。それで仕方なく、私たちの子どもとして認知することで、事態の沈静化を図るしかなかったという訳・・・まぁ、後々あなたがネイチャー・リベリオンを立ち上げたことで、軍のプロパガンダに協力してくれたから、少しは引き取った甲斐があったけれど」

 衝撃的な事実の告白に、アーグレットの瞳は、更に見開いた。

 チェナの暴走を止められなかったアナウスも、ただただ悔やむように肩をすくめ、その場を直視しきれずに背を向けた。

「そんな。私は、母さんの本当の子じゃなかったってこと・・・?」

 一方、しばらく何が起きていたのか混乱していたアーグレットは、やがて事の重大さに気付いた様子で、ガタガタと肩を震わせ始めていた。

 そして、全てを白日の下に晒した母の顔を見上げたまま、ポロポロと大粒の涙を流していた。

 三人の家族が、それぞれの想いに駆られながら、無言で立ち尽くす。

 と、ここで先ほどの軍曹が再び舞い戻ってきた。

 彼自身、すでに戦闘に巻き込まれたのだろうか。身体中傷だらけで、這う這うの体になっていた。

「准将! ダメです、暴徒の数が多すぎて、敷地内への侵入を許しました。いずれこの地下施設にもやってくる模様。先ほどのEMPによってダメージを受けた防衛システムも再びダウンし、身を守る方法がありません。今すぐ、そちらの非常口から脱出してください!」

 ほどなくして、部屋の外から、兵士たちの銃声と、大勢の人々による怒声の入り混じった騒音が聞こえてきた。

 ガラスや壁を壊す音に加え、何を言っているのかわからない奇声の数々が、徐々に三人の下に近づいてくる。

 アーグレットと対峙していたチェナは、とうとう迫りくる危機にT.I.C.Cからの脱出を決断し、部屋の隅にあった非常口に通じる扉へと走り出した。

 軍曹とアナウスも、それに続こうとする。

 だが――アーグレットだけは、その場を動こうとしなかった。

「アーグレット? 何をしているんだ、早くこっちに来なさい!」

 非常口のドアを開け放ったまま、アナウスが懸命に手を差し伸べる。

 それでも、アーグレットは肩を落としたまま、心ここに非ずと言った様子で、一歩も動こうとしない。

「あなた、そんな子は放っておきなさい! 元々、反乱分子に殺される運命だったのだから、私たちとしても厄介者が消えて合理的よ」

「チェナ、お前・・・」

 チェナのあまりにも心ない発言に、さすがのアナウスも絶句していたが、彼としても、娘を助ける余地は残されていなかった。

 廊下との隔てるドアを破られ、ついに暴徒たちがなだれ込んできたのだ。

 アナウスは、それ以上アーグレットを呼び寄せることもできないまま、軍曹に促され、非常口の向こう側に消えていった。

「アーグレットだ! アーグレットがいたぞ!」

「殺せ! 俺たちの生活を奪うガキなど、この場で殺してやる!」

 鬼のような形相で、アーグレットの背後から民衆が迫りくる。

 全員が目を見開き、狂ったゾンビのように走っている。

 狂った暴徒の群れ。

 そしてとうとう、先頭をきっていた男の持っていた鉄パイプが、アーグレットの後頭部を捕らえようとした時だった。

(アーグレット、死んじゃダメ! これからあの人たちの脳波を乱すから、ちょっと我慢してて。それから目を閉じて、息も止めてて!)

「プル・・・? きゃっ!?」

 不意にアーグレットの頭の中に、聞いたことのある人物の声が鳴り響いた。

 そして、次の瞬間。

 アーグレットは、急激な眩暈と頭痛に襲われた。

 彼女に襲い掛かろうとしていた暴徒たちもまた、一斉に苦しみだしてその場に倒れこんでいく。

 更にその直後。天井から直径10cmに満たない金属の球が複数降ってきたかと思うと、シューッ! という音と共に、もうもうと白い煙を勢い良く吹き出し始めた。

 その金属球は、どうやら催涙手榴弾だったらしく、二重の不意を突かれた暴徒たちは、アーグレットに襲い掛かるどころか、気絶したり、部屋から転がるように逃げていった。

「うぅ・・・何? 一体何なの・・・?」

 目を閉じていたアーグレットは、自分の周りに何かが起きているのかわからず、全身を恐怖と不安に塗れながら、ひたすらうずくまっていることしかできなかった。

 やがて、暴徒たちの声が聞こえなくなった時。

 今度は、アーグレットの身体を何者かが抱え、「そのままの姿勢でいろ。ここから脱出する」という声と共に、上体を肩に載せられたのがわかった。

 マリーダである。

 下水管から、T.I.C.Cの内部に侵入した二人は、寸前の所でアーグレットを救出していたのだ。

 彼女たちは、天井の排気口から、スラスターによって速やかに降下していた。

「プルツーは? いない。やっぱり遅かったみたい・・・」

 プルは、とっさにプルツーの姿を探したが、一歩遅かったことを自覚し、悔やんだ。

 だが、マリーダはと言うと、何かに気付いた様子で、プルに「いや、大丈夫だ」と告げた。

「いや、プルツーは無事だ。姉さんの気配を外に感じる。まずはここから脱出するぞ!」

 そう言って、マリーダは再びスラスターを起動させ、元来た排気口に向かって浮上していった。

 プルもそれに続く。

 無数の暴徒と化していた民衆が、T.I.C.Cの研究施設を、ことごとく破壊しつくす惨状を目の当たりにしつつ、二人は建物の中を縦横無尽に駆け抜けていった。

 アーグレットはと言うと、いつの間にかマリーダの腕に抱かれながら気絶していた。

 脱力し、何度も地面に落ちそうになる彼女の身体を抱え直しながら、マリーダがアーグレットの顔を眺める。

(やはり・・・この子の顔は、彼女と瓜二つだ。マスターと出逢う前、娼館で私の光になってくれた、あの女性と・・・)

 この時、マリーダは、アーグレットという少女に、確かな過去の記憶を見出していたのだった。

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