アーグレットを連れたP部隊が、突入を開始した頃。
フェフによって所属不明機に乗せられたプルツーは、すでにダミーの艦橋の下に隠された、直径数十メートルはあろうかと言う、巨大な人工の穴に向かって降りていた。
この穴は、フェフによると西暦時代に造られた
深さはおよそ1500m。
見えない底に向かって、機体に無理やり後付けされた、モビルスーツ用ではない汎用の逆推力装置による逆噴射と、背中に内蔵されたパラシュートよって、機体がゆっくりと降りていく。
しかし、プルツーにとってはもはや、立坑の規模などどうでもよく、まったく別の事実に気を奪われていた。
(これが、コックピットか。外装と同じで、旧型機の寄せ集め・・・この程度の降下速度でさえも隙間風が感じられてくる。よくもこんなハリボテで、Tシティの上空を亜音速域で飛行できたもんだ)
地上の光が徐々に薄れていく中、深淵に向かって降りていく最中において、プルツーが見た所属不明機の内部。
そこは、あらゆるパーツが破損し、基盤すらむき出しの、動く
レバーやペダルは酷使され変色している上、後付けされた計器類も明らかな誤差だらけ。中にはまったく動いていない物さえある。
加えて、あちこちのコンソールカバーが取り払われては、内部の機械が剥き出しになっていて、応急処置に使うと思われる工具やらスペアの部品(というよりジャンク品)が、無造作に転がっていた。
本来は単座式の機体のようだが、本来あるべき装置類が極力外されているおかげで、プルツーくらいの小柄な人間であれば、どこでも腰を下ろせる広さを確保していた。
しかし、装置がないということは、機能上、何らかの支障が生じることを意味する。
ただでさえ気密性の低そうな内壁は、過走行のエレカよりも隙間だらけで、少なくとも宇宙空間での運用は不可能。
仮に、モビルスーツ同士の格闘戦ともなれば、軽く殴られた時点で破損してしまうかもしれない。
この時、プルツーは、先日の空爆の際、この機体が追撃してきたS-7とは戦わず、即座に撤退した理由を理解した。
この機体は、人型を成してはいるが、その実、姿に見合った戦闘能力を備えてはいない。
要するに、モビルスーツの形をした、ツギハギの旧式
「フッ。あまりにも煩雑な装備に面食らっているな? 察しの通り、こいつは、規格に沿って正規に製造された機体ではない。アキバ横丁の闇市で取引されている部品を組み立てたものだ。Tシティの闇市場なら更に高純度・高年式の部品を集めることもできたが。
プルツーの方を振り返ることもせず、フェフはそう言って、自分が握るレバーのすぐ横に置かれた金属の箱をポンと叩いた。
先ほどのトラックに積まれていた物と、同じ箱。
この時、プルツーは、箱の側面に複数のカプラーが接続されていることに気づいた。
(コムリド? あの箱の名称か?)
フェフから発せられた聞き慣れない言葉を耳に残しつつ、プルツーは今一度周囲を見回してみた。
すると、カプラーは、数本の細いケーブルに分離し、コックピットの全方位に張り巡らされていた。
それらのケーブルも、よくよく見ると、アキバ横丁の裏路地の建物で見かけた代物と同じだった。
あの時には複数の箱と繋がっていたコンピュータらしきモニタも、それよりは小型の物が、機体を操縦するフェフの足元に置かれていた。
「おい。これは、一体何なんだ? まるでモビルスーツの中身をくり抜いて、まったく別のシステムをはめ込んだみたいだ。恐らくはその金属の箱が指令を出しているのだろうが・・・一体その中には何が入っている?」
プルツーが遂に核心に踏み込むと、フェフは場違いな笑みを浮かべながら、手元に置かれていた箱を何度か指差した。
「中を自分自身で見てみるといい。ここのボタンを押すと自動的に蓋が開く。ただし、感度の高い者には急激な
言われて、プルツーがフェフの下へと近づく。
ようやく、その全貌が明らかにされようとしている、謎の箱。
操縦レバーの横に固定されている箱を凝視しながら、プルツーは腰に備え付けていたハンドガンを握りつつ、人差し指とほぼ同じ大きさのボタンを恐る恐る押してみた。
一瞬、プシュという空気が押し出される音が聞こえた後、中に組み込まれたダンパーの圧力によってゆっくりと蓋が開き、中から液体窒素の蒸気が漏れだしてくる。
そして――。
「! こ、これは」
白い蒸気の奥に見えた物を理解した瞬間、プルツーは思わずのけ反った。
箱の中にあったもの。それは、人の脳だった。
細かい配線によって電気信号を送り込まれながら、絶対零度の液体に浸されている。
大きさ的には、子どもの脳のようだ。
だが、驚きはそれに留まらなかった。
しばらく箱の中身に目を奪われていると、プルツーの頭の中に、不意に無数の映像が映し出されたのだ。
「う、な、何だ。頭が・・・!」
そのあまりに莫大な情報量に、プルツーはつい立ち眩みを起こしてしまった。
これが、フェフが言っていた脳波の氾濫なのだろうか。彼女の頭に、記憶にない何者かの映像が次々と現れては消えていった。
それは、かつてプルが、モノレールの襲撃シーンを画面越しに見せられた時と同じ映像だった。
「わかったか? この脳の持ち主たちはニュータイプで、特に強い思念を発する。それを量子信号化することで、機体を動かすこともできる上、制御方法を変えれば、他人の思考を乱すこともできるという訳だ。この箱は、さしずめ絶縁体と言った所だな。思念を利用する意味ではサイコミュに近いが、命令を変更すればニューロコンピュータとしても利用できる。カプラーから枝分かれしている配線類は機体全身に張り巡らされていて、人工神経接続システムのように各部位を動かす役割を担っている。ちなみに君たちがアキバ横丁で見た代物は、それらを並列化した
意識が朦朧とするプルツーを横目で眺めつつ、フェフは箱の蓋を手際よく閉じた。
同時に、頭の中を暴れ回っていた映像も一斉に消去されていく。
(くっ・・・量子だと? P部隊のシステムでさえ、未だノイマン型アーキテクチャのデジタル演算から移行しきれていないというのに。こいつの話が真実だとすれば、脳波の氾濫は、不確定性原理で言う所の
不意に脳裏に映し出されていた映像によって面食らっていたプルツーだったが、映像が消えたことで即座に冷静さを取り戻していた。
彼女は、これまで経験してきた一連の現象を踏まえながら、箱の仕組みについてすぐさま推測を弾き出しつつ、更なる真相の追求に乗り出した。
「ふん。サイコミュだって? 気取ってんじゃないよ。人間の、それも子供の脳をそのまま機体に組み込むなんて、強化人間の手術よりも非人道的じゃないか。傍目には好青年のフリをして、その実、腹黒い。あんたは昔の上司だった、私たちの知り合いにそっくりだ」
ネオ・ジオン時代、自らの存在を生み出したグレミー・トトの姿を重ねつつ、プルツーはフェフに皮肉を込めて言い放った。
もちろん、これは相手の人格を把握するための、プルツーなりの心理的工作だ。
すると、それまで落ち着き払っていたフェフの様子が明らかに変わっていく様子が感じられた。
「人道、か・・・君たちのような、
それまで耳にすることのなかったフェフの怒声。
コックピットの中は、ほぼ地上の光が届かなくなっている上、カメラアイから入ってくる映像をCG処理するためのコンピュータが故障しているおかげで、全天周囲モニターの映像は階調が極端かつノイズだらけだ。
だから、彼の表情はよく見えないのだが、声色から判断して、かつてアキバ横丁の路地裏で初めて対面した時の、あの鋭い殺意だけは感じられた。
だが、プルツーはまったく物怖じしない。
「へぇ。要するにその箱は、道具じゃなく仲間だと? 連邦の政治的な事情を、よほど毛嫌いしているんだな。にしてもあんた、ずいぶん恰好つけて言ってるようだが。本音はそこじゃないだろ? あたしには、あんたが軍の改革者を自称する
明らかに感情の不安定になったフェフを煽り立てるのように、プルツーは心理学的用語を交えながらも、あえて品性に欠ける皮肉を投げつけた。
もちろんこれは、つい先刻にチェナに対しても使った手法だ。
感情に訴えかけて、相手の本音と、理性との
変革を実現しようと目論むエリートは、どうしても独り善がりになり孤独であるため、自らの理想に固執している者が多い。
ただしこれは、すでに一定の政治的地位を確立している独裁者には適さない。彼らほどの立場になると思想が先鋭化し、人格として組み込まれているからだ。
頭脳明晰で、理想を持ってはいるが、立場的にやや孤立無援な人物。こうした人間は人としての純粋さが残っていることが多いから、挑発的なコミュニケーション手法は、時として
「・・・」
そんなプルツーの挑発に対して、フェフは何も答えず数秒黙り込んだ。
彼はT.I.C.Cでの取調べの一部始終も目撃していたから、策に乗せられることを警戒していたのかもしれない。
どうやら、ヒステリックなまでに感情を爆発させるチェナよりは、いくぶん利口なようだ。
フェフは、怒らせていた肩を鎮めた後、プルツーが気づけないほど、ゆっくりと呼吸を整えた。
そして、それ以上は何も言わず、レバーを引いて降下していた機体を少し持ち上げた。
直後、僅かな震動と共に、機体の動きが完全に止まったのがわかった。
解像度の低い、所々ノイズの入ったモニターを眺めてみた所、地面に着地したらしい。
奇妙なことに、フェフは機体をわざわざ岩石や鍾乳石に覆われた、洞窟の片隅に機体を降ろさせた。
「降りてくれ。この辺りは火山活動が活発で、温泉が噴き出しているから、多少の不快は我慢して欲しい」
フェフに言われた通り、プルツーは屈められた機体から身を乗り出し、外に出た。
瞬間、蒸し風呂のような湿気と暑さが全身に感じられ、硫黄のような匂いが鼻を突く。
そこは岩場がむき出しの、洞窟のような場所であった。
なぜ、暗がりの地底でそのような認識が可能であったのか?
それは、地上の工場や立坑とは違い、辺り一帯電力が通っていて、細長い形状の白色照明がそこかしこを照らしていたからだ。
天井までの高さが50メートルはあろうかと言う、広大な洞窟。T.I.C.Cの会場にも匹敵する。
洞窟に補強工事はされておらず、地上から立坑を伝って伸ばされた無数のケーブルが、岩場むき出しの壁を縦横無尽の這い回っていた。
(私は資料でしか見たことはなかったが、雰囲気は昔の
辺りを見回しても、兵器や通信設備が見当たらない事実を確かめながら、プルツーは先を歩くフェフに追従した。
奇妙なことに、洞窟には整地された通路があるにも関わらず、あえて未整備の、荒れた道ばかりを歩いていた。
狭くて凸凹とした、岩だらけの足場。
なぜ、わざわざこんな歩きにくい道を・・・体力には自信のある、さしものプルツーも、脳裏にそんな不満がこぼれてしまっていた。
と、その時。
プルツーは、洞窟の奥に、一抹の気配を感じた。
何かが宙を飛んでいる。
暗がりの中、プルツーは僅かな輪郭を頼りに、その物体を凝視した。
すると。
(あれは、ドローンか?)
プルツーが気配を感じた物。
それは、闇の空間を飛び回る、直径1mほどのドローンだった。
単機ではなく、全部で十数機は飛んでいる。
どれも銃火器を搭載する、軍事用の機体だ。
この時、プルツーはあることに気づいた。
(間違いない。あれはT.I.C.Cの地下で開発されていた機種と同じ・・・と言うことは、この先にある物は?)
にわかにプルツーの胸元がざわついた。
次第に明るさを取り戻していく視界で、ドローンの周囲を今一度見回す。
すると、その場所もまた、
そう。地下司令室と思しきモニタに映し出されていた、あの洞窟のような場所。
プルツーの中で、不可解だった疑問が、また一つ繋がった瞬間だった。
やがて、歩いていた通路が、曲がりに差し掛かっていることがわかった。
足取りを進めるごとに、ドローンの数も増えていく。
そろそろ身を隠すことすら、困難な状態だ。
それでも、監視の目を掻い潜るために、更に足場の悪い道を選んだり、時折上体を屈めたりして、通路を曲がっていく。
やがて、とうとう曲がり道を歩き切った時。
プルツーは、その先に、予想していた通りの光景を目にした。
(やはり・・・!)
プルツーが、歩く先で見つけた物。
それは、無数のドローンと、遠隔操作された数体のモビルスーツに囲まれながら、広大な洞窟の路を塞ぐように鎮座する、あの錆び付いた鋼鉄製の壁だったのである。
「姉さん、さっきから何を食べているんだ?」
「これ? パフェのフリーズドライだよ」
アーグレットに先導され、工場跡地に潜入したマリーダとプルは、プルツーとは別のルートで地下に向かっていた。
メンシュハイト啓明結社なる組織が、この先どのような体勢で待ち構えているか予想がつかないことに加え、地下の耐震強度もわからない。
結社の技術が、宇宙世紀で標準化されている代物とは異質である可能性も踏まえると、UMMSなどの大規模戦力を安易に増強することは、様々な二次的被害が想定された。
加えて、チェナ率いる連邦軍の追手にも警戒を払わなければならない以上、現状は生身で突入するしか選択肢が無い。
ならば、あの巨大な立坑をサイコウェアのみで降下するのは、危険極まりなかった。
そんな状況にあって、幸か不幸かアーグレットの案内は、非常用の階段で地下へ降りるという手段であったため、とりあえずは一歩先へ進めたという次第。
マリーダを先頭に、アーグレット、プルの順で前後を固めてはいるが、非常に危険な状況には何ら変わりない。
何せ、廃工場の電源などとっくに落ちているから、辺りは終始真っ暗。階段は鉄製で幅が2mくらいなのは把握できたが、一方通行で、脱出経路も限られる。
敵の妨害波長か何かで、サイコウェアの感度が著しく阻害されているため、視界をサポートする暗視ゴーグルを装着しながら、細心の注意を払って降りるしかない。
にも関わらず、プルと来たら、この期に及んで非常食を食い漁っている。
ヘリでの言い争いのことも、彼女にとっては忘却の彼方らしく、マリーダにしてみればあれだけ自分の過去をほじくり返したプルの能天気さに、不満が鬱積していくのは当然であった。
「こんな薄暗い所で、よくも呑気にお菓子なんか。もし敵に上下から挟み撃ちにされたら、それこそ一巻の終わりなんだぞ」
暗がりの折り返し階段を下りつつ、マリーダはプルの警戒心の無さを咎めた。
プルツーが居ない以上、こういう時こそ頼り甲斐のある姉でいて欲しいのに。
もちろん、そんな願いは無い物ねだりだとわかってはいたが、心のどこかで、プルに抱いていた感情が、ついにここに来て顕在化したのである。
だが、そんなマリーダの様子を知ってか知らずか。
当のプルは片手にライフル、もう片方に細長いスナック状の食べ物を握りしめながら、余裕綽々とした口調で答えた。
「マリーダ。あたし、思うんだけどさ。今度の敵さんって、確かに正体はよく分からないけど、思ったよりも脅威じゃない気がするのよね」
「? それは、どういう意味だ?」
てっきり言い訳じみた反論が返ってくると思い込んでいたマリーダは、唐突なプルの回答に思わず目を丸くした。
額面通りに受け止めると、能天気というか軽率なセリフではあるものの、別の理由もありそうだ。
マリーダの反問に、プルは残っていたフリーズドライを口に放り込み、口をモゴモゴさせながら言った。
「う~ん。軍が絡んでるから、色々厄介なのは勿論なんだけどさ・・・その謎の組織がそんなにすごい技術を持っているなら、とっくに連邦の偉い人たちとか操ってるはずだし。第一、あんなジャンク品のモビルスーツなんか使わないはずだもん。
「・・・」
思いがけない、理路整然とした考察に、マリーダは階段を下りながら一瞬黙りこくってしまった。
この時のプルの言葉は、マリーダにとってやけに腑に落ちる内容だった。
スポーツ選手など、プロとして生きる人々の中には、時として、素人や部外者の意見に気づかされることがある。
それは、プロというのはその世界に入り浸るために視野が狭くなるからであり、家族や友人など、外から俯瞰している人間の目が有効な材料となり得るためだ。
プルは内部の人間だが、普段は作戦より風呂や夕食のことばかり考えているせいか、時々思いもよらぬ観点から指摘してくる。
時には「それができたら苦労しない」と言う、屁理屈じみたセリフも吐くし、戦術的・戦略的根拠も無きに等しいが、それでも彼女特有の天真爛漫な口調のおかげで、作戦遂行に対する心理的なバックアップを得られた気分にさせるのだ。
真っ暗闇、階段を下る音だけがカンカンと聞こえてくる中、視野狭窄になりかけていたマリーダは、自分の口元が自然と綻んでいくのを感じていた。
「確かに。マスターの言っていた通り、あの所属不明機が、プルたちの見た箱を本当に破壊していたとすれば、仲間割れを起こしている可能性もあるしな」
落ち着きを取り戻したマリーダの返答に、プルもまた呼応する。
「でしょ? 正体がわからない相手だからこそ、ポジティブが一番なんだって。今も、上と下の階にエコモードのファンネル飛ばして警戒できてる訳だしさ・・・きっとマリーダも、お腹空いてるんだよ。一緒にこれ食べない? 賞味期限切れてるっぽいけど」
「いや、それは遠慮しとく」
暗がりの中、『かき氷味』と書かれたやや変色気味のフリーズドライを差し出しながら、プルは赤外線越しに満面の笑みで毒味を勧めてきた。
一瞬、頼もしい姉を演出しながら、最後にはきちんと
呆れ半分、嬉しさ半分の気持ちが入り混じる中、理性がニュートラルに戻ったマリーダは、とりあえず誘いを断った後、会話に追従できずにいるアーグレットに話しかけた。
「アーグレット。フェフは、士官学校を退学した後、しばらくの間行方を晦ませていたそうだな。それまでの彼の様子に変化なかったか? 考え方に明らかな変化が見られたとか、何かに傾倒していたとか・・・」
プルの楽観的観測に幾分救われた感は持てたものの、ギリギリまで情報収集の必要性を感じていたマリーダは、アーグレットからフェフの情報を引き出そうとしていた。
マリーダに問われ、それまで暗がりの足元に集中していたアーグレットは、しばし記憶を辿った後、小刻みに首を横に振った。
「さぁ? 当時の私は部屋に引きこもっていて、兄ともそれほど会話してなかったから、そこまでは・・・強いて言えば、家を飛び出す直前、母さんや父さんとケンカした時、兄はこんなことを言っていたわ。"戦争を続ける両親は悪だ。けど、もはや人類は戦争を止められないこともわかっている。だから自分は、アースノイドでもスペースノイドでもない、まったく新しい存在になる"って。結社のことを知らされたのも、その後だったかもしれないわね」
「まったく新しい存在?」
アーグレットの返事を聞いたマリーダは、一瞬頭の中が混乱した。
アースノイドでもスペースノイドでもない存在とはどういう意味だ? ニュータイプのことを指しているのだろうか。
いや、話の成り行き上、そうではないだろう。
恐らくこれは、何らかの暗喩なのだ。すなわち、結社のメンバーが既存の人種を超越した存在であることを自負しているとか、あるいは本来の人間とはかけ離れた、もっと抽象的な存在になることを目指した"例え"に違いない。
オカルティズムによくある神秘主義をこじらせた、非現実的虚構の典型。だが、何か引っかかる。
この時、マリーダはふと、身に着けているサイコウェアの感度が更に悪化し、脳波を通じて
それと同時に、アーグレットの実の母親で、娼婦時代の知り合いでもあるミリルの顔が、なぜか脳裏を過ぎった。
「そうか・・・ところでアーグレット。さっきからかなり早足で階段を駆け下りているが、疲れはないか?
それまでフェフや結社のことを話していたマリーダが、突然、まったく別の話題を口にした。
アーグレットは、「え?」と吃驚した様子で、自分の身体を見回したが、すぐに首を傾げた。
「? いいえ。体調は別に・・・この場所には以前にも来たことがあるけど、異常を感じたことはなかったわ」
「今更なぜそんなことを聞くのか」薄暗闇の中、アーグレットの表情からは、そんな反問が読み取れたが、マリーダは「わかった」と答えたきり、再び前を向いた。
その様子を、最後尾のプルも黙って見ている。
やがて、会話がひと段落ついた時点で、階段が最下層に辿り着いた。
マリーダとプルが、揃ってライフルとファンネルの銃口を向ける中、アーグレットが鉄製の扉の傍に取り付けられた、暗証番号のコードを押す。
どうやら、ここから先には電力が通っているようだ。
「おかしいわ。解除されれば、自動的に開くはずなのに」
しかし、どうしたことか。アーグレットがいくら押してみた所で、扉はビクともしなかった。
「どうしたの? 手伝おうか?」
ここで、プルがライフルを構えるのを止め、アーグレットへ駆け寄りった。
強化人間のプルは、成人男性以上の力を発揮できるから、これで簡単に開けることができる・・・と思いきや。
扉は、相変わらずギギギという、金属同士がこすれた音が聞こえてくるばかりで、数センチほどしか動かなかった。
どうやら向こう側の可動部分に異常を来しているようだ。
そこで、マリーダまでもが加勢し、三人で扉を押し出そうと奮闘を始めた。
力いっぱいに両手足を踏ん張りながら、身体全体を押し付ていく。
すると、ようやく扉が更に押されていく手応えを感じた。
勢いに乗り、そのまま、反動を利用しながら奥へ奥へと押していく。
そして、次の瞬間。
「うわぁ!?」
それまでガチガチに固まっていた扉が一斉に開け放たれた。
いきなり抵抗を失った三人は、そのままバランスを崩し、なだれ込むように倒れていった。
「! うぁぢぢぢ! なになに、これ!?」
直後、バシャ!という水の勢いよく撥ねる音が聞こえてきて、プルの奇声がこだました。
マリーダとアーグレットもまた、急激な息苦しさと全身を締め付けるような熱さを覚えた。
倒れ込んだ三人を襲ったもの。
それは、大量の水ならぬ、大きな湯溜まりだった。
その場所はついさっきプルツーが歩いてきた場所と同じ、立坑の底にある洞窟で、三人は間欠泉の中に身を投げてしまったのだ。
「ぶわっ! なんだこれは、温泉か!? 酸性の成分でドア全体が腐食してる・・・あれでは開かない訳だ」
マリーダが振り返ると、開いた扉の表面は酸性の泉質によってすっかり溶解し、ヒンジなど可動部分が硫黄分で固着していた。
三人は、サイコウェアなどの特殊な装備のおかげで首から下こそ濡れることはなかったものの、顔は保護していなかったから、髪の毛ごとびしょ濡れ。
よもや、こんなスラップスティック的展開を予想していなかったマリーダは、思わずアーグレットに怪訝な視線を向けた。
その様子に気づいたアーグレットはアーグレットで、水面を両腕で叩きながら、必死に責任を否定した。
「わ、私の方を見ないでよマリーダ先生! 前に来た時は、こんなんじゃなかったもの! きっとここは温泉が噴き出す洞窟になっているから、最近になって新しく湧いて出てきたんだと思う」
状況的に見て、確かにこれは不可抗力と言うもので、アーグレットを責めるのは酷な話だと、マリーダは思った。
それよりも、洞窟内に灯が煌々と照らされていることの方が、危機感を煽られていた。
マリーダは、適度な湯加減に早くも
ところが――。
「? マリーダ、何か近づいて来るみたいだよ。何か聞き慣れた音が・・・」
湯溜まりを出ようとしたプルが、何かに気づいた様子で遠くを凝視している。
言われて、マリーダも同じ方角へ視線を向ける。
湯気に阻まれて見えないが、複数の甲高い飛行音と、ドシンドシンとリズミカルに地面を揺るがす、巨人が歩いているかのような足音が確かに反響している。
「・・・しまった! あれは、連邦軍の機体だ!」
やがて、その音の正体に気づいたマリーダは、血相を変えて叫んだ。
それは、洞窟一帯を監視するために放たれていた、工作仕様のモビルスーツとドローンだったのである。