月から聖杯戦争の勝者が来るそうですよ?(未完)   作:sahala

26 / 76
番外編「妖狐の嫁入り準備」

「う~んん………」

 

 日が昇り切っていない早朝。“ノーネーム”敷地内の屋敷でキャスターは軽く体を伸ばしていた。召喚されてから数日しか経ってないとはいえ、こうして朝の涼しい風を浴びるのは月では出来なかった体験だ。それが楽しみで、ほんの少し早起きしてしまったわけだ。

 

(やっぱり早起きは三文の得と言いますからねえ。自慢の尻尾もピンと毛筋が立つものです。これでご主人様が御側にいれば三文どころか三千世界を売り渡しても御釣りが来るんですがねえ。しかしご主人様は昨夜も遅くまで勉学された様子。出来る妻は自身の欲望を抑えて夫を支えるものです)

 

 うんうん、と一人で頷きながら自室を出る。まだ屋敷内は眠りに就いてる様に静まり返っていた。もう少し時間が経てば、住人が目を醒まして活気に満ちるだろう。

 

(はてさて、どうしますかね。朝食の時間までもう少しかかりますし、ご主人様もまだ起きていらっしゃらないでしょう。この時間帯に起きていそうな相手と言えば、十六夜さん………はパス。粗野な殿方はどうにも気が合いません。あとはセイバーさん………もパス。早朝から前衛芸術に付き合いたくないです)

 

 などと考えながら廊下を歩いていると、ふとキャスターの耳に物音が聞こえた。物音の出所は炊事場からの様だ。特に目的があったわけでもないので、そちらへ向かうことにした。

 炊事場に入ると、そこには自分と同じ狐耳の少女―――リリがいた。

 

「あ、キャスターさん。お早うございます」

「お早うございます、リリさん。こんな早朝に何を、って愚問でしたね」

 

 包丁とまな板を手にしていたリリを見て、キャスターは疑問を引っ込める。どうやら朝食の準備をしていた様だ。

 

「いつも、こんな朝早くから?」

「いえ、本当はもう少し遅いんですけど、いつもより早く目が醒めちゃって………。その、皆さんが来てから朝食も準備し甲斐がありますし」

 

 少し照れた様子で、リリは尻尾をパタパタと振る。遠足を待ち切れない子供みたいなリリをキャスターは微笑ましく感じた。

 

「何か御手伝いしましょうか? 朝食まで手持ち無沙汰ですし」

「い、いえ! キャスターさんは“ノーネーム”の大事なプレイヤー。そんな方に雑事をさせるわけにはさせるわけにはいきません!」

「そんな気を使わなくっていいですってば。今の私はご主人様のサーヴァント。正式なプレイヤーではないんですよ?」

「それでも、です! “箱庭”においてギフトゲームに参加できるというのは大きな意味を持ちます。私達みたいにゲームに参加できないコミュニティの人員はプレイヤーの皆様の衣食住を支える事が、大事なお仕事なのです。それなのにプレイヤーの方に雑事をさせたとあっては、年少の皆にも示しがつきません!」

「それはそうでしょうけどねえ………」

 

 リリの言う事はもっともだ。個人の能力に応じて、仕事の役割分担をする必要性はキャスターも理解している。上の者が何でもやってしまっては、下の者は自分から何かしようという気持ちもなくなり怠けていくだろう。それは結果として組織の衰弱を促してしまう。しかし、だからといってこのままリリを放って自分だけブラブラするのも気が引けた。

 

「う~ん、じゃあ今日だけでどうですか? プレイヤーである私の我儘に付き合うという事で」

「それなら、まあ………。今日だけですよ?」

 

 ムムム、と難しい顔で頷くリリを見て、キャスターは食器棚にかけられていたエプロンを着る。耳を畳んで三角巾を被れば、準備は万端だ。

 

「よし、それなら決まりです! さて、リリさん? 私は何をすればよろしいですか?」

「じゃあ、まずは野菜を洗って頂けますか? 大人数なので、量がありますけど」

「合点承知です!」

 

 キャスターは早速、洗い場に置かれた野菜を手に取って水に浸けていく。水は身が引き締まるぐらい冷たかったが、お陰で少し残っていた眠気が吹き飛んだ。野菜を傷つけない様に注意しながら、一つ一つ丁寧に手洗いしていく。

 

 

 

「これでよし、と。リリさん、次はどうしますか?」

「あ、後は煮込むだけなんで大丈夫です。お疲れ様でした」

 

 リリと炊事をすること、三十分。しかしキャスターの朝食の体感としてはあっという間に終わってしまった。煮込まれた料理を皿に移せば完成だ。

 

「あとは当番の子達にやらせますよ。そろそろ起きてくる時間ですし」

「そうですか? それにしても毎日、これだけの量を作るなんて大変ですねえ」

「でも、プレイヤーの皆さんのお役に立てますから」

 

 そう言って、リリは嬉しそうに笑う。キャスターに下手に出ているわけでもなく、出来る事を自分で考えた結論なのだろう。彼女にとってこの労働は苦にならないようだ。

 

「いやはや最近の若い娘には無い殊勝な心がけです。良妻狐たる者、三歩下がってご主人様に追従するもの。リリさんは良い奥さんになりますよ」

「あははは、そんな………ほめ過ぎですよ」

 

 はにかんだ笑みを浮かべていたリリだが、ふとその顔に影が差した。

 

「リリさん?」

「あ………すいません、ちょっと母様と一緒にいた時の事を思い出しちゃって」

「お母さん、ですか?」

「はい………」

 

 お玉をキュッと握りしめ、語り出す。リリは“ノーネーム”の農園を預かる一族の娘だったそうだ。宇迦之御魂神から神格を授かった狐神の命婦。それがリリの先祖であった。だが神格を得ていたリリの母親は、“ノーネーム”が魔王に襲撃された際に連れ去られた。

 

「あの頃の“ノーネーム”は今より沢山の人がいて、農園も今よりずっと広くて、目が回るくらい忙しかったです。だから母様の手伝いをしながら仕事を覚えて………。あの頃の私は、いつも母様の後ろをついて回ってる様な感じでした。本当に、いつも母様と一緒にいて………」

 

 キラリ、と光る物がリリの目から頬を伝った。

 

「あ、あれ? すいません、なんだか目にゴミが入ったみたいです。こんなの、何でもありませんからっ」

 

 グシグシと目をこするリリ。そんなリリを、キャスターは………そっと抱きしめた。

 

「え………キャ、スターさん?」

「リリさん、無理しなくていいです」

 

 優しく包み込む様に小さな身体を引き寄せながら、キャスターはそっと囁く。

 

「無理に自分を押し込めたら駄目です。そんな風に感情を殺していたら、心も体も悲鳴を上げちゃいますよ?」

「で、でも、私は稲荷の巫女だから………」

「ええ、その通り。神の眷属ならば、それに相応しい風格が求められます。でもね、辛い時は辛いと言っちゃっても良いんですよ? だって巫女は神に仕える人間であって、神様ではありませんから。完全である必要は無いです」

「で、でも! みんなに迷惑がかかりますから、」

「いえ、全く。少なくとも私は、迷惑だなんて思いませんよ。それどころか御主人様も、セイバーさんも、黒ウサギさんも、飛鳥さんも、耀さんも、ついでに凶暴なあの殿方も。リリさんが我慢してる事を迷惑に思う様な人は、ここにはいませんよ」

「え………?」

「だってリリさん、自分よりも他の方を優先させられる()ですもの。そんな人が自分の感情を表に出したくらいで、迷惑がる様な人達でしょうか? いえ、ない。反語」

 

 自分よりも頭一つ以上に低い場所にある狐耳を撫でながら、キャスターは優しく微笑んだ。

 

「まあ、要約すると………泣ける時には泣いておけ、ってことです」

「キャス、ターさん………うっ、ひぐっ」

 

 リリはふるふると体を振るわせ―――堰を切った様に泣き出した。

 

「う、ああっ………! 母様っ、母様に、会いたいよう………!」

 

 いつもの気丈な姿はなく、歳相応に母を恋しがって泣くリリ。そんなリリを、キャスターは慈愛に満ちた笑みを浮かべて抱き締めていた。

 

 

 

「すいません、みっともない姿を見せてしまいました」

「多少はすっきりしましたか?」

「はい、お陰様で」

 

 真っ赤になった目をハンカチで拭いながら、リリは儚げに笑う。しかし、先程の様に無理に感情を押し殺した様子はない。それを見て、キャスターは心の中でそっと安堵する。

 

「いつでも私に頼って下さいまし。な~に、私とご主人様の二人にかかれば神も悪魔も仏も平伏すというもの。ど~んと安心してリリさんのお母さんの帰りを待っていて下さいな」

「キャスターさん………。はいっ! 母様が帰って来るその日まで、私がコミュニティの皆様のお世話をいたしますっ!」

「うんうん、こちらこそよろしくお願いしますね」

 

 ふと、何かを思いついた様にキャスターの耳がピンと立った。

 

「そうだ、これも狐の神仙の縁というもの。リリさんに一つ、この私直伝の奥義をお教えしましょう」

「キャスターさんの奥義、ですか?」

「ええ。これさえ覚えれば、いざという時の強敵と痴漢の撃退。しつこいセールスに勧誘詐欺への天誅、さらには嫁入り前の修行と家庭の円満にも役立つという、優れた奥義です♪」

「す、すごいです! 是非とも教えて下さい、キャスターさん! いえ、キャスター先生っ!」

「ふふっ、まずはですね………」

 

 

 

 

「もっと腰を落として! 足の力だけではなく、体全体で打ち込む様に!」

「は、はい!」

 

 昼下がり、ノーネームの敷地内で威勢の良い掛け声と共に、サンドバッグを叩く様な音が断続的に響いていた。

 

「あの二人、最近は仲が良いわね」

 

 庭園の東屋でティーカップを傾けながら、飛鳥はポツリと呟く。

 

「Yes! 聞けばキャスターさんは、神格を得ていた狐様であった御様子。稲荷の巫女であるリリにとっては先達にあたる方なので、親しみやすいのでしょう」

 

 紅茶の共をしていた黒ウサギは、耳をヒョコヒョコと動かしながら頷く。

 

「まあ、キャスターさんが来てからリリも以前より笑う様にはなったと思うけど………」

 

「爪先で抉りこむ様に! はい、ラッセーラッ!!」

「らっせーらっ!!」

 

「………あれは何をしているのかしら?」

「ええと、何かの武術の型だと思いますが………」

 

 飛鳥と黒ウサギの視線の先には、空手道着を着たキャスターとリリがいた。リリはキャスターの指導を受けながら、サンドバッグで出来た人形の一点に蹴りを入れていた。

 

「あれは、痛そうね」

「Yes、殿方ならばクリティカルヒットのダメージでしょう」

 

「まずは金的! 次に金的! トドメに金的、ですっ!!」




 お久しぶりです。筆がなかなか進まないとウダウダする事、およそ半年。ちょっと気分転換に以前から書きたかったネタを使った番外編を書いてみました。しばらくは、こんな風に時系列を無視した番外編を投稿するかもです。「sahala? いえ、知らない子ですね」と思って頂いても構わないので、また私の駄文にお付き合い下さい。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。