誰か────名付けよ、我が名を。
断末魔の叫びからでも、
哀惜の慟哭からでもなく、
静かなる言葉で──誰か、誰か。
誰か、我が名を呼んでくれ。
我が名は白面にあらじ。
我が呼ばれたき名は────
◆
ぺちゃり、ぺちゃりとした音が暗い部屋に響く。
唯一の光源であるテレビからは、女性のニュースキャスターが凄惨な事件についてを報道していた。
それに目も向けず、足を動かして作業を行う青年が一人。
「
あやふやな自分の記憶に首を傾げながら、歌のようなそれを口ずさむ青年はえーと、と続ける。
「ただ満たされるトキをー、破却する……だよなぁ? うん」
手元の本を確認し、一度頷く。そうして、また歌を再開する。
「
その場にいるものに確認を取るかのように言葉を続ける青年の声音は、どこか期待を滲ませたようなものであった。
「ん?」
作業を終え、そこでようやく青年はニュースキャスターの報道に耳を向ける。
その内容を聞いて、少しハメを外しすぎちゃったかなぁ、と独りごち、リモコンを操作してテレビの電源を消す。
「ねぇ、悪魔って本当にいると思うかい? 坊や」
青年はおもむろに、部屋にもう一人同席している少年にそう問いかけた。
しかし、少年は答えない。
答えられない。
何故なら、その口には猿轡が噛ませれているからだ。
もっとも、そんなものが無くとも、普通の子どもなら手足を縛られ、身動きすら取れない状況で、暗さに隠された凄惨な現状を見せられた後では、声を出すことすらできないだろう。
「新聞や雑誌だとさぁ、よくオレのこと悪魔呼ばわりしたりするんだよね。 でもそれって変じゃねぇ?」
いかにも私は不満です、という声で青年は言葉を続ける。
「いや、まぁ、いいんだけどさぁ。べつにオレが悪魔でも。でもそれって、もしオレ以外に本物の悪魔がいたりしたら、ちょっとばかり相手に失礼な話だよね。そこんとこスッキリしなくてさぁ」
そうおどけてみせる青年は、一見何処にでもいるような普通の存在にしか見えない。
しかし、その内面は狂気そのものであった。
「それ考えたらさ、もう確かめるしか他にないと思ったワケよ。本物の悪魔がいるのかどうか。でもね。やっぱりホラ、万が一本当に悪魔とか出てきちゃったらさ、何の準備もなくて茶飲み話だけ、ってのもマヌケな話じゃん? だからさ──」
そこで青年は頼み込むかのように手を顔の前に持ってきた。
「────坊や、もし悪魔サンがお出ましになったらさ、ひとつ殺されてみてくれない?」
そう言われた少年は、
青年はしかし、もともと反応には期待していないのか、自分の言葉が愉快でたまらないかのように声を上げて笑った。
「ふ、あはははははははははは! 悪魔に殺されるのって、どんなんだろうねぇ! ザクッとされるか、グチャッとされるのか! ともかく貴重な経験だとは思うよ。滅多にあることじゃないし──っ痛ッ」
しかし、その言葉も突如襲った痛みによって中断される。
青年は、その異常を感じた部位に目を向け、ぽつりと声を発する。
「何だ、これ」
青年が感じた痛みの部位は
その原因は自分の腹を貫いている
血を口から吐き、困惑と痛みを感じながら、しかし自らの腹から滲み出る赤を見て、青年は納得するような声を出した。
「うわぁ、そっかぁ。そりゃあ、気づかねえよなぁ。灯台元暗しって、やつかぁ」
ああ、綺麗だなぁ。
そう呟いた直後。
青年──雨生龍之介の頭は、白い
◆
ずるり、と血に濡れた尾を収縮させる。
雑音の煩い
手首の状態を確認し、問題がないことを確認してから、ぐるりと部屋の惨状を見渡し、一つため息をついた。
「まったく──面倒な事をしてくれたものだ」
少年は、怯えなどを一切含まない声音で、心底面倒そうに呟いた。
この世に生を受けて数年。願いを曲がりなりにも叶え、平穏な生を享受できていたと思っていた処に“これ”である。
幾ら自分が見目通りの存在でないとしても、憂鬱さから漏れでる溜息を隠すことは叶わないだろう。
さてどうするかと頭を悩ませたところで、手の甲に違和感を感じた。
「赤い痣? いつの間に──ッ」
それを見つめていると、先ほどの男が描いていた陣から神秘的な気配がし始めた。
ついには発光を始めたので、尾を自分の身体の前に集め、構える。
そうして、一際大きく輝いたと思うと、徐々にその光は収まって行く。
すると、先程までいなかった存在がそこにいた。
警戒をしながら、その存在を観察する。
それは女性であった。
露出度が高い青色の着物を身に纏い、目を伏せているにも関わらずわかるその美貌、男性であるならば嫌でも意識してしまうその身体は、世に生きる男性、女性を問わず魅了するような妖艶さをも醸し出していた。
それでも、目を引いたのはその耳と尾である。
狐のようなそれは普通の人間にはないもので、しかし目の前の存在にかかれば、それすらも魅力の一部と化している。
そんな存在は、閉じていた目をゆっくりと開け、数度辺りを軽く見渡した後、大袈裟な声を上げた。
「暗っ! 太陽のような私の召喚の時に、こんな辛気臭い召喚ってマジですか!? 正直ぃ、もうちょっとムードとか、そういうの気にして欲しいんですけれどぉ……」
「───騒がしい。そも、我とて貴様を喚び出したくて喚んだわけではない。何処から喚ばれたかは知らぬが、気に入らぬのなら疾く去るがよい」
ぎゃーぎゃーと騒ぎ始めた目の前の存在に顔を顰めながら、吐き捨てるようにそう言う。
召喚だとか言う女に、あんな俗物が描いたものでこんなものが出てくるとは正直思っていなかったが、不本意というなればどこへとなり帰ればよかろう、とその言葉を投げつける。
すると女性は此方がいる事に気付いたのか、まじまじと確認するような視線を向けてきた。
「あらまぁ、貴方がマスターです? 思ったより小さい方でいらっしゃる……あら、その尾って……貴方みたいな存在がこんなところで、そんな姿で何しているんですこと? というか、よく現代まで残っていられましたね」
「成る程。見た目程馬鹿ではないようだが──貴様のような所在不明の幽霊もどきに、それに答える必要があるか?」
答える必要、などというが、そもマスターと呼ばれる筋合いも何も無い。喚んだのは先ほどの男で、この自分はいわば巻き込まれた哀れな犠牲者である。
「幽霊もどき呼ばわりは流石にカッチーンときちゃいますけど……いえ、でも貴方からすればサーヴァントなんてものはそういう風に見えてもしょうがないのですかね」
「サーヴァント?」
女性が口にした単語の中に意味を持たせたような単語が出てきた事に、少年は興味を持ったように聞き返す。
その問いにふむ、と顎に指を持ってきながら、女性は少年を見下ろした。
外見だけで言うなら、そこらにいるただの人間の子どもである。その下から睨むような目は特徴的かもしれないが。
しかし、それも腰のあたりから生える、九本の白い尾からすれば些細な特徴だろう。
そして巧妙に隠されているが、しかし尾が出ているせいか漏れ出ているその暴力的とも言える霊力だろうか。
多分、総量で言うなら今の自分と比べるのも烏滸がましいだろう。そんな存在が目の前の少年だ。
まぁ、流石に自分の本体となるとなんとかなるだろうが……多分。
などと思考を巡らせていると、少年が不機嫌そうな顔になった。
「おい」
「───ああいえ、失礼しました。それで、なんでしたっけ?」
「サーヴァントとはなんだ。スピーカーは悪魔だとか言っていたが、貴様が西洋の悪魔というには、あまり神性が隠せていないようが」
「ス、スピーカー? それでいて悪魔? いえ、ちょっと前後のやり取りはよく知りませんが、悪魔なんかではございません! 悪魔的なかわいさとかならオールオッケーですけども! そこらへん説明すると長くなるかなーなんて思うのですが……とりあえず、この惨状で落ち着いて話すというのも憚れます」
改めて見渡すと、その部屋の惨状は悍ましいものであった。
戦場だとか、そういう論理感の喪失した場なら特に感じいるものはなかったであろうが、人が暮らしている痕跡がまざまざと残っている背景に見るには、少し度合いが違ってくる。
その言葉で少年は辺りを見渡してからふむ、とひとつ頷き、
「とは言っても、ここ以外にこの風体で生活可能な場所に心当たりがあるわけではないが───このままここを使っていくという訳にもいかぬ、か」
「ええまぁ……いえ、深くは尋ねませんが、ご家族の方で?」
「拾われ子だ。このような半端な異形、人より産まれる筈がなかろう?」
「左様で……。まぁ、お互いの事情も何処かでお話しした方がこれからが円滑に進みますかね」
少しげんなりした様子の女性は、部屋を改めて見渡してやはり気落ちした溜息を吐いてから、そういえば、と思い出したように声を出した。
「こんな場所で、短い付き合いになるかもしれませんが、名前だけでも教えていただけません? ちなみに私はタマモちゃんとかって読んで頂ければ」
「……貴様、随分と気安いな。いや、まぁいい。名か。名は、そうだな」
────白面と、そう呼べ。
続かない。