ちっぽけでも、おっきくても、関係ない。
それらを振り返って、また進むだけなのだから。
いっちょ前にビールを店で飲んだことない人間が書く居酒屋のお話。
似たもの同士の対談です。
しろはと結ばれて、うみが生まれて、それから何年もたった今。
俺は、絶賛社会の渦に飲まれていた。
仕事の都合で本土にわたることが増えて、なかなか二人に合えない日々が続いた。
街で生まれた俺は、割と街になれたつもりだった。
が、生活拠点が島に移って長いこと立ったせいか、この賑やかさがどこか癪に思えていた。
「あぁ...帰りたい」
単身で出張している先の会社で一人ため息をついた。
二人には毎日のように電話を入れているが、それでも顔が見れないという現象は、どこまでもつらく思える。
まだ今日も、島には帰れそうにない。
「...はぁ」
n度目のため息をついたところで、奥のデスクの上司がこちらに声だけ響かせた。
「おーい、今日はもう上がりでいいぞ」
「え?」
「明日がだいぶ早いからな」
「あ、はぁ...」
やった、帰れる! と言いたいところだったが、どうやら明日の勤務時間は、朝一の船で言っても間に合わない時間だった。
結局のところ、今日もビジネスホテル泊りである。
俺は、勢いのない足取りで、職場を後にした。
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二人に詫びの電話を入れて、滞在先のホテルへ向かう。
しかしその道中で、小さな居酒屋が目に入った。
「...たまには、な」
人間には、許容範囲というものがある。
時にそれを空にしない限り、溢れてしまう。
今がその、空にするべき時なのだろう。
俺は、その店に思い切って入ることにした。
「いらっしゃい!」
ガラリと扉を開けると、そこには結構の人がいた。
テーブルは埋まっており、カウンターの端っこに一席空きが見えるだけで、あとは全く空いていなかった。
「多っ...」
くるりと踵を返そうとするが、最悪なことに店長らしき人間と目が合ってしまった。こうなってしまっては、帰るものも帰れない。
「...相席やむなし、か」
俺は、おとなしく空いているカウンター席へ座った。
「...ん?」
俺が椅子を引いた音で、隣にいた男が反応する。思い切り目が合った。
「「......」」
そのままお互いに短い沈黙。
破ったのは、そのどちらでもなく、カウンター越しの店員だった。
「ご注文どうします?」
「「あ、生一つで」」
きっちり声がそろった。どうやらお隣の客もまだ入ったばっかりだったらしい。
「...ぷ」
俺はたまらなくなって、吹き出してしまった。
隣の客はというと、同じように笑っていた。
「あんた、面白いな。ちょうどいいや、酒、付き合えよ」
「ええ、喜んで」
意気投合しそうな相手を見つけた俺は、いつになくワクワクしていた。
そうして...
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「でよー! 俺の上司が!!」
「へぇー! ギターなんて弾いてるんですか! すごいじゃないっすか!」
アルコールも回り、二人とも完全にテンションがマックスになっていた。
そういえば、隣の席の男性。
名前を、岡崎朋也と、そうなのった。
俺と同じように、妻子持ちの男らしい。
...先輩、だけど。
「...あー、結構飲んだな」
「まだまだいけますよ俺は」
「いや、少し休憩しようぜ」
アルコールが少し冷めたのか、岡崎さんは少し声音を落として、そう言った。
「若い時は誰だって飲めるんだ。...けど、それで体壊しちゃ、妻や娘に迷惑かかるだろ。いるんだろ? 羽依里にも」
「ええ、まあ」
「んじゃ、素面でお話ってのはどうよ」
「えぇ...苦手です」
「ほら、年上に口答えすんじゃねえよ」
そう言って岡崎さんは無邪気に笑う。
この人の話によると、学生時代荒れていたそうだが、その片鱗が見える。
「...ま、お前が嫌なら嫌でいいんだ。代わりに俺の話をちょっと聞いてくれないか?」
「はぁ...いいですけど」
「俺はさ、もともとスポーツ推薦で高校に入ったんだ。...けど、親父と喧嘩しちまってさ、怪我して、できなくなったんだよ。それがさっき言った、荒れた原因」
「スポーツ...って、何をやってたんですか?」
「バスケだよ。結構いいとこいってたんだぜ?」
岡崎さんは、少し自嘲気味に笑った。
しかし、その冒頭に共感しかない俺は笑えなかった。
スポーツで生きてきたのに、急にそれが崩れて、荒れて。
迷惑かけて。
「...それで、親父との距離が測れなくなった。学校でもうまくいかなくなった。...誰でもない、俺のせいなのにな。自分以外の何かが許せなくて、仕方がなかった」
「逃げてた...んですか?」
「そう言えばそうだな。少なくとも、親父の事、認めようとしてなかったからな。逃げてたって言われても仕方がないとは思う」
少し悔しそうに岡崎さんは呟いた。
誰にも、逃げたい事実がある。逃げたという結果がある。
俺と同じような人生を、この人は生きてきたんだろうか。
「...俺も、同じようなもんです」
「あん?」
「俺も、水泳部で結構いろいろやってて、先輩を退けてまで、あれこれやって...けど、大事な大会で失敗して、全部パーになって。...先輩、いい人たちばっかりだったのに」
「それで、部を辞める、とかしたのか」
「その通りです」
同じ匂いがする相手だからか、岡崎さんの答えは早かった。
「俺が言うのもなんだが、よくないな、それ。最悪だよ」
「ですよね...」
「それで、どうしたんだ?」
少し厳しい表情を浮かべながら、それでも岡崎さんは俺の次の言葉を望んだ。
そこから先は、あの夏休み。
鏡子さんに呼ばれて、蔵の手伝いをして、しろはに出会ったあの夏休み。
「そうして、問題やらかして、停学になっている夏休みに、親戚の人にある島に呼ばれて、嫁に出会いました」
「えらく唐突だな」
「出会いなんて、そんなもんじゃないですか?」
「言われればそうだな。...それで? 出会って、どうしたんだ?」
「夏が終わって、何度も島に行くようになりました。そこで、島の同期の人間とたくさん知り合って、たくさん話して、自分の過ちを認めて...苦しいことと分かっていながら、部に戻りました」
「許されたのか?」
「顔を出したときは、殴られても仕方ないとは思ってたんですがね...。けど、部室で顔を合わせるなり、『泳げるな?』と、聞かれただけでした。それも、満面の笑みで」
まるで、俺の帰りを待ってくれていたかのように。
その光景を思い出すだけで、今でも泣きそうになる。
「...そうか。よかったじゃねえか。最高の仲間がいて」
「はい」
水泳部の人間だけじゃない。
島で出会った全ての人にも、感謝しかない。
本当に、最高の人たちしかいない。
「ところで、俺はどこから話を再開すりゃいいんだ?」
「あ、すいません。変に分断しちゃって...」
この数十分で見慣れた苦笑いを、岡崎さんはまた浮かべた。
ずっと、こうして生きてきた過去があるんだろうか。
それならそれで、辛い人生な気もする。
「ま、いいや。それじゃ、渚との出会いから再開でもしますかね」
「奥さん、でしたっけ?」
「そ。...あれは三年生の春だったかな。うちの校門の坂で、一人の女性が突っ立ってたんだ。そのまま、誰に向けてか分からない叫び声を聞いた時はびっくりしたぜ。「あんぱん!」だってよ」
「どういう意味ですか? それ」
「緊張しているときとか、そういう時に落ち着くために自分の好きなものを叫ぶ、それの一環だとよ」
「はぁ...」
ど...どすこい?
どこかで聞いたことのある言葉が、俺の脳内をよぎった。
「それで、俺は渚と出会った。そっからはもう、べったり渚の隣にいた記憶しかない」
「何をしてたんですか?」
「渚はな、うちの学校にあった演劇部を復活させようとしてたんだよ。それを手伝うために俺は色々やった。そうしたら、人間の輪も広がった。問題児だった俺の周りに、人が集まるんだぜ? 人生分からないよな」
「俺も全く同じ経験、してるんですけどね...」
「...それで、文化祭で劇を成功させて、晴れて俺は渚と恋人になった。結婚もした。...ま、その間も結構大変だったけどな。渚は留年するし、親父は捕まるし」
「捕ま...え?」
それって、いわゆる逮捕の事だろうか。
それ以外にも、今の一つの発言の中に、いくつも気になるところが見受けられた。
「警察のお世話になったんだよ。それで俺の出世話も一度パーになったな」
「なんで、そんなこと...」
「親父さ、何度も職を失っては、あれこれとやってたんだよ。それの一つがアウトな内容だったわけだ。もちろん俺は怒った。もう何も見えないくらい怒ってな。今思えばひどいもんだよ。親父は、俺のために何かをしてくれてたっていうのにな...」
過ぎ去った過去の事でも、後悔は消えない。
俺自身が、そうであるように。
「その時、俺を止めてくれたのは渚だった。そのまま俺はプロポーズした。もう、一人で生きられる気がしなかったからな」
結婚。
それは、幸せなものに俺は思っていた。
けれど、それはあくまで自分の経験上。
目の前の岡崎さんは、まだ苦い顔をしていた。
「結婚してからは、幸せだった。裕福じゃなかったけど、楽しい日々だった。渚の両親、すごくいい人でさ。感謝してもしきれないくらいお世話になった」
「その割に、苦い顔してますね」
「...ここからは、信ぴょう性が薄い話だけど、いいか?」
「ええ」
俺がそう答えると、岡崎さんは一度深呼吸をして、しっかりと言葉を紡いだ。
「渚はな、一度死んだんだ」
「...え?」
さすがに経験したことない飛んだ話に、俺は言葉を失った。
「汐...娘を生んだ時にな。渚、もともと体が弱くてな。最悪な条件が重なって、そのまま、汐の成長を待たずに、死んでしまったんだ」
「でも...今」
「ああ、しっかり俺の帰りを待ってくれてるぜ」
「...どういうことなんですか?」
「ま、そこからの話でおいおい話す。...それで、渚を失った俺は、死んだように過ごしてた。汐もおっさんや早苗さんに預けたままにしてさ。五年だぜ? 最低だよな、ほんと」
「...」
さすがに、それは想像できなかった。
俺が、当時の岡崎さんと面識があったら、なんて言ってただろうか。
口汚くののしる可能性も、あったかもしれない。
「それで、俺はある日を境に、汐と向き合うことにした。というのも、早苗さんが俺たちに旅行の機会を与えてな。それで、親父の故郷へ行ったんだ」
「向き合うため、ですか?」
「そんなつもりはなかったんだけどな。でも、そのおかげで、向き合う覚悟ができたのも事実だ。親父と、汐と」
「そうですか...」
「その時の帰りの菜の花畑でな、汐が震えてるんだよ。おもちゃを無くしたのが悲しいからと思ってたけど、そうじゃなくてな。『パパが初めて買ってくれたものだから』って、そう言ったんだ。情けないよな。五歳の娘に、そんなことを言わせた父親なんて」
「それは...」
「変な言葉はいらねえよ。...それで、俺は帰ってから決めたんだ。もう一度歩き出すって。そこから親父ともう一度話をして、遅すぎる仲直りして、それから汐の面倒も自分で見るようにして。...今度こそ、幸せになってやるって、そう思ってたんだ」
辛い過去のことを、岡崎さんは躊躇うことなく話した。
きっと、込めている思いが違うのだろう。
その壮絶な過去があったからこそ、今、こうして笑っている。
「けどな...そんな時、今度は汐が死んでしまったんだよ」
「...え?」
先ほどよりもすさまじいショックに、俺は見舞われた。
無理もないだろ。
妻と、娘の死を目の前で見てるんだから...。
「もう、絶望しかなかったな。そしたら、俺の意識はいつの間にか別の場所にあった。それは、渚と出会う前の坂だったかな」
「なんで、そんなことに?」
「高校の後輩が言ってた言い伝えにこういうのがあるんだ。『幸せになった人間にしかつかめない光の玉がある』って。その光は、願いを一つ叶えてくれるらしい。いつしか、俺はそれを手にしてたみたいだったんだ」
「それで、そこに戻った理由は?」
「俺は、その時渚と出会わなければ、なんて思ってたんだ。けど、実際戻ってみて、思った。やっぱり、渚がいないとダメだって。俺の願いは、こんなものじゃないって」
岡崎さんは、苦し気に、けどどこか涼し気な顔で答えた。
そんな強さを、俺は持ち合わせているだろうか。
もし、しろはが同じように短命で死んで。
うみを一人で育てなければならないとなった時。
俺は果たして、ちゃんと父親を出来るだろうか。
「都合のいい話だけどな。俺の願いは、渚も汐も無事なままで、三人で一緒に過ごしていける世界、だった。...そうしたら、目の前には生まれたての汐と、渚がいた。今度はそこに戻ったわけだ。...そして、今ここにいる俺が、そこから生きてきた俺だ。...どうだ? 信じれるか?」
それは、信じるには少し無理のある話だった。
...普通の人ならば。
けれど、俺はそれを信じれた。
同情でも、同じ父親としてのよしみでもなく。
「信じます。信じたいです」
「そうか。...まあつまり、そうして一人廻った記憶が、俺の頭にのみ残ってるわけだ。もう、空想のようにしか思えなくなってるのも事実だ。...けどさ、大切なことも、確かにそこで学んだ。だから、もう間違えないように、それだけ思って、今は生きてるよ」
「...すごいですね」
自分のちっぽけなこれまでの人生に、俺は敗北感を覚えた。
人生はその大きさの勝ち負けなど関係ないのに、どうしてもそんなことを思ってしまう。
「...なあ、羽依里。もしも、の話になるが」
「?」
「もし、お前が俺みたいな人生になっても、絶対にこんな人間にならないでくれよな。辛くても、前を向いて歩けば、絶対に光はあるんだ。一人で抱えるのがしんどいなら、周りの人間に頼ってもいい。あふれ出す前に、しっかり吐き出せよ」
「はい」
「それと...幸せな時間は、大切にしろよ。奥さんを、娘を、大切にしろよ。おはようからおやすみまで、ちゃんと言える人間になってくれよ」
「は、はぁ...」
岡崎さんからの多くのお願いに、俺は困惑した。
けれど、その全てが胸にしみて、だからこそもどかしい。
これまでも、ちゃんとしろはに、うみに、おはようからおやすみまでちゃんと言ってきたつもりだった。
けれど、それが足りているかどうか、俺は分からない。
だから...今度、島に帰ったら、心から『ありがとう』って、そう言ってみよう。
感謝の言葉を伝えるのが恥ずかしかったり、ただの挨拶をすることさえ恥ずかしくなってくるこの世の中だからこそ、俺はそれらを大事にしたい。
全てを吐き出し切った岡崎さんは、今度こそ迷いのないすがすがしい顔で、軽く背伸びをして、俺の方を向いた。
「さてと...もう一杯いくか、羽依里」
「え」
「しんみりした空気で帰っても飲んだ気にならないだろ。もっとこう、ハッピーな話でもしようぜ」
「それは...そうですね!」
「肴は何がいいかな...娘自慢でもするか!」
「いいですね。負けませんよ?」
そうして、俺たちはまたジョッキを手に取った。
人生の先輩後輩は、ただの酒飲みに戻る。
けれど、そんなありふれた幸せを楽しめている今この時間を、俺は大事にしよう。
そして...
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結局、それから三日後、ようやく島に帰ることが出来た。
淡い潮風を一心に肌に浴び、島の山に隠れる夕日に目を細める。
港について、長い長い道をのんびり歩いて。
玄関を開ければ、そこに待っている。最愛の二人が。
だから、俺はちゃんと言うんだ。
玄関が開き、懐かしく、愛しい声がそろって聞こえる。
「「おかえり」」
俺は、心からの声で答えた。
「ああ、ただいま」
という訳で、pocket羽依里とafterstory朋也の対談でした。
どこか似てるってこれずっと思ってたんですよね。
こんなSSも、ありかもしれませんね。
それではまたどこかで