その少年とは中学野球の大会で騒がれながらも姿を消した降谷暁だった。
野球から離れたのだろうーーそう考えて探す気もなかった新田だが、降谷のピッチングを見て一転、勧誘する気になる。
この物語はダイヤのAの降谷暁が巨摩大藤巻の監督に勧誘されたら、というお話です。
巨摩大藤巻の監督が降谷の顔を知ってるの?と思われるかもしれませんがこの作品では知っているものとします。
スポーツ推薦や中学野球の大会の日程については詳しくないのでまあこんなものかと読んでくれたら嬉しいです。
北海道 苫小牧市 ある秋の夕方
〈降谷視点〉
ドン
ドン
ドン
ボールが跳ね返る音が響く。
橋の下でやる、壁当てはいい。
雨にも、雪にも当たることはないから。
でもやっぱり、すっきりしない。
やっぱり…キャッチャーがいないと、僕のボールを取れるキャッチャーが
「どうした、もう終わりか?」
「!…えっと、誰ですか?」
「知らんのか。私は新田幸造。巨摩大藤巻の監督だ」
「巨摩、大藤巻」
ここらへんじゃ一番強いチームの監督…。
「降谷暁。高校はどこに行くつもりだ?」
「…東京の学校に進学するつもりです」
「そうか…。それじゃあ帝東か稲城。いや、青道か?」
「!なんでわかったんですか?」
「なに、お前の中学でのチームのことと、今の壁あてを見て気づいただけだ。お前はお前のボールを取れる捕手を欲していると」
そんなことわかるんだ…。
「降谷暁。北海道は、苫小牧は嫌いか?」
「えっ、と…」
「気にするな。中学までを見れば、好きになる方が難しい」
「…はい」
「だから東京へ進学する、か。降谷暁。確かに北海道は野球をする上では不満のある土地かもしれん。冬には雪が降るし、夏も気温差がある。強豪校との練習試合も組みづらければ、せっかく甲子園に行っても、気温差や湿度、観客の差でやられる。北海道に生まれてよかったと喜ぶ高校球児は半分もいなかろう」
そうだ。
だから東京へ行く。
東京の、青道に入って、一番すごいキャッチャーに僕のボールを取ってもらう。
だからーーー
「それがどうした」
「えっ?」
「雪が降るから練習ができない?そんなもの、雪を全てどければいい。強豪校と練習試合が組みづらい、だからこそより練習に力を入れる。甲子園に行っても、環境の違いや観客の雰囲気に負ける?そんな奴はどこから出ようと緊張する」
「…」
「降谷暁。なぜ東京へ行こうとする。今お前が取れる手段は青道への一般入試のみ。不安はないか。スポーツ推薦組との違いに。今の時代、スポーツ推薦組はいろいろな恩恵を受ける。青道は知らんが、高校の入学式前から練習に参加させてもらえたり、テストで甘く見てもらえたり、寮や学費が安くなったりもする」
「…」
「降谷暁。東京は、青道はお前の人生を賭けるに値するのか?」
「それは…」
僕の人生を賭けるに値するかだって?
賭けた方がいいはずだ。
だってあそこには、僕のボールを取れるかもしれない人がいる。
取れるかもしれない人が…
「取れるかはわからない」
「!」
「青道の捕手、確かにこの世代最高かもしれん。だがそれは選手として総合的に評価した時だ。キャッチングはわからん。チャンスに強い打撃力、俊足のランナーをものともしない肩、そしてあのリード力。確かに素晴らしい。だがお前の速球を取れるかはわからない」
取れるはずだ。
だってその人が取れなかったら僕は…
「私が今言っているのは想像にすぎん。だが青道にお前のような速球を投げる投手はいない。おまけにあの捕手は一つ年上だ。お前の速球を取れたとしても、お前が三年の時、お前のボールを取れる奴はいないかもしれん」
「だったら!どうすればいいんですか!?僕は、どうすれば…」
「…明日、十三時に巨摩大藤巻のグラウンドに来い。お前の狭まった視界を広げてやる」
僕は…どうすれば…
巨摩大藤巻 野球場 昼過ぎ
〈円城視点〉
「どうだ蓮司、身体は温まったか」
「はい。大分温まりましたけど、それってピッチャーに言うんじゃ」
「いや、今日はお前が主役だ」
「…!」
「来たか…降谷暁。正宗、外れろ」
「「!!」」
あれが、苫小牧中の降谷暁。
まじか。
「蓮司、立って待ってろ。降谷暁、よく来た。これから今日お前を呼んだ目的を話す。ウォーミングアップしながら聞いてくれ」
「…はい」
「そこにいる男は気にするな。それよりも紹介する。青葉中の円城蓮司だ。私が調べられる範囲で、中学三年では一番優秀な捕手だ」
!!監督そんな風に思ってたのか。嬉しいというか、恥ずかしい。
てか、正宗がキレてる。
「総合力という点では現時点でお前の目的とする捕手よりは劣るだろう。だがキャッチングは別だ。なぜなら蓮司が相手してきたそこの男は同世代のナンバーワン候補だからだ。実際うち以外にもスカウトされているしな」
監督が正宗を褒めてる…珍しい。
正宗もなんか怒り抜けてるし
「そこにいる正宗が中学の大会で投げた最高球速は143キロ。これは中学生の最高球速を、1下回ったもの。だが大会から数週間経ち、今の正宗は144キロを投げれるだろう。つまり現状、中学生最速投手だ。そして、そんな正宗の球を常に取り続けてきたのが蓮司だ」
「そうなんだ…」
そうなんだ、って。
知らなかったのか、最後の大会じゃずっと騒がれてただろ。
なんでかこいつ試合に出てなかったけど。
「ふむ。そろそろ始まるか。まずは立ったまま、キャッチングボールからだ。相手は…正宗。降谷と投げてみろ」
「!…ああ」
「よろしく」
喧嘩とかしないよな?
大丈夫かよ。
「蓮司」
「は、はい!」
「降谷は捕手相手に投げるのは久しぶりだ。少し荒れるかもしれん。それを踏まえた上で取って欲しい」
「わかりました」
キャッチャーに投げるのは久しぶりって、野球から遠ざかってたのか?
だったら正宗より…
「蓮司。降谷の投げる球は、正宗より速いと私は思っている。お前もそう考えておけ」
「わ、わかりました」
「もういいよ」
もう終わったのか。
正宗のやつどうしたんだ?
グローブなんか見て…
「そうか。正宗少し離れろ。蓮司はホームへ。降谷はマウンドへ立て」
「わかりました」
「はい」
「…」
「降谷。投げる前にアドバイスだ。お前は最近、捕手とは投げ合っておらず、壁当てばかりしていたな?」
「…はい」
壁当てって、野球から離れてはいなかったのか?
にしても壁って、そんなのピッチャーがやってたら感覚ずれないか?
「おそらく、お前の感覚は少しずれている。普段壁に投げているよりも下に投げるよう意識しろ。そうすれば真ん中にいく」
「わかりました」
「少し待て」
監督、なにを…
スピードガン?
もしかしてこれってテストとか?
え!降谷って高校決めてなかったのか。
てことはうまくいったらこいつと正宗が同じチームに…。
すごく荒れそう。
「蓮司。準備はいいな」
「はい!」
「降谷、投げてみろ」
「はい」
正宗より速かったっていうお前のストレート、見せてみろ!
〈降谷視点〉
「降谷、投げてみろ」
「はい」
新田監督が言った。
僕の同級生で一番すごいキャッチャーだって。
でももしこの人が取れなかったら、この人よりすごいであろうあの人は、僕のボールを取れるのだろうか。
そんな不安と期待が入り混じりながらも、自身ができる最高のボールを僕はキャッチャーのミットめがけて投げた。
ドパァン!!
久しぶりに聞いた。
自分の投げたボールが、
キャッチャーのミットに入る音。
「ナイスボール!」
僕のミットにまっすぐボールが返ってくる。
壁当ての時には味わえない感触。
ズドン!!
これが、この感触が味わいたかった。
そうして僕は、新田監督が止めに入るまで、実に35球投げ続けた。
〈新田視点〉
信じられん…これが中学生の投げる球なのか?
正宗に比べればコントロールは甘い。
変化球もおそらく投げられないだろう。
だがそれを補ってあまりあるその才能。
146キロ
これが今日降谷の出した最高球速。
そのほかの急速も殆どが140キロ以上。
凄まじい。
これが壁当てしかしてこなかっただけの男の投げられる球か?
…いや、こいつの評判はそれだけではなかった。
球速こそ測っていなかったがこいつが大会に出ていた頃、同時期の正宗と比べて5キロは速いと言われていた。
正宗と降谷にそれほど才能の差はない。
ないが…正宗と同じ才能を持つ降谷が、正宗のコントロール、そして変化球、それらを捨てて、あるいは拾わずにいる姿がこれ。
ならば途中立ち止まっていたとしても、この球速は納得できる。
ではこれから、自分の球を取れる捕手を見つけた降谷に、最短の道を示し続ければ…
私は今なにを見ているんだ。
これだけの大器が北の大地に、それも二人、いや三人か。
蓮司もよく取り続けた。
文句なしのMVPだ。
さて、ここからだ。
「降谷、ナイスピッチだった。蓮司も降谷なら荒れ球を一球も落とさないとは、よくやった」
「「はい!」」
「さて、降谷。今日のお前のピッチングはここにいる私たちにお前の確かな才能を示した。三人ともこれを見ろ」
「これって!」
「…!」
「146キロ…」
「そうだ。今日この時をもって非公式ではあるが、お前が中学生における最高球速を記録した。コントロールに目をつぶれば素晴らしいの一言だ」
「ありがとうございます」
「そこでだ。今回のこの記録と私自身が見たその才気でもって、巨摩大藤巻のスポーツ推薦を降谷にやりたいと思っている」
「「「!!」」」
「おめでとう!」
「…フンッ」
「えっと…」
わかっている。
降谷、一度は夢見た青道の捕手だ。
だがお前は知ってしまった。
否、思い出してしまった。
捕手のミットに投げるその快感を。
これを思い出してはもう抗えない。
そんなもの、目の前のご馳走を放って、遥か先にある美味いかわからない飯を探しにいくようなものだ。
しかも量は、期間は短い。
自分の球を取れる、いるとは知らなかった同学年の捕手。
これを放っていけるわけもなかろう。
「…新田監督。よろしくお願いします」
「ああ、巨摩大藤巻に入ると決まったからには、これからはお前を名前で呼ばせてもらう。よろしく頼むぞ、暁」
「こちらこそよろしくお願いします」
「さて、それじゃあ暁。スポーツ推薦について相談しよう。学校側は問題ないが、親御さんの同意も必要だ。そう急がなくても問題ないが早めがいい。何時ごろ空いている?」
「それでしたら今日の夜にでも」
「そうか。わかった。それじゃあ住所を教えてくれ。今日の夜に出向く。蓮司も疲れただろう。今日はしっかり体を休めなさい。」
そして正宗。
わかるぞ私には。
お前の中で感情が渦巻いているのを。
最後の大会が終わって以来。
自分よりも優秀な投手が、同学年どころか高校生にも少なく、やる気が低迷していたのは知っている。
しかしそのおごりも消えた。
今のお前こそ、私が求めた本郷正宗その人だ。
「正宗、口惜しいか?」
「ああ…!」
「ならば燃やせ、その感情を。そして励め、ライバルに負けぬようにと。そうすることでお前はより強く、成長するだろう」
「ああ!」
そうだ。
これでいい。
巨摩大藤巻が勝つなら、こいつらが成長するなら、私はどんなことでもしてみせる。
それがたとえ、一つのチームの未来を潰してしまっても。
翌年、降谷、本郷のダブルエースを擁する巨摩大藤巻は夏の甲子園を優勝。
降谷は153キロ、本郷は149キロをマークし、全国にその名を轟かせ、
北海道に初めての優勝旗を持ち帰った。