どうか見つかりませんように。
動物は冬を越え春を迎えるために穴を掘り、木の実をいっぱいにためておくのだ。雪解け水が土にしんと伝わり、首筋にそっと這わせる。毛深い獣たちは、彼女の上で足を止める。どうか見つかりませんように。あの夏、わたしが埋めたものを彼女が見つけませんように。春を焦がれるこの気持ちと、焦るような気持ちのせめぎあい。ああ、今すぐに、土を掘り返し、そこにそれがあるのか確かめたい。けれど、確かめたが最期、きっと彼女は知るだろう。すぐ近くにそれがあったことを。舞っていく土の隙間から、あいつの目を不思議なほど感じてしまうのだろう。
わたしはそれを求めている。土の下に眠るあいつに顔を寄せ、目を伏せる。息苦しい。息苦しいのはきっと、お前の方なのに。獣は唐突に顔を上げ、わたしをじっと睨みつけた。雪解け水でぐしゃぐしゃになった土をかき混ぜる。獣は翻して行ってしまった……。わたしは着膨れした体を右腕で抱いた。見ているのに、見られている。わたしは獣の目でお前を見る。そしてお前の目でわたしを見る。お前は、じいとわたしを見上げる。獣はあいつを見下ろす。わたしは、それを見ている。
見ている。見ている。見られている……。
「納涼大会ね」
「客も集まるし銭も集まる。桜に紫陽花、鬼の腕……これだけやった後のイベントごとはやっぱりそれくらいやらないとね」
「季節は廻ってくるってか」
「なによ。悪意があるわねその言い方」
「なあんにも。いつものことだろ」
「ありきたりだって言いたいの?」
「どこをどう解釈したらそんな回りくどい皮肉になんだよ」
夏になって夜も寝付けなくなれば、霊夢がそんなことを思いつくなんてわかりきっていた。予定調和とまでは言わないが、そう、ありきたり。季節が廻れば春には春の、夏には夏の、恒例行事みたいなものがある。人間はそれが好きだ。わたしも好きだ。霊夢もきっと好きだ。夜の闇に浮かぶ炎の明るさを覚えて、いつの日かその明るさが胸を刺すとしても。
わかってるよなんて、野暮なことは言わないさ。だって、ぐだぐだ、もう夏かよなんて文句を言いたいから。
蝉がジジッと短く囁いた。ああ、ほら……霊夢が目を閉じた。瞼の感触。目を開けたときの、目玉の奇妙な動き。指先にかかる、睫毛。最近、こればっかりだ。考えてしまう。触っていないのに、まるで触っているような感覚に襲われるのだ。
「蝉だ」
霊夢は心なしか声を弾ませた。
「あれ、霊夢蝉なんて好きだったか?」
「蝉は嫌い」瞬間、蝉の死骸が頭に浮かんだ。
「……じゃ、どうしたんだよ」
「夏が好きなのよ。暑いけど、楽しいことがいっぱいあるでしょ」
「へえ、わたしは冬の方が好きだと思ってたな」
「今だけよ。冬は嫌い。寒いから。夏も……」
「暑いから」
「そ。暑いから、嫌い」
「言ってることが無茶苦茶だ」
「そうかしら。魔理沙は冬、嫌いでしょ」
「嫌いなのは寒いの。冬は好きだぜ」
「夏も?」
「うん……夏も。そうだな」
そう言いながら、まるでわたしたちが正反対のことを言っていると気付いたときのおかしさったらない。わたしたちはいつも逆を見ている。だが霊夢が冬は嫌いでしょ、と言って見せたときのすこし得意げな顔は気に入った。わたしたちはお互いを誤解している。誤解して、べつに正すつもりもない。
「ま、楽しいことがあればいつだっていいわよ。ということで、魔理沙も手伝ってね」
「えー……」
一応嫌がっておくが、どうせ手伝う破目になる。反応もそこそこにして目を逸らしておく。霊夢はにまにまと笑って無理にわたしの顔を覗き込んだ。「決まり!」
落ち着かない気分に、髪の毛を左指に弄ぶ。この髪ときたら、ひねくれものなのでもういくら弄り回したって変わりやしないのだ。「ねーえ」突然、首筋に熱源が押し付けられ、思わず声が上がりそうになる。舌を噛んだ。血の濃厚な銅のような味が広がる。息を荒げる。わたしはこの時間が台風のように通り過ぎるのを身を固くして待った。霊夢が、わたしの髪の毛を一束とって身体にもたれているのだ。
「結ぶか切るかしたらどう。暑苦しいわ」
「霊夢だって……」
「あんたのふわふわの髪と一緒にしないでよ。冬はいいけど、夏は嫌いなのよ」
「自分勝手な奴だよ。離れろよ」
「切ったら、離れてあげる」
「……逆じゃないか」
「ふふっ、へりくつねえ」
「屁理屈はお前だよ」
立ち上がって勝手知ったる他人の家であるように、箪笥を漁った。触れられていた首元が熱を帯びて抉るようにびりびりする。
わかりやすい場所にそれはあった。霊夢がそれを見て、僅かに動揺したようだった。わたしは、部屋の陰で鋏を構えて髪の毛にあてた。
「どうする?」
「……冗談でしょ」霊夢は慎重に言った。立て籠り犯に言うように。思わず、噴き出した。
「当たり前だぜ。あんまりべたつくなよ。暑いから」
「……なあんだ、びっくり、した」
霊夢はわざとらしく明るく言った。そんなに鬼気迫っていただろうか。そこまでしたつもりもないし、冗談に見えるように努めたつもりだった。わたしの勘違いかもしれないが、霊夢は妙に目を泳がした。
鋏を箪笥に片づけている間のこいつの目線がじくじくと突き刺さる。たまにある。霊夢の無責任なところ。わたしが予想のいくつか上に行き、首を捻った途端に霊夢は保守的になるのだ。しかし、それを保守的と決めつけていいものだろうか。違うと思う。たまに、こいつは最低な目をしている。わたしが従うままになるふり、それを望んでいる。
「ね、結んであげようか」
いつもの調子で霊夢が言った。
「珍しいこともあるもんだな」
「なに、素直じゃないのね」
「はいはい。やってください」
「特別なんだからね」
部屋の隅に移動して、わたしはまるくなって座った。霊夢はその後ろに膝立ちする。外は日照りだというのに、部屋の中はむんと熱気が篭っているだけで、神からも視界を塞いだように静かだった。
「痛いところはありますか」
「全体的に痛い。もっとやさしくしてくれよ」
「はあい」
「痛っ」
霊夢の湿った手にかさついたわたしの髪が絡みつく。金色のやさぐれた髪は、何処となく人形に植えつけられた人工の髪を連想する。こんな髪質じゃ、仕方ないのだろうか。他人の髪を触る時の微かな遠慮が、むず痒い。
ひとつにまとめ上げ、丁寧に紐で縛ると、これ見よがしに霊夢はわたしの頭を叩いた。染み付いた習性で不機嫌なふりをして、霊夢を見上げた。
「もっとやさしくってんだ」
「優しいでしょ」
霊夢はなんのためらいもなしにそう言った。昔からこいつにはそういうところがあって、わたしはなんとなくそれに決して逆らえなかった。目を見つめたら、有無を言わせず従わせるような不思議な引力のようだったのだ。
「やさしかったよ……」
仕方なしにわたしはそう言った。実際、文句を垂れる程痛くなんてなかった。あんなに優しく扱っているんだから、すこしくらい引っ張るよな感覚があっても気にしない。霊夢は女の子だ……。こんな生産性のない会話を幾度となく繰り返しておきながら、わたしの髪の毛を触るのは慎重なんだから。
そういう時、わたしはちょっぴり嬉しかったのだ。実は。だが、照れてうんとかすんとか、そんな程度の返事で誤魔化すのが精一杯だった。目を逸らして俯く。
「あら、赤い」
霊夢が短兵急に言った。わたしはさっと頬まで熱くなって急いで奴の方を向いた。自分のことを見ていたような気がしたのだ。
「なにが」
ぶっきらぼうにそう返すと、霊夢は既にわたしを見ていて笑った。そして、不自然なほどぷいと顔を外に向けた。
「うん、キイチゴかな。あれ」
たしかに霊夢の向いた方向には赤い実がいくつか見えていた。わたしはなんだ、と拍子抜けした。「どうだろうな、近くで見ないと……」突き刺さる視線に、わたしは振り返る。まとめられた髪の毛が遅れて従った。霊夢が、わたしを見ていた。