数日経って納涼大会の準備が始まった頃、霊夢はわたしをこき使うことにしか興味がないようで、納涼大会の準備を手伝わせた。元来、わたしは霊夢と居れば楽しいとわかっていて、しかしどういうわけかそういう癖がついてしまったのか、どうやったって、こき使われる。
準備が捗ってくると人の出入りも激しくなるから、わたしはそっとその場を抜け出した。自分が居なくなっても何も言われなくなった頃がちょうどよい。
納涼大会の当日には、人里の一部でも出店があるらしい。花火も上がるというので、ほとんど祭りじゃないか、とわたしは思っていた。神社でやるんだし。だが、それは口には出さなかった。霊夢の節操のないところはいつものことだ。
人里で甘酒を買った後、木に登り忙しない人々を眺めた。汗で張り付いた前髪。開襟シャツの第一ボタン。手に持った生暖かい甘酒に、生暖かい風が掠めていく。わたし一人だけが役不足で、下の者たちには姿さえ気づかれていないようだ。
「あ、魔理沙さん!」
下界で見覚えのある顔が手を振った。小鈴だ。どういうわけか、子供たちは比較的わたしの姿に気が付くのだ。そう思うと声を掛けてきた小鈴のふっくらした笑顔がより幼く見える。
「よ。元気そうだな」
「元気なんかじゃないわ。あつい!」
「おいおい、今その言葉を叫ぶなよ。涼しそうな格好してるんだから」
小鈴は衣替えもきちんとしていて、シースルーのふんわりとした袖に腕を通している。いつもと違う髪型に彼女は頬を染めていた。わたしの方はといえば、いつもの真っ黒なワンピースに作業着のようなエプロン、魔女の三角帽子である。昼間は暑苦しくて、誰もわたしと目を合わせようとしない。
「納涼大会、魔理沙さんも行きますか」
「おう。食えるだけ食うよ」
「タダなんかじゃないですよ」小鈴が笑う。
「阿求は?」
「あの子はこういうの、行きませんから」
「前は来たじゃないか」
「前は前。それに、今暑さでバテちゃってるのよ。無理しちゃって」
「そうか。残念だが仕方ないな」
「そうだ魔理沙さん、今度向日葵畑に連れてって欲しいの。お願い!」
「別にいいけど……」
阿求は? と聞こうとしたところで、言い淀んだ。答えが薄っすら見えたのである。それに気づいたような小鈴は、変な目をしていた。女が見せる、奥の見えない笑みが垣間見えた気がした。小鈴はぐるりと目を回す。
「阿求は……行かない」
「……そうか、なら、予定空けとくよ。詳しい日にちは後日」
「やったー!魔理沙さんに相談してよかったわ」
純粋な喜びに薄く張る氷のような脆さが、背筋を煽った。小鈴にとっては、無意識に行われたことだろうが、女が見ればそれは別の意味も生まれる。
「ま、納涼大会当日は楽しんでってくれ。わたしもすこし手伝ったよ。……阿求によろしく」
「はあい」
小鈴がくすくす笑った。わたしは手を振って別れる。小鈴のような子でも、きちんとああいう目をするのだ。知らなかった。軽蔑とも違う、優越感と独占欲の目。皮肉なことに、親しみと嫌悪は近いところにある。阿求は竹を割ったような性格をしているので、そういうことには無縁かもしれないが。
わたしこそ表には出さないが、一人の人間にアンビバレントな感情が揺れる。どちらも正しいなんてことはない。どちらも正しくないのだ。だが、わたしたちはどちらかを肯定することでしか生きていけない。
「祭りなんて、もう少し後のことかと思ってたけどな」
空は青く、見上げた瞼を塞ぐように汗を垂らす。痛みに、目を閉じた。「あ」
「祭りじゃ、ないか」
誰ともなしに言った呟きに、通りがかりの男が不思議そうな顔をしていた。
ほら、気づかないだろう。
いいですか、手を離さないで。そのまま目を開いて。
わたしは言われた通りに目を開いて、蝉の声を遠くに聞いた。
「何も変わらん」
「そう簡単に変わるものじゃないわ。それに、貴方はやる気があるのですか」
柔らかく制されて、手に持っていた壺を青娥に手渡す。わたしは最近になって、不老長寿の研究のためにこいつのところに通っていた。弟子になると言えば驚くほど簡単に許してくれたのだ。そもそも、このインチキ修行に付き合ってやってるだけ褒めてもらいたい。本物の不老長寿の修行というやつをお目にかかりたいというのに、青娥がいつもわたしにさせるのはパチモンの本に載っているパチモンの方法である。
それを真面目にやっているのはちゃんちゃらおかしくて、どうにもやる気はない。
「うん、やる気はないな……」
「では何故道教なんですか」
「不老長寿への手段か」
「ええ」
「別に。仏教でも不老長寿が目指せるのならそれでもよかったかもしれない。だが、あれはめんどくさいだろ」
「愛、ですか?」
「はあ?」
「あれは愛を嫌う宗教なのですよ。そう言うとイメージと違うかもしれませんが、愛だって、執着心でしょう? それは苦になりますから、いけないことなのですよ。かの先人たちだって、親や子への愛を捨てられていませんけどね。魔理沙も、愛が捨てられないのではなくて?」
「そんな難しいことじゃないよ。ただ、お前の方が自由に見えただけ」
「ふふ、素直じゃないんだからあ」
「馬鹿だな!」
青娥はわたしよりうんと年上のくせに、この手の話題が大好きだった。うざがって構うと、余計に嬉しそうにするのでめんどくさいのだ。
「もうお前から教わることなんてなんにもないぜ。ああ、時間の無駄」
「もー、嘘よ嘘。純情なのね」
「……お前にその手の話題が豊富なことを鑑みて聞くが」
「貴方よりはね」
「……好きと、嫌いが同時に現れる時、どっちの感情が本物なんだ?」
こんなことをこいつに聞くのは間違っているとわかっていたが、どうしても聞きたくなった。青娥はわたしの質問に目を丸くして、思った以上に真面目な顔をした。口元に僅かな微笑みを見せる。
女というのが、青娥のようなものばかりだったら世の中は大変だ。しかしながら、案外、こいつの厭なところというのは、女の誰しもが持っている。青娥は自分のそういうところをわかっているだけ、ましなのかもしれない。
「魔理沙は、どっちかが本物で、どっちかが偽物だと思うのね」
「だって、そうじゃないと……」
「そう。そうじゃないと、この感情を口になんて出せないから。けど、本当はわかっているわよね」
青娥の凍ったような蒼い目は、ぼんやりと遠くを見ている。霊夢の目と、似ている。瞬きした瞬間に、目の裏に映るあいつの目はまるでわたしなんて見えていないように、微かに笑って、それでもわたしを離さない。射貫くような目。内側を抉られる、見透かされる感覚。しどと下半身が重くなる。
わたしはあいつが嫌い。あいつは、最低なのだ。わたしが前に行こうとすると、その手を縋るように掴んでくる。「ね、お願い……どうかなりそうなの」一緒にいて。「お願い」痺れるような声が頭に響いて、わたしは頭を振った。
「そんなの、どっちも偽物」