獣の目   作:ひとなつ

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 博麗神社への人の出入りが激しくなり、わたしは霊夢の寝室に忍び込んでは昼間から蒲団を敷いて眠った。ほんのすこし障子を開けておいて、風を取りこむ以外は蒸し暑くて目を閉じている間は眠れたもんじゃないと思うのだが、これが不思議なことにしばらく経つと眠ってしまう。

 外で話し声がするのは、案外いい。汗を掻いて蒲団を湿らすと、妙な浮つきが生まれる。起きたあとに、中途半場な姿勢で蒲団をじっと見るのだ。霊夢はたまにそんなわたしを見つけては同じ調子で怒鳴った。ただでさえ暑苦しいのに、汗をそこで掻かないでちょうだい――おかしいほどいつも通りだ。

 その時の霊夢の額に張り付いた前髪を盗み見て、悪い気がする。ふと目を覚ました時の、夢から醒めた感覚が香ってくるのは罪じゃないかと思う。

 その日も、わたしは霊夢の寝室に堂々と忍び込んで蒲団を敷いた。あわよくば、わたしは期待していた。霊夢が、寝ているわたしをじっと見るのを。最近、神社の庭先に見えるキイチゴを見るたびに変な気を起こすのだ。

 わたしはじっと待った。霊夢か、もしくは本当に眠ってしまえる機会を。むんとする部屋でもんもんとしていると、やがてはっとした。寝ぼけ眼で辺りを見回し、とんと動かなくなった体が眠ってしまっていたことを示している。どうやら、寝ていたらしい。

 時間を無駄にした。今日も空しいことをやっておいて、と寝返りを打とうとして違和感に気づいた。全身が何かにがっちりと押さえられているのだ。わたしは焦った。明らかに、後ろに誰かいる。腹のあたりに巻き付いた腕がここからでも確認できる。細くて、真っ白な腕。つるんとした見た目に似合わず力強い。

 

「れ……」

 

 名前を呼ぼうとしたところで、躊躇った。急激に襲ってきたのは、浮遊感。血がどくどくと唸っては止まない。汗の流れる得体の知れなさと、絡みついた足が生々しい。

 しばらく動けないらしい。猛烈に自分の知らない奥の方で恐ろしいほど、痺れて、動けない。

 

「ねーえ」

 

 いきなり耳元で囁かれ、背中が疼いた。

 

「寝てる?」

 

 わたしは急いで目を閉じた。どうして、声を掛けられた次の行動がそれだったのかわからない。声は確かに霊夢だった。いつも真っ直ぐに向けられる目が、遠慮なく全身を駆け巡る。

 

「寝てるの?」

 

 ふいに、体が軽くなった。顔に細かな髪の毛が降ってくる。瞼にそれを感じつつ、あり得ないほど息を止めていた。視線というのは、感じてしまう。

 つまらない言葉のやり取りが、すべて布石に思える。霊夢は時々、最低な目をしている……。

 肩にひどく重たいものが乗っかり、代わりに唇を控えめに何かが突いた。それは、わたしの勘違いかと思うほど何も感じなかった。実際、何もなかったのかもしれない。今すぐに目を開けて、確かめたかった。でも、出来ない。

 

「……おやすみ、魔理沙」

 

 気配が遠くなっていく。

 何をされたのか、もしくは何もされなかったのか、わたしは判断に困った。すべて、わからなくなった。

 

「……おやすみは、英語で何て言うか知ってるか」

 

 思わず口を開いた。同時に目を開いて、廊下の方を見た。霊夢が白い顔でぼんやりと浮かんでいた。表情の見えない奴は、静かに目を逸らした。

 霊夢が散々同じ調子で怒鳴ってきた意味が分かったような気がする。わざとだったのだ。そう思うと、わたしは何もかもこいつの思うようになっているんじゃないかと期待してしまう。そう、期待。いつもわたしは霊夢に各所から聞いてきた噂を教えてやる。弾幕ごっこをせがむ。図々しく晩飯をいただく。その何もかもを合わせても足りないくらい、ふとした瞬間にこいつの後ろを従順に歩く。目を細めて、霊夢が狼狽するのをじっと見ながら、実はまともに立ってられない。

 

「知らない」

「……ぐんない」

「ぐんない?」

「そう。いい夢を、って意味だ」

「へえ……」

 

 霊夢は興味が無さそうに相づちを打った。

 

「ぐんない、魔理沙」

 

 微かに口角が上がった。そのときの霊夢の目ったらない。わたしは、冷ややかに見つめられ、僅かに熱を上げる。そして、こいつを、最低な目で見る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の裏側まで見渡せる向日葵。

 小鈴は暑さも感じさせないような天真爛漫な笑顔で歓声を上げた。大きな背丈の向日葵に見え隠れしては、わたしを心配させた。空は青く、抜けるように高い入道雲がすぐそこに見える。まだ夏ではないと思っていたのに、また夏が廻ってきた。

 ざらつく葉を頬や剥き出しの腕に感じる。小鈴は落ちていた葉っぱを拾い、神妙な顔をした。

 

「阿求……ひどいと思わない?」

「なんでだ」

「もう、夏になるのよ。なのに、夏らしいことの一つもしないなんて。わたし、おばあちゃんになっちゃうわ」

「そりゃ、阿求の感覚でいった方が同じことの繰り返し。おばあちゃんにだってすぐなるさ」

「ねえ……」

 

 小鈴は恨めしそうにこちらを睨んだ。それから、葉っぱを睨みつけてその緑を恨んだ。若さの象徴だ。「そんなに阿求と行きたいなら、そう言えよ」やはり、睨まれる。わかってる。そんな簡単なことじゃない。

 

「ね、魔理沙さん……。わたし、阿求のこと、なんでも知ってるのよ」

「へえ。例えば、どんなこと」

「大人のふりをしてるけど、見た目相応にごっこ遊びが好きなところ。意外とねちっこい。本当は、後悔してる。やりたいことも、いっぱいある。山本屋の餡子パイが好き。……わたしのこと、好き」

「……ふうん」

 

 わたしは目を逸らした。小鈴は目を赤くしたが、決して泣きはしなかった。だが、泣いた方がましだったろう。「わたし、おばあちゃんになっちゃうわ……」繰り返し言ってみせたのは、本当に小鈴の中で焦りが増殖していったのだろう。

 おばあちゃんになんて、すぐにはならない。今わたしたちにとって一番遠い存在だ。しかしながら、恐ろしい勢いで変わっていくものの多さに戸惑い、恐れている。

 

「阿求なんて嫌い」

「そんなこと……」

 

 宥めようとして、口を閉ざす。

 

「魔理沙さんは、霊夢さんのこと好きですか」

 

 とんでもない質問だ。甘えたふりをして、小鈴はとんでもない奴だ。泣き顔の片隅に、くすくすと、女の顔が笑いだした。自分の中で熱が回り続けている。「この葉っぱ、持って帰ってやろう」小鈴は生命力に溢れる折れた葉を大事に布に包む。「……好きなのね」

 小鈴が、元気を取り戻して笑った。

 

「お前の好きとは比べ物にならん。思い知れよ」

「ふふふふ……」

 

 けれど、知っている。それは、大きさなどではない。小鈴が女として友人を恋のように嫉妬したり、自分の物のように感情を振り回すのとは違う。

 わたしは、あいつが欲しい。

 

 

 

 

 

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