「そんなのあったのかよ」
お茶会の席で向かいに座るリオンは驚きを隠せない様子だった。
昨日行ってきた冒険の話を少ししてみたら、これだ。
女子だけの冒険者パーティーなんて、この学園においては存在すら信じられないだろうから、無理もないけどな。
「あるんだよ。活動頻度は多くないし、勧誘も殆どしていないけどな。でも、良い知らせがあるぞ」
「え?何?」
「エリスは指輪をしていなかったぞ」
「何だって!?」
婚約者がいる女子は左手の薬指に婚約指輪をしていることが多いが、エリスにはそれがなかった。
メルセデスはしていたから、アルス・ノヴァでは着けないということはないはず。
つまり、エリスはフリーの可能性が高い。
それくらいの朗報がなければわざわざお茶会室に押しかけたりしない。
しかも、今回はオリヴィアはついて来ず、俺だけ。
彼女はアルス・ノヴァとの冒険で新しい目標ができたらしく、この前行った王都の書店に取り置きしていた本を買いに行った。
今までなら俺が一緒について行っただろうが、ここのところは嫌がらせをしようとする馬鹿は現れていないので、書店に行くくらいは一人でも大丈夫だろう。
ここは彼女に遠慮せずに好き勝手にリオンと話せる機会と思っておく。
ついでに本来の招待客が来ずに余りまくっていたお茶とお菓子もたらふく頂ける。
「学期末には引き合わせてやれると思うから、もうしばらく待っていろ」
「意外とかかるんだな」
「紹介すると言ったからには失敗はできないだろ」
「そうか。でも、助かるよ。ミリーとジェシカが婚約してから希望は消えたって思っていたからさ」
リオンが口にした女子の名前には聞き覚えがないが、何となく誰のことなのか察しはついた。
「この前言っていた良さげな子ってやつか?」
「そう。俺たちにも優しくて人気だった子。男子は皆お通夜状態だったよ」
「あぁ──それは気の毒にな」
何と言えばいいのか、かける言葉が思い当たらない。
男としてその気持ちは理解できるが、今の俺は女だ。
その俺が何か慰めの言葉をかけたところで響くとも思えなかった。
だが、少なくともリオンには近いうちに俺がエリスを紹介してやるのだ。
まだ最低でも一つの希望はある。
そう言おうとすると、リオンが妙なことを言い出した。
「──時々さ、この世界が出来の悪い物語みたいに思えることがあるんだ」
「何だよ急に?」
突飛なことを言い出したリオンだが、やけにその目つきが真剣だった。
「なんで俺たちの結婚がこうも難しいのかってこの前友人たちと愚痴っていたんだけどさ。色々と女性に都合が良過ぎるというか、悪意を感じる状況なんだよ。それこそ、誰かが雑に設定を作って書いた女性向けの恋愛小説とかゲームみたいな」
この前も似たようなことを言っていたことを思い出す。
確かに言いたいことは分からないでもない。
戦の度に男が死んで女余り必至の世界でなぜか女性の方が立場が強いこと。
一学年にこうも綺羅星のごとく才能も家柄もついでに顔も良い貴公子たちが揃っていること。
何か作為的なものを感じないこともない。
だが──俺に言わせれば元々人の世とはそういうものだ。
現実の方が創作よりも遥かに悪意に満ちていて、出来が悪い。
古典の悲劇や悪趣味な同人誌よりも胸糞悪いことはいつだって世の中にありふれている。
そしてその悲劇の犠牲になるのはいつだって弱くて善良な人間だ。
だから──
「そう思いたくなるのも分かるけどさ、気に入らない物語なら書き換えてしまえばいいんだよ。少なくとも、自分の人生は変えられるからな。お前も私も今までそうしてきただろうが」
俺もリオンも悲劇そのものの運命に抗い、勝利したからこそ今ここにいる。
結婚でも同じことをやればいい。
社会や周りから望まれるように動いて結果が出ず苦しむなら、そんなやり方はかなぐり捨てて自分のやり方で運命を切り開くのだ。
まあ、俺には案内人の加護があったがリオンにはないので、俺が多少手助けしてやる必要はありそうだが。
それを聞いたリオンはというと──
「書き換える、ね。俺はそんなに器用じゃないからなぁ。きっかけ一つで運命は変わるものだし、下手なことをすればそれがどう影響するか、分かったものじゃないだろ?俺がハッピーエンドでも他がバッドエンドとか嫌だぞ」
何やら難しい顔をして、難しいことを言っていた。
冒険の時に空賊に一緒に囚われた連中や掠奪の犠牲になった者たちのことを思い出しているのか?
慎重なのは悪いことではないが、思い悩んで行動できないのは問題だ。
その時のように命が懸かっているわけでもないし、今のリオンには財力も自分の領地もあるのだから、大抵のことはどうとでもなるだろう。
必要なら俺だって力になれる。
「考え過ぎだろ。人間一人に及ぼせる影響なんて高が知れている。私でもそうだ。王でもあるまいし、一個人が難しく考える必要なんてないのさ」
オフリー家相手に戦争をして取り潰しに追い込んだ俺が言っても説得力がないかもしれないが、実際王国全体で何か変わったわけでもない。
最初からそんな家など存在しなかったかのように王国は回っているし、ファイアブランド家は豊かになりつつあるとはいえ、田舎の小領主のままだ。
「──そうか。変なこと言っちゃって悪いな。忘れてくれ」
何かが腑に落ちたのか、リオンはいつもの表情に戻った。
だが、やはりその表情がどこか曇って見える。
◇◇◇
チャンスだ。
エステルがお茶会室に押しかけてきた時、驚きつつもそう思った。
本来ならいつものごとくお茶会に招待しても無碍に断られ、受け取ってもらえたと思ったら当日すっぽかされる──そんな虚しい週の終わりだった。
だから、諦めて片付けようとしていたところにエステルがやって来て、お茶会の続きを要求してきたのは二つの意味で嬉しかった。
やっと以前から訊いてみたかったことが訊ける。
ついでに気合を入れて用意したお茶とお菓子が無駄にならずに済む。
茶会室の惨状を見てお茶会の結果を察せられて慰めの言葉を頂戴し、彼女が行ってきたというダンジョンの話を聞き、場が温まったところで愚痴を装ってカマをかけてみた。
彼女の正体が確定していない以上、直接的な言葉を使って変に思われる危険は冒せないが、あの乙女ゲーを知っているなら、何かしら反応はするであろう言葉を選んで。
「気に入らない物語なら書き換えてしまえばいいんだよ。少なくとも、自分の人生は変えられるからな。お前も私も今までそうしてきただろうが」
そして返ってきたのはどちらとも取れる言葉だった。
しかも自分がしたこともまた、ストーリーの改変だろうという意味にも取れる。
だからもう少しギリギリを攻めてみた。
ハッピーエンドとバッドエンドというという言葉にどんな反応をしてくるか。
だが、エステルはその言葉をただの比喩と受け取ったようだった。
「考え過ぎだろ。人間一人に及ぼせる影響なんて高が知れている。私でもそうだ。王でもあるまいし、一個人が難しく考える必要なんてないのさ」
ひょんな出会いが、選択の違いが、実態のない人の気持ちが、どれほどの運命の分岐を生み、そして容易く破滅へとつながるか知っていればまずあり得ない答え。
致命的に噛み合っていないやり取りだが、今の状況ではむしろ安堵する気持ちもある。
エステルの正体が何であれ、少なくともあの乙女ゲーのことは知らない。
それに加えて出会いイベントの時にマリエがユリウスのいる裏庭へ行くのを止めなかったという状況証拠から、シナリオを狂わせてきたのもわざとではないと判断できる。
ただ、それは同時にエステルに事情を話して協力を得ることができる可能性がなくなったことも意味する。
そちらは駄目で元々ではあったが。
「──そうか。変なこと言っちゃって悪いな。忘れてくれ」
そう言って誤魔化すが、エステルはこちらを探るようにじっと見つめてくる。
「な、何だよ?」
彼女の目を直視できずに思わず目を逸らしてしまうと、小さく溜息を吐かれる。
「お前が何を抱えているのかは知らないし、無理に聞くつもりもないけどさ、落ち込んで愚痴を言っているだけじゃ、人生を諦めることになるだけだぜ。人生なんて自分で決めて、その結果には自分で責任を取るしかないんだから、まずは自分の利益と幸福を考えればいいんだよ。そんな辛気臭い顔をしていたら、私の紹介でも上手くいかないぞ」
そう言うエステルの微笑みを浮かべた顔は、まるで親が子に向けるそれのような優しさと、どこか哀しげな陰があるように見えた。
十代の少女にしてはやけに大人びた、一瞬許されるならその胸に飛び込んで甘えたいとすら感じる表情。
だが、考えてみれば彼女は自分よりも過酷な環境で苦労してきたのだ。
僅か十二歳で父親に身を売られかけ、冒険の旅に出て帰ってきたかと思えば伯爵家と戦争になり、その後もずっと疲弊し切った領地を立て直すために奔走してきた彼女の道のりは自分などとは比較にならないほど険しかったはずだ。
自分だったら、相棒がいても心が折れていたかもしれない。
今更のように彼女を試すような言動を取ったことに罪悪感が出てくる。
「そうだな。色々と大変過ぎてちょっとおかしくなっていたみたいだ。紹介の件、改めてよろしく頼むよ」
「任せろ。──だから、これ以上有象無象を無理にお茶会に誘い続ける必要もないぞ?」
気を遣って言っているのは分かった。
自分が紹介するのだから、わざわざロクに成果が上がらず、金と心を擦り減らすだけのお茶会などする必要はないと。
だが、悲しいことにそれができてもできないのがこの世界の下級貴族男子である。
たとえ誰も応じなくとも、どんなにすっぽかされようとも、お茶会は開き続けなければならない。
さもないと、あっという間に「あいつはお茶会も開けない問題のある男だ」という噂が広がる。
主に女子によってだが、男子同士でもライバルを蹴落とすためにその手の噂は積極的に広められるあたり、救いがない。
エステルが紹介してくれるという女子一人を当てにしてそのようなリスクを孕んだ行動は取れなかった。
「有象無象って──まぁそれはそうだけど、選択肢は必要だろ?それに、開いていないと色々勘繰られて面倒だからさ」
「なるほど──そっちにも色々あるみたいだな」
詳しく説明しなくともエステルは察してくれたらしい。
この妙な察しの良さも、仮とはいえ領主として家臣や民を導いてきた経験から来るものなのだろうか。
「そうなんだよ。男爵位なんて貰っちゃったからには、付き合っていくしかないけどね」
諦観を口にしながらお茶のおかわりを淹れ始めると、エステルが少し考えて、とんでもない提案をしてくる。
「なら、もういっそもう一度大きな手柄でも立てて子爵にでもなったらどうだ?そうすりゃもっと選択肢が広がるんじゃないか?アルス・ノヴァの他のメンバーだって紹介してやれるぞ?」
「いやいや勘弁してくれよ。ただでさえ準男爵家並みの領地しかないのに、そこまで出世しちゃったらやっていけないよ」
「そうか?悪くない手だと思うけどな。女──というか、人間は大体権威に弱いからさ」
『全くです。少しは検討されてはいかがですか?』
隠れている相棒までエステルの提案に賛同してくる。
この相棒は何かと彼女に対する評価が高い。
もちろん彼女も現生人類──相棒が仇敵と見做す新人類──の一員なので、本質的には嫌悪しているだろう。
ただ、その剣術に対するストイックな姿勢とそれ故の相手の力量を見抜く力、飽くなき上昇志向はマスターも見習うべきだと考えているらしい。
全く大きなお世話である。
相棒を手に入れる旅は人生数回分の苦労だった。
これ以上好き好んで重荷を背負って頑張りたくはない。
そんな思いからついつい本音が漏れ出てしまう。
「俺は自分の領地で温泉と美味い飯を味わって、たまに旅行したりしながら気ままに楽しく暮らすのが夢なんだよ。出世とか興味ないの」
「そうなのか?まあ、私もそこは似たようなものだけどさ、お前はもうちょっと欲張ってもいいと思うぞ?それくらいのことは成し遂げたんだからさ」
苦笑するエステルだが、やはりどこか年上のような包容力を感じる。
これが他の女子だったら「甲斐性がない」だの「腑抜け」だのと鼻で笑われて罵られているところだ。
──不覚にもときめいてしまいそうだった。
いかんいかん。
彼女が何をしてきたか思い出せ。
俺の好みはもっと穏やかで、もっと一般的な意味で優しくて、ついでに胸がある女だ。
間違っても伯爵家相手に売られた喧嘩を買い、街中でチンピラを躊躇なく斬り殺すような武闘派ではない。
必死で一瞬覚えた感情を振り払おうとするリオンだった。
◇◇◇
王都の高級繁華街に来るのは二度目だが、相変わらず全てが新鮮に見える。
せっかく一人で来たのだし、思う存分気になる所を見てからでも遅くないと思って、オリヴィアは目につく店を片っ端から見て回った。
高級繁華街にはインテリアや雑貨を扱う店もあり、王国中から工芸品の類が集められて売られている。
ダンジョンにも興味があるが、それ以上にエステルが見つけたという古代文明の遺跡やロストアイテム、芸術品といった人が作った物にオリヴィアは興味があった。
どうやって作ったのか、どんな願いや意味が込められたのか、元の姿はどのようなものだったのか──そんなことに思いを馳せるのは楽しいし、解き明かせた時はきっとこの上ない喜びがあるだろう。
エステルの実家にあるというコレクションはいつか見てみたいし、自分もそのような収集品を揃えてみたい。
立ち寄った店の一つで危うく買ってしまいそうになって慌てて書店に向かったが、その書店に着いてからも様々なものに目を奪われる。
吹き抜けになった中央にカラフルな天窓、壁のあちこちに飾られた彫刻、そして壁一面を埋め尽くす多種多様な本の背表紙。
ひとしきり書店の景色を目に焼き付けてからようやくカウンターに向かい、取り置きを頼んでいた本を出してもらった。
ダンジョンの授業の際に採掘した鉱石は既に換金済みであり、全て買ってもまだ一、二冊は買える。
その一、二冊をどれにするかでオリヴィアは長く悩み続けた。
自分の得意とする魔法を極める──一口にそう言っても、選択肢は色々とある。
一年生の教科書にはほとんど載っていない高度な魔法に手を出してみるのも良いし、発動速度と応用力に優れた術式を学ぶのもまた良し。
魔法を使った時の感覚と教科書に書かれている定説の乖離の謎についても知りたいし、治療魔法のより効果的な使い方についても考えるためのヒントが欲しい。
あれもこれもと籠に放り込んでは、予算オーバーで一つ一つ棚に戻していくのを繰り返し、選びに選んでようやく治療魔法についての文献と術式の公式集に絞り込むことに成功した。
買った本と共に書店を出た時にはすっかり陽が傾いて、街には明かりが灯り始めていた。
門限の時間が迫っている。
オリヴィアは急いだ。
そのせいで背後から追ってくる気配に気付くことができなかった。
高級繁華街を抜けて、一瞬人通りが少ない場所を通りかかった時、不意に背後から口を塞がれた。
突然のことで何が起こったのか理解できず、硬直したオリヴィアの目の前に光のない不気味な目をした小男が現れる。
「やっぱりコイツで間違いねぇなぁ。や〜っと見つけたぜぇ?散々待たせてくれやがって。え?オリヴィアちゃんよォ」
舐るようにオリヴィアの全身を見回して言った小男の言葉から察するに、自分を狙ってきていたようだ。
なぜ?
どうして自分を狙うの?
そもそもなぜ私の名前を知っているの?
訳も分からずそんな疑問だけが浮かぶが、そこで初めて刺激臭に気付く。
口を塞いでいる布に何かの薬品が染み込ませてあると気付いた時にはもう遅かった。
薬が効き始め、意識が遠のいていく。
(い、嫌!助けて!エステルさん!リオンさん!)
霞んでいく頭と力が抜けていく身体で必死に抵抗を試みるが、すぐに小男が「連れて行け」と命じて、オリヴィアはどこかへと引きずられていった。
意識を完全に失う直前、小男が怪訝な顔をして後ろを振り返り、何かを投げるのが見えた。
◇◇◇
『マスター。緊急事態発生です』
「何?」
お茶会を終えて寮に帰り着いて早々に相棒からの不穏な報告。
一瞬エステルがまた何かしでかしたのかと思ったリオンだったが──
『オリヴィアが学園への帰還中、何者かに誘拐されました』
「──は?」
ダイブしていたベッドから一瞬で飛び起き、リオンは相棒に詰め寄った。
「誘拐された?どういうことだ?」
『監視していたドローンからの信号が途絶したため詳細は不明ですが、尾行されていたようです。地区の境目の路上で突然囲まれていました。現在付近のドローンを集め、捜索中です』
報告してくる相棒が見せた映像には数人の通行人が突然オリヴィアを取り囲み、後ろから口を塞いで連れ去っていく様子が映っていた。
そして最後にはドローンの存在に気付いたらしい一人がナイフを投げつけてきて、映像はノイズだけになる。
リオンには訳が分からなかった。
「何もしていないのに主人公様が誘拐されるとか聞いていないぞ。とにかく早く探し出して助けないと」
『パルトナーを呼び寄せました。十分後には王都上空に到達、アロガンツの出撃が可能です』
「なるべく急いでくれ。主人公様にもしものことがあったら終わりだ」
次から次へと想定になかったイベントが起こるものだとリオンは嘆息する。
主人公が誘拐されるイベントなど記憶にある限りでは存在しない。
しかも、聖女になっていないただの特待生の段階でそうなるなど、考えられなかった。
ただ一つ、可能性があるとすれば──
『待ってください。学園の寮の方で動きがあります』
相棒が報告してきたのは、リオンの当たってくれるなと祈っていた可能性そのものだった。
◇◇◇
リオンとのお茶会を終えて部屋に帰り着いた俺は、ティナに土産話をしてやりながらおめかしを落として練習着に着替えた。
丸一回分余っていたのを良いことに高級なお菓子をたらふく食べてしまったせいで夕食までに腹が減らない可能性が高いと直感的に思ったのだ。
それに贅肉がついて体重が増えると剣の動きにも影響が出る。
食べた分、追加の鍛錬で汗を流そうと木剣を手に取り、訓練場に向かおうとしたのだが、部屋を出ようとしたその瞬間に扉がノックされ、寮の職員が俺宛ての速達が来ていると言ってきた。
郵便物ならしょっちゅう届くが、こんな時間帯に速達が来るなどというのは妙だ。
領地や屋敷で何か緊急の要件でもあったのなら話は別だが、それならわざわざ手紙を寄越さず通信機を使うだろう。
怪訝に思いながらその速達とやらを受け取るが、一目見て嫌な予感がした。
随分とまあ、綴り間違いだらけの下手くそな字で宛名だけが書かれ、家紋のない粗悪な封蝋が捺されている。
その点は職員も不審に思ったようだが、開封するわけにもいかないので取り敢えず持ってきたようだった。
果たして、開封してみると、入っていたのは一枚の紙と一房の見覚えのある亜麻色の髪。
そして紙の方にはこれまた下手くそな字でこのような文言が書かれていた。
『ホルファート王立学園一年生エステル・フォウ・ファイアブランドに告ぐ
お前の友人オリヴィアを預かった。
返して欲しければ旧工業地区十五番ブロックに一人で来い。
さもないと友人を殺す。
貴族なら卑怯な真似をするな』
悪戯ではないのは同封されていた髪を見て分かった。間違いなくオリヴィアの髪だ。
つまり、オリヴィアは外出中に何者かによって誘拐された。
そして誘拐犯は事もあろうにこの俺を名指しで呼びつけてきた。
しかも、俺に直接来ずにオリヴィアを拐って人質に取るという卑怯もへったくれもない手に出ておいて「卑怯な真似をするな」とは、笑わせる。
「お嬢様?これは──」
俺の様子がおかしいと感じて、手に持った紙を覗き込んで絶句するティナ。
彼女に合図をして通信機を用意させる。
トランクを開き、ダイヤルを回して屋敷に通信を入れながら、俺は呟く。
「よく分かった。これは俺に対する宣戦布告だな?なら受けてやる。悪徳領主であるこの俺を愚弄したこと、必ず後悔させてやるよ」
通信がつながり、セルカが出た。
『こんな時間に珍しいわね。何かあったのかしら?』
「すぐに戦力を集めろ。どこかのゴミがオリヴィアを拐いやがった」
詳しく事情を説明している余裕はなかったが、セルカはすぐに緊急事態だと察してくれたようだ。
『ッ!了解したわ。その子の存在を辿れるものはあるかしら?』
「ある。ご丁寧にオリヴィアの髪を送りつけてくれたからな。持ってそっちに行く」
セルカの探知能力は制約もあるが、非常に強力だ。
髪でも、爪の切れ端でも、何か身体の一部分さえあれば、元の身体の居場所を高い精度で特定できる。
どうせ誘拐犯は俺を呼びつけた場所にオリヴィアを連れて来てはいないだろうが、セルカの手にかかればすぐに隠し場所を暴いて救出できる。
そちらはセルカたちに任せるとして、指定場所で待ち受けているであろうゴミ屑にはこの俺を怒らせた代償をきっちり支払わせてやる。
そう堅く決意して、俺は学園を出て屋敷へと向かった。