焼け焦げたレンジから飛び出てきたのは、泣き黒子の色めかしい。
とびきり美人な──悪霊だった。
──佐々木哲平は、天井から吊るしたロープを握って考えていた。
たくさんの人を楽しませる漫画が描きたい。
究極的には、全人類が楽しめる漫画を。
それだけを考えて、ずっと描き続けてきた。
でも、今日自分を担当してくれていた菊瀬さんに、言われてしまったのだ。
たくさんの人って誰だよ? そう言われた時に、佐々木はようやく思い出した。
バカのように『たくさんの人』と繰り返しながら、その具体的な人物像が全く分かっていなかったのだ。
どんな人が、どんな顔で、自分の漫画のどこに笑い何に涙してくれるのか。
そんなヴィジョンが、全く浮かんでいなかった。
──佐々木哲平は考える。椅子の上に立ち、半歩だけ足を進めながら。
『誰か』ではなくて、『自分が』描きたいものはなんだ?
伝えたいメッセージは?
自分だけの個性は? あなたはどんな漫画家かと聞かれた時、自分はどんな答えを返す?
そんな、漫画家に限らないクリエイターにとっての根本的な部分を問いかける命題に、自分は、佐々木哲平はずっと目を逸らし続けてきた。
逸らしたまま、ただ漫画らしきものを描き続けた。
──ずっと、佐々木は考えていた。雨に濡れた体を震わせながら。
自分らしさとか、個性とか、そんなものを漫画に入れてしまえば、それは『たくさんの人を楽しませる漫画』から離れてしまうと。
『個性的であればあるほど、読者を選んでしまう』と。
そんな自分にとって都合のいい言い訳で自分を誤魔化しながら、漫画家という職業への空虚な憧れだけを胸にして歩み続けた夢の道程を経て、自分は何を得たのか。
ロープでできた輪を握る両手を見た。
ペンだこと、歪んだ爪と、爪の間に染み付いた垢とインク。
手に入れたのは汚れた指と、24歳無職(専門学校卒)という華々しい経歴だけだ。
全てを投げ打って夢にしがみついて、本当に欲しかったもの。漫画家にとって必要なものが、何一つ身についていなかったのだ。
それは目を逸らしてきたことへの当然の報いだ。
──佐々木は、ずっと考えないようにしていた。
『個性的であればあるほど、読者を選んでしまう』。そんな言い訳は、みすぼらしい自己弁護に過ぎなかった。
自分が、空っぽだと認めたくなかったのだ。
描きたいことも、伝えたいこともない。
個性がない。自分がない。だから誰にでも描けるものしか描けない。
空っぽな自分に描けるものなんてない、楽しんでくれる人なんていない。
その事実を直視した時、佐々木は自分に耐えられなかった。
誰にも省みられない、誰からも期待されない。ただ真っ白な紙を47枚数えるだけの四年間だった。
番町皿屋敷を思い出す。
一枚足りない皿の枚数を、毎晩井戸の中で数え続けるだけの存在。
それが10枚に届くことなどありえないのに。
自分は彼女と同じだ。
空っぽな自分。何もない自分。決して届かぬものを求めて無駄な作業を繰り返す。そんな人間から生まれるものなんて何もないのだ。
自分は幽霊だ。
菊瀬さんのいう通りだ。
誰からも相手にされない、省みられない。無価値で空っぽで透明な存在。
こんな無価値な存在は、さっさと消えた方が『たくさんの人』のためになる。
──だから、と佐々木は足を踏み出し、
雷が落ちた。
ぴょええ、なんておかしな悲鳴を上げて佐々木はバランスを崩し、彼は背後にすっころんでしまった。首にかけていたロープから首が外れる。椅子も倒れて、佐々木は強かに腰を床に打ち付けた。
「いたた……すごい音したな」
近い、どころではない。今まで聞いたことがない爆音を轟かせる落雷だった。
どれだけ近かったのだろう、この近辺は木造の建物もあったりするからもしかして火災なんて。そんな不安を抱きながら部屋を振り返れば、レンジと冷蔵庫が心の友であるフューチャーくん人形ごと燃えていた。
それを、佐々木はぼんやりと眺めていた。
燃えてるなぁ、とか考えていた。
雨に濡れた体に染みる温さだ、なんて。
消さなければ死んでしまう、と言う生命体として当たり前の危機感すら湧いてこなかった。
そうしてぼんやりと溶けていくフューチャーくんを眺めていると、
『あっっっっっっっっつい!』
燃え盛るレンジがバンッと跳ねるようにこじ開けられ、その中から貞子よろしく髪の長い何者かが、篭城事件現場に突入する特殊部隊のように飛び出してきた。
『アツ、何これあっつ! ちょ、ちょっとあなたなんで火を消さないの? 自殺志願なの⁉』
体にまとわりつく火を払うべくゴロゴロと床を激しく転がるその女性は、至極当然のことを佐々木に叫んだ。
そこでようやく佐々木の意識に火を消さなくてはならないという選択が浮かんだ。
が。
「……いや、いいかなこのままで。へへ」
『何が⁉ 何がいいの⁉』
「このまま俺が焼け死んだところで誰も悲しまないし。幽霊みたいなものだし。聞いてくれよ、今日俺菊瀬さんに言われたんだ。君は空っぽで何もないって」
『それ今聞かないとダメかなぁ⁉︎いいから早く消して! 水ぶっかけて! このままじゃ周りの住人も燃えちゃうでしょうが!』
それはだめだ、と佐々木は気を持ち直し、前髪で片目を隠す女性に言われるまま消化作業に入った。
その間、片目女は佐々木に指示を出すだけで消火を手伝おうとはしなかった。
消火を終え、後片付けをしながら、佐々木は横目でいきなり現れた女性を見つめる。
前髪で目元を隠してはいるが、その顔立ちはとても整っていた。左目を飾る黒子になぜか視線が吸い寄せられる。
美人、ではある。
しかし今の佐々木にとって、そんなことは興味を引くものではなかった。
なぜなら、彼女の体は、薄い靄のような半透明のプラズマ的な何かでできていたからだ。
「あー疲れた……」
『もっと早く消火にあたっていればバケツ一回で済んだんですけどね』
レンジと冷蔵庫とフューチャー君を焼き尽くしたその火柱は、佐々木がのんびりと暖をとっていた間に、床や背面の壁のみならず天井までその火柱を届かせたのだ。このアパートが消防法ガン無視の欠陥住宅でなければ、今頃佐々木の部屋はスプリンクラーで漫画関連のあれそれをぐちゃぐちゃの生ゴミに変えていただろうし、消防署に連絡が行って忙しい消防隊員の時間を割かせて事情聴取を受けていただろう。
「そう考えると、欠陥のおかげで助かったんだな」
『いやなプラス思考だ……』
「でも世の中にはなんの役にも立たない欠陥もあるけどね。俺とか」
『さっきからどうした』
さて、と消火作業の片付けも終え、気持ちにひと段落ついた佐々木はレンジから現れた女性へと向き直った。卓テーブルに向き合って座り、とりあえず粗茶を出す。
「あなた、どちらさん? さっきから俺がひーこら消火してるのを見てるだけで。それに体が透けてるけど。なんか1メートル位浮いてるし」
『ふふふ』
レンジからの不法侵入者は何故か不敵に笑った。
『ここはあのセリフを言わなければなるまいよ』
「セリフ?」
スゥ、と彼女は息を吸い、ふわりと浮き上がってから両手を広げて着地した。
『あまねく神よ、感謝します。
私は今一度、現世に戻る』
ジャンプ史、漫画史に残る傑作の一つ、ヒカルの碁。
幽霊になったら絶対やってやろうと温めていた、爆笑必至の一発ギャグだ。
「……」
『………………? どうしました、笑っていいですよ』
「いや、今の何? 物真似?」
『はあ⁉』
アイノは、驚愕にその白濁した目を見開いた。
『いやいや、ヒカ碁ですよ、わかるでしょ?』
「いや、ごめん。何それ」
『ヒカ碁も知らないとかマジ論外じゃないですか、ほんの30年前ですよ……?』
マジかよ、と彼女は思う。
こんな人間がいるのか、と驚きを通り越して呆れてしまった。
まさか彼は帰国子女で日本の文化に疎いのだろうか。それとも実家がお寺か何かで戒律に厳しく漫画の類を一切絶たれた地獄の少年時代を送ってきたとか。であるならば、慰めの言葉をかけて、これからは憲法で保障されている健康で文化的な最低限度の生活を送れますよと励ましてやるのもやぶさかではない。
『まあいいです。漫画すら許されない複雑なご家庭だったんでしょう。気を取り直して……私の名前はアイノイツキ! 『ホワイトナイト』の作者である美少女漫画家とは私のことです!』
アイノと名乗った少女はビシッ、とギニュー特戦隊のポーズを決めた。見方によっては「命」にも見えかねない形である。
『ちなみに今私はこの通り幽霊になっています。享年26歳。どうですか、わかりますか?』
アイノと名乗った目隠れ女は、ひらひらと佐々木の目の前で視界を遮るように手を振った。
その手を透過して、佐々木はアイノの顔が見えていた。
幽霊であると彼女、アイノは自称した。
幽霊か、と佐々木は口の中だけで呟いた。
「で、なんで君は電子レンジから俺の部屋に?」
『すいませんねレンジで。こういう時はテレビかパソコンのモニターからっていうのがお約束ですよね』
「いや知らないけど」
知らんのかーい、とアイノはスカスカの体でツッコミを入れた。気持ちよく素通りする。
『なぜ死んだのか、いつ死んだのか。詳しいことは私にはわからないんですが、ともかく気付いたら幽霊になってて、何日か過ごしてたらいつの間にかレンチンされて、気づけばこの部屋にいたのです。それで、あなたは?』
「佐々木です。年は24。元漫画家志望。今は自殺志願者です」
『漫画家⁉︎あなた、漫画家志望なんですか!』
「元、です。いやそれより、自殺志願ってところをもっと掘り下げて」
『かまってちゃんはいじめのターゲットにされやすくなるのでやめた方がいいですよ』
「いじめられたの?」
『そんなまさか、あなたじゃないんですから。それで? 漫画家志望って、どのレベルですか? 新人賞に送ったことは? あーでもヒカ碁すら知らないんですもんね、漫研でチー牛と批評家気取りのオタ談義をしてる感じですか? げんしけんでも漫画描いたの一回だけですもんね、そんな感じですか?』
イラッとした気持ちが胸に沸くのを抑えながら、佐々木は答えた。
「4年前に佳作をとって、以来編集さんに定期的にネームを見てもらってるよ」
『おお! 思ったよりずっと漫画家に近いじゃないですか! じゃあもちろん『ホワイトナイト』も知ってますよね?』
「いえ全く」
『なんでだよ!』
ぎし、とアイノの気色に満ちた表情にヒビが入った。
『な、なんで? 自分で言うのもなんですが看板ですよ? アニメ化も決まったんですよ? あなた、もしかしてジャンプ読んでない? イブニング原理主義者?』
「最近は毎週買ってますよ、さっきので燃えましたけど」
『それなのに私の『ホワイトナイト』を知らないって、えぇ……』
「ほら、見てくださいよ」
腕を組んで考え事をしているアイノに、佐々木は自分のスマホ画面を突きつけた。
『……随分古い型のを使ってますね』
「まあ、物持ちはいいので。変える必要ないならわざわざ機種変なんてしませんし。いやそうじゃなくて、今アイノさんが言った『ホワイトナイト』、検索しても漫画なんてヒットしませんよ」
検索サイトで調べた結果、ホワイトナイトとは金融や経済の用語であることがわかった。敵対的買収を防ぐために友好的に買収すると言う、白馬の王子ばりにお姫様を救い出すことを言うのだそうだ。一つ賢くなった。
「ほら、『ホワイトナイト 漫画』で調べても出ないでしょう?」
『……確かに、そうですね』
どう言うことか。アイノは考える。
まさか自分が生前にホワイトナイトを連載できていたというのは、妄想?
そんなばかな。ありえないはずだし、信じたくない。
しかし他に考えられる可能性は、
『あ』
「どうしました?」
佐々木を見る。漫画家志望者なら絶対に知っているはずのヒカルの碁を、彼は知らなかった。
さっきはそれを聞いて呆れてしまったが、まさか、
『佐々木くん、『アメジストを君へ』という漫画は知ってますか? 『竹中荘のゆららくん』は? これらの漫画は検索すれば出てきますか?』
「え、ちょっと待ってください」
ワタワタと佐々木がスマホをいじること30秒。結果は、いずれも該当なし。
なるほど、と幽霊は一つうなづいた。
『つまりここは、私にとって並行世界である可能性が高い、ということですね』
「SFですね。ホラーも混ざって設定がめんどくさいですね、どちらかに絞りましょうよ」
『設定言わないでくださいよ、漫画じゃないんですから。でも、それ以外に考えられない。ホワイトナイトも、アメ君もゆららくんも、どれも今のジャンプの看板を担っている漫画です。私の知る限りでは』
「……なるほど。どんな漫画なんですか? あなたの、その、ホワイトナイトってのは」
ふふ、とアイノは微笑んだ。
大切な宝物を自慢したくてしょうがない、という顔だ。道を教えてあげた迷子の男の子が宝物だと言うセミの抜け殻をお礼にと見せてくれた時の顔と同じだ。
『では語ってあげましょう、わが渾身の傑作である『ホワイトナイト』を。これを知らないなんて並行世界人は哀れですね。仕方ないので聞かせて上げますから耳かっぽじって拝聴しなさい』
やっぱ聞くのやめようかな、という佐々木の思いは、ほんの数秒で吹き飛んだ。
アイノは、自分が描いたという漫画のあらすじを簡単に語った。
自分が描くはずだったと言う漫画、『ホワイトナイト』。
それは、再起の物語だった。
不遇な生い立ちを乗り越える、ひたむきな生き様の物語。
どれだけ折れても進むことを諦めなかった、主人公の物語。
アイノが学生の頃からネタを積み重ねていた、一大叙事詩の序章の序章。漫画にすれば全てを描き終わるまで何十年とかかるだろう数世代に渡る大サーガ、その始まりたる第一話を、絵もオノマトペもなくただ口頭で語られた。
ただそれだけで、佐々木はアイノが持つ才能に打ちのめされた。
キャラも、設定も、展開も。漫画を構成する全ての要素が斬新かつ完璧でありながら、それぞれの斬新さが自己主張を強めて打ち消し合うことがなく、繊細なバランスの上で完膚なきまでに調和している。
その最適のバランスを導き出すのにどれほどの試行錯誤が繰り返されたのか、佐々木ごとき空虚な凡人にはまるでわからない。しかし凡人でありながらも、この数年漫画一色に染まった生活を続けていたがためにその凄まじさを佐々木は理解した。
理解してしまったのだ。
「すごい、な」
『でしょう! そうでしょうそうでしょう、何せ私の『ホワイトナイト』ですから!』
ふふーん! と座布団に座ったまま胸を張る幽霊少女を眺めながら、佐々木は自分の無力さを噛み締めた。
これが、本物。
自分如き空っぽな凡人には100年描き続けていても届かない神の領域。
たくさんの人に愛される漫画。
そんな抽象的で、具体性が何もない無味乾燥な概念を、そのまま形にしたかのような漫画、『ホワイトナイト』。
これは、佐々木が描きたいと願っていた、しかしあり得るはずのない漠然とした理想像、『誰からも愛される漫画』と言うアニマの具現であった。
「続きは?」
『え?』
「続きは、どうなるんですか? カズマの夢は? ヒロインの、ソラは救われるんですか?」
『それは……』
アイノは、表情を暗くして顔をうつむけた。
『続きは、まだ描いていないんです。いえ、描けなかった。私が死んだから』
「……」
アイノは歯を噛み締め、嘔吐のように無念を吐き出した。
『中学生の頃からずっと温めていて、でも勇気が出なくて、初めて出版社に持ち込めるようになるまで10年以上かかりました。でも、編集さんはすごい褒めてくれて、私の夢が叶うんだってわかって、以来ずっと頑張ってきました。全部全部自分1人でがんばりました』
連載は、一年も続かなかったという。
『なんで死んだのかはわかりません。本当に、気づいたら幽霊になってて、誰に話しかけても無視されて、コンビニで立ち読みされてるジャンプを覗いたら私の訃報が載っていて』
アイノが、前髪で顔を隠しながら語る。その両手は膝の上で握りしめられ、か細く震えていた。
『描きたい。続きが描きたい……! ようやく証明できるはずだったんです。空っぽで何もない私でも、人を楽しませる漫画が描けるんだ! 個性や自分なんてなくたって面白いものは描けるんだ! 全人類を、それこそ私を嫌って虐めていた人だって楽しませることができるんだって!』
アイノが、顔をあげた。
幽霊も泣くのか、と佐々木は思った。
『空っぽで無価値な自分でも、面白い漫画が描けるんだって、私にも価値があるんだって証明したかった!』
アイノの叫びは、佐々木の叫びでもあった。
自分が『たくさんの人』に拘ったのは、それ以外を選択できなかったからだ。
自分が空っぽだなんてことは、本当はわかってて。自分の価値のなさだって気づいていて。
それでも。
昔、自分の漫画を読んで、楽しんでくれた人がいた。
自分の漫画で笑ってくれた人がいた。
続きは? と聞かれたこともあった。なんでこの人はこんなことしたの? と聞いてきたやつもいた。
だから自分は描き続けた。
そんな瞬間だけが、佐々木哲平という人間に価値を与えてくれていたから。
「描こう」
『描いて』
言葉は、同時だった。
「こんな素晴らしい漫画が、途中で終わっていいはずがない」
『私のホワイトナイトを、こんなところで終わらせたくない』
2人は、同時にはにかむように笑った。
「だから、描いてください。どんな手段があるかわからないけど、続きが読めないなんて辛すぎる」
『え?』
「え?」
首を捻る。
「ど、どうかした?」
『あなたが代わりに描いてくれるんじゃないんですか?』
「お、俺が? 無理無理無理!」
佐々木は全力で首を横に振った。
『な、なんでですか! 続きを読みたいって言ったじゃないですか!』
「いやだから、アイノさんが描けばいいじゃないですか!」
『幽霊だからペンも握れませんし、多分あなた以外には私の姿も見れませんよ!』
ぐ、と佐々木は言葉に詰まる。そこにさらにアイノが体を浮かせて詰め寄り、畳み掛ける。
『並行世界に来てしまって、しかもこの身は幽霊です。頼れる相手はあなたしかいないんですよ。このままでは私のホワイトナイトが、私の中から出られないままです』
自殺寸前まで磨耗していた精神に、じわじわと現実感が滲んできた。脇と背中に汗が滴る。
自分は、もしかしてとんでもないことに巻き込まれているんじゃなかろうか。
『お願いします。この世界にホワイトナイトを完結させることができるのは、あなたしかいないんです』
「俺が、描くの? 『ホワイトナイト』を?」
『はい』
「でも、それって盗作」
いいえ、と今度はアイノが首を振った。
『いいんです、描いた本人である私が許可します! 一緒にホワイトナイトを作っていきましょう!』
アイノがその半透明の手をこちらに差し出してきた。
この時、自分がその手をとってしまったのは、結局諦め切れていなかったからだ。
空虚な人間にも、いや空虚だからこそ全人類を楽しませる漫画が描けるのだと。
空っぽな自分にも、生きる価値があるのだと証明したい。そんな夢が、こうして目に見える形で手を差し伸べてくれたのだから。
佐々木哲平は、生涯を幽霊のゴーストライターとして生きることを決めた。
その後、アイノの指導を通して完成させた、読み切り版『ホワイトナイト』。それを佐々木は背中にアイノを乗せた状態で雑誌社に持ち込んだ。
6時間待たされた後、菊瀬になんとか読んでもらった。
初めのうちはいつものように読んでいるのかいないのかもわからない速読であったが、5ページ目に来たあたりで菊瀬は手を止め、もう一度1ページ目から読み直し始めた。
今までにない手応えだ。
そして、読み終えると同時に菊瀬は椅子から転げ落ち、すぐさま編集長に直談判。あっという間に本誌掲載が決定され、アンケート結果によって連載か否かが決まるがおそらくほぼ確定だろうから準備をしておくように、と言ってくれた。
肩に乗るアイノと目くばせする。
薄らと微笑い合って、2人で菊瀬に頭を下げた。
「『よろしくお願いします』」
ホワイトナイトが雑誌にセンターカラーで掲載されるまであと25日。
そして、高知県在住高校二年生(不登校)藍野伊月が彼らの元に強襲するまで、あと30日。
「絶対に許さない……!」
人生を否定された少女が怨恨を込めて今週のジャンプを破り捨てていたことを、この時の2人はまだ知る由もなかった。