リンネ-少女は一人、哀れに歩む-   作:影斗朔

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根無し草は錆びた水を飲む。

 さて、意気揚々と飛び出したのはいいものの、センセイを追いかける道のりはそう簡単なものじゃなかった。

 私の身に降りかかった最初の難関、それは……

 

「あっづい……」

 

 そう、頭が回らなくなるくらいの暑さである。

 いやー、やっぱり夏場に体を動かすとすぐに暑くなっちゃうよねー。

 これでも2、3キロは歩いているんだから、頑張ってる方じゃない? いい加減疲れても仕方ないよ、うん。

 

「…………ダメだ、考えているだけで虚しい」

 

 簡単に自分を労ってみたが、ただカワイソウ感が出てくるだけで全く気休めにならないからやめることにする。

 私が迷い込んだ駅からここまで歩いて来た距離は、おおよそだけど500mくらいがせいぜいだと思う。頭の中で大袈裟に言っても頑張ってるアピールにすらならないけど、事実それくらい歩いたんじゃないかって思うくらいの疲労感はあった。

 普段から運動しなかったせいも絶対ある、でもこうも疲れちゃうのはきっとこの暑さのせいだと思う。

 

 この世界に迷い込んでから今にかけて私に襲い掛かる熱は、日差しのように差してくるような刺激的な暑さじゃなくて、じめじめとしつこくまとわりついてくる湿気のような暑さばかり。

 まあ、空を見る限り太陽らしきものなんて見えないから当然と言えば当然なんだろうけど。

 

「だからってこうも蒸し暑いと気持ち悪くなってくるって……」

 

 おまけに線路のちょうど中心あたりの枕木を踏むようにして進むという、普段とは全く違う歩き方をしていることも疲れの一因だったりする。

 最初はそれこそ線路沿いを歩けばいいだなんて思っていたけど、やっぱり地面一帯を覆いつくす夕色の大地を踏む勇気はない。

 暑さと慣れない行動に悪戦苦闘した結果、今のようにへたばってしまったわけだった。

 

 ただ、歩いているうちに発見もあった。そんな大したものじゃないけど。

 駅から歩いているところ、途中から道端に天を向いて咲き乱れた向日葵の花が見られるようになってきた。

 向日葵は確か名前の通り太陽に花弁の向ける花。だとしたらここの太陽はきっと暗過ぎて見えない天辺辺りにあるのかもしれない。

 あるいは、太陽そのものが黒くて光源を奪っているせいで暗いとか。

……それはないか。

 

 向日葵と同時期に見えてきたのは斜め立ちしている電信柱だった。

電線こそ繋がっているけれど、電信柱同士だけで他の家屋とかに繋がれているようには見えない。

 そもそも建物なんて依然として見当たらないけど。

 

 私は最初、これが電信柱だとは気づかなかった。斜めに立っていることもあるけど、ひと目見ただけで把握できるシルエットが隠されていたことが大きい。

 電信柱を覆い隠していた存在はカラス。狭い電柱と電線上に身動きする隙間すらないくらいにびっしりと並んでいる。

 だから、最初は変な木かとばかりにしか見えなかった。

 

 ……とまあ、どれもこれも不吉というか、不穏なものばかりで肝心の次の駅らしきものは全く見当たらないから話にならない。

 

「はあ、気が滅入るなあ」

 

 周りにあるものが不気味すぎるから私は自然と上向きの目線になる。

 吸い込まれそうな青い空とはよく言ったものだけど、この空はどちらかというと上を向いているのに落ちていくような感覚に襲われる。

 足はしっかりと枕木を踏みしめているはずなのに、一歩足を踏み外せばそのまま真っ逆さまに頭から落下していきそうな……。

 

「あーもう、ダメダメ。そんな暗い気持ちになっている暇があったら無心で歩き続けなさい、私!」

 

 悪いことばかりに気を取られかけていた自分を叱咤する。

 こうしてダラダラ歩いているうちにも、センセイは私を駅のホームで待ってくれてるんだから。

 

「暑さとか後でシャワー浴びてクーラーの効いた部屋でアイスでも食べたらすぐ忘れられるし、もうちょっと急ごう」

 

 疲れはあるけど、まだまだ動けなくなるってほどじゃない。

 このヤバめな世界からいち早く脱出するためにもいち早くセンセイと合流する必要がある。

 センセイの待つ駅へと走り出そうかとして……ふと思う。もしセンセイが私のことに気付いてなくて、そのまま何処かに去ってしまうのではないかと。

 

「いやいやいや、そんなのあり得ないから。ほんと、不安だからって最悪の想定ばかりしてどーする」

 

 センセイに限ってそんな心ない行動を取るはずがない。だってどんな時だって、どんな失敗をしたって優しくしてくれるから。

 それでも、たった一度のもしもでも、頭の中をよぎってしまうと私の手の届かない何処かへと立ち去ってしまうような、そんな気がしてたまらなくなる。

 

「違う。きっと、そんなこと、するはず……」

 

 さっきから考えが漂って定まらない。暑さと疲れのせいだろうけど、それ以外にもどうしようもない焦りみたいなのが私の中にある気がしてならない。

 踏切の眩しい点滅を目にしているように、くらくらと視界が赤くなる。

 ありえない、ただの幻覚だ。暑さで気が動転しているだけ。きっとそう。

 左手で滴る額の汗を拭おうとして、そこで漸く私は気が付いた。

 ────左肘から下の感覚がなくなっていることに。

 

「え?」

 

 右手で掴み上げてみるもだらりと垂れ下がる左腕。その手首には横に伸びる赤線が刻まれていて。

 色白の素肌に映えるそこから吐き出された緋色の液体は、じわじわと手のひらを伝い、ぽたり、と地面に痕を残した。

 夕焼け色と近い色なのに決して混じることのない赫赫とした痕を。

 

「な、んで……?」

 

 溜まっていた息と唾を飲み干してカラカラになった喉が痛い。

 ささやきくらいにしか出せなかった声がやけに大きく聞こえる。

 

 違う、違う。私は手首を切ったりしてない。

 いくら辛いことがあったって、自傷なんかに走るほど私は痛い子じゃない。

 ましてやただの失恋なんかで────。

 

「────────あ」

 

 ああ、そうだ。やっと思い出した。

 

 鮮烈で熾烈な赫は私の記憶を断片的にフラッシュバックさせる。

 あれはそう、元の世界にいた頃のこと。

 この世界に迷い込む数十分前、センセイに振られて教室から走り去った自分の姿を。

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