リンネ-少女は一人、哀れに歩む-   作:影斗朔

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帰りの線はありません。

「……君にはもう付き合いきれない」

 

 橙に照らされて薄暗くなり始めた教室の中、チョークを握りしめた拳を黒板に叩きつけたセンセイは、静かにそう言った。

 全身から怒りを感じられるのに、声と顔からは感情らしきものが全くないようだった。

 嘘、だよね。センセイがそんなこと、言うはずないよね?

 

「教員と生徒という関係だから今まで許してきたが、今からはその関係であっても許しはしない」

 

 ご、ごめんなさい。私、何か悪いことを言っちゃったかな……。

 センセイが嫌いなことを知らないうちにやっちゃってた? だったらもうしないよう気をつけるから!

 

「ふむ、無自覚ならよりたちが悪いな。こうなる前にしっかりと縁を切っておけばよかったか」

 

 縁を切る、なんて、そんな……!

 私はただ、センセイに優しくして欲しかった、好きになって欲しかっただけなの!

 

「今日の補講はここまでだ。明日からはもう来なくていい。他の教員には僕からしっかり伝えておく」

 

 待って! 行かないで!

 物覚えの要領が悪くてごめんなさい! 機嫌を損ねちゃうようなことしてごめんなさい! だから、私を見捨てないで……!!

 

「何度も言わせないでくれ、恋愛ごっこはこれで終わりなんだ。なにせ君はもう────」

 

 

「待って! ……っ!」

 

 過去の思い出に没頭していた私が手を伸ばした先にセンセイはいない。

 あるのはただ、眩むような赤に挟まれた地平線と、そこまで伸び続いている線路のみ。

 目的地の駅どころか果てすらも見えなくなった恐ろしい世界に、私は一人。たった一人だけだった。

 

「センセイ……どうして……?」

 

 私はバカだから、わからないことばかりですぐに周りが見えなくなっちゃう。そんな時はいつも、貴方が私の手を引いて答えに導いてくれたよね。

 ……ねえ。教えてよ、センセイ。私は何を間違えたの?

 

 当て所のない思考内の問いは誰に届くはずもなく、私の中で永遠に蟠り続ける。

 少なくとも、投げかけられる言葉はないだろうと諦観に浸っていた時だった。

 

「それがわからないのなら、シキミはずっとここから出られないよ」

「……え?」

 

 どこからか声が聞こえてくる。ついさっき消えてなくなったはずの可愛らしい猫撫で声が。

 

「その声……駅にいた……!」

「さっきちゃんと言ったでしょ、答えを見つけなきゃといけないって。昔を思い出してメソメソするくらいなら誰だってできるよ?」

「ど、どこ!? どこにいるの?」

 

 俯いていた顔を上げて辺りを見回してみるけれど、セーラー服の影少女の姿は見当たらない。

 あるのは色合いがまったく変わらない天地に、少しだけ数が増えている気がする電信柱と向日葵、それに頭上で旋回している一羽のカラス。

 ……ん? カラス……?

 

「まったく、シキミがそんなんだから私がまだ生きているんだよ? 本来ならシキミ一人で歩むべきなのに、ほんとしょうがないんだから」

「か、カラスが、し、喋ってる!?」

「何言ってるの、こんな世界なんだからカラスが喋っても不思議じゃないでしょ?」

「え、そ、そうかな……」

 

 確かに現実とは全く異なる世界だから、死んだ人がカラスに化けて出るなんてこの場所では当然なのかもしれない。……いろいろとおかしいけど。

 

「え、てことはあの駅員も今はカラスだったり!?」

「あー、どうだろう。なきにしもあらずってとこかな。ていうか、シキミってば駅員さんを邪険にしすぎじゃない?」

 

 当然でしょ! あんな自分のことしか頭にない愛想すらなくなった人なんて誰だって好まないって!

 

「まあそれはさておいて、全く進んでいないうちに打ちひしがれているのは想定外だったよ。言ったじゃない、最後は必ず前を向けって」

「だって……」

 

 振られたことを思い出してそう簡単に立ち直れる人っている? いなくない?

 それに最後はちゃんと立ち直るつもりだったよ。さっきまでは悲しみの途中だっただけだから。

 

「うん、もうそれでいいよ。んで、とりま第一段階はクリアってとこかな」

「第一段階?」

「なに? 言わないとわからないの?」

 

 頭上のカラスは旋回から急降下して、私の立つ枕木から二つ離れた枕木に留まる。

 うん、どこからどう見ても普通のカラスだ。セーラー服の面影すらない。

 もしかして彼女がカラスになったことが第一段階ってことなのだろうか、あるいは消えてなくなったという事実がねじ曲がったこと?

 

 ……いや、それは違うか。

 彼女は自分が死んでいない事に疑問を覚えている口ぶりだった。

 それどころか消えてなくなっていたかったと思わせるくらいに、さっきから私に対して言葉が辛辣になってる気がするし。

 

 だとしたらそれ以外のことで言葉にしなくても私が理解できることのはず。……え、そんなものある?

 私って自分で言うのもアレだけど頭空っぽだし、ひと目見てわかるくらいのものじゃないと……って、あれ?

 

「線路が、一本なくなってる……?」

 

 駅には一番ホームと二番ホームの二つがあって、私は一番ホームに隣接した線路に飛び降りたから、私の右側には線路があった。

 それがここに来て唐突になくなっている。離れて見えなくなったなんてことじゃなくて、出発地の駅と同じように消えてなくなっていた。

 

「思い出に浸っている時にはもう消えてたけどね? シキミってほんと周りが見えてないよね」

「うっ」

 

 肩に乗ってきたカラスが耳元で悪口を言ってくる。

 そんなにいじられたって事実は事実なんだから仕方がないじゃん。もうちょっと優しくしてくれたっていいんじゃない?

 

「はいはい、言い分はよくわかったから。とにかく、シキミは自分が今一方通行しかできない電車に乗っているってことを理解しておかなきゃダメだから、それだけは覚えておいて」

「歩いているのに?」

「物の例えだよ」

「この世界の電車ってあまりにも不親切じゃない? けどそっか、電車、かぁ」

 

 聞いた話によると確か、ローカル線だったら一車線だと往復運行だったはず。でも、この場所では一車線になっても一方通行しかできないらしい。

 現実にあったらほんと不親切極まりないけど、この世界において対向車線が消えたということは。

 

「つまり、すれ違う便と帰りの便がなくなったってこと?」

「そういうこと。なんだ、ちゃんと自分で考えられるじゃない」

「年上に対して失礼じゃないその言葉?」

 

 何というか、長いこと連れそってきた姉妹くらいの馴れ馴れしさだよね、この子。まだ親身でいてくれるから駅員よりかは全然マシだけど。

 ていうか、思い出した!

 

「ねえ、センセイが乗ってた電車通り過ぎた時何で言ってたの? 全然聞こえなかったんだけど」

「ああ、あの話? それなら忘れてしまってもいいよ」

 

 なにそれ、一回口にしたらもう二度と口にはしない的な?

 答えてあげたのにちゃんと聞いてくれなかったからもう答えないって? うわ、嫌味ったらしー。

 

「だってシキミが言ったんでしょ、『センセイに聞くから』って」

「そうでしたごめんなさい」

 

 あの時はほんと、センセイしか目に入ってなかったからそれ以外を無視してた感はある。

 これだから周りが見えてないって言われちゃうんだよね。反省、反省。

 

「……まあ、ヒントくらいならあげるよ」

「ありがてぇ、流石は御烏さま。よっ、吉兆の鳥!」

「調子いいよね……。とりあえずこの次が峠かな。それさえ超えられたらこの世界からも出られるだろうけど、いつになるかなぁ……」

「そこはほら、全力を尽くせばどうにか……痛い! 真面目に言ってるんだから突っつかないで!」

 

 ほんとぉ? とばかりに首を傾げてるけど、なんだかんだカラスって可愛いな。……じゃなくて、本気の本気だってば。

 こんな世界に長居したくないって気持ちももちろんあるけど、それ以上に早く現実世界に帰らなきゃいけないから。

 

「よぉし、そうと決まったらセンセイの元を目指してレッツゴー!」

「あ、そこは変えないんだ」

 

 当たり前でしょ! 問題を解決するのにセンセイの力は必要不可欠だし、センセイだってこの世界に迷い込んで困っているに違いないんだから!

 ……それに、私はまだ諦めてない。

 

 確かに私は補講中にセンセイからいきなり別れを切り出された。

 あまりのショックから勉強道具すらそのままで教室から飛び出してしまった。

 でも、それは全て私が不甲斐ないせい。センセイに見合うような女性でいられなかったせい。

 

 だから今度こそ、失望されないような立ち直りをする。私にもっと振り向いてもらえるように努力する。

 そうしたらきっと、昔と同じような二人になれるはずだから。

 

「────そう。だったらわたしはそのお手伝いをするだけだよ」

 

 消沈していた意気を吹き返して再び赤い地平を目指して歩き出した私に対して、カラスになった影少女はどこか悲しそうにそう告げた。

 私が彼女の抱いていた感情の意図を知るのは、それから随分と後のこと。

 それこそ、取り返しのつかないくらいに時間が過ぎてしまった頃のことだった。

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