リンネ-少女は一人、哀れに歩む-   作:影斗朔

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音無く迫る認知の境界。

 進めど進めど視界に目的地の片鱗すらも映らない長大な線路の上を私とカラスは進む。

 道中、生きているか死んでいるかわからないセミが何匹か転がっているのを見かけたのが、最後の変化点だったかもしれない。

 それ以外は斜めの電信柱と真上を向く向日葵が歩いていくにつれて当然のように数を増やしていることぐらいだったから。

 

 それに比べて変わらないものは多かった。

 空と大地は相変わらず赤く、まとわりつく蒸し暑さは弱まる気配すらない。

 左手首は今も感覚がなくて、手首から滴る血も止まりそうになかった。

 

 ただ、異変に気付いてから手のひらが真っ赤になるまで時間が経っているけれど貧血の症状は出ていないから、おそらくは見せかけの怪我なんだと思う。

 傷口からズキズキした痛みを感じられないのもそのせいだと考えてる。感覚は消えてるのだけはわからないけど。

 

 ……ところで私たちはもう数キロは歩いているけれど、まだ目的の駅は見えないのだろうか。

 

「ねえ。あなたカラスなんだから、空から駅を探してくれないかな?」

「えー、シキミが見えないんだから私に見えるはずないでしょ」

「カラスの視力は人の5倍で夜目も利くそうなんだけど?」

「……よく知ってるね」

「どこかで聞いた話をたまたま覚えてただけ。で、見てくれるの?」

「わかったよ、もう。シキミってば人使いが荒いんだから」

 

 そう文句を呟いてカラスになった影少女は私の左肩から空に飛び立つ。

 人使いが荒いって言っても今の彼女はカラスなんだし、別にそれくらいのことくらいしてくれたっていいと思う。

 どうせ意味ないみたいな感じで言われて癪に触ったとか、別にそんな理由じゃない。

 

「どう、何か見える?」

「ううん、やっぱり駅は見えなかったよ」

 

 舞い戻ってきた彼女は開口一番にそう言って私の肩に止まる。

 鳥類って地味に足の力が強いから、離陸の時だけじゃなくて着地の際も私の肩に負担がかかる。あと爪が地味に食い込んで痛い。

 

「嘘ついてないでしょうね?」

「嘘つく必要なんてないでしょ。さすがにそんな嫌がらせじみたことしないってば」

「そりゃまあ確かに。どっちみち歩き続けるしかないし、やむなしかな」

 

 カラスが見えないというくらいだから、たぶんあと10kmくらいは同じような光景が広がっているのだと思う。

 まじかー、つらたん。ぴえんぴえん。

 あまりにも先が見えないことに加えて、景色が不気味なまま全く変わらないからいい加減に気が滅入ってくる。

 というか、気が滅入ってくるのはそれだけが理由じゃなくて、

 

「あなたも少しは何か喋らない?」

 

 さっきから私が話しかけない限りだんまりを決め込んでいるこのカラスも原因だったり。

 

「話したいなら話題を出せばいいじゃん」

「話題を出したってほとんど話してくれないくせに」

「それはまあ、話せないことばっかり聞くから……」

「なにそれ、緘口令でも敷かれてるの?」

 

 この世界が何なのかとか、あなたは何て名前なのかとか、だいぶありふれたことを聞いてきたはずだけど、それすら話せないってこの世界ほんと何なんだろう。

 単純に彼女が何も言葉にしたがらないだけかもなのだけど、これじゃ一人で歩いてるのと何ら変わらない。

 そりゃあ、ここにくる前のことも思い出して心細かったけどさ、ろくに会話のキャッチボールができないカラスが来てくれたってさあ……。

 

「緘口令なんてものはないけどね、話せないものは話せないとしか言えないじゃん?」

「だからあなたから何か話題はないのかって聞いてるの。わかる?」

「話題、話題かぁ。何かあるかな……」

 

 んー、と鼻を鳴らして考え込むカラス。

 今更だけどどこから発音しているのだろう。

 九官鳥ならまだしも、カラスに人の声を真似できる器官はなかった気がするけど。

 ……いや、やめた。それこそ考えたって意味のないことだ。

 

 第一、この世界は明らかに現実離れしているくせして、現実に存在するものばかりが目に映るから頭が痛くなってくる。

 電車に始まって線路に電線という非生物や、向日葵にカラスといった生物まで、この世界にあるものは現実と限りなく等しい。人の姿だけ影法師だったことや赤塗りの天地だけは違ったけど。

 加えて存在するものの規則性もはっきりとしないから、たぶんそういうものなんだと割り切った方がいいんだろう。

 

「……で、どうなの?」

「うーん、やっぱり話題はないかな。一つだけ聞きたかったことはあるけれど、これは最後の最後に聞こうと思ってたんだよね」

「もうこの際それでいいから。話しているうちに他の話題が出てくるかもしれないし」

「仕方がないなあ、シキミがそこまで言うなら話すよ」

 

 さすがに何も話さないのは悪いと思ったのか、カラスは渋々と口を開く。

 人間と違い動物の表情ってのはとてもわかりにくいからこういったときに断定できないから困る。いやまあ、人の姿をしてたときも影法師だったからわからなかったけど。

 

「ずっと気になっていたことなんだけどね、シキミって、どうしてそこまで彼にこだわるの?」

「彼って、センセイのこと?」

「うん」

「え、あなたにはわからないの? どうしてって言われても……そんなの見てすぐわかるでしょ!」

 

 まさかセンセイとの関係性を聞いてくるとは……言わせないでよ恥ずかしい!

 そりゃ、言わないとわからないように取り繕っていたけどさ、クラスの女子たちにはさも当然のようにバレちゃってるし、態度でわかるってまで言われちゃうくらいなんだから察してくれたってよくない?

 ……や、出会ってすぐの人に言うことじゃないとは思うけど、彼女の方は私のことを知ってるみたいだし……。

 

「はいはい。じゃあ、いつからその気持ちを持ってたの?」

「あー、それはいつからだったっけ。割と出会ってすぐだったような気がする」

 

 そういえば、今の気持ちばかり考えていてしっかりと過去を振り返ってはない気がする。

 迷い込んだことは最悪だけど、それに気づく機会に恵まれたのはよかったな、なんて思いながら、私は記憶の引き出しを引っ張り出しつつ言葉にしていく。

 

「センセイと出会ったのは私が小学生の頃でさ、その頃のセンセイは家庭教師だったんだ」

 

 センセイは昔から寡黙な人だったけど教えることが上手で、どんな間違いをしても決して怒ることはなかった。

 私は基本的にスパルタ思考の両親に支配されていたこともあって、小さな失敗一つで大声で怒鳴られたり、ひたすらぐちぐち言われたりしていたから、優しく接してくれる年上の人もいるのかとこの時初めて知った。

 たぶんそれがセンセイを好きになった最初のきっかけだと思う。

 

「それから卒業までずっと家庭教師でいてくれて、困ったことの相談とかにも乗ってくれたんだ。ほんと、あの時が一番幸せだったなあ」

 

 センセイの教え方がよかったこともあるけど、別の人に変えられるのが嫌だった私は一生懸命に勉強して順調に成績を伸ばしていた。

 そんな努力の甲斐もあって、センセイは私が小学生の間まで家庭教師を続けてくれることになった。

 もちろん家が金持ちだったからという理由もあるけど、一番の理由は成績が目に見えて良くなったからだと思う。

 私がいうのもアレだけど、だいぶ現金なお話なんだよね。

 

 それからというもの、センセイは辛いことを受け止めてくれたし、喜びだって共有してくれた。

 そう、小学校を涙ながらに卒業したあの日までは。

 

「私が中学生のときから、センセイは教員免許を取得するための勉強が忙しくて家庭教師を辞めちゃったんだけど、それでもたまに会いに来てくれて、変わりなく私の相手をしてくれたんだ」

 

 話したつもりはなかったけれど、センセイは私の家庭環境に気づいていて、私のことを気遣ってくれてたんだと思う。

 私に好意があったとかそんなんじゃなくて、ただ純粋に人助けの一環として。

 けど、それがなによりも嬉しかった。私のことを見てくれていた人が少なくともここに一人いたから。

 その出来事がきっと、私にとって恋心を自覚した瞬間だった。

 

 それからはセンセイが今何をしているのか気になって仕方がなかった。

 会ったときにも一挙一動に目を引かれたり、ちょっとした一言ですらずっと聞いて痛かったり、それこそ世界がセンセイ一色に染まってたんだと思う。

 

「だって、センセイが教員免許を取得して担当校が決まったときは、自分のことのように泣いて喜んだりしたからさ」

 

 けれど、そこは地元から遠く離れた場所。

 直接会って話すにはあまりにも距離があるし、会いに行くにしても両親から許しをもらえるはずもない。

 いずれ遠くない未来、センセイとの関わりが薄れてしまうのも時間の問題だった。

 

 ────そんなこと、認められるはずもない。

 

「だから私もセンセイと同じ学校に行くことにしたんだ」

 

 そうして、家庭教師をしてくれていた頃のように一緒にいられる時間を作ろうと思った。

 またいい子だと頭を撫でて褒められたいから。

 厳しくも優しく接してほしかったから。

 私はずっと独りぼっちだったから。……私にはセンセイが必要なんだ。

 

「なるほど、だからそこまで執心だったってことね」

「ま、まあ、惚れた弱みってやつ? ……あー、恥ずかし!」

 

 まさか自分の恋バナを話すのはこうも恥ずかしいとは……!

 クラスの女子たちはけろっとした顔で恋バナに勤しんでいるけど、羞恥心ってものはないのだろうか。

 

「そういえば、あなたはどうなの? あなたくらいの年頃だったら誰だって恋心を覚えるいそうなものだけど」

「わたしは別に? ただ、覚えるのと自覚するのは天地の差くらいにかけ離れているから、一緒くたにするのは違うよ。シキミが彼に好意を抱いた時期と恋心を確信した時期が違うようにね」

「そ、そう」

 

 私よりも若いくせしてやけに哲学的な回答が返ってきた。

 いや、若いように見えて実は結構年上だったりするのかもしれない。人は見かけによらないし。まあ、見てくれは紛れもなく害鳥なんだけど。

 

 困惑する私をさておいて、カラスは満足げに飛び立つと、私の前、顔あたりの高さでこちらを見ながら対空する。

 風すら吹いてない世界だってのに随分と器用なことだ。

 

「でもそっか、それなら少しだけ彼に同情するなあ」

「同情? 私じゃなくて、センセイに?」

 

 今の話を聞いてセンセイに同情する余地なんてあっただろうか。

 あくまで私の主観的に見た話だからセンセイの気持ちなんてわかりそうにないはずだけど。

 

「あれ、自分で言っておいてまだわからないの?」

「……え?」

 

 彼女は何を言っているのだろう。

 わからない。理解が追いつかない。

 ただ何となく、これ以上先を聞いてしまってはいけない。そんな気がして。

 

「何が、言いたいの?」

 

 決して口にしないつもりだった言葉が、いつのまにか声となって羽音しかない空間に響く。

 私は、今、なんて……。

 そんな思考と同時に硬直した私に、まとわりつく暑さを凍らせるくらい酷く冷ややかにカラスは告げた。

 

「だって、彼は好意と愛情を勘違いしていたシキミにずっと振り回されていたんだよ? 別れを告げられるのも仕方ないよね」

 

 そうして自分が何者か思い出したのか、カァカァと遅れて嗄れた声で鳴く。

 残忍な笑みをして愚かだと私を嘲嗤っているかのように。

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