東京イカちゃん【トーキョーガール】   作:放出系能力者

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冷凍イカちゃん

 イカちゃんが目を覚ますと、そこには暗闇と瓦礫の山が広がっていた。

 

 通称『イカ』や『イカちゃん』と呼ばれるこの生物の正式名称はインクリングという。人間並みの知性を持ち、ヒトに近い形態を取ることもできるが、本来はイカによく似た姿をした軟体生物である。 

 

 つまり、人間ではない。彼らにとって人間とは大昔に絶滅した種族である。現代の文明はインクリングを始めとする『軟体生物群』によって築き上げられている。ここにいるイカちゃんもその一人であり、性別はメスのイカガールだった。

 

 イカちゃんは自分が置かれている状況を理解できずにいた。彼女はハイカラシティのとあるお嬢様学校に通う14歳の学生だった。その日は学校の課外実習で博物館に来ていたはずだった。目の前に広がる廃墟に見覚えなどあるはずがない。

 

 直近の記憶をさかのぼって確かめたところ、博物館の展示物を見ていたところまでは思い出せた。それは『ジャッジくんのコールドスリープマシン』だった。

 

 審判の猫ジャッジくんを乗せて悠久の時を越えたとされるオーパーツである。イカたちにも解析不能なオーバーテクノロジーであり、仕組みはよくわかっていない。

 

 貴重な歴史的資料だが、能天気なイカたちは基本的に享楽的で刹那的な考え方をすることが多いため、使い物にならない装置をありがたがるようなことはなく、展示コーナーの片隅におさわりフリー状態で放置されていた。

 

 見学に来たイカちゃんがこの装置のスイッチみたいなところを適当にカチャカチャ押したり中に入って遊んでいたそのとき、突如としてマシンは起動した。装置の中に閉じ込められてしまったイカちゃんはそのまま眠るように気絶してしまう。

 

 そして気がつけば、この真っ暗闇の廃墟にいたというわけだ。周囲には誰もいない。一緒に博物館に来ていた友達の姿もなかった。ただ闇だけが広がっている。

 

 イカちゃんは冷凍保存されて未来の世界に来てしまったのか。にわかには信じがたい現象に彼女は混乱しきっていた。

 

 むせかえるように淀んだ空気、星明りの一つもない空。巨大な洞窟の中にいるかのようだった。まるで世界中に自分一人しか存在しないかのような錯覚に囚われる。

 

 しかし、その孤独感はすぐに霧散することとなる。イカちゃんは暗闇の中に何者かの視線を感じ取った。それはリッター4K(スナイパーライフル)の射線に足を踏み入れてしまったかのような怖気を伴っていた。

 

 誰かがこちらを見ている。しかも、一人ではない。正確な数まではわからないが、複数の敵意ある視線を感じた。もしイカちゃんがバトル未経験のお嬢様イカだったなら恐怖に身がすくみ動けなくなっていたところだろう。

 

 だが、このイカちゃんはすぐさま反応することができた。実は親に内緒でナワバリバトルに勤しみ、行きずりの下賤なイカたちと体液をぶちまけ合うオープンペインターだった。

 

 ナワバリバトルとはイカたちが熱狂するスポーツ。彼らは縄張り意識が非常に強い生物であり、自分や仲間の体液で地面をマーキングすることに快感を覚える変態的特徴を持つ。敵味方のチームに分かれて縄張りを誇示するこのゲームが大好きなのだ。

 

 イカちゃんは生体情報として登録された『ギア』と『ブキ』を瞬時に起動し、自身の体液を用いて急速展開する。これらはナワバリバトルに不可欠な装備である。

 

 ギアは『アタマ』『フク』『クツ』の三種類からなる衣服の装備だ。それぞれに身体能力や武器の性能を高めるなど様々な効果があり、バトルを積むほどに肉体となじみ、使いやすくなっていく。

 

 イカちゃんの場合は『アイアンマスカレイド』『スクールカーデ』『スクールローファー』を登録していた。後者二つは普通に学校の制服だが、アタマ装備だけはゴツい溶接作業用のマスクである。

 

 これは親にバレないように顔を隠す目的で選んだものであり、この程度のイカれたギアコーデは若者たちからすればさして珍しくもない。

 

 そしてギアと対を成すもう一つの装備がブキである。インクリングは体内に体液を高密度圧縮できる『インク袋』を有し、これを多種多様なブキと接続することにより効率よく体外に射出することができる。

 

 イカちゃんが取り出したブキは『ハイドラント』だ。その名のごとくまるで消火栓を担いで来たかのようなボディはブキの中でもひときわ巨大。その雄姿にたがわぬ圧倒的な連射性能を誇る重量級スピナー(機関銃)である。

 

 イカちゃんは視界を確保できるように自身の体液を暗闇で発光する蛍光色に染め上げた。このようにイカたちは自在にインクの色を変化させることができる。

 

 ハイドラントが輝きを放ちながらロータリーを回転させる。大量のインクを内部で高速圧縮しているのだ。このチャージタイムが最も無防備な状態であるが、このブキの特徴を知らない敵たちは警戒して手を出してこない。

 

 そしてフルチャージが完了する。溜め込まれたインクが解き放たれた。無数の光の弾丸が宙を舞う。イカちゃんは照準もろくに定めず360度全方位に回し撃つ。

 

 まず何よりも敵の数と位置がわからなければ対処のしようがない。そのために蛍光弾をばら撒いて周囲を染め上げようとした。敵が被弾すればその位置を特定できる。

 

 これには闇に潜んでいた敵たちも焦りを隠せなかった。光弾の雨は避けられるものではなかった。速度もさることながらその密度が絶望的。あまりにも眩い光に目が焼かれ、弾幕の壁が迫り来る。

 

 確かに弾は敵に当たった。一条の光も差すことがないこの場所で長らく生きてきた襲撃者たちにとってその攻撃は目を潰すような恐ろしい攻撃だった。

 

 しかし当たってみてすぐにわかった。全然、痛くない。

 

 それもそのはず、このブキは軟体生物同士で戦うために開発された兵器であり、それ以外の生物にとっては強力な水鉄砲に過ぎないのだ。

 

 この地底世界を生き抜いてきた屈強な戦士たちにとって、イカちゃんの攻撃はどうというほどのこともなかった。スピナーの回転はやがて緩やかに減衰し、カラカラと音を立てて弾を出し尽くした。

 

「マ……マンメンミ~……」

 

 闇の中から這い出てきた潜伏者は一人や二人ではなかった。茫然と立ち尽くすイカちゃんを取り囲んでいく。

 

 その者たちはヒトにも似た姿をしていた。だが、明らかに人間と異なる点がある。サソリの尾のような巨大な器官が背部から生えていた。

 

 ここは『東京24区』の最深部。人々の記憶から忘れ去られ、廃棄された地底都市だった。

 

 

 * * *

 

 

 イカちゃんが襲われた理由はシンプルだ。食うための狩りだった。一巻の終わりだった。

 

 地底人たちは彼女の体にかじりつき、その味に驚く。めっちゃうまかった。イカちゃんはガチホショクされた。

 

 だが、インクリングは非常に生命力の強い生物である。ナワバリバトルにおいては肉体が爆発四散して汚い花火と化すことなど日常茶飯事だ。痛みもない。

 

 インクリングの細胞は敵対者の体液や水などを全身にかぶると急激な浸透圧現象を引き起こし、全身の水分を出し尽くして干からびる。だが、それでも死ぬことはない。

 

 体液と同質の培養液で満たされた『リスポーン装置』に入ればすぐに元通り復活できるし、これがない場合も時間はかかるが自力で肉体を再生できる。

 

 地底人はその再生力に目をつけた。一度に全部食って殺してしまうのではなく、欠損した部分を再生させてから死なない程度にまた食べる。

 

 イカちゃんは地底人の集落に監禁されてしまった。イカ形態になって檻から脱出しても奴らは敏感な嗅覚でイカちゃんを追い詰めた。

 

「うららー!」

 

「あんよがじょうず! あんよがじょうず!」

 

 イカちゃんはイカ語しか話せず、地底人たちの言葉はわからない。意思の疎通もままならなかった。

 

 いくら食われても痛くないとはいえ、精神的なショックはある。また当然ながら無限に再生できるわけでもなく、日に日にイカちゃんは弱っていった。

 

 食事は一日に一回与えられる謎の生肉のみ。イカちゃんが暮らしていた世界では脊椎動物は絶滅していたので、彼女にとってそれはまさに正体不明の物体である。

 

 しかし、食わなければ生きていけない。肉体の再生のためエネルギーを多く消耗していることもあり、吐き気を堪えて何とか食べた。家畜の気分だった。

 

 ただ、地底人の立場からすればイカちゃんに下にも置かない厚遇を与えているつもりだった。

 

 確かに少し体をかじり取ることもあるが、弱ってきたイカちゃんのために狩りをして肉を掻き集めた。彼らにとって狩りとは命がけの戦いである。

 

 この地底において彼らの食料は限られている。狩りの獲物とは、同族だった。地底都市にはいくつもの集落が存在し、互いに命と肉を狩り合う関係にある。

 

 肉を得ることは簡単ではない。地底人もまたイカちゃんと同じく凄まじい肉体の再生能力を持つため、できれば生け捕りにして死ぬまで肉をそぎ取られる。命尽きるまで肉の採取源となる。

 

 それも狩りがうまくいけばの話であり、大抵は死体さえ手に入らないこともざらだ。睨み合いで一日終わることもある。狩りに行って逆に狩られることもある。

 

 空腹をどうしても抑えきれなくなったときは、都市全体に植物の根のように張り巡らされた『ナァガラジ』の死骸を食べる。乾燥した土も同然の味しかしないが、わずかに飢えは満たされる。

 

 慢性的な飢餓が当たり前の状態であった彼らにとって、イカちゃんの味は衝撃的だった。涙が出るほどの美味。その味はイカちゃんをある種、神格化させるほどのものだった。

 

 多大な犠牲を払って手に入れた肉を惜しげもなく貢がれたイカちゃんは、言葉が通じずとも何となく彼らの誠意を感じ取っていた。

 

 牢獄の中で何もすることがないイカちゃんは、イカたちのソウルソング『シオカラ節』をよく口ずさんだ。それを聞いた地底人も真似して一緒に歌うこともあった。

 

 自分をこんな目に遭わせた地底人たちに憎しみはもちろんあったが、なるべく深く考えないようにしていた。現実逃避と言い換えてもいい。複雑に入り乱された感情は両者の間に奇妙な依存関係を生み出す。

 

 かつて彼女が他の誰かからこれほど必要とされたことがあっただろうか。ナワバリバトルでは未熟な腕でハイドラントというピーキーなブキを使いたがる彼女を疎ましく思うイカから心無い言葉をかけられたこともある。

 

 両親からは確かな愛情を感じ取れたが、それは裕福な暮らしの上にこそ成り立つ幸福だったのではないか。望むがままに与えられることを愛情と感じていただけに過ぎないのではないか。

 

 どちらにしても、今の彼女には両親もナワバリバトルをしてくれる友達もいない。この暗い檻の中が全てだった。

 

 それはストックホルム症候群とでも言うべき心理状態だったのかもしれない。その健康とは言い難い精神の均衡は、ついになるべくして崩れ去る。

 

 ある日を境にしてイカちゃんの体調は大きく悪化した。最初はただの腹痛だったが急激に重症化し、意識を失うほどの高熱に冒されるようになる。

 

 何らかの病気にかかったものと思われたが、治療に必要な医療設備はない。地底人たちの暮らしは原始的だった。

 

 身体を食われても平気だったイカちゃんも病気には抗えなかった。まるで肉体が内側から作り替わっていくかのような筆舌に尽くしがたい苦痛に襲われる。経験したこともない痛みに死を覚悟した。

 

 そして時を同じくして、イカちゃんが捕まっている村に大規模な襲撃があった。それは狩りレベルの小競り合いではなく、村同士の(いくさ)と呼ぶべき事態にまで発展する。

 

 イカちゃんの村はそれまでの無理な狩りがたたって大きく疲弊し、戦力が落ちた状態にあった。その弱り目を狙われたのである。

 

 両陣営ともに死傷者を出しながらも、次第に一方的な戦況になっていた。イカちゃんの村は敗北する。

 

 それまで檻の中で生活し続けてきたイカちゃんは、踏み込んできた敵に引きずり出された。戦禍により変わり果てた村を目撃する。なぜかここ数日の間に暗闇をハッキリと見通せるようになったイカちゃんの目は、つぶさにその光景を捉えていた。

 

 死体は食料として回収され、生け捕りにされた男は肉の採取源にされ、女は採取源兼性処理の道具とされる。そこに尊厳はなかった。おぞましい命の冒涜だった。

 

 しかし、それが彼らにとって脈々と受け継がれてきた種としての営みであり、紛うことなき自然の摂理であることを同時に理解する。

 

 勝利の美酒に酔うように削ぎ落した肉を食らう襲撃者たち。その肉と同じものを自分もこれまで食べていたことを理解した。その瞬間、イカちゃんの中で何かが壊れた。

 

 

 マ ン メ ン ミ

 

 

 イカちゃんは慟哭する。その叫びは怪物の産声だった。

 

 それから先のことは彼女自身、よく覚えていない。気がつけば、周囲は無数の破壊痕と死体が残された荒地と化していた。

 

 殺された者たちは全員が襲撃者だった。助かった村人たちはイカちゃんに身振り手振りで謝意を表した。

 

 だが、彼らの行動を見てもイカちゃんはなびかない。彼女は現実を受け入れたのだ。このどうにもならない圧倒的な現実の中、自分の力で生きていくためには何をすべきかを考え始めていた。

 

 イカちゃんは村人たちを殺さなかったが、心を許したわけではなかった。彼女はその足で村を去る。引き留めようとする村人たちに向けた殺気が確固たる決別の意思を示していた。

 

 まずはこの世界を知らなければならない。この暗闇の世界はどこまで続いているのか。その終わりを確かめなければならない。

 

 依然としてイカちゃんの体調は優れない。しかし、熱に浮かされながらも歩みを止めることはなかった。体を冒す熱以上に燃え滾る決意が彼女を突き動かす。

 

 その眼は、片方だけが血のように赤黒く染まっていた。

 

 

 * * *

 

 

 イカちゃんが地底で出会った種族は世間一般に『喰種(グール)』と呼ばれている。

 

 興奮すると両目が赤くなる『赫眼(かくがん)』を持ち、体外に触手のような器官『赫子(かぐね)』を形成して戦闘に用いる。その身体能力は人間の4倍から7倍とされ、主に人間を捕食する。

 

 彼らが生きる上で必要な栄養である『Rc細胞』は人間と喰種の肉からしか摂取できない。これこそが喰種のパワーの源である。

 

 この細胞同士が形成、定着、崩壊というサイクルを繰り返すことで、硬質性と流動性を併せ持つ強靭な赫子を作り上げる。また、全身に行き渡らせることで回復力や身体機能を底上げしている。

 

 その特徴は液状の筋肉と例えられる。安定した状態にあるときはコンパクトに体内に収納されているが、ひとたび活性化すれば様々な機能を有する戦闘器官へと変貌する。

 

 これがインクリングの軟体組織と構造的に酷似していた。彼らは瞬時に肉体をヒト型とイカ型に変形させることができる。また自身と同質の体液中であれば、体積を無視したかのようにわずかな液体中に全身を溶かし込むことができる。

 

 そしてインクリングが体内に『インク袋』を持つように、喰種もRc細胞を蓄積するための『赫包(かくほう)』という器官があった。喰種にとって第二の心臓とも言えるこの臓器は最も栄養価が高い。

 

 イカちゃんに獄中で与えられていた食事は、この貴重な赫包が惜しげもなく使われていた。知らず知らずのうちに大量のRc細胞を摂取していたのである。

 

 イカちゃんの体内に取り込まれたRc細胞は軟体組織と結びつき、その肉体そのものを大きく変質させつつあった。

 

 彼女は似て非なる存在へと急激な進化を遂げようとしていた。インクリングと喰種の『隻眼(ハーフ)』へと。

 

 はたして、この進化は偶然の産物なのだろうか。たまたま似たような特徴を持つ異種族間の細胞が奇跡のような確率で巡り合った結果なのか。その答えはコールドスリープマシンにあった。

 

 一匹の猫を乗せて一万年以上の時を漂流した箱舟である。その暴走に巻き込まれてしまったイカちゃんはどれだけの時を経たのか。

 

 一つの種族の栄華が終末を迎え、新たな種族の繁栄が始まる。それだけの時間があれば、漂流の果てに自分とどことなく似た異種族と出会うこともあり得る話なのかもしれない。

 

 

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