『13区のジェイソン』と呼ばれた喰種がいた。性格は残忍残虐。食うためではなく、遊ぶために人を殺す。人間どころか同族さえも獲物とし、いたぶり殺すことに快感を覚えるサディストだった。
これがそこらの木っ端喰種なら捜査官に捕まって終いとなるところだが、そのレートはSに指定されている。コクリアからの脱走までやってのけた経歴を持つ。
今ではヤモリと名乗り、多数の配下を従えている。その実力を買われ、アオギリの樹にスカウトされて幹部の一人となっていた。
「ンッフッフ……もう少しで終わるからねぇ」
ヤモリの手元には様々な道具がそろえられていた。ペンチ、ハサミ、包丁、錐など。それら拷問に使う器具をメンテナンスしていた。
その近くには頭に布袋をかぶせられた何者かが椅子に拘束されている。拷問の被害者であることは明白だった。目の前に置かれたバケツの中には“収穫”された指が山積みになっている。
ヤモリはこの器具を手入れする時間が好きだった。
本来、喰種の力があれば道具に頼らずとも他人を害する手段はいくらでもある。同じ喰種が相手であれば、ただの鉄製の刃では皮膚を傷つけることすらできないため、むしろあっても邪魔な代物だ。
ヤモリは喰種を拷問にかける際、わざわざCCGから略奪した貴重なRc抑制剤を使ってターゲットを弱らせていた。彼にとって拷問とは、それだけの労力を払う価値のある趣味である。
一つ一つ丁寧に血糊を拭き取り、磨き上げた器具たちをツールカートの上に整然と並べていく。彼にとってそれは、美しい音色を響かせるピアノの鍵盤に等しかった。
「ちょっと、ヤモリィ。少しは幹部会議に顔くらい出しなさいよ」
最後の一本を並べ終えたところでプレイルームに一人の男が入って来る。趣味の時間を何よりも大事にするヤモリにとって、この部屋は神聖な場所だ。部下であろうと許可なく立ち入ることは許さない。
にもかかわらず現れた男はニコというアオギリの幹部だった。ヤモリに惚れ込み、それだけの理由でアオギリに入ったオカマ喰種である。
彼らアオギリの樹は現在、11区に本拠地を置き活動を続けていた。烏賊駆逐戦の騒動後、幹部を中心とする主力部隊が11区のCCG支局を制圧していた。各区の対応に追われていたCCGは態勢を立て直す間もなく防衛設備を明け渡す結果となった。
「あなた、最近はずっとこの部屋に入り浸ってるじゃない。そんなに新しいオモチャがお気に召したのかしら。ジェラスだわ」
「別に僕がいなくても大して変わらないでしょ。会議の内容はニコが教えてくれるし」
今日の会議で話し合われた議題は、アオギリの樹に続いて新たに発足した喰種組織『イカイカ団』についてであった。
「イカイカ団て……ニコのネーミングセンス死んでない?」
「あたしがつけたんじゃないわよ! 向こうが自分からそう名乗ってるの」
わずか三名で構成されたその集まりは組織と呼ぶには大げさだが、戦力は軽視できるものではなかった。
『24区の王』イカコ、『白い死神』アリマ、『元アオギリ幹部』アヤトの三人は既存の喰種とは大きく生態が異なる新種として、これまでの長きにわたる人間対喰種の争いに一石を投じようとしている。
とりわけ巨大極まりない赫者形態を有するイカコの実力の一端は、先の11区戦においてアオギリの樹も目撃していた。
さらに最強の捜査官としてその名を知られた有馬貴将を食らい、殺すどころか種族ごと変化させて仲間にしてしまったという。
イカイカ団はアオギリの樹との会談を打診し、それに応じてタタラが出向いていた。幹部の中でも一二を争う実力者と目される彼が敵地に単身で乗り込んでいた。
そして今日、無事に帰還したタタラから幹部たちに会談の内容について説明が行われたのだった。
「ひとまず停戦協定を結んできたみたいだけど、近いうちに破られるでしょうね」
「交渉決裂ってわけ? タタラさんならその場しのぎの協定なんか結ばず始末をつけてきそうなものだけど」
「それだけ警戒してるってことでしょ。なにせ相手はあの有馬……姿かたちはかなり変わってたみたいだけど、間違いなく本人だったそうよ」
タタラはイカイカ団をアオギリに引き入れるつもりで会談に臨んでいた。しかし、話し合いの結果は『停戦協定』で終わっている。両者の主張が交わることはなかったのだ。
「そのイカイカ団の方針だけど、これが面白いのよ。『人間と喰種の共存』らしいわ」
ニコの突拍子もない発言に、ヤモリは目を丸くした。そして心底おかしそうに腹を抱えて笑う。
その陰で、布袋をかぶせられた男がわずかに体を動かしたように見えた。
「傑作だ! 狼と羊の群れをどうやって仲良くさせるんだい?」
「向こうも色々と手を考えてるらしいけど、何にせよあたしらとは組織としての方向性が違いすぎるわね」
アオギリの樹は人間と喰種の関係は支配によってしか平定できないと考える。これまでは人間が喰種を支配してきた。その既存の支配構造を力によって破壊することを第一の目的としていた。
たとえこれまでになかったような画期的代案が提示されたとしても、もはや抑圧された喰種たちの怒りを止めることはできない。数百年もの間、溜め込まれ続けた憎悪の原動力は殺戮をもって鎮めることしかできないのだ。
「まあ、あたしはそういう敵同士が手を取り合うラブにあふれた未来もありっちゃありと思うわよ。できるかどうかは別として」
「無理に決まってるじゃん。誰か賛同する奴が一人でもいたの?」
「いないわね。でもそういえば、意外だったのはエトちゃんの反応よ」
いつもは何か発言をするでもなく、ただ置物のように座っているだけの少女である。マスクはしていないが、全身を包帯でぐるぐる巻きにしている彼女の素性は幹部の中でも特に謎だった。
だが今日に限ってはタタラの話が始まってからというものの不機嫌そうな気配がにじみ出ていたという。はっきりと何か不満を述べたわけではないが、ニコはその微妙な違いを感じ取っていた。オンナの勘である。
「ふーん」
ヤモリは興味なさそうに相槌を打つ。その手には注射器が握られていた。喰種にとっては鼻が曲がるような異臭を放つその薬液はRc抑制剤だ。
彼の意識は既にニコとの話ではなく、大好きな趣味の方へと傾いている。楽しい遊戯の時間が始まろうとしていた。
「さて、おまたせ。おくすりの時間だよ」
頭をすっぽりと覆っていた袋が引きはがされる。中から出て来たのは白髪だった。その色とはちぐはぐな若い青年の表情は恐怖と狂気に歪んでいる。
「今日もいっぱいさんすうのお勉強しようね、カネキくん」
* * *
11区を塗りつぶした黒い海は雨に洗い流され、悪い夢のように一夜明ければ元の景観を取り戻していた。避難していた人々は元の生活に戻りつつある。
現在、11区は表面上の平穏が保たれているが、その水面下ではアオギリの樹と本部の捜査官たちが鎬を削る激戦区となっている。もともと暮らしていた喰種たちが戻れる環境ではなかった。
万丈をリーダーとする11区の喰種たちは何とか生き延びることができている。11区から逃げ出したあの夜、増員された捜査官に仲間を殺されながらも、全滅だけは免れていた。
一刻も早く逃げなければならない状況の中、万丈一味だけは最後の仲間の救出に向かう。彼らはイカちゃんのもとへ駆けつけていた。不思議と粘液は彼らの移動を妨げなかった。
赫者化が解け、気絶していたイカちゃんと見知らぬイカ2名を発見した万丈たちは、意識不明者を抱えてようやく逃走するに至る。もしあと少しでも救助が遅れていれば、イカちゃんたちはCCGかアオギリか、どちらかに見つかっていただろう。
万丈らは居場所を転々としながら、現在は地下道を経由して比較的安全な地域である6区まで逃れてきていた。
「万丈さん! 来ました、ハトです!」
その隠れ家に近づく複数の不穏な影。喰種の天敵と呼ぶべき人間たちが迫っていた。彼らは気配を隠すことなく堂々と現れる。
それに対し、固唾をのんで待ち構える万丈たちだったが、逃げ出すことはなかった。彼らが来ることは事前に知らされている。
「CCG捜査官の平子丈だ」
隊を率いているのは平子上等捜査官である。その他に三人いるが、彼らはかつて有馬が隊長を務めた0番隊と呼ばれるS3班のメンバーだった。