平子はかつてはS3班に属し、有馬のパートナーとして手ほどきを受けている。有馬の願いを知る数少ない理解者だった。
この場に集まった人間は皆、有馬の本心を打ち明けられ、それでもなお付き従うことを心に決めた者たちである。それはCCG、ひいては和修への反逆を意味している。
平子は普通の人間だが、他の0番隊の面々は有馬と同じ『半人間』だった。有馬に忠誠を誓う0番隊は秘密裡にイカイカ団とコンタクトを取り、今日こうしてはせ参じた次第だった。
烏賊駆逐戦の終息後、有馬の死体は発見されていなかった。烏賊に捕食されてしまえば骨すら残らないものと思われ、名目上は行方不明となっていたが、局内において死亡は確実視されていた。
しかし0番隊はわずかな可能性を信じ、有馬の捜索を続けていた。それは死という現実を受け入れられない逃避の感情も多分に含まれてはいたが、無駄ではなかった。
現実に、有馬が生きている可能性が浮上した。その真偽を見極めるべく、彼らはここへ来ている。当然、CCGの本局には黙って抜け出してきていた。
「見ての通り、クインケは持ってきていない。我々はただ事実をこの眼で確かめたいだけだ」
事前にコンタクトを取りはしたが互いの立場上、非常に限られた情報のやり取りしかできなかった。一抹の不安を拭いきれずにいる中、隠れ家の奥から小さな人影が姿を現す。
一目見てそれが人間ではないことがわかった。デフォルメされたキャラクターのような頭身、ゲソ状の髪、目の周りの黒い模様、身体は波間に漂うようにゆらゆらと揺れている。平子以外の0番隊は24区でこれと同種の喰種を既に目にしていた。
見た目からして性別は判断できた。一人は長いゲソ髪を持つ女性型の喰種だ。学校の女子生徒のような格好をしていた。おどおどしている。
男性型は二人いた。黒色の髪の喰種は、どこか斜に構えたような雰囲気で腕を組んで立っていた。警戒心を含んだ視線を平子たちに向けている。
そしてもう一人。平子は、眼鏡をかけた白い髪を持つ喰種と目が合う。その何を映しているのかよくわからない瞳を見た平子は確信した。
「有馬さん」
二人は互いに歩み寄るが、言葉を交わすことはなかった。有馬は以前のように話すことができなくなっている。しばしの沈黙が続く中、平子は静かにひざまずき有馬の体を抱きしめた。
姿は大きく変わってしまったが確かに有馬は生きていた。平子にとっては、ただそれだけで救われたように感じた。表情こそ変わらなかったが、目頭に熱いものがこみ上げていた。
「有馬さん! 良かった、本当に良かった……!」
「今度ばかりはマジで心配しましたよ」
『すまない。迷惑をかけた』
しゃべれないため有馬はノートに言葉を書いて意思を伝える。
『そしてこれから先も、どのような形であれお前たちには迷惑をかけるだろう。本当に未練はないか?』
有馬は自分の意思で生きることを決めた。生きてやらなければならないことがあると思えた。人と喰種が殺し合うことのない世界を作るという目的があった。
殺したくなかったからという消極的な理由ではなく、今度こそ自分の意思で、自分の手で願いを叶えると誓ったのだ。
決められた台本通りの人生は終わった。この先は、有馬にも読むことはできない。多くの困難と失敗が待ち受けているだろう。それでも諦める必要はどこにもない。
しかしそのあまりに壮大な目標は、彼一人の力だけで成し遂げられるものではなかった。人間も喰種も、いずれ多くの者たちを巻き込み、社会全体を動かさなければならないことだ。
だからまずは最も信頼できる者たちに声をかけることにした。その上で、無理強いをするつもりはない。
「嫌ならここに来てません」
「当たり前じゃないですか。有馬さんがいるならどこにだってついて行きますよ」
0番隊にとっては愚問だった。これまでの生活を捨て、全てを敵に回すこともいとわない覚悟があった。まだCCG内に身を置くこともできるが、いずれ決定的に決別するときが来る。
和修の秘密を知る彼らをVは野放しにはしない。これまでの歴史の中でも和修に歯向かう者たちはいた。そしてその全てが世に知られることなく抹殺されている。あらゆる手段を講じて裏切り者を処分しようとするだろう。
それを承知の上で彼らはここにいる。盲目的に有馬に従うだけではなく、彼らもまた歪められた真実の中で無意味に消えていく自分たちの存在に疑問を抱き、必死に生き足掻こうとしていた。
その覚悟をこれ以上問いただすことはむしろ侮辱となるだろうと有馬は思い直した。平子に両脇を猫のように抱えられ、でろんとぶら下がった有馬は改めて皆に助力を乞う。
「いつまで抱っこしてるんですか、タケさん」
「なんか思った以上にぷにぷにで、つい……」
0番隊が感動の再会を果たしているところに一人の喰種が近づく。面白いあごひげを生やしたいかつい顔の巨漢、万丈である。イカちゃんはその後ろにくっついて万丈のズボンの端を握っている。
「一応、この集まりのリーダーをやってる万丈だ」
「そうか。有馬さんを保護してくれたこと、感謝する」
「まあ成り行き上、助けただけだ。あのときはまさか、こんなことになるとは思わなかったからな」
イカちゃんのついでに助けたイカがまさか自分たちの天敵だったとは思いもしなかった。しかし、捜査官だった頃の有馬と今の彼は違う。有馬は言葉がうまく話せないながらも、なんとか万丈たちに自分のやりたいことを伝えていた。
万丈はその意思に共感を示した。彼らは生きるために人を殺すしかなかった。その上で共存を求めるなどおこがましいことかもしれないが、全ての喰種が人間との争いを望んでいるわけではない。
ちなみにイカイカ団という団体名は万丈がつけた。それにOKを出した有馬も有馬だが。
「しかし悪いが、俺たちにできるのはここまでだ。お前たちに協力したいのはやまやまだが……」
「いや、十分すぎるほどやってくれた。今後のイカイカ団の活動は我々が引き継ぐ」
万丈にはリーダーとしての責務がある。彼が引き連れる者たちは人間との共存という大きな目標よりも、明日の生活を気にかける普通の喰種たちだ。彼らを巻き込むわけにはいかない。戦力的にも万丈たちでは役に立たないという自覚があった。
今の社会は人間を中心に動いている。喰種は駆逐されるべき害獣でしかない。これまでになかった新種の生物が共存を訴えたとてどこまで人々が耳を傾けてくれるかわからないが、その輪の中に在来の喰種が混ざっていれば世間はより厳しい目を向けてくるだろう。万丈は身を引くことに決めていた。
「俺はいつか、お前の夢見た世界が実現すると信じてるぜ、アリマ」
万丈と有馬は握手を交わした。この手と手のように、種族を超えて分かり合える未来は必ずあると有馬も信じている。
「アヤト! イカ子のこと頼んだぜ」
呼ばれた霧島絢都はうっとうしそうにそっぽを向く。相変わらず不愛想だったが、本当に嫌がっているわけではなかった。
インクリング化したアヤトは当初、大きく変化した自分の肉体に戸惑ったものの、身長が縮んだこと以外はすぐに受け入れた。死んでもおかしくなかった状態から命だけは助かったのだから贅沢を言うつもりはなかった。身長のこと以外は。
その身体能力にも順応しており、『赫子』と『ブキ』を融合させた新たな力も自分のものとしている。その強さはまだ途上にあり、これからも成長していくことだろう。
もともとアヤトはイカイカ団に所属する気はさらさらなかった。すぐにでも出て行こうとしていた彼を引き留めたのは有馬だった。
アヤトの言葉がなければ有馬は生きることを諦め、イカちゃんに吸収されていた。その礼を伝え、そしてアヤトにもイカイカ団に入ってもらえないか協力を申し出たのだった。
頼まれたからと言ってすんなりと引き受けるような性格をしていないアヤトが了承するわけもなかったのだが、それを強引に押しとどめたのがイカちゃんである。
有馬との戦いの後、気絶から目覚めたイカちゃんは自分の同族であるインクリングが他にもいることに気づき、それはそれは喜んだ。イカちゃん本人がインクリング化させたわけだが、無意識のうちにやったことであり自覚はなかった。
大はしゃぎしていたイカちゃんだったが、アヤトがここを去ろうとしていることに気づいて一転、泣きわめいて引き留めたのだった。それだけ自分と同じ境遇の仲間に出会えたことが嬉しかったのだ。
最終的にイカちゃんが赫者化しかけたためアヤトは逃げられず、執拗な有馬の勧誘もあってついに折れた。なし崩し的にイカイカ団に居続けることになる。
しかし、態度こそ嫌々ながら従っているようだったが、それほど現状を嘆いているわけではない。ここを出て行ったからと言ってアヤトは他にやりたいこともなかった。
以前の彼はアオギリの樹の思想に傾倒していたが、有馬から聞かされた世界の真実を知った今となっては執着もなくなっていた。毒を食らわば皿までと、アヤトはしばらくこの集まりに身を置くことにした。
「イカ子。もうそろそろお別れの時間だ」
「ミャ~ン……」
イカちゃんは万丈のズボンを掴んだまま離れようとしなかった。
「お前がいなくなるのは俺もさびしいけど、自分で決めたことだろ?」
イカちゃんは有馬から世界の現状について説明を受けていた。言葉が伝わらないイカちゃんに対し、有馬は絵などを使って根気強く説明した。まだ完全に理解したわけではないが、おおよその情勢はつかんでいる。
その上でイカイカ団の一員となることを自分の意思で決めたのだった。ここで万丈たちと別れなければならないこともわかっていた。
「もう永遠に会えなくなるってわけじゃねぇ。同じ街に住んでるんだ。生きてりゃまたそのうち会えるさ」
「そうッスね。俺たちも、またイカ子と会える日を楽しみに待ってるよ」
万丈一味は明るい表情でイカちゃんを送り出した。これ以上ぐずることはできないと、イカちゃんはようやく万丈のそばを離れる。
そして、いきなり歌を歌い始めた。別れの思い出にと、イカちゃんは歌を贈ることにしたのだ。曲は『シオカラ節』である。
「よし、俺らも一緒に歌うか!」
イカちゃんの口から紡がれる、ほにゃらかした不思議な抑揚が響き渡った。万丈たちに歌詞はさっぱりわからないが、皆がそのメロディーに合わせて思い思いに声を合わせた。
インクリングにとってこの曲は、老若男女問わず聞けばテンションあがりまくりのソウルソングである。有馬はその衝動のままにキレキレのダンスを披露していた(顔は無表情)。
アヤトは憮然としたままだったが体は正直だったのか、ゲソ髪だけはリズムに合わせてゆらゆらしていた。
喰種、人間、インクリング。異なる種族であっても伝わる思いはある。いつの日か、この光景が当たり前のように受け入れられる世界を目指し、イカイカ団は新たな一歩を踏み出そうとしていた。
* * *
人間と喰種の争いの根底には種としての生態がある。人を喰わねば生きていけない喰種が人類の敵とされることは仕方がなかった。有馬たちは、その呪われた生態に終止符を打つ一手を探していた。
その希望はインクリングにあった。インクリングの半喰種は人間を食べずとも他の食料から生きていくための栄養を得ることができた。
イカたちは当然ながらもともと喰種のような食性を持っていない。Rc細胞に似た性質を持つインクについても、近似種の生物を捕食せずとも別の栄養素から体内で合成することができた。
イカちゃんはこれまでずっと喰種や人間を食べており、人肉を美味と感じる味覚に変化してしまったことは確かだが、実は他の食べ物を食べることもできたのだ。地下では他に食料がなかったためやむを得ず、また地上では万丈らが人肉以外のものを食べさせなかったため気づいていなかった。
有馬はこの発達した自己合成能力に活路があると見ていた。極論を言えばイカちゃんを使って全ての喰種をインクリング化するという一手も案としては検討していた。
そこまで行かずとも、インクリングの生態情報を解析することでRc細胞の研究分野に大きな影響を与えることができるかもしれない。Rc細胞の人工培養などこれまでは不可能とされてきた技術に応用できるのではないか。
いずれにしても、その道のりは険しい。人間と喰種の新しい関係を築くためには時間がかかる。それを阻止しようと動く者たちも多く存在する。
仮に全ての問題が解決されたとしてもうまくいく保証はない。同じ人間同士であっても、ただ肌の色が違うというだけで差別は生まれる。異なる種族が共存することはそれを遥かに上回る困難を伴うだろう。
それでも、何もせずただ見ているだけではこれまでと同じ歴史を繰り返すだけだ。変えるためには誰かが立ち上がらなければならない。
イカイカ団の結成から5年の月日が流れた。そのわずかな期間のうちに東京は変わった。それは変革と言うより混沌と称するにふさわしい状態だった。