イカちゃんが万丈に拾われてから早数か月が経った。万丈は11区のリーダーとなっていた。
前リーダーだったハギは死んだ。ハギの注意を無視したリゼの大量捕食によってCCGは11区の捜査体制を大幅に強化。これにより担当捜査官が本部より増員され、隠れ潜んでいた多くの喰種が駆除された。
親しくしていた仲間を殺され、ハギは怒り心頭で原因を生み出したリゼを襲撃したが、返り討ちに遭って殺された。そのとき一緒にハギの側近たちも屠られてしまったので、11区における旧統治体制は完全に崩壊する。
当のリゼはと言うと、我関せずとばかりに他区へ移住してしまった。そのとき万丈に新しいリーダーとなるよう薦めたのは彼女である。
リゼからすれば、たまたまその場に居合わせた万丈に面倒を押し付けようとしただけのことだったが、万丈はこれをリゼから託された試練と受け止めた。
はっきり言って今回の一件において誰が一番悪いかと言えばリゼであり、それは万丈も理解していた。しかし、人を喰わずにはいられないのが喰種のさがだ。普通の喰種であれば一人で腹が満たされるところ、リゼは十人もそれ以上も必要だった。
惚れた男の弱みである。万丈はリゼをかばい、その期待に応えるべくリーダーという大役を引き受けた。
歴代のリーダーたちと比べれば万丈は最弱の喰種だったが、ハギの統治に嫌気が差していた他の喰種はそれほど批判の声もあげなかった。他に名乗りをあげる者がいなかったという理由もある。
今の11区の現状を考えれば貧乏くじと言わざるを得ない。何か事件を起こせばすぐに捜査官が飛んでくる警戒態勢が敷かれている。まともに狩りをすることもできない。
「いつまでこんな状況が続くんだ!」
「腹が減った……ニク……ニク……」
既に多くの犠牲者が出ている。家族や友人を殺された喰種には復讐に駆られて捜査官に挑もうとする者もいた。万丈は必死に説得して彼らを押しとどめている。
もともとこの地区の警備を担当している局員捜査官程度であればまだ何とかなる。彼らの装備はQバレットと呼ばれる赫子を溶かして作った銃弾だ。危険ではあるが、数人で袋叩きにすれば対処できる。
だが、本部から派遣された喰種捜査官はキャリアも装備も別格だ。クインケの所持を許可された喰種の死刑執行人である。出遭えばまず助からない。
仮に運よく倒すことができたとしても、そうなればこの地区の危険度はさらに高く設定され、もっと多くの捜査官が本部からやって来ることになる。警戒態勢の解除も先延ばしになる。息を潜めてほとぼりが冷めるのを待つしかなった。
「堪えてくれ! 今は堪え忍ぶしかない!」
住処を捨てて他区へ移った喰種もたくさんいる。移住した喰種が新たに生活基盤を築き上げるまでには時間がかかる。他所には他所の喰場があり、流れ者は肩身の狭い思いをしなければならない。全ての喰種がリゼのように振舞えるわけではなかった。
それでも今の11区よりはマシだ。今は一時的に他所に移り、警戒態勢が解かれれば戻って来ようと考えている者が多かった。残されたのは本当に行き場のない弱い喰種たちだけだ。
現状ではハギが貯蔵していた食料を少しずつ配給しているが、その貯えも限界が見え始めていた。依然として捜査官たちが手を緩める気配はない。辛抱できなくなった喰種が顔を出すのを待っているのだ。
「もうこの区はおしまいだ。俺たちみんな殺されるんだ……」
「諦めるんじゃねぇ。何とかなる。何とかしてみせる」
だが、万丈は希望を捨てず仲間を励まし続けた。時にはリーダーとして責任を取れと非難を受けることもあった。万丈に非はないとわかっていてもどこかに怒りをぶつけずにはいられない精神状態に追い込まれている。
その非難に、万丈は頭を下げて謝った。それは力強く群れを率いる従来のリーダーの姿ではなかった。万丈は赫子も出せず、戦う力に欠けた喰種だ。
だからこそ弱者の意見に寄り添い、同じ目線に立つことができた。同じ苦境を分かち合うことができた。いつしか信頼を集めた万丈は本当の意味で11区のリーダーとして認められるようになっていた。
この世の終わりのような絶望感は漂っているが、こんなことは今までも喰種の歴史の中で幾度となく繰り返してきたことだ。喰種と人間の攻防は遥か昔から続いている。
今に始まったことではない。何度駆逐されようと喰種は絶えず命をつないできた。過去にも乗り越えてきた試練である。今度もきっと乗り越えられる。そう信じて結束を高めた。その矢先のことだった。
「リーダー、大変だ! ハトと派手に戦ってる喰種がいる!」
「なんだと!?」
それは自分たちの仲間ではなかった。どこからか現れた喰種たちが捜査官を相手に戦いを仕掛けているという。他所の区からやって来たことだけは間違いない。
その喰種たちは全員が同じドクロのマスクをつけていた。何らかの集団を成しているものと思われるが、正体も目的も全くの不明だった。
何にしてもやめさせなければならなかった。ここで鎮静化しかけてきた火種を再燃させられてはこれまでの苦労が水の泡となる。
万丈は戦える者を引き連れて現場へ向かった。子供や非力な者たちは安全な場所に残してきた。その中にはイカちゃんも含まれている。
イカちゃんが強力な赫子を使えることは聞いていた万丈だったが、彼にとってイカちゃんはまだ保護すべき子供だった。言葉も通じず、事情もわからないであろう少女を戦場に連れて行くわけにはいかない。
現場へと急行した万丈たちは凄惨な光景を目の当たりにする。まるで人目をはばかることなく戦闘を繰り広げていた。
「何をやっている!? やめろ!」
既に捜査官と思われる人間は息絶えていた。四肢を引き裂かれ、無惨に拷問された形跡がある。最大の敗因は数の差だろう。集まった喰種たちは捜査官一人に処理できる数を優に超えていた。
ただし、喰種側も被害が出ていないわけではない。捜査官に殺された者が何人かいるようだった。だが、犠牲者の死を嘆く喰種は一人もいなかった。
全く気にする様子もなく仲間の死体を放置している。その異様な光景に息をのむ万丈たちへ、ドクロマスクの集団の一人が言葉を投げかけた。
「11区の喰種か? 我々は『アオギリの樹』だ。お前たちを救いに来た。見ろ、憎きハトを殺してやったぞ。もう少し早く来れば無様な死にざまを見せてやれたのだがな」
「余計な世話だ! 一人や二人ハトを殺したところでそれが何になる!? 自分たちの首を絞めるだけだとわからねぇのか!」
「おお! なんということだ! 命を賭して戦った我々を責めるとは恩知らずにもほどがある。これは粛清する必要があるな……」
『アオギリ』はケタケタと狂い笑う。彼らの標的は捜査官から万丈たちへと移っていた。人間も喰種も関係ない。逆らう者には容赦なく鉄槌を下す。
その戦意を感じ取った万丈らは、これ以上話し合いの余地がないことを悟る。万丈は、この区のリーダーとして戦う道を選んだ。
事態を終息させるにはアオギリの樹を黙らせる他にない。その数は多く、中には戦闘力の高い個体もいるだろう。正面からぶつかれば万丈たちも無事では済まない。
それでもここで退くわけにはいかなかった。この狂人集団の言いなりになるわけにはいかない。後ろに残して来た者たちのためにも踏ん張らなければならない。
雄たけびをあげて万丈らは突撃した。彼らはまだ『アオギリ』の全容を知らない。ここにいる構成員の数は、その氷山の一角に過ぎないことを。
その幹部たちの強さが軒並みSレートを超えていることを。
そしてもう一つ、万丈らが知り得ない情報がある。安全地帯に置いて来たはずのイカちゃんが外へと抜け出していた。
出陣する万丈たちの様子にいつもと違う気配を感じたからだ。言葉はわからないが、わからないからこそわずかな雰囲気の違いに敏感だった。
何かただならぬことが起きているのではないかと感じたイカちゃんは、血の臭いを頼りに万丈の後を追っていた。
* * *
戦闘はあっけなく終了した。11区の残りかすのような戦力では太刀打ちできず、万丈たちは敗北を喫した。アオギリの構成員は、ボスから喰種は殺すなと命令されていたため万丈らはまだ生かされていた。
「くそっ、このガキども……暴れやがって!」
11区の戦力において最も奮闘した者は万丈一味の三人組だった。巧みな連携で敵を翻弄するも、戦局を覆すには至らず。苛立ったアオギリの戦闘員によりリンチを加えられようとしていた。それをかばうように万丈が身を乗り出す。
「ぐあっ!」
「万丈さん!」
その仕打ちに敗者は黙して堪えるしかない。万丈はひたすらに己の弱さを恨んでいた。仲間の一人も守り切れない情けなさに、ただ憤っていた。
蹴られながらうずくまる万丈のもとに一つの足音が近づいてくる。そこでリンチは終わった。恐る恐る顔を上げた万丈の目の前には一人の男が立っていた。
「遅ぇ。いつまで遊んでんだよ」
「す、すみませんボス……」
まだ少年と呼べるくらいのあどけなさが残る男だったが、その殺気は刺すように剣呑だった。それまで息巻いていた戦闘員が皆、尻尾を丸めた犬のように押し黙る。
万丈はこの男がアオギリのトップかと思ったが、彼は幹部の一人である。その名は霧島絢都と言った。
霧島はまだCCGからマークされていない喰種であり、現段階ではレートも定まっていない。だが、それは彼が弱いからという理由では当然なかった。
強い喰種ほど殺人に遊びが入り、現場に残した赫子の痕跡をたどられやすいものだが、彼の場合は他の喰種と比べれば殺し方が綺麗だった。
万丈は痛む体を起こした。くちゃくちゃと“ガム”を噛みながら見下ろす霧島の前に這いつくばる。その体勢は土下座だった。
「そっちの目的は知らねぇが……盾突いたことは謝る! 俺はこの11区のリーダーだ! 全ての責任は俺にある! だから……他の奴らのことは見逃してやってくれ!」
もう万丈にできることはこれしかなかった。決死の謝罪。それを見た霧島は片足をあげると万丈の後頭部を踏みつけ、思いっきり地面に叩きつけた。
「万丈さん!!」
「その弱さでリーダー? 笑わせんな。本当に仲間を助けたいんならくだらないかばい立てなんかせず、本当のリーダーがどこにいるか言え」
「お、おれが、リーダー、だ……」
霧島の脚は徐々に踏みつける力を増し、万丈の頭蓋骨に圧力を加えていく。
「ほ、本当だ! その人がこの区のリーダーなんだ!」
「嘘じゃない!」
万丈の仲間たちが声をあげた。その反応は万丈に責任を押し付けるためではなく、このままでは彼が殺されてしまうという焦りからくるものであることが表情からわかった。
「……マジで言ってんのか?」
霧島は心底驚いたような顔をして足をどけた。しかし、だんだんとその表情は不機嫌そうに変わっていく。
「『アオギリ(オレら)』の目的を教えてやる」
アオギリの樹の理念とは『強者による支配』である。強者とは喰種だ。全ての人間にその真理を知らしめるため行動する。逆らう者は力によって排除する。
目下、最大の敵はCCGだ。ここさえ落とせばこの地は喰種の天下となる。もはや飢えに苦しむことはない喰種の楽園だ。人間にとっては地獄だろう。それがこの組織の“表向き”の目的だ。
機は熟した。水面下で少しずつ強力な喰種たちを集めていた組織はついに動き始める。反乱の狼煙はこの11区であげられることとなった。まずはここを拠点とし、各地の喰種を仲間に引き入れながら隣接する区に進攻の手を広げていく計画である。
「む、無理だ……そんなことできるわけがない……」
「ああ、無理だろうな。お前らみたいなゴミどもじゃ」
アオギリの樹が掲げる支配とは人間に対してのみ向けられるものではない。支配者は強者でなければならず、弱い喰種は支配の対象である。
11区の喰種も組織に取り込む予定だった。最初から選択権はない。戦闘員として使えるだけの力がなければ雑用を与えられるだろう。それすら拒むようであれば命の保障はない。
あまりにも偏った過激な思想だが、抑圧されてきた喰種たちにとっては輝かしく見えた。旧来の生温いやり方では現状を打破できない。幸福をつかみ取るためには犠牲が必要だと。
霧島は万丈の首を掴み、引き上げた。親切ではない。片腕の力だけで92キロもある万丈の巨体をつるし上げる。
優れた赫包を持つ喰種はそれだけ体内のRc濃度が高く、爆発的な身体能力を叩き出す。細身の肉体だろうと凄まじい膂力を発揮できる。
「俺はな、お前みたいな偽善野郎が死ぬほど嫌いなんだ。誰かのためとか、自分が犠牲になればとか考える奴ほど周りから見れば身勝手この上ない」
「ぐ、が、が」
「現実は。弱ければ奪われる。何も守れやしない。ただそれだけだ。弱者がどうあがいたところで無駄なんだよ。今のお前みたいになぁ!」
霧島が力を込める。殺す気はないが死んでも構わないと思う程度には威力が込められた一撃が、万丈の体に突き刺さろうとしていた。
「パンチョイミィィィィィ!!」
それは聞いたこともない奇妙な音だった。人間には発声不可能な鳴き声である。霧島が目を向けた先には巨大な武器を構える子供の姿があった。
マスクをかぶっていることから喰種のようにも見えるが、所持している武器は一見してクインケを思わせる。喰種か、それともCCGの人間か判別がつかない。
距離は30メートルほど離れていた。その位置から武器を構えて狙いをつけているということは遠距離攻撃が可能であると予想がつく。霧島は即座に万丈を捨て、赫子を発現させた。
何とかここまでたどり着いたイカちゃんだったが、ズタボロにされた万丈の姿を見て思わず叫び声をあげてしまった。ハイドラントを撃つには長いチャージタイムが必要だ。フルチャージなら2秒以上もかかる。
接近戦では圧倒的に不利なブキである。できれば距離の優位を保ちたいが、焦ってチャージタイムを削れば連続射撃時間がかなり落ちてしまう。
万丈を盾にされなかった点は助かった。ナワバリバトルとは違ってここではフレンドリーファイアが起こり得る。もし盾にされていれば迂闊に撃てないところだった。
あとはチャージタイムを稼いでギリギリまで敵を引き寄せる。半チャージで撃つなら的を正確に狙い撃つ射撃技術が求められる。イカちゃんはチャージしながら呼吸を整えた。
次の瞬間、敵はイカちゃんの背後にいた。
「ピャ――!」
そのトリックは至極単純である。敵の動きが速すぎてイカちゃんの目ではとらえきれなかった。そして気づいた時には霧島の攻撃は終わっていた。
ばっさりと肩口から胸にかけて切り裂かれたイカちゃんは、体内のインクをぶちまけながら倒れ込んだ。ハイドラントが鈍い音を立てて地面を転がる。
「い、イカ子ォォォォ!!」
霧島の赫子のタイプは『羽赫』である。両肩部から発現した赫子は翼のような形を取る。これは圧縮されたガス状Rc細胞の集合体であり、その細胞片を射出することで長射程の攻撃を可能とする。
また、飛び道具として使うことだけが能ではない。その噴出の威力を利用して超高速の機動力を得る。喰種の高い身体能力がジェットエンジンのごとき推進力によりさらに加速される。
空を駆けた霧島は一瞬にしてイカちゃんに接近し、すれ違いざまに攻撃を加えていた。イカちゃんの体は全身がどろどろに溶け出し、地表を流れていく。
「なんだこの生きものは……」
クインケらしき武器を警戒して速攻で仕留めにかかった霧島だったが、まだ殺すつもりはなかった。しかし予想以上に脆く、うっかり殺してしまった。
結局、その正体は喰種だったのかどうかも不明のままだ。霧島は後味の悪い気分を抱えながら、その場を立ち去ろうとした。そのときのことだった。
ごぽごぽとインクが沸騰するように泡立ち始める。無数の気泡のように見えるそれは分裂し、増殖を始めた細胞だった。
赫子が噴き出す。巨大なゲソが霧島に襲い掛かった。死んだかに思われた敵から放たれたこの攻撃を前にしても彼に動揺はなかった。
同じようなことができるノロというアオギリの幹部を知っていたからだ。落ち着いて迫り来る触手をかわす。
巨大かつ高速の一撃であったが、霧島のスピードであれば回避できないことはない。しかしその直後、矢継ぎ早に次の赫子が飛び出してくる。
2本目の赫子もかわした。だが、間髪を容れずに3本目が来る。それもかわす。次が来る。かわす。次。
「コイツ……いったい何本の赫子を……!?」
7本目にしてついに限界を迎える。霧島の体はいくつもの触手により拘束されてしまった。
アヤト「くっ、殺せ……」