「まるで怪獣映画ですね、丸手さん」
「なら映画館で観たかった」
前線から離れた対策局11区支部では現場の指揮を担当する捜査官たちが対応に追われていた。
彼らは対策Ⅱ課と呼ばれ、特に大規模な任務にあたっては最前線で戦うⅠ課捜査官のため作戦の立案や指揮と言ったサポートを行う。CCGの中でも頭脳派のエリートが集まる部署である。
裏方だからと言って戦闘の素人では務まらない。指揮能力のみならず実戦経験を含め、捜査指揮に関わる人間ともなれば相応の資質が要求される。
今回の任務において急遽本部から十数名のⅡ課捜査官が11区へ派遣されているが、中でも特筆すべきは指揮官を務める丸手斎特等とその相方、馬淵活也一等だろう。
「ああ~、生きてるを実感んん~」
馬淵は変態的な表情でいくつものモニター映像を同時解析していた。下級捜査官ながら、その突出した戦況の分析力と判断能力を買われ、丸手の右腕として重用されている。
馬淵は烏賊の行動パターンを解析し、人員に的確な移動指示を与えることで包囲網を維持している。だが、それは烏賊の駆逐という当初の目的を果たす抜本的な解決法にはならない。
これだけ派手に暴れ回れば消耗も激しく、赫者の活動時間もそう長くは続かないのではないかとも思った。弱り始めるまで待つ作戦も考えはした。
だが、喰種にとって消耗することは腹を空かせることと同じだ。空腹を感じた烏賊がこのままおとなしく生け簀の中を回遊し続ける保証はどこにもない。
「民間人の避難、ほぼ9割近く完了しました」
「朗報だな。ついでに烏賊をぶち殺す方法も思いつけば言うことなしだ」
田中丸特等の猛攻もむなしく、反撃にあってヘリは爆散。これを機に烏賊はヘリや戦闘機に警戒を払うようになり、遠方から飛行音がしただけで体液弾を発射してくるようになってしまった。
これにより陸路からも空路からも敵へ接近することは格段に難しくなっている。
「だが、それだけ嫌がるってことは敵にとっても有効な攻撃なんだ。同族同士で潰し合うことが遺伝子に刻まれている奴らにとって、赫子こそ最も殺傷能力の高い武器となる」
銃弾すら弾き返す皮膚を持つ喰種であっても、赫子による攻撃を受ければ容易に傷つく。互いのRc細胞が干渉し合い、毒素のように細胞の構成を蝕むからだ。
だからこそクインケは喰種の脅威となる。だからこそ喰種はクインケの使い手たる捜査官を恐れる。しかし、果たしてこの現状を打破できる捜査官が存在するだろうか。丸手の脳裏には一人だけ心当たりがあった。
それは全く根拠のない憶測でしかなく、普通に考えれば人間一人の力でどうにかできる事態ではないことは明白なのだが、その一方で“あの男ならば”という淡い期待を抱かずにはいられない。
「有馬はまだ来んのか!? いつまで地下に潜っているつもりだ!」
最強の捜査官とは誰か。CCGに身を置く者の多くが、その問いに対し一人の男を思い浮かべるだろう。
有馬貴将特等捜査官。死と隣り合わせの喰種捜査において不敗神話を持つ生ける伝説である。死神と称されるその戦闘力は、身内にすら畏怖の感情を想起させる。
SSSレート喰種捜査を担当するS3班の隊長であり、本来であれば真っ先に現場へ急行しなければならない立場なのだが、到着が遅れていた。
この遅れについては今回に限った話ではない。重要かつ危険度の高い任務に従事するS3班は本部を出払っていることが多く、緊急招集に応じることができない状況がこれまでにもあった。
現在、S3班は24区の継続捜査に当たっており、すぐに地上へ戻ってこられる状態ではなかった。仕方のないこととはいえ、丸手は承服しかねる部分もあった。
最近のS3班はかれこれ1か月以上も24区に潜り続けている。確かに烏賊が地下に潜伏している可能性も考えられるため、その捜索に意味がないとまでは言えない。
だが、烏賊が発見された階層は地上に近い場所だった。赫者化を解いた本体が何食わぬ顔をして人間社会に溶け込んでいる可能性だってある。そしてもしそうだった場合、発生する被害の大きさは計り知れず、その懸念は現実のものとなってしまった。
これまで膨大な時間を費やしても全容を掴み切れなかった地下の捜索に力を入れるより、今は地上の安全のため有事に備えておくべきではないか。丸手はそう進言していたのだが、聞き入れてはもらえなかった。
S3班の人員は白日庭と呼ばれる和修家直轄の養成機関から輩出されている。実質的に彼らを動かしているのは和修の人間であり、CCGに多大な影響力を持つ和修家に一介の捜査官でしかない丸手が抗議することはできなかった。
「何かひっかかる……そこまでして地下にこだわる“別の事情”でもあったのか……?」
「丸手さん、大変です! 本部から緊急連絡です!」
思索にふける猶予はない。本部から届けられた一報を聞き、丸手は思わず机を殴りつけていた。
11区に隣接する9・10・12区の支局を大量の喰種が同時襲撃。その連携やマスクの統一性から何らかの組織を作っていることがうかがえる。
「このクソ忙しい時にッ! いや、だからこそか!」
烏賊が巻き起こした騒ぎに便乗する形で戦力が手薄となった支局に殴り込んできたのだとわかる。あるいは、烏賊の出現自体がその組織の差し金によるものか。これだけ大規模な喰種組織の登場は『ピエロマスク』以来のことだった。全く得体が知れない。
今、11区に集めた捜査官を応援に向かわせる余裕はない。ただでさえ人員不足で穴だらけの包囲網を何とかやりくりして抑え込んでいるのだ。人間側の陣営は窮地に立たされていた。
* * *
「来てるな」
「ああ、気づかれてる」
篠原、黒磐、田中丸、ヘリ操縦士の4名はインク領域からの撤退を試みていた。その最中にあった。
烏賊が近づいてきている。偶然、進行方向が重なっただけかとも考え、遠回りをしてでも回避する道を取ったが、それでも後をついてきている。
「嗅覚だろうな。幸いなことにまだ完全に位置を特定されているわけではないが、このままでは……」
もし居場所が見つかれば逃げるすべはない。数十メートルもの巨体が泳ぐ速度に敵うはずがなかった。
「自分が、囮になります」
そこで声をあげたのは操縦士だ。彼は黒磐に背負われ、運ばれていた。運良く大きな負傷は免れていたが、自分の足でインクの上を歩くことはできない。
「ここに私が残り、敵を引きつけます。その隙に撤退を」
操縦士の顔は真っ青だった。ヘリから脱出した直後よりも青ざめているかもしれない。恐怖を感じないはずはない。それでも彼は自ら死地に残ることを決断する。
「確かに誰かが囮にでもならなければこの場を切り抜けるのは難しいだろう。しかし、その役は君ではない」
操縦士の意見を田中丸が遮る。彼は負傷した自分こそがこの場に留まるべきだと考える。
篠原と黒磐の両名はこれまでインク領域内で行動していたにも関わらず烏賊の追跡を受けていない。この異変は田中丸らと合流した後に始まっている。
負傷した田中丸の血の臭いに烏賊が反応していると考えるのが自然だった。ならば、その元凶が囮となることが最も理にかなっている。しかし、その田中丸の主張に操縦士は反対する。
「だったら私が傷を作って同じだけの血を流せばいい! そうするべきです!」
「なぜ君はそこまでして……」
「私は、ただの航空隊員です。あなた方とは命の価値が違う……特等捜査官はこの街に暮らす人々の希望です。あなた方は生きなければならない」
そう言って操縦士は震える声で笑う。自分は平気だと自分自身に言い聞かせるような笑い方だった。
「命に価値なんてない。価値なんて言葉で推し量れるものではないんだ」
特等捜査官の三名は顔を見合わせた。命を賭す覚悟を決めた青年の言葉が、皮肉にも彼らの決心を固める。未来ある若者の命を犠牲にしてまで生き延びようと思う者はいなかった。
操縦士の青年が特等捜査官に希望を抱いているように、彼らにもまた希望はある。その希望を守るために彼らはこの場所に立っている。
その決意を感じ取った青年は泣いた。それは安堵の涙である。死なずに済むかもしれないという安堵感が押し寄せ、感情を抑えきれなかった。そして守られるだけの自分を恥じ、とめどなく涙を流し続けた。
「望元さん、頼みます」
「任せたまえ、ボーイ」
田中丸は自分のクインケを篠原に託す。ヘリを乗り捨てたときでも手放さなかった武器だ。
「あなた以上にそのクインケを扱える者はない。あなたが持っておくべきです」
しかし、篠原は躊躇していた。受け取れば田中丸に丸腰で烏賊の相手をさせることになる。かと言って、預からなければ結果が変わるというものでもない。
SSレートのクインケは莫大な開発費と貴重な素材から作り出される。損失すれば喰種への対抗力を目に見える形で失うことになる。
「なに、私以上にマイエンジェルを使いこなせる捜査官がいつか現れるさ。次の世代を担うボーイがいるんだ」
黒磐は一つ、力を込めて田中丸の背中を叩く。いつも多くを語らない彼が万感を込めて思いをぶつける。傷に響いた田中丸は少しむせながらも、その一撃をしかと受け止めた。
時間はない。黒磐と篠原は仲間を残し、立ち去っていく。それを見届けた田中丸は、黒磐から持たされた予備のクインケを取り出して構える。
レートCの尾赫クインケ『ツナギ・ハードタイプ』だ。対する喰種は見上げるような大きさの怪物である。地面に足を固定された上に、この剣一本で何ができるというのか。
「ンン、ボーイ。それでいい。悲劇は嫌いでね」
烏賊は明らかに田中丸を目指して移動していた。血の跡をゆっくりと辿りながら近づいてくる。
彼は不敵に笑う。誰が何と言おうと、最期の瞬間まで自分の生き様に悔いを残すことはないだろう。
「これにてハッピーエンッ!!!」
獲物を発見し、触手を伸ばそうとした烏賊の横合いから眩い“雷撃”が突き刺さる。烏賊は痙攣し、触手を硬直させた。
『キュルルアアアア!?』
田中丸は見た。来るはずもない救援者がそこにいる。眼鏡をかけた長身の男だ。新雪のごとく透き通った髪色は、何ものにも染まらない隔絶の象徴のようにも見える。
「有馬ボーイ……」
その足元には花が咲いていた。否、花のように見えるそれはクインケの遠隔操作により作り出された赫子の足場である。
黒い海の上に咲く、花の道。その両手に二振りのクインケを握り、死神は駆けた。