すわのたわむれ   作:翔々

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 意外と少ないよね、東方とFGOのクロスオーバー。



ある少年と少女の別れ。あるいは始まり

(どうしようかなぁ)

 

 藤丸立香は悩んでいた。常にポジティブで細かいことは気にしない、クラス一のマイペースぶりで知られる少年にしては珍しく、丸一日も悩み抜いていた。

 

 くしゃくしゃになった紙一枚。そこに記された内容と連絡先が問題だった。それまでの人生で考えもしなかった選択肢が突然浮かび上がり、頭から離れないのだ。

 

 受けるべきか、断るべきか。

 

 うんうん唸っている内に、周囲からひとり、またひとりと消えていく。いつまで経っても答えが出せず、ああもうどうしたものか、と顔を上げたところで、

 

「あれ、藤丸君? まだ残ってたんですか?」

 

 クラスメイトの少女が、悩める少年へと声をかけたのだった。

 

 

   ◇◇◇

 

 

 高校一年の夏。梅雨が明け、期末試験という一大イベントもクリアした同級生達は、40日間の長い休みをどう過ごすか、スケジュール作成に余念がない。立香もそのひとりだった。月のお小遣いと臨時のアルバイトからなる軍資金は頼りない事この上ないものだったが、自由に使えるのだと思えばホクホク顔にもなる。都会の気になるスポットと交通費を計算して何度も青ざめたりしながら、立香は楽しくスケジュールを組んでいった。

 

 そんなこんなで予定が完成した、夏休み前の最後の日曜。父親が東京へ出かける用事ができたという。前倒しで東京に行ける上に、行きと帰りの交通費がまるまる浮くのだから、この機を逃してはならない。渋る父親を拝み倒した甲斐もあって、無事に連れていってもらうことになった。

 

 地方の田舎町でのんびり暮らす学生にとって、都会は液晶の向こう側の世界である。ブラウン管が妙な英数字を売りにしたモニターになろうと、ガラケーがスマホになろうと、根本的には変わらない。ごちゃごちゃとした東京の街並みはそれだけでインパクトがあり、息苦しさと同じぐらいのエネルギーも伝わってくる。

 

 上野に浅草まではよかったが、渋谷にきたところで限界がきた。人酔いでふわふわした感覚のまま、ジューススタンドで300円のメロン味をすすりながら、絶え間なく行き交う人々を眺める。この街を埋め尽くすひとりひとりに別々の目的があるんだなぁ、と普段なら絶対に考えないような感想を抱きながら、視界の端に気をとられた。

 

 待ち合わせに使われる広場に、白いワゴン車が停まっていた。周囲には献血を呼びかける看板が幾つか立てられ、数人の男女が汗をかきながら呼び込みに励んでいる。どうやらかんばしくないようで、順番待ちの人影も見当たらなかった。

 

(たまにはいいか)

 

 これといって理由はない。めったに来れない東京に来ることができたので、何でもいいから世の中のためになることでお返しをしよう、とも思っていない。藤丸立香は根っからの善/中立である。帰りにポカリとかもらえたらいいな、ぐらいしか考えていなかった。

 

 たったそれだけの思いつきが、少年の人生はおろか、世界の運命すら変えることになると、誰が予想しただろうか。

 

 この時の立香はいっさい知らない。世界には魔術とされるものが本当にあることも、現代においてなお研究されていることも。そして、自分が魔術の世界に放り込まれ、数奇な旅に出ることも、何一つ知らなかった。

 

 空になった紙コップを捨てて、炎天下の屋外に向かって歩き出す。タオルで汗をふく係員に近寄って、すぐに出来ますか、とたずねる。喜色満面になった係員に誘導されて、必要事項を書類に記したら、ステップを登ってワゴンへと足を踏み入れる。

 

 妙にやさぐれた、左遷されたサラリーマンのような哀愁ただよう医者がそこにいて――――

 

 

   ◇◇◇

 

 

「それで紹介されたのが、夏いっぱいの海外派遣アルバイト、ですか。なるほど、なるほど」

 

 うんうん頷いていた少女がピタリと制止して、

 

「詐欺っぽい!」

「やっぱり?」

「だって怪しさ満々じゃないですか! 上京先で偶然受けた献血のワゴンで熱心に勧誘されるって、どこのアニメの展開なんです!? 私は好きですけど! ええ、そういうの大好きですけど!!」

 

 カエルのブローチを揺らしながら、立香の相談に乗っていた学級委員の東風谷早苗が楽しそうに笑った。一学期の終業式後、ホームルームも終わった教室には誰も残っていない。片付けを理由にひとり残った彼女に、ちょっと相談に乗ってくれないか、と持ち掛けたのが十分前。時間を割いてもらった分、楽しんでくれたならいいかと思う。

 

 ふたりとも、特別な関係ではない。都会とは縁のない田舎町で生まれて、同じ小学校と中学校で席を並べて育ち、これといった希望もなかったので公立に進学した。平凡なサラリーマン家庭の一人息子である藤丸立香と違って、東風谷早苗は先祖代々から続く神社の家系に生まれたお嬢様である。彼女本人が生まれをひけらかすような真似を好まないのもあって、クラスメイトとの付き合いは良好。悩み相談を頼まれるのもしばしばで、そのたびに嫌な顔ひとつ見せずに答える彼女の姿を、立香も何度か見たことがあった。

 

「家の方はどうなんです? お父さんが「人生は何事も経験だ」と賛成だけど、お母さんが心配して反対とか」

「正解。でも、紹介先に電話して詐欺じゃないって確かめたら、自分の好きにやってみなさいっていわれた。海外に行ける機会だからいいんじゃないかって」

 

 実際、悪い話ではなかった。派遣先は南極というこれっぽっちも馴染みのない極寒の地だが、世界でもまれなハイテクによって構築された施設内は人体に最適な環境を保ち、確かな技術の医師も揃っている。食料や娯楽も備蓄され、各種保険も問題ない。海外経験として履歴書にも書けるし、何なら卒業後に関係機関へ斡旋できるとも。ちょっとグッときた。

 

 断る理由も、詐欺の疑い以外はあってないようなものである。夏休みをフルに使うのがもったいない、せっかく組んだスケジュールが台無しになる、もっとぐうたらしていたい、友達と遊びたい、言葉や習慣の違いによる不安、etc……海外派遣、それも南極というとびっきりの異境で過ごす経験に比べたら些細なことだった。

 

 東京で遊ぶスケジュールは来年に回せばいい。のんびり過ごしたいなら、冬休みを寝正月で満喫しよう。言葉だってスマホの翻訳アプリがあるじゃないか。ダメならボディランゲージで乗り切ろう。南極は今しかないのだ。この機会を逃したら、海外経験なんていつ出来るかわからない。

 

「それ、もう答えが出てません? 行きたいっていってるようにしか聞こえませんよ」

「そうなんだけどね」

 

 何かがひっかかっている。

 

 反対する者はいない。自分の中の好奇心が抑えられない。パスポートも問題ないし、スーツケースへの詰め込みも終わらせた。親も自分が行くものだと思っている。後は相手に連絡するだけでいい。準備は整っていた。にも関わらず、自分は迷っている。

 

 何故?

 

「いいと思うなぁ、海外。素敵じゃないですか」

 

 目を細めながら、早苗が続ける。

 

「私はこの町から出たことがないから、絶対にそうだなんていえません。新しい環境に馴染むのって大変だと思います。でも、クラスのみんなや大人の人達の話を聞いていると、辛いとか苦しいだけじゃないんです。その中で良いこともあるし、頑張りが報われたって嬉しそうに話すんですよ。それは、町から出てみて、初めてわかることだと思うな」

 

 由緒ある神社の跡取りに生まれ育った少女は、どこか遠くを見つめるようだった。藤丸立香と向き合いながら、その向こうの誰かに訴えかけている。しかし、彼女の言葉はまぎれもなく立香の身を案じた言葉であり、後押しのためのものだった。

 

「私は応援しますよ、藤丸君。南極に行って、色々なことを見たり、聞いたりしてきてください。その全部を持ち帰って、みんなに伝えるんです。あんなことがあった、こんなことがあったって。それは、あなたにしか出来ないんですから。私でも先生でもない、他の誰でもない、あなただけが出来ることなんですよ」

 

 エメラルドグリーンに輝く瞳を見つめた瞬間、立香の胸に何かがすとんと落ちた。

 

(ああ、そうか)

 

 はっきりとはわからない。どうしてそう思ったのか、説明がつかない。それでも確信できた。たった一つの答えを得るために、自分は彼女に声をかけたのだと、少年はようやく理解した。

 

「東風谷さん」

「はい?」

「君も、どこかに行くの?」

 

 その瞬間を、藤丸立香は生涯忘れない。

 

 世界から音が消えた。聞こえていたはずのセミ達の鳴き声がピタリと止み、廊下を歩く生徒や教師の存在が遮断される。無音。確かにあったはずの環境音が活動を停止すれば、世界は驚くほどの静寂に包まれた。一学期を過ごした教室の中では過去と未来の一切が消失し、ただ今だけが存在を許される。

 

 東風谷早苗。

 

 彼女は、ただひとり、そこにあった。

 

「どうしてそう思うんです?」

「否定しないんだね」

「答えてください」

 

 少女は笑っている。いつもと変わらずに。ただ、その笑顔にはおよそ人間味というものが消失していた。彼女が巫女であるなら、彼女の信仰する神が降りたのかもしれない。先ほどの問いかけは、神の機嫌を損ねるような内容だったのだろうか。あるいは別の、何らかの。

 

 答えなくてはならない。動揺している頭でも、それだけはわかる。彼女の気が変わるまでに正しく答えないと、何かよくないことが起こるかもしれない。普段はまったく働かない直感が全力で訴えかけている。

 

「さっきさ。向こうで見聞きしたことを“みんな”に伝えろっていったじゃない」

「はい。確かにそういいました」

「いつもの東風谷さんなら“私に”っていうと思ったから。ああ、自分だけじゃないんだって。東風谷さんもどこか遠くに行くんだろうなって、何となく思ったんだ。それだけ」

 

 嘘ではない。本当にそう思い、納得できた答えだった。彼女が否定してもおかしくない。勝手な詮索をするなと怒られても仕方がない。もしそうなったら謝ろう。謝って済むかどうかはわからないが。

 

 立香の答えを聞いても、早苗は制止したままだった。真偽を問いただすように、緑色の瞳を一心に向けて見つめてくる。無言の問いかけも緊張するが、視線をそらせばどうなるかも不安なので、立香も黙って応酬する。

 

 誰も入ってくることのない、たったふたりで残った教室の中。突然始まったふたりの無言のやり取りは、いつ終わるかもわからないほど続く。

 

 五分。

 十分。

 三十分。

 

(どうしよう)

 

 さすがに困ってきた立香が視線を外そうとしたところで、ケロ、と小さな鳴き声が聞こえた。ふたり以外の音が消えたはずの空間で、久しぶりに聞いた第三者の声。カエルだと思ったが、すぐに違うと気づいた。あれは子供の声真似だ。

 

 目の前の少女がびくん、と硬直した。超然とした顔つきがみるみるうちに人間味を取り戻し、あたふたと挙動不審になって両手をぶんぶん振り回す。まるで誰かにからかわれたのを取り繕っているかのような、小学校時代に何度か見かけた東風谷早苗の仕草だった。

 

「違います! 諏訪子様、違うんです! 絶対バレちゃいけないと思って、でも本当にバレてたら私の存在ごと忘れさせなくちゃダメかなーって思ったから、ちゃんと見極めるつもりで睨んでたんです! 『早苗に放課後ふたりっきりで過ごす相手が出来るなんて』ってどういう意味ですか! 相手は幼馴染ですよ!?」

「もしもし、東風谷さん?」

「あ、まずっ……いやそうじゃなくて! ごめんなさいひとりで勝手に騒がしくしちゃって! ええと、落ち着いて、息を吸って……ああもう、諏訪子様は黙っててください! わかってます、もう隠しても無駄ですから」

 

 二度三度と深呼吸してから、早苗が表情を一変させる。その顔にはうっすらと赤みが残っていたものの、伝えたいことがあるのだと訴えてくるものがあった。こちらも居ずまいを正して向かい合う。

 

「本当は、誰にもいわないつもりだったんです。大騒ぎになるから。みんな、良い人達だから。内緒のまま、黙って行こうと思ったんです」

「そこは遠いの?」

「はい。私も、初めて行くところです。ここではない、遠く。藤丸君が南極に行くのと同じか、もしかしたら、それよりも遠いところに。飛行機も、電車も繋がっていません。船でも行けません。インターネットもありませんから、メールも届かないんです。どこまでも遠いところに、私は行きます。何よりも大切な二柱のために」

 

 早苗の両手が宙に静止した。包み込むように開かれた掌が、はっきりとナニカを抑えている。もしそこに子供がいたら、ちょうど両肩にあたる位置だった。

 

「藤丸君には見えないでしょう? でも、確かに存在するんです。この地を守ってきた洩矢諏訪子という神様がここにいる。そしてもう一柱、八坂神奈子という神様が私の家にいるの。二柱とも、私以外の誰の目にも映らなくなってしまったけれど」

 

 早苗の言う通り、藤丸立香には何も見えない。小中高の十年間を通して、早苗がたまに見せる奇行から『ああ、何かがそこにいるんだな』と知るのが当たり前になった。何もいないぞ、と否定する気にはなれなかった。彼女と同じものが見えないのが、同じ世界を共有できないのが、幼馴染として申し訳なかったのだ。

 

「科学の発展にともなって、幻想は消えた。神秘は廃れた。もはや人は神に頼ることなく、人の力でもって文明を発展させることができる。そこに二柱の生きる場所はない。誰にも頼られなくなった神は、信仰を失い、ただ消えゆくだけの存在になる」

 

 でも、と彼女は続ける。

 

「私はいや。ふたりに消えて欲しくない。赤ん坊の頃から私を慈しんでくれたおふたりに、力を取り戻してほしい。ここでダメなら、それが叶うところに行く。だから探したんです。何年も何年も。どんどん薄れていくふたりの姿に怯えながら」

「そうして見つけたんだね」

「はい。もう準備も整ってます。もっと早くに行けたんですが、真面目に学校生活を送ってからにしろとおふたりがいうので、今日になりました。いつ消えてしまうかもわからないのに、過保護だと思いません? お気持ちは嬉しかったですけど……親の心子知らず? 知ってますー! むしろ私が心配してるんですからね!」

 

 仲良さそうに口論を始める早苗を、立香は微笑ましさ半分、寂しさ半分で眺めるしかなかった。十年間も過ごしてきた幼馴染であっても、彼女にとっては別れを告げる以上の存在ではない。彼氏彼女のような関係を望んだことが無いとはいえないが、たとえそうなったとしても、彼女は二柱を選んだのではないか。

 

 もう一生会えないんだろうな、と立香は察した。彼女達の向かう先がどこなのかは見当もつかないが、きっと途方もない距離を隔てた別世界なのだろう。この世で存在することができなくなった神々が生きる世界。そこにはマンガやアニメでしか見られない妖怪や悪魔もいるのだろうか。そこに暮らす人々は、どんな生活をしているのだろうか。

 

(南極とも違うんだろうな)

 

 立香は何気なく窓の向こうを見やった。夏の夕暮れはとっくに過ぎ、月まで浮かんでいる。きゃあきゃあとナニカを追いかける幼馴染に、もう夜だよ、と声をかける。ぎょっとなった彼女が慌てた様子で学生鞄を抱えて、帰りましょうか、と返事をくれた。

 

 

   ◇◇◇

 

 

 夏休み明けは説教だから覚悟しとけよ、と担任のありがたい言葉を頂いて、立香と早苗は校舎を後にした。ところどころ切れた電灯の照らす夜道は、地元民でも油断をすると事故になりかねない。一学期で通い慣れた道をふたり、肩を並べて歩き続ける。

 

 会話は尽きなかった。思い出はいくらでも浮かび上がる。帰り道で通りがかるスポットについて話し合ったり、シャッターの降りたままの店が並ぶ商店街の未来に顔を曇らせ、行き交った人々に挨拶しながら、生まれた町の営みを目に焼き付ける。それが旅立つ彼女の思い出になるのだと、立香は信じた。

 

 歩く。

 歩く。

 歩く。

 

 気がつけば、早苗の足が止まっていた。

 

「東風谷さん?」

 

 数メートル先で振り返った立香の前で、早苗は鞄の中から小さな長方形のふくらみを取り出して、ぎゅう、と握り締めた。小走りに近づいてくるやいなや、

 

「はい、どうぞ!」

 

 と突き出してくる。いわれた通りに受け取ってみると、彼女の神社で販売しているお守りだった。匂い袋も兼ねているのか、上品な香りがする。何が書かれているのだろうと裏返してみても、これといった文字が見当たらない。立香としては“祈願成就”とか“厄除守”かと思ったのだが、いったい何なのだろう。

 

「私がたっぷり力を込めた、特注のお守りです。そんじょそこらのお守りとは違いますよ。なにしろ私、神様が保証するぐらいの力の持ち主ですから。きっと藤丸君のピンチを救ってくれます!」

「南極で遭難しても助かるかなぁ」

「大丈夫です! 諏訪子様もそうだそうだといっています!」

 

 ぽすん、と腹を叩かれたのは気のせいだろうか。早苗が目を丸くしている様子からして、諏訪子という神様が景気づけでもしてくれたのかもしれない。視ることもできない小僧に優しいな、と立香は感謝したくなった。

 

「ありがとうございます」

 

 ぺこり、と会釈する。

 

 全身をペタペタと触られる感覚が一気に襲いかかった。特に脇腹が凄い。そこそこ鍛えている筋をつるりと撫でさすられ、変な声が出そうになるのを必死にこらえる。幼馴染の少女の前で出してはならない声だった。別れる前にこんな思い出は勘弁してもらいたい。

 

「諏訪子様、ストップ! ダメです、そこはダメです! 秘孔を突いてます! こんなところで目覚めたらどうするんですか! 嬉しかったから? いや気持ちはわかりますけど、TPO的にいけません! 藤丸君、こらえて! 意識をしっかり保って!!」

 

 秘孔ってなんだ、とか。目覚めたら自分も神様が視えるようになるんだろうか、とか。ますます激しくなるボディタッチに堪えながら、立香は早苗の救けを待つ羽目になった。

 

 数分後。

 

「気絶するかと思った」

「ごめんなさい、諏訪子様に悪気はないんです。数十年ぶりに触れられる人と会えたから、嬉しくてついやっちゃったと謝ってます。たぶん、私のお守りを持った影響だと思うんですが」

 

 どうにか耐えきった立香がぜいぜいと息を荒くする背中をさすりながら、申し訳なさそうに早苗が説明する。お守りひとつでオカルトにまったく縁のない立香が知覚できるのだから、早苗の霊力は本物である。元々疑ってはいなかったが、立香もいよいよ信じるつもりになった。

 

 おかげで気付くこともある。

 

「数十年っていうのは、そのままの意味?」

「はい。さっきの説明は、全部本当ですから」

 

 先ほどのボディタッチの激しさから、諏訪子という神様はずいぶんと人慣れしているというか、コミュニケーションを取りたがる神様なのが伝わってくる。容赦のないくすぐりと急所を巧みに突いてくる怖さこそあっても、敵意や命の危険はいっさい感じなかった。神でありながら人と同じ目線に降りて共に過ごす、子供のような遊び心が多分に含まれていた。

 

 それほど人に馴染み深い神様が、何十年もの長い月日の中で、早苗以外の誰にも存在を知られずに過ごしてきたという。

 

 同じ町にいながら、誰の目にもとまらず、声も届かない。掌をあてても、相手は触れられていることにすら気づかない。自分はこの町にまぎれもなく存在しているのに、町の人々は自分の存在を知らず、昔からある神社にまつられた神の名前としか認識しない。それ以上にも以下にもなれず、かげろうのようにうっすらと消えていく。

 

 それは、どれほど怖いことだろう?

 

 立香には想像もつかない。平凡な田舎町に暮らす、どこにでもいる学生でしかない少年には、神たる存在の苦悩も、それを信じる巫女の思いも、すべてを共有するにはあまりにも経験が足りなかった。

 

 どこまでも善良な彼にできることは少ない。おそらくは早苗の隣に立っているであろう、子供の背丈ほどの神様と視線を合わせるように膝をついて、思ったことを正直に伝えるだけだ。

 

「神様も寂しかったんですね」

 

 顔面からものすごいタックルをくらった。

 

 

   ◇◇◇

 

 

 満月が照らす夜道を歩くうちに、いつしかふたりは無言になった。話すことはいくらでもある。それでも無意識に感じていた。話せば話すほど別れが辛くなる。名残惜しくなってしまう。もしかしたら、それは少年ひとりの苦痛でしかなく、少女がおもんばかっているだけかもしれない。巫女の心はいつだって二柱に向けられているのだから。

 

 早苗の暮らす神社の山道にたどり着いたところで、ふたりの足は止まった。

 

「ここでいいですよ」

「すぐに行くの?」

「はい。これから向こうに行くための儀式をするんです。藤丸君は来ちゃダメですよ? 力の無い人が巻き込まれたら、どこに飛んじゃうかわかりません。もしそうなっても、誰も助けられないんですから」

 

 昨日までなら疑いもしただろう。だが、今となっては立香もその言葉を信じられる。目の前の幼馴染は、心底少年を案じてくれている。彼女とその保護者達の出発を、そばで見送ることもできないらしい。

 

 いまの自分にできることは、何もない。

 

「じゃあ、」

「はい、さようなら」

 

 また明日、と言いそうになった自分に被せるように、早苗が離別を告げた。髪留めのブローチと同じ色彩の髪をふわりとなびかせて、深々とお辞儀をされる。これ以上の深入りは許さないといいたげな、明確な拒絶。

 

 どこまでも無力だった。

 

 彼女にならうようにして、立香も頭を下げる。再び顔を上げた時、早苗は同じ姿勢のままだった。何の言葉もかけられずに、ためらいながらきびすを返して、来た道を戻っていく。

 

 振り返ることができない。

 

 満月の光を背に受けながら、ついさっきまで少女と歩いた道をひとりで歩く。昨日までの日常から、ひとりの存在がぽっかりと抜け落ちて、明日からの日常が続くのだろう。彼女の蒸発は町を騒然とさせるに違いない。最後に会っていた自分にも、警察から質問されるかもしれない。今日中にそのことを担当者に伝えておこう。国連機関が日本の警察に影響を持っているのかは知らないが、何もしないよりはマシだろうと自分を納得させる。

 

(好きだったのかな)

 

 立香にはわからない。誰にでも優しく接する早苗の存在は、そこにいるだけで場を明るいものにしてくれた。綺麗な、よどみのない、母親にも似た優しさで満たされた空間は、神とともにある巫女としての力によるものだったのだろう。あるいは洩矢諏訪子と名乗るいたずら好きな神様の力かもしれない。はたまた、自分は名前しか知らない、八坂神奈子という神様のおかげか。

 

 もう少し自分から歩み寄っていたら、ふたりの関係は違ったのだろうか。

 

(わからないや)

 

 彼女達は今日、この夜の内に消える。神がなけなしの力をもって存在した町は、とうとう人間だけになる。完全に信仰の消えた町が衰退するのか、発展するのかは、平凡な学生でしかない立香には予想もできない。ただ、そこに幼馴染の姿はなく、初めて触れ合った神ともう一柱も消失しているのは確かだった。

 

(寂しくなるな)

 

 お腹のあたりに、ぺた、とナニカが触れる気がした。

 

 

   ◇◇◇

 

 

 少年の背中を最後まで見送ってから、少女は神社へと続く階段を登っていった。ヒュウ、と風が吹くとともに、ひとりの女が宙に浮かび上がる。その横には女の半分ほどの背丈しかない童女も並んでいた。

 

「本当に良かったのかい、早苗?」

「そうだよ。もうひとりぐらい、連れていくこともできたのに」

「良いんです。だって、あの人は普通の人なんですから」

 

 藤丸立香にはごく僅かではあったが、それでも才能があった。西洋では魔術回路と呼ばれる魔力の源泉が少年の体内にあるのを、神たる八坂神奈子と洩矢諏訪子、そして現人神に至った東風谷早苗ははっきりと感知したのである。

 

 魔術回路は常人が望んで得られるものではなく、代々魔術師の家系であっても、ただの一本も持たずに生まれることも珍しくはない。早苗の一族もそうだった。何代にも渡って魔力が薄まっていく中で、突然変異かあるいは先祖返りのような奇跡でもって早苗が生まれたのだ。

 

 小学校で出会った時から、早苗は立香の才能を感知し、二柱に相談した。もしかしたら、ふたりが視えるようになるかもしれない子がいる。驚いた諏訪子が何度かちょっかいをかけてみると、立香の反応はまちまちだった。気付く時もあるが、まったく気付かない時の方が多い。早苗のような飛びぬけた天才ではないにせよ、たまにでも気付く時点でスタートラインに立てている。鍛えれば成人する頃には視えるだろう、と諏訪子は見定めた。

 

 育てよう、と二柱は提案する。たとえ一人でも、神代の頃とは比べるべくもない脆弱な才能であっても、現代では稀な存在である。才能を伸ばして、自分達を信仰させるべきだ。そうすることで二柱は延命できるし、早苗にも同じ力を持った仲間ができる。いいことづくめではないか。

 

 盛り上がる二柱を前に、幼い早苗は初めて抵抗した。いけません、と。あの少年は、私達とは違うから。平凡な、どこにでもいる、普通の人生を送れるんだから。私達の領域にさらうのは間違ってます。

 

 何でもはい、はい、と聞き分けの良かった少女が頑固に反対する姿に、二柱の方が慌てふためき、ついには折れてしまう。惜しいとは思ったが、可愛い子孫のいうことならと立香の育成を諦め、保護者として成長を見守ることにした。

 

 その結果、見事に情が移ってしまったのだが。

 

「藤丸君は、普通の男の子なんです」

「そうだね」

「海外に行って、ここにはないものを見て、聞いて、経験して。そうして、いつかこの町からも出て行って、結婚して、子供を育てるんです。それは藤丸君だけの人生で、普通じゃない私が邪魔をしたら、いけないんです。そんなことをしたら、私はきっと、自分が許せない。もし彼がこちら側に来てしまったら、誰がそんなひどいことをしたんだって怒って、荒ぶる祟り神に堕ちてしまう。私は、藤丸君に、そうなった自分を見られたくない。だから、いいんです。私達は、どこまでいっても、住む世界が違うから」

 

 諦めたように微笑む少女を見るたびに、二柱はどうしようもない悲しみに襲われるのだ。

 

 自分達に力があれば、少女の願いは叶っただろう。世界から信仰が薄れることなく、神代からの習慣が根付いていれば、藤丸立香は神使として育てられ、巫女である東風谷早苗とともにあることを許されたに違いない。

 

 いっそ自分達が消えていたら、早苗は巻き込まれずに済んだかもしれない。滅びゆく神社のしきたりも伝えられず、不思議な力を隠して、ひとりの人間としてこの世を生きる。藤丸立香なら彼女を受け入れたはずだった。どこまでも善良で、懐が広く、好奇心の塊のような少年がそばにいれば、少女は周囲に拒絶される心配もなく平穏に生きていけたのだ。

 

 生まれる時代が違えば、叶ったかもしれない。

 何の力も持たなければ、成就したかもしれない。

 

 現実は違った。ひとりの少女の本心は秘され、少年の心に傷を残す形で、別離が訪れた。

 

(ああ、なんて――――むくわれない話だろう)

 

 境内を進む少女の背中を見送ってから、洩矢諏訪子はゆっくりと振り返った。満月がこうこうと照らす小山の頂にあって、神の双眸は眼下の町を隅々まで見渡す。やがてひとりの少年が家にたどり着き、心配そうにこちらを見上げる様を、はっきりと見た。

 

 

 ああ、わらべよ。いとしきこよ。

 なんじ、しにたもうことなかれ。

 

 

 神の祝福(のろい)がつむがれたことに、気付く者はない。

 

 

   ◇◇◇

 

 

 その後を綴ろう。

 

 東風谷早苗は儀式をつつがなく終えて、敬愛する二柱とともに、この世から姿を消した。町の観光スポットと化していた神社と湖まで持っていくという前代未聞の神隠しは日本全土のオカルト界隈を騒がせたが、突発的な山崩れによる遭難という体でもって打ち切られ、いつしか名前を挙げられることもなくなった。

 

 藤丸立香は日付が変わる前に担当者へ連絡を入れたのが功を奏して、騒ぎになる前の早朝から手配された車に乗ることができた。飛行機ではビジネスクラスのゆったりとしたスペースに案内され、自分を勧誘したやさぐれドクターが上機嫌にすすめるままに飲み食いするという快適な時間を過ごしながら、日本から14,000km離れた南極の地へと出発する。

 

 人理焼却。

 

 人理漂白。

 

 東風谷早苗が去った後に世界を襲った幾つもの大事件において、藤丸立香という少年の活躍はけして公表されない。魔術という世界の裏側におけるカテゴリーでも、その名前を知る者は限られている。それは実力者達による世論操作の産物であり、善性に満ちた人格者達が少年の身を案じて動いた結果である。

 

 彼がどう生きたのか。

 どう戦ったのか。

 何を為したのか。

 

 

 

 か た わ ら に い た の は 何 だ っ た の か 。

 

 

 

 少年と少女が再び巡り合った時、答えが語られるかもしれない。

 




〇藤丸立香
 (悪)神に愛されがちな善/中立の少年。善でありながら悪を憎まず、悪にさいなまれてなお善であろうとする。その在り方は、人の生活に寄り添ってきた神にとっては何よりも眩しい宝物に映る。具体的には「私が守護らねばならぬ」と決意させるくらい。

 原作の三割増しで反英霊に好かれやすくなった。邪ンヌは呆れ果てて守ろうとするし、巌窟王はフル稼働で戦う羽目になり、ロボはこいつ本当に人間かと疑い、ゴルゴーンはさもありなんと諦め顔。鬼達ならマイルームで毎晩酒盛りしてるよ。

※感想での指摘をいただき、原作の藤丸立香は派遣先が南極であると知らなかったことが発覚しました。つまりここの立香は、高校一年の夏休みを南極で過ごすことを承知の上で参加した天然です。もっとヤバい奴だこれ。


〇東風谷早苗
 恋を恋と自覚する前に蓋をしてしまった少女。あと一年早く打ち明けていたら立香を巻き込んでいた。そうなった場合は藤丸立香(ぐだ子)が世界を救う。原作からして神社と湖ごと転移するという超人パワーを発揮しているため、現代人でありながらサーヴァント相手でも戦闘が可能と思われる。

 幻想郷でパワフルに活動中。外の世界から入ってくる情報に一喜一憂している姿が人里で見られる。その時の彼女は年相応の可愛らしさだとか。


〇八坂神奈子
 二柱のかたわれ。信仰としての顔役担当。力を失ってからは神社に籠もり、幻想郷へ移るための準備を進めていた。早苗寄りのポジションのため、立香に対しては客観的な視点から見る。なお、転移にあたって「全部持っていっちゃいましょう!」と提案された際は「えっ」と声が漏れた。

 信仰パワーをもりもり獲得中。諏訪子がなにか企んでいるのを察しているが、いっても聞かないので見逃している。困ったときは頼ってくるでしょ、と笑う姿はまぎれもなく家長ポジション。結構な苦労人タイプ。


〇洩矢諏訪子
 二柱のかたわれ。信仰としての実権担当。神奈子と違ってしょっちゅう外をほっつき回る。早苗と立香の仲にやきもきしていたが、十年かけてもくっつかなかったので「逃がさん……お前だけは……!」とばかりに自ら縁を結んだ。早苗も大事だし立香も大事。なんならイベントだって起こしてみせらぁ。ケツァルコアトルやゴルゴーン、お竜さん等とはシンパシーを感じる。パライソちゃんは泣いていい。

 実は立香へのタックル時に分霊体をくっつけている。補強されればサーヴァントになるだろう。クラスは鉄の輪と呪いを投げつけるからアーチャー。アヴェンジャー? ああ、そろそろ地上を恐怖のどん底に陥れてもいいかもね、マスター。ダメ? そんなー。


〇八雲紫
 未登場。早苗達が転移した幻想郷を管理するスキマ妖怪であり、策謀と冬眠が大好き。式神である金毛九尾・八雲藍の計算能力をもって外界の情勢を把握する。人理焼却とかなんてことしてくれちゃってるの、と頭を抱えているとかいないとか。

 幻想郷の実力者達の協力を得て、結界を最大限に強化中。おかげで眠れない。オモイカネこと八意永琳から薬を処方してもらおうか悩んでいる。結界の内側から外に繋げるとかやめろよ! フリじゃないぞ絶対だぞ! あかん、候補者が多すぎる。

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