すわのたわむれ   作:翔々

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彼女が人に戻るとき

 

 九字を切る。

 榊を振るう。

 心を込める。

 

 幻想郷に移住してからというもの、幼い頃より二柱直々に仕込まれた作法のひとつひとつに明確な意味があるのだと、少女は日々実感させられる。神のバックアップを受けた儀式は、自身の何倍もの力を上乗せしてくれる。やみくもに振るうのではなく、正しい所作でなければ加護は得られない。日常の全てが修行に繋がるのだ。

 

 驚くほどに澄んだ大気を一呼吸するだけで、無限の魔力が沸き上がるような万能感をもたらしてくれる。神秘の薄まった現世では味わうことのできない感覚だった。このおかげで弾幕も張ることができる。同じことを元の世界でやろうとすれば、あっという間に魔力が枯渇するに違いない。幻想郷だからこそスペルカードルールが成立したのだな、と少女の腑にすとんと落ちた。

 

 受け入れてしまえば、後はたやすい。

 

 実戦として用意された山の妖怪を、完膚なきまでに叩きのめすこと七度。しょせんは人間の小娘と侮っていた大天狗の顔が険しくなり、関係が悪化することを恐れた神奈子の待ったがかかったところで、少女は慢心の絶頂にあった。

 

 やはり自分は現人神なのだ、幻想郷にあってもそれは変わらない――――と。

 

 有頂天そのものになってしまった少女を責めるのは酷だろう。生まれてから十五年、自分だけが持つ奇跡の力を使えなかった環境が、知らず知らずのうちに少女のストレスを飽和させていたのである。もはや隠す必要もなく、全力で見せつけてやれと命じられた瞬間、彼女を縛ってきた紐がプツンと切れた。

 

 それからの行動は、後になって本人が赤面して関係者一同に謝ってまわるほどの中二病、もとい周囲からの生暖かい笑顔をともなった「お気になさらず」のお返しが山よりも高く積もるほどだったのだが。

 

 彼女は今、初めての報いを受けていた。

 

 

 

「……掛けまくも畏き、諏訪の御湖に神留まります建御名方神――――!」

 

 境内一帯に張り巡らされた結界の中心。自身の力を十全に発揮できる環境を整えた上で、ありったけの神具と札を用意した。妖怪の山の滝行によって神気を養い、気息を整え、体内で合一させる。最善かつ最良のコンディションでもって臨んだ一戦は、理不尽とすら感じるほどに一方的なものだった。

 

 必死に祝詞を紡ぐ。法則にのっとることで魔力量を何倍にも膨れ上がらせ、弾幕と呼ばれるほどに密集させた気弾で場を支配する。スペルカードのルールには慣れたが、まだもどかしさを感じる。経験の無さが問題なのか。違う、そうではない。もっと根本的なところに原因がある。

 

 当たらない。

 届かない。

 落とせない。

 

 奥歯を強く噛み締める。眼前で紅白の巫女が舞っている。ふわり、ふわり、と暴風の中をかろやかに、涼しい顔でそよいでいる。自分が心血を注いで作り上げたテリトリーを突破されるというのは、これほど苛立たしいものなのか。ましてや、自分と同い年であろう少女に攻略されるとは。

 

 ゆらいだ腕から飛んだ符が腹部を貫く。

 

「ぐっ!?」

 

 蛙が潰されたような声をあげて落下した。もう何度目かもわからない撃墜。視界が明滅する。無尽蔵に湧いていたはずの魔力が底を尽きかけている。配分を間違えたのか。これも経験が足りないせいか。いや、いや、いや。そんなことを考える暇はない。

 

 一度目はまぐれだと思った。

 二度目は不調を疑った。

 三度目になって、認めざるを得なくなった。

 

 壁だ。とてつもなく高い壁が、目の前にそびえ立っている。

 

 自分が井の中の蛙だったことを、少女は身をもって知らされた。神秘の薄れ切った現世の現人神が、ここでは誰にもはばかることなく振る舞えるのだと、何もかもが己の意のままだと慢心し切っていた。そんなことはなかったのだと、今はっきりと理解させられている。人を超えた存在としてのプライドをへし折られようとしている。

 

 神であろうと勝てない存在がいるのだと、暴力でもって諭されている。

 

「も、もろもろの禍事罪穢あらんをば、祓え給い、清め給えとしらすことを―――ぐ、あっ!」

 

 まただ。また落とされた。顔面にあてられた気弾が消えるよりも先に、地面にどうと倒れかかる。視界が土埃と血でにじんでいた。魔力を使い過ぎて毛細血管が切れたらしい。急速に力が抜けつつある。いけない。これではいけない。なけなしの力を振り絞って浮き上がる。

 

「たいした根性ね」

 

 心底呆れた、という声で紅白の巫女がため息をつく。息ひとつ切れてはいない。ほんの少しほつれた装束の糸を忌々しげに裏地へ押し込んで、新しい符を手に取った。

 

「さっさと倒れた方が楽でしょうに」

 

 声が出せない。悪態をついてやりたいのに、呼吸が少しも整わない。肺の奥からひゅうひゅうと音がする。眼前の巫女を睨みつけているのに、その輪郭がおぼろげに揺れ動いている。これでは弾幕が絞れない。戦えない。二柱の望みが叶えられない。

 

 勝てない。

 

「こんなところで時間をくってられないのよ。あんただけじゃないんでしょ? 奥にいるなんとかって神も倒さないと、この騒動は終わらないんだから」

 

 揺れている。真夏の太陽に照らされたアスファルトが見せる陽炎のように、ゆらゆらと影が動いている。目の前にあるはずの少女の輪郭が姿を変え、男にも女にも見える。あれはいったい誰だろう? 酸素の届かなくなった脳が答えを出そうともがいている。ズキズキと頭が悲鳴を訴えている。このまま死んだように眠ってしまいたいのに、痛みが眠らせてくれない。

 

 影が笑ったように見えた。

 

「――――嘘」

 

 違う。これは幻覚だ。ここは幻想郷だ。現世ではない。私が置いてきた世界にしかないもの。もはや触れることのかなわないもの。ここにあるのは神秘だ。現世にあることを拒絶されたものの集合体だ。こんなものがあるわけない。

 

 だって、私は捨ててしまったじゃないか。慣れ親しんだ景色も、生温い生活も、大事な二柱の神様には替えられないからと、すべて犠牲にしたんだから。

 

 なのに。ああ、それなのに。

 

 

 

 どうしてあなたがそこにいるの。

 

 

 

「じゃあね。しばらく眠ってなさい」

 

 五色の気弾が少女から放たれる。力量差を知らしめるためか、幻想郷の住人として、先達から新人への訓戒のためか。紅白の巫女が選んだのは、情け容赦のない一撃だった。

 

 絶望的な力の込められた弾幕が少女を覆い尽くす。逃げ場はない。回避する気力すら残っていない。否、しようとも思わない。彼女の視界には、今にも襲いかかろうとする大玉はおろか、対峙する巫女すら映ってはいなかった。

 

 もはや奇跡の力は残っていない。二柱への信仰も、現人神としてのプライドも、すべて使い切った。榊は折れ、符は尽きて、神気のかけらもありはしない。文字通り空っぽだった。神としての少女を構成する、一切合切が零に成り果てた。

 

 自分の中の何もかもが消え失せて、最後に残ったものを目にした瞬間、傷だらけの掌を空へと伸ばす。ほんの一瞬だけ、何かが掴めた気がした。

 

「――――藤丸、くん」

 

 東風谷早苗は、久しぶりに笑うことができた。

 

 

 

「おっと!」

 

 吹き飛ばされてきた博麗霊夢をキャッチした霧雨魔理沙は、危うく転落しかけた箒にまたがるや、戦場となっていた境内へと着地した。東風谷早苗と名乗る緑の巫女のスペルカードは風に由来するものが多かったため、掃き清められていた境内が悲惨な有様となっている。すっかり裏返ってしまった石畳は誰が直すのだろうか。

 

 抱きかかえた紅白の巫女を降ろしてやる。ぼすん、とお尻から落ちたショックで目が覚めたか、パチリと開いた目が数回またたく。ようやく焦点の合ったらしい視界が自分の胸に向けられたとき、うぇっ、と年頃とは思えない悲鳴が響いた。

 

「あーもう、やられた!」

「あらら、破れてら」

 

 巫女装束の左胸、心臓にあたる位置の生地がぽっかりと破れていた。わずかな起伏を潰すサラシが露わになってしまい、これでは隠し様がない。さすがに恥ずかしいのか、片手で胸を覆う友人の姿に、めったに見れないものを見たと魔理沙は思った。

 

「珍しいな、お前が被弾するなんて。それも急所に当たるとか」

「動きは全部わかってたのよ。いつもどおり避けてたのに、最後の最後で見えなかった」

 

 その言葉に嘘はない。根っからの感覚派かつ天才型である博麗霊夢は、敵の繰り出す弾幕や攻撃のすべてを、己の勘だけで攻略してしまう。相手が大妖怪だろうと吸血鬼だろうとそれは変わらない。そんな彼女が悔しそうに顔を歪ませるなど、いったい何年ぶりだろうか。

 

 一対一の約束で繰り広げられた勝負は、終始霊夢のペースで進んでいた。霧雨魔理沙の目から見ても力量差は歴然としていた。スペルカードルールは奥が深く、たとえ神であっても人間に敗北することが珍しくない。魔理沙自身も下馬評を覆して勝利をもぎ取った経験が何度もある。場数と研鑽が求められる世界なのだ。

 

 神の奇跡を用いる東風谷早苗にとって、博麗霊夢は天敵に等しい存在である。ただでさえ実戦経験に乏しい上に、相手は神への対処法を十二分に知り尽くしたエキスパートなのだ。現人神だろうと何だろうと、神の力に依るのなら博麗霊夢には通用しない。八雲紫の秘蔵っ子であり、幻想郷が産み落とした調停者たる所以だろう。

 

 そんな友人が目の前でドジを踏んだというのだから、魔理沙には何とも信じられなかった。明日は槍でも降るんじゃないか。神様のいる山なので否定できないのが恐ろしい。終日家に籠もっていようか。

 

 気だるげに起き上がった霊夢がパタパタと装束の汚れを落とした。土埃に混ざって、燃えカスになった紙の切れ端を見つけた魔理沙が拾い上げる。何の絵柄も浮かばない、無色のカードに込められた想いを読み取ろうとして、すぐに止めた。

 

「ハート・トゥ・ハート」

「何よそれ?」

「あるいは恋の歌、かな。部外者が知るのは止した方がよさそうだ。こいつの宝物みたいだしな」

「知りたがりのあんたらしくないわね」

「女の子にはそういう時もあるんだよ」

 

 お前にあるかどうか知らんが、と言わないのが魔理沙の優しさであり、優越感でもあった。

 

 このカードの存在を少女が自覚していたのか。おそらく知らなかったに違いない。本人にも使えないジョーカーだからこそ、博麗霊夢に通用したのだ。それは赤い霧の吸血鬼にも、冥界に座する女主人にも、月の姫たる存在にも為せなかった、彼女だけの偉業である。

 

 “恋”を知る霧雨魔理沙だけが、そのことを理解できたのだ。

 

 ふたり並んで境内を進む。ボロ雑巾よりも酷い姿になった少女が仰向けに倒れているのに近づいて、魔理沙はその豊かな懐深くにカードの切れ端をしまってやった。

 

「見なさいよ。なんで負けたのに幸せそうな顔して寝てるんだろう、こいつ」

「ぐーすかぴーって感じだな」

「勝ったこっちの方が負けた気分なんだけど」

 

 一切のしがらみから解放されたような、安心し切った少女の寝顔になんだかとても腹が立って、

 

「こんにゃろ」

「むぎゅっ」

 

 霊夢がおちょぼ口に摘まんでやった。友人には似つかわしくない、年相応のかわいらしい悪戯に、魔理沙はいよいよ明日の天気の心配をする羽目になった。

 

 






霊夢「ノーミスクリア寸前にピチュッた。絶許」
:油断も無ければ慢心もしない。恋の一撃だけが想定外だった。このワンミスをきっかけに交流が増えた模様。


魔理沙「まだ成長するし。余裕だし」
:対神奈子戦は魔理沙が交代でこなした。なんとなく同じ匂いを感じたので早苗と仲良くなる。その胸は平坦であった。将来性は大いにある、と気に入った神様のフォローあり。


神奈子「次はもっと上手くやるさ」
:未登場。妖怪の山にて勢力を拡大するものの、幻想郷のパワーバランスを把握する前にテリトリーが肥大化し過ぎた(早苗がやり過ぎた)ことで統率が取れずに瓦解。もう少し穏便かつ堅実にやろう、と方針転換した。八雲紫とは年頃の女の子を抱えたおっかさん同盟として飲み友達になる。


諏訪子「分け身と連絡が取れなくなった件について」
:未登場。霊夢・魔理沙と一戦交えたことで下界に興味を持ち、幻想郷中をほっつき回る神様が誕生した。早苗が勝てるとは思っていなかったが、予想以上に善戦したのでケロちゃんもにっこり笑顔。翌日のしごきが倍になった。


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