サクラ大戦2外伝~ゆめまぼろしのごとくなり2~ 作:ヤットキ 夕一
【第3話より】
──それは、秋公演を間近に控えたある日のことだった。
「関係者以外は入っちゃダメって言ったじゃないですか!」
「いや、僕は関係者なんだけど……」
「そんな、私、見たことありませんよ、あなたのこと」
「うん、僕もキミのこと見たことないからね」
大帝国劇場の正面玄関から入ってすぐのところ、ロビーの片隅にある売店付近から、男女の言い争うような声が聞こえてきた。
事務局からロビーへと歩いてきていた藤井かすみはそれを聞いて眉をひそめた。
「いったい何事ですか……」
まだ公演が行われていないので、それほど混雑しているわけではない。
劇場内に入ってくるのは、売店か食堂目当ての人くらいだろう。
だが、ときには熱心なファンがスタアの姿を一目でも見ようと奥に入ろうと試みる、そんな不心得者が出ることもあった。
その
「あら、何の騒ぎですか?」
そう声をかけた彼女だったが、当事者の顔を見て──思わず唖然とした。
「「かすみさん!!」」
奇しくも言い争っていた二人の声が重なる。
そしてこの二人が、いったいどうしてこんなことになっているのか、かすみにはさっぱり理解不能だった。
「聞いてください、かすみさん。この人、勝手に奥に行こうとして……」
まだ若い──どころか幼くさえも感じられる童顔に髪を纏めている、出張中の椿の代わりに売り子を務めることになった、華撃団育成機関である乙女組からの研修生・野々村つぼみが主張する。
「それは、確かに困りますけど──」
かすみが話を聞くと、味方を得たとばかりに自信を持った顔になって相手を見た。
「お願いします、かすみさんからも注意してもらえませんか?」
問題は──彼女が揉めている相手の男だ。
かすみはその男の顔を見て、絶句するしかない。
「かすみさん。お久しぶりです」
そう挨拶する人を、かすみは知っている。
もちろん、忘れるわけがない。
あろうことか帝国華撃団の誇る五部隊の長の一人──というのもあるが、それ以上に、かすみにとっては忘れられない相手である。
なぜなら──彼女の想い人だからである。
「う、梅里くん……」
言葉が口をついて出る。
あの日、水戸の彼の実家で一夜を共にして──それから彼のことを考えない日はなかった。
新しい技を会得とか、極意をつかむ等と言ってはいたが、剣術の心得のないかすみにとってはよく分からない話で、とにかく彼の修行が終わるまでは帝都に帰ってこない、という話だった。
最初の数日は、覚悟していたのでそれほど苦でもなかったが、帝都で待つ日が一週間を越え、十日を過ぎたあたりからは、まさに一日千秋の気持ちで彼を待ちわびた。
それからさらに数日──待つのに疲れたころになって、戻ってくる連絡もなしにふらっと帰ってきたのは完全に不意打ちであり、その姿を見たかすみが感情を爆発させるのに十分だったのである。
「──ッ!!」
次の瞬間、かすみは思わず彼に抱きついていた。
そして力を込め、ギュッと抱きしめる。
その余りに突然な行動に、言い争っていた二人──梅里とつぼみは呆気にとられてなにも言うことができなかった。
そして──呆然と、抱き合う二人の姿を見ていたつぼみが我に返り、「うわぁ……」と声を出して見ている。
それで梅里も我に返り──力強く抱きしめてくるかすみの背をポンポンと軽く叩く。
「あ、あの……かすみさん。嬉しいんですけど…………他の人が見てるんですが?」
「──えッ?」
ふと我に返るかすみ。
そして自分のしたことに改めて気が付き──
「ご、ごめんなさい。梅里くん……」
あわてて頭を下げる。
それに気まずそうに視線をそらして虚空を見上げ、頬を掻く梅里。
そんな二人を見たつぼみは──
「この人、かすみさんの恋人さんですか?」
そう尋ねる。
それにかすみは慌てた様子で──
「あのね、つぼみちゃん。この人は……この劇場の食堂主任の武相 梅里さんですよ」
「食堂主任の、武相……さん?」
かすみの説明で、帝国華撃団夢組隊長の名前と、平時の肩書きを思い出したつぼみは顔を青くして謝るのであった。
【第5話より】
~ここまでのあらすじ~
11月初旬の、季節外れの雪が舞う中で蜂起した太正維新軍騒動。
陸軍大臣である京極 慶吾が旗印になり、若手将校達が決起したこの事件は、一時は帝都の要所を抑えるに至り、帝国華撃団も銀座の帝劇本部を抑えられてしまう。
そこを脱出した花組の大神とさくらは、支部のある浅草・花やしきに向かい、そこで受領した新型霊子甲冑で、維新軍と結託する黒鬼会との戦いを始める。
帝劇本部を奪還し、奪われた魔神機を取り戻した華撃団は、黒鬼会と決着をつけるべく赤坂の地下にあるその本拠地を襲撃する。
そして──激しい戦いの末、五行衆の生き残りであった金剛と土蜘蛛、それに黒鬼会を統べる鬼王を打ち倒し、京極の野望を砕いたのであった。
そうして春先から続いた一連の騒動はようやく終息し、大帝国劇場は12月を迎え──太正維新軍で荒れた帝都の現状と、市民たちの心を憂い、癒すために12月24日にクリスマス特別講演「奇跡の鐘」を行うことを決めた。
そして──その日に、食堂でも特別メニューを出すことが決まったのだが……
武相梅里は悩んでいた。
「クリスマスの特別メニューねぇ……」
それを考え始めてはや数日。しかし考えはまとまらない。
今日は、朝早くから華撃団の仕事が入っていたので、夜の部の営業には自分の名前は入っていない。
そのためにすでにコックコートから着替えており、普段の紺のズボンに黄色いシャツの上に濃紅梅という色にそまった羽織──さすがに寒くなってきたので厚手のもの──という姿になっている。
すでに夕方5時近く。年末迫るこの時期でのこの時間はすでに日が沈んで暗くなっている時間であった。
本来なら帰って構わないはずなのだが──特別メニューで悩む彼は帰宅せずに考え込み、ついには帝劇内をウロウロと歩き始めていた。
クリスマスを祝う文化が入ってからそれなりに年数は経っているが、日本で定番料理というものが定着する前であり、それゆえに梅里は悩んでいたのであった。
「やっぱり、色味も大事かなぁ……」
サンタクロースの服である赤、クリスマスツリーの緑、雪景色の白──そういった色が入ればそれらしくはなるような気もする。
「洋食で赤といえば、やっぱりトマト系だろうし──ッ!?」
考え込んだ梅里が、事務局の前を通り過ぎようとしたときのことだった。
その腕をサッと掴まれたかと思ったら、意外に強い力でグイッと引っ張られ──梅里は事務局内に引きずり込まれた。
「えッ? えぇッ──?」
突然のことに訳も分からず戸惑う梅里。
あわてて掴まれた腕の方を見ると──にっこりと微笑む笑顔と目が合った。
「こんばんは。武相主任」
「こ、こんばんは……かすみさん」
編んだ長い髪を体の前に垂らし、長い前髪は分けている──そんな髪型に、一見すると和服のようだがよく見ると違っている服を身にまとった、ここ事務局で勤務している女性のうちの一人、藤井かすみであった。
普段から微笑みを絶やさない彼女だが、今、彼女が浮かべている笑みは────なぜか妙に圧があった。
そして掴んだ腕にかかっている力も──ともすれば痛いほどに──強い。
「あ、あの……かすみさん? ど、どうかしましたか?」
「いえ、お久しぶりに武相主任にお会いしましたので、つい……」
そんな彼女の言葉に梅里は「久しぶり?」と首をひねる。はたしてそんなに会っていなかっただろうか、と考え込んだ。
なにしろ最近は今も考えていたクリスマスの特別メニューを考えるので頭が一杯だということもあって、なかなか思い出せない。
そして──腕を掴んでいる彼女の手がさらにギュッと握られる。まるで絶対に逃がさない、とばかりに。
「え? あの、かすみさん。腕がちょっと……」
「ちょっと、ですか? ちょっと……何でしょうか?」
畳みかけるように尋ねてくるかすみにたじろぐ梅里。
「そうそう、“ちょっと”といえば私も武相隊長に、ちょっとお伺いしたいことがありまして……よろしいでしょうか?」
ズイッと迫ってくるかすみに、思わず引く梅里。そして腕は痛い。
(武相隊長って──こんなところでそう呼んでくるなんて、かすみさんにしては珍しい……というか、怒ってない? 明らかに怒ってるよね?)
風組の任務では翔鯨丸に乗り込み、同僚の由里や椿を含めた通称帝劇三人娘のリーダー格であるかすみは常に冷静沈着といったイメージだ。
それは普段の事務局でも同じであり、彼女が怒っているのは本当に珍しい。
「え……っと、なんでしょうか?」
「とある筋から、ある噂を小耳に挟みまして──」
梅里は、「とある筋って由里さんでしょ?」と思った。帝劇内でウワサといえば彼女が真っ先に思い浮かぶ。それくらい彼女は帝劇内の情報通であり、噂の発信源でもある。
そして彼女のことが頭に浮かんだから気がついたのだが──この事務局にいつもかすみと共にいるはずが、今はその姿が無かった。
「……武相隊長? 聞いていらっしゃいますか?」
「え? あ、うん。もちろん……ただ、由里さんがいないのが気になって……」
「彼女は別の場所で仕事中です…………そんなに、私以外の女の人が、気になりますか?」
「──え?」
かすみの笑顔の圧が余計に増した気がする。明らかに火に油を注ぎ、その勢いが増した感じだ。
「先ほどの噂ですけど……この前の黒鬼会との戦いで、敵巨大魔操機兵の自爆を防いで、大活躍したそうですが──」
黒鬼会の本拠地での戦いで、正面突破で最深部へ向かう花組を支援すべく、入口付近で結界を張り、帰還部隊に後方から挟撃されるのを防いだのが、梅里率いる夢組本隊であった。
案の定、裏口を警備していた土蜘蛛がやってきたためにそれと激闘を繰り広げ、どうにか撃破した梅里達の前に現れたのが
黒鬼会の、五行衆に準ずる幹部である“人形師”が改造したと思われるそれは、元は五行衆の火車専用の大型魔操機兵・五鈷だった。
ただし、改造によって火器をはじめ武装は撤去されており、動きも搭乗者が操縦するものではなく、
そして、武装のないその魔操機兵の唯一にして最大の攻撃方法は──機関の暴走による自爆。
過剰なまでの高出力な動力機関はたやすく暴走するように設定されていた。
それに加えて、燃料ともいえる霊力は『陽属性』という太陽の力。その属性こそがやっかいであり、もし爆発すれば黒鬼会の本拠地を跡形もなく消し飛ばせるほどの威力が出ていただろうと推測されている。
それを夢組は、動きを止め、装甲を外して操縦席から搭乗者を救出し──暴走を止めたのである。
その中心となり、安全のために張り巡らせた結界の中で、改造五鈷という爆弾の“解体作業”をしたのが──他でもない夢組隊長の梅里だった。
「ええ、そうですよ。さすがにあのときは緊張したけど……」
かなり危機的状況だったのを思いだし、「ああ、かすみさんはまた僕が無茶なことをしたから怒ってるのか」と勝手に納得する梅里。
だから彼は簡単にそのときの状況を説明した。彼女の誤解がないように。
だが──それは見当違いだった。
「なるほど。では噂は間違いないようですね……」
不意にかすみの顔から笑顔が消える。
「──その暴走した巨大魔操機兵に乗せられていた、
「いッ!?」
腕を掴む力がさらに強くなる。
黒鬼会との決戦の前、花やしき支部防衛戦でカーシャと直接戦った梅里は、華撃団を裏切っていた彼女の誤解を解いた。
しかし、その直後に“人形師”によって拉致され、改造五鈷のパーツとして組み込まれていたのである。
操縦席で霊力供給源にされていた彼女を助けたのは、確かに梅里であり──体から強制的に霊力を絞り出されていた彼女は確かに“全裸”だった。
もちろんその様子は夢組本隊で従事した者達のほとんどが見ているわけで──噂にならないわけが無く、由里の耳に入らないわけがない。
「ご、誤解だよ、かすみさん。あれは、カーシャに無理矢理……」
「武相隊長ほどの剛の者な方が、そんな容易く組み敷かれるわけありませんよね?」
絶対零度並の冷たい視線が梅里に突き刺さる。
以前あった黒之巣会との戦いのころから、生身で魔操機兵・脇侍から降魔に立ち向かい単独で討滅でき、果ては他の助力を得てとはいえ巨大魔操機兵を倒している梅里の実力は折り紙付きである。
その強さは華撃団でも有名であり、もちろん鬼王に襲撃されて戦う姿を見ていたかすみが知らないはずがない。
「い、意外とカーシャも強いんですよ? 紅葉と互角なくらいだし……」
「知りません! そんなこと──」
夢組内における個人戦闘力で梅里に次ぐ実力を持つといわれる除霊班頭の秋嶋 紅葉の名前を出して、その実力をアピールしたのだが──梅里が他の女性の名前を口にしたことで、余計にかすみの神経を逆撫でただけだった。
「あのときはカーシャも救出直後で、意識も朦朧としていて混乱していたみたいだし──」
「……カーシャさん、意識がハッキリしていたとおっしゃっていたそうですが?」
「う……」
「それに、武相隊長が自ら
「ぐふッ!」
梅里の痛いところを的確についてくるかすみの言葉。
ちなみに、梅里は「僕らのもとに」と言っていたのだが、本人はそこまで正確に覚えていなかった。
「仕舞いには、カーシャさんに服をはぎ取られた上に、彼女からすべてを捧げる、なんて言われていたそうで──」
「グハッ!!」
かすみのたたみかける言葉の連打によってダウンする梅里。
ガックリとうなだれる梅里を、冷たい目で睥睨するかすみ。
「──彼女から捧げられたんですか? すべてを」
「だ、だからそれは誤解で──あのときは僕も霊力の消耗が激しくて、体が動かなかったから……」
「霊力消耗が激しかったのは、直前まで暴走する巨大魔操機兵に霊力を吸われていたカーシャさんの方では? と、素人目には思えるのですけど」
確かにカーシャは消耗していただろう。
だが、梅里はその直前に土蜘蛛の駆る八葉とも死闘を演じている。
さらに言えば、その日は早朝から花やしき防衛戦、魔神機の奪還戦──ここで梅里は鬼王と一対一で戦っている──を経ての黒鬼会本部での戦いであり、移動中にこそ休憩はしていたものの、ほとんど戦いづめだったのだ。
だが──梅里はその事情を話すのを躊躇った。八葉との戦いで彼は、かずらと心と霊力を合わせた強力な一撃を放ち、その動きを止めていた。
その行為が、なんとなく後ろめたかったのだ。
「では、体が動いたのならその場で始めていた、と。そういうわけですね──」
「ち、違うよ!! ともかく、かすみさんが心配するようなことは、何一つありませんでした!!」
必死な梅里の言葉に、かすみは久しぶりに笑みを浮かべる。
「あら? 私が心配するようなことって……具体的にはどのようなことでしょうか?」
「そ、それはその……浮気、とか…………」
「……
「え?」
「カーシャさんと、衆人環視の中で、随分と濃厚な口づけをなされていたとお伺いしましたが……どうなんですか、武相隊長?」
「ぐッ……」
もちろん──身に覚えはある。
たとえそれがカーシャに奪われたものであっても、間違いなく事実である。
梅里はその場に膝をつき、姿勢を正し──深々と頭を下げる。
「……………………本当に……誠に申し訳、ございませんでした」
頭を下げるしかなかった。
まるで不祥事を起こした者が謝罪会見で見せるような、それは見事な土下座であった。
しかし──
「──どうして、謝るんですか?」
「はい?」
かすみの意外な言葉に、思わず顔を上げる。
彼女のジッと見つめる目と目が合い、思わず目を
「梅里くんは、どうして、私に、謝るのでしょうか?」
「そ、それは……僕がかすみさんを、傷つけたから……」
その通りだが、かすみが欲しい言葉はそれではなかった。
「なぜ、傷つけたら謝るんですか?」
「えっと……僕にとって、かすみさんは大事な人なわけで──」
惜しい、ちょっと違う。もう一声──
「どう大事なんですか?」
「えぇッ!? そ、それは……」
追いつめられ、戸惑う梅里。
視線を走らせて周囲に人影──特にこの事務局に常駐する噂好きのあの人──がいないのを確認し、顔を赤くしながら言う。
「ぼ、僕が──かすみさんを、愛してるから……です」
「…………ッ」
無言で視線をそらすかすみ。
だが──それが正解。気恥ずかしさで思わず視線を逸らした彼女だったが、自分の赤くなった顔を隠すためでもあった。
「あ、あの……かすみさん?」
反応のない彼女に不安を感じた梅里が思わず立ち上がり──かすみの向いている方へ回り込もうとする。
そこへ──
ドン
かすみは自分の机の上にあった書類の山を、隣の机へと置き直した。
「え? これは……?」
突然置かれた書類の山と、かすみを交互に視線を走らせて見比べる梅里。
その間に気を取り直したかすみは、再びにっこりと笑みを浮かべた。
「実は、事務局の書類整理が山のように残っていまして、由里も別の仕事をしているので人手を探していたのですが……」
再び浮かべた妙に圧のあるその笑顔。
それに圧された梅里は──
「て、手伝いましょうか? かすみさん……」
そう申し出るしか無く──かすみはそれを変わらぬ笑顔で受ける。
「あら、武相主任、自ら申し出てくださるなんて申し訳ありませんね。ではよろしくお願いします」
「あ、あの……慣れていないのでお手柔らかに…………」
舞台が開演している間しか仕事がなく頻繁に伝票整理を手伝っているモギリの大神とは違い、普段は厨房を仕切っている梅里は事務局の手伝いをほとんどしたことがない。
同じ隊長でも彼と同等の仕事はできませんよ、とアピールした梅里だったが──
「あら? 申し訳ありませんけど時間がありませんので、私もそれ相応に接しさせていただきますよ?」
かすみは笑顔で無情にもそう言う。
そしてトドメに──
「──そもそも、浮気者にかける情けなど無いと思うんですけど……どう思いますか? 梅里くん」
「……はい。おっしゃるとおりです」
何の異論もありません。
そう言わんばかりに、梅里はガックリとうなだれた。
──さて、慣れない事務仕事に四苦八苦していた梅里だったが、そんな彼を微笑ましく思ったのか、フォローするかすみの機嫌は当初に比べればだいぶ良くなっていた。
おかげで仕事がはかどり、思いの外に早く終わったため──かすみは「手伝っていただいたお礼に」と食事に誘われ、二人で大帝国劇場と同じ銀座の煉瓦亭へと向かった。
そうしてやってきた煉瓦亭に入るとタイミングが良かったようで、待つことなく席に案内された。
そうして二人が席に着くと、たまたま客席にまで出てきていたコックコート姿の男性がおり、梅里は目が合ったので挨拶をする。
帝劇の食堂とは同じ銀座で洋食を提供するものとして
さらには梅里は、洋食屋での修行経験はあるものの、実家で身につけた調理技術の根本は和食のそれであり、洋食を学ぶ余地はかなり大きく、日々勉強や研究を欠かさない。
その研究の参考としているのが、ここ煉瓦亭であり──それを知ってか、煉瓦亭側も梅里を邪険にすることなく受け入れているという、かなり変化球の教える側と教えられる側であった。
そんな梅里の来店に気付いた男性は、その横にいるかすみにも当然気がつく。
からかうようにニヤリと笑みを浮かべて梅里達の下へとやって来ると──
「お? この前連れてきたのとは違う女性だな。やるねぇ、色男」
そう言ったものだから、梅里は焦った。
「な? と、突然なにを言うんですか!?」
そんな梅里の反応に、彼は満足そうに笑う。
「ちょ、マスター! 少しはフォローを……」
「…………梅里くん」
慌てる梅里だったが、正面からの冷たい声と視線に姿勢を正す。
「はい……」
「誰と来たんですか?」
「……せりです。主に料理の研究のために…………」
無抵抗で洗いざらい素直にしゃべる。
今日の流れから、変に誤魔化すのは完全な悪手であると梅里は理解していた。
そしてそれが功を奏したようで、かすみは笑顔を浮かべ──
「なるほど。でも、せりさんはそう思ってないかもしれませんね」
ニッコリと笑みを浮かべたまま、巨大な釘をグッサリと刺していた。
そして──
「マスター、一番高い料理って何ですか?」
「それはもちろん──」
素直に挙げられたその料理の名前を聞き、かすみは──
「では、それでお願いします」
「承りました」
即答したそのオーダーを、爽やかな笑顔を浮かべた調理する人自らが受ける。
そしてかすみは梅里の方を振り返り──
「もちろん、今日は梅里くんが払ってくれるんですよね?」
笑顔でそう言い──
「……はい」
梅里は頷くしかなかった。
そんな一幕もあったものの、かすみと梅里が注文したものが運ばれ──二人はそれに舌鼓を打つ。
だが、その最中にかすみは梅里の憂いの表情を見抜き、それが悩み──事務局前までウロウロするほどに彼が考え込んでいたもの──によるものだと推測した。
そしてそんな彼の悩んでいることを聞くと、今度のクリスマス公演に合わせた特別メニューの内容が決まらずに悩んでいるという。
海外では七面鳥を使ったものといった定番料理が確立されているが、日本にはまだそれがない。海外に合わせようにも七面鳥は珍しく、高価であり、それをメニューとして出すのは難しいとのことだった。
その悩みを聞きながら、かすみはふと「特別なメニュー」ということである噂を思い出した。
「そういえば、去年の一時期、絶叫オムライスというのがあると聞きましたが……」
「──ッ!?」
危うくむせかける梅里。
少しせき込んだ彼は、苦笑いでかすみを見つつ──
「それってただの噂話で──」
「嘘ですよね? 特別なオムライス……あるんじゃないですか?」
かすみが鋭いところを見せて、梅里に詰め寄った。
視線を逸らして誤魔化そうとする梅里。
しかし、それをじっと見つめつつ、かすみは──
「う・め・さ・と・く・ん?」
ニッコリと──今日は何度と無く目にした圧のある笑みを向けてきた。
アッサリとそれに折れた梅里は、ため息混じりにうなだれて説明を始める。
「アレは……せりに作るの止められているんです。あくまで試作品なので作るときには許可を得た上で、せり以外に食べさせるなって」
「せりさんから?」
「ええ。僕が全力で作ろうとすると採算度外視になって材料費が掛かりすぎちゃうんですよ。だからせりの許可がなければ作れなくて……」
梅里の説明に、かすみは「なるほど」とうなずく。
「でも、たまに作ってる、と?」
「まぁ、そうですけど……あくまで試作扱いですけどね」
そう言って梅里は目の前の料理を一口、自分の口へと入れる。
「それを、せりさんだけに食べさせている、というわけですよね?」
まるで取調べのようであった。
そして──笑顔こそ無いが、圧はかなり強い。
それにたじろぎながら、梅里は誤魔化すように視線を逸らす。
「……たまにかずらやしのぶさん、それに最近気がついたカーシャが食べるときもありますが…………」
そんな梅里を、かすみはジッと見つめる。
「私、食べたことがないんですが……?」
笑顔を浮かべつつそう言った。
「う……」
それを指摘されると弱い。
だが、さすがにせりとの約束をおいそれと破るわけにはいかなかった。
偶然にせりが不在と思って食べさせたしのぶや、いつの間にか強引に割り込んできたかずらやカーシャと違い、ここでこうして確約するのは気が引けたのである。
「……さっき、梅里くんはなんて言いましたか?」
「え?」
かすみの問いの意図が分からず、思わず問い返す。
「ここにくる前、梅里くんは私のことをどう思っている、と言いましたか?」
「そ、それは……」
ここで言うんですか? と梅里は思わずかすみを見る。
さすがに人気店というだけあって、仕事のせいで少し遅くなったとはいえ店内は未だに混んでいた。
さすがにこの状況でソレを言うのは──と思ったのだが、かすみはじっと見つめており、許してくれそうな気配はない。
「だ、大事な人、です……」
ヘタレの梅里は無難な方の言葉を選んだ。
もちろんそれで満足するかすみではない。
「それは、何番目に大事なのでしょうか?」
「いぃッ!?」
さらに突っ込んできたかすみの質問に梅里は面を食らう。
彼女は、詰問するその瞳に愁いを帯びさせて、梅里を見つめた。
「せりさんの頼みは聞くのに、私の頼みは聞いてくれないということは、せりさんが一番で私は二番目……いえ、しのぶさんもかずらちゃんもカーシャさんも食べさせてもらったものを食べさせて貰えないということは、私はさらに下の──」
「い、一番です! 僕にとってかすみさんは、一番大事な人です!」
慌てて、思わず席を立ち上がりながら言ったその言葉は、意外と大きく店内に響いた。
なぜかしーんとする店内。その視線が梅里へ──そして彼と一緒にいるかすみへと集中する。
それを横目で感じながら──誰かが冷やかしで始めた拍手が起こると、その輪が広がっていき──梅里とかすみの顔は真っ赤に染まるのであった。
「梅里くんは、せりさんとの約束を破るのが後ろめたいのですよね?」
場が収まってから、気を取り直したようにかすみが言う。
それに梅里が振り向くが──うなずきはしなかった。
「あなたが優しい人だというのは、私も分かっていますから。人との約束を大事にしようとするのも」
そんな優しさが彼の魅力の一つであるのは、かすみも分かっている。
だから今度はかすみ自身に気を使って、肯定もできないのだろう。
「では、以前言っていたお礼……梅里くんが意識がなかったときに私が世話をしたお返し、ということではどうでしょうか?」
「まぁ、それなら……わかりました」
その言葉には、梅里は頷いた。
梅里が承諾したことに内心喜ぶかすみ。
しかし、やはり不満は残る。
(私のことを一番大事と言っているのに……他の
心の中でそっとため息をつき──もう一品なにか追加しようか、と考える。
自分にそんなモヤモヤを抱かせたことへの詫びや、そもそも大事な人への裏切りともとれる行為の代償と考えれば──けっして高くはないだろう、と思った。
そんなかすみの機嫌は店を出ても元には戻らなかった。
送っていった先の彼女の住む部屋でいろいろとアレやコレや頑張って──どうにかうやむやにする 機嫌を直すのに成功する梅里であった。
そして迎えた12月24日──クリスマス・イヴである。
この日限定で行われた特別公演は『奇跡の鐘』は大成功を収めた。
密かに総合的なプロデュースを花組隊長の大神一郎が執り、そのおかげで団結力があがったせいもあったのだろうが、素晴らしい結果を生みだした。
太正維新軍騒動で消沈していた帝都市民を鼓舞したこともあり、それが後生に“伝説”として語り継がれるほどであった。
その影に隠れながらも、食堂での特別メニューはこっそりと、知る人ぞ知る伝説となった。
かすみの提案がきっかけで特別メニューの一つとしてオムライスが採用された。ただし「情緒不安定にさせたら公演が台無しになる」という食堂副主任の指摘で梅里の『全力』のオムライスは回避され、程々に抑えられたものではあったが、それでも絶品だったと密かに語り継がれる。
そんな劇場も食堂も客が大入りで、多忙な一日もようやく終わろうとしていた。
そして事務局はといえば、公演や食堂・売店の営業が終わるまではもちろん劇場を閉めることができず、また閉まった後も、歳末が迫っているために今日中に終わらせなければならない仕事が多岐にわたり──結果的に由里とかすみは夜遅くまで仕事をすことになった。
そんな仕事もようやく終わろうとし──かすみは由里に声をかける。
「由里、先にあがっていいわよ。私もこれが終わったらあがるから」
「え? 大丈夫よ。かすみが終わるのをちゃんと待つから……」
「そうはいっても、もうこんな時間よ?」
かすみはそう言って事務局内の時計を見上げる。
つられて視線を向けた由里は──
「え……嘘? 全然気が付かなったわ。こんなに遅くなってたなんて……」
「そういうこと。これ以上遅くなるのは危ないし──先にあがって頂戴」
「でも、それならかすみだって危ないんじゃ……」
心配そうな由里に、かすみは苦笑気味の笑みを浮かべる。
「そうね。あまり遅くなったら一人で帰らないで、ここに泊まっていくわ。だからなおさら先に帰って。二人で泊まると、さすがに狭くなるし」
「ああ、それもそうかも……じゃあ、悪いけど、先にあがらせてもらうわね。かすみもキリのいいところであがるのよ? それと無理に帰ろうとしないように」
「分かってるわ」
心配しながらも割り切った由里の態度に少しほっとする。
例えば二人とも残ってしまったら、明日は二人とも疲れを残しながら勤務するようなことになりかねない。
その辺りを察してくれる同僚に、かすみはほっとしながら、少しだけ残業時間を伸ばす。
──やがて仕事が一段落し……
「ふぅ……」
手を止めたときには、かなり遅い時間になっていた。
時計を見ながら苦笑し、やはり
とはいえ──
(泊まるのは覚悟していたけど……)
由里を先に帰した時点でそれは考えていた。
だが、仕事の多忙さのせいで認識の外になってしまっていたが──すっかり夕食を採り忘れていたのだ。
忙しさのせいもあって、この空腹感はかなり強い。
(でも、食べるものなんて残ってないでしょうし……)
あるいはもう少し早ければ、ここで寝泊まりしている花組達の、今日は公演の関係で遅めだったであろう食事にご相伴を
ともあれ、この空腹感はいかんともし難く──かすみはなにか残っていないかと一縷の希望を抱いて食堂の厨房へと向かった。
その最中──
「──? これは……」
意外にも、かすみはハッキリとした食べ物の匂いを感じていた。
しばらく前に誰かが食事をしたような残り香ではなく、今まさに、そこに食事が用意されている、そんな明確な香りである。
それに釣られたわけではないが、当初の目的通りに厨房へたどり着くと──意外な人が待っていた。
「──あ、かすみさん。仕事終わりました?」
「あの……梅里、くん?」
厨房の明かりはすでに落とされていたのでハッキリとは見えなかったが、さすがに寒かったのかコックコートの上に濃紅梅の羽織を着たその姿には見覚えがあった。
彼はにこやかに微笑んでうなずいた。
「ええ、かすみさん達が残っているのを知って、食事もまだだろうと思ったから、僕も残ってました」
「──え?」
それにはさすがに驚くかすみ。
「由里さんも食べてなかったみたいなんですけど、話をしたらアタシはいいわ、って帰っちゃって……あ、とにかく持ってきますね」
困惑顔で苦笑した梅里が厨房の奥へと姿を消す。
去り際に梅里が「食堂に持って行くので待っていてください」と言ったので、それに従う。
そして食堂の席に着いたかすみは、ふっと小さくため息をついた。
「まったく、由里ってば……」
彼女が食事を辞退したのを知ってかすみは、同僚の「貸し一つね」という声が聞こえた気がした。
すでに梅里とのことを知られてしまった由里が気を使ったのは明らかだった。
梅里との関係は水戸から彼が帰ってくるまではどうにか隠していたが、帰ってきてからは露骨に出てしまったらしく、由里にはあっという間にバレた。
それを帝劇中の噂にしないでくれているのは、彼女の同僚に対する温情だろうと思っている。
──ちなみに、ここだけの話だが、由里はかすみの年齢を気にしているので、ここでこの縁を壊してしまうわけにはいかない、と気を使って余計な刺激を与えないようにしているのである。
そんな同僚に思いをはせていると、料理の載せられた皿を手に、コックコート姿の梅里が姿を現した。
「かすみさんだけって分かったから……特別なのを用意しました」
そう言って笑みを浮かべた彼がテーブルに置いたのは──
「オムライス……ということは、まさか!?」
「ええ。かすみさんが考えているとおり、全力のそれです。副主任には内緒ですよ?」
そう言って悪戯っぽく片目を閉じる。
暖かいものを提供できるようにと準備していたそれは、できたばかりのものであった。
食器が並べられ、おりからの空腹のせいもあって「さぁ、食べてください」という梅里の言葉に機械的に従って、一口分のそれを口へと運び──
「────────ッッッッッ!!」
食べた瞬間、すべての味蕾を刺激するような圧倒的な美味さが舌を襲った。
そしてそれを起因に、言いようのない幸福感で感情が一杯になる。
事前の『絶叫オムライス』という噂を聞いていたおかげで警戒していたため、あわてて口を押さえることに成功した。
そして絶叫こそしなかったが──その満たされた気持ちに涙があふれるのは止められなかった。
滂沱となってあふれる涙をそのままに、体はもう一口、と動いている。
そんなかすみの様子に、傍らにいる梅里が少し驚いた顔をしていた。
だが、かすみが──
「美味しいです。とても……」
半分近くまで食べてようやく手が止まり、かろうじて言葉を出すと、彼は笑顔を浮かべ──
「よかった」
ホッとした顔になった。
しかしその笑顔が──かすみの心をさらに強く撃ち抜いていた。
「──ッ!!」
次の瞬間には、かすみは思わず彼を抱きしめていた。
そんな彼女の突然の行動に──
「かすみさん?」
戸惑う梅里だったが、返事は無いながらも感極まった彼女の、雄弁な目を見てそれに応じ──腕を背中に回す。
そしてかすみは顔をあげ──二人は唇を重ねる。
「…………………………………………」
やがてそれを離すと梅里はかすみをじっと見つめ、苦笑する。
「──ちょっと、味付けが甘すぎましたかね?」
悪戯っぽく言う彼に、かすみも同じような笑みを浮かべて──
「──かもしれませんね。でも…………もっと甘い方が私の好みですよ?」
そう言い返すと、彼女は潤んだその目を再び閉じる。
その意図に応じて、彼女の体を強く抱き寄せ──
──梅里は再度、かすみの唇に自分のそれを重ねるのであった。
【よもやま話】
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