ダイの大冒険異伝―竜の系譜―   作:シダレザクラ

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第01話 書を破却する愚者

 

 

 歴史が俺の存在を許さないというのなら、あるべき標をぶち壊してさしあげよう。

 

 

 

 ――(ドラゴン)の騎士。

 

 太古、天上の神々は憂いた。地上の覇権を賭け、幾世代にも渡って骨肉の抗争を繰り広げる竜族と魔族と人族を疎ましく思ったのだ。そこで竜と魔族と人の神は地上の不毛な争いを終わらせるため、天地万物を司る神々の使いを生み出し、地上に降臨させた。

 額に竜を(かたど)った紋章を持つ、最強の名を冠した戦士。それこそが竜の騎士だ。竜の強靭な生命力と魔族の絶大な魔力、そして人の心を併せ持つ、三界の秩序を築く戦神が誕生したのである。

 

 竜の騎士は血を残すことをせず常に一代限りの生だったが、それで十分だった。神々に期待された通り太古の戦乱を終わらせると、以後は脆弱な人が住む地上の危機に颯爽と現れ、時代時代の苦難から人類を救い続けてきたのだから。

 竜の騎士は人に似た姿をしていても人ではない。世界に混乱が起こるたびに次代の騎士が再び聖母竜によって生み出され、そこで竜の騎士は使命を果たし、戦いに明け暮れた一生を終えて眠りにつく。それが神々の作り出した《システム》だった。竜の騎士の額に浮かび上がる力の源――《竜の紋章》が受け継がれていく事こそが、彼ら一族の生きた証なのかもしれない。

 

 ただし守られてきた人類は竜の騎士の活躍を知ることはなかった。あるいは忘れ去られたのか。現代において、竜の騎士とは各地の伝承や古文書の片隅にひっそりとその痕跡を残すのみの存在だからだ。

 自身の種族を忘恩の徒だとは思いたくないが、それでも竜の騎士の活躍が世に知られていないのは少しばかり哀れだとは思う。それは先代の竜の騎士の活躍がはるか昔だったからなのだろうか。

 

 たかだか数十年で老いては死んでいく人間だ。竜の騎士の軌跡を実体験の記憶として残せる竜族や魔族と違い、不十分な歴史の記述では数多ある風聞や伝説、御伽噺の類に埋もれ、竜の騎士の実像が風化してしまうのもわからないではなかった。加えて近年の魔王ハドラーの侵攻に際して、撃退した勇者が当代の竜の騎士バランではなく、生粋の人であった勇者アバンだったのだから、伝説は伝説と忘れ去られても致し方ない面はある。

 

 もっともその勇者アバンの勇名すら、原作時間軸ではアバンの仲間や直接の関係者、各国王族くらいしか知らない『知る人ぞ知る』レベルだったことを踏まえると、この世界はよほど情報伝達手段に難を抱えているのだろうか。あるいはアバンの意を汲んだ各国上層部が情報統制を図り、彼らを静かに暮らさせようとする狙いがあったのかとも思うが、正確な事情は俺の知るところではなかった。

 

 神々の思惑、人の思惑、竜の騎士の思惑。いずれにせよ竜の騎士は世界の秩序を乱す輩を排除するのが役目であり、その使命として地上の危機を幾度も救ってきた一方で、彼らの活躍は人知れず行われてきたものだったという事実には変わりあるまい。考えてみれば竜の騎士が歴史に埋もれていったのも当然といえば当然か。

 なぜならば、地上の危機といえばその筆頭は魔界からの魔族の侵攻である。それを未然に防いできたのが竜の騎士だったのならば、必然、戦いは魔界を舞台としたものとなるはずだ。

 

 ――戦略的にもそれは正しい。

 

 地上に侵攻されてからではどう戦ったところで被害は甚大なものとなるだろうし、竜の騎士という一個人が魔の軍勢を押し止めようとするのならば、敵の頭を潰して強大な軍勢を瓦解させるのが最も手っ取り早い手段となる。これは魔の軍勢が頂点に立つ魔王の強力無比な力と圧倒的なカリスマによってまとめあげる、リーダーシップに溢れた軍であるからこそ効果的な《斬首戦術》でもあった。

 

 そして当代の竜の騎士であるバランの戦いも地上ではなく魔界で行われていたのである。死闘を繰り広げた相手は最後の知恵ある竜――冥竜王ヴェルザー。魔界に座す竜の王であり、魔界勢力を大魔王バーンと二分していた恐るべき実力者である。数年前に地上を席巻した魔王ハドラーを弱いとは言わないが、闘争に満ちた魔界の大地を牛耳らんとする冥竜王ヴェルザーと比べれば、どうしたってその力や勢力に見劣りするのは否定できない。

 

 バランの腹心であるラーハルトは、ヴェルザーとハドラーを比較してハドラーを小物だとはっきり断言していた。確かにその通りだろう。竜の騎士である勇者ダイと雌雄を決するため、決死の覚悟で強大化した超魔生物ハドラーならばいざ知らず、バランがヴェルザーと戦っていた当時のハドラーでは、とても竜の騎士に追随できるようなレベルではなかった。

 

 ヴェルザーの眷属悉くを打ち破り、果てには魔界随一の竜の王と一騎打ちをした挙句に勝利してしまう。そんな竜の騎士という存在が規格外だというだけで、当時の魔王ハドラーが雑魚だったかと言えば、無論そんなことはありえないのだが。というか人類を恐怖に陥れた男なのだ、有象無象のはずがなかった。

 ハドラーの率いる軍勢に各国の抱える精強な騎士団では歯が立たず、最終的にアバン達勇者一行という少数精鋭でしか対抗できなかったのだから、ハドラーが地上制圧に王手寸前だったことは覆せない事実。そして個々の強さにしてもハドラーは肉弾戦も魔法戦も一級の魔王だ、間違っても相対したい相手ではなかった。

 

 しかし本題は魔王ハドラーに関することではない。やがて問題になるにしても、大魔王バーンに命を救われ、現在は力を蓄えている元魔王はさしあたって脅威となりはしなかった。焦眉の急はそんな地上魔界含めてトップクラスの実力者、まさに隔絶した戦闘能力保持者である竜の騎士バランが、事もあろうに脆弱な人の手で捕らえられ俺の目の前で処刑されかけていることだ。その血の気の引くような悪夢の現実こそどうにかせねばならなかった。

 

「あの男は魔王の手下らしいぞ」

「まあ、なんて恐ろしい……!」

 

 ちらほらと耳に伝え届く全てが穏やかなものではなく、中には火あぶりにしろと声高に叫ぶ人間すらいた。その憎悪の向く先は刑場の中央で磔にされた男――竜の騎士バランである。

 二十歳前後の風貌。癖のある黒髪と整えられた髭が成人を迎えて間もない青年に威厳を持たせ、戦を生業とする引き締まった肉体は偉丈夫と呼ぶに相応しい。処刑を目前にしながら微動だにせず、粛々と己が運命を受け入れようとする姿からは潔さと儚さを同時に感じさせられる。もっとも、ここにいる大半の人間はそんな感傷に満ちた思いは抱くまい。

 

 かつて生きた世界でこの世界を舞台とした読み物を見知っていたからこそ、俺は彼の人の正体を知っていた。その数奇な運命と壮絶な死に様を知っていたのだ。そんな俺だからこそ、こうして胸に込み上げるものがあるのだろう。

 今のバランは神の金属(オリハルコン)で鍛えられた竜の騎士の愛刀――すなわち真魔剛竜剣(しんまごうりゅうけん)も帯びず、市井に紛れて暮らしていた名残の如く、質素極まりない布の服にその身を包んでいた。常ならば絶対強者の無体な有様を目にすることで、これほどまでに哀愁の波に誘われる事になるとは思いもしなかった。

 

 暗澹とした面持ちで澱んだ空気の広場を眺めやり、自然と溜息が零れてしまう。

 ここはアルキード王国の城下に設えられた特設の処刑場だった。見れば生涯で何度お目にかかれるかわからないほどのお偉いさん達、つまり国家の中枢に位置する王族貴族が勢ぞろいしている。一体何事かと目を瞠る事態だ、現国王直々に足を運ぶとは異例中の異例だろう。それほど事は切迫していたという証左でもあろうが、正直気が重くなるばかりだった。

 しかしながら、この事態そのものは意外というわけではない。言うなれば歴史通りであり、バランの処刑は俺の知る物語における筋書き通りの出来事だった。唯一、俺という異分子を除いて。

 

 

 

 

 

 事の起こりは一年以上も前の話だ。

 竜の騎士バランはその身に背負った宿業に従い、地上支配を目論んだ冥竜王ヴェルザーを相手に単身決戦を挑んだ。その死闘を制し、命からがら地上に戻ったバランは、しかし既に瀕死の状態に陥っていたのだ。今にも命の灯火は消えようとしていたバランは、それでもどうにか重い身体を引きずり、アルキード王国北端に位置するアルゴ岬へと向かった。そこに竜の騎士がその身を癒すための《奇跡の泉》が存在するからである。

 しかしバランは後一歩というところで力尽きてしまう。バランが意識を手放す直前、彼を発見し、手を差し伸べたのが俺の住む国――アルキード王国の王女ソアラだった。どうやら竜の騎士ご用達の回復場所は、現代ではアルキード王族ご用達の遊興地か何かにでもなっていたらしい。

 

 ソアラはバランの傷ついた身体を癒すために王城へと迎え入れたのだろう。国王も当初はバランを城に逗留させるほど好意的だったらしいので、あるいはソアラがよほど強く父王に働きかけた結果なのかもしれない。

 そこから一体どんなやりとりがあったのかは俺にもわからない。しかしソアラとバランは互いに惹かれあい、やがて二人の間にひとりの子を儲けるほどに愛し合う関係になった。……言うまでもなく大問題である。

 

 婚姻すら交わしていない男との秘めた逢瀬だけでも騒動になるところを、一国の王女が何処の出とも知れぬ男の種を身篭ってしまったのだ。その事実に仰天するのは何も父王だけではないだろう、王族はもとより貴族とて晴天の霹靂に違いない。事は個人の問題で収まるはずはなく、国家を巻き込んだ一大騒動と化すに決まっている。――そう、本来ならばそうなるはずだった。

 

 ソアラが身篭った事実が発覚する前に、仲睦まじい様子の二人を危ぶんだ臣下一同がバランの排斥を画策したのだ。『バランは人間ではない、もしかすると魔王軍の生き残りかもしれない』と吹き込み、王の恐怖と危機感を煽った。

 これはラーハルト曰く次期国王の座をバランに奪われまいとした重臣の策謀だったらしいが、実のところ俺はその意見に些か懐疑的だった。ラーハルトが嘘をついていた、というわけではない。バランの視点でしか過去の悲劇を語っていない時点で、アルキード王国側にフェアではないと思うからだ。実際は純粋に王家の行く末を憂い、バラン追放を願った家臣もいたのではないだろうか? それくらい当時のバランの立場は弱いものだったはずだ。

 

 なにせ当時のバランは竜の騎士ではあっても地上における縁――生臭い表現をするならば、権力のバックボーンや社会的立場を保障する肩書きを何一つ持ちあわせていなかった。王族や貴族にしてみれば、バランは身元不明の怪しい男にしか映らなかっただろう。

 あるいはその装いからどこかの国を出奔した騎士くらいには考えているかもしれないが、それにしたって王族との婚姻など許されるはずがなかった。常識的に考えて他所の国から来たであろう流れ者を、積極的に次期国王の座に押し上げようとする譜代の臣がいるほうがおかしい。はっきり言えば王城に招いて逗留させていたことが既に破格の対応なのだ、国王を含めてアルキード側は十分バランに良心的だったと思う。

 

 二人がどの程度自身の立場を省み、王家を支える家臣達へと根回しや配慮をしていたのかはわからないが……結局バランは城を追放されてしまう結果に終わる。バランもソアラの幸福を願い素直に身を引こうとしていたため、そこで終われば数ある悲恋で終わっただろう。

 しかしこの時、既にソアラはバランの子を身篭っていたのだ。一代限りの竜の騎士が我が子を授かるなどありえぬこと、あるいはその奇跡をバランは天佑と見做した可能性もある。人ではなく、魔ではなく、竜でもない。この世界にただ一人の種族たる彼の初めて得た血のつながりと幸福を齎してくれた女性……。揺れに揺れる彼の心中は察するには余りあれど、最終的に二人は駆け落ちの覚悟を決めて国を出奔した。

 

 バラン達とて大変だったろうが、アルキード王国だって悲惨だった。ソアラの出奔が意味するのは玉座の正統後継者が喪失。つまりアルキード王国を守り導く次代の王位が突然空白にされてしまったのだ。

 さあ大変、と茶化す気になれないほど事態は深刻だった。王女の出奔などという異常事態に、王城は時ならぬ嵐の到来を迎えていたことは想像に難くない。俺がアルキード王国の国民でなければご愁傷様と心底哀れむ悲劇であり、喜劇だった。勘弁してくれ。

 

 駆け落ちの事実を知った父王はまず呆然とし、次に激怒したはずだ。道ならぬ恋を成就させようとした若者の前途を暖かく見守る、などとぬるい対応が出来る状況ではないし、国家を背負う為政者の立場とはそこまで軽くもない。王は迅速に二人を捜索するよう指示を出した。無論、ソアラを連れ戻し、二人の仲を引き裂くためである。

 当然の対応だった。ソアラは一平民ではなく王族、それも王位に最も近い直系の娘だ。そんな大事な一人娘をどこの馬の骨かもわからぬ無頼漢に委ねるはずもないし、なにより家臣たちの不満も爆発しかねない事態なのだ。それを思えば王は演技だろうと怒りを見せねばならなかっただろう。もっともアルキード王が亡き王妃の一粒種であるソアラ姫を溺愛していることは平民ですら知っているだけに、その怒りは真実怒髪天そのものに違いなかった。

 

 ただ、王の内心は複雑だったと思う。彼の怒りの半分以上は親の立場として娘を傷物にしたバランへと向いていただろうが、王族にあるまじき軽率な真似をしたソアラにも多少なり思うところはあったのではないかと思う。それくらい王族が国を捨て、出奔するというのはまずいのだ。なにせ王家を支える自国民に対する最大の裏切りになるのだから、責任ある立場の人間が安易に取って良い手段じゃない。それも国を捨てたのはただの王族じゃない、次期女王様である。

 ソアラ達にだって事情があるのはわかる。竜の騎士が人の世界に疎く、バランが人の世の理に縛られる必要がないことも、二人が心底愛し合っていたのだってわかるさ。でもな、アルキード国民の立場から言わせてもらえば、バラン夫妻に対してそりゃないだろうと嘆くくらいは許してほしいものだった。

 

 駆け落ちした二人はアルキード王国の北に位置する隣国ベンガーナを越え、大陸中央部の小国テラン王国まで逃げた。そして山間の小さな集落のさらに外れに慎ましい住居を構え、人の目を避ける隠遁した暮らしを始めたのだった。

 やがてソアラのお腹に宿っていた新たな命がこの世に生誕し、竜の騎士と人間の混血児となる男の子はディーノと名づけられた。およそ12年後、魔王軍に反旗を翻して地上の希望となる勇者ダイである。

 彼らは確かに幸福を噛み締めていたのだと思う。ソアラが王女でさえなければ、そのささやかな幸福も永らく続いていたことだろう。しかしそれは所詮仮定でしかなく、泡沫の夢にも似た淡く脆い幻想に過ぎなかった。

 

 王国の調査が二人の所在を突き止めるに当たって、バラン夫妻とその赤子ディーノの慎ましやかな生活は終わりとなる。ソアラは王城に連れ戻され、バランは王女を誘拐した罪で罪人の身分に落とされた。

 駆け落ちの事実は公表されなかった。次期女王と目される王女がどこの誰とも知らぬ男と結ばれ、挙句子供をつくって駆け落ちしたなどと、これ以上ない醜聞だと判断されたのだろう。気持ちはわかる、ただ緘口令の効果は甚だ疑問だった。ソアラは元々平民の目にも頻繁に姿を晒していた人気高い王女だ、その不在と数々の目撃証言が噂となることは避けられないことだった。第一国を挙げての大捜索だったのだ、人の口に戸を立てられるはずもない。

 

 二人の子であるディーノ――ダイは罪の象徴として命は取られなかったものの国外追放の身となった。バランの処刑が行われる前に船は出港した。今頃は海の上だろうけど、やはりその船は難破してしまうのだろうか? 現時点では誰も知らないことではあるが、近い将来ダイはデルムリン島に住むモンスターである鬼面導師ブラスに拾われる……はずだ。

 無事であって欲しいと心底思う。ダイが死んだら大魔王バーンに対抗することなど不可能だろう。バーンを止められなければ行きつく先は地上の消滅だ、誰も生き残れない。

 

 だが、俺個人の命に関して言えばすぐそこに危機が迫っていた。

 これまた誰も知らないことであるが、今日の処刑においてバランをかばったソアラが命を落とし、その死に激怒したバランがアルキード王国をその国土ごと灰燼に帰してしまうからだ。

 竜の騎士が放つ最大最強の秘技『竜闘気砲呪文(ドルオーラ)』。対人最強技が魔法剣『ギガブレイク』ならば、《ドルオーラ》は対軍最強技だった。というか、俺の感覚からしたら大陸の一部を消し飛ばすのは戦術がどうこうではなく、もはや戦略級の扱いであって然るべきである。

 かつて生きた科学万歳の世の中からすれば、頭の痛くなる不思議パワーの魔法が存在していることを差し引いたって異常だ。一個人がその身に秘めたエネルギーでそれだけの大災害を引き起こすとか、文字通りの意味で神話の世界だった。そんなものをぽんぽん撃ち合うダイとバーンの最終決戦とか、もう想像したくもない。

 

 明日の行方もわからないのに先のことなんて考えても仕方ないな。

 そんな幾度目かになる愚痴を内心で繰り返しながら、ぐるりと刑場を一望する。視界の先には磔にされたバラン。臨席する王族貴族に今にも飛び出さんとして兵士に取り押さえられているソアラ。そして処刑場を囲う野次馬の群れ。複数の処刑人はそのときを今か今かと待っていた。

 俺も彼らにならって深く静かに機を計る。そう、ここが俺の命の、ついでにアルキード王国の命脈を占う分水嶺だった。

 記憶通りに事が進んでしまえば待っているのはアルキード王国の消滅であり、俺もまたアルキード王国の一国民として諸共にバランの手で殺されてしまう。そんな未来はまっぴらごめんだ、俺はまだ死にたくなどない。

 

 生き残るための方策もある。

 ただしそこには気になる点、というより避けえぬ悩みも付随していた。今日の悲劇は放っておけば後のバランとダイの竜騎士対決につながり、やがては大魔王バーンに打ち勝つ重要なトリガーにさえなりえるわけで、あるいは人類存続という観点からすればこのまま静観することが正しい可能性だってある。少なくとも原作通りならばハッピーエンドとは言えずとも、地上消滅の危機は防がれるわけで。その道筋にいらんちょっかいをかけるとそれだけでバーンの野望が成就し、地上の終わりという頭の痛くなる結末を呼び寄せかねなかった。

 

 俺が死ねばいい。両親も友も何もかもを犠牲にして、やがてくる大魔王バーン撃退の礎となるのであれば、それは誰が知らずとも確かに崇高な志であり、世界にとって必要な犠牲なのだろうと思う。

 

 だがな、俺のいなくなった後の世界を願って何の意味がある? 自身の犠牲を是とする結果を受け入れられるほど、俺は聖人でもなければ博愛精神に溢れた善人でもなかった。時に小賢しく時には小ずるく立ち回る、どこにでもいる凡庸でそこそこ卑しい人間でしかないのだ。大儀のための殉教者になどなれはしない。

 

 だから変える。変えてやる。意地でも書に記された結末を否定してみせる。

 世界滅亡のリスク? それこそ俺のどうこうできる話じゃないだろう、その後のことはその時になって考えればいい。

 まずは生き延びることだ。あるいは大魔王のことなど竜の騎士親子と勇者アバン、そして彼の弟子たちに全て任せてしまえばいい。駄目なら駄目で仕方ないのだと割り切ってしまえ。世界の行く末など所詮は俺の見た夢、妄想の産物と扱ってしまって構わないだろうよ。ならばあるべき未来を壊した異端者の罪など、この世の誰にも裁けはしない。

 

 『撃て!』、と。

 

 甲高い叫びがあがり、魔法使いの火炎呪文がバラン目掛けて放たれた。

 誓って俺はその瞬間を待ちわびてなどいなかった。けれど己の命をチップに博打を打つ策しか思いつかなかった俺の身体は、挺身が半ば義務であるかのように不思議な心地を抱きながら動き出す。痛みと死への恐怖を至極あっさり振り切り、刑場へとこの身を投げ出せたのは何故だろう? ――その躊躇のない思い切りの良さを、少しだけ意外に思った。

 

 

 

 

 

 それは策の第一段階にして、恐らくは最大の難関だった。処刑魔法として放たれた火炎呪文に我が身を晒してバランの……バランを庇おうと飛び出したソアラの盾となる。そのダメージに耐えられるかどうかはもはや天に祈るしかなかった。神様の使いを助けるんだから御利益をくれないものか、と現実逃避気味な思考が過ぎる。

 

 目標に割り込むことは成功した。ソアラに先んじて盾の役割を担うこともできた。――そして、着弾。

 襲いくる衝撃と熱風、ついで身を切るような痛みに絶叫をあげた。この様じゃ俺に戦闘は無理だな、痛みへの耐性が低すぎる。これでは戦場に立てばすぐに取り乱して死んでしまいかねなかった。元よりそんな度胸も能力もないのだから考えるだけ無駄なのだが。

 ああ痛い、ってか痺れる、でもって熱い。いや、これは冷たい、かな? ……やばい、腕は焼け爛れて痛みと痺れを通り越し、傷口から伝わる感覚そのものが消えかかっているようだ。これはまずいと蒼白な顔を脂汗が伝う。もしやすると痛覚神経がやられてしまっているんじゃないかと不安になった。死ななかっただけ僥倖とも取れるけど、それを慰めとするのは嫌すぎる。

 

 魔法か、不思議な力だ。俺がくらったのは火炎呪文だが、それはただの炎でなく『質量を伴った火弾』としか表現しようのない奇妙な重さがあった。まさしく魔の法則だろう、俺の見聞きしてきた物理法則を返せファンタジー。

 魔法の使えない俺には実際にどの程度違いが出るのかわからないが、同じ魔法でも使い手が異なれば威力も変わるらしい。アルキード王国は勇者アバンの故郷であるカール王国や城塞王国として名高いリンガイア王国と比べて精強な騎士団を抱えているわけはなく、同時に強力な宮廷魔道士を抱えているわけではない。だからこそ処刑官の放つ魔法も凶悪無比な威力ではなかった、というのが救いといえば救いだろうか。

 

 それでもとある未来においてはソアラの命を奪ったのだし、バランにしても竜の騎士の力を振るわなければ、この程度の低級魔法でも死ぬことはできるだろうと判断を下していたため、一抹どころか盛大に不安はあった。

 服の下に着込んだ粗悪な皮製の装備を始め、火炎呪文対策に用意したいくつかの準備が無駄にならなかったことを神に感謝しよう。この場合の神はなんだっていいさ、それこそ竜でも魔でも人でも。皮肉を込めて魔界の神を自負するバーンにでも祈ってやろうか? お前の敗北する未来を壊してやったぞ、感謝しやがれってな。

 

 ほっと安堵と自嘲にこぼれそうになる笑みを押し殺して、ここから最も必要になる行動に移る。一種異様な沈黙に満たされた今しか出来ない、そしてそんな今だからこそできる暴挙だ。すうっと息を吸い込み、目を白黒させている雲上人――アルキード王国王女をひたと見据えて口を開く。押さえきれない怒気がほんの少しだけ顔を覗かせる、そんな塩梅で。

 

「畏れ多くも王女殿下に奏上仕ります」

 

 ……なるほど、美人だ。一瞬見蕩れそうになり、慌てて気を引き締める羽目になった。

 光沢のある黒絹の髪が豊かに背に流され、長い睫が目元を優しく化粧している。目鼻立ちも整い気品のある美を誇っているというのに、纏う気配は素朴で人を安心させるものだった。それが逆に恐ろしい。

 魂の輝きが違うとでも言おうか、この状況においてもこれだけの存在感を放つのだから、この人も一角の人物なのだろうと否応なく悟らされる。とはいえ、長々と鑑賞しているわけにもいかない。さっさと話を続けよう。

 

「御身が身命を賭していかがなさいますか!? 至尊の系たるあなた様が倒れれば国が混乱するは必至、ソアラ様は王位継承の第一位なのです。どうかご自愛ください、ソアラ王女殿下」

「でも、あのままでは夫が――」

 

 それでもです、と不敬ながら遮らせてもらった。ここは勢いで押し切ってしまったほうが良い。

 

「真実がどうあれ、バラン様は魔物に通じた魔王軍残党の疑いで処刑される罪人なのです。そんな罪人を王女殿下が危険を顧みず庇ってしまう。それがどれほどの不利益と混乱を国に与えるとお思いか!」

 

 少なくともバラン処刑の名分はそうなっている。たとえそれがソアラの醜聞を覆い隠す欺瞞だとしても、王が白と言えば白であり、黒といえば黒となる。大したことじゃない。王権国家とはそういうものだ。

 

「そうね、きっとあなたの言うとおりだわ。王女の位を持つ私が軽々に振舞うことを許されはしません。でも、ごめんなさい。それでも私は夫を見捨てることなど出来ないのです」

「……そうですか。そうでしょうね。あなた様ならそう仰る気はしていました」

「ええ、ごめんなさいね」

 

 実のところ、会話の内容にさしたる意味はない。問題の本質はそこではないのだ。

 今、ここでは一国の次期女王と名も知れぬ平民の問答が成立している、それこそが肝要なのである。これは今しか出来ない絶好にして唯一の機会なのだ。身分も伝もない俺が王族と直に、しかも真摯に会話を重ねるチャンスなど普通なら一生ない。未来を知る俺だからこそ作れた反則の時間。

 その一方でここで選択を誤れば待つのは俺自身の破滅だった。

 

 ここまではよし。ソアラは俺の言を平民の戯言として聞き流そうとはしていない。そして他の連中は事態についていけずに傍観の姿勢だ。

 俺の言葉に頷かないソアラも予定通り。まあそうだろう、バランを見捨てる選択を取れるくらいならばありえた未来の一つで不遇の運命に倒れてはいまい。そして俺は別に王女様に国家の重鎮としての自覚を促しにきたわけではないのだ、それこそ今更である。

 

 情に厚く夫に殉じる高潔な女性か。それでもいいさ、冷血無常の人でなしよりはよほど好感がもてる。

 そんな彼女の心根が今の俺には必要不可欠ですらあった。バランと人類の決定的な対立を未然に潰し、結果として俺が生き延びるためにはそうしたソアラの分け隔てない優しさをとことん利用する必要があるのだから是非もない。だからこれでいい、このまま続ける。材料は揃った、あとは詰めを誤らなければ全て上手くいく。

 

「では僭越ながら一つ助言を差し上げます。たった一言でいいんです、あなた様から夫君に言ってあげてください。『あなたが死ぬなら私も後を追います』と。それだけでバラン様は己に課した枷を外そうと決意してくださるでしょう」

「あら? ふふ、怖いくらいに情熱的な言葉ね」

「ええ、怖い女になってください。私はこの国が滅びるなんてごめんですし、罪人を庇った罪で連座するのも勘弁願います」

 

 公務を妨害した俺の罪が家族にまで累を及ばさないとどうして思えよう。それでなくとも白い目で見られるだろうし、今日まで育ててくれた両親にはひたすら申し訳なくなる。無論そうさせないように奮闘してるとはいえ、不安が消えてなくなるはずもない。

 

「夫と一緒にあなたも連れて逃げればいいのかしら?」

「新婚夫婦のお邪魔虫になるつもりはありませんよ」

 

 苦笑を浮かべようとしたところで灼熱に焼かれた腕の痛みが襲い掛かり、引きつった笑みにしかならなかったのが残念だ。格好がつかない。麻痺したままでよかった、下手に感覚が戻ったせいで痛みに悶絶して声が震えていた。

 しかし俺にはまだ笑う余裕がある。正確には笑えるだけの余裕が生まれてきた。

 

 さて、周りの連中はどうかな? 俺のように勝利を確信して笑える心境だろうか。俺の一挙手一投足に周囲が右往左往している、そう考えるとなんともおかしな気持ちが込み上げてくる。我ながら趣味の悪いことだと内心で笑い声をあげた。

 それでもまだ終わりじゃない。そう言い聞かせて気を引き締め、努めて無表情を装って周囲を見回した。誰も彼もが状況の変転についていけていないのがありありとわかる。そうだろうな、一体誰がこんな事態を予測できるというのか。

 

 王の掌中の珠である第一王女と恋仲にある男が魔物に通じた疑いにかけられ。異例の早さで罪科が確定されるやいなや処刑台に張り付けられた。いざ処刑の合図が出されるや放たれた魔法に王女が飛び込み、あわやというところで名も知らぬ平民が夫をかばった王女の身を救った。さらにその平民は身の程しらずに王女を諌める言葉を発し、さらには逃避行をけしかけるようなことまで言う。

 

 滅茶苦茶だ、どんな歌劇にだってこんな珍妙な場面は描かれまい。

 王を始めとした大臣から兵士、さらには見物人にいたるまでみな呆然とし、互いに顔色を伺ってざわめきあっていた。困惑と混乱、疑念と不安。誰も能動的に動けない空隙。

 今この時ならば、ただの一平民でしかない俺がこの場を支配できる。王でも賢者でも騎士でもない、肩書きも力も何もない小僧がこの場の全てを支配し、演出するのだ。未来を高い確度で予測する異界の知識。そんな神の託宣に匹敵する反則技がなければとても出来たものではない。

 

 全てが狙い通りだったとは言わない。

 実際対策を施してきたとはいえ、処刑用に放たれた火炎の矢は想像以上のダメージだった。下手をすれば死んでいた、というより現在進行形で死に掛かっている。別に魔王の放つメラでなくても俺など簡単に殺せるのだ。今ならスライムの一撃であの世に旅立つ自信もある。

 大魔王のメラ? はは、あんなもんメラじゃねえよ。人間最強クラスの魔法使いであるポップの放つ上級火炎呪文(メラゾーマ)を打ち破る初級火炎呪文(メラ)とか、出てくる作品間違えてるんじゃねえのか、バーンの奴。

 

 だが、俺は賭けに勝った!

 俺の命というチップに対して、少なくとも元手分は取り返せたはずだ。ソアラがバランを庇うために飛び出したことで王は刑の執行に躊躇し、身動きがとれなくなっている。そしてソアラの決死の覚悟を見た以上、バランも座して死を受け入れることはない。さらに言えばソアラの命の恩人である俺をバランが見捨てて逃げることはありえないだろう。

 先ほどのソアラとの会話じゃないが、バランとソアラの逃避行に連れ出してくれる程度の恩義は感じてもらえたはず。あとはどれだけリターンを大きくできるかにかかっている。これだけ危ない橋を渡ってやったんだ、最大限の取り分を確保してやるさ。

 

「国王陛下、卑小なるこの身に直答の慈悲を賜りたく思います。お許し願えますでしょうか?」

 

 慇懃無礼に聞こえぬよう、細心の注意を払ってアルキード王に懇願する。

 身体が重い。背を脂汗が流れ、体温が急激に下がっているようだ。暑いのか寒いのか、その程度の認識すら薄れている。

 震えそうな声を押し隠し、今にも崩れ落ちそうな身体に鞭打って臣下の礼を取った。宮廷作法なんぞ聞きかじりのものでしかなく、付け焼刃もいいところだったが、どうせ今回限りなのだ。形だけ繕えていればそれでいい。

 

「……許す。申してみるがいい」

「陛下!」

「良い」

 

 こんな近くで自国の王に拝謁するのは初めてだったが、それにしても歳の割に若々しい王様だと思った。笑うといかにも人の良さそうな顔になり、怒ると般若の形相になると市井で評判になっているらしい。処刑場ではずっと仏頂面だったしそれは今でも変わらないが、聞く耳持たずな暴君でなくて本当に良かった。

 王を諌めたのは傍らに控えていた大臣か。声高にバラン排斥を唱えた、いってみれば底なしの間抜けである。バラン自身に政治の世界で権勢を振るう意志なんぞこれっぽっちもなかった、大臣の権能を脅かすことなんぞなかっただろう。

 

 ヴェルザーを封じたことでバランは竜の騎士として今生の使命を果たしたと考えていた節がある。そこに妻を授かり、子を儲け、文字通りの眠れる竜になっていたのだから、放っておけばよかったのだ。国家消滅の災厄に比すれば国家指導者の後継を失ったとてまだやりようはある。王家の血筋なら傍系を探して引っ張り出せばそれで済むのだから。

 ……まあ難しいか。そもそもバランが一介の騎士崩れではなく、世界を滅ぼしかねない劇物だと予想できるほうがどうかしている。そういった意味では大臣らに同情してしまったくらいだ。

 今回のケースでは王国側もそこそこ常識的な対応ではあったとは思う。だが悲しいかな、一連の悲劇は『常識とは常に正解を引き当てるわけではない』ケースそのものだったのである。

 

 結局、辿るべき未来では家臣一同のバラン排斥が引き金となってソアラが死に、人の身勝手さに怒り狂ったバランが半島ごとアルキード王国を灰燼に帰した。最悪の結果を招いたわけだ。

 この大失策は大臣らがバランを竜の騎士だと知らなかったがために起きた悲劇だったわけだが、そんなことは言い訳にもならない。何故なら政治とは結果で評価されるべきものであり、『頑張りましたけど出来ませんでした』は通じない厳しい世界だからだ。ましてや陰謀に耽って国が文字通り消滅しました、なんて笑い話にもなりゃしない。……本当に笑い事ではないのだ、とばっちりで滅ぼされる側にしてみれば。

 大臣たちにとって幸いだったのは、国の全てが滅んだために自身の失策が後世に伝わることがなかったことだろうか。何も知らずに滅ぼされたその他大勢の民衆にとっては、そんなもの何の慰めにもなりやしないけど。

 

「臣は平民の子なれど、此度の仕儀、些か解せぬと存じます。三年前に魔王ハドラーは倒れ、世界に平和が戻りました。魔王軍残党の噂などとんと聞きませぬ。お触れに記されたバラン様が魔物に通じたとの疑い、いかな証拠あってのものでしょうか?」

「痴れ者め! 陛下の裁定を疑うか、平民の子供風情が調子に乗りおって」

 

 まさか王も『バランは人間ではない』という讒言まで受け入れているわけではあるまい。魔族と断じるにはバランの風貌は人間に近すぎるのだ。……実はその讒言や誹謗中傷こそが、竜の騎士という真実の一端に触れているのだから皮肉なものだが。

 魔王ハドラーの恐怖が色濃く残る今だからこそ、そんなあやふやな理由でさえ過剰に恐怖して追放なんて短絡的な判断を下してしまうのだ。自身の欲をひた隠し、人々の魔王軍への恐怖をうまく利用し、家臣団の総意として王に言上したのだろう。あるいは捏造の証拠くらいはあるのかもしれないが、俺にとってはどうでもいいことだ。切り札はこちらにある、連中に主導権は渡さない。

 

「王陛下の裁定、ごもっともでございます。魔王ハドラーの脅威が晴れたとはいえ、その爪痕未だ深く、民が心穏やかに暮らすには幾ばくかの時が必要となりましょう。その心に巣食う不安と恐怖を除くため、時に非情の決断も必要となりますれば、全ては魔物に震える民を安んじるがための慈悲深き沙汰。その尊き御心、僭越ながらお察しいたします」

 

 まずは脆い建前に皹を入れ、ついで渾身の一撃で処刑の空気を吹き飛ばす。

 

「臣の分を超えた物言いなれど、この場にて陛下に申し上げたき議がございます」

「申せ」

「はっ!」

 

 アルキード王にはこれぞ王族という落ち着いた威厳があった。この国で十年を過ごし、今日こうして言葉を交わしている限り、とてもこの王が凡愚な君主だとは思えない。敬するに十分、頭を垂れるのにも抵抗はなかった。

 

「まずバラン様が魔王軍に通じたとの疑いですが、それは決してありえぬことなのです。バラン様が人に刃を向けぬ理由は、私ではなくテラン王が証明してくださるでしょう」

「なんと、フォルケン王とな? そこな者はフォルケン殿と親交があるというのか?」

「いえ、バラン様とテランの王に知己はありませぬ。しかしテランの王がバラン様を知れば、バラン様が魔物に通じ人に仇なす存在ではないと証明して下さるでしょう。あるいはバラン様を三顧の礼でテランに迎え入れてもおかしくはありませぬ」

 

 ですが、と。

 そこでふっと表情を緩め、続けた。

 

「お優しい御方ですから、バラン様を奪おうとはしますまい。『貴国に留めおき、賓客として遇せ』。それくらいの助言をいただけるかもしれません」

「むぅ……俄かには信じられんな」

「承知しております。が、事実にてございます」

 

 バランを処罰するデメリットを示し、生かすための理由を差し出す。それは竜の騎士が人間に牙を剥かない、という条件付きでしかないけど。竜の騎士はあくまで竜の騎士の理で動く、人の守り手と同義ではない。人類が三界のバランスを脅かすようならば、おそらく竜の騎士は人類の敵に回るだろう。

 そんなことまでわざわざこの場で懇切丁寧に説明してやる気はない。

 

「馬鹿を言うな! そんなことがあるものか!」

「控えよ大臣!」

 

 雲行きが怪しくなってきたのがわかったのか、思わずといったように焦りをありありと浮かべた大臣が俺を黙らせようとするが、小なりとはいえ一国を統べる国家元首の名が出た以上、事は慎重にならざるを得ない。少なくともアルキードのトップはそう判断した。だからこそ不快気に声を荒げて大臣を止めたのだろう。

 大臣は黙らされ、次に矛先が向けられたのは俺だった。

 

「其の方、他国の尊名を出した以上、もはや戯れでは済まされぬぞ。もし偽りあればその首、即刻切り落とされると心得ておろうな」

「もとよりその覚悟でございますれば」

 

 しばし痛いほどの沈黙に満たされる。真偽を暴こうとする王の眼力を受けても怯まぬよう、気合を入れて耐え忍んだ。

 

「ふん。ならばよい」

 

 鼻を鳴らすアルキード王は面白くなさそうな表情をしていたが、同時にその目には決意の光も見え隠れしていたように思う。

 これでなんとかなった、かな? そんな俺の推測を裏付けるように王は身を翻し、聴衆に向かって高らかに宣言の声をあげた。

 

「――皆のもの! 本日の刑の執行は中止とする。罪人の罪状についても後ほど詮議し直すこととする。以上だ!」

「お待ちください陛下! その決定はあまりにも!」

「そなた、わしの命に従えぬと言うのか?」

「い、いえ、そのようなことは決して……」

 

 ここに大勢は決した。

 王が決断を下し、バラン排斥派のトップが押さえ込まれた以上、ひとまずの猶予は得たことになる。

 

「そこな子供よ、名は何と言う?」

「ルベアです、ルベア・フェルキノ。今年で十を数えます」

 

 うむ、とアルキード王が一つ頷く。

 こうやって俺の不審さを脇におく判断ぶりはいいね、優先順位がはっきりしている証左だ。まあ俺の身の上については後で追及されるに決まってる、どうにか言い逃れないと。

 

「ではルベアよ、もう一つ聞いておこうか。いかような名分でそこな罪人と一国の王を引き合わせようというのだ? 言っておくが未だ罪が晴れたわけではなく、バランは公的には囚人なのだ。まさか囚人を王に面通しさせるのに、何事もなくとは思っておるまい?」

「テラン王のお身体の具合が宜しいようなら、こちらまで御出でいただけると思いますよ」

「なんだと? それほどまでの男だというのか、そやつは?」

「ええ、『竜の騎士が現れた』、と。それだけ伝えていただければ、快くご招待に応じていただけると思います。ですが、礼を尽くす意味でもこちらから出向くべきでしょうね。此度彼の国を騒がせてしまった負い目もありましょうし……」

 

 苦笑気味に語尾を濁すと、さすがのアルキード王も罰が悪そうな顔になった。ソアラ捜索でアルキード軍を派手にテラン王国内へと展開させたのは幾らなんでも強引に過ぎたからだ。国家としてテランへの正式な侘びと謝礼も必要だろうし、どうせならこの機会に外交使節でも訪問させるのはどうかと言外に告げてみたのである。

 ともすれば嫌味に取られかねない発言だったが、反論もしなかったあたり事態は理解しているのだろう。いかにテランが弱小国とはいえ借りばかり作るのも宜しくない、捨て置ける問題ではないはずだ。それに……こういっては何だが戦後の復興目覚しく国力を順調に伸ばしている隣国ベンガーナを相手にするよりは、国力を弱め続けているテランのほうがはるかに楽な交渉に終始するだろう。深刻な問題にはつながらないはずだった。

 

「それはおいおい何とかするとしよう。だが、竜の騎士か……。初めて聞く名だが、それは一体――」

「待て小僧……! 貴様、なぜ私が竜の騎士だと知っている!」

 

 アルキード王の疑問を遮り、あふれんばかりの覇気がこもった怒号が雷鳴のごとく空気を振るわせる。怖気走ったように一瞬で俺の全身から血の気が引いた。真打ち登場ならぬ最後の不確定因子の登場である。

 竜の騎士バラン。天地に並ぶ者なしと謳われる騎士の騎士たる男が、ついにその牙を剥きかけていた。そこにあったのは怒りではない。おそらくは疑念と敵意の詰問ではあったが、それでもこの場にいる全ての人間の身を竦ませるには十分な一喝だ。

 

 恐る恐る振り向いてみれば、眼光鋭く竜の騎士様がこちらを睨んでいらっしゃいましたとさ。……本気で怖い。怖すぎて気絶も出来ないほどだ。バランに力ずくで場の全ての支配権を持っていかれてしまった。その一言だけで俺は動くことはおろか、声を出すことすら出来なくなってしまったのだ。

 バランはまだ律儀に磔にされてるんだから檻の中のライオンみたいなものなのになぜこんなに怖いのか。って、バランが本気になればあんな戒めぶちっとちぎれるんだった。こんな形でヘビに睨まれたカエルを実感してしまうとは。ああもう、やばいやばい、やばいったらやばい。早く言い訳弁解弁明説明解説しないとしなきゃしなければ……! というかバランのやつ王様の言葉遮りやがって流石竜の騎士だ怖いものなしの地上最強生物は伊達じゃない。

 

 ……俺、絶賛メダパニ中。

 

「あなた、子供に向かってそんな怖い顔をしてはいけないわ」

「しかしだな、ソアラ――」

「言い訳は聞きません。この子は私たちの恩人なのですから」

 

 ――ソアラ王女がバランを宥めてくれました。

 

 バランがソアラを太陽だと評しただけあって、バランに言うこと聞かせられる唯一の人だよ、この王女様。

 いや、よかった。本当に良かった。俺が子供の姿なのもプラスに働いたのかもしれない。まあ客観的に見れば十やそこらのガキを恫喝する二十歳前後の男という図だからな、外聞は良くない。この場でそんな常識がどれだけ意味を持つかはともかく。

 ほっと安堵の息をつく。ソアラのことを王女どころか女神だと冗談抜きで思えた。大魔王バーンは第三の目の魔力で弱者を瞳に閉じ込め封印していたけど、竜の騎士の眼光も一般人には十分毒だな。怖すぎる。

 

「むう、仕方ない。すまなかったな、小僧」

「……いえ、お気遣いなく」

 

 社交辞令だぞ、頼むから手加減しやがれ。そんな恐ろしくて口に出せないぼやきが浮かんだ時、俺と似たような吐息を漏らした人物がいた。目を向けると何とそこには額に汗を浮かべた我らが王陛下の姿があった。

 さてと、あとは仕上げだな。

 

「それではバラン様、もはやその戒めに御身を委ねている必要もないでしょう。せっかく王陛下も御臨席なのです、竜の騎士の力の一端をこの場に示していただけないでしょうか。……ああ、もちろん最大限手加減はしてくださいよ? 竜闘気(ドラゴニックオーラ)を全開になんてされたら、私はもとより王様や王女様も無事に済まないのですから」

「それぐらい心得ておるわ。この私がソアラに傷一つでもつけるわけがあるまい」

 

 流石に歴戦の竜の騎士。竜の力のコントロールも手馴れたものであり、本当に最低限の紋章の力を発動させただけだった。一瞬額に竜の紋章が輝いたと思ったらすぐに消えてなくなる。もちろんその間にバランを捕らえていた枷は粉々に吹き飛んでいた。

 その一幕だけで恐れが先に立つ。尋常ではないと一目でわかる闘気(オーラ)の奔流に、我が身をかき抱くほどに圧倒されてしまったのである。

 

 舌先三寸の小才子にどうにかなる相手じゃないと、魂の隅々まで痛感させられる思いである。そしてこの結果は俺にとっては予想通りでも王族二人にとってはそうではなかったらしい。王様は大口を開けて呆然の体で目を瞠り、ソアラも大きな目を見開いて驚きを露わにしていた。もっとも上品に両手で口元を隠していたあたり淑女である。

 

「馬鹿な……。あの拘束をこうも容易く破るとは」

「あなたって、とっても力持ちだったのね」

 

 愕然とした王様を尻目に、王女様は驚きなのか天然なのかよくわからない台詞を、なぜだか楽しそうに嬉しそうに弾んだ声音で口にしていた。うむ、大物だ。

 ともあれこれで締めだ。一度深呼吸をして呼気を整え、改めて跪いて礼を取る。

 

「国王陛下、此度の仕儀はバラン様の出自が明らかでなかったことにも因はあると愚考いたします。王家に忠を捧げる王城のお歴々も、アルキード王国の行く末を憂いた故の義挙にございましょう。彼らの不安を払拭するためにも、バラン様がいかような存在なのか、歴史に埋もれた竜の騎士とは何を意味するのか、テラン王より仔細をお聞きいただきたく、伏して御願い申し上げます」

「あいわかった。どうやら徒に娘の心を奪った無頼漢というわけでもないようだ。其の方の言、しかと聞き届けたぞ。大儀であった」

「はっ。王陛下の寛大な御心に触れる栄誉に与かり、無上の喜びに打ち震えております」

「うむ、苦しゅうない」

 

 ようやく胸を撫で下ろすことが出来た。ひとまずは首の皮一枚つながった、そんなところだな。

 ソアラは本人の意思はともかく、父娘の情と王家の後継者不足による政治的思惑も重なり、寛恕(かんじょ)に浴することで王籍に復帰する予定だったのだろうから問題ない。難しいのはバランの立場だった。

 

 バランとソアラの夫婦をこの国で一緒に暮らさせるためには、アルキード国外からやってきた流浪の騎士の立場を王配――すなわち未来の女王の婿に相応しいものへと引き上げねばならない。そうでなければ結局二人は国を捨て、追っ手に警戒し続けねばならないだろう。それはまずい。

 俺としてはバランに人類の敵に回って欲しくないし、来る魔王軍の来襲から俺の住むアルキード王国を守ってほしいのだ。そのためにもバランを穏便に王家に迎え入れてもらう必要がある。竜の騎士の力を最大限発揮するために、人間社会における確固とした地位を築いてくれるのが一番ありがたいのだ。

 

 今回は切り抜けたとはいえ彼らの前途は多難に満ちている。なにせバランはここから実績をあげ、ソアラの夫に相応しいのだと示さねばならない。ただし竜の騎士の希少価値を考えれば血筋という意味で障害もなくなるはずだから、あとはバランとソアラの頑張り次第といったところか。俺だってここまで骨折りしたんだ、頼むから二人とも今の立場を簡単に投げ出してくれるなよ。

 そんな秘めた願いを胸に改めてソアラと向かい合う。彼女の隣にはバランも堂々と並び立っていた。こうして見るとやはりこの二人は輝きが違う。特にバランには自然と畏怖や畏敬の念を覚えてしまうほどだ。然るべき衣装をまとえば宮廷に飾り立てる絵画のモデルにもなれそうだ。

 

「ソアラ王女殿下、我が身の分を超えた暴言の数々、誠に失礼致しました。何卒お慈悲を賜りたく。どうかお許し願えましょうか?」

「許します。私も夫もあなたに尽きせぬ感謝を送ることに躊躇いはありません。あなたには大変な苦労をかけてしまいました。至らぬ夫婦でごめんなさいね」

「勿体ないお言葉です」

 

 丁寧な礼を述べられて恐縮してしまい、ただただ頭を下げてやりすごす。

 そして――恐る恐るバランと視線を交差させた。彼の覇気に満ちた双眸は何はなくとも俺の心根に高揚と重圧をもたらし、不思議なことに王家の二人に畏まった以上の忠心を覚えてしまった。生物としての格の違い、問答無用の威風を纏う雄姿、深遠の奥深くを思わせる重厚な気配。これが後に陸戦騎ラーハルトほどの武人を生涯に渡って心服させた、竜騎将バランの持つカリスマなのだろうか?

 

「バラン様、疑念は数多ありましょう。しかし今は御身に寄せられた数多の疑心と罪科を晴らすことを何より優先していただきたく思います。テランは竜の神を奉じる信仰の国、現代に竜の騎士の伝承を伝える唯一の国家なれば、必ずあなた様に降り注いだ人の世の火の粉を払ってくださりましょう」

「既に瀕死の風体を省みるに決死の覚悟で飛び込んだのであろう。その勇気は賞賛されるものであり、礼を言うのも吝かではない――が、貴様が何者なのか、その問いを今は向けるなと言うのか?」

「あなた様に問われたならば、私はいつでもお答えする心積もりです。しかしそれは今ではない。残念ながらお互いに時間がないのですよ」

「時間? それはどういう……?」

「――すみません。もう限界なんです」

 

 無理に無理を重ねてようやく一息つけたんだ。緊張の糸が切れたっておかしくないだろう。というか竜の騎士とかアバンの使徒みたいな化け物連中と一緒にするな。こちとらちょっと不可思議な知識を持って生まれただけの、ただの小賢しいガキにすぎないんだ。物理的にも精神的にも、これだけぽんぽん命をチップにしてたら限界なんかすぐに来るに決まってるじゃないか。魔法だとか闘気だとかわけのわからない、この世界独自に発達した不思議パワーを欠片も操れないクラス《一般人》舐めんな究極生物(バラン)

 

 頭が重い。視界は霞んでいき、靄がかかったように目に映る全てがあやふやな形に変じていく。ああ、これ以上は無理だなと他人事のような気軽さで理解した。

 

 寝てる間だけでもこの火傷の痛みを忘れられるなら大歓迎だ。

 

 最後にそんなことを考え、俺の意識は深い眠りに落ちるように急速な勢いで暗転していった。

 

 

 

 こうしてあるべき未来は閉ざされ、アルキード王国はその歴史を変わらず紡いでいく運びとなった。

 王国と共に消え去るはずだった俺によって投げかけられた波紋は、この世界にとっていかなる意味を持つのか。そして標を失った世界が辿りつくのはいかなる先なのか。それは天上の神々にも、魔界に座す大魔王にさえも見えぬ事。

 この世の行く末を知る者は、もはや俺を含めて誰もいなくなったのだから――。

 




 作品区分を短編→長編に変更しました(2015/5/14)。

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