ダイの大冒険異伝―竜の系譜―   作:シダレザクラ

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第13話 隣人

 

 

 我らがアルキード王国からデルムリン島にたどり着くためには、ひたすら南西に船を進める旅路を経る必要がある。

 目的地であるデルムリン島には地図のうえで最も近い人類国家はロモス王国であり、かの国の南端からさらに南に下ることになるのが最短距離になるわけだが、どちらのルートを選ぶにしても長い船旅になる以上は風や潮、季節を読まねばならないことに代わりはなかった。ならばわざわざ他国の港を借り受けずとも、自国の船乗りが慣れた航路を採るのが妥当であろう。

 

 デルムリン島は近年怪物島とも呼称される恐ろしげな風評の付き纏う孤島であり、同時に人が足を踏み入れなくなって久しい僻地である。しかしそんな危険地帯を目指す船旅を共にする一団に臆する者は一人たりともいなかった。それは圧倒的な存在感で一同のカリスマとなり、彼らの士気と緊張を引き締める竜の騎士に理由を求めること大であったが、おそらくはそれ以上に皆の間には予感があったのだろう。

 

 それは四年前に失われた王国の至宝――すなわちソアラとバランの間に生まれた第一子にして、いずれ王位を担う尊き血を継ぐディーノ王子を取り戻すための旅征だ。

 

 誰が言わずともわかる。総指揮を執るのが竜の騎士バラン。そしてバランの両脇を固めるのが彼の政務補佐を務める俺と武に天稟を見せる秘蔵っ子ラーハルト。これだけの錚々たるメンバーが揃って国の外に出ようというのだ、単なる旅行といったところで誰も信じまい。加えてそこそこ聞こえる『耳』を持っている者なら、ここ一年の間、俺がデルムリン島を対象とした調査を

指示していたことも掴んでいるだろうし、数ヶ月前から念入りに船旅の準備を進めていたことも今回の推測の裏づけとなる。

 だからこそ誰もが言い知れぬ期待と予感、抑えられぬ昂揚のなかで日々を過ごしていた。

 

 幸い船旅は順調そのものだった。古くからの観測データや幾枚の海図、近年数は減らしたとはいえデルムリン近海まで遠洋漁業にでる漁師らの聞き取り調査も踏まえ、入念に準備をした甲斐があったらしい。

 調査をしたのは海流や天候の特徴だけではない。漁師に扮したうちの人間がデルムリン島近海を何度も訪ね、遠目に望遠鏡を駆使して叶う限りの情報を集めさせた。あくまで偵察であり、上陸は決して許さなかったがそれなりの成果もあった。『モンスター島に人間の子供らしき姿が頻繁に確認された』ことはその最たるものだろう。目撃された幼子の背格好はもとより、多種多様な島のモンスターたちと心を通わせる様子も報告され、王国上層部を驚かせたことは記憶に新しい。

 

 そうした調査結果をもとに、再度占い師のナバラの力を借りて竜の血に宿る縁を辿り、最終的にデルムリン島で目撃された子供とディーノ王子の関連が濃厚となったところで今回のゴーサインが出た。そこにはバランの意向が色濃く出ていたことは語るべくもない。

 ちなみに準備が終わるまで逸るバランを宥めるほうが大変だったのは余談である。この親馬鹿め。

 

 上陸は最大限先方に配慮したものとなった。元より船は軍船の威容を抑えるために砲門は最小限にしていたが、上陸人数すらバランと俺、そしてラーハルトの三人に絞った。ほかの連中は話がまとまるまで沖合いで待機だ。もちろんこの措置にバランの身辺を危ぶむ兵から多少なり不満は出たが、そこは俺が言を尽くして押さえ込んで事なきを得た。

 ……これで引き下がってもらえるんだからバランの武への信頼と俺が積み上げてきた信用も相当のものだよなあ、と幾分感慨深い思いが込みあげる。昔なら俺達が何を言おうと監視役や見届け人がついてきたところだ。

 

 そしてデルムリン島に足を踏み入れてほどなく、あちらこちらから集まる視線、視線、視線。常ならば震え上がるようなモンスターの気配に晒され、それでも俺が連中を恐れる理由がないのは単純な話だった。

 前にバラン、横にラーハルトがいる。どんな城郭に篭るよりも安心できる顔ぶれだ。多分、今俺のいる場所がこの世で一番安全な場所なのだろうと、益体もない思いに耽る。

 

 前を往くバランは常と同じく自信に満ち満ちた風情で自然と胸を張り、敢然と前を見据え、迷いなく歩を進めていた。この男の歩みを止める不心得者はいない。遠巻きに俺たちを警戒している種々の怪物達とて、厳然たる強者のヒエラルキーを本能的に悟っているのか、気圧されるばかりで目には怯えがあった。

 

 こういった上下の『格』を嗅ぎ分ける鼻はモンスターのほうが人間よりもよっぽど鋭い。もっとも彼らが尻尾を丸めたり服従のポーズを取ってしまう不幸は、ひとえにこの作戦における総指揮官の気合が漲りすぎていることに起因するものだった。殺気でも混じってんじゃないのかと疑いたくなるほど、肌をぴりぴりと刺す鮮烈な気配を撒き散らしているのだから困ったものだ。

 

 そして、もしもそんな威嚇オーラを立ち上らせ、臨戦態勢に極めて近い竜の騎士の警戒を霧散させるとすれば、それは――。

 

「おじさん、誰?」

 

 無垢なる問いを投げかける、黒髪の子供ただ一人だったことであろう。

 

 

 

 抜けるような青空の下、二十の半ばを迎えてますます精悍さを増した男と、その男の面影を宿した幼い少年が向かい合っていた。

 俺とラーハルトはバランの後ろですぐさま膝を折り、臣下の礼を取りながら粛然と時を待つ。非礼にならぬよう頭を決してあげず、それでもどうにかその歴史的瞬間を垣間見ようとそうっと上目遣いに眼球を動かしていた。観察観察。

 

 ……よかった、ダイに間違いなさそうだ。

 

 両親譲りの黒髪は日を浴びてしっとりと艶を帯びながらもどこかおさまりの悪いものだったが、それを全く感じさせないあどけなさは幼さを抜きにしても庇護欲をそそるものだ。

 しかしながらバランを父に持つだけあってどこを見ても弱弱しさとは無縁であり、好奇心をいっぱいに湛えて見開かれる大きな目と相まってきらきらと生命力に溢れて輝いている。垂れ気味の目元はどうやらソアラ似のようで、男の子というよりは中性的で柔和な雰囲気を醸し出していた。

 

「私の名はバラン。竜の騎士バランだ。ようやく会えたな、ディーノ。我が息子よ」

「むすこ?」

「お前は私の子供で、私はお前の父親だということだ――ディーノ」

「おじさんはさっきからぼくのことをディーノって呼ぶけど、ぼくはダイだよ? ぼくの家族はブラスじいちゃんだけだ」

 

 強く否定するでもなく、ただただ不思議そうに首を傾げるダイ。そういえばダイの一人称って、幼い頃は『俺』じゃなくて『僕』だったっけ、と割とどうでもいい感想を得てみたり。

 そんな一銭の得にもならないことはともかくとして、この二人は赤子の頃に別れた親子だ、対面したところで感動の再会になるはずもない。それがわかっていてもつらいのだろう、おそらく今のバランの顔は愁眉に曇っていたはずだ。それでもすぐに気を持ち直したのか、バランは再び口を開く。失った年月を想って悔恨を噛み締めるような、それでいて切々と訴えかける情感に満ちた声音だった。

 

「家族か……。確かに私は、いいや、私達はお前の手を離し、何処とも知れぬ場所に置き去りにしてしまった。今更許してくれと口にするは恥知らずにしかなるまい」

 

 それでも、とバランは切なげに声を震わせる。

 それを耳にしても、俺とラーハルトは変わらず面を伏せ、畏まるのみだった。そうしてバランの慟哭に寄り添う。ここまで弱弱しく、さりとて人の臓腑に染み渡るような哀切を耳にすることは、多分二度とないだろう。それは絶対強者の竜の騎士には到底ありえぬ弱さの吐露であり、それゆえに仕え甲斐のある人の心の顕れだ。

 

「それでも今一度言わせてもらう。私の名はバラン。我が息子ディーノ――いや、ダイよ。どうか私を父と呼んでほしい」

 

 いくら言葉で訴えても不十分だ。ダイからすればバランは初対面の大人であり、何か感じ入るものこそあれ、現時点でバランを父として、あるいは家族として受け入れるなど到底不可能だろう。……常識的に考えれば。

 けれどバランには、否、俺達には切り札があった。本来この世にただ一人の竜の騎士は、どのような運命を背負ってか人の女に恋をし、子を授かった。彼ら親子の絆とは、血に宿る力によっても証明されうるものなのである。

 

 力と光が交差する。バランの額に竜の紋章が輝き、次いで共鳴するようにダイの額が輝き出す。

 竜の騎士は普通成人するまで竜の力をコントロールできないとされている。当然幼児である今のダイが自身に眠る力を振るえるはずもないし、そもそも自覚すらしていなかっただろう。けれど完成された当代竜の騎士であるバランならば紋章の共鳴を利用し、ダイとの間に一種の共感状態を作り出すことなど造作もなかった。

 

 ただしこれは未熟なダイの紋章を力尽くで輝かせているため、バランが制御を誤れば当然ダイの心身にも影響が出てしまう。遠い未来でこの竜の親子が戦った折、バランが共鳴の力を過大に増幅させてダイの記憶を奪ってしまったように、悪意ある使い方も可能なのだ。

 もちろん今はそんな後ろ暗い方策など必要ない。ゆえに竜の縁はここに結ばれる。

 

「……わかる。わかるよ! おじさんは嘘を言ってない!」

 

 先程までの態度が嘘のように朗らかな笑みを浮かべるダイに、バランも安心したように相好を崩す。一山越えたと実感できたのだろう。

 そんな時だった。ダイの後ろから慌てた様子で駆けつける杖を持つ鬼面導師と、「ピーピー」とこちらも慌てふためいた泣き声をあげて小さな身体と羽を羽ばたかせる黄金のスライムが到着したのは。

 

 どうやらゴールデンメタルスライムに変じた神の涙も既にダイの傍らにあるようだ、デルムリン島に四年置いておいた甲斐があったな。

 なにせ神の涙は地上で最も穢れていない土地と人の元に降り立つという。仮にダイが赤子のうちにバランたちの元へと連れ帰したとして、後に俺がデルムリン島を訪れたところで神の涙を手に入れられるとは思えなかったからだ。《心清き》なんて素敵ワード、俺から随分遠い地平の彼方にある形容だろうよ。

 

「こ、これはどうしたことか。いや、それよりダイ、お前は無事なのじゃな!? 何かあったときはまずわしのところに来いとあれほど言っておったろうに」

「へへ、ごめんよ、ブラスじいちゃん」

「まったく、お前は……」

「ピーピー!」

「む、ああ、ゴメよ。お前もご苦労じゃったな。よくわしに知らせてくれたな。さて――」

 

 戸惑った表情をありありと浮かべながら、それでもブラスはバランを見て、次いでその後ろに控える俺とラーハルトを見て、最後にダイに視線をやってから意を決したようにバランと正面から目を合わせる。

 

「わしはブラス、この子の親代わりと島のモンスター達のまとめ役を務めるしがないじじいですじゃ。……皆様にもなにやら込み入った事情もあるご様子。遠く海の向こうからのお客人など久しく迎えておらなかったゆえ、何の饗応も準備できませぬが、それでもよろしければ我が家にご案内致しましょう。いかがでしょうか?」

「ご厚情痛み入る、ブラス老。先に申し上げておこう、私達の目的は我が子ディーノ――そなたらがダイと呼ぶこの幼子(おさなご)にある。穏やかな席になるよう腐心に努めよう」

 

 それから、とさらにバランは続ける。

 

「船に残った者たちにも島のモンスターには手出し無用、上陸厳禁と言い含めてあるゆえ、我らも含め決して武力に訴えぬことを改めて誓わせていただく。ほかに留意すべき点があれば改めるゆえ、忌憚なく口にしてもらえればありがたい」

「それはなによりですが……信じてよろしいのですかな?」

「あなたの危惧は当然のものだ――が、わが子に嫌われたくない心は、親ならば誰しも抱くものではありませんかな?」

「ふふ。なるほど、真理ですな」

 

 本音と冗談が交じり合った言葉にバランの心根を感じ取ったのか、どうやらブラスのほうも幾分警戒を緩めたらしい。竜の騎士と鬼面導師が穏やかに笑いあう。なかなかやるじゃないか、バラン。

 

「そちらのご意向は理解しました。ああ、お付きの方々も一緒でよろしいですかな?」

「重ね重ねありがたく。」

 

 こうしてひとまずのファーストコンタクトは済んだわけである。

 しかし島のモンスター同様、ブラスにもバランに対する恐れがあるのは瞭然だったが、それでもダイの親として毅然とした眼差しでバランと相対する姿は尊敬に値するものだ。

 これが親というものかと、万象の理を得たとしみじみ思うのだった。

 

「バラン殿は何処(いずこ)の地より参られたのでしょうか?」

「アルキード王国の王都に居を構え、はや四年になりますかな。あの子の母も存命ですし、今年三つになる娘も健やかに暮らしています」

 

 とりあえず落ち着ける場所へ、ということで楽しそうなダイの先導にバランとブラスが続き、俺とラーハルトも遅れぬようついていく。目的地はブラスとダイの住居だ。

 

「沖合いに停泊中の船も一瞥させていただきましたゆえ、尊き身分のお方と推察します。いえ、それでなくとも御身の放つ隠し切れぬ強大な気配といい、その背に提げる剣もまた余人には触れえざる恐るべき刃でしょう。ダイは……あの子は余程数奇な身の上なのですな?」

「是とだけお答えしておきましょう。無論、詳しい説明も後ほどいたします。ただ今は――」

「二人でばっかりおしゃべりしないでぼくも混ぜて! 仲間外れはんたーい!」

「おお、そうじゃな。そうじゃ、ダイ。家に着くまでバラン殿に普段どんなことをしているか話してあげなさい」

「いいよ! それじゃあこの前ゴメちゃんと探検に行ったときのことで――あ、ゴメちゃんっていうのはこの空飛ぶスライムのことね。ものすごく珍しい『ゴールデンメタルスライム』って種族らしいけど、長いからゴメちゃん! ゴメちゃんも挨拶して」

「ピーピー」

「そうか、私はバランという。よろしくたのむ、ゴメよ」

 

 すっかり打ち解けたダイにブラスは複雑そうな顔を向け、もう一方の当事者であるバランはといえば真面目くさった神妙な様子で頷きを返すが……俺は騙されんぞ、あれは絶対喜びに目尻が下がりそうになって慌てて威厳を保とうとしているバランのやせ我慢だ。

 大方格好良い父親像でも目指しているのだろう、可愛らしいこと。あとでソアラに聞かせてやろうっと。

 

「……魔物が人の赤子を慈しみ育て上げる、か。にわかには信じられんな」

「何千年の歴史の中で二例だけとも思えんから、探せばもう少しは出てきそうなもんだけどな」

 

 前を歩く三人の語らいを邪魔しないよう、ぼそぼそと声を潜めてラーハルトと雑談を交わす。

 

「二例? ああ、アバン殿の弟子であるヒュンケルという男も同じ境遇だったか」

「珍しいな」

「何がだ?」

「そのしかめっ面が、だよ。ヒュンケルのことは人伝いに聞いただけだろうに、含むところがありそうだったからさ」

「別に。生きているならいずれ刃を合わせる機会もあるのかと考えただけだ」

「ふーん、お前のことだから『バラン様を煩わせるなど言語道断、問答無用でたたっ斬る!』みたいなことを考えてるのかと思った」

「どんな危険人物だ、それは。……まあ、そういった気持ちがまったくないとは言わんが」

 

 ばつが悪そうに顔を逸らしながら呟くラーハルトに、俺も礼儀正しく苦笑いで聞き流すことにした。

 ヒュンケルも大変だ。アバンの軍門に降らずなお魔王軍に忠を尽くし続けるなら、その時は間違いなくこの男が立ち塞がることだろう。ヒュンケルもラーハルトも類稀なる天分の持ち主ではあるが、見据える先によっては当然道程も結果も異なってくる。たとえばヒュンケルが前大戦当時の魔王ハドラーや勇者アバンを打ち倒せるレベルを想定して研鑽しているだけでは、竜の騎士と共に魔界の神に挑まんと決意しているラーハルトには決して届くまい。

 

「それに、俺がそのヒュンケルとやらと相対することもなかろうよ。アバン殿がなんとかするだろうさ」

「お前がそこまで信頼向ける相手って結構貴重なんだよな」

 

 アバンが相手ならむべなるかなとしみじみ納得していると、なぜだかラーハルトがにやりと笑う。

 

「妬いたか、兄者?」

「素直じゃない弟の成長を喜んでいるだけですよ?」

 

 間髪入れず、こちらも不敵な笑みを浮かべながら減らず口で返した。

 

「……ちっ、可愛げのない」

 

 それこそお互い様だと笑っているうちに、いつのまにやら目的地へと着いていたらしい。さて、それじゃ俺もあの和気藹々とした雰囲気を醸し出す三人に加わるとしましょうかね。

 

 

 

 

 ブラスの家は木造でも煉瓦作りでもなく、なにか特殊な粘土を塗り固めて乾燥させた変わった材質で出来ていた。家のデザイン自体も独創的で、言葉を飾らずに言えば『巨大なかまくら』である。そして大の大人が出入りするのは少しばかり苦労する背丈の低い建物はのっぺりずんぐり平べったく、装飾というには実務的すぎる空気を循環させるための穴が点在している。窓っぽいといえなくもない。

 

 これだと雨が降ったら大変そうだなと他人事のように考えていたが、そういえばデルムリン島は一年を通して温暖な気候で天気も安定しており、雨が降らずとも湧き水が豊富なようで生活飲料水に困るようなことはないというデータを思い出した。

 近海を軽く巡っただけでわかる水産資源の潤沢さや、未確認ながら鉱物資源も豊富な可能性もありと、実のところ宝の山のような場所なのだ、この島は。モンスター、もとい先住者がいなければ、是が非でもアルキード王国の領土に組み入れて調査開発してみたい土地である。

 

「――なるほど。つまりバラン殿、いえ、バラン様は竜の騎士と呼ばれる神々の遣わした戦士であり、一代限りの竜の力がダイの中に受け継がれていることこそなによりの親子としての証明となる、ですか。確かにダイは初対面とは思えぬほどあなた様に懐いておられる……」

「本来ならば多大な時間と言を費やして絆を取り戻すことが誠意なれば、このように短絡的な手段に出てしまったことをまずお詫びさせていただく」

 

 そう言ってバランが頭を下げるとブラスが恐縮したように身を縮ませた。やはり両者の力量の差から圧せられるものがあるのだろう。バランも生き別れの息子と再会し、こうして親子の触れ合いが出来るようになったことに逸っている部分があるせいか、そのあたり無頓着になっていると思わなくもない。

 そしてそんなバランを機嫌よくにこにこと見つめているダイの姿には敬服するよ。こいつは大物になる。

 

「ブラス様、バラン様の擁護をさせていただきますが、ディーノ様――」

「ルベア、今のこの子にディーノでは通じん、落ち着くまではダイと呼ぶほうがよかろう」

「了解しました、ではダイ様と」

 

 こういうところが変わったな、と思う。バランは窮屈な王族生活を経たせいか、こうして自然と気遣いや臨機応変な融通を無理なく効かすようになっていた。それともこの変化はソアラがずっと傍にいた影響かな? どちらにしても好ましいことには変わりない。

 

「先程お話しました通り、ダイ様のご母堂は次期アルキード女王ソアラ様でございます。ダイ様を祖国にお迎えした折は当然ダイ様には高い王位継承権が与えられることになりますが、赤子のころより生国を離れていたことが事態を複雑にしてしまうのですよ。至らぬ者の勘繰りになってしまうのですが、ダイ様には『本当にバラン様とソアラ様のお子なのか』という風聞が着いて回ることは避けられません」

「ふむ、そこで竜の紋章が出てくるわけですな。紋章が輝く素養を持つはバラン様のお血筋のみ。そうであればダイの額に浮かび上がった紋章が最高の身分証明となり、ひいてはダイの身を守る盾になると」

「ご賢察感謝します。紋章の力を利用するは遅かれ早かれ必定。ならば惜しみなく使うことで初対面のダイ様から早急に信頼を勝ち取るべし。それが私の考えであり、バラン様にも同様に進言させていただきました。……今日までダイ様を慈しみ、育んでこられたブラス様には思うところもありましょうが、なにとぞご寛恕の程をお願いしたします」

 

 深く頭を下げ、誠意に欠けた対応を詫びる。それでなくともブラスのいない場でダイの信頼を得ようと動いてしまったのは事実なのだ。このことでバラン、ひいてはアルキード王族とダイの育ての親であるブラスの間に余計な軋轢を生むのはよろしくなかった。

 しかしながらそんな俺の心配も無用の産物だったのか、ブラスは丁寧に謝辞を退けると頭をあげるよう促してくれる。

 

「もとよりダイが本当の家族と再会することを喜びこそすれ、無粋な横槍を入れようなどとは考えてもいません。この子を拾ってから、もう四年になりますか……」

 

 そうしてブラスは訥々と語りだす。

 魔王ハドラーが討たれてよりこの地に移り住み、幾年かの後に波に揺られて漂着した赤子を発見したこと。小船には赤子のほかには誰も乗船しておらず、おそらくは赤子の親か世話係が乗り込もうとしたが間に合わず大海に放り出されてしまったのだろうと哀れに思った。されどそこで人間の赤子を見捨てるには忍びなく、自身の良心に従い人間の子の命に責任を持とうと決意した。そんな経緯をブラスはどこか懐かしい様子で語ってくれたのだ。

 

「この子がこの島に辿りついた時、その身の証明になるものは残っておらなんだ。唯一ゆりかごに残ったネームプレートに刻まれた文字も掠れて読めなくなっていました。そこでわしは唯一判読できた頭文字のDを取ってダイと名づけたのです。人の親は子に願いを込めて名を授けるもの、ならば少しでもご両親の心に沿うように、と」

「かたじけない、ブラス殿。仰るとおり、『ディーノ』とは私とソアラが健やかな成長を願ってこの子につけたもの。アルキード王国の言葉で『強き竜』を意味すると聞き及んでおる」

「そうでしたか。良き名ですな」

 

 名の由来からダイがきちんと両親に望まれて生まれた子供だとわかったのか、ブラスは嬉しそうに目尻を細めて笑った。その雰囲気から真実ダイを思いやっていることが瞭然である。だからだろうか、バランがこんなことを言い出したのは。

 

「……ルベアよ」

「はい、ダイ様のお名前のことですね? ダイ様やブラス様の心情はもとより、アルキード王国(我ら)にとっても良きようにまとめる方策を練よと」

 

 バランの言わんとするところを察して思わず苦笑が漏れてしまう。モンスターの心すら最大限に汲む大器と評すべきか、それとも血縁と地縁の差こそあれ同じ子供の親としての粋な計らいというべきか。

 

「うむ、ソアラならばわが子がたとえディーノの名を捨て去ったとしても何も言うまいが、私としてもソアラと共に考え名づけた名に愛着はあるゆえな。それに一方的に譲歩したような形ではブラス老やダイのためにもなるまい。そこで聞いておきたいのだが、お前に腹案はあるか?」

「でしたら、ディーノを正式にファーストネームとし、ダイをミドルネームに、アルキードをファミリーネームとすればよろしいかと存じます。表記としましては《ディーノ・D・アルキード》となりましょう。そしてダイ様個人はともかく、そのお子様には竜の血の祖として王家のスペアとなる分家を興していただきたく伏してお願い申し上げます」

 

 これは帰国して以降の問題になるが、ダイ自身はソアラの跡を継いでアルキード王家の王冠を被る可能性もあるのだ、この場で王室分家の祖を確定させるわけにはいかない。とはいえダイの第二子以降に王室分家を興してもらうのはほぼ必須となる。竜の騎士はそれだけ貴重なのだ。幸いダイには竜の力が眠っていることは確定しているしな。

 それに、だ。なんといっても今のアルキード王室には王族が少なすぎる。遠い眼で見据えずとも竜の血ともども王権を担い得るスペアの確保は必須だ。名目などいくらでもつく。

 

 ……未来、未来か。ふむ、どうせならダイとその子孫に竜の騎士の系譜を継ぐ《Dの一族》とでも標榜させ、一国に拠らない、いわば国際調停を担う特殊な家にしてしまっても面白い。そして遠い未来においてはDの一族を組織化し市井に落ちた竜の騎士の力に目覚めた者の受け皿にするとともに、並行して竜の血に覚醒した一族の者と各国の王家と婚姻政策を深めていく。

 竜の騎士の天下の完成だ。ここまで出来れば、地上から竜の騎士の血族を排除することはよほどのことがない限り不可能になるだろうな。

 そんな皮算用をしている俺はともかく、バランは俺の提言に満足したように頷き、ブラスにも暫定案として了解を得る。バランのあまりに丁寧かつ親身な態度にブラスは恐縮しきりだった。

 

「正直なところを申し上げますと、ダイを拾ってすぐの頃はいつかこうして縁の者が迎えに来ればいいと願っていたのですよ。ですがこの子と同じ時を過ごすうちにいつしか別れが惜しくなり、初心から目を逸らすようになってしまいました。この子が人間社会に戻っても元気にやっていけるよう、人の間に溶け込めるよう教育を施しながら、本心では手放したくないと狂おしく願ってしまったのですな。……まこと心とは厄介なものです。この情けないじじいを笑ってくだされ」

 

 穏やかな目でダイを見つめ、再びバランと向き合ったブラスに、バランもまた真摯さそのものの顔で感謝を返した。バランにはそれ以外言えはしなかったのだろう、その身体は感極まったように小さく震えていた。

 

「あなたには至誠の言葉が似合いますな。私も是非に見習いたいと感服する次第」

「ふふ、なんともこそばゆく過分なお言葉、望外の喜びですじゃ……」

 

 今度こそブラスの目から涙がこぼれ、しかしてその表情には確かな決意も浮かび上がっていたのである。強い、気高い顔だ。

 

「バラン様、今ここに仮初の親を務めた魔物が、一時お預かりしていた竜のご子息をお返し奉ります。そして、どうかこの老体を子を失う哀れな親とわずかでも思ってくださるならば、この子を――ダイを必ず幸せにする、決して不幸にはしないと誓ってくださりはしませぬか? それだけがわしの心残りゆえ、どうか……っ!」

「――誓おう。私はこの幼き我が子をあらゆる災厄から守り抜き、長じては己が身で自ら定めた道を駆け抜ける男に育つよう尽力してみせる。……ご心配召されるな、ブラス殿。このバラン、約束は決して違えぬ」

「ありがとうございます。安心しました」

 

 それは粗末なあばら家で交わされる儀式とは思えぬほど神聖なものだった。ブラスの瞳からぼろぼろと涙がこぼれる。それはブラス自身が幾度拭っても止まらぬようだった。

 

「……むぅ、情けない。やはり今日でダイと離れ離れになるのかと思うと込上げてくるものがあるようです。この晴れの日に申し訳ない」

「いや、その涙もまた我が息子のことを想ってのこと。これほどありがたいことはない」

 

 俺もラーハルトも一切口を挟まない。いや、違う。ここで無粋な言を挟めるはずもないのだ、それほど目の前の光景からは有無を言わせない強制力があった。

 けれど残念ながら、はたまた今回に限っては幸いながらと評すべきなのか、この場にはバランとブラスが形成した厳粛で重苦しい空気に臆せず踏み込める猛者が、たった一人だけ存在していたのである。

 

「え、ちょっと待って。二人とも待ってってば。ぼく、確かにお父さんだけじゃなくてお母さんや妹のシンシアって子にも会ってみたいけど、だからってブラスじいちゃんと離れ離れになるなんて嫌だよ? じいちゃんともずっと一緒がいい、一緒じゃなきゃいやだッ!」

「ダイ、それは――」

 

 突然のダイの意思表明にブラスは喜び半分困惑半分で、明らかに狼狽していた。どのようにダイを宥め、納得させようかと苦慮し、かけるべき言葉が出てこないために弱りきった顔をしている。

 人間の王国に魔物であるブラスが軽々しく訪れるわけにはいかない。それでなくてもダイは貴種の出自だ、そんな子を育てたのが憎っくき魔物だと知られればダイの未来にも影がさしてしまう。おそらく今のブラスの内心はそんなところだろう。

 さてさて話が拗れる前にここらで助け舟を出すとしますか。

 

「ではダイ様のご帰国に合わせ、ブラス様も国賓としてアルキード王国に招待させていただきましょう。もちろんダイ様との関係も詳らかに公表させていただきますし、王国滞在中はバラン様が手ずから御身の安全を保障いたします。期限はひとまず一ヶ月、ダイ様の王家復帰を祝うパレードが終わるまでを予定しています。その後もダイ様がいつでもブラス様の待つデルムリン島にルーラで移動できるよう取り計らいますので過度の心配はいりませんよ。――といったところでいかがでしょうか、ダイ様、ブラス様」

 

 内心笑いを噛み殺しながら、顔だけは真面目くさった風体で一気呵成に今後の予定を告げてしまう。元より俺たちにとってはここでブラスとダイに今生の別れをさせるつもりもなく、同様にしてアルキード王国とブラスたちを含むデルムリン島との関わりもつなげていく心算であるため、いわば予定通りに話を運んだだけだった。しかしブラスにとってそれは驚天動地にも等しい提案だったらしく、しばし唖然とした表情を隠せなかったようだ。

 

「いずれダイ様とブラス様が他人の目を気にせず人間の街で笑いあえるようにしてみせますよ。ですから――末永いお付き合いをお願いしますね、お二方?」

 

 いたずらっぽく笑いかけ、こちら側のスタンスを端的に表明した。

 つまり人間と魔物の触れ合いの事実を闇に葬るつもりはない。それを有象無象に『受け入れさせた』うえでダイの未来を保障すると、冗談めかした物言いの中に俺自身の意志を乗せてブラスに決断を促したのだ。

 その甲斐あってか程なくブラスの快諾が得られ、ほうっと内心の安堵を噛み締めながら破顔する俺だった。

 

 

 

 ひとまず話がまとまったことを受け、ダイとブラスに最低限の準備を整えてもらいつつブラス宅で一泊。翌日二人を伴ってすぐに出航という慌しさ一杯の出発となった。これはダイが船旅に興味を示したためで、ならばとバランが要望を聞き入れ、バランとダイ、ブラスだけルーラで先にアルキード王国に戻ってもらうという予定が変更となったためだ。

 

 アルキード王国にしてみれば行方不明の王子が見つかった以上、ダイの帰国とお披露目は最優先で果たさねばならない。それは王族の面子はもとより『世継ぎ候補の王子を粗略に扱うつもりはない』と家臣や民へと大々的に喧伝するためでもあった。ここでの対応を間違えればダイの将来に深く影を落とす。

 

 さて、そういった事情が船旅を急いだこととどう関わってくるかといえば……徹夜覚悟の地獄労働週間(デスマーチ)開催のお知らせである。なにせ国家をあげての式典を大々的に執り行うわけで、王城をお披露目パーティー仕様に飾り付けるのはもちろん、パレードに向けての公道規制に経路の策定や警備人員の割り振り、国内外の参列者招待を恙無く終え、彼らに振舞う宮廷料理、式典プログラム作成だって滞らせることはできない。

 

 控えめにいっても可及的速やかに解決せねばらない問題が山積みで今にも崩れ落ちそうなことは理解に容易かろう。本来なら一ヶ月で済むような作業量ではない。

 常識的な判断を下すとなれば、会場準備だけでも二月三月は当たり前、開催告知を含めれば最低でも半年は見ておきたい。それをこうも強行軍で行わねばならないのは、ひとえにダイのケースが特殊すぎるためだった。

 

 なにせ元を辿れば駆け落ち騒動と親の片割れ処刑の煽りを受けて国外追放となった王子。しかも移送中に海難事故に遭い生死不明。紆余曲折の果てに父親が竜の騎士と判明して王家に迎え入れられ、その才覚を示して支持基盤を得た。

 こうした国内事情の改善があって後顧の憂いなく行方不明の息子を王子とできる環境が整ったかと思えば、生き延びた王子はモンスターに育てられておりました、である。

 

 獣に育てられたといわれるよりはまだマシだろうが、先の大戦でモンスターが魔王の配下として人間と殺しあったことは未だ記憶に新しい。そこにモンスターに育てられた少年が自国の王族、場合によっては将来王となって国の舵取りをする可能性があると知ってどこまで納得できるものだろうか。

 少なくとも俺ならそんな経歴の指導者を戴くのは御免被りたい。……だからこそお披露目を急ぎ、ダイに向けられる嫌悪の目や拭い切れぬ懸念を少しでも薄める必要があるのだ。

 

 そもそもダイを不遇に扱われればバランが怒る。そりゃもう激怒する。声の大きな人間の不手際で竜の騎士が激昂し、人類全体への心証が著しく悪化する可能性を考えれば、濃密過ぎる一ヶ月の過労など何ほどのことはないのだ。よって俺は労働の喜びを噛み締めるのみである。文句なんてありませんよ、ええ。

 そんなわけで舐めた真似をやらかす困ったちゃんがいたとしても、心優しい俺としては彼ないし彼女が不幸な目に遭わないことをお祈りさせていただく以上のことは出来ませんとも。

 

 割と洒落にならない俺の懸念はともかく船旅そのものは順調に終始し、バランとダイ親子のほのぼの航海日誌を提供してくれた。また王宮に戻っていの一番に行われた『ダイとアルキード王室一同による初顔合わせ』も波乱なく通過し、俺もラーハルトも顔を突き合わせて安堵に胸を撫で下ろしたものだった。

 

 再会劇の一例をあげると涙を流しながら抱きしめたソアラに対し、感極まったのかダイも号泣していた。まだまだダイも四歳、母という存在に飢えていたのだろう、人目も憚らずぼろぼろと涙を零した。

 また妹姫のシンシアも初めて見る兄におっかなびっくり挨拶を交わし、王位継承権の意味をまだ実感できない年代であることが功を奏したのか、それとも二人の心根が原因だったのか定かではないが、この二人のファーストコンタクトも極めて平和かつ良好なものになった。

 

 王族一家の再会に強いて問題をあげるならば、『ブラスじいちゃん大好きなダイ』が実の祖父であるアルキード王へ親愛を込めてじいちゃんと呼ぶのに手間がかかったくらいだろうか? シンシアが生まれて以来爺馬鹿になっているアルキード王は地味にへこんでいた。まあ問題なかろうて。

 そしてブラスも穏やかな気質をしているせいか王族一家との関係が変に拗れることもなく、一部を除いて概ね平和裏に終わった顔合わせだったといえよう。

 

 心配事が一つ減った俺は、予定通り式典開催に向けて全力を注ぎ込むことになる。デルムリン島に向かう前に草案を用意し、ダイたちの船旅に付き合う前に待機させていた部下のルーラ使いに事の次第を報告し、準備を始めることを通達していたとはいえ、それでも目が回る忙しさが緩和される気配など欠片もなかった。

 そりゃそうだ、元々無茶な日程を組んでいるのだから事前の準備など焼け石に水である。それでも現場の混乱を最小限に抑えられたことはなによりの成果だろう、過労死しかねない地獄の日々を抜ければきっちり準備が整うだけの見通しが立っているのだから。

 

 無論、苦労しているのは俺ばかりではない。王宮の官吏はもとより他国に渡っていた文官武官や国境砦に詰める騎士の一部も呼び戻さねばならないし、東西南北どちらを向いてもてんやわんやの大騒ぎとなっていたのである。

 とりわけ王宮勤めのルーラ使いの酷使され具合といえば気の毒になるほどで、昼夜問わず駆りだされる様は奇妙な連帯感を覚えたものだ。ふふふ、共にこの地獄を乗り越えようではないかと、日毎増えていく書類の束を虚ろな目で見る俺がいた。

 

「――と、まあこんな感じで上も下もドタバタしてるわけです。騒がしくて申し訳ありません、アバン殿」

「いえいえ、事情は承知してますからお気になさらず」

「そう言っていただけると助かります。ええ、本気で助かります」

「修羅場ですねぇ」

 

 式典開催を数日後に控えた昼下がり、準備も佳境を迎えてますます盛り上がる王都の喧騒を横目に、俺は王宮に点在する来賓を迎える一室で一人の招待客を迎えていた。

 妙なテンションに振り切れている俺に対して苦笑をこぼすアバン。さすがにこれ以上醜態を晒すのは親近ゆえの冗談では済まなくなるので意識して呼吸を整え、平常心に戻してから改めて招待に応じてもらった礼を述べる。アバンも如才なく返し、一応の社交辞令は終わりである。

 

「いや、お恥ずかしい。正直式典準備に忙殺されて死人の一人や二人出るんじゃないか疑ってしまうくらいの有様なんですよ。私としましても、半年前にパプニカで巻き込まれた死線を思い起こされる悪魔的な作業量です」

「よっぽどですねぇ。ああ、そういえばラーハルト君が魔法習得のコツというか、多少なり手解きを願えないかと口にしてきたのもあの事件以降のことでしたね。特に熱望したのがキアリーとトベルーラと伺っていますが、何か理由でも?」

「ラーハルトなりに思うところがあったのは確かでしょう。ただ空中戦への備えとしてトベルーラを所望したのはパプニカでの会戦が影響しているのは間違いないのでしょうけど、キアリーに関しては私が原因でしょうね。あれは今でも生意気ですが、昔はもっとはねっ返りな性質でした。それもあって少しばかり脅かしたことがありまして……」

 

 舌を出して悪びれて見せた俺に、アバンは「おやおや」と驚いたような、それでいて優しく窘めるような雰囲気で笑う。和やかな空気が場を包んだ。

 

「結局キアリーは契約できなかったそうですが、本命のトベルーラが習得できたのですからまずまずでしょう。もっとも使用に当たっては随分難儀していますけど」

 

 脳裏に日々試行錯誤を繰り返すラーハルトの姿が浮かぶ。魔力を操ることに長けた騎士団の魔法使いやルーラに造詣の深い宮廷魔道士を訪ねるほどの力の入れ具合だ。連中もラーハルトには一目置くようになってきているためか、無駄な衝突も起こっておらず、なにより俺やバラン以外と積極的に交流を図ろうとする試みは兄貴分として大変嬉しい限りである。

 

「元々ラーハルトは魔族に似合わず魔法への適正が低いみたいですしね。もしかしたらハーフであることが影響しているのかもしれません。もちろん努力は否定すべきものではありませんけど、あいつのトベルーラは熟練の魔法使いのそれに比べれば極めて稚拙なものにしかならないと思います」

「ふむ……。私もトベルーラに関してはマトリフほど上手くは扱えませんし、その点ではバラン殿を頼ったほうが有意義でしょう。ですが何事においてもいかに反復を繰り返すかが要諦となるのはなんら変わりありません。ラーハルト君が空中戦を実戦レベルまでもっていくためには、たゆまぬ研鑽が必要となることだけは確かでしょうね」

「同感です」

 

 ふと、失われた未来を思った。バーンパレスを舞台にした大決戦においてラーハルトは単独で空中に浮かぶ大要塞に乗り込んで見せた。もちろんそれはダイたちがミナカトールで大魔王の居城を活動停止に追い込んでいたことや大魔王以下魔王軍の眼が地上から離れていたことも要因としてあげられるが、いずれにせよラーハルトがバーンパレスに乗り込むための空中移動手段を持っていたと考えるのが妥当だろう。

 

 地上の人間が空を飛ぶための手段として国家保有の気球くらいしかない現実を踏まえ、順当に考えるならラーハルトが用いたのはトベルーラの線が濃厚だろう。

 また、本人も竜騎衆としてヒュンケルと戦った際に、魔法は苦手といっただけで使えないと否定はしていない。魔族の血を受け継いでいる以上、全く魔法に適正がないとは考えづらかった。つまりラーハルトは神速の槍使いとしての姿と、不得手といえども魔法使いの才能と力を持ち合わた、いわば魔法戦士としての片鱗も示していたわけだ。

 

 思索の旅から現実の今へと戻る。

 実際、現在のラーハルトは幾つかの魔法と契約し、トベルーラも戦闘機動はともかく空に浮かび上がる程度には習得している。ただし僧侶呪文のキアリーも契約できなかったのは本人的に悔恨の極みだったそうだ。その際「微妙に根に持ってやがるなお前」とからかい合った一幕が思い出された。

 毒への備えはうちの研究所でも高品質の毒消し草を開発できたんだから、そいつを常備することで我慢してもらうしかないな。

 

「研鑽といえばもう一つ。ルベア君も鉄扇術の技術向上が急務なのでしょう、当ては見つかりましたか?」

「ご心配はありがたいのですが、急務というほど切羽詰ってはいませんよ。そもそも私が戦場に出るほうがおかしいんです。どれだけ鍛えたところで足手まといになるのは覆せませんし」

 

 闘気か魔法力のいずれかを練れない以上、俺がどれだけ身体を鍛えたところで蟷螂の斧にしかなりえない。単に鉄扇が屋内戦の取り回しに向いていることや、王宮を初めとした権威ある場所に持ち込みやすい携帯護身具だから重宝しているだけだ。前線で切った張ったする戦士の職分など俺に期待されているはずもないのだから。

 

「君が蛮勇に逸る愚者でなくて安心しました。そこまで自重できているなら、私も憂いなく彼女に力添えを願えるというものです」

「彼女、ですか?」

「ええ、あなたも御存知でしょう。かつて私と共に魔王打倒を為したパーティーの一人、熟達した僧侶レイラです。今は一線を退き、ロモス王国の森境にあるネイル村で娘と静かに暮らしていますが、その実力は折り紙つき。彼女ならば優れた鉄扇術を教えてくれるでしょう」

「大変ありがたいお話ですが、本当によろしいのですか?」

「本格的な師弟関係を望むとなれば無理でしょうけどね。妙な癖がついていないかの確認や、正しい型稽古が出来ているかどうかの手解きを頼むくらいなら快諾してくれると思いますよ。そもそも君はこの国を長く空けることなど出来ないでしょう? 臨時の教師を引き受けてもらえる程度に考えておけばいいのです」

「そういうことならば遠慮なく受け取らせていただきます。こちらが落ち着いたらご挨拶に伺うとしましょう」

 

 もっともすぐに実現するわけでもなかった。今回の式典が無事終了してもしばらくは王都から目を離せないし、ブラスやデルムリン島の扱いをどうするかもまだ不明瞭なのだ。とてもまとまった時間を取れる余裕などなかった。

 先方の都合がつけばルーラ使いを派遣してこちらに招きたいところなのだが、まだ若いのに辺鄙な小さな村に引っ込んだくらいだからそれも無理だろう。いずれ休暇を取ってこちらから教えを請いにいくしかないのだろうな。

 

「それはそれとして、以前打診させていただいた破邪の洞窟の件がどうなったか聞かせてもらえますか?」

 

 再度礼を口にしてから改めて水を向けると、アバンはさっと居住まいを正し、気さくな若者の顔を思慮深く厳かな忠臣のそれへと変えた。自然と気圧されるものを感じてはいたが、この程度は序の口と流し、じっと視線を合わせて返答を待つ。程なくアバンが語り始めた。

 

「カール王国女王フローラより正式な回答をお伝えします。『破邪の洞窟は古よりカール王国が守り通してきた神の遺産、軽々にその門を開くことは認められぬ。しかしながら救国の英雄にして大勇者アバン=デ=ジニュアール3世を洞窟探索の責任者とし、その成果の一切を秘匿することなくカール王家に報告する義務を負うを良しとするならば、貴国の兵の若干名を同伴するにやぶさかではない』。以上です」

「フローラ女王の御温情に感謝せねばなりませんね。ルベアが厚く御礼申し上げていたと伝えていただければ望外の幸福と存じます」

「承りました。しかし概ね想定通りとお見受けしますが?」

「ええ、ですがそこはお互い触れぬが吉かと」

「私はそれでも良いのですけどね、フローラ女王は思いのほか君に興味がおありのようですよ」

 

 フローラがこちらの希望を受け入れた理由として俺の後ろにバランの影を見ていることは確実だし、慣例に倣って拒否するよりはアバンに裁量権を与えて状況をコントロールしたほうが後々得だと判断したのだろう。

 なにせ破邪の洞窟は危険極まりないダンジョンではあるが、その分見返りも大きい。国家指導者としては慣例も大事だが実利も大事、売れる恩なら高く売りつける、とそのくらいに思っていても不思議ではない。ついでにいえばバランやソアラの人柄を知っていれば無体を強いられないはずだという計算も十分成り立つしな。

 

「よくわかりませんね。それは私を通してバラン様をご判断したいということでしょうか?」

 

 アバンからバランの実力や心根は十分に伝わっているだろうに。それとも万全を期したいという慎重さかな?

 考えてみれば竜の騎士が歴史の表舞台に出てくるなんて今までなかったことだしな。まして竜の騎士の実態や過去の実績を掴んでいる者なんてこの地上には皆無なのだ、不気味にも映ろう。

 

「いいえ、もっと単純な理由ですよ。これは独り言ですが、フローラ様が危ぶんでいるのはバラン殿ではなくルベア殿ですから」

「……独り言ですか、了解しました。私もそのつもりで空を友人としましょう」

「感謝します」

 

 この先は世間話として流すと宣言したということは、これは駆け引きではなくアバンの好意になるわけだ。しかしまだ小さな懸念とはいえ、大国カールの最高指導者が俺を危険視しかねない土壌があると言われてしまったことになる。……うーむ、俺、なにかヘマしたっけ?

 

「端的にいってしまえば、亡命紛いのことをした王族失格なソアラ様に、システマチックな秩序を好む君が現王陛下以上の敬意を込めて接していることが不気味でならない、ということでした。もちろん実際にはもっとオブラートに包んだ言い回しでしたけどね」

「……遠いカールの地から、よくぞそこまで見えたものです。いえ、この場合は女王の目となり耳となったアバン殿を賞賛するべきなのでしょうか?」

「皮肉……ではなさそうですね」

「ええ、本心です。このうえなく」

 

 アバンとフローラ。この二人は俺が王家を代えの利く統治装置と見做していることに気づいている。そして竜の騎士、ひいてはその血筋を王家の血よりも至上と扱っていることも。

 ここまで見透かされていると不快に思うより天晴れと讃えてしまっても良いのではなかろうか? 頻繁に顔を合わせているわけでもあるまいにこの洞察力だ。味方にすれば大戦力であっても敵に回せばこのうえなく厄介。前大戦の英雄と大国カールの統治者、その肩書きに恥じないだけの力を秘めた傑物たちだ。

 だから俺はバランもアバンも、そしてソアラもフローラも味方にしたいし、そのつながりを維持し続けたいと日夜願っているのだけれど。それが誤解の温床というのも笑える話だ。

 

「皆さん勘違いなさっているのですよ」

「勘違いですか?」

「ええ、誰も彼も『竜の騎士の真価と脅威』を正しく認識できていない。だからありもしない私の影に怯えることになる。本来私の立場は添え物であり、寄生虫でしかないのですよ? 真に注視すべきはバラン様であり、その伴侶であらせられるソアラ様。そしてご令息のディーノ様、ご息女のシンシア様です」

 

 わかりますか、とどこか冷めた目と声音で告げる。

 知識とは力なり、それをこうも実感できる事例も珍しいのかもしれない。

 

「天を震わせ、地を砕き、海を割る神話の担い手。それが竜の騎士なのです。人の世の常識や培ってきた先入観を一時忘れ、彼ら一族が地上に齎した伝説の一端だけでも素直に受け入れることさえできれば、私がどうしてこんなにもソアラ様に敬服せざるをえないか、その答えも自ずと悟りましょう」

「以前フォルケン様と謁見した折、かの王はアルキード王国の若き才覚をこう評していました。曰く、『竜神の代弁者』。人と神を結びつける託宣の者だと」

「それも誤りです。竜の庇護を得たのは一人の女性の純粋な愛ゆえでした。彼女がいたからこそ神話は今も人と共にあり、その絆は後世へ伝えられて行く。彼女は――」

 

 言葉は続く。朗々と紡がれ、静かな室内を満たしていく。

 

「己が何者かも忘れて町娘のような激情に身を焦がした愚かな女です。否定などしませんし、私とてもう少しやりようはあったのではないかと首を傾げなかったことはありません。ですがその失態は有り余る功と隣り合わせたもの。……私は信賞必罰という言葉が好きですよ? そして罪を雪ぐは刑罰のみに非ず。彼女はこの地上を生きる者に等しく、そしてこれ以上のない福音を与えてくれました。それは彼女だからこそ成し遂げたものです」

 

 駆け落ち? 亡命? それを取り沙汰することは、竜の騎士を地上につなぎ止めて置く鎖の役目以上に大切なものなのか? 大魔王の侵略を考慮の外に置いても、竜の血以上の価値あるものがこの地上にそうそう転がっているとは俺にはとても思えなかった。

 

「ふふ、これまで意図的に竜の騎士を過小評価させてきた犯人が、今になって臆面もなくそのような台詞を口にするのですか?」

「ええ、民にとってはその程度の認識で良くとも、国の行く末を見通さねばならないお歴々にはそろそろ現実を見てもらおうかと思いまして。折角伝があるのですから、手始めにカール王国女王をこちらに引き寄せることにしました」

「そこまで割り切られると逆に小気味良く思えるから不思議なものです」

 

 続けて、もちろん独り言ですから王族を推し量る不敬なんてポイですよポイ、と楽しげに告げるアバンだった。この人も波乱万丈な人生を渡ってきているせいか、決して清廉潔白なだけではない。というか今回は本当に面白いから訊ねているだけという感じだ、お茶目な人である。

 

「懸念の解消にご助力させていただきましょう。……そうですね、一言で表すならばソアラ様は総じて天に愛された姫君。もっと率直に評すなら極めて運に恵まれた女性といえます」

「あらー、本当に飾らなくなっちゃいましたねぇ」

 

 そうさせた犯人が臆面もなく呆れリアクションを取っていますよ、っと。

 

「ええ、この一言で私がどれだけ敬服しているかがわかるというものでしょう? 世の中何が一番大事かといえば武力でも知力でも財力でもなく、ひとえにそれは幸運であると私は考えています。それがない人間は結局のところ大成できず、何事も成せず朽ち果てるが必定。ソアラ様はこの激動の時代そのものに愛された女性といえます」

 

 ソアラが凡百の王女ならばバランを射止めることも伴侶として子を成すこともなかった。そしてバランが竜の騎士でなければ王家の務めも果たせぬ愚かな女として歴史に悪名を刻んだことだろう。あるいは俺という彼女たちを弁護する人間が都合よく存在していなければ、祖国諸共非業の運命に巻き込まれ、その命を散らせていたに違いないのだ。

 歯車一つで運命は流転する。それも含めて天運だろうと俺などは思うのだ。返す返すも数奇なめぐり合わせである。

 

「それにしても私が認識している以上にフローラ女王とソアラ様の仲はよろしいのですね。まさかフローラ様がここまでソアラ様のためにお心を砕かれるとは思ってもいませんでした。正直驚嘆以外の何者でもありません」

「だからこそソアラ様とバラン殿の駆け落ち騒動を伝え聞いた時は相当荒れていたみたいですよ。本人曰く今すぐ飛んでいってソアラ様をひっ叩いて、膝をつき合わせて懇々と説教し続けることも辞さないと内心猛り狂っていたそうですから」

「なるほど。麗しきお姫様方の友誼はきっちり覚えておくとして、私はバラン様――竜の騎士に傾倒しすぎていると疑問をもたれ易く、その疑問が派生してアルキード王家を蔑ろにしているという讒言につながりかねない、とのご忠告はありがたく。以後気をつけるとします」

 

 もっともそのうちの幾らかは真実に違いないため、根も葉もない噂というわけでもなかったりするわけで……。業が深いことだと我が事ながら呆れてしまう。

 ともあれこれで言外に俺がソアラを切り捨てるなど不可能だし、粗略に扱う意志など微塵もないということは示せただろう。そして以後もアバンを通して友人想いの女傑殿に俺の真意は間違いなく伝わり続ける。なにより既にアバンがこちらに深く食い込んでいる以上、フローラに強硬策を取る利は薄く、融和策によってカール王国の安泰を図る道が選びやすくなっていた。

 

 仕込みは上々だ。

 これから先、地上の人類勢力で最大軍事力を誇るカール王国の協力はどうしたって必要になる。どのみちアバンという稀代の知恵袋と彼から齎される確かな情報を抱えているにも関わらず、この状況で諍いを起こすほど短絡な王ならとても手を取り合える相手にはなりえないのだ。ならばこれくらいの明け透けなスタンスで丁度良いだろう。

 

「それでは寂しい独り言はここで打ち切りにしましょう。そろそろ私の本題に入らせていただいてもよろしいでしょうか?」

「はっはっは、正直お腹いっぱいだったりするのですが、ルベア殿からは十分以上に対価を貰ってしまっていますからね。仕方ありません、大抵のことなら尽力を約束しましょう」

 

 わお、太っ腹。

 

「そういうことならば遠慮をしないのが私の信条ですので悪しからず」

「ええ、どうぞどうぞ」

 

 そんな軽いやり取りとは裏腹に、ゆっくりと席を立って正式な礼を取る。アバンは立ち上がらない。その心遣いに感謝しながら面を伏せて口を開いた。

 

「辞を低くし、地上に安寧を齎した大勇者へと申し仕る。此度王室に復帰したディーノ王子、そして妹御であらせられるシンシア姫の私的な教育係の役目――すなわちアバン流の武技と智慧を授ける家庭教師の責を是非ともお願いしたく」

「……尋ねます。それはアルキード王国を統べる王陛下も承知していることでしょうか?」

「はい。そして私的と申し上げた通り、王子としての教育は範疇に含まれません。それはこちらの役儀」

「無論、口出しするつもりはありませんとも。……続けていただいても?」

 

 承知しましたと一礼し、さらに仔細を告げていく。

 

「竜の騎士は成人を迎えるまで人間の子と変わらぬ成長をなされます。ですが、私の予想では大魔王バーンの地上侵略にディーノ様の成人は間に合いません。ならば良き師、良き戦を経験させることで覚醒を促すのが『私』の務め」

「理屈はわかりました。しかしバラン殿が手ずから教え導くだけでは不十分と考える根拠を示してください」

「バラン様もここ数年、人間国家で練兵を行っているだけあってわが子といえど無茶はなさらないと思います。ですから私がアバン殿に期待するのは竜の騎士の後継者に人にも敬うに足る相手がいるのだと知ってもらうこと。そして万一の場合、バラン様の代わりを務めることの出来る地上最後の希望を遺すことです。幸いディーノ様に竜の力が眠っていることはバラン様が確認していますから」

 

 この時ばかりはアバンの顔を直視できなかった。自分の人でなし加減に反吐が出そうだ。

 

「……齢四つの少年に途方もなく重い定めを課すのですね。恨まれますよ」

 

 アバンが喘ぐように言葉を紡ぐのもむべなるかな。俺の考えを瞬時に理解してしまうその頭脳が、今ばかりは嫌悪の対象になっているのかもしれない。

 そんなアバンの咎める目をあえて無視し、淡々と心の内を開帳していく。

 

「私は来たる大魔王との戦いにおいて、全世界八つの国々の総力を結集し、バラン様を軍事上のトップ、アバン殿をナンバーツーとする時限戦時体制を築き上げたいと考えています。もちろん対大魔王の中心であり切り札となるのがバラン様であり、その一刀のために地上戦力全てを露払い兼弾除けとして機能させたい」

「そして万一の備えとしてディーノ王子を当てる、ですか……」

 

 魔王に抗する一刀を持つは勇者のみ。それを良く知るアバンはバランの役目が自分には力不足で務まらないことを承知していたのだろう。自身が先頭に立つ、否、立てるとは決して口にしなかった。

 

「戦略予備でもあります。可能ならば温存することで大魔王に秘しておきたいところですが、おそらくそんな余裕は人類に残されていないでしょう。おおまかな作戦としては魔王軍のモンスター部隊には各国の兵士たちで対応し、敵の幹部格をアバン殿やラーハルトを筆頭に地上の精鋭戦力を当てて押さえ込む。そうやって消耗と横槍を防いだところで、満を持しての大魔王との決戦に竜の騎士親子をぶつける形が理想ですね」

 

 というより全盛期のバーンが降臨してしまった場合、双竜紋なしであの男に勝つにはそれくらいしか方法がない。できれば凍れる時間の秘法を解かせず、老体のバーンを相手に決着をつけられれば最善なのだが……。そこはバランが目下開発中の秘法破り――仮称《真ドルオーラ》とマトリフが開発した決戦魔法消滅呪文(メドローア)に期待だな。ただマトリフはただでさえ高齢のうえ、禁呪を多用したツケで衰弱してしまっている。彼の後継者――ポップの存在が不可欠だ。

 俺の想定する決戦の布陣は、王道の切り札(エース)としてバランとダイ、邪道の隠し札(ジョーカー)にポップといったところか。

 

「しかしこちらの目論みが崩れ、道半ばでバラン様が倒れればディーノ様を後釜として雌伏の時を待たねばならなくなります。理想形の実現にせよ不測の事態への備えにせよ、ディーノ様が成人を迎える前に戦端が開かれるという予想がネックになるということがおわかりいただけると思います。そして私達は最悪への対処を疎かにするわけにはいきません」

「バラン殿と比べれば誰であれ見劣りしてしまいますから、君の危惧も的外れではないでしょう。その結果として人類の足並みが乱れ、最悪は結集した戦力の空中分解もありうる未来となりますから。――だからこそ君はバラン殿の後継者としてディーノ王子に目をつけ、彼に箔付けを求めた」

「その通りです。ディーノ様は竜の騎士の後継者にして王家の血筋を持つ貴種、さらに先の大戦で地上を救った大勇者アバンの薫陶を受けた若き勇者として戦っていただければと考えています。あとは竜の紋章を覚醒さえさせていれば各国の支持を得て地上の希望となり、人類一丸の旗印に足る重みを十分に持つことが出来ましょう」

 

 本当の最悪はバランとダイ双方を失った場合だけどな。そこまで情勢が悪化すればどのみちバーンを相手に勝ち目はないので端から考慮に値しない。玉砕上等、粛々と滅びるのみである。

 

 ――だからどうした。

 

 と、どこか遠くで非難の声がする。幻聴であり、俺自身の良心の呵責でもある。

 もしもここに善良な第三者がいれば間違いなく俺を咎めたことだろう。お前はなんと畏れ多い計画を立てているのだと罵るに違いない。そして俺も否定の言葉は持たなかった。

 

 しばらくの間、沈黙だけが俺たちを支配していた。けれどどれほどの時間が流れたのか、やがてアバンが意を決したように口を開く。

 

「委細承知しました。家庭教師の件、お引き受けしましょう。ディーノ王子には勇者としての教育を、シンシア王女にもその才覚に見合った教えを授けることを約束します。フローラ様には親カール派のアルキード王族が誕生しますとでも言って納得してもらいましょうか」

 

 深く深く、それこそ床に頭がめり込むくらいの勢いで丁寧に頭を下げた。土下座の文化があれば恥も外聞もなく五体投地をやらかしていたかもしれない。

 どんな形であれ血の宿業がダイを戦乱に巻き込む。だから結果は変わらない――などと世迷言を口走る気など毛頭なかった。勝たねばならない戦いが迫っている。勝つための最強の手札を揃え、最善の状況を整える。それだけだ。……それだけでなくてはならない。

 そんな頑なな俺をどう思ったのか、傍目にも困ったような表情を浮かべたアバンが優しげな声で立つようにと促した。言質をもらった以上逆らう必要もなく、それでも無言で感謝の意を込めてアバンと顔を合わせる。

 

「……やれやれですね。お互いまともな死に方はできそうにありません」

「僭越ながらそこまでアバン殿に求めてなどいません。発起人はあくまで私です、あなたには共犯者としてせいぜい十分の一程度の荷物を背負ってもらえればそれだけで僥倖というものですよ。それに全てが終わった後、もしもこの命が残っているなら最大の被害者に審判を仰ぐつもりですから、あまり気に病まないようお願いします」

 

 ダイにそれが出来なければ自分自身でケリをつけるだけだ。その程度はしてやらねばとても割にあわんだろう。

 アバンは何も言わず、ゆるゆると首を横に振るだけだった。

 

「人生の先達としては、あまりに生き急いでいる後輩を諌めたいところですが……」

「かような気遣いは無用と存じます。『公儀の職務に励む者は無私の心を持って広く国家国民に奉仕すべし』。分不相応の役儀を拝命した以上は給料分を超えて働くことに文句をつけられる立場でもありません。これも巡りあわせと割り切ってますよ」

「そういうと思いました」

 

 たとえば俺が十歳以前の無官の立場だったならここまでしようとは思わない。けれど公務員となったからには職務に忠実であらねばならないだろう。それが俺の培ってきた職業意識(アイデンティティ)なのだから是非もない。

 

 頑是ない子供に困り果てたようなアバンの態度は努めて見なかったことにする。既に親元を離れて自立している身としては、どうしてここまで心配されにゃならんのだとほんの少し辟易した心地に襲われたものの、そういえば俺はまだ成人年齢に達していなかったのだと遅ればせながら思い出した。

 

 この話を出すのがもう二、三年後だったなら、アバンも自己責任の名の下に手早く納得してくれたのだろうか。そんなどうでもいい感想が浮かんだ。

 

「本当に律儀なことです。しかし君のそれは平民に期待できる忠誠を大きく逸脱していることを自覚なさい。もっともそれも今更のものですか」

「ですね。文句は全部魔界の大魔王殿にぶつけることにしておりますので、これ以上は言いっこなしにしてください。ああ、それから式典の後にでも王子様方を紹介する機会を設けるので、お子様を楽しませる芸の一つでも用意しておいてくださると助かります」

 

 殊更明るく、場に漂った暗澹とした空気などなんらの価値もないとポイ捨てした会談終了の合図。それを受けて「承りましょう」と快く請け負ってくれたお人好しの勇者に、もう一度心から感謝の言葉を述べるのだった。

 

 

 

 そして式典当日を迎える。

 まずはパレード前日に前夜祭。これは王宮で主に家臣を対象にパーティー兼お披露目を行う。一ヶ月で人間社会に多少なり慣れたダイではあったが、この日次から次へと挨拶攻めされて目を白黒、顔は百面相、手足はあたふたと混乱しきりの様子だった。もちろんバランやソアラが常に傍について時にガード、時にフォローと大忙しだった模様だ。

 

 翌日の日中には王都を舞台に豪華な馬車がゆっくりと進んだ。主役はダイだがその傍らにはバラン夫妻やその娘だけでなくブラスも帯同していた。もちろんゴメもいる。これには民衆もびっくりだったことだろう。

 そしてモンスターが何食わぬ顔で王都に存在しているのみならず、王家一族と共に馬車に乗るという下にも置かぬ扱いを見れば誰だってブラスの立ち位置――最高レベルの国賓待遇であることを否が応でも知ることになった。

 

 加えて準備期間をフルに使って宣伝したダイの生い立ちやブラスの献身の件もある。仕込みは万全だ。むしろ今も民衆に偽装した兵がサクラとなって王家に都合の良いカバーストーリーを流し続けている。ブラスが大人しく理知的なこととお祭り効果、要所要所でのサクラの盛り上げもあって警備を煩わせることなくパレードは無事終了した。よきかなよきかな。

 

 そしてパレード終了後、バルコニーで王族一同とブラスが席を同じくして行われた盛大なお披露目会によってブラスがディーノ王子を拾い育てた王家の恩人、もとい恩義あるモンスターであり、極めて穏健な人柄をした王家の客人であることが集まった民衆に向けて改めて強調されたのである。

 

 このイベントで最も見所だったのはバランがブラスの前で膝をついて手を取り、漂流したダイを拾い上げて今日まで健やかに育てあげてくれた礼を切々と読み上げた一幕だったことは間違いない。すぐ傍にはソアラがダイとシンシアの手を握って仲睦まじい様子をアピールし、アルキード王がバランとブラスを見守るような位置で機嫌よさそうににこにこと笑っている。

 

 ――この光景を作り出したかったんだ。

 

 民衆は先の大戦をもちろん覚えているし、恋人や家族を失った者も数多い。魔王に従って争ったモンスターなど即座に敵と断定してもおかしくない間柄なのだ。しかも追い詰められた人類の窮余の一手であるアバン一行による少数精鋭による奇襲突入でぎりぎり勝利を得たとはいえ、勝利は勝利。人類は勝者でモンスターは敗者なのである。この状況下で一国のトップがいくら恩人であるとはいえ一介のモンスター相手に軽々しく頭を下げられるはずもなかった。

 

 しかし王家の一員ならば話は別だ。それもダイの父親であるバランは娘婿であり、生粋の王族でもないとくればさらにハードルは下がる。しかも最高権力者である現アルキード王が取り仕切る形で――つまりブラスは恩人ではあるがあくまで格下の立場であるということを明確に示す形で式典が執り行われたわけだ。

 

 これはバランやソアラを旗印にクーデターを起こして最高権力を狙うシナリオでは到底辿りつけなかったベストな形である。民の反発もなく、バランやソアラ、ブラスは心の赴くまま親愛の謝礼を交し合い、後の人とモンスターとの関係見直しが無理なく、かつ極めて友好的な道筋になることが期待できた。

 ようやくダイをデルムリン島に置き去りにした布石が実ったわけである。四年越しの絵図が形になったのだから俺もその光景を眺めながら感無量であった。周りも周りで感動に涙を流している連中が多いし、俺の態度も不審がられることはあるまいて。

 

 そしてそのまま後夜祭へと突入したわけだが、さすがにここまでくるとお子様連中は限界だったのかソアラが早々に寝室へと引っ張っていった。予定を繰り上げた花火が一斉に大輪の華を咲かせ、ダイとシンシアも満面の笑みではしゃいでいたから大成功だろう。

 城下町のお祭りムードはそれから一週間以上も続いていたが、王家主催の式典イベントはその成果も合わせて盛況のうちに幕を下ろしたのだった。

 

 それから数日を挟み、王宮も幾分落ち着きを取り戻した頃、会議室の卓を囲んで数人の男たちが集まっていた。メンバーはアルキード王を筆頭にバランと俺、そしてブラスである。ソアラはダイとシンシアの相手をしつつ政務代行中なので不参加であり、ラーハルトは部屋の外で警備中だ。

 そんな中、俺たちは今後の予定と方針を詰めるために、人払いをしたうえで顔を突き合わせていたのだった。

 

「まずは先のディーノ王子お披露目の儀が恙無く、また盛況の内に終わったことを改めて寿き、あの日の暖かな光景を知る者として心よりお祝い申し上げます」

「うむ。そのほうの働きは勿論、皆の尽力にも大変喜ばしく思うぞ」

「勿体無きお言葉」

 

 王の「はじめよ」との目配せを受けて口火を切った俺に、バランとブラスも思い思いの言葉を奏上し、それぞれが満足げな笑みを見せる。この場にいないソアラも含めた共通認識として、大過なくダイを王族に復帰させられたことはなによりも喜ぶべきことだった。

 もちろんブラスにとっては単純な喜びだけではなかろうが、彼とてダイが人間社会に溶け込み、愛情に囲まれて育つ幸福を願っているのだ。この一ヶ月でダイの家族となる王族連中や家臣団、民衆の反応をつぶさに観察し、過度の心配はいらないと安心できたことは極めて大きな収穫だったはずである。

 

「ブラス様におかれましてはそのお心を痛めながらもダイ様をご説得されたこと、まこと感謝に堪えませぬ。長年の悲願叶いしソアラ様は勿論、シンシア様も兄君であらせられるダイ様のご帰還を殊のほかお喜びになられていたようです。無論、王家の方々のみならず私を含め家臣一同、ダイ様を力の限りお守り申し上げる所存でございます」

「そ、そのように頭を下げるのはお止めくだされ。皆様のことは信頼しておりますれば、ダイのことも憂いなくお返しできると確信しておりまする」

 

 そういって丁寧に頭を下げればブラスも恐縮した様子を隠さず、俺と同じような格好でぺこぺこと頭を下げあってしまう。どこまでも素朴なブラスの反応に胸がぽかぽかと温まるも、いつまでも恐縮しあう俺たちを見かねたのか、それともどことなく間抜けな形になっている俺がおかしかったのか、同席している二人が忍び笑いを漏らしてから場を仕切り直す。

 

「ルベアもそこまでにしておくがいい。あとは我々がブラス老に行動で示すのみ。そうであろう?」

「義父上の仰られる通りですな。よいな、ルベアよ」

「金言確かに承りました。忠勤に励みます」

「うむ、それでよい」

 

 場の雰囲気が程よく引き締められたところで、このメンバーが集まった本懐を履行せよと言い聞かせ、改めて開始の合図を告げるとそのまま司会進行役として会議を牽引していく。

 

「ダイ様のお立場についての確認ですが、王室復帰を祝して王位継承権第二位が与えられました。これは次代女王が内定されているソアラ様に次ぐものですから、実質世継ぎの君と見なされますね」

「息子の復帰に伴い娘の継承権が一つ繰り下げになるわけだが、その影響は?」

「多少の混乱は覚悟せねばなりませんが、ダイ様とシンシア様は未だ幼きお年頃。野心を燻らせてシンシア様に擦り寄っていた者以外にとっては是が非でも反発せねばならないというものでもないはずです。それにシンシア様は女児でしたから」

 

 息子も娘も可愛いバランの問いにすらすらと答えを返す。このあたりは既に相談済みのことだったし、この会話も確認というよりはブラスに状況を説明するための意図が強い。

 

「ふむ、王家の慣例か」

 

 これはアルキード王。さもあらんとばかりに頷き、一人納得した姿に不安になったのか、ブラスが恐る恐る挙手をして申し訳なさそうに口を開いた。

 

「その、ルベア殿? 浅学で申し訳ないのじゃが、王家の慣例とはいかな意味なのかご教授頂けぬかのぅ……」

「ブラス様、そのように恥じ入る必要は寸毫もありませんので、気になることがあれば幾度でも遠慮なく質問してください」

 

 そうはいっても王族が臨席する慣れない場では、控えめなブラスがそう何度も話の腰を折れるとは思えなかった。こちらから上手くフォローする必要があるだろう。

 

「さきほどの質問についてですが、地上に現存する国家における王位継承は男系相続、長子優遇が主流なのですよ。ですからダイ様とシンシア様ならばダイ様の継承権を高く設定するのが普通です」

 

 まずは原則を告げ、ただし、と続けた。

 

「ダイ様は生まれてすぐに王室を離れ、市井どころか海の孤島、それもモンスターが支配する人間の存在しない孤島で成長なされました。これは男系かつ長子相続の慣例を覆す理由としては十分です。ましてや女児とはいえ正統な血筋が存在する場合はなおさらです」

「ああ、なるほど。だから年齢を理由に出したのですな」

「ええ、ダイ様は未だ幼く、今から王家教育を施せば十分間に合うでしょう。統治の知識、王族の自覚、為政者の誇り。いずれも一朝一夕に身につくものではありませんからね」

 

 言い方は悪いが庶民感覚『だけ』の王など災厄の種にしかならない。ましてやモンスターに囲まれた閉鎖社会に適応した人間がいきなり政治家になって人間国家を導けるかといえば極めて怪しいものだ。――というか無理だろ、絶対。誰にとっても不幸にしかならん。

 

「率直に申し上げて今の時期でも割とぎりぎりなのですよ。仮にシンシア様が王家教育を修め始め、王位継承権保持者としての確かな自覚が出てしまうと、兄といえど反発は避けられません。誰だって自分の努力が否定されるのは悔しいですし、相手がぽっと出の無学な野生少年では実の兄といえど、いえ、実の兄だからこそ余計に腹立たしくなるかもしれません」

「……まあ、頭から否定はできんな。無論面白くはないが」

「あくまで一般論ですのでご容赦を。私から見てもシンシア様は非常に可愛らしく聡明な姫様であらせられますから、あるいは全て飲み込んで兄の補佐を健気に頑張る未来もあったのかもしれません」

「当然だな」

 

 心なし得意げな顔になるバランを軽やかにスルーして再びブラスへ補足説明再開。

 

「というわけで二人がご幼少である今ならそんな世俗の面倒など知らず、健やかな兄妹関係を築けると思うのでご安心を。なにより王家の男は武威と畏敬を示して民に秩序と安寧をもたらす役割を持ち、王家の女は寛容と親愛によって民に笑顔と安息を授けるのが役目。バラン様とソアラ様のお背中から学ぶお二人は、きっと立派に王家の努めを果たしてくださるはずです」

 

 ざっくりいってしまえば多忙かつ過酷な王族業務を果たすための役割分担である。これはアルキード王国のみならず、ほかの諸王家でも認識を同じくするため、仮に他国へ嫁いだとしてもやることはそう変わったりはしない。

 そういった事情があり、フローラが女傑と名高いのはこの男女の役目を単身でこなしきっていることも理由の一つにあげられるだろう。そりゃあ『強く賢い女王様』として将来勝気なレオナに尊敬されるはずだわ。

 

「そのダイ様ですが、僭越ながら私が拝見したお姿を述べさせていただきますと、快活かつ大らか、好奇心旺盛な冒険心を秘めた天真爛漫な若君とお見受けしました。今のところは目に映るもの、手に触れるもの全てが真新しく新たな生活を楽しんでおられるように思われますが、環境の激変が多大なストレスを招きかねないことも事実。ブラス様がデルムリン島に戻られれば必ず里心が刺激されましょう。私はそれを下手に押さえ込むべきではないと考えています」

「安心召されよブラス殿。ルベアの申したことは私やソアラも同意見だ。幼少期は特に配慮し、一ヶ月に一度はデルムリン島に顔を出す機会を作るのが基本方針だ。これを定期的な行事とし、何かあれば非定期でも回数を増やすことにやぶさかではない」

「ありがとうございます。しかしわしはもちろん、あの子のこともあまり甘やかしすぎませぬよう。過度の配慮はあの子のためにもならぬでしょう」

「ふふ、ブラス老は子育てに一家言をお持ちのようですな。バランよ、これはお前も父として負けてられぬぞ」

「その戒めは義父上にこそ相応しかろうとご忠告させていただきましょう。ソアラからも苦言を呈されているそうではありませぬか」

 

 ブラスの思いがけぬ発言にアルキード王が朗らかに笑い声をあげてバランをからかい始める。バランもバランでしたりと感銘を受けたように一度頷いてから、澄ました顔で義理の父へ反撃の狼煙をあげる。

 

「はっはっは、お前も孫を持つようになればわしの気持ちを実感するだろうよ」

「ではその時を楽しみに待ちましょう」

 

 ソアラがダイを妊娠した頃は拗れに拗れていた二人だが、今は友好的に酒を酌み交わせるだけの仲になっていた。よきことである。

 彼らのほのぼの会話が一段落つくのを待って、改めて俺からブラスへ話を切り出す。

 

「ブラス様をお招きする際、いずれは人間の街であっても憚りなくダイ様と過ごせるようにしてみせる。そう約束したことを覚えておいででしょうか?」

「もちろんです。そして、それがいかに難しいことかも十分に」

「そうですね。たとえばどこかの国の王様が『今日から人間と魔物は仲良くするのだー』と率先して共存政策を打ち出したとして、はたして実現できるか。答えは『寝言は寝て言え無知蒙昧な愚王め』となります。当然ですね?」

「……ルベア」

「なんでしょう、バラン様?」

「我々はお前の物言いに慣れているから良いが、ブラス殿はそうもいかんのだ。もう少し言葉を飾らぬか」

「庶民らしさを売りにしようと頑張ってみたのですけれど」

「お前のような庶民がごろごろいたら気が休まる暇がないわい。自重せい、馬鹿もの」

 

 バランに続いて陛下からも苦笑交じりの苦言が飛んできたところでブラックジョーク風味を取りやめる。ブラスは目を瞬かせるばかりで、口も挟めず困惑しきりだった。滑ったか、残念。

 

「失礼しました。ただ不適切な言い回しはともかく、長年対立し続けてきた人類と魔物が友好的に共存することが無謀であるという点は否定できようもありません」

 

 たとえば魔物の雑多性。姿かたちが似通い文化を共有する人間と異なり、魔物は種族数が極めて多岐に渡り、生息域はもちろん生態そのものが違いすぎる。食事一つとっても草食、肉食、雑食、そして人間を食料にする種もある。獣同然のものもいればブラスのように意思疎通が容易な相手だっているのだ。

 

 人間と決定的に相容れない種もいれば比較的共存に適した魔物も存在し、彼らには緩やかな仲間意識こそあれ決して大同することはない。そのまとまりのなさが一層共存を難しくし、同時に今日これまで人類が彼らに敗北しなかった理由でもあった。魔王が強制的にまとめあげない限り組織的な動きにつながらないのである。

 

 もっとも例外はいつだっている。クロコダインやボラホーンのような大勢の部下を従え統率する強大なモンスターだ。彼らを警戒するのが当然ならば、彼らの統率力に目をつけるのもこれまた当然だ。人と魔物の関係に一歩踏み出すならば、彼らのような実力者との交渉と取り込みは避けて通れない。基本モンスターは自分より強い個体にしか従わないからだ。

 

「――というのが一般的な理由ですね。加えて人類になくてはならない武器、防具、生活雑貨、鉱石から燃料に至るまで魔物の遺骸が広く浸透している以上は、経済、文化の面からも魔物の討伐数を減らすわけにはいきません。共存なんていかにナンセンスな思想というものなのかがよくわかります」

「しかしルベアよ、我々が欲しているのは何も『人と魔物の争いのない理想郷』などではないはずだろう? 前置きはそこまでにしておき、そろそろ核心に踏み込め」

「御意。今バラン様が指摘した通り、我々が目指しているのはモンスター全てを相手どるのではなく、あくまで限定的なコミュニティを対象とした共存に留まります。知能が低く本能のまま人を襲うような魔物ならともかく、ブラス様のような温和なモンスターならば友誼を築くことは難しくありませんからね。しかし――」

 

 そこまで語ったところでがらりと声音を硬質なものに変える。この先が重要なのだ。

 

「たとえブラス様のように穏やかな気質を持ち、人間と共に暮らすことに一定の理解を持つ魔物が相手であっても、人間の住む村や町に立ち入らせ、永住させることを私は絶対に容認できません。仮に王家がそれを主導するなら、私はこの首を賭けてでも、それは決して手をつけてはいけない最悪の政策だと強く非難することになるでしょう」

 

 常になく断言する俺の強い調子に、政のトップである王陛下は静かに目を閉じ、バランは腕を組んだまま沈黙を選ぶ。そしてブラスは悲しげに面差しを伏せていたが、やがてのろのろと顔をあげると何故と問いかけた。その目は救いを切望しているようでもあり、やはりという諦観に支配されているようでもあった。

 

「理由は一つ。いずれ来たる災厄――すなわち魔王の再来が共存などという幻想を全て壊しつくしてしまうからです」

「……それは我らの意志など無視して魔王の尖兵となることが避けられないからでしょうか」

「その先が問題なのです。仮に人類と魔物の友好的共存が一部達成されていたとしましょう。幾つかの魔物コミュニティを受け入れ、人と同等の権利を与えたとします。つまり魔物の助けを借りて人の世はますます発展し、多種族を受け入れる寛容な精神をも育み、まさに地上の黄金時代を迎えている。そんな状態です。そこに魔王が復活し、一瞬前まで親しく話していた相手が突如魔王の尖兵となって人を襲う」

 

 わかりますか。

 そういってじっと目を合わせ、想像を促す。

 

「昨日まで暖かな友人として思い思われていた隣人だったはずが、今日からは悪鬼羅刹に変貌して自分を、さらには大切な家族をも蹂躙し、殺戮の限りを尽くす。人の心を殺す最たる悪徳は《裏切り》なのですよ。魔王に抗えぬがゆえと頭でわかっていようが、親しく過ごした時間が、交流が、美しい思い出と陰惨な現実の落差が、裏切りをより一層許しがたい卑劣なものと認識してしまうのです。そうなればもはや人と魔物の歩み寄りなど不可能でしょう。未来永劫争い続ける道しか残されません」

 

 それならばまだ魔物を今まで通り《遠い隣人》だと扱ったほうがマシだし、怨恨も長くは続かないから平和だって望める。初めから距離を取って利用しあい、敵対が必然の関係ならば多少の被害を仕方ないと諦め、あるいは我慢できるものだ。修復不可能なほどに関係性が悪化する心配もない。

 良き隣人の関係を築けば築くほど後戻りできない破滅を招き入れることとなる。それはなんたる皮肉だろうか。あまりに救えない未来予想図にうなだれ、打ちのめされたブラスの内心を推し量り、申し訳ない気持ちで一杯になった。

 

「――そこで破邪呪文の研究がこの災厄への対抗手段となります」

「……え?」

 

 今度は呆けたような声がブラスの口から漏れた。いや、散々脅しあげてほんと申し訳ない。でも俺、最初にダイとブラスが気兼ねなく一緒にいられるように尽力するって言ってましたよね? 解決の見通しもなく大言壮語を吐くのは俺の趣味ではないのだと是非とも主張させていただきたく。

 

「そ、それはどういう……?」

「マホカトールという賢者の使う高等呪文があります。その効果は邪気を払い、魔を寄せ付けぬ結界を張ること。つまり魔法の効果範囲内ではモンスターを従える魔王の瘴気を無効化できるわけです。我が国はこの呪文の研究をテラン王国、そしてベンガーナ王国を含めた三国共同で進めてきたのですが、少し前にパプニカ王国にも協力を取り付けることが叶い、さらに魔法儀式の簡易化、コストダウンに成功。小さな集落くらいならばいつでも覆えるくらいの完成度までに至ったのです」

 

 半年前、俺とラーハルトがパプニカに手を貸した際の褒賞として貰い受けたのが、《破邪呪文に特化した魔法玉を生産管理するノウハウ並びに研究協力》だった。将来の話になるが、まだ賢者として覚醒していなかったポップが魔法玉の助けを借りて大魔法を放った一幕を思い起こし、ならば最初から破邪呪文を強化する、ないし魔法発動の補助に特化した魔法玉を生み出せないかと考えたのだ。

 

 魔法玉に関しては長らく研究が停滞していたのだが、魔法技術に優れたパプニカの協力によってわずか数ヶ月で試作品が完成、瞬く間に形になったのは正直驚きの成果だったといえよう。しかも陣頭指揮を執ったのはバロンとくれば二重の意味で度肝を抜かれた。

 

「ありとあらゆる場所に準備するわけにはいきませんけど、王都や主要都市の一部に魔物の住居を限定するなど幾らかの不便を許容してもらえれば、遠い未来、人と魔物の間で決定的な破局が訪れる事態を回避できると思います。ブラス様が王都に長期滞在、場合によっては引っ越して永住することになってもなんらの心配なく過ごしていただけるわけですね」

 

 ブラスが王都へ滞在中に魔王軍の侵略が始まり、理性を失ったまま王国民を死傷させるなんてことになったらやばすぎる。政治的な影響はもちろん、ダイの精神へ与えるダメージと収拾がつくかも不明な大問題に発展するだけに考えたくもない。異変を察知したらすぐにマホカトールを広域展開できる体制を作り上げておかないと、ブラスをおちおち王都に呼ぶわけにもいかないのだ。

 その点ゴメは暴れだす心配が皆無なので問題なし。いくらでもペットライフを送ってもらって構わなかった。

 

「ただ魔法玉の補助があっても大魔法を使える人間はまだまだ希少ですし、改良を重ねて効果範囲と持続時間の拡大も図らねばなりませんから、明日から実用しますといえない点はご理解賜れればと思います」

「いいえ、いいえ、十分ですじゃ。はは、いけませんな。どうもここのところ涙脆くなってしまって……」

 

 そこまで喜んでもらえると頑張ってきた甲斐があるというものだ。なにせ俺がテラン王フォルケンを言い包めてマホカトール研究に着手させた本命の理由がこれだからな。

 ダイをデルムリン島に置き去りにし、未来においても苦難の道を歩かせるのだ。できる限りのことはしてやらなきゃそれこそ嘘だろう?

 

 それに俺は断じてフォルケンに嘘を付いていたわけではない。マホカトールが安全保障上大変有意義な呪文であることは明らかだし、破邪研究を国家事業として始めたテランはうちやベンガーナからの資金援助もあって小規模ながら学術都市としての体裁を帯びてきた。元々王家に秘蔵されていた文献は質量共に尋常なものではないのだ。その一部を開放しただけで大喜びする人間など枚挙に暇がない。

 

 当初懸念されていた人口流出に歯止めがかかるどころか、緩やかに増加傾向にあるのだから、あれが起死回生の政策だったことは間違いないのだ。

 世界平和結構。いくらでも邁進してくれて構わないし、俺だって応援するにやぶさかではない。もちろん俺にとって恒久平和など努力目標に過ぎないが、きっちりやるつもりはあるのだから文句を言われる筋合いもなかろうて。

 

 問題があるとすれば、俺が昔から『ダイを軸に』行動していたことに、どうもバランが気づいたうえで黙認していることくらいか。これは以前パプニカに渡る前にも問答を交わしたように、今回の『あらゆる意味で都合が良すぎる状況』が一層の確信を与えてしまったらしい。

 

 それでもバランが何も言わないのは、あの時の言葉通り『俺の好きにしろ』と背を押してくれているということだ。なるほど、寄せられる信頼はどこまでも重く、しかしてひどく心地よい。こうまでされては微力を尽くすことに躊躇いはなかった。

 

「よろしいでしょうか? 次にアルキード王家がデルムリン島といかに向き合うかの暫定案をまとめさせていただきます」

 

 ブラスが落ち着くのを待って、さらなる懸案事項へと進む。

 

「元々デルムリン島は大陸から離れた孤島であったことが幸いし、どの王家も領地化しておりません。現在は魔王の支配下から抜け出したモンスター群によって不法占拠されている、というのが各国の認識でしょうね」

「ルベア殿、それは些か――」

「ええ、わかっております、この言い分が我ら人類による一方的な決め付けだということは理解しておりますとも。とはいえ、実際のところは『あくまで主張しているだけ』というのが実情なのですよ。ブラス様がどの程度世界情勢に通じているかはさて置き、どの国も国土の内に人がほとんど踏み込めぬ魔物の跋扈する領域を残しております。地図のうえでは王国領であっても空白地帯が無数に存在しているわけですね」

 

 しかも大戦の影響で明らかに天秤が魔物側に傾き、人類は戦争の疲弊から以前の領土を取り戻しきることが出来ないでいる。例外はバランが手を貸したうちの国くらいのものだろう。

 それとは別に、古くから有名かつ広大な魔物の支配領域にロモスの魔の森、そして中央大陸を横断するギルドメイン山脈はおいそれと人が手を出せる場所ではないし、それと同じくらい海に生息する魔物の脅威は恐ろしいものがある。護衛船団なしにはおちおち船旅もしていられないのがこの世界の海洋事情なのである。

 軍に拠らない旅の武芸者や流れの魔法使いが重宝されるのは、そうした魔物領域と接するような街や村にとって貴重な間引き戦力となりうるためだった。

 

「そういったわけで一大勢力と化している『怪物島』に手を出すような余裕はどの国にもないのですよ。そんな暇があるなら国内の治安を安定させたり開拓を推し進めるほうがずっと手軽ですしリターンも見込めるわけです」

「わしらとしてももう人間と争って殺しあうのはこりごりですじゃ。静かに暮らしていければそれが一番と願っておるのですが……」

「脅かすようで悪いのですが、そうそう都合よくいかないと思いますよ。過去パプニカ王国はデルムリン島で王家肝いりの祭事を行った記録が残っておりますし、国内復興が終わればデルムリン島に目を向ける可能性もあります。なによりダイ様の大まかな生い立ちが他国に知れ渡れば、どのような意図であれデルムリン島に注目が集まるのは避けられないでしょう」

「確かにその通りかもしれませんな。しかしそれがすぐさま武力討伐や平定につながるわけではありますまい?」

「ええ、各国ともそんな余力があれば国内復興と発展に金を回します。しかし旅の武芸者や売名目当ての傭兵あたりに、穏健なモンスター達の集まりと知られればちょっかいをかける動きも出てきませんか? それでなくとも探り目的の煩わしい連中が潜むようになる可能性もある」

「む……」

「この場合問題となるのはダイ様やアルキード王家と懇意な事実なのです。つまり親人間勢力の肩書きが生来魔物の持つ暴力を背景とした抑止力を弱め、正常な働きを妨げてしまうわけですね。我々が最も危惧する変化です」

 

 放っておくと原作よろしく偽勇者騒動の類が再現されかねん。あれだって本命はゴールデンメタルスライムを捕獲献上するほかに、『悪しきモンスター一団を討伐した事実』で得られる名声も目的にしていた。別にでろりん一行に限定せずとも、同じようなことを企む輩は必ず出てくる。

 よって何か手を打っておかないとブラスが危険だ。その点ではダイと離れずアルキード王国に残るゴメのほうが、王子の身辺警護のついでに守られる分、ブラスよりもずっと身の安全を図るのが容易だったりする。アルキード王子の友達(ペット)に手を出せる不届き者など早々いやしないのだ。

 

「うぬぅ、否定できませんな。皆様やその手の者ならばともかく、邪な思惑を秘めた有象無象に騒ぎを起こされるのは困る。ルベア殿、何か妙案はありますかの?」

 

 その言葉が欲しかった……ッ!

 思わず内心ノリノリでガッツポーズを決めたりしながら、もちろん居住まい正しく真面目な顔つきでさらりと『妙案』を口にする。

 

「簡単ですよ、ブラス様。あなたが魔王になってしまえばいいんです」

「……はい?」

 

 魔王ブラス。ふふふ、なかなかチャーミングな響きではないか。

 この時、何かとてつもなく場違いな単語を聞いたと精一杯目を見開く鬼面道士へ、にこにこと大変機嫌よく微笑み返す俺がいたのであった。

 

 




ざっくりダイジェスト
1.ダイ少年無事帰還。亡国の王子(原作)から現役の王子様にクラスアップ。
2.四歳から始める勇者教育。もちろん当代竜の騎士が手がける特訓も待ってるよ!
3.鬼面道士、散々脅かされた挙句無茶振りされる。

 ではではまた次回。

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