ダイの大冒険異伝―竜の系譜―   作:シダレザクラ

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第03話 宣戦布告

 

 

 竜の騎士を証明した会談から数時間後。

 時の移ろいを挟み、太陽が沈んだ後に姿を現した天球は玲瓏と輝く満月。窓の隙間から垣間見える雲の化粧が、茫洋と陰りながらもふとした拍子に形を変えていることに気づく。王宮で饗される酒宴にしては質素な晩餐会を終え、あと幾ばくかで皆が寝静まろうとする夜半、俺たちは場所をテラン城の小部屋へと移し、フォルケン王を交えた私的な会合に臨んでいた。

 

 部屋の中央には円を描く無骨な木製の卓が置かれ、丁寧に磨かれた木目の上には、赤ワインの注がれた三つのワイングラスと一杯に満たされたミルク入りのカップが一つ用意されている。四つという数字から連想される通り、小さな卓を囲んだ出席者はまずテラン王フォルケン、次にアルキード王女ソアラ、竜の騎士バランと続き、最後に俺を加えた四人だけである。人払いも済ませ、いかにも密談めいた形式をしていた。

 

 いや、事実密談だったのかもしれない。この秘密めいた集まりは公式行事には予定されておらず、されど両国で合意された『非公式会談』だったのだから。そんな怪しげに整った席で、場違いにも同席していた俺は緊張にごくりと生唾を飲み込み、やがて抑揚のない声音に努め――この場を決定づける全てとなる一節を口にする。

 

「フォルケン様。そう遠くない未来、あなた様の国は確実に滅びるでしょう。早ければ二十年、多少楽観的に見ても三十年、それがテラン王国に残された命数だろうと思われます」

 

 それは俺に自殺志願の気でもあるのかと、そう悩むくらいには立場にあるまじき舐めた口を利いていたと思う。なにせ相手は一国の王だ、言葉遣いを丁寧にすればよいなどという問題ではない。

 先の一言を顔を青褪めずに口にできた自信はない。おそらく俺の顔は血の気が引いた愉快極まりないことになっているだろうし、それに比例してきりきりと胃も痛んでいる。国許に帰ったら、バラン処刑ならぬ俺の処刑が始まったりしないかと不安に慄くレベルで。

 

「どうかお聞かせください。このまま緩やかに朽ち行く王国の残骸を望むのが、国家元首たるあなた様の本意でございましょうか?」

 

 だが――。

 叶うならばすぐさま前言を翻し土下座したいくらいの悲惨な内心の俺を前に、テラン王は黙して思索に耽るだけだった。ほっと胸を撫で下ろした反面、もう後戻りはきかぬと半ばやけくそな心境で平静を取り繕ってやると決意。そうして座椅子に深く腰掛け、眉間に皺を寄せた思慮深き王の瞑目を無言で眺め続けた。

 

 『このまま国家と心中するのがあなたの存念か』。

 

 そんな無礼極まりない俺の問いかけは、言うまでもなくテランに、ひいてはフォルケン王に対する暴言であろう。しかし、しかしだ。これをテランの君主であるフォルケン王に告げることこそが、今回俺が拝命したテラン行き本来の目的だというのだから笑えない。いや、まあ、今現在絶賛笑うしかない心境なのだけれど。

 数刻前に開催されていた『竜の騎士降臨宣言』が俺にとって余興だったのはそういった意味だ。なにせあの場において俺は添え物であり、テラン王に水を向けられなければ俺に出番は予定されていなかったのだから。だからといってこんな秘密会談めいたものを開いてまで、俺の力量を超える仕事を割り振らないでくれ、と泣きを入れたくなるばかりである。

 

 今回の使節一行の中では俺とバラン、そしてソアラのみが知る秘事。それが俺のテラン随行の目的であり、アルキード王から受けた勅命だ。すなわち――。

 

 一つ、『フォルケン王が現在推し進めている《武器開発禁止》政策が、テラン王国を亡国の憂き目に引きずり込む悪法だと警鐘を鳴らすこと』。

 二つ、『可能ならばテラン王に件の政策変更を訴え、これを実現させること』。

 

 ここまでが俺に王命で下されたお仕事の全貌である。……あえて言おう、無茶振り以外の何者でもない。わが国の王様はこの俺を一体何だと思っているのであろうか? 願えば叶う打ち出の小槌なんてついぞ持ち合わせた覚えはなかった。

 心中で深く溜息を一つ。

 とりあえずテランへ警鐘だけ鳴らしてくれれば結果は問わない、とのありがたいお言葉だけがせめてもの救いだった。ここで碌な成果なしにアルキードへ帰ることになったとしても、その言葉通り怒らないでほしいと心の底から切望する次第。

 

 ――バランとソアラ担いでクーデターでも起こしてやろうか、あんちくしょう。

 

 せめてこの胸に黒々と渦巻く怨嗟を、脳内で繰り返し呪詛のごとく唱える程度の自由は許してもらいたいと切に思う。以前ソアラへと戯れに口にした、『暴虐なる権力者に翻弄される哀れな平民の図』が冗談ではなくなってしまったようだ。パワハラとは何時の時代も小憎たらしいものだと世の無情を思い、何とはなしに溜息をつきたくなる俺だった。……超過労働分の報酬を要求できないものだろうか?

 

 

 

 

 

 事の起こりはハドラー戦役よりもずっと前、フォルケンがテランの王位に即位した頃にまで遡る。

 フォルケン王は元々身体が丈夫ではなかったが、だからといって出来の悪い王子だったかといえばそんなことはなかった。幼い頃から書物に親しむ学者肌の片鱗を見せる王子だったらしい。嫡男ではあったが長男ではなく、先代王も彼に王としての器量よりも学識を伸ばすを良しとしていた節がある。そんな彼が王として立ったのは兄の戦没と先代王の逝去だった。兄はモンスター討伐の指揮を執る中で無念の戦死、父は心労が祟ったのか病死。この立て続けの不幸に陰謀はない、純粋に不運が重なった結果だった。

 

 とにもかくにもフォルケンは後継者不在のなかで消去法的に王座へと足を進めた。テランが小国だったことが幸いしたのだろう、王位継承そのものは滞りなく、また大きな混乱もなく収まった。望まずに王になったのが現在のテラン王の実態だったのだろうが、だからといってフォルケンは真面目で誠実な人柄をしていたから国政を停滞させることなく、ある意味で無難に国家運営に着手してきたようだ。ほぼ全て先代王以来の踏襲路線で無難に収めてきた、と言い換えても良い。

 

 そんなテラン王国の舵取りがおかしくなったのは、フォルケン王が唯一自身の理想を叶えようとした一つの政策からだった。

 『争いにつながる武器開発の禁止』。

 言葉にすればそれだけのこと。だが、それが結果的にテラン王の唯一にして致命的な失策となった。

 

「貴国から流れ込む移民が増加し続けています。試算ですが移民の半分はベンガーナ王国へ、残りの半分がわが国を含めた周辺諸国に流れていると思われます。……何とかこの状況に歯止めをかけることは叶いませんでしょうか? 父もこの件を憂慮しています」

 

 ソアラが言いづらそうに苦言を呈した。

 

「父君は何と?」

「朋友たる八王家の一角が崩れるは忍びない、と。なんとか打開策はないものかと頭を悩ませております」

「……そうか、アルキード王にも迷惑をかけるな」

 

 力なく目を伏せたフォルケン王は年齢以上に老け込んでみえた。それを痛ましくも思うが、この王とて同情を寄せられることなど望んではいないだろう。そう考えて俺は無表情で卓に用意されたカップを持ち上げ、喉を湿らせるに留めるのだった。

 ソアラはフォルケン王の手前言葉を濁しているものの、事態はとてつもなく深刻だった。テランはもとより、アルキードにとっても座視できる問題ではないのだ。

 

 ここで何が問題になっているかを軽くおさらいしておこう。

 事態の焦点は今なお続くテラン王国からの人口流出とそこから波及する諸問題。始まりはフォルケン王がテラン国内における武器開発を禁じたことだった。

 フォルケン王は国民から武器を奪うことで平和を実現しようとした。

 それ自体は良いのだ、武器を奪おうとした対象はあくまで民間に限定し、国軍まで解体するほどフォルケン王の視野は狭まっていなかった。実際今から十数年後、ダイやポップの世代が訪れた王城には兵士が詰めていたし、武器とてしっかり残っていたはずだ。あくまで『国家鎮護を担うは国軍の兵士』とし、いわば『徹底した兵農分離』に通じる政策だったのだと思う。

 

 歴史上――今回の場合は俺がかつて生きた日本史を指すが――民衆の武装解除は過去幾度も行われてきた政策だ。有名なのは豊臣秀吉の刀狩であるが、実際ははるか昔から行われてきたし、第二次世界大戦の敗戦を経てマッカーサー体制の下で完成を見る――と、それは余談か。

 秀吉の刀狩は民衆の武器を奪うことを本義にしたのではなく、支配階級と被支配階級の身分を確定することで下克上の世を終わらせようとしたわけだが、これに対しフォルケン王はさらに先鋭化した政策へ踏み込んでいたといえる。武の象徴のみを奪うのではなく完全な武装解除を推し進めたからだ。俺に言わせれば、フォルケン王の政策は完全な『王権による支配体制の確立ないし強化』につながるものだった。

 

 ……ただ、本人にそういった意図はなかったのだろうけど。ってか、絶対になかった。この人、本気で国民から武器を取り上げれば平和が実現できると考えていた節があるからなあ……。

 テランの先代王がフォルケンを指して『王の器ではない』と評したらしいが、俺もその評価は正しいと思う。フォルケン王の本質は『為政者』ではなく『思想家』だ。

 この人の不幸は病弱であること以上に王家に生まれおちたことだろう。市井で学者をやるか、あるいは教会なりの公共性の高い組織に奉じて、そこそこの役儀に収まるのが天職だったのではないだろうか?

 

 で、この『国民から武器を奪う』政策の何が問題かと言えば、この世界では『人類に明確に敵対する種族』が多数存在することだろう。そんな状況下で国民それぞれが身を守る最後の盾となる武装を解除されてはたまらない。当然不安は高まったろうし、当時は反発も相当なものがあったのではないだろうか?

 それでも政策発表以降の治世下においてはそこそこ上手くいっていた。強大な魔族は基本魔界にいるものだし、モンスターの闘争本能を高める魔王が出現しない限りにおいて――すなわち太平の世であれば地上のモンスターも大人しく、襲撃も散発的なものだったからだ。国家直属の騎士団で十分撃退できるし、実際に撃退してきた。フォルケン王が武器の所持と開発を禁じて以降も、数年前まではテラン王国は静謐を保ってきたのである。

 

 ――その砂上の楼閣が崩れたのは、魔王ハドラーの出現を契機とした戦乱の発生だった。

 

 世界各国に戦火を齎した大戦はテラン王国の軍事力の低下を浮き彫りにした。それは同時にテラン国民に深刻な自国への不信を刻み込んでしまったことを意味する。

 『この国では安心して生活が出来ない』。

 国民の多くがそう考えてしまっても致し方ないことだったのだろう、テラン王国の凋落はそこから始まった。……いや、正確にいえば『目に見える形で』国の崩落が始まったのがその時期からだったと言うべきか。それまでも国家は貧しくなる一方だった。それが他国の民草にさえ明らかになるほど加速したのが近年だというだけの話だ。

 

 何故といって、一口に『武器開発の禁止』といってもその影響力は甚大だからである。一例をあげるなら、武器の製造を禁じればそれまで武器を作ることで収入を得ていたものは稼ぎが消える。武器職人から武具を入荷して売りさばいていた商人とて品不足で事業が滞る。稼ぎ先を失った貧困者が増えれば金銭の流れが滞り、経済は停滞する。失業者が増えれば治安は乱れ、深刻な社会不安が発生する。そうして行き着いた先が国民の国外への流出――現在テランが患っている内政問題だった。

 

 アルキードが他人事でいられないのはまさにその点だった。移民発生の初期はまだマシだ、この手の問題はまず富裕層、あるいは手に職を持てる有能な人材や他国に伝のある人間から国外に脱出するためである。ここまでならば、彼らを受け入れる側にとってメリットにもなりえる。問題はその先だ。

 このままいけば、やがて生活苦から大勢の人間が難民と化す。つまり国として保護せねばならない対象がこぞって押し寄せてくるわけだ、アルキード王国としては悪夢である。彼らを流民化させれば犯罪者が増えるし、治安を守るためには職を与えて生活を安定させねばならない。そのためには雨露を凌ぐための家だって多数必要になる。

 そのための資金、資材、人材――数年前の大戦からようやく立ち直りつつあるアルキード王国にとって、それは賄いきれぬ負担以外の何者でもなかった。ぶっちゃけてしまえばそんな余裕はないのである。

 

 その一方、ベンガーナ王国はマンパワーの増加を上手く国力伸張に結び付けていた。主だった点では軍拡と貿易人口の増強を図ることにより、どうにかテランからの移民を吸収し続けているようだ。それを可能にしたのが現ベンガーナ王が取った借金政策――商人から資金を借り入れ、船を増やし、馬車を増やし、兵を増やす、すなわち公共事業を拡大することでひとまず当座を凌ぎ、マンパワーを活用しきることで将来の安定につなげようとする判断だった。

 非常に銭勘定に秀でた思い切りの良い王だといえよう。ベンガーナ王は些か性急に事を運ぶ癖があるとも聞くが、それは逆にいえば決断力に優れている証左でもあるのだ。

 

 このあたりは何事にも保守的なアルキード王と、国王の代替わり直後で早期に実績を示したいベンガーナ王の思惑の違いもあったのだろうと思う。付け加えるならばテランに最も地理的に近い国のため、人の流入著しく決断を迫られていた事情もある。彼は家臣の反対を押し切ることで現在の辣腕を奮っていると聞いた。

 国家主導で販路拡大に努めた貿易事業も最近になって成果もあがり軌道に乗ってきているため、ベンガーナはこの先ますます強国としての立場を堅持することになるだろう。さすがの政治手腕だと感心するほかない。いや、ほんとに。ベンガーナ王はよくこの難局を成功に導いたものだと思う。ベンガーナは一歩間違えれば国家財政が傾き苦境に陥っていたのだから。

 平時よりも有事向きの性格をした為政者であり、多少危なっかしくはあるが魅力的な指導者。それが俺のベンガーナ王に対する評価だった。

 

 このベンガーナ王国の状況もアルキード王国にとっては頭痛の種だった。テラン発の厄介事を半ば以上引き受けてくれているのは助かるのだが、だからといって国境を接する隣国の軍事力が年々伸びている事実は無視できない。アルキード首脳陣にとっては隣国の脅威の増大は苦々しいばかりだったろう。

 それでも数年前までは魔王軍の攻勢を防ぐことに精一杯だったため脅威も顕在化しなかった。だが戦乱も過ぎ去った以上、アルキード王国にとっての仮想敵国はベンガーナ王国になるのだ。間違っても能天気に笑っていられる状況ではない。

 

 アルキード、テラン、ベンガーナの国内事情を省みれば、テランが弱腰外交なのもこうした背景が如実に影を落としているだと思わざるをえない。アルキード王が頭を抱えるのももっともな話だった。これに加えてバランとソアラの駆け落ち騒動、はては伝説の竜の騎士ときたのだから、アルキード王も大変だと同情するに吝かではなかった――俺に無茶振りをしてこない限りにおいては。

 俺がフォルケン王に告げたテラン王国の命数、その分析結果はアルキード上層部の共通見解だ。二十年から三十年。それがアルキードの首脳陣が結論付けたテラン王国の寿命なのである。

 

 ――概ね正しいと、そう思う。

 

 この歴史では――と枕詞につけるのもおかしな気がするが、俺の知る物語ではアルキード王国は消滅していた。では、その消滅の余波はいかばかりだったのか? 最大の陸地面積を誇る大陸で、そこそこ大きな領土を誇る国家が一夜にして消えうせた影響が、近隣諸国であるテラン王国に出なかったとどうして言えよう?

 テランだけではない、大陸を同じくするベンガーナ、カール、リンガイア。それどころか海を挟んだロモスやパプニカ、オーザムとて激震が走ったはずだ。それこそ深刻という言葉も生ぬるいほどの、恐慌に等しい混乱に陥っただろう。それはそうだろう、一国家が一夜にして影も形もなくなり、国土も消えうせ生存者もゼロとか一体どんなホラーだって話である。

 

 それから十数年の後、ダイ一行が訪れたテランは人口五十人あまりの末期国家に落ちぶれている。

 アルキード王国消滅――その世界規模の大災害が結果的にテランに住まう民衆の離散を止めようがないレベルで加速させた。つまりバランがアルキード王国を消し飛ばした一幕こそが、テラン王国崩壊をもたらす最後の引き金の役を担っていた。

 それが王室で開帳された資料と、俺自身の知識をつき合わせて導き出した結論である。時期的に見てバーン率いる魔王軍襲来は誤差の範囲だろう。 

 

 しかし既に歴史は俺の知るものとは違う歩みを始めている。アルキード王国が存続している現在、テランの人口流出のペースから試算すると俺に託された二十年から三十年という分析は現実的な数値だろうと思う。……まあ次の魔王軍襲来が重なればそのスパンが五年は早まると思うけど。バーンの大望が成就してしまえば、テランの国家崩壊どころか地上が消えるわけだから大差ないな。どのみち終わりだ。

 

 アルキード王国上層部の見解と俺自身の見解、その二つを引っ提げて俺はこの場に座っている。そうして問いかけたのだ、この心優しくも過ちに沈みこんだ王に、『このまま国と心中する気なのか』、『先祖代々でつないできた王家が緩やかに死に行くことを許容できるのか』と。

 身分を弁えない厚顔無恥な振る舞いによって今にも死んでしまいそうな俺の心情はともかく、フォルケン王にとっては酷な問いかけだったことだろう。俺の言葉を受けたテランの王は長い沈黙の後、憔悴を表情に浮かべながら溜息をついてみせた。……これはポーズじゃないな、本心からの疲労だ。

 

「国のため、民のため、よかれと思って武器を奪った。だが……ワシに力がなかった故かの、上手くいかぬものだ。御子殿もすまぬな、貧乏くじを押し付ける」

 

 俺が遣わされた理由を察してくれるくらいなら、そもそもこんなややこしい事態を招かないでほしい。そんな諦念混じりの文句が脳裏を過ぎる。……なにせ現時点で半ば詰んでるんだよ、テランは。既に国外逃亡した連中を責めることもできない、俺自身同じ立場なら逃げ出していただろうから。相次ぐ国民の離散に長年の不況が祟ってテランはもうぼろぼろだ、ここから立て直すのは容易なことじゃない。

 とはいえ――。

 この人にはバランの後ろ盾になってもらった恩もあるし、このまま『テランはもうお手上げです、諦めてください』と素直に表明する気になれないのも事実。なんだか最近は心労ばかりたまっていくなあ……。昔を思い出すぜ、しくしく。

 

「その大仰な呼び名は勘弁してください。ルベアで結構です」

「ではルベアと呼ぼうかの」

「ありがとうございます。……王族が他国へ不用意に口を出すは内政干渉の謗りを受けるとはいえ、こんな場を設けてまで私を矢面に立たせるのもどうかと思いますけどね。アルキード王も些か小細工が過ぎましょう」

 

 宙ぶらりんな俺の立場も、アルキード王国に帰国後ようやく正式に取り立てる予定を組んでいるあたり徹底している。政に携わる暗黙の了解に触れぬよう、また、俺自身の今後に尾を引かぬようアルキード王なりに気を遣ってくれているわけだ。しかし慣習ってのはどんな世界でも厄介だね、ほんと。

 

「そなたもなかなか言うものよ、ソアラ姫の前だが構わんのか?」

「ご心配には及びません。うちの王族様方は懐の深い寛容さを持ち併せておりますので、この程度の愚痴は笑って許してくださります」

「だ、そうだが?」

 

 楽しそうに水を向けるフォルケンの姿に苦笑を浮かべるばかりのソアラである。しかしそんなソアラも俺の冗談に無言のうちに肯定を返してから、改めて表情を引き締めると、フォルケン王を強く見据え、口を開く。

 

「父はルベアに『民の声』を届けてくるようにと申し付けました。――それで止まらぬようであれば是非もなし、と」

「耳が痛いな。いや、よく見ておられる。そう答えるべきなのやもしれぬが……」

 

 ソアラも若いな、言葉が些か直裁に過ぎる。受け取り方によってはアルキードがテランを『見切った』とも解釈できる言い回しだ。もちろん移民問題は両国でこれまで幾度も水面下で話し合いはもたれてきたのだろうし、アルキード側の本音が表れていると見るべきなのかもしれないが……。いや、ソアラ、ひいてはアルキード王の言葉は、敢えて自国の苛立ちと焦りをテランに伝えるのが目的という線もあるか。

 

「フォルケン様、これよりはルベアにわが国の存念を託します故、どうかお耳を傾けてくださるようお願い申し上げます」

「承った。彼の者の言葉を無碍にはせぬとこの身に言い聞かせる故、恐れずして申すがよい」

「ご厚意ありがたく頂戴致します」

 

 感謝の言葉と共に一礼する。最後の確認としてまずソアラを見て、次いでバランを見た。ここで制止が入るはずもなく、俺は二人から頷きを貰い、一度深呼吸をすることで気を落ち着ける。

 ただ、もちろん俺はやれるだけのことはやるつもりだが……同時にいかにも厳しい、と臍を噛む思いだった。ここでフォルケン王の非を鳴らし、彼の推し進めてきた政策を改めさせたとしてそれが何になるというのだろう?

 

 国家の礎とは結局のところ国を支える人間の数、すなわちマンパワーに帰結する。だというのにテランは、数年前の大戦時に匹敵する速度で国を支える手を失い続けていた。止まらない人材流出を前に、テラン王国は既に亡国への道を半ばまで踏み込んでしまっている。

 困ったことにその歩みを止める――単純に『武器開発禁止』政策を改めたところで、テランの国力が早期に回復する見込みはないのである。精々十年滅亡を先延ばしするだけに終わるだろう。今のままでは緩やかな枯死という結末は変えられない。

 ここから国家滅亡を覆し、テランの国力を盛り返すビジョンがいかほど残っているのか? 正直なところテラン存続を考える誰もが絶望に暮れるばかりだ、それくらいテランが衰弱死する未来はすぐそこまで迫っていた。

 

 ……本当に詰んでやがるな、この国。

 

 目の前に広がる光明の射さない暗闇に溜息しか出ない有様だった。

 

「僭越ながら申し上げますと、フォルケン様の為した政の全てが間違っていたとは思いません。民から武器を遠ざけることは一つの秩序を構築しますから、長期的に見れば少なからぬ利をもたらしたと愚考します」

「では、何が足りなかったと思う?」

「そうですね……。民が武器を持つことを禁ずる法を定めるならば、国が圧倒的な武威を示さねばなりませんでした。つまり軍事力の増強です」

「だが、それは――」

 

 不敬を承知で遮り、言葉を被せる。

 

「ええ、おそらくですが、フォルケン様は武威に訴えることを厭ったのでしょう? 国が率先して武器を捨てることで平和の精神を醸成する、それ故の軍縮だったのだろうと思います」

 

 ですが、と。

 

「当時のテランにこそ軍拡は必須でした。民の自衛を奪う以上、国が民の生命と財産を守る意思があることを広く知らしめねばならなかったからです。事実、自身の生まれ故郷を見限る人間が年々増加し続けているのが現実でございましょう。フォルケン様、あなたは彼らに『安心』を約束できなかったのです」

「……安心、か」

 

 背凭れに深く身体を沈めた王は消沈したようにうなだれ、憂いに歪められた眉も力なく伏せられていた。

 

「一つ、お尋ねさせていただきます。民が王に望むものは何だとお考えになりますか?」

 

 その問いにフォルケン王は『平和と公平さ』だと答えた。俺はそれに正否を返さず、じっと老王の目を見つめながら続ける。

 

「この十年を一介の民草として過ごしてきた私が答えるならば、『今日と変わらぬ明日』と口にします。争いがなければ良い、豊かであればなお良いでしょう。けれど民衆が最初に望むのはいつの世も『安全に暮らせること』です」

 

 だからこそ平和は手段でしかない。そんな俺の乾いた物言いにフォルケン王は虚をつかれたように目を見開き、それから苦しそうに喘ぐと、唇をきつく引き結んで沈黙した。

 

「あなた様がなさったことは国の平和を実現するために民から安心を奪うことでした。そして彼らの胸に広がった不安に対して些か無頓着だった。王としての失策があるとすれば、おそらくはその一点だったのでしょうね」

 

 俺が思うに、政策の方向性は間違っていないのだ。確かに将来的な武器の発展まで阻害することは議論の余地があろうが、民から武器を奪うことに関しては俺も条件付で賛成したい。

 俺とて平和は尊いものだと考えているし、国民それぞれが武器を振るう備えがある世界なんて危なっかしくて仕方ないからだ。端的に言って怖い――魔法や闘気といった無手の超人化があるのに何を今更、とも思うが。

 平穏を願ったテラン王の目指す先が今は遠い故郷――時に平和呆けとも揶揄された小さな島国の在り方に似ていることも承知している。俺にとって過ごしやすい国――。

 

 けれどそれは遠すぎる理想であり、あえていうなら時期尚早なのだ。少なくとも魔族を主体とする魔界からの脅威、さらに同じ地上で矛を交えるモンスターへの対策を無視してまで叶えようとして良い類のものではない。

 それは危険すぎて現実的ではないのだと言い切らせてもらおう。遠くを見すぎて足元に目が向いていない、それがフォルケン王の性質を『為政者』ではなく『思想家』だと俺が断じた所以である。

 

 とはいえ、ちょっと舌鋒鋭く踏み込み過ぎたかもしれない。その意気消沈ぶりといい、苦渋に寄せられた皺が語る哀れな老人の顔といい、どうにもフォルケン王の落胆ぶりは俺の心臓を罪悪感で圧迫しまくっていた。この王様ちょっと素直すぎるだろう、と。

 いや、これでも敬老精神はそこそこ持ち併せているんですよ、俺?

 

 腹芸ばかりなのも疲れるけど、こうも善性で対されるのも困り者だ。もう少しふてぶてしさというか、俺の罪悪感を刺激しない程度に諸々を呑みこんでくれないかなあ、と内心で冷や汗だらだら。この時、俺は何故だかバランの覇気が無性に懐かしくなった……。いかん、疲れてるのか、俺?

 あー、うー、そろそろ限界かも。仕方ない、ここで畳み掛ければいけるか?

 

「正直に申し上げます。私はアルキード王より勅命を頂き、テラン王国に『変化』を齎すよう尽力するつもりはありますが、テランの王であるあなた様の心変わりまでは望んでいません。……いえ、正確にいえば、フォルケン様には今のままでいてもらわねば困ります。そう申すべきでしょうか?」

「どういうことだ?」

 

 フォルケン王の目が訝しげに細められる。言葉通りです、と揶揄するように返す度胸は俺にはなかったため、微笑を浮かべてやり過ごすに留めさせてもらった。

 なに、簡単なことだ。どういうこともなにもアルキード王が望んだような対処療法だけでは、今のテラン王国はどうにもならないと俺が判断しているに過ぎない。それに俺の雇い主様がどこまでを期待したのかは知らないが――アルキード王国のメッセンジャーに徹するには俺はまだ若すぎた。

 だからまあ、俺の望みのために少しだけ好き勝手させてもらおうと腹を括ったのである。……『跳ねっ返りの小僧』と笑われるだけで済めば良いけど。

 

「ここまでは民としての私の存念をお伝えしました。これ以降は私の希望――今日まで我が胸にのみ秘してきた献策を奉じたいと考えております。お許し願えましょうか?」

「ワシは構わぬが……よろしいのか、ソアラ姫?」

「――ふふ、私は既に申し上げましたよ? ルベアの言を我が意思と思し召されますように、と」

 

 ぞくり、と背筋に震えが走った。

 フォルケン王の『独断専行を許すのか』との問いに、応じるソアラは微塵も動揺を見せず、それどころか艶やかに薫る微笑みを返すほどの余裕を見せ付けていた。……まいったな、信頼が重い。というかこの人マジで怖いぞ。これでも俺は猜疑心の強い人間だと自負しているのだが、そんな俺の心をここまで容易く掠め取るかよ。化け物だな。

 

 いつかソアラが玉座に座った暁には、畏敬を込めて女帝陛下とでもお呼びするべきなのかもしれない。さすがは竜の騎士の妻に不足ない器量持ちとでもいうのか、普段は良妻賢母の顔しか見せないくせに、ふとした瞬間王者の風格を醸し出すから卑怯だと思う。これが千代に八千代に渡り王国を統治してきた、生まれながらに人の上に立つ一族の凄みなのかもしれない。敵に回したくないと心底思った。

 最近活動することが増えた保身回路がじくじくと疼いているのを自覚しながら、ともあれ許しは貰えたと判断を下し、ほっと胸を撫で下ろす。

 

「フォルケン様、テラン王国は既に出血過多に陥り、これ以上のダメージには到底耐え切れません。あなた様が荒廃した国土と伽藍の風景を望まないとすれば、人口流出に歯止めをかけつつも他国に散った元国民を呼び戻す、あるいはテランに移住する新たな人間を多数確保するという極めて困難な舵取りが要求されます」

 

 アルキード王国としてはテランがベンガーナに半ば吸収される未来は出来れば回避したい。それは俺も同意見だし、そのためにはテランが盛り返してくれるのが一番収まりが良いのだ。道のりの困難さに舌打ちして投げ出したくなるけどな!

 

「小手先の手管ではテラン王国の体力のほうが先に尽きてしまう現状、抜本的な見直しが必要でしょう」

「それはわかるが……」

 

 歯切れの悪いフォルケン王だったが、それも致し方あるまい。言うは易し、行うは難し。それが出来ないからこそ現在のテランの苦境があるのだし。

 

「まずは短期的な将来への希望を、そして長期的にはテランの民に誇りを取り戻させねばなりません。『テラン王国に生まれて良かった』と心から思える矜持を持てるなら、多少の貧しさや不自由さなど笑い飛ばせますから」

「理屈はわかる。――実に容易く言ってくれると困り果てる程度にはな」

 

 同感だ、俺自身言葉の軽さを自覚している。そう簡単に事が運べば苦労しない。

 

「そう皮肉ってくださいますな。黄金の牢獄に繋がれた貴種が挑むに相応しい大事業でございましょう? ――もっとも、私はそんな艱難辛苦まっぴらごめんですけど」

 

 ひょいと肩を竦めてみせる俺に、フォルケン王は低く喉を震わせた。零れる笑い声からは陰鬱な気配を感じない。

 

「いや、すまぬな。そなたは正直でよいと感心しておったのだ。……長く王などと呼ばれているが、まこと生まれを選べぬ悲哀を嘆くばかりの日々よ。こうして弱音を零すことすら難しいのだから割に合わぬ」

「こうして美味しいミルクをご馳走していただけるなら愚痴くらいにはお付き合いしますけど、王の重責にはしばらく耐えてもらうほかはないですね。残念ながら、私はあなたに夢を見てほしいと願っていますので」

「ほう? 興味深いな、御子殿はこの国に夢を見たか」

「ええ、こうみえて私は子供染みた御伽噺が大好きなのですよ。だからいつだって妄に耽りますし――『世界平和』という甘く綺麗な夢想を嗜むのです」

 

 にこやかに告げた俺に返答はなかった。……ん? こう見えても何も、今の俺は十歳そこそこのガキなんだし分相応なのか? とふと疑問に思った。心底どうでもいいと脇に放置しておくだけだが。

 しん、と虚をつかれたように、場には沈黙の空間が広がるばかり。各々が思いに耽る時間は短くなく、やがて年老いた王が小さく息をつく。

 

「なるほどの、白痴の夢に相違ないきらびやかさよ」

「まったくです。それは過去何者も為しえず、未来永劫実現するはずのない御伽噺なのですから。されど今一度繰り返させていただきましょう。――私は他ならぬあなただからこそ、痴人の妄に耽ってほしいと願います」

 

 笑みを消して、目には力を込めて、真剣な面持ちでただただ老王を見つめる。フォルケン王の表情にはまず逡巡があり、その目には猜疑と諦観が宿っており、唇は苦みばしったようにきつく結ばれている。しかし最後にその固く閉ざされた口から発せられた言葉は、疑いの余地なく決断だった。

 

「改めて聞かせてもらおう。そなたの目はこの国の未来に何を映している? ――王として命ずる、忌憚なくその腹の内を見せてみよ。のう、託宣の御子よ」

「御厚情を感謝します。ではフォルケン様にお尋ねしますが、破邪呪文(マホカトール)なる伝説の大呪文をご存知でしょうか?」

「ふむ? 古文書に曰く、邪を払い魔を退ける光の魔法陣を描く呪文だと記憶にあるが……」

 

 わずかの思索ですぐに引っ張り出してきたあたり、さすがに博識だなこの爺さん。話が早くて助かる。

 

「その通りです。光の魔法陣を敷いた結界内では、魔王に支配されたモンスターの闘争本能を鎮め、正しき心を取り戻させる効果があると聞きます。――ならばこの破邪の恩恵を世界規模で展開できるなら、たとえ魔王が現れようとも魔の軍隊の脅威を半減させることができると思いませんか?」

 

 はっとその場の全員が目を見開く。王族二人の脳裏に浮かぶのは先の大戦がもたらした悲劇の数々だろうか?

 かつての大戦では人類は常に劣勢であり、乾坤一擲の最終決戦で勇者アバンが魔王ハドラーを下したことで戦乱は終結を迎えた。その結果が意味するものは、人類と魔王軍の戦力差は基本的に魔王軍が圧倒的していたということ。その最大の原因は、なにより『数の利』を魔王軍が忠実に守っているからにほかならない。

 

 意外なことに、というのは彼らに失礼かもしれないが、魔王軍の軍事活動は何時だって合理的で基本に忠実なのである。すなわち数を揃え、徒党を組み、自身よりも弱いものを優先的に狙うことで確実に敵戦力の低減を狙う。そんな実戦主義を突き詰めた戦法を使うのだ。

 性質が悪いのはそこに魔王の洗脳紛いの統率が加わり、極めて合理的かつ実力以上の力を発揮して人間を襲うようになることだろう。モンスターの脅威は魔王の在位と不在によって天と地ほどの差がある。そして――その絶対的な主従関係に楔を打つのがマホカトールだ。

 

「魔王ハドラーの恐ろしさは身に染みておられましょうが、彼ら――いわゆる『魔王』という存在の最も厄介な点は、その強靭な肉体でもなければ強大無比な魔法力でもありません。真に恐るべきは地上のモンスター全てを悪鬼に変える恐るべき魔の瘴気でございましょう。無論、いかにマホカトールといえども高レベルの魔物には破邪の力は及びません。ですが有事に際して世界中のモンスターから魔王の邪気を払えるならば、散発的に暴れまわるモンスターを封じ、犠牲者を大幅に減らせるはずです」

 

 実際、この世界の『平和』とは大抵の場合、魔王が存在せずモンスターが大人しくしている期間を指す。魔王が復活しても大半のモンスターを大人しくさせておけるなら戦争の仕方は確実に変わるだろう。治安も守られる。

 とはいえ、そうなったらそうなったで魔族の側が何かしらの手を打つだろうけど。人間よりもスペックが上の彼らがこちらの思惑に易々と嵌ってくれるとも思えないしな。

 優れた魔法力に叡智を重ねた優良種族、それが魔族だ。……厄介な連中だなあ。

 

「古の秘儀を紐解くはテランの得意とするところでございましょう? 破邪の効果を最大限高めるには光の五芒星が鍵となるそうです。恒常的な効果を見越すならば、術者に頼らぬよう魔法具を含めた大規模術式の解析と開発は避けて通れませぬ故、代々テランの王室が受け継いできた膨大な古文書に頼れるかと。もしやするとマホカトールよりもさらに強力な呪文が見つかるかもしれません」

 

 むぅ、と唸るような声がフォルケオン王の口から漏れた。

 

「つまり、そなたはわが国が主体となって破邪の力を研究し、以って平和への一助とせよ。そう申すわけか」

「ほかの誰でもない、長きに渡り争いを厭った政を執り続けたあなただからこそ、世界の行く末を憂う旗振りの主に相応しいと愚考しております」

 

 テランは弱い国だ。そして武器を捨て、平和を愛した王だからこそ世界は彼を信じる。真実平和のために破邪を用いる気概を疑われることはないだろう。そうなれば各国からも助力を得やすい。

 世界中を破邪の力で覆うのは荒唐無稽だと思われても、『王都のような重要拠点に限定すればあるいは』と思わせることは出来るだろう。なにせ実際に存在する呪文なのだし、アバンはデルムリン島をほぼ全域に渡って少なくとも三ヶ月間は結界を維持してみせた。習得の難易度に目を瞑れば、コストパフォーマンスは非常に優秀の一言に尽きる。

 

 それだけではない。

 この試みはいずれ他国に協力を要請することで世界を巻き込んだ一大事業になるだろう。賢者を育てるノウハウを持っているパプニカ王国、破邪の洞窟を抱えるカール王国は是非とも引き込みたい。思い切ってテランの王室で抱えた古文書を一部開放し、テラン国内に学術都市の機能を持たせても面白いな。

 破邪の研究を足がかりに人材の交流を促し、付随する話題性や元々優れた景観を生かして観光地としての魅力で人を呼び込めればテランは変わる。人が増えれば物は集まるし、金の流れだって活性化するだろう。そうなればテランにも息を吹き返す未来が見えてくる。

 

「……見事なものよな。それほどの成果があがれば魔王軍にとってはさぞ目障りな国になろう。わが国は高い確率で狙われるようになる。それもそなたの目論見のうちか?」

「ご慧眼、痛み入ります。故に私が願い出るまでもなく、聡明であらせられる彼の国の王には、平和を維持するための『暴力機関』を育てていただけると信じております」

「言いおるわ」

 

 それは相対的にアルキード王国が安全になることも意味する。やがてバーンの軍勢が押し寄せてくる頃、奴らの侵略目標が分散していたほうが好ましいのだ。ただでさえバーンにとって最大の脅威となるであろう竜の騎士を抱えているのだ、全軍をアルキードに向けられてはたまらない。

 全てを明かすはずもなく、しかし互いの思惑の一部を暗黙のうちに交わしあい、楽しげに笑み崩れるフォルケン王に対して不敵な面構えで臨む俺だった。

 

『汝、その志は真なりや?』。

 

「破邪の研究は十年では形になりますまい。しかし三十年あれば実現が見えてくるかもしれません。そして百年後、テランは平和の担い手としての地位を確固たるものにしているやもしれませぬ。――私がテラン王国に見出した可能性は、私が提示した痴人の夢は、はたしてあなた様の御眼鏡に適いましたでしょうか?」

「今日という一日は、自身の不甲斐なさを突きつけられる巡りあわせよな。……溺れるに足る夢だと、心から思うよ。この老骨の胸を躍動に跳ねさせるほどのな」

 

 その端的な一言には万感の思いが込められていた。恐縮でございます、と一礼した後、ほっと安堵の息をつく。

 

「今更ではあるが、そなたはほんに不思議な子よな。ワシのような者とは発想のスケールが違う。一体何処からそんな奇想天外な構想を生み出したのやら」

「そういわれましても、閃きとしか答えようがありませんので。申し訳ありません、フォルケン様」

「すまぬな、責めているわけではないのだが……」

 

 感心したような、それでいて呆れてもいるような複雑な面持ちのフォルケン王だった。そらまあ大本は俺の考えではなく、どこぞの大魔王が目指した傍迷惑な『地上破滅計画』の産物ですからねぇ、などと口に出せるはずもないので黙っておくが吉である。

 大魔王バーンはその計画の最終段階で、《黒の核晶(コア)》と呼ばれる超爆弾を用意し、さらに《悪の大六芒星》を描いて魔力増幅効果を加え、この地上を一瞬の内に消し飛ばそうとした。俺が語った『世界を破邪結界で囲ってしまえ計画』はその応用に過ぎないのである。

 

 ほんと、魔界の神を名乗るだけあってバーンは真実恐ろしい叡智を持った化け物だと思う。ポップが言った『スケールの違い過ぎる男』という評価は正しいよ。村や街が全ての民草ではなく、一国を見渡す為政者でもなく、世界の成り立ちそのものを睥睨する神が如き視点でものを見る不世出の器。それが大魔王バーンの真の恐ろしさなのだから。

 たとえ竜の騎士が味方してくれようと、あんなのを相手にしなきゃいけないとかやってられん。是非是非病気か何かでぽっくりいってくれたまえ。見た目華奢な老人なんだから、それくらいの可愛げを見せてくれてもいいじゃないか。

 

「しかし百年の先か。いずれにせよ実現に至る道程は遠いな。まずは破邪呪文を契約するための魔法陣を探すことから始めねばなるまい。うまく見つかれば良いが……」

「ああ、そのことですが、書よりも人を探したほうが早いかもしれません」

「ほう、遺失呪文の使い手が残っているというのか? 破邪の術法を扱えるは賢者のみ、ならば有力なのはパプニカ王国だが?」

「賢者を育てるノウハウが必要ならばパプニカとも協力を考えてください。ただ、おそらくパプニカ傘下の賢者にも破邪呪文の使い手はおりますまい。私が破邪の使い手として風聞で聞き及んでいるのは、元カール王国の騎士であり、現在は諸国見聞の旅にでているという『ジニュアール家』の末裔ですね」

 

 フォルケン王の眉がぴくりと上がる。

 

「……待て、その家名は確か」

「ええ、ご推察の通りです。アバン・デ・ジニュアールⅢ世。数年前、魔王ハドラーを討ち果たした勇者の名です。おそらくは今この地上で最も破邪の秘奥に精通している御仁かと」

「いずれは、か」

「ええ、いずれは、です」

 

 現時点で想定される破邪結界にまつわる問題は、黒魔晶に代わる魔法効果増幅装置と大魔王に追随する強大な魔力の当てだ。とはいえ、そのどちらも突破口はある。未来でアバンが破邪の洞窟奥深くに潜って身に着けたという『破邪の秘法』である。そのノウハウを生かすことで解決の糸口は見えてくる……はずだ。多分。きっと。おそらく。

 付け焼刃の知識しかない俺にこれ以上は無理だな。専門家の知見がほしい、できれば専属で研究開発に従事してくれる逸材なら言うことなしだ。その役目に最も相応しい人類最高峰の頭脳を持った勇者様は、今頃何処をほっつき歩いているのかね?

 

 脳裏に万能の大勇者の姿を思い描いてからしばらく、思索に耽っては首を振り、あるいは納得したように頷きを繰り返すテラン王が、やがて顔をあげるとじっと俺の目を覗き込んでくる。その奥深くに宿る温和な光がまさに彼の半生そのものだと思った。

 

「……まさに実り多き夜になったものだ。ルベアよ、老人の心臓はもう少し労わるものぞ?」

 

 ふっと笑うその表情には血色の良さを示すように仄かに赤みが差し、軽快な語り口は彼自身の言葉に反して老いを忘れさせるものだった。

 

「程よい刺激は長寿の薬と聞きますれば」

「まったく何という一日か。昼にはバラン殿の威風に中てられ、夜はそなたの遠慮呵責ない舌鋒に翻弄される。この老骨には些か酷な刺激だろうて。次は手加減してもらわねば困るぞ?」

 

 柔和な笑みで苦言を零すフォルケン王の朴訥な姿に応えるように、ソアラやバランの密やかな笑い声が広がった。俺もほっとした思いを表情に滲ませながら彼らに追従する。どうにか俺の言葉は届いたと判断して良いだろう。この布石が少しでも良い方向に転がってくれればいいんだけど……。

 さてこの先どうなることか。テランは? ベンガーナは? アルキードは? バランは? ソアラは? そして俺は?

 そんな風にぼんやりした頭でふわふわと定まらない思考を遊ばせることしばし。一息つこうと卓に手を伸ばし、ミルクで喉を潤す。ああ美味しい。そんな風に一人和んでいると――。

 

「ソアラ姫、一つ頼みごとがあるのだが」

「あら、何でしょう?」

「その少年、ルベアをテランに貰えぬかな? 是非ワシの力になってもらいたい」

 

 ――危うくミルクを吹き零すところだった。って、いかん、気道に嵌った……!

 

「いきなりですね、フォルケン様」

「難しいかの?」

「些か。この子を必要としているのは私やバランも同じですから」

 

 げほげほと涙目で咳き込む俺を尻目に、王族二人の間で俺の移籍交渉が行われようとしていた。うわーい、なにやら知らぬ間にモテ期に突入していたぜ。……これっぽっちも嬉しくねえ。

 慌てて周囲に目を走らせると、ソアラは困ったように微笑んでいるのだが妙な圧迫感を発しているような気がする。対するフォルケン王は重圧を何一つ感じていないような菩薩の笑みだ。ふと、亀の功より年の功などという言葉が浮かび上がった。そしてバランは相変わらず無言である。あんたはワイングラスを傾ける仕草が様になりすぎてるんだよ、二十歳前のくせに貫禄ありすぎ。

 

 火花散る視線の応酬。

 内心あわあわと目を回して二人の静かなる攻防を見守っていると、そんな俺に気づいたのか不意に相好を崩す王族方。……ふと違和感。あれま、これってもしかしてそういうこと?

 

「あのー、王族流のタチの悪いブラックジョークとか止めてもらえません? 心臓に悪いです」

「すまぬな。ささやかな意趣返し故、許すが良い」

「うふふ、ごめんなさいね、ルベア」

 

 つまり俺はからかわれていたというわけだ。溜息を一つ。あまり玩具にしてほしくないんですけどね。

 バランが動じてなかったのは無関心だったからではなく、単に裏を見切っていたからだろう。人を読むことにかけて俺はまだまだ未熟だと痛感するな。いきなりのヘッドハンティングに一瞬肝が冷えたけど、まあ可愛い悪戯とでも思って流しておくべきなのだろう。実際意趣返しされても仕方ないくらいには俺も無茶をしているのだし。

 

「とはいえ、全てが冗談というわけでもないのだがな。そなたがバラン殿の従者でさえなければ、本気で我が国に招聘(しょうへい)しているところだ」

「過分なお言葉、身に余る光栄です。ですが私はアルキードに生まれ、この十年を健やかに過ごしました。私なりに祖国に愛着を持っております」

 

 なにより、と淡い痛みと暖かな追憶に浸りながら微笑を浮かべる。

 

「先の大戦で祖父は一兵卒として戦い、武運拙くお国の土に還りました。最後まで故郷を愛した祖父を、父も母も誇りに思っています。私も両親の思いに殉じたいのですよ」

 

 だからこそバラン処刑の日、俺は一人国外に逃げ出すわけにはいかなかった。だからこそあの日、祖父の遺品である皮の防具が俺を火炎呪文から守った。

 パンを焼くのも嫌じゃなかったし、祖母の代から続く家業を継ぐつもりだったんだけどなあ。俺の明日は一体何処を向いているのやら。

 

「お誘いは本当に嬉しいです。ですが、どうかその儀は謹んで辞退させていただきたく思います。申し訳ありません」

「そうか、残念だの。ではルベアよ、毎日とは言わぬ。しかし偶にはこの老人の退屈な茶飲み話に付き合ってもらえぬかの? それ以上は望まぬでな」

「承りました。もっとも私以外にも茶飲み仲間に加わってくれそうな人はいますけどね。そうではありませんか、ソアラ様、バラン様?」

「そうね。平和を尊び、秩序を築き維持するは王家の責務。父もこの件では前向きに考えていただけるかと。国許に帰り次第相談してみましょう」

「ふむ、竜の騎士として軽挙妄動は厳に戒めるつもりではあるが、その線を越えぬ限りにおいて最大限の助力を約束しよう。お心安らかに臨まれよ、フォルケン殿」

「かたじけない。感謝するぞ、ソアラ姫、バラン殿」

 

 深く頭を下げられ、ソアラと俺が恐縮する。バランは苦笑を浮かべて頭をあげるよう促していた。

 この場の全員が一段落ついたと実感を得たところで消えることのなかった緊張が完全に弛緩する。心地の良いまったりとした空気が流れ、この静けさを全員がゆっくりと楽しむ風情すら漂っていた。……この雰囲気だとお酒が欲しいなあ、などとカップに残るミルクに視線を落として軽く笑う。

 

「どれ、もう一本ワインを開けて改めて乾杯でも――」

 

 俺にも一舐めくださいと思わず口走りかけた。そんな俺の葛藤など露知らず、フォルケン王がリラックスした顔で立ち上がろうとした瞬間、にわかに扉の向こうが騒がしくなったことに気づく。

 なんだ? と耳を澄ませた。詳細は聞き取れないが、なにやら怒鳴りあっているようだ。

 

「すまぬな、人払いは済ませていたはずなのだが」

 

 申し訳なさと困惑を浮かべるこの城の主だったが、外の喧騒には似つかわしくない控えめなノックが数度続けられたところで「入れ」と命じた。扉を開けて入ってきた男には見覚えがある。番兵として警護についていた男だ。問題はその後ろ、番兵に続いて部屋に足を踏み入れた魔法使い特有のローブを纏った細身の男のほうである。

 注意深く観察するまでもなく、一目でその魔法使いの顔が青褪めきっているのがわかる。緊張に強張った表情は険しく皺が寄せられ、瞳は沈痛に翳っている。

 

 ……どう考えても愉快な出来事じゃない。彼らの登場で部屋の空気が一変したのがわかるし、同時にまずいと直感もした。

 なぜなら後から入室してきた魔道士はテラン王国の人間ではなく、アルキード王国に所属する兵士――それも貴重なルーラ使いの魔法使いだ。このレベルの高位魔道士はいかに一国の王家とて容易に動かせる人材じゃない。そんな人間が予定外の来訪をしてきたのだ、否応なく不安感が膨れ上がるというものである。

 

「ご歓談中の無礼、平にご容赦くださいませ。只今アルキード王国より使者が到着し、至急ソアラ王女に面会を希望するとの事でしたので……その、まことに申し訳ありません」

 

 テランの兵士が不要領気味な顔でしきりに謝罪を口にする。この様子を見る限り詳しいことは知らされてないな、だというのに人払いが通達されていたこの部屋に乱入してきた。それほど使者の剣幕が尋常ではなかったのか、それとも……彼の立場では従うしかないレベルでの脅し文句をくらった可能性もある。たとえば――『アルキード王直々の言付けを預けられている。至急ソアラ様にお目通りを』あたりかな?

 

「よい、下がっておれ」

「はっ」

「使者殿も面をあげよ。……ソアラ姫、ワシは席を外させてもらおうと思うが?」

「いえ、そのお心遣いはご無用に願います。重ね重ねの非礼に汗顔の至りにて、これ以上のご厚意をいただくわけにはいきません。……もし、使者の方。遠慮はいりません。この場にてあなたの職務を全うし、事の次第を詳らかに語りなさい」

「……仰せのままに、ソアラ王女殿下」

 

 王族の間で交わされる駆け引き……というほど湿った意図は含まれてはいないな。強いて言うなら譲歩することで信を見せたってとこだろう。

 まあ外交の絡むこまごまとした場に同道することも多い宮廷魔道士が、こうも手順をすっ飛ばして急報を持ってきたくらいだ。この報告に秘匿性を重視する意味もないとの判断があったのだろうが、相変わらずソアラは思い切りが良い。つくづく外見からは見えない性格である。

 対照的に使者の顔は土気色に染まり、今にも死んでしまいそうだった。声にも若干の震えがある。

 

「どうか、どうかお心強くお受け止めくださるようお願い申し上げます」

 

 跪き、報告の体を取ってはいるが、悲壮感に包まれた彼の姿はとても小さなもので、まるで懺悔でもしているかのように弱弱しい。貧乏くじだな、と少しだけ憐れに思った。

 

「先刻の事です、本国の王陛下の元へと急報が届きました。その報告によれば、ラインリバー大陸の西海岸を目指し航海していた我が国の船が大嵐に遭い、船員の奮闘空しく沈没の不幸に見舞われたとのことです。残念ながらソアラ様のご子息――ディーノ王子もまた行方知れず。すなわち生死不明だと……!」

 

 その瞬間、確かに時が凍った。

 バランも、ソアラも、そして事態の重さを悟ったフォルケンも、皆が目を見開いて絶句していた。おそらくは、一人冷たい思惑を胸に抱えた俺こそが、きっと一番冷静にその悲報を耳にしていたのだろうと思う。

 硬質なガラス細工が儚く砕ける音が響き、ついで椅子を蹴飛ばすように荒々しく立ち上がる偉丈夫。何も言わず部屋を出ていこうとする竜の騎士の腕を慌てて掴んで制止した。

 

「バラン様、何処へ行かれるおつもりです」

「知れたこと、ディーノを探しにいく以外に何がある」

「落ち着いてください、ディーノ様のお乗り遊ばされていた船が沈んだのは何日前だと思っているのです? 赤子が大海原に投げ出されては一刻とてもちませぬ。加えてもう夜も更けました、飛翔呪文(トベルーラ)で当てもなく彷徨ってどれだけの成果を見込めるとお考えなのです」

「だからといって……!」

 

 射殺さんばかりに睨みつけられ、身が竦み上がる。顔は青褪め、手足は震え、そんな俺はひどく情けない姿を晒していたのだろう。

 それでもここで勝手をさせるわけにはいかない。ソアラとの結婚を正式に発表された後でなければ、彼の力は鎖のない独断で振るうには大きすぎる。動くならせめてアルキード王に下知を貰ってからだ、一歩間違えれば今日までの全ての努力が無に帰しかねない。

 今にも紋章の力を解放しそうな強者を前にして、動悸の激しくなる心臓を押さえつけるように掴み、小刻みに痙攣する唇から無理やり叫びを搾り出す。

 

「落ち着けと言っています! 陛下とて孫君の行方に心を痛めておいででしょう、本国でもすぐに捜索隊が組まれるはずです。それにディーノ様の里親につけられた者が役儀を放り出していなければ、まだご存命の可能性は残っているはず。……お願いです、今はどうかご自重ください」

 

 そこでバランを阻んでいた腕を戻し、ほうっと一度息を整えた。

 

「お心を鎮め、ご帰国を先に済ませますようお願い申し上げます。嵐の規模、歪められた航路に沈没した位置、この季節の海流の流れ、生存者からの聞き取りや地元漁師からの話。それら全ての情報がすぐに王宮に集められるはずです。あなた様が動くのはそれを確かめてからでも遅くはありません」

「……憎らしいほどに冷静だな、お前は」

「それが務めと心得ていますから。……バラン様、あなたはディーノ様のお父上なのですよ。親が子の生存を信じてやれずにどうしますか。それにあなた様が支えねばならぬお方が、ここにはもう一人いらっしゃるでしょう?」

 

 俺は人の親になったことがない、だからバランの痛みもソアラの絶望も実感できない。

 親だからこそ取り乱している竜の騎士。そんなバランに最も効く魔法の言葉をかけると、すぐにバランははっとした表情になって己が妻を振り返る。ソアラの表情は血の気の引けた蒼白さをありありと伺わせていたが、それでも気丈な様子でバランを見つめ返した。一時、部屋から喧騒が遠のく。

 

「使者殿、王陛下から我らへのご指示は出ておりましょうか?」

「至急帰国せよ、と」

「承知しました。――ソアラ様」

「……ええ。フォルケン様、大変慌しくなってしまいましたが、いずれ正式な使者を立てて仔細をお届けします故、今は私たちの無作法をお許しください」

「皆まで言うな、ご子息の無事を願っているぞ。そなたらに竜の加護のあらんことを」

「ありがとうございます」

 

 深く礼を述べるソアラが顔をあげるのを見計らい、テランの老王へと口を開く。

 

「フォルケン様、あるいは占い師ナバラ殿の御力を借りることになるやもしれません。お口添えをお願いします」

「なるほど、それがよいやもしれぬな。話は通しておこう」

「助かります」

 

 俺達のやりとりを見守っていたバラン達に苦笑を零す。

 

「道すがら説明しますよ。さあ参りましょうか?」

 

 そうして彼らは頷きあい、皆が不安に瞳を揺らしながらも行動に移し始めたのだった。

 

 

 

 

 

 それから一ヶ月。アルキード王国の必死の調査やバランの鬼気迫る捜索も効を奏さず、依然としてダイの行方は掴めていない。

 結局俺は《託宣の御子》とやらの務めを果たそうとはしなかった。それはダイがデルムリン島に流れ着いた可能性を、俺が能動的にバラン達へ明らかにするつもりがないからだ。――少なくとも三年、最長で五年の間は。

 俺の望みを成就させるためにはダイの生存が不可欠だ。それは裏を返せば彼が生きていてくれさえすれば、アルキード王国で王子として過ごそうが、怪物島で孤児として過ごそうが、どちらにしても俺にとってはデメリットになりえないということ。より正確に評すのなら、どちらに転ぼうとも俺には利があり、同じだけ不利があるわけだ。ならば最低限生き延びてくれさえすれば良い。

 

 実際的な話をするならば。

 ダイの乗る大海原に浮かぶ船にルーラで辿り着けるはずもなく、座標もあいまいな航海中の船に辿り着けるとすれば、それは飛翔呪文(トベルーラ)の使い手であり体力と魔力が無尽蔵なバランくらいである。

 しかし処刑の日からテランの会談までバランとソアラは政治的に雁字搦めの状態にあった。テランの後ろ盾を得た今ならば《竜の騎士》の肩書きである種の『治外法権』を発揮できるかもしれないが、それは国家においては横車に外ならないものだ。そんな力押しを続ければいずれ排除される。まして当時の状況では何をいわんや、だな。

 

 船の上のダイにはどうあっても手出しできなかったのだから、生き延びてくれることを願う以上の選択肢もなかった。

 だったらどう転んでもいいように善後策を考えておくだけだ。ダイをアルキード王国に連れ戻した先のシミュレーション、現時点での国内における竜の騎士の扱いと将来他国を含めてどうなっていくかの懸念、バランの地位を確立させるための手段、いずれくる魔王軍への対抗策。デルムリン島にダイを残すメリットとデメリット、神の涙の行方、ブラス老やモンスターとダイが育む暖かな関係。

 考えねばならないことなど多岐に渡りすぎている。しかもそのどれもが流動的というおまけつきだ。

 

 一方で最悪はダイがそのまま死んでしまうことだった。無論そうなった時が一番きつい。というか対魔王軍を想定した戦略が瓦解しかねない。

 まずった、と苦々しい思いで昔を振り返る。バラン処刑の執行に飛び込み乾坤一擲の大博打を打つまで、正直ここまでソアラ達に厚遇してもらえるとは思いもしなかった。ましてあの時点ではダイの生存は二の次で、アルキード王国消滅対策に思考のリソースを傾注し過ぎたことも事実。

 ……神ならぬ人の手だ、多少の杜撰さは納得しているし、この期に及んで過去を悔やんでもどうしようもないのはわかっているのだが、歯痒い。

 

 ダイが生きているならば――。

 ダイが死んでいるならば――。

 竜の騎士という規格外をアルキード国内で定着させ、完全に受け入れさせるのに俺の試算では三年。それまではダイがバランの急所になりかねない――。

 ダイをすぐに連れ戻すとおそらく十年近く国内から動かせなくなる、その影響は――。

 

 いくつかの懸念をつらつらと思い巡らせたところで溜息が出た。人類が勝つため、俺が生き延びるためとはいえ、策を練れば練るほどに際限なく卑しくなる自分を実感する。

 問題はほかにもあった。なまじ中途半端な知識があり、不確定なはずの『先』が見えてしまうせいで思考にノイズが混じりやすくなっているのだ。そのせいで傲慢さが勝ってリスク管理が甘くなり、楽観が先に出てリスクを織り込みきれていない。今回のケースなどまさに典型だろう。

 何も知らぬほうが判断に迷いが生まれないのだとひどく痛感する。嵐の中で赤子を乗せた小船が海を漂流し、運よく陸地に辿り着く? それは一体どんな天文学的確率を乗り越えた先の奇跡だ? そんなものに俺が期待するだと? ……なんだってんだ、俺らしくもない。

 

 頭が痛かった。こんな何の保障もない奇跡に縋っていればいつか絶対に破綻するという恐怖と、無力さと保身と諦観を盾とした自分自身の損得勘定に半ば辟易としながら、それでも息子の悲報に顔を青くするバランとソアラの二人を欺こうとする俺は、絶対に天国にはいけないのだろうと思う。未だ自身の足で立つことすら叶わぬ赤子まで謀の贄にしようとしているのだ、そんな綺麗な場所にいけるはずがない。

 

 ふっと重い溜息をこぼす。まあいいさ、現世利益至上主義だとでも考えておけばいい。どうせ昔から冠婚葬祭以外には宗教の類には触れようとしない無神論者だったわけだし、今更だ。

 あえて皮肉めいた思いで弱気を霧消させる。本当に今更なのだ。悪意がなくとも人は人を不幸にできる。ならばせめて善意で地獄への道を舗装せぬように努めるしかないと言い聞かせてきた。俺が姦計を張り巡らせるのは今回が初めてではないのだから。

 

 小さく頼りない自分自身の華奢な身体を見下ろす。開いた右手に視線を落とし、やがてゆっくりと握り締めた。思い出すのはテランに赴く前、ディーノ帰還の令を出すことを伝えられ、ようやく息子との再会が叶うと笑いあっていた夫婦の姿。そして俺はそんな二人の思いを知りながら裏切ろうとしている。

 

 よかった、と一匙の安堵を得た。

 ダイを含めたバラン達の絆をこうも悪辣な形で弄ぼうとしながら、なお彼らに襲い来る苦難を他人事と片付けるほど俺の羞恥心(しゅうちしん)は麻痺していなかったらしい。おそらくそれが(はかりごと)(たしな)む人間の、せめてもの矜持(きょうじ)なのだろう。

 

 きっと俺は、いつか竜の騎士父子のために死ぬことになる。

 

 不意にそんな根拠のない予感に襲われ、その突拍子のない想像に思わず目が点となる。あるいはそれは俺の罪悪感が見せた白昼夢なのかもしれない。だが、妙にリアルな幻でもあった。

 ちと疲れてるのかね?

 縁起でもないと嘆息を漏らし、これ以上迷っていてもしかたないと雑念を振り払うため、軽く首を振って気を張り直す。方針を決めたのならもう迷うな。

 

 ダイが生きてデルムリン島に辿り着いていることを前提に今後の布石を打つ。

 大魔王に地上を消滅させないために。竜の騎士が地上を去らぬ可能性を見出すために。人間がモンスターを隣人と迎え入れるか細い糸を手繰り寄せるために。……未来のアルキード王子が、人前であってもモンスターをもう一人の祖父だと胸を張って紹介できるように。

 それは数多ある平和の可能性として俺が描き出す、未だ構想に過ぎぬ荒唐無稽。だからこそ『デルムリン島をアルキード王国がかすめ()る』手段さえ視野に入れる。もちろん今すぐの話じゃないし、構想の鍵を握るのは俺ではなくダイだ。

 

 十年の先を見据えて備え、百年の先を仰ぎ見て理想を追う。

 ならば戦おう、その道に立ちはだかる最大の障害と。

 剣を持てず、魔の素養も乏しく、持てる手札はこの小賢しい頭脳だけ。それでも、いや、それだからこそ、あの恐るべき男に本気で抗う覚悟を、他人(ダイ)の運命を弄んだ瞬間に決めた。

 

 

 

 ――さあ、戦争を始めようか、大魔王バーン?

 

 


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