ダイの大冒険異伝―竜の系譜―   作:シダレザクラ

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第07話 肝胆相照

 

 

 バランとソアラにラーハルトのことを頼まれた翌日、自身に割り当てられた執務室の戸を開けると既に先客がいた。

 相変わらず目深に被ったフードと身体全体を覆うマントによって異様な雰囲気を醸し出している。上司から何も聞かされていなければ迷わず回れ右をして衛兵を呼びつけるところだ。

 そんな不審者ことラーハルトは、無言のまま涼やかな佇まいで俺に一瞥をくれるだけだった。寡黙な性分……というよりは口を開く必要性を認めないから黙っている。そんな感じだな。

 

「遅れて申し訳ありません。少々別件を済ませていまして、思いのほか時間がかかってしまいました」

 

 ゆっくりとラーハルトの眼前を横切り、抱えた書類の束を執務机に丁寧な手つきで置いてから、改めて客人と向かい合う。いや、今日から俺の部下だったか? 先日からここまでのやりとりを振り返るとどっちが上役かわかったもんじゃないけど。

 せめて雄弁に無関心と主張するその空虚な瞳の色をもう少し隠せないものだろうか。それは『人』ではなく『物』に向ける温度だろうに。

 まったく、見事なまでに無愛想だこと。取り付くしまもないとはこのことだ。

 

「さて、先日は自己紹介も交わしていませんでしたね。私はルベアと申します。以後お見知りおきを」

「ラーハルトだ。此度貴様の配下として励むよう命じられた、いかようにも使うがいい」

「貴公の着任を歓迎します」

 

 勤労意欲があるのは良いことだとなけなしの思いで納得し、自然と溜息が漏れ出そうになるのを必死に堪えた。昨日のバランやソアラへの態度を見るに、持って回った言い回しだって心得ているだろうに、俺に対してはこの冷ややかでそっけない対応ときた。……せつない。

 いや、この場合はバラン達以外の大多数に対するものなのだろうから落ち込む必要もないのか? おそらくこの男にとっては、俺たちのことなど『等しく価値のない』事象に過ぎないのだろう。

 

 まさしく不遜と呼びあらわすのに相応しい有様だ。ナチュラルに偉そうなのは魔族の血に流れる強者としての矜持なのだろうかと意識を飛ばすことしばし。その片手間で秘技愛想笑いを炸裂させている俺だったが、王宮の高官がこんな態度取られたら頬が引きつるだけでは済まなそうだ。

 まあバランが拾ってきたことは伝わっていたようだし、勝手の違う魔族出身ということで多少はお目溢しも期待できるだろうけど。『触らぬ神に祟りなし』の精神で避けられているであろうことも否定しない。

 私的にはもう少し形式への心配りがほしいと切実に思う。本気で敬意を払う必要はないが、それを表に出すようではいらぬトラブルを呼び込みもしよう。

 

「私はバラン様から、あなたを私の補佐として扱うよう言われています。相違ありませんね?」

「二度言わせないでくれ、好きに命を下せと既に明言したはずだ」

「わかりました、それではこれから打ち合わせを始めましょう。ああ、そうそう。そちらに応接セットを用意してありますので、好きなほうの席についてお待ちください。今、お茶を入れます」

 

 目で指し示す先には執務机とは別の卓と椅子が用意されている。お茶請けも完備してあるし、完璧だな。

 

「歓待は無用。すぐに仕事にかかるほうがお互いのためになるのではないか?」

「やる気があるのは好ましく思いますが一言二言で済む話でもありませんよ。その間ずっと立ちっぱなしというのも疲れてしまいます。ここは私の顔を立ててください」

「……わかった。従おう」

「それと、その野暮ったいマントはどちらでもいいですけど、フードは外してくださいね。折角のお茶は美味しくいただきたいですし、厨房の料理人にお願いしてお菓子も用意してもらったんですからありがたく食べないと」

「……承知した」

 

 いかにも不承不承といった態度で俺の要望を受け入れ、溜息をついてから腰を下ろすラーハルトだった。先日顔合わせをしているだけに特に抵抗はなかったようだ。

 ラーハルトが選んだのは出入り口側の席だった。意識的にか無意識的にかわずかでも逃げやすいほうを選んでいる。もっとも俺が力づくでラーハルトを害せるとは露ほども考えていないだろうから習性みたいなものなのかもしれないが。

 偶然といわれればそれまでだし、些細な問題には違いない。

 

「お仕事の話を始める前に、お互いの認識を摺りあわせておきましょう。私のことはどの程度聞いています?」

「……バラン様はお前を恩人であり、頼れる部下だと仰られた。その際、信用できるかどうかは俺の判断に委ねる、ともな」

「そうですか、あの方らしいですね」

 

 出来ればハードルをあげてほしくないんだが、そうもいってられないのだろう。じっくり取り組むことが出来るなら、そもそもラーハルトを俺に預けたりはしなかったはずだ。

 

「では、私がバラン様の従者を務めていることもご存知かと思います」

「聞いている」

 

 その確認の言葉にラーハルトの顔がかすかに顰められたようにも見えた。本当に一瞬のことだったから俺の思い違いである可能性も捨て切れないが、多分焦りと嫉妬あたりだろう。ラーハルトが俺の立場を羨望しないはずがない。

 一時、沈黙が部屋に落ちる。概ね想定通りの反応が返ってきたに内心ほっとしながら、間を稼ぐのに丁度良いと幾分ゆっくり茶葉を取り出し、遅滞なくポットからお湯を注ぐ。熱せられた葉が芳醇な香りを放ち始めた様子に満足感を得ながら、程よく茶葉の味と匂いが白湯に染み出したところでカップに二人分注ぎ込む。

 

「なんでも心身共にリラックスさせてくれるハーブティーだそうですよ。やや香りが強いですが、これが癖になると愛好する人もいると聞きます」

 

 どうぞ、と差し出し、俺もラーハルトに向かい合うように腰を下ろした。まずはカップを手にもってハーブの香りを楽しみ、ついで唇を湿らせ、琥珀色の液体を嚥下した。苦味のある独特の味が喉を滑り落ち、ほうっと吐息を零した。

 

「ハーブティーは苦手でしたか? お口に合わないようでしたら果汁の絞り汁を貰ってきますけど」

「いらぬ気遣いだ」

 

 子ども扱いにむっとしたのか、今までで一番わかりやすい反応だった。すこしばかり乱暴な手つきでカップを手に取り、恐れる素振りもみせず唇の位置まで持ち上げる。猫舌だったら愉快な結果に終わりそうだったが、生憎そんな弱点はなかったらしい。何事もなくカップを置いた。

 まだまだ隙はある、というよりこれが自然か。考えてみればまだ十三の少年だ、言動の節々に幼さの名残が残っているのも不思議なことじゃない。

 

「一つお聞きしますが」

「なんだ」

「私のことを羨ましいと思いますか」

「……答える義理はないな」

 

 『俺の下に就いたのだから義理はなくとも義務はある』とか嘯いてみたかったけど、ラーハルトの機嫌を下降させるだけに終わるだろうという確信があったため、苦笑一つで納めておいた。

 わかっちゃいたが打ち解ける気はないようだ。――もっとも、それは俺にしても同じことなのだが。

 

「そうですか。これは口外してもらっては困るお話なのですけど、バラン様はいずれあなたをご自分の傍近くに、とのお考えがあるようです」

 

 無愛想な顔に浮かぶ喜色ばんだ気配に心苦しくもなるが、それはそれと割り切ってさらに一言。

 

「――生憎、その案は私が叩き潰させてもらいましたけど」

 

 ラーハルトの目がすっと細まる。

 

「……どういうことだ?」

「どういうこともなにも、あなたを重職に就ける可能性を私が白紙撤回させたというだけです」

「違う、何故そんなことをしたのかと問うているのだ」

「『彼を御身のお傍に控えさせるはその人品相応しからず』。そういって反対しました。私があなたを預かるのは一ヶ月間の予定ですが、それも私の胸先三寸だということを覚えておいてください。予定が変わることなど珍しくもないのですから」

 

 ちと脚色してるが、嘘はいっていない。ラーハルトを顕職につけることに時期尚早だといって止めたのは事実だし、そもそも騎士団に戻すことに対し不安を解消できないようなら約束した期日が延びることだって十分考えられる。全てはラーハルト次第だ。

 

「貴様……」

「あなたがどうして私に預けられることになったか、まさか忘れているわけではないでしょう。それすら理解できないのなら、今からでも遅くはありません。この国を離れ、人里離れた僻地にでも移り住んで静かに暮らすことをお勧めしますよ」

「随分と好き勝手言ってくれるな」

「私としては極力優しく告げたつもりなのですけどね」

 

 身を置いてきた劣悪な環境からくる弊害だろうと思う。

 なまじ腕に自信があり、バランをして感嘆せしめるだけの才を秘め、そのポテンシャルを生かすことで誰の手を借りることもなく一人で生きてきた。困ったことに彼の眩い才と比例するかのように人間全体への悪感情が募っているせいか、いまひとつ自身の身に対する危機感が薄いのだ。

 戦場と宮廷の戦術作法が異なるといえばそれまでのことだが、これはあの二人が心配するわけだと納得せざるをえない。

 

 こんな調子で騎士団の訓練に加わったのなら、そりゃ反感を買うだろうよ。それとも騎士団の一件で態度が硬化してこうなってしまったのかと、一抹の同情も湧き上がった。これでは完全に悪循環だ、どこかで梃入れをしないと本人にとっても周りにとっても不幸しかもたらさない。

 いずれにせよラーハルトの不審や警戒はまだ可愛い部類だろう。少なくとも心を閉ざしきった相手よりはよっぽどやりやすい。

 舵取りを間違えるなと改めて自身に言い聞かせてから、今まで浮かべていた温和な微笑を消すと、叶う限り強くきつくラーハルトを睨みやった。

 

「そろそろ私のスタンスも理解できたのではありませんか。もしもあなたの存在がこの国に、ひいてはバラン様の害になると判断すれば、その時はこの手であなたを排除します。そう心得ておいてください」

「ほう、大きくでたな。非力な貴様にそんな真似が出来るのか?」

 

 俺の警告など取るに足りぬ、身の程知らずの慮外者めと断じる目だった。それは呆れと自負と苛立ち、それぞれが複雑に絡み合い、鬱屈した気配が自然とラーハルトの唇の形を嘲笑に歪めているようにも見えた。

 

「先に言っておきます――あなたは強い。その年で恐らくはこの地上において有数の実力者でしょう。尋常に立ち会うならば、この国全体を見渡してもあなたを確実に抑えられる戦士はバラン様くらいしかいないと思います。しかもバラン様の話ではあなたはまだまだ伸びるというのですから、本当に末恐ろしい限りですね」

「そこまでわかっているなら先の言葉など妄言に等しいと知ることだな。俺に弱い者を甚振るような趣味はない」

 

 これは『弱者を甚振る人間』への侮蔑、かな。バランに忠を捧げようと思ったのもこうした生来持ち合わせた武人気質が共鳴したのかもしれない。

 不遇の幼少期、過酷な過去。

 巡り合わせが異なりさえすれば、あるいはこの男こそ『アバンの弟子の長兄』に相応しい男だったのかもしれない。それは寛容と正義を胸に秘め、悪を見てみぬふりをせず時に命を賭して成敗する、正しい怒りで魂を奮わせることのできる戦士の素養だ。

 

「立派な心がけです。……ところで話は変わりますが、私、先日まで国外に出ていたんですよ。逗留先はロモス王国でした」

「いきなり何をいっている?」

「詳細は省きますが、そこで交易品を船一杯に積み込んで帰国したんです。その交易船には私の注文した品も含まれていました。……さて、それは何だと思います?」

「……俺が知るはずなかろう」

 

 さすがに不穏な気配を感じたのか、ラーハルトの身体に緊張が走った。すぐに動き出せるようにと腰を浮かしかけてもいるようだ。無意味だけどな。

 さあ、答え合わせをしよう。ラーハルトに向けていた視線を徐々に下降させ、覇気のない顔で指を一本立てると指示棒のようにそっとある一点まで動かす。そうして意図して思考と視線を誘導し、その一方でそっけなく続きを口にする。

 

「大したものじゃありません。ちょっと身体の自由を奪ったり、心に変調をもたらしたり、人を病死に見せかけたりする際に用いられる薬の原料、いわゆる『毒草』ですね。うちの国には群生していない種類を幾つか取り寄せました」

「貴様、まさか……ッ!」

 

 椅子を蹴り倒すような勢いで立ち上がり、慌てた様子で口元に手をやるラーハルトを冷めた目で見つめる。さっと青褪めたラーハルトの視線は俺の誘導に引っ張られるようにテーブルのとある一点に吸い寄せられていた。そこにあるのは俺が手ずから淹れたハーブティーだ。

 未だ芳しく匂い立つカップを、ラーハルトは猜疑の色をありありと伺わせる目で穴があくほど見つめている。その顔は驚くほど素直なもので、驚愕と畏怖、あるいは恐怖がないまぜになって表れていたのだった。

 

「魔族は先天的に毒への耐性も備わっていると聞き及んでいますが、口腔摂取した毒を完全に無効化できるわけではないことも判明しています。混血児のあなたが純血の魔族に勝る、それこそバラン様並の強靭な肉体を持っているならばともかく、わずかな時間身体の自由を奪うくらいなら地上の毒でも達成できましょう。あとは――」

 

 懐から細やかな装飾のなされた小振りのナイフを取り出し、鞘から抜き出す。

 

「これで動けぬあなたの喉を一閃、間髪入れずに心臓にも一刺し。直接手を下すならこれだけやってようやく可能性が見えてくるといったところですか。武人とはつくづく恐ろしい生き物だと思います。あとはあなたの毒物への抵抗力次第で私が返り討ちにあうかどうかが決まるのでしょうね」

「卑劣な……」

「ええ、褒められた行いではありません。そんなことは百も承知です」

 

 この時点で毒が云々の話題は俺の仕掛けたミスリードだと気づいたのだろう。まんまと乗せられた恥辱でも感じているのか、険のある目はより一層猜疑を濃くし、代わりにその顔に浮かび上がっていた焦燥はなりを潜めていた。

 ひとまず場が落ち着いたことまで確認したところで銀光りする刃物を鞘におさめ、断りなく立ち上がると警戒するラーハルトを横目に執務机まで歩く。そこで引き出しにナイフをさっさと収納してしまい、何事もなかったかのように改めてラーハルトの前に腰を下ろした。

 

「安心してください。私が本気であなたを排除するなら、こんなすぐに足のつくあからさまな手段は取りませんよ。そうですね……盗賊征伐なりモンスター退治なりで死地に向かわせる、あるいは兵士に金を握らせて戦場のどさくさで始末させる、時期と刺客を上手く選べばなんとかなりそうです」

 

 正面から立ち会ってラーハルトを打倒できる人材は限られている。ならば戦士の土俵に上がらない方法を模索すればいい、その程度のことだった。

 なにせ戦闘態勢に入った戦士の肉体は鋼を凌駕する頑強さを持つが、それはあくまで闘気を高めている状態でのことなのだ。それはダイの必殺剣(ギガストラッシュ)すら捌いた大魔王が誇る全盛期の肉体ですら例外ではなかったし、この世界の実例ならばバランを引き合いに出すことだってできるだろう。

 

 かつてこの国で起こったバラン処刑の一幕。竜闘気を用いず戦意なしの無防備状態では、人の扱う中級火炎呪文(メラミ)程度で竜の騎士が死を覚悟したのだ。これすなわち、天地魔界における二大実力者ですら《意識の死角》という一瞬の隙をつければ、圧倒的なレベル差を覆すことは可能だという証左だった。

 もちろんそれは言うほど容易いことではない。わずかでも敵意や殺気を感知された時点で返り討ち必至であることも確かなのだし、そうした危機対応能力も含めて『実力者』と呼ぶのだ。油断を狙った奇襲などあくまで理論上可能なだけの代物であり、とても現実的な方策ではなかった。

 

「まあ一番確実なのはあなたに反感を持つ人間を煽って対立を促し、衝突を繰り返させることで放逐ないし処刑やむなしの状況を作り出すことでしょうね。そこまですればあなたに逃げ道はありません。バラン様でも庇いきれないと思います」

 

 もはやこの時、ラーハルトは俺を敵と認定する一歩手前くらいだったのではないかと思う。猜疑と混乱で表情が硬い。警戒感も最高潮に達していたようだ。

 

 ――首周りが寒い。

 

 冷や汗が背を伝う。命の危機に心臓が怯えきっている。それでもなけなしの意地でカップを口元に運び、余裕のポーズを続行することに腐心した。

 我知らず、ふっと息が漏れる。こうも綱渡りをする必要があったのかと疑問と後悔が止め処なく押し寄せてくるが、既に賽は振られたのだと割り切るほかない。

 俺はいずれ魔王軍じゃなく、味方に刺されて死ぬんじゃなかろうか? そんな危惧の未来を抱くものの、すぐに自業自得だと思い至って泣きたくなる馬鹿が一人いた。

 

「かけてください。それとも怖くなりましたか?」

「俺が貴様に怯えているとでも? 世迷言を口にするなよ」

 

 適当に軽口を叩きながらラーハルトが蹴り倒した椅子を指差す。俺を睨みつけながらもラーハルトが着座し、再度向かい合う形になったところでにやりと笑みを浮かべ、挑発じみた物言いを投げかけるのだった。――緊張で頬が引きつりそうだ。

 

「繰り返しますが、心配する必要はありませんよ。今のあなたは私が率先して排除しなければならないほど大物ではありません。私自身、たかだか一兵卒の命と引き換えに、簡単に投げ出して良いほど軽い地位を拝命しているわけでもありませんし」

「ふん、保身か。つまらん男だな」

「見解の相違ですね、弱さを武器に生きる人間が潔さまで美徳としてどうします? それを人は無責任と呼ぶのですよ」

「詭弁だ」

「程度の差はあれ、最低限はあなたにも身に着けてもらわねば困るのですけどね」

 

 身代が重くなればなるほど責任で雁字搦めにされてしまう、だからこそ高い地位にある者ほど保身に敏感になる義務があるのだと俺は信じている。

 なにせ軽率な真似をして失脚でもすれば、その後釜の選定と空白期の混乱を収めるだけでも相応の時間がかかるし、被害も馬鹿にならないものだと相場が決まっているのだ。一人欠ければそれを埋めるために代わりを必要とし、その代わりの人間が元々進めていた仕事をカバーするためにまた代わりの人間が用意される。連鎖の開始だ、一人二人の異動で済む話ではなかった。

 能力だけではない、身分や格の問題もある。いつかソアラの王女の立場に見合わぬ軽挙を表向き諌める声をあげたことがあるが、今の俺とて、もう簡単に代えがきく立場ではなくなってしまった。人生とはわからんもんだね、ほんと。

 

「まあ私の信条は私のものですし、あなたにまで同じになってもらっては困りますので、今は頭の隅にでも止め置いてください。ですが味方のいない危うさと、奸智(かんち)を得手とする人間のあくどさも少しは伝わったでしょう? 魔族の血を引くあなたはただでさえ人間社会ではハンデを背負っているんです、隙を晒すことは許されません」

 

 魔族というレッテルに顔を顰めたラーハルトに頓着せず、歯に衣着せぬ物言いを続けてしまう。

 

「地位が今のまま低ければそう問題視されることはないでしょう。もっともバラン様に目をかけていただいているというだけで嫉妬は集まると思いますけど」

 

 特に武を信望する者達にとってバランは武神の代名詞だ。そんな男に手ずから見出され、特別扱いを受けるラーハルトに向けられる視線が穏やかであるはずもない。

 そう、なにも騒動の種はラーハルトの持つ魔族というルーツだけではないのだ。そうした己が他者に与える影響のでかさを、バランはまだ過小評価している節があった。

 竜の騎士は世界の調停を司る。おそらくはその性質上、単独行動が多かったことが幾らかの無頓着さに表れているのだろう。

 

「あなたがバラン様のお力になろうと出世を重ね、上を目指そうとすれば、それだけ敵の数と悪意も比例して増えていくでしょう。戦場の武だけでは立ち行かなくなる事態もいずれ訪れます。あなたの目指すところが匹夫の勇に留まるというのならば、本気でこの国を去ったほうが長生きできると思いますよ? 進んで茨の道を歩くこともないでしょう」

「貴様は――」

「ルベアです、ルベア・フェルキノ。厳密にはあなたのほうが年上に当たりますから私的な用向きならば呼び捨てで構いません。もっとも私は上司として常にあなたをラーハルトと呼び捨てにさせてもらいますけどね。それが気に食わぬのならばさっさと偉くなることです」

「……ルベア」

 

 思わず自身の口から漏れてしまった一言に、慌てたように口元を押さえるラーハルトがおかしかった。

 誕生日云々は些細すぎる問題というか冗談だ、気にしてくれなくていい。俺も気にしない。それでなくてもお前だの貴様だの敬意なんぞ欠片もない呼びかけなのだから、今更槍玉にあげるだけ徒労だろうし。

 

 無論、畏まった場では相応の態度を取ってもらわねば困るのだが、それはもう少し経過を見てから判断する。バランやソアラがラーハルトに教養や礼節の宮廷作法を叩き込むカリキュラムも手配しているようだし、遠からず目につく不調法は解消されよう。騎士団の一件もあって、魔族の混血児に物怖じせず教えを授けられる教師役の選定に、幾分難航もしているらしいけど。

 ままならん。あの二人が直接指導できるなら話は早いのだが、それが出来るならそもそもラーハルトが俺の元に送られてくることなどなかった。

 そんな悩みの種であるラーハルトは溜息ともつかぬ小さな吐息をつくと、幾分声を潜めるように俺に言葉を投げかけた。

 

「納得はできんが、言わんとすることは理解した。貴様はいずれ俺がバラン様に仇なすと断じるのだな」

「ええ。バラン様に『碌に部下を教育できない粗忽者』などという不名誉なレッテルを張られるわけにはいきません。あなたが私に預けられた経緯を忘れているわけではないでしょう?」

「だが、あれは――」

「ストップ。その件については後回しにさせてください。今は黙って耳を傾けてもらいます」

 

 何事かを口にしようとしたラーハルトを身振りで止め、ゆっくりと、けれど裂帛の気迫を込めて言霊を叩き付けた。

 

「竜の牙も爪も、人を相手に振るうには大きすぎる力です。それゆえバラン様に非情の刃を振るわせる前に火種を取り除くのが、従者として私に期待されている役目だと心得ておいてください。そこに魔族だの人間だの煩雑な区別などありません、等しくご退場願うのみです。そしてあなたはその火種足りえる位置にいる。自身の立場の危うさをご理解いただけましたか?」

「……好き勝手言ってくれるものだ」

「そうですか? 『いずれ後ろから刺してやる』と宣言するだけ可愛らしいものだと思いますけどね」

「それで愉快になれる者がいるなら会ってみたいものだな」

「ごもっとも」

 

 不機嫌そうに目を細め、呆れ半分で鼻白むラーハルトにさもあらんと同意する。そのうえで表向き飄々とした態度は崩さない。

 そうして胡散くさい笑みで対峙する一方、ほっと安堵に胸を撫で下ろしてもいた。ようやく最低限『話し合い』に持ち込めるだけの土壌を作り上げることが出来たからだ。

 間合いを計りながら騙しだまし言を弄んだ甲斐があったというべきだろう。これでもう一歩ラーハルトに踏み込むことができる。

 

「いずれにせよ、これでお互いの自己紹介も済みました。あなたにも言いたいことの一つや二つあるでしょうし、今後のためにもいま少し腹を割って話しておきたいと考えています」

 

 呼吸を整え、気力を充実させていく。

 場の空気もいい感じに温まったことだし、ここからは窮屈な体面をかなぐり捨てて挑むとしよう。

 

「以後は遠慮も無用。――よもや異存はあるまいな、人魔の混血?」

「いいだろう、俺も貴様のことが心底気に入らぬと思い始めていたところだ。座興に付き合ってやろうじゃないか、陰険小僧」

 

 不敵な顔ですぐに精神を再構築しおえたラーハルトの変わらぬ尊大さに上から目線な奴だと呆れるも、それは俺自身にも当てはまることだと気づいて少し反省。こちらの緊張と焦慮を悟られぬよう密かに気合を入れなおし、火花が散るような距離感を保ったまま、なお挑発的な言葉を選んだのは誰であろう俺自身だったのだから。

 

 致し方ない面もあったとするのは、性急さを隠そうとする言い訳になるのだろうか。

 どうなるにせよ、まずはこの男と俺の心情的な立ち位置を同格にもっていく必要があった。そのために手っ取り早いのがバランを挟んで意思をぶつけあうことだと見積もったのだ。そうでなければ俺の言葉は『忌み嫌う人間のその他大勢の意見』、すなわち無価値と断ぜられ、ラーハルトに何一つとして届かず、ひたすら空虚に上滑りするだけに終始してしまう。文字通り『話にならない』ようでは時間の無駄だ。

 だからこそ大事なのは好悪問わず強烈な関係性の構築だった。なにせ言葉とは『何を』言ったかではなく、『誰が』言ったかが重要なのだから――。

 

 

 

 

 

「ずっと気になっていた。お前はほかの連中とは毛色が違うな。俺に対する恐れや嫌悪、あるいは戸惑いや蔑視が見受けられん。何故だ?」

 

 ブラフだったとはいえ毒入り疑惑のあったカップに臆せず口を付けるあたり、この人と魔族の混血児は胆力も相当なものだと呆れてしまう。こいつに比べれば絶対俺のほうが可愛げもあるだろうさ。

 

「これでも十分怖がってるよ。お前がその気になれば素手でも俺を容易くひねり殺せるんだから」

「そうやってとぼけるのはやめてもらおう。それとも自分自身の言葉をはや忘れたか、鳥頭」

 

 ひょいと肩を竦めるも黙殺されてしまう。冗談の通じない奴め。

 

「確かに事実を語るだけの無味乾燥なおしゃべりじゃ、ちと味気ないか。とはいえ、俺にしてみりゃお前の問いだって相当頓珍漢なものにしか思えないんだけど」

 

 訝るラーハルトに苦笑を返し、緊張の欠片もなく続ける。

 

「何故もなにも、俺がお前に好意的になる理由もなければ嫌う理由もない。それだけのことだろうよ」

「だが多くの者は違うように思うが?」

「そりゃまあ、地上全土に戦火を広げた先の大戦、その首謀者は生粋の魔族だったからな。魔王ハドラーの悪名は今でも健在だし、当然この国でも魔族に非好意的な人間はそれなりの数いるさ」

「ならば――」

「何処にでも冷めた人間はいる、そう納得してもらってもいいんだが……。そうだな、逆に聞きたいんだが、お前は人を憎んでいるのだろう?」

 

 俺の直球すぎる問いにラーハルトのほうが面食らってしまったらしい。そういう表情は年相応に素直な反応なんだけどな。

 

「ああ、別に責める気はないぞ。お前には人を憎み、恨むに足る理由がある。だからそれはいいんだ、お前の境遇を考えればそうであって然るべきだし、むしろそうでなかった場合のほうが怖い。労苦と辛酸を強いた相手に無心でいられるほど生に飽いちゃいないだろ? 健全な証拠だよ」

「……まさかこの鬱屈した思いを健全と言い切られるとは思わなかったな。お前はそれでいいのか?」

「いいもなにも、内心の自由くらいは保障してもらわないと俺が困る。上司に悪態の一つもつけなくなったらつまらないじゃないか。――と、まあそんな世迷言は捨ておいてくれて構わんけど」

 

 そこで少しだけ視線を鋭くする。

 

「いいか? 俺にとって重要なのは、お前の抱く暗鬱とした感情が自身で消化しきれず、極端な方向を向いて溢れ出すかどうかだけだ。たとえば――『人類根絶』を掲げてこの国に牙を剥く、とかな」

 

 しばし宙空で視線がぶつかり合う。互いに目を逸らすことはなく、されど熱の篭らない腑抜けた応酬にすぎなかった。

 

「一応聞いておくけど、復讐とかやる気あるか?」

「はっ、面白い冗談だな。そんなことを企むくらいなら、そもそもバラン様についてくることもなかっただろうよ」

「助かる。これでも平和主義者なんだ、お前を本気で敵に回して殺し合いは御免被る」

「……ふん、狸め」

「そう悪し様に捉えるな、言葉通りだって。ギャラリーもいないんだし、こんなところで言質を取ったって口約束にもならん」

 

 そこでふと思いついたかのように装い、一つの疑問を滑り込ませる。

 

「魔族といえば、どうしてお前は今でもフードやらマントで姿を偽ってるんだ? 報告書に目を通した限りいつも陰気な格好をしてるみたいだけど」

「そのほうが互いに気が楽だろう、何の問題がある?」

「……いや、問題しかないぞ」

「なに?」

 

 おい、なんだってそこで不思議そうな顔になる。おかしいだろうと誰か指摘する奴はいなかったのかよ。

 どうしたもんだろう。バランやソアラへの遠慮とラーハルト自身の出自が相まって、状況がアンタッチャブル化しかけてるというか、カオスにも程があるぞ。

 

「お前が王宮に出入りしていることは既に廷臣のほとんどが知ってることだ。だったらその気遣いの仕方は無意味どころか害悪でしかない。確かに人間にとって魔族は恐怖の対象だがな、お前のそれは『旅人』に必要な処世術であって王都の中心でするべき配慮じゃないって話だよ。……ん? そういえば、そのことでバラン様は何も口にされなかったのか?」

「俺の好きにしろと、それだけを仰られた」

「あー、それはまた厳しいのか甘いのか。あの方らしいのだろうけど」

 

 自ずと悟るにしても時が必要と考えたのだろう。あるいはラーハルトの心の傷を慮ったか。

 言葉を連ねるよりも背中で語る無骨な男らしいといえばらしいのだが、俺としてはもう少し若輩者の手を引いてやってもいいと思うのだ。……なまじ伴侶であるソアラの察しが良すぎるせいで、言葉足らずになっているわけじゃあるまいな?

 

「わかった、まずはそこからだな。いいか、俺の下にいる間は顔を隠すな。バラン様が魔族の子を連れてきたことは既に広まってる、つまりお前があんな異常な風体してたら言外に敬遠しろと叫んでるようなもんだよ、周りの連中にとっても迷惑だからやめろ。トラウマなりがあってできないのであればこの場で言え、考慮はする」

「怖がられるだけだと思うが?」

「お前の体験を一般化するな。それは国家の統制が及びにくい辺境、ことに村社会の結束が招いた弊害だろうさ。魔王ハドラーへの恐れが最高潮だった当時と今では状況も変わってきているしな。……それと、な。言いにくいことではあるが、パプニカ王国は先の大戦で最も甚大な被害を受けた国だけに、魔族への隔意は根深いものがある。それを許す必要はないが、お前たちにとって運と時期が悪かったんだと知っておいてほしい」

 

 すっとラーハルトの目が細められた。

 

「つまり、母の夭逝(ようせい)も割り切れと?」

「違う。それにそこまで傲慢にはなれんよ。これから人の世で生きていくのなら、何処かで折り合いをつけたほうが楽だって口にしただけだ。気を悪くしたならすまなかった」

「いや、こちらも早とちりしたようだ。許せ」

 

 こちらとてラーハルトに抵抗なく謝罪を口にされ、それを悪くない感触だと計算してしまう程度には腹に一物抱えている。軽蔑されないだけマシだと内心で溜息をついた。これならもう一つの懸念も解消できるだろう。

 

「昨夜、お前の関わった乱闘事件の当事者に会ってきたよ。訓練の責任者だった部隊長と、最初に乱闘のきっかけをつくった人間の二人から改めて事情を聴取して事実確認をしてきた」

 

 横たわる沈黙を破ったのは、そんな一言だった。

 

「……そうか」

「ああ、その件については少しばかり裏事情があってな。お前にも言い含めておく必要があるだろうと口外の許可も貰ってきた。ただ、それとは別にお前に確認しておきたいことがある」

「それは必要なことか?」

「俺にとっては。勿論黙秘してくれても構わんよ、それはそれで判断材料になる」

「回りくどい男だ。さっさと疑念を口にすればいい、答えられることなら答えてやる」

 

 言葉の乱雑さに反し、苛立ちはなさそうだ。結構結構。

 

「その前におさらいといこう。騎士団の一件、同僚を扇動し、最初に喧嘩を吹っかけた兵士の動機は単純だ。先の大戦で肉親を失っている。その恨みがお前への挑発及び蛮行につながったわけだが……言うまでもなく見当違いの八つ当たりだし、処罰の対象だ。ここまではいいか?」

「ああ」

「で、その状況をみすみす座視した部隊長の思惑は部下のガス抜きと上層部への無言の抗議だな。魔族を王宮で闊歩させることなど言語道断、とても耐えられぬと憤懣を持つ人間は一定数いる。これにバラン様の庇護を得たお前への妬心が合わさって王宮内部、騎士団内部で不満が高まっていた。それを汲んだ部隊長が適当にお前を押さえつけることでガス抜きを図った」

 

 策士策に溺れる、というほど大層な裏はないか。どちらかといえば間抜けの一言で断じられてしまいそうだ。

 

「誤算は部隊長殿の予測に反してお前が強すぎたことだった。そのせいで一発殴ったら終わりにする目論見が狂い、結果として一度高まった熱狂を鎮め切れずに大惨事になってしまったわけだ。これがお前に降りかかった火の粉の大まかな正体だよ」

「つまらん事情だ」

 

 その言葉通り心底つまらなそうに吐き捨てるラーハルトだった。気持ちはわからんでもないが、素直に口にしすぎだ。そういった傍若無人さも兵の反目につながっていたんだろうに。

 売られた喧嘩だ、火の粉を振り払ったラーハルトに非はない。だからといって、それで万事上手くいくかどうかはまったく別の話だぞ。

 

「そういってくれるな。そんないざこざが簡単に起こるほど人類と魔族の垣根は深く、従って魔族を人間社会に受け入れるのも難しいってことなんだから。それとこの国でどれだけバラン様が信望を集めているかも認識しておいてくれ」

 

 まったく、頭の痛い話ばかりだ。

 

「後始末についてだが、お前が心配することはない。重傷者が出たことについても『訓練に熱が入りすぎた結果』として全て不問にされた。これは騎士団員の私闘が禁じられていることを逆手に取った建前論だが、それだけに反対しづらいわけだ」

 

 別に騎士団全体が反魔族主義でもあるまいし、同僚の軽挙妄動に眉を顰めている連中だって少なからずいる。問題ない。

 

「しかも万事差配したのがソアラ様だけに、正面からお前に責を負わせようと叫ぶだけの気概を持った人間がいるとも思えん。あの方が差配した以上手抜かりはあるまいよ。ダメ押しに騎士団全体の引き締めを騎士団長に直接要請もしている、団長殿も肝が冷えただろうさ」

「ソアラ様が? 確かにお優しい方ではあるが、何故そこまで?」

「お怒りになられているからだろう。騎士団の一件については、バラン様以上にソアラ様がご立腹だ」

 

 どういうことだと目で尋ねて来るラーハルトに対し、閉ざす口を俺は持っていなかった。

 

「大前提の話をしよう。そもそもアルキード王国(うち)に『魔族を理由に私刑を許す法』なんかないぞ? しかも今回は法を守らせる側である栄えある騎士団が率先して規律を破った、これはお前が思っている以上に深刻な事態なんだよ。まして魔族がからむケースってのはデリケートでな、まかり間違えば他国を巻き込む国際問題にまで発展しかねない。それを座視できるような王族ならば、もはや為政者を名乗れまいよ」

 

 だからこそ不祥事を起こした騎士らを真正面から処罰しづらかったともいえるのだが。国内、国外共に取り扱いを間違えると思わぬところに飛び火しかねない。

 

「ふむ……。しかしソアラ様を批判するわけではないが、甚だ説得力に乏しい理由にしか思えんぞ? この国のことではなくとも俺は幾度も人間に安息を奪われた。それが大問題につながる気配など欠片もなかった」

「それは国が何ら対策を打たなかった、という意味でいいのか?」

「ああ」

「公的には認めていなくとも国民感情を考慮して見てみぬふりを貫いている。それから戦後復興が最優先、敵対種族の保護なんぞ後回しにせざるをえない。そのへんが主たる事情かな? 金がなきゃ動けないのはどの国も同じだし」

 

 そもそも魔族の故郷は魔界だ。二つの世界が明確に隔てられている以上、地上に残っているのはいわば『はぐれ魔族』であり、人間の総数に比べれば極々少数に過ぎない。マイノリティを優先して公益を損なうようでは本末転倒だろう。

 

「ついでにいえば保護を求める届出が出ていなければ記録は残らない、あるいは当該地域の統治者が握りつぶした、ってあたりもありえそうだ。まあ原因なんていくらでも考えられるが、実際の答えはパプニカの上層部にしかわからんだろうな。それとうちの事情でいえば税を収める限り国民の権利は持つぞ、少なくとも建前上は」

 

 ましてやここは王族のお膝元、建前は大事だと重々しく告げる。ラーハルトには白けた目を向けられたが。

 

「ここからが本題だ。他国ではそれでよくとも、アルキード王国では軽々しく魔族を迫害するような真似を許すわけにはいかない。何故だかわかるか?」

「む……」

「バラン様がいらっしゃるからさ」

 

 話題を振られて答えに窮するラーハルトを横目にさっさと話を先に進めてしまう。そのとき、少しだけ恨めしそうな視線を向けられた。実はすぐさま答えを返せなかったことを悔しく思っているのかもしれない。

 

「竜の騎士は竜と魔と人の性質を兼ね揃えた超騎士だとされているんだぞ? いってみれば竜族、魔族、人族の混血みたいなものだ。この地上から知恵ある竜が消え、魔族とて一握りしか存在していない。そしてアルキード王国は人の治める国だ。異なる種族を分け隔てなく扱うのは歴史的確執だけでなく、人口比、すなわちパワーバランスの観点からも難しい」

 

 ここまではいいか、とそれとなく確認するが、ひとまずは大丈夫そうだった。

 

「それでも人間以外の種族を徒に排除する気風を歓迎できないことはわかるだろう? それを許せばいずれバラン様にも矛先が向きかねない。だからこそソアラ様にとって種族対立の火種は死活問題なんだ。あの方にとってはお前を守ることは必然ってことになる、公私共に動くべき理由を持ってるからな」

 

 そしてその事情は俺とて同じことだった。

 これでラーハルトが犯罪者であれば話は別だが、逃亡生活のなかにあっても彼が人間を害した記録はない。そうである以上、俺がラーハルトを守る側に立つのは必然なのだ。

 

「俺はバラン様の従者であり、同時にアルキード王国に仕える身だ。仕えるべき主の御心に従い、成果を出さねばならない。そのためにお前が短慮に逸って騒ぎを起こした理由についても確かめておきたい。――なあラーハルト。お前、騎士団の練度の低さに失望したな?」

 

 沈黙の帳が下りた。しばしの後、ラーハルトが険しい顔で口を開く。

 

「何故そう思った?」

「安心しろ、お前の心の内を推し量ったのは俺ではなくバラン様だ。『ラーハルトに直接確かめたわけではない、だが仮にそうであれば未熟者の不徳ゆえ許してやれ』。そう仰られたよ。……どうもその様子だと当たりみたいだな」

 

 バランの洞察力の高さに溜息が出そうだ。よくもそこまで思考のトレースが出来るものだと感心する。

 

「あの方には全てお見通しか……。その通りだ、バラン様の指導を仰ぎながら何故この者達はこれほどまでに脆弱なのか。そう思えばこそ苛立ちを鎮め切れなかった。そのうえ安易に挑発にも乗り、手加減すら誤った。俺の失態だ」

「似たような悩みはバラン様も抱かれたことがあったよ。『どこまで手加減すれば壊さずに力をつけさせる事ができるか』ってな」

 

 俺にはとんと実感がわかない嘘みたいな境地だけどな。

 

「お前はまず己が才気を自覚するべきだ。『魔界にあっても稀有なる才能の塊、長ずれば私にすら迫る牙を身に着けよう』。バラン様がお前を評した言葉だ、実に嬉しそうに話されていた。……その期待、努々履き違えてくれるな」

 

 ラーハルトは感極まったかのように打ち震えていたが、それでも自失はしていなかったのかわずかに頷くことで返答だけはよこしていた。バラン効果は絶大だ。

 

「そういえば、バラン様とソアラ様が同席した事情聴取の折に、お前は終始謝罪だけを口にしていたと聞いたぞ。それならそうと素直に釈明しておけばよいものを」

「そんな情けないことを口に出せるか」

 

 まるで子供の癇癪だ、と口惜しそうに零すラーハルトは本気で慙愧の念に喘いでいるようだった。いや、お前年の頃でいえば十分ガキだろうに、とは口に出すまい。今のラーハルトには一片の慰めにすら値しない戯言だろうから。

 

「なら俺から言うことは一つだけだ。バラン様やソアラ様が後見につくとはいえ、お前が敵意を買いやすい立ち位置にいるのは変わらん。だからこそ安易にその武を振るうな。ちょっかいをかけられても適当にいなせ。堪忍を覚え、実践しろ。いいな?」

 

 末恐ろしい、と素直に思う。目に見えるもの全てを敵として疑わねばならぬ境遇で育ちながら、これほどの自制が出来ている時点で瞠目に値するのだ。

 下手をすれば言葉の一切が通じない凶暴な人間性が備わっていてもおかしくなかった。それを思えば両親の教育がよほど良かったのか、それともバランの薫陶が俺の想像以上にラーハルトの心根に影響を及ぼしているのだろう。いずれにせよ好ましいことには違いなかった。

 

 そうやってラーハルト自身が既に内省している以上、俺の言葉もすんなり受け入れると思ったのだが、あにはからんや、ラーハルトはどこか不敵な面構えでにやりと笑う。それは俺を試すようでいて、その実戯れているような、そんな稚気を感じさせるものだった。

 

「確かに似たような面倒は起きるかもしれん。お前の懸念も考慮はする、俺とてあんな失態は二度とごめんだ。――が、寛容を以って対処するにも限度というものがあるな。不退転の覚悟を決めて挑みかかってくる者に対してはどうする? 国民感情とやらを慮って素直に討たれてやるのが正解か?」

 

 こいつ、本当いい性格してやがる。先日は腹いせ紛いの八つ当たりだったのかもしれないが、今日は全て理解しながら俺で遊ぼうと余興を仕掛けてきている。実に生意気だ。

 とはいえ、だ。子供らしい遊戯と呼ぶには些か物騒に過ぎるが、それでも大した進歩なのだろう。先日よりはずっとマシだった。

 

「それはお前が我慢に我慢を重ねて、それでも相手が止まらなかった場合の想定だな?」

「ああ、その場合はどうする? 情けなく尻尾を巻いてお前のところにでも逃げてみせようか」

 

 冗談に本気を混ぜて。

 戯言に本音を混ぜて。

 なるほど、子供らしからぬ遊び方だ。多分この時、俺もラーハルトと似たような表情を浮かべていた。

 

「だったら話は簡単だ。俺が許可する――殺せ」

 

 一瞬、ラーハルトが表情を消した真顔に戻る。そうして鷹の目にように鋭く俺の真意を探り、けれどすぐに口元に不敵な笑みが戻った。

 所詮は仮定の話。されど仮定の話。

 

「ほう、いいのか?」

「お前が俺を介入させる状況を作り上げているのなら、その時は喜んで後始末をつけてやるさ。論議に値しない」

「その言葉、忘れるな」

「お前こそ鳥頭になるなよ。俺の手は存外長いぞ」

「覚えておこう」

「結構」

 

 最低限の楔は打った。そのうえでまずは人を利用する術を覚えてもらうべきだ。あとはいずれ戦場で、あるいは長い魔族の生の中で、今はまだ小さな背を預けるに足る信頼の担い手を見つけてくれるだろう。

 なればこそ微力をつくす、将来のための地均しを怠るわけにはいかないのだから。

 

「よし、ならお茶会、もといミーティングはここまでだ。仕事に取り掛かろう」

「待て、俺はまだ何も説明を受けていないのだが」

「ん? 心配せずとも今日お前に任せるのは子供でもできるお使いだけだぞ。実務経験のない素人にいきなり書類作成やら任せるほど無謀じゃない」

「……道理ではあるが、今、俺はお前に殺意を覚えたぞ」

「へぇ、俺と心中したいのか、それはまた随分自虐的じゃないか。下手に俺を殺せばその時点でお前の居場所はこの国になくなるんだ、それをしたければ俺を殺しても文句のでない理由と地位を用意してからだな。ただし一朝一夕で出来ると思うなよ、下っ端」

「ふん、その心臓を貰い受ける日を支えに今はいびられてやろう。せいぜい感謝しておくがいい」

「偉そうにするのは偉くなってからにしろよー。戦士が武器も持たずに殿中沙汰じゃ格好もつかないだろうて」

 

 職務として武装が必要な衛兵を除けば、王城内では基本的に武器の携帯は許されていない。特例というほど大それたものではないが、それでも今のラーハルト程度の立場では許されるはずもなかった。ラーハルトは素手でもそこらの兵士よりよっぽど戦闘能力は高いけど。少なくとも俺が懐剣を忍ばせるよりは有事に役立つことは間違いないだろう。

 さて、それより書類書類、と。執務机からラーハルトに任せる分の紙束を取り分け、にこやかに差し出した。

 

「まずはこれ、バラン様宛のものだから最優先で持っていってくれ。薬剤調合の日程あわせについての申請書類だ、少しバラン様の予定がずれそうだからそのあたりの話を伺ってきてくれ。研究内容はロモスから取り寄せた毒草を使った――くく、いやすまん。そう嫌そうな顔するな、元々この研究のために取り寄せたものなんだから」

「薬剤調合?」

「ああ、先の大戦で騎士団や王族から多くの死傷者を出すほどの猛威を奮った『どくけし草では治せない』特殊な毒素を持つモンスター対策だな。一説によれば地上に存在しない魔界由来のモンスターの攻撃だったとも言われている。これに関しちゃ解毒呪文(キアリー)の使い手が豊富にいればどうにでもなるんだが、都合よく戦場に僧侶の数が揃っているわけでもなし。手遅れになるケースも多かった」

 

 回復が間に合ったとしても後遺症が残ることだってある。大事なのは初期段階での適切な治療なのだ。

 

「そこで魔界の知識に通じるバラン様に助力願うことにしたわけだ。幾つかレシピも出来上がってたんだが、足りない材料があってな。それをロモスから取り寄せた。ま、費用対効果を考えれば市井には流れずに富裕層向けの商品になるだろうけど」

 

 どくけし草では治癒させてくれない代表的なモンスターに魔のサソリがいる。こいつレベルの毒素ならばバランの持つ知識で特殊な毒消し薬を用意できるはずだった。とはいえ、毒物のエキスパートであるザボエラクラスの凶悪な調合毒が相手となるとまず解毒は無理だろう。症例の少なすぎる異常には強力な回復エネルギーで吹き飛ばす以外にはないのだ、俺が着手したのはその程度の中途半端な対応策でしかなかった。

 

 この点は竜の騎士の限界でもあった。

 元来竜の騎士は状態異常をもたらす外部刺激に異常なまでの耐性を持ち合わせるため、その手の治療を必要としないのだ。ゆえに今回の知識とて歴代の竜の騎士が手慰みに蓄えてきたり、魔界の知己から仕入れた『バランにとっては無駄な対応策の一つ』でしかなかった。

 ……改めて思うんだが、とんでもないな竜の騎士。さすが究極生物と呼称されるのは伊達じゃない。言葉もでない化け物っぷりだ。

 

「富裕層向け。つまり金持ちや権力者のお守り、というわけか」

「そう皮肉ってくれるな。手間とコストの削減次第では将来的に採算も取れるようになるだろうし、各国との交渉材料程度にはなる。――そういう名目で予算を引き出した」

「名目?」

「研究の最終目標は『回復魔法を阻害する高密度な暗黒闘気に対抗する手段の構築』なんだよ。つっても回復魔法を受け付けないほどの大それた真似が出来る実力者は魔界でもごく一部の魔族や竜族だけだ。採算に乗せるどころか大赤字確定の研究に無駄金を使えるほどうちの国庫は豊かではなくてな。だから隠れ蓑を用意して細々と可能性を探ることにした。当然機密だからよそで喋ったりするなよ」

「……俺には簡単なお使いしか任せないのではなかったか?」

「いずれバラン様が相手どる強敵対策だ、そういっておけばお前は必ず口を閉じるだろ。何か問題でもあるのか?」

「ああ、問題はないな。だが、お前の手のひらで転がされているようで面白くない」

「贅沢な奴だ。ほれ、次」

 

 先のものとは別の書類を指差す。

 

「これはソアラ様が主導になって進めている福祉事業の一環で、補助金を出して支援してる孤児院への視察願いについてのもの。了承印は押してあるから担当者に届けてきてくれ。実をいえばこれは俺が無理いって視察担当を変更してもらった案件でな、『ルベアが感謝していた』と伝えるのも忘れず頼む」

「承知した。だが、これらを見る限り随分多岐に渡っているな」

「あちこち手を出してるからな」

「これでまだ職務のほんの一部なのだろう? お前の肩書きは何だと頭が痛くなるな」

 

 それが渡された資料を一通り流し読みしたラーハルトの感想だった。

 

「そういうな。以前、嫌がらせに目のつく限りの雑事を押し付けられたことがあったんだが、その時に権限増やすチャンスだと思って、いくらか強引に仕事そのものを分捕った経緯があるんだよ」

 

 その汗と涙の結晶がこの節操のない書類の山につながっていたりする。ロモスに足を運んでいたせいで溜まった分もさっさと消化しないと。

 

「心配無用。なにせ俺のモットーは『誰にでも出来る仕事を誰にも出来ない量こなす』ことだからな。この程度軽い軽い」

「……『竜の騎士の従者』に課される役目が誰にでも出来る些事だとでもいうのか?」

「それはそれ、これはこれってな。悲しいことに現実を前にすると、そんじゃそこらの信条なんぞ簡単に敗北しちまうのさ。世知辛い世の中だよ、まったく」

「贅沢な男だ」

 

 おっと、皮肉にも趣向をこらすとはやるじゃないか。

 

「まあ大したことじゃない。今を否定せずとも届かなかった未来を恋しがることだってある、その程度の感傷だな。ほれ、そろそろお前もお使いに取り掛かれ。俺は終日この部屋に詰めてるから、もし問題が発生したらちゃんと報告に戻ってこいよ。子守の真似事くらいならしてやるから」

「ふん、貴様の手など煩わせんよ」

「そう願う。それじゃ、早速取り掛かってくれ」

「ああ」

 

 短く了解を口にし、分厚い紙の束を抱えたラーハルトを見送る。扉の開閉音と遠ざかる足音を確認したところで、胸奥の底のさらに奥深くから漏れ出るような重苦しい溜息をついた。

 

 ――どうにか主導権を握りきった……か?

 

 自問自答に明確な解を出す余力もなく、ぐでっと机に上半身を倒してだらしなく潰れてしまう。

 疲労困憊もいいところだった。もはや何もかも忘れてベッドにダイブしたい気分である。

 あとは待つだけだろう。下拵えはしておいたし、大丈夫だとは思うが……。

 

 ラーハルトには子供のお使いだと嘯いたが、無論そんなわけがない。この機に王城に勤める幅広い人間と顔合わせをさせるつもりだ。

 そのために必要最低限の筋道はつけておいた。

 今朝のうちに各部署の担当者にはラーハルトを向かわせる旨と、その際職務に見合った態度で接してくれるように通達を出しておいたし、俺自身かなう限り礼節を尽くして頭も下げてきた。魔族に端を発する恐れは多少抱いても、最低限事務的には対応してくれるだろう。

 

 最初にバランの元に向かわせたのは、それがラーハルト自身の安定にもつながるかと考えたためだが、あまり意味があるとも思えなかったな。奴はもう下手な大人以上に自己を確立させている、バランを父と慕っても依存するようなことにはなるまい。……本当に十三歳かね? 早熟にも程がある。

 あれを取り巻く環境が安易な甘えと楽観を許さなかった結果か。哀れな。

 

 俺はラーハルトに王城の皆へと胸襟を開いてほしいわけではない、それは逆もまた然り。互いに上手く距離を取って職分を果たしてくれるならそれで十分だ。そのための仲介くらいは俺でもこなせる――が、それだけでは不足だと考えるお人好しもいる。

 どうなるにせよ、互いの隔意ある感情の摺り合わせをしていかねば何も事態が進まないのは確かだろう。となれば、こちらの制御下に置ける範囲で状況をひっかき回してしまえばよい。

 

 幸い、バランもソアラも俺にそれ以上は望んでいないのだ。俺が用意するのは状況を動かすとっかかりだけ。

 そしてほんのわずかなつながりだろうと縁は縁、そこからラーハルトが何を掴み取るか、あるいはそれ自体を不要と断じて捨て去るかまでは俺の関知することではなかった。

 とはいえ――。

 

 ふっと呼気を吐き出し、天井を仰ぐ。

 できることなら、俺も楽観を終生の友に迎えたいものだ。

 埒もなくそんな戯言が思い浮かんだ自身に苦笑を刻んでから、まずは書類退治を始めようとペンを手にするのだった。

 

 

 

 

 

「あなたにラーハルトを預けてから一週間ね。あの子とはうまくやれてるかしら?」

「報告書は提出しているはずですが?」

「ふふ、もちろん目は通しているけれど、あなたから直接聞きたいのよ」

 

 風に冷気の香りが混ざり始め、少々肌寒くも感じる昼下がり。俺は政務を取る王城ではなく王族の私生活の場である離宮を訪れていた。

 手入れの行き届いた見事な庭園の中心には風雅な卓と座椅子が用意され、そこに腰掛けているのは男女三人、遠巻きに幾人かの女官が控えている中での茶席だった。

 しかし俺が一週間前にラーハルトを誘った殺伐ミーティングとは雲泥の差がある長閑な雰囲気だこと。憩いの空気とはこのことだと、自身の振る舞いの数々を棚にあげてしみじみ頷く畜生がいた。俺である。

 

「それは構いませんけど、このままご報告申し上げるのは少々間抜けな気もしますね」

「あらあら、シア、おいたはダメよ」

「むー。シア、るーとあそぶ」

 

 俺の膝の上でご不満を露わにするのはこの場に二人いる女性の片割れ――もとい女児。舌足らずな声でそれでも健気に自己主張する小さな命は、健やかに育ってほしいという両親の願いを正しく受け取って日々を過ごしていた。

 バランとソアラの間に生まれた第二子、名をシンシア。愛称をシアとする御歳二歳の可愛いらしい姫君である。今は俺に乗っかった挙句、その小さな手を懸命に伸ばして力いっぱい人の頬を引っ張り、それはそれは楽しげに笑み崩れるお転婆姫でもあった。

 あー、癒される。無垢な子供は清涼剤だな。

 

「ソアラ様のご懸念についてですが、そこそこうまくやれているのではないかと。最初に楔を打ち込みましたから、私に侮られるような軽率な振る舞いも慎むと思います」

「あまり褒められたやり方ではないわよ。自愛を忘れては駄目」

「承知しております。ですが小細工に見合った成果も実感している次第。いま少し寛容な目で見守っていただければ幸いにございます」

「バランにもそういった気風が見受けられるけれど、殿方の友誼は女の身では不合理に見えてしまうものなの。口煩くてごめんなさいね」

「不器用を誇るのが美徳だと、そんな愚かさを競い合う生き物ですから」

 

 自分を無視するなと一生懸命主張する姫君を片手間であやしながら、穏やかな心境で所感を述べていく。

 

「実際ラーハルトはよくやってくれていますよ、私から見ても謹厳実直と称して良いくらい誠実で真面目な仕事ぶりです。本人の素養か、あるいは両親が知恵者だったのか、こちらが驚くほど飲み込みが早い。私に一年預けてもらえれば、王宮でも指折りの官吏にしてみせましょう」

 

 俊英、まさにその一言だ。周囲とのいざこざさえ解消できれば、文武に優れた類まれな忠臣が生まれよう。

 

「あの子をバランに返したくなくなった?」

「お戯れを」

 

 いたずらっぽい目で尋ねてくるソアラに苦笑で応える。

 

「一度、バラン様とラーハルトが手合わせする訓練風景を目にしました。圧巻の一言でしたよ。確かにペンを握っても一流足りえる資質を持ち合わせていますが、それ以上にあの者は武の神様に愛されています。本人の気質と熱意も戦場(いくさば)に向いている、私の元に止めおく理由が見つかりません」

「ルベアも意地悪ね、そこまで買っているなら本人を前にして言ってあげればいいのに。きっと喜ぶわよ」

「何を企んでいると猜疑の目を向けられる未来が見えるようですがね。とはいえ、自身の意に沿わぬことなど宮仕えをしていればいくらでも遭遇します。その予行演習だと思ってもらえばいいでしょう、たかだか一ヶ月の我慢も出来ないようじゃ先が思いやられますし」

「あの子に、あなたが預かる期限を正確に通知したとは聞いていないけれど?」

「ソアラ様も仰ったではないですか、私は意地の悪い男なんです」

 

 ラーハルトが俺の元に着任した日の夕刻には『一ヶ月でラーハルトを騎士団に戻す』旨、ソアラ達には報告書にまとめて提出している。その書類はすぐに受理されているため、俺、バラン、ソアラの間では、ラーハルトの騎士団復帰は予定通り進めることで合意されていた。つまり――知らぬは本人ばかりなり。

 とぼけた風にしれっと答えてみせた俺を瞳に捉え、今度こそ耐え切れぬとばかりにくすくすと笑い出すソアラだった。彼女の娘であるシンシアも、楽しげな母の姿に当てられたのかとても嬉しそうに笑っている。

 

 

「随分楽しそうではないか。是非とも同席させてもらいたいものだ」

「あら、あなた。お帰りなさい」

「ああ、今帰った」

「わーい、とーさまー」

 

 和やかな談笑の合間を見計らったかのように、タイミングよく張りのある声が割り込んできた。最愛の夫の姿を見つけたソアラの表情が幸せそうに緩み、彼らの娘は満面の笑みでとことこと父の元に向かう。バランも手馴れたもので、一度しゃがみこんでシンシアの頭を優しく撫でると、重さなど感じぬとばかりに片手で抱き上げて歩みを再開した。

 

「遠路のお役目お疲れ様でした。パプニカ王家は何と?」

「互いに騒ぎ立てる口を噤むことで合意した。万事滞りなく運んだといっていいだろう」

「そうですか、ではこれでラーハルトは正式にアルキードの民となったわけですね。まずはめでたき事です」

 

 バランが不遇の境遇に喘いでいたラーハルトを見るに見かねて保護したとはいえ、本来ラーハルトは他国の人間である。とはいえパプニカとて自国の惨状を散々放っておいた自業自得なのだから文句をいえたことではないのだが、それでも筋は通すべきだというのがバランの言い分だった。

 まあ当事者に合意があったとしても人さらいの側面がある事実は拭えないのだ。公的に懸念を解消しておくというのは悪いことでなかった。パプニカにしたって藪をつついて蛇を出すような大事になるのは望んではいなかったのだろう。ここに両者の利害は一致し、予想されたとおりの穏便な決着に落ち着いたというわけだ。

 

 シンシアを抱き上げたバランが席につくと、楚々とした足取りで近づいてきた女官が一礼し、バランの分の飲み物を用意する。再び彼女が遠ざかっていっていき、無駄のない仕草でバランが湯気をたてる液体を嚥下すると、改めて会話に花を咲かせるのだった。

 

「時にルベアよ、お前はテムジンという男と面識があるのか? パプニカ王家に仕える高名な司教だそうだが」

「テムジン殿、ですか? 会話どころか顔を合わせたことすらありませんよ。どうしてそのようなことを?」

 

 しばしの間、本気で誰のことだと頭をひねることになったが、そのうちに思い当たった名前が一つ。

 司教テムジンと賢者バロン。数年の後、ダイの住むデルムリン島を訪れ、そこであろうことか自国の姫であるレオナ王女暗殺を企み、さらには人間が直接搭乗して操れるようにしたキラーマシンなどという物騒な代物まで持ち込んだ謀反人の片割れだ。

 

「歓待の席で妙なことを言ってきた。つまらぬ美辞麗句を抜いて簡潔にいえば、私の従者――つまりルベア、お前と余人を交えず席を設けたい、ついては私に仲介の労を取ってくれぬか、ということだったな」

「確かに妙な話ですね、テムジン殿は何故そのようなことを仰られたのです?」

「わからん。散々にお前のことを褒めそやかしていたが、肝心なことは何一つ口にしようとはしなかったゆえな」

「……なるほど、でしたら私もパプニカまでついていくべきでしたね。バラン様には余計な気苦労を負わせてしまったようで申し訳ありませんでした」

「ラーハルトのこともあり、万一を考えればお前を国元から離すのは得策ではないと考えたのは私だ。お前が謝ることではない。して、ここまでを聞いてお前はどう思った?」

 

 そちらについての答えは明快だ。つまり――。

 

「話になりませんね、お粗末極まりない」

 

 ばっさり切り捨て、溜息を飲み込むようにカップに口をつけた。さもあらんと頷くのはバラン。ソアラもこの件については口出しする気はないのか、黙って俺たちを見守るつもりのようだ。

 

「確かにな。もともと先方の望みは非公式の会合だ、多少邪険にしようがどこからも文句は出ん。丁重に断りの手紙でも送りつけてやるか」

「いえ、少々お待ちください。現時点では会合にさしたる益は見出せませんが、招待そのものは受けようかと考えています。ついてはラーハルトを借り受けたいのですが、お許し願えましょうか?」

 

 さすがに予想外だったのか、虚をつかれたようにバランは目を瞬かせ、ついで難しい顔で押し黙った。その事情はソアラも一緒だ、俺の提案の意味を即座に汲み取り、目まぐるしく思考を巡らせている。……二人の顔を交互に眺めやり、なんとか似たような表情をつくりあげようと四苦八苦する幼女の姿がものすごい場違い感を漂わせ――つまり癒しの極致だった。

 

「ちょっと時期尚早じゃないかしら? 焦ることはないと思うのだけど」

「もう少し経過を見て、無理そうなら私一人でパプニカに渡ります。それにラーハルトを連れていくにしても、率先して前に出ろなどとはいいませんよ。私の後ろで黙って立っていてもらえればそれで十分です」

「経過を見て、か。時期はいつ頃を予定している?」

「バラン様に骨折りをお願いできるのでしたら、是非とも三週間後でセッティングをお願いします。私はラーハルトを一ヶ月預かるつもりでしたから、区切りとして丁度良いでしょう。随行護衛として恙無く職務を果たした成果をもって、彼を騎士団に復帰させます。多少の箔にはなるでしょう」

「むぅ……」

 

 再び考え込むバランとソアラを後押しするため、さらに舌鋒を畳み込むことにする。

 

「得るものも少なくないはずですよ。アルキード王国は魔族であっても受け入れる土壌が育ち始めていることを示せますし、実際に隠れ住んでいる魔族が頼ってきてくれるようになるかもしれません。彼らは優れた肉体や知識、技能を持っていることが多い」

 

 その極みがロン・ベルクだろう。魔界に名だたる屈指の名工にして、魔界一の剣豪でもある規格外の魔族だ。

 あれほどの人材はそう容易く出てくるものではなかろうが、魔族の潜在能力は必ず国の発展のために役立つはずだ。なにより――可能性は低くとも『将来的な魔界の勢力との国交ないし交渉チャンネルの構築』を諦めたくない。それらを実現させるための足がかり、手札は多いほうが良いに決まっている。

 

「無論、受け入れるにあたって様々な困難も予想されますが、幸い我が国は『竜の騎士が庇護する国家』として人間以外にも寛容になれる可能性が高まっています。ソアラ様の種族融和を目指した社会形成の一助にもつながるはず。此度の会合、非公式とはいえ叩き台として相応しい場かと愚考いたします。それに――」

「それに?」

 

 そこで虚偽は許さぬと訴えかけてくる二人の視線を真正面から受け止め、偽りなく本心を告げた。

 

「良い機会ですから、この際私からもラーハルトに信を預ける姿勢を見せておきたいんです。……バラン様、ソアラ様、何卒私の我侭をお聞き届けくださりますよう、伏してお願い申し上げます」

 

 深く頭を下げているために二人が今どんな顔をしているのかはわからない。けれど、困った顔で苦笑いを浮かべあっている夫婦がいるのではないかという思いが消えることはなかった。

 そうして何ともいえぬ沈黙が場を支配し、次に動いたのが誰かといえばバランでもソアラでもなく、除け者にされてお冠な幼女だったことは笑い話というべきなのだろう。いつのまにやら俺の膝によじ登ってまた頬を引っ張られてしまった。

 完全に玩具扱いだな、おい。

 

「……ソアラ」

「ええ、あなたの思うように」

 

 そんなおしどり夫婦の意思疎通があったとかなかったとか。

 

「ふと、思った。お前の我侭はどこまでがお前のものだろうかと。答えは出なかったがな」

「その答えは至極簡単でしょう。全てが私の我侭と思し召しください。たぶんそれで正解です」

「なるほど、雅な我欲もあったものだな」

 

 くく、と小さく笑みを零したあと、バランが覇気の篭った目で俺を射抜いた。その強い眼光を柔らかく受け止め、静謐の中で次の言葉を待つ。

 

「――委細任せる。うまくやれ、よいな?」

「お慈悲に感謝します。微力を尽くしましょう」

 

 それで、全てが済んだ。あとは準備を進め、滞りなく結果を出すだけだ。

 私的な感想をあげるなら、この時俺たちはとても真面目な話をしていたと思うのだ。だからこそ、俺の間抜け面を見て笑いを堪えるのはやめてもらえませんかね? 原因はあなたがたのお子さんなんですから、しまいには俺も怒りますよ。

 そんなどうでもいい不満を咀嚼しつつ、再び天使だか悪魔だかわからない生き物のご機嫌を取り始める俺だった。……俺のほっぺってこんなに伸びるんだな、知らなかった。

 

 実のところ、我が国の国王陛下も孫娘をこれでもかと溺愛しているし、もしやするとこの国最強の権力者はこの無邪気な幼女様なのかもしれん。

 そんな結論をもっともらしく出しておいた。

 

「ところでバラン様。私からも一つご報告があります。よろしいでしょうか?」

「無論だ、何があった」

 

 天使のような悪魔効果で見事に弛緩した空気の中、長閑な風情を無理に引き締めることもあるまいと、やや乱雑な動作で懐に手を入れて一通の手紙を取り出す。そのままバランへと手渡し、軽やかな口調で内容を(そら)んじた。

 

「このたび、めでたく私の恋文がかの人に届きました。そちらに記載されている通り、近日中に我が国の王都を訪れていただけるとのことです」

「ほう、お前がかねてより執心していた男が、ついにか」

「ええ、ようやく念願が叶いました。感無量です」

 

 六年、いや、もうすぐ七年が経つのか。世界を恐怖の坩堝に陥れた魔王ハドラーを仲間と共に打ち滅ぼし、世界に平和を齎した英雄。そして未来においては大魔王バーンをして地上一の切れ者と評し、その警戒を向けられるに値した知勇兼備の大勇者。

 この地上に燦然と輝く御名――アバン・デ・ジニュアールⅢ世。

 

 

 ――本当、会うのが楽しみだ。


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