「……司令官!」
椅子に座ってパソコンのモニターをボーッと見ていたら、声をかけられた。
「どうしたんだい、朝潮ちゃん」
「暇です!」
「うん。そうだね暇だね」
「はい!」
真面目を擬人化したような今日の秘書艦は、椅子の背もたれを使うことなく背筋をピンと伸ばしている。
「……司令官!」
「どうしたんだい、朝潮ちゃん」
「お茶でもお淹れしましょうか!」
「ついさっきもらったばかりだから、大丈夫だよ」
「そうですか!」
可愛い秘書艦から5分前に注いでもらった緑茶を、一口すする。少しぬるくなったお茶は、執務室に常備されている茶葉を使っているため、いつものように美味しい。
「…………」
「…………(ズズッ)」
「…………」
「…………(ほうっ)」
「……司令官!」
「どうしたんだい、朝潮ちゃん」
「お茶のおかわりはいかがですか!」
「まだ残ってるから、大丈夫だよ」
「そうですか!」
そういえば、茶葉もだいぶ少なくなっていたな。新しいものを発注しておこう。たまには産地を変えてみるのもいいかな。
「……司令官!」
「どうしたんだい、朝潮ちゃん」
「肩でもお揉みしましょうか!」
「…………」
どうやら頑張り屋さんな秘書艦は、ジッとしていられない性分らしい。とはいえ今日の執務はあらかた終わってしまったし、せいぜい出来るのはお茶くみ程度。そのお茶くみも断られてしまったし、どうやら本格的にやることがなくてソワソワしているらしい。
「訓練とか、整備とか、好きなことしてていいんだよ?」
「いえ! 私は秘書艦ですので!」
さっきからこの一点張りだ。いつもは勤務時間中ずっと訓練してるのに、秘書艦の時は司令官であるボクの傍を離れてはいけないと考えているらしい。ボクは構わないと言っているのに、変なところで頑固なのだこの少女は。
とはいえ、彼女が何かやりたいと行動しているなら、少しはその望みを叶えてやるのも上司としての務めではないだろうか。たしかに今は就業時間内だし、仕事させずに放置というのもあまり良くない。これは決してボクが朝潮ちゃんに肩を揉んでもらいたいとかそういうセクハラ的な思考をしているわけではないと弁明しておこう、うん。誰に向けての弁明かは分からないけど。
「……じゃあ、お願いしようかな」
「はい!」
パァーッ! と満面の笑みを浮かべて立ち上がり近寄ってくる朝潮ちゃん。さながら忠犬。ボールとか投げたら取ってきてくれそうだ。
「では、失礼します!」
「うん。よろしくお願いします」
朝潮ちゃんが揉みやすいように椅子の高さを少し下げると、小さくて柔らかい手が肩に置かれる感触がする。そのまま心地良い動きが肩の凝りをほぐしてくれる。
「どうでしょうか!」
「うん。とても気持ちいいです」
「そうですか!」
耳元で声を張り上げられると、少し頭が痛くなる。でも、嬉しそうに肩を揉む朝潮ちゃんにそれを言うのは少々、いやかなり憚られる。
「…………」
「…………」
秘書艦の気が済むまで揉んでもらおうと、再びモニターに目を移す。
「……司令官!」
「どうしたんだい、朝潮ちゃん」
「それは、今朝行った演習の録画映像でしょうか!」
「うん。そうだよ」
朝潮ちゃんを旗艦にして駆逐艦6隻を編成して挑んだ演習。相手の艦隊も同じ駆逐艦6隻。結果は旗艦同士の相打ちによる引き分け。制服がほとんど脱げて裸同然となった朝潮ちゃんがそのままの格好で秘書艦業務をやろうとした時は大騒ぎだった。
「勝利できなくて申し訳ありません……」
「いやまあ、演習は勝ち負けが全てじゃないしね」
むしろ、引き分けまで持ち込んだものだと思う。開始直後、こっちが広く展開して相手を攪乱しようと試みたのに対して、相手は鋒矢の陣形で旗艦目がけて突っ込んできた。朝潮ちゃんは味方がカバーに戻ってくる短い時間とはいえ、1vs6を仕掛けられる形になった。そんな劣勢を気合いでひっくり返したのが朝潮ちゃんだ。5隻を順番に屠り続け、大破に限りなく近い中破の状態にも関わらず最後方にいた敵旗艦まで詰め寄り相打ちに持ち込んだ様子はさながら、一騎当千の戦国武将を彷彿とさせる戦いぶりだった。
「最後、落ち着いて味方の合流を待てれば100点だったんだけどね」
モニターには、駆け付けた味方の制止を聞かず、逃げる相手の旗艦に単独で突っ込んでいく朝潮ちゃんの様子が映し出されている。
「ついカッとなってしまいまして……」
「その気持ちは分かるよ」
アドレナリンが過剰分泌されて敵しか見えなくなっちゃったんだろう。呉鎮守府の島風さんや大湊警備府の球磨さんも、単独で突出しがちな艦娘だ。
「でも、旗艦だったからね」
旗艦は艦隊全体の司令塔だ。いつでも冷静沈着に、全体を見て状況を分析し続けなければならない。自分のことで精一杯、周りが見えなくなるようでは実戦で旗艦は任せられない。
「まあ、訓練あるのみだね」
複数隻を相手にした戦闘訓練は好成績の朝潮ちゃんだけど、ただ対処するだけでは不十分なことが今回分かった。戦闘後にまた別の作戦行動をするように内容を変更しよう。
「頑張ります!」
「うん。頼りにしてるよ」
でも肩揉みはそんなに頑張らなくていいからね。力入れすぎでちょっと痛い。
そんな風に可愛い女の子からのマッサージを満喫していると、一七〇〇を告げる夕焼け小焼けの音楽が遠くから聞こえてきた。終業の時間だ。
「それじゃ、お仕事は終わりにしようか」
「はい!」
パソコンをシャットダウンしてモニターの電源を消す。湯呑みの中身を飲み干して、給湯室に持っていこうと立ち上がる。
朝潮ちゃんがエアコンと電灯のスイッチを消したのを確認して、執務室の外から扉に鍵をかける。
「肩、揉んでくれてありがとうね」
「お役に立てて光栄です!」
執務室の隣で湯呑みを洗う。朝潮ちゃんが「私がやります!」と言ってくれたけど、これくらいは自分でさせてほしい。
水切りラックに湯呑みを裏返しで置き、手を拭こうと腰を屈めてシンクの取っ手にかけてあるタオルに手を伸ばす。
「……司令官!」
「どうしたんだい、朝潮ちゃん」
手を拭きながら朝潮ちゃんの方へ顔を向け――あれ? なんか顔近くない?
「…………」
「…………」
腰を屈めた格好のまま、数秒間固まってしまう。やがてゆっくり顔を離した朝潮ちゃんは、嬉しそうに微笑みながら顔を赤らめている。
そんな愛しい女の子の笑顔を見て、今日の夕飯は甘酸っぱく感じてしまうんだろうなって、唇に残る感触を確かめながら思ったのだった。
「司令官!」
「どうしたんだい、朝潮ちゃん」
「お慕いしています!」
「……ボクも、愛してるよ」
何この司令官羨ましいんだけど。