あ、いつものレムレムだ、これ。──藤丸立香は頬を舐める小動物の舌に既視感を覚えながら、呆然と空を見上げた。というか、察した。彼は慣れていた。
擬似霊子転移──科学と魔術のごちゃ混ぜ結晶ことレイシフトを介さず、最後の記憶から全く異なる地へと強制転送される事態に。そろそろ、眠る=
さて、いつもの夢を介してあれやこれやのソレならば、悠長に背中で草っ原を堪能している場合ではない。胸元でふわふわの尾を揺らす小動物──リスっぽい、ネコっぽい(実は犬が一番近い)真っ白のあんちくしょうを抱いて、比較的冷静に彼は背を起こした。
「パスは──ん、通ってるな」
右手の甲に刻まれた特徴的な痣──識る者からすればこの上無い『証拠』は変わらず立香に拳を握らせた。
三画問題なく揃っている。見慣れた形だ。令呪のパスは、ノウム・カルデアへと繋がっている。ならば、電力と
冷静ではあったものの、ひとまずの安心感を得た立香は改めて立ち上がった。トトトッとフォウが立香の肩に馴染んだ。
原っぱだ。それから、森だ。森のほうはなんだか物凄くおどろおどろしい。たぶん、近付いちゃいけないやつだ。比喩でなく文字通り命を懸けたこれまでの冒険から培った立香の危機察知能力が、アッチは駄目だと警鐘を鳴らす。ならば、逆の方向──城へ向かうべきか。
──見覚えが、ある気がする。
躊躇いなく歩を進めながら、立香は首を傾げた。首をフォウの毛が触った。
藤丸立香は自他共に平凡と称される人物である。普通、凡人、補欠、偶々で紛れ込んでしまった一般人。ほぼネコ。
とある少女は彼を見てまったく脅威を感じないと微笑んだし、また別の少女はろくに使えない素人と見下した。事実その通りなので、立香としてはどちらの少女にも反論の弁はない。
石造りの洋城が目前まで迫って、やっぱり知ってる気がする、と不思議そうに彼は足を止めた。繰り返すが、藤丸立香はただの一般人である。秘された才能があるだとか、歴史の闇に葬られた一族の末裔だとか、死線が視えるだとか吸血鬼の血が混じってるだとか英雄の心臓を譲られたホムンクルスだとか、そういった後出しジャンケンは今のところ確認されていない。正義の味方を目指す崇高な精神も、運命を求めるサーヴァントを骨の髄までたらし込むイケ魂も彼は持ち合わせていない。正真正銘、巻き込まれてしまっただけの通行人EとかFとかその辺りだ。強いて特殊な部分を挙げるとすれば、毒への耐性がある点だが──こちらは原因が判明していないので割愛しよう。
つまり、サーヴァント関係を除いてこのような荘厳な城に一般人の彼が縁ある筈がないのだ。──と、なると、やっぱりサーヴァントの記憶とかで見たのかな?
「どう思う? フォウくん」
「フォウ?」
ふわふわのもふもふが淡い色の目をしばたたかせる。某グランドクラスの魔術師とお揃いの姿だが、こちらは存分に愛らしい。あいつは──うん、時々笑顔が、ちょっと、かなり、イラつく。腹ペコ王だってそう言ってる。
「ま、当たって砕けろだよな。いつもそうしてきたんだし」
──いつも一緒の相棒が傍にいないことは、心細いけど。
ほんのり感じる寂しさを己を鼓舞することで誤魔化し、立香がさて声を出そうと肺一杯まで息を吸い込んだとき──ドシンッと背中へ走った衝撃が、せっかく取り入れた酸素を立香からボールみたいに吐き出させた。
「お前さん、こんな時期にホグワーツでなにしちょるんだ?」
「ぼはッ!?」
振り返る。フォウが抜群のバランス感覚で立香の肩から肩へと移動する。フォウの尾でガードされていた白い眼前が空ければ、そこには人間の平均サイズを越えた大男がきょとりと立香を見下ろしていた。
──身長はヘラクレスくらいあるだろうか。もじゃもじゃだ。森の男ってかんじだ。たぶん、この第一印象は間違ってない。立香の否応なしに鍛え上げられた観察眼が唸る。
そして、二度目の既視感。この男のことも──知ってる気がする。────と、いうか。
「ホグワーツ……?」
あれ、既視感どころじゃなくなってきた気がする。それ、世界的有名な児童書に出てくる魔法使いの学校の名前じゃなかったっけ。
改めて城を見上げる。見覚えがある筈だ。原作と呼ばれる文庫はともかく、立香とて地上波放送で何度か観たことがある。────映画、ハリー・ポッターの冒険を。その舞台だ。これは時計塔とは全く違う魔法使いの学校、ホグワーツ城だ。
「それじゃあ、あなたは──」
次に大男を見る。立香は幾度かテレビの放送を観た程度で、シャーロック・ホームズシリーズを語らせれば本人をも柄にもなく照れさせる熱意溢れる読書家のマシュのようにはいかないけれど、それでもわかる。このひとは確か主人公サイドの人だ!
「さては入学日を間違えたな? 今日は八月三十一日、入学式は明日だ。お前さん、ホグワーツ特急にも乗らずに来たんか?」
「えっと、自分は……」
「ええ、ええ、ホグワーツを楽しみにする気持ちはようわかる。うっかり逸っちまったんだな。──俺はハグリッド。ダンブルドア先生のはからいで、ここの森番をしとる。おっちょこちょいの坊主、名前は?」
「リツカ・フジマルです」
「んん? 東洋人か? ははあ、それで時間を間違えたのか。坊主、これから苦労するだろうが、まあ、俺の家にはいつだって茶の用意がある。ミルクもある。糖蜜ヌガーあたりを土産に持ってきてくれりゃあ、ファングもお前さんを歓迎しよう。ファングっつーのはアレだ。小屋の外に犬が見えるだろう。臆病だがかわいい子犬だ。たまに相手してやってくれ」
「子犬……?」
どう見ても子犬にも小型犬にも見えない黒い小山が、二つの視線を感じてブルッと身を震わせた。そのまま頭隠さず尻も隠さず切株の後ろへと引っ込んでしまう。臆病というのは本当らしい。
「それにしてもどうしたもんか……先生方は明日の準備のために中にいらっしゃるが、勿論お忙しい。だがお前さんをこのままっつーわけにもいかねえ。……よし、ちぃと待っとれ、リツカ。俺が話をつけてこよう」
「いいんですか?」
「おう。スネイプ先生が相手だとチビっちまいそうだが、マクゴナガル先生なら無下にはせんだろう。厳しいがおやさしい人だ。グリフィンドールに入れたら、たっぷりしごかれるといい」
大きな手がもう一度バシンッと立香の背を叩いた。それだけで吹っ飛ばされてしまいそうだ。レオニダスブートキャンプやサーヴァント達の容赦ない訓練を経てそれなりに筋力がついたと自負していた立香にとって、それは密かにショックなことだった。……筋トレ時間、増やそう。
正面の大門ではなくその横の扉から中へ入っていくハグリッドを見送って、周囲に誰の姿もないことを確認してから駄目元でカルデアへと通信を掛けてみる。応答はない。……もう、慣れっこだ。
「ん?」
──否、見慣れないものがあった。魔術礼装はそのままに、自分の腕が見慣れない形になっていた。有り体にいえば────小さくなっていた。
「んん?」
腕を振り上げて、滑稽にも踊るように身体のあちらこちらを目に映す。小さな足、小さな指、地に下りたフォウとの距離。そしてフォウのサイズ。
大きな城だと思った。大きすぎた。門も、人も、森林も何もかもが大きかった。なぜなら────藤丸立香こそが、十一歳ほどの年齢まで縮んでいるのだから。
「えええええーーーー!?」
「どうした、リツカ!?」
立香の幼い声の絶叫に駆け込んできたハグリッドへと縋る目で訴え掛ければ、ハグリッドよりも先に立香へと鋭い注視を向ける存在があった。
厳格そうな老魔女だ。四角縁眼鏡の奥で緑の瞳が細まる。不信感たっぷりに立香を見下ろしている。
たぶん、ええと、確か……マクド○ルドみたいな名前の……主人公の先生の……ああもう、こういうのはオレじゃなくてマシュが得意だっていうのに!
「あなたが、リツカ・フジマルですね?」
「は、はい……」
敵意はないものの老魔女に厳しく問われた立香は、自然と背筋を伸ばしていた。キャスターのサーヴァントから神秘について授業を受ける時のような、ある種馴染み深い緊張感が立香をその場に立たせた。
「ついていらっしゃい。ダンブルドア校長がお待ちです」
「…………」
まるで子供心そのままに、不安からハグリッドを見上げてしまう。中身まで身体につられているようだ。サーヴァントのついていないマスターの、なんと心細いことか。
ハグリッドは立香に向かって大口を開けて笑うと、いってこいと小さな子供の背中を押した。
「一日間違えたくれぇで、まあ、叱られはするかもしれんが、だーれも悪いようにはせん。寮に入ってないから減点もない! ダンブルドア先生はええ人だ。大先生だ。リツカもきっと、今にダンブルドアとホグワーツが好きになる」
うん────頷いて、笑顔のハグリッドに見送られて、魔女の後をついて歩く。
魔女はミネルバ・マクゴナガルと名乗った。物凄く噛みそうな名前だ。ウォモ・ウニヴェルサーレくらい噛みそうだ。立香が数多の英雄達に失礼のないよう、横文字に慣れていなければあと三回くらい聞き直していたかもしれない。
マクゴナガル女史がガーゴイルに向かってゴキブリゴソゴソ豆板を叫ぶ。意味は全くもってわからないしわかりたくもないが、ゴキブリの単語だけで何処となく鳥肌が立った立香である。心做しかフォウの毛も逆立っている気がする。
ガーゴイルが飛び退いて、奥の扉が独りでに開く。中に座するのは、老魔女よりも老いた白髭の魔法使い──ダンブルドアだ。
「ミネルバや、わしは彼と内緒話がしたいのじゃ。席を外してくれるかのう?」
「ダンブルドア!」
「見てごらん。この少年の瞳のなんと美しいことか! 風がない日の海の色じゃ。──この子は、悪い子ではないよ」
ダンブルドアの説得に、マクゴナガルが渋々退室すれば、校長室には立香とフォウとダンブルドアの二人と一匹だけが残される。否、息を殺して歴代校長の肖像画たちが聞き耳を立てていたりするのだが、それは立香には預かり知らない話だ。
「リツカ・フジマル──君達の文化に則れば、フジマル・リツカかの。ふむ、良い名じゃ。わしはアルバス・ダンブルドアという。君達ふうに言えばダンブルドア・アルバスじゃの。気軽にダンブルドアと呼んでほしい」
「はい、ダンブルドアさん」
「いいや、ダンブルドアじゃ。──わしは君と、対等でありたいと望んでいる」
ダンブルドアは親猫を見失った仔猫のように健気に警戒する立香へと、一本の杖を差し出した。
「君の杖じゃ」
「え?」
「君へ渡すよう預かった。入学式は明日、夜に執り行われる。それまで、ハグリッドの家に泊めてもらうとよい」
「あ、あの、待ってください。預かったって、誰から──」
「君にとってより良い学校生活となれるよう、祈っておるよ」
ふわり。立香の足が地面から10センチほど浮いて、ダンブルドアの笑顔が遠ざかっていく。そしてポイッと廊下へ放り出された立香は、咄嗟にフォウを抱き留めながら放心した。
「え──えええ……?」