事件在るところにヒント有り。特異点修復に向けて、何故かハリー・ポッター少年の栄えある友人Cに収まってしまったらしい立香に残された選択は、とにかくハリー・ポッターが起こす事件に片っ端から首を突っ込むことだった。
彼はこの世界の主人公なのだ。彼を中心に物語は加速していく。特異点の有無に関わっていないとは、到底思えない。
故に。困惑しきりのマシュへとまた後でと断って、フォウをお供に忍び足で談話室を覗く。とっくに消灯時間を過ぎた室内は仄かにランプが灯りを残すくらいで、人の気配はまるでなかった。これならばステルス礼装を持たない立香でも簡単に抜け出せそうだ。今ばかりは、日本が誇る忍者直伝の抜き足差し足を駆使して樽の山を下りる。ありがとう小太郎、兵糧丸……じゃなかった、風魔まんじゅうをバレンタインのお返しに寄越された時は、すわ謀反かと涙と嗚咽と震えと吐き気が止まらなかったけど、君が教えてくれた忍術(たぶん)は今とっても主の役に立ってるよ。でもそれ、ゴルドルフ新所長に差し入れするのだけはやめてあげてね。
などと、歳の近い友人みたいな距離感まで勝手に立香が詰め寄っているカルデア在籍某忍者のことはさておき。
マーリン──さっそく主人公絡みのトラブルを嗅ぎ付けたサーヴァントへと念話で呼び掛ける。今、どこにいるんだ?──────答えは。
「…………ふぅ」
「うぎゃっ!?」
突如、片耳を触った生温い吐息に立香は飛び上がった。咄嗟に口を押さえて、振り返る。お茶目だけれどちっとも可愛くない悪戯をしてくれた犯人は、声なく腹を抱えて笑っていた。
「……マーリン」
「いやあ、すまないすまない。小さな背中で精一杯暗闇を警戒している藤丸くんの姿があんまりにもいじらしいものだから、つい魔が差してしまった。夢魔だけに」
「……フォウくん、ゴー!」
「セクハラフォーウッ」
「ドッフォーウ!?」
ここまで、あくまでも小声でのやり取りである。
ガジガジとマーリンを執拗に齧るフォウを回収して、まだ湿っている気のする耳を擦りながらマーリンが羽織るローブを掴む。
「マスター?」
「さっさと詰めて」
「君もこの中で一緒に移動するのかい?」
「なにかご不満かな、キャスター」
「まさか!」
細身だけれど身長のある大人が着込んでもまだ余裕を残しているローブだ。今や、少女タイプのダヴィンチと並ぶ程に縮んだ立香一人を内に巻き込むくらいは訳ないだろう。
気持ち二人三脚で移動を開始する。夜の城はどことなく埃臭くて、しかし傍にある花の香りが立香を心身からリラックスさせた。だって、彼は藤丸立香のサーヴァントなのだから。
「彼等はトロフィー室で、今夜の勇気を見せ合う約束をしたらしい」
「なにそれ、トロフィー室とか知らないんだけど……」
「そこは頼れるマーリンお兄さんのエスコートに任せてくれたまえ」
言葉の通り、マーリンは迷わなかった。彼には“視えて”いるのだろうと立香は思った。
九月の英国の気候は、昼間は暖かくとも夜には気の早い秋が隙間風を差し向けてくる。ふう、と息を吐いて、問題児たちが入室済みのトロフィー室を覗く。金やら銀やらのトロフィーが反射する影は、四つ。
パジャマにガウンを羽織ったハリー・ポッターにロン・ウィーズリー、その後ろにはネグリジェにピンクのガウンのハーマイオニー・グレンジャー。と、名前はわからないけれど何度か見掛けたグリフィンドールのまるっとした男の子…………
『……聞いていた話より人数が多くないですかね、マーリンさん』
『会場に辿り着くまでにギャラリーが増えてしまったようだね。子供は好奇心旺盛なくらいが丁度いい』
『対してマルフォイくんはいないみたいですけど』
『そりゃあそうだ。マルフォイくんはすっぽかしたもの』
『…………』
『そもそも端から来る気がなかったのだから、これはドタキャンというより罠と呼ぶべきかもしれないね? マルフォイくんの代わりにやってくるのは、皆大好き管理人のフィルチさんだ』
『…………』
無言で、ローブから顔を出す。隙間を残して中途半端に閉じられた扉へと手を掛ける。勢いよく開ききって、一言。
「────この、クズ!!!!」
「うわぁ!? なんだ、マルフォイか!? ……え、リツカ?」
どうしても、心の底から湧き上がるグランドクソ野郎への罵倒を抑えられなかった立香である。
確かに、確かにマーリンは何一つ嘘は吐いてないけどさあ……ッ!!
「なんで君までここに……もしかしてマルフォイとグルなのか?」
「そんなわけないだろ、ハリー。リツカはお人好しのハッフルパフだぜ?」
「オレのことはこの際どうでもいいから、みんなおとなしく寮に戻ろう。フィルチさんがこっちに向かってるらしいから。そんでもってマルフォイは来ないから」
「そぉら、ごらんなさい! くだらないことにわたしまで付き合わされたわ。こんなことなら、部屋で明日の変身学の予習でもしてれば良かった。とんだ時間の無駄よ。最低っ」
「え、え? これ、マルフォイとの待ち合わせだったの? 君、変わってるね……ハリー」
立香の誘導に一様に反応を示しながらも、未だ混乱から抜け出せずにいる子供達をとにかく寮まで送ろうと振り返る。──あ。
目が合った。闇の中に光る目が、牙を剥いて鳴いた。────ニャア。
「まずい、ミセス・ノリスだ──!」
一番に駆け出したのはロンだ。ハリーと、それからちゃっかり立香の腕も取って少年は走っていた。ハーマイオニーがヒィヒィとロンの後を追う。さらにその後ろを涙目の男の子──立香は知らないが、彼の名前はネビル・ロングボトムという──が、殆ど引っくり返るようにして追い縋る。
「ロン、ちょっと、待って、」
「アッ、だめ──前──ロン、前を見て!」
「だめだ──おしまいだ──この足音、ぜったいにフィルチだよ!」
「クソ、なんでこの扉閉まってるんだ!?」
逃走先の突き当たり、八つ当たり気味にドアノブを回すハリーをハーマイオニーが押し退ける。その手には杖があった。何をする気だと男の子達が息を呑む中、彼女は唱えた。
「アロホモーラ!」
──カシャン。戸が開く。勢い余って雪崩れ込む。ネビルの尻に押されて、再び扉は閉まる。
「「「────」」」
どっと息を吐いて。すっかりへたり込んでしまった少年少女は、互いの悲壮な顔付きを眺めると、おもむろに笑った。おそろしい大人から逃げ延びてやったぞ──そんな幼い達成感が彼等を包んでいた。クスクスと伝染していく忍び笑いは、まるで戦友の証のようでもあった。
気難しいハーマイオニーですら肩の力を抜いて、杖を懐へと仕舞い直して────振り返る。硬直。実は問題の影にとっくに気付いていた立香だけが、なんとも言えない表情で首を振る。ハリーとネビルの顔色が、汗だくの紅潮から真逆の色に塗り変わる。
「ここはさ、やっぱり言うしかないと思うんだよね────『話の途中だが、ワイバーンだ!』」
「それはワイバーンじゃなくてケルベロスよ!!」
ハーマイオニーの絶叫に、獣性を目覚めさせたケルベロスが四つ足でいきり立つ。中央の頭が大きく吠えて、左右の頭はいかにも骨と肉が好きそうな牙を唸らせている。
怖くない。わけはない。このケルベロスに神の名を冠するクリロノミアが埋め込まれているなんて反則は勿論ないけれど──数多のエネミーを相手取ってきた立香ですら、化け物を前にした恐怖には未だ慣れられないのだ。それを、こんな子供達に今すぐ勇気を持って立ち向かえなどと言える筈がない。
「──マーリン」
藤丸立香が喚ぶ。ニンマリと夢魔が笑う。
「ご所望は子守唄といったところかな、マスター?」
「え──だれ──?」
姿はない。けれど、声が。やさしく、子供達の鼓膜を揺する。
「それでは夢路を添うにぴったりの、ちょっとばかし不器用なとある王の話をするとしよう。──シェヘラザード嬢ほどの語りは、期待しないでおくれよ?」
ガーデン・オブ・アヴァロン────
男の声が蜃気楼のように揺らいで、嗅いだことのない淡い花の香りがして、ゆるりと視界が溶けた気がして────ふと、四人はグリフィンドール寮の扉の前に立っていた。扉番を務める太った婦人の肖像画が「あなたたち、立ったまま寝るのはおよしなさい! 入るの? 入らないの? 合言葉を誰も覚えていないのですか!?」と不機嫌そうに喚いていた。
「あ、あれ──僕たち──ああ、ごめんなさい、豚の鼻!」
「ぶ、豚の鼻!」
「夢だった……? でも、確かに──」
「いいから。ネビルもハーマイオニーも中に入って」
婦人の「夜更かしするならせめて私の知らないところでしなさいな」というお説教なんだか愚痴なんだかわからないぼやきを背にして、四人は談話室へと着く。足元がおぼつかない。寝惚けてるみたいだ。夢心地だった。花の白昼夢に惑わされた。
全員で同じ夢を見たのか。いいや、そんな筈はない────確かに、自分達はケルベロスの部屋をこの手で開けた。ただ、そこからどうやって移動したのかがわからなくて、頭の中が霧のように雲がかっていて──そうだ、リツカは。
ハリーはハッと面々の顔を見回した。グリフィンドールでない彼がグリフィンドールの寮まで共に来ているわけはなくて、ハリーに視線を返す子供達の中に海のようなマリンブルーはなかった。
「ねえ、リツ……」
「あの犬──なにか守ってたわ。足元に」
ポツンとこぼしたのはハーマイオニーだ。そのまま、彼女は肩から落ちそうなガウンを乱暴に引っ掴むと、全ての元凶はお前達だとばかりにハリーとロンを睨んでから女子寮へと向かった。なにもかもがとばっちりのネビルは、スンスン鼻を鳴らしながら寝室へ引っ込んだ。残されたハリーとロンは、互いの顔をはっきりと見た。──どちらも、興奮を抑えられずにいた。
「ハーマイオニーのやつ、なんて言った?」
「グリンゴッツから盗み出された宝はここにあるんだ。──あの犬が守ってるんだ!」
辿り着いてしまった。ハリーの誕生日の日に起きた事件の答えに。大人ですら解決できない謎を、子供のハリーとロンが明かしてしまったのだ!
ああ、はやくリツカにも話してやらないと──不思議と、リツカはハリーの話を頭がガチガチのハーマイオニーのようにバカにしたりはしないだろうと確信していた。リツカならばきっと──ハリーの味方をしてくれる。
じわりと広がる達成感を胸に、少年達はベッドの上で目を閉じる。
『男』の声は夢幻となって、いつの間にかハリーの頭の中から消えていた。
◆◆◆
先輩。祈るような声で少女は桜色の唇を震わせる。
先輩──部屋を飛び出していってしまった小さな彼には、一騎当千のサーヴァントが着いている。それも、マーリンだ。本来ならば生者ゆえサーヴァントとして成り立たない彼は、自動的にその先のグランドクラスを冠せない。しかし実力はとっくにグランドクラスのサーヴァントにも並ぶのだという。なんたって大魔術師マーリンなのだから。魔術師ならば、世情との交流を断ったもぐりだろうと生まれたての雛だろうとその名を知らぬものはない、偉人の中の偉人だ。
そのマーリンが着いているのだから、たとえ子供の体躯に縮んでしまった立香であっても滅多なことにはならないと、頭は理解している。
それでも、少女は囁く。────先輩。
心配と、焦燥と、思慕と──ほんのちょっと、スパイスのような嫉妬を交えて。
「先輩」
「ただいま、マシュ」
「フォウ」
少女の祈りは得てして届けられた。藤丸立香は、決してマシュ・キリエライトの声を見失わない。
「先輩──! おかえりなさい、お怪我などは」
「大丈夫。ケルベロスに遭ったけど、マーリンが幻術で誤魔化してくれたから。ごめん、マシュ。さっきはこの事を伝えようとしてくれたんだよな?」
「はい……先輩がご無事なら、それでいいのです」
「うん、ありがとう。ハリー達のことも、マーリンがちゃんと寮まで付き添ってるからさ。すっごく便利だね──透明マント!」
「はいっ。透明マントは作中でも常に大活躍のマジックアイテムなんです! 張り切って作製したダヴィンチちゃんもきっと喜びます」
和やかに帰還と再会を喜び合う男女の後ろで、そのダヴィンチが相好を崩していたりするのだが、それを知るのは隣のシオンとゴルドルフばかりである。
「話、中断してごめん。続き、聞かせてくれる?」
改めてベッドに腰掛けた立香に、マシュはきゅっと指を丸めた。
立香と出逢った頃に比べて、マシュはぐっと感情豊かになった。立香の隣で、人として生きることを一つ一つ教えられた。それは砂の山から砂金を拾い上げるような時間だった。
けれど、足りない。まだまだ、満足できない。マシュは他の誰でもない──藤丸立香そのひとの手を握って、世界を見ていたいのだから。
「原本確認担当マシュ・キリエライト、マスター藤丸立香への確認作業を再開しますっ」
「よろしく」
「先輩は現時点で賢者の石を守る番犬ケルベロスとの遭遇まで進んだと見られますが、その間のハリー・ポッター少年の日常描写内に見過ごせない記述があります。闇の魔術に対する防衛術の担当教諭──クィリナス・クィレルの存在です」
どの教科も、初回となる初めの一週間が抜けている立香だ。当然、闇の魔術に対する防衛術を受けた覚えもなく、以前観た映画の記憶を頼りに「ターバンの男だよな? 鼻が曲がりそうなくらいニンニク臭い」とアタリをつける。
「頭に魔王をくっつけてる黒幕だっけ」
「正確には魔王ではなく闇の帝王ヴォルデモート。真名トム・リドルですね」
「闇の帝王……改めて聞くと、こう、ムズムズするね。ジャンヌ・オルタが好きそうだ」
立香の言いたいところを理解して、苦笑いする立香にマシュも小さく笑う。きっと彼女なら好きだ。次のサバフェスの題材になっていてもおかしくはない。
「その、はい、闇の帝王さんがクィレルに取り憑いているので、授業含め先輩には重々注意していただきたく」
「ん、りょーかい」
「先輩が次にいつ『二次世界』でお目覚めになるかわからないので、情報がいつも後出しになってしまうところが難点ですが……」
「十分だよ。これでも多少のトラブルはどうにでもできる自信があるんだ。知ってるだろ?」
「……はいっ」
暗にマシュとの旅をなぞらえる言葉に、マシュは大きく首を振った。
大好きだと思う。やっぱりわたしは──このひとが大好きだ。
「マシュ、オレからも聞きたいんだけど──『賢者の石』って、要はなに? パラケルススの宝具とは違うの?」
「それは私が答えるべきかな?」
マシュの横からふっと顔を覗かせたのは、手に持つバインダーへと熱心にデータを取っていたシオン・エルトナム・ソカリスだった。ふんわりした紫髪のツインテールを傾けて、眼鏡の奥の瞳を知的に輝かせている。興味の対象たる立香を捉え、ツイッとペンを向ける。
「簡易授業といきましょうか、フジマルくん。──歴史上、賢者の石に関わった人物は主に四人とされています。製作に成功したヘルメス・トリスメギストスに、ニコラス・フラメル。活用したことで有名なのが、先程も名前が上がったパラケルススと、あとはサンジェルマン伯爵だとかも面白い逸話が残っているね」
あ。──と、立香の目が開く。口もぽっかり開く。聞き馴染みはないけれど、馴染みある単語に青い目が反応する。
「そう、カルデアの君達にはお馴染みでしょう? カルデアが持つ電子演算機トリスメギストスと、そのオリジナルに当たるアトラス院最大の記録媒体トライヘルメス。これらに使用されたフォトニック結晶が、話題の賢者の石です。簡単に云えばオーパーツ。君にならムーンセルの方がわかりやすかったりするかな」
途端に溢れる横文字に小さくなった脳みそが悲鳴を上げた気がしたが、立香はマシュの前でだけは情けない顔はできないとばかりに踏ん張った。男の子の意地だ。ウトウトしていたフォウが慰めなのか呆れているのか、尾で立香の頬を撫でた。
「とはいえ、こちらは『現実』でそちらは『物語』──名前は同じでも、意味合いまでが同じとは限らない。そもそも、賢者の石なんてのはパラケルススの件から名前だけが一人歩きした悪魔みたいなもので──え? パラケルススがどう関わるのかって? その辺りは
茶目っ気溢れる
「我々が指す賢者の石は先程シオンさんが説明してくださった通りですが、ハリー・ポッターシリーズでの意味合いはエリクサーの面が強いように思われます。所謂、不老不死の霊薬、ですね。まだ赤ん坊であったハリー少年がヴォルデモートの襲撃を退けた一件から、ヴォルデモートは己の肉体を持ちません。残留思念のような彼は賢者の石による延命、復活を目論むわけです」
映画を一度や二度ゆるりと観ただけの立香のあやふや知識がマシュによって補完されていく。──つまり、怨念たっぷりのゴーストのようになってしまったラスボスは、肉体的な意味でクィレルを仮宿に利用しているのだ。
「どこも大変なんだなあ……」
「どこも大変ですね……」
ついつい、他人事のように沁々してしまう二人であった。
「今回はここまでにしましょうか、先輩。先輩の集中力も切れた頃とお見受けします」
「うん。正解。実はさっきから眠気が限界なんだ。今日も付き合ってくれてありがとうね、マシュ」
「礼には及びません。──先輩の、サーヴァントですから」
海のような青と銀河のような星々の紫がやわらかに交じる。二人のあいだに残す言葉は、あとはおやすみの挨拶だけ。それが──こんなにも名残惜しい。
「先輩……まだ、カルデアへは帰ってこられない──の、ですよね」
「うん。何一つ解決してないし、調べきれてもいないから。まだ、帰れない」
だから、ほんの少し。
君と繋ぐための手は、まだ空けたままでいよう。
「もう少しだけ──この場所でただの藤丸立香としてやってみるよ」