二次世界における藤丸立香の目覚めは不規則である。翌日当たり前のように目が覚めることもあれば、一週間以上眠っていることもある。おかげで、ホグワーツに珍しいアジア系の出身であることも相俟って(それも何かと謎の多い島国だ)いつの間にか立香は、ハッフルパフ寮生含むホグワーツ在校生から神出鬼没のピクシー、もしくは遭遇できればラッキーなツチノコのように扱われていた。不思議なことが日常茶飯事の魔法の世界だからだろうか、思いのほか生徒達の順応性は高かった。いわく──「日本からの珍客リツカ・フジマルは“そういうもの”なのだ」と。
今日も体内時計に従い目覚め、背を起こす。はらりと前髪が振って落ちる。相変わらず、眠り続けることによる心身的不調はない。強いて問題を挙げるとするならば授業に全く参加できず周囲に追い付けない点だが、これもとある『協力者』を得たことによって大雑把にクリアした。──今日も、朝食後にその『協力者』へと会いに行く予定だ。
立香の感覚では昨日と替わらないカルデア戦闘服と魔術協会制服に、月日確認担当のマーリンいわく三日ぶりに袖を通して協力者の元へと足を運ぶ。待ち合わせ場所は図書館。室内を神経質そうな目付きで鋭く見回す司書の目を掻い潜って、立香の分まで席を確保し既に座している彼女の肩を叩く。
「ハーマイオニー」
そう──何故レイブンクローに組分けられなかったのか誰もが首を傾げるグリフィンドールの才女、ハーマイオニー・グレンジャーだ。癖が強すぎて纏まることを知らない栗毛の髪をポニーテールにした少女は、待ち人を確認するとページをなぞっていた手を止めてニッコリ笑った。
きっかけは簡単だった。ハーマイオニー・グレンジャーは勤勉で図書館が好きだった。そして友達がいなかった。藤丸立香は勤勉でも図書館が好きな訳でもなかったが、自主勉強をするには図書館は有効だと知っていた。そして友達がいなかった。──訂正。友達はいるが、毎度立香の遅れに付き合えるほど暇な友達はいなかった。同寮のハッフルパフ生は、上から下まで人付き合いのプロフェッショナルのような人達なのだから。取っ付きやすすぎてあっちにこっちに引っ張りだこだ。グリフィンドールのカリスマ性もレイブンクローの弁論力もスリザリンの統制力も持たないが、親しみやすさでいえばハッフルパフの右に出るものはない。それこそ孤高を好む悪役のスリザリンですら、ハッフルパフを馬鹿にすることはあっても排除しようとはしないのだから。
つまり、ハッフルパフの生徒の他に、立香の自主的補講という名の自主勉強に付き合ってくれる地頭が良くてノートをしっかり取っていて自分も勉強するという都合上ついでに立香の面倒も見てくれる稀有な人物は、ハーマイオニー・グレンジャーの他にいなかったのだ。奇跡的な合致だ。
そうして、元来世話焼きなグレンジャー嬢は図書館で鉢合わせするたびレポートと教科書を相手ににらめっこする立香に自然と付き合うようになっていった。
なお、これらはあくまでも成り行きであり二人の間に明確な約束はない。立香自身、この二次世界で次にいつ自分が目覚められるかわからないのだから。ただ、図書館に向かえばどちらかがいて、待っていればどちらかに会える──そんなあやふやな時間を、二人は楽しんでいた。
「今回は三日なのね。お久しぶりと言うべきかしら」
「オレとしては昨日もハーマイオニーに会った感覚なんだけどね」
「あなたの例の病気って、そういうものなの? それって、なんだかずるいわ。わたしだけ待ち惚けみたい。あなたがいなくても、図書館には毎日来てるけど」
非難めいた声色で自分の隣の席を叩いて立香へと着席を促すハーマイオニー。しかしその目も口も満足そうに笑まれている。ようは、本心であり冗談であり甘えだ。ああ、思い出すなあ、このかんじ。と、立香は脳裏に真面目で努力家で拷問が好きで猫が嫌いなとある(見た目は)少女の姿を思い浮かべる。今にも、くっふっふー! と得意気に甲高い声が笑い出しそうだ。
そして思う。拷問やら猫嫌いやらはともかく、ハーマイオニーも彼女に負けず劣らず真面目で努力家でそして律儀だ。今でこそ真面目すぎる性格からお祭り気質の自寮生に煙たがられる彼女だが、そのうちに主人公のハリー・ポッターとロン・ウィーズリーに並んで主要人物の一人として物語を動かしていくことになる。──立香ばかりに構っていて、後の親友二人と交流しなくて良いのだろうか。
「ハーマイオニー、言いにくかったら無理はしなくていいんだけど──オレと一緒にいて大丈夫?」
ハリー・ポッターシリーズのストーリーをよく知らない立香ですら把握している主役三人組の三人でない姿におそるおそると伺えば、教科書を開いた手でフォウをあやしていたハーマイオニーは不思議そうに目を瞬かせてから、ああ、と持ち前の回転力で納得したふうに頷いた。
「なんの問題もないわ。わたしはリツカが良いの。グリフィンドールの人たちよりリツカと一緒にいるほうが楽なのよ。──だって、リツカは他の男の子とはちがうもの。寮が違ったって関係ないわ。そうよ、そもそもリツカがはじめからグリフィンドールにいてさえくれれば──いいえ、ダメ。あんな幼稚な群れにあなたを放り込んだりなんてしたら、それこそ寝込ませちゃうわ。やっぱりあなたはハッフルパフが一番よ」
どうやら立香の唐突な疑問と心配は、寮同士のあれこれを杞憂してのことだと解釈したらしい。続けて、学年一の才女は「ハッフルパフの生徒は誰とでも仲良くなれるから、あなたとわたしが一緒にいても不思議じゃないわ」とフォローらしきものも添えた。
「あなたは落ち着いていて大人っぽいわ。嫌がらせで汚れたユニフォームを投げ合ったり、それがいつのまにか本格的なドッヂボールに替わっていたり、下品な落書きに笑ったり、女の子を品定めして品のない会話で盛り上がったり──そういうこと、しないもの。グリフィンドールの男子寮のきたなさを知っている? まともな整理整頓──『使ったものは元の場所に戻しましょう』すらできないのよ、あの子たち」
うんざりした口調でおしゃまにぼやいた少女は、手元のフォウだけに向けるように小さく呟く。……それに、リツカはでしゃばりの出っ歯女なんて陰口も叩かないわ。
彼等彼女等は現在十一歳だ。十一歳といえば、義務教育を掲げる日本育ちの立香からすればまだ小学生の印象だ。ああ、この頃の男子ってそんなものかもなぁ、と、羽ペンをインク壺に点けながらぼんやり思う。ランドセルを振り回してあちらこちらに転げ回って────ふと、正真正銘小学生だった頃の自分を振り返ってみる。一番に思い出したのは、体育の時間中に隣の男子が膝の中に隠れてぐるぐる巻き糞……じゃなくてソフトクリームの絵を校庭に描き、結局先生の話そっちのけで男の子たちでゲラゲラ笑いあった記憶だ。今となれば微笑ましいに尽きる思い出だが、同時に恥ずかしくもある。バカ丸出しだ。このあたりの年齢は女の子のほうがずっと精神的に大人びているというし、当時もハーマイオニーのように「男子ってバカばっかり!」と軽蔑していた子は少なくなかったように思う。
立香が落ち着いて見えるのはあくまでも十一歳の子供にしては、の話であって、カルデアも魔術も知らなかった高校生の立香は、成人に向けて一歩を踏み出した年齢にも関わらず無邪気で素直で少年の心を忘れない子供だった。たぶん、今でもそう。立香自身、自分には遊び心があるほうだと思っている。先程ハーマイオニーが迷惑げに挙げた幼稚な事柄の事例も、カルデア男子サーヴァントが集まる場ならば容易に混ざるしいっそ率先する自信すらある。マンドリカルドとか。燕青とか。黒髭はレギュラーだ。
つまりは、ハーマイオニーの立香への評価は実はほんのちょっとだけお門違いだったりするのだ。だから、訂正する。
「そんなことないよ。カルデア──家ではオレ、常に子供扱いだし。末っ子……て程でもないけど、弟とか息子とか弟子とか生徒とか、そんなふうにオレのことを思ってくれる人が多いからさ。むしろ大人っぽいなんて褒められるのは新鮮だ。今だけなんだろうなあ」
「ご家族が多いの? それともご親戚の話もふくんでいるの? あ、ソコ、sじゃなくてrよ」
「おっと危ない、ありがとう。んー……訳あって色んなひとと一緒に暮らしてるんだ。ほんとーに、色んなひと。大抵がオレとマシュより大人で──中には年齢不詳だったり、見た目はオレより子供のひともいるけど──血の繋がりはないけど、大切な家族だ」
誤字の上にフォウが肉球でスタンプするのに笑いながら、海を渡ってどころか世界線を越えた先で立香を待ち続けてくれている人達へと想いを馳せる。
彼等彼女等と一年を共にして、行事を共にして、寝食を共にして──そして生死と未来をかけた旅を共にした。かけがえのないひと達だ。たとえ生者でなくとも。現し世に写し出されただけの、身勝手な偶像だとしても。
「片付けの話とかもさ、オレも疲れて後回しにしたりなんかザラだよ? そうしてるあいだにエミヤママ……世話焼きな人が完璧に掃除してくれてたりするんだけど。あ、最近はその手の雑用はマリーンがやってくれるかな。……よく考えればすっごく甘えてるな、コレ。ちゃんと感謝しないと」
改めてノウム・カルデア本拠地内に限り至れり尽くせりな現状に立香が親孝行ならぬサーヴァント孝行をしようと噛み締めていると、隣のハーマイオニーはこらえるように口をきゅっと結んでいた。怒りの表情ではない。むしろ楽しそうだ。
「どうかした?」
「だって──あなた、今、ママって言ったわ。あなたもお母さんのことをそんなふうに呼ぶんだと思ったら……子供っぽくて」
どうやらエミヤママの部分が彼女の笑いのツボにハマってしまったらしい。なので、早速立香らしく悪ノリしていく。
「パパはちゃんとダディだから」
「どっちにしろ子供っぽいわよ、アハハ! あなたもわたしたちと変わらないのね」
すっかりご機嫌な十一歳の女の子と、幼っぽく顔を突き合わせてクスクス笑う。司書のマダム・ピンスから苛立ちをたっぷり込めた批難の咳払いをいただく。それにさらに声無くハーマイオニーと肩を揺らす。
『いいねえ、カルデアは君の家族か。その設定ならば、私は藤丸くんのお兄さん役かな?』
『マーリンは現在進行形でおじいちゃんでしょ』
『実年齢計算は良くないとお兄さんは思うな!?』
「フォーウ……アフォウ」
「え? なぁに、フォウ」
「ハーマイオニーは良い子だねって」
「まあ、光栄だわ!」
ハーマイオニーが座る席のその後ろ、ステルスローブを着用し控えるマーリンの反応からしてフォウの呟きの内容は全く違うものなのだろうけれど、そのフォウはハーマイオニーに撫でられ満更でもない様子なのでまあいいかとゆるりと流す。大抵の事は受け流してしまえる、その人間性こそが
「ねえ、リツカ。明日もあなたに会えるかしら」
「起きられたらいつも通りまたここに来る予定だけど……どうして?」
「明日はハロウィーンだもの。授業が終われば、ハロウィンパーティーがあるの。どうせわたし、独りだから。それならあなたと一緒に楽しみたいと思ったのよ。……迷惑だった?」
「迷惑ではないけど……ハリーとロンは?」
「どうしてその人たちの名前が出るの? わたし、嫌いよ。あんなトラブルメーカー。特に赤毛のソバカスのほう。ルールを破って、それで箒をもらって得した気になってるんだから。真面目に注意するわたしがバカみたい。正しいのはわたしなのに。リツカもそう思うでしょ?」
グリフィンドールの男の子たちについて尋ねてみただけで途端に拗ねてしまうハーマイオニーに、処理し終えた魔法生物飼育学のレポートを丸めながら立香は苦笑する。この時点では、主人公達の名前はこの子にとっては地雷らしい。どの辺りから定番トリオになるのか、マシュから聞き出しておかなくては。
「約束よ。明日もきちんと起きてちょうだいね」
「善処します」
「わたし、知ってるわ。それ、ジャパニーズ流の“ノー”でしょう」
「ァイテテ」
てきとうに返事をしたら、思いのほか本気で頬をつねられてしまった。思春期の女の子は難しい。
◆◆◆
日課と呼んでも差し支えない勉強会を切り上げハーマイオニーと別れた立香は、完成した出席代わりのレポートを各担当教諭の元へと提出して回っていた。寮監でもあるスプラウト先生から始まり呪文学のフリットウィック先生、いつ見ても忙しそうなマクゴナガル先生に、こちらは人生まるごと暇そう──というか人生が終わって暇そうなビンズ先生。そして最後の提出先は魔法薬学のスネイプ教授だ。
じめっとした湿気を帯びた地下へと繋がる階段を下りながら、気が進まないと肩のフォウに愚痴る。立香の持病(という扱いに収まっているとマーリンが教えてくれた)の関係で出席日数が数えるほどしかない藤丸立香という生徒を、セブルス・スネイプは気に入らないようだった。
仕方ないとも思う。立香とて、新学期から早二ヶ月目に入ろうというのに数回しか顔を合わせられない生徒をもしも自分が抱えることになったなら、非常に扱いに困ると思う。しかたないと、彼の気持ちを汲むつもりではいるのだけれど──
「穴熊の有名人殿は『
ねっとりしていてどことなく薄暗い、そんな声帯から放たれた渾身の嫌味に、日本人お得意の無敵の愛想笑いが引きつった。彼が述べた『有名人』にはきっと『劣等生』のルビが振られている。副声音と置き換えてもいい。正直、彼の生徒へのこの対応は教育者として如何なものかと思う。
だがしかし、舞台は一九九〇年代のイギリスだ。立香は決して歴史に詳しいわけではないけれど、少なくとも立香が学生をやっていた頃ほど人権が重視される時代でないことくらいはわかる。差別問題に今この場で立香が大手を振って切り込んだところで、文字通り
「遅れてすみません。これ、三日分です。よろしくお願いします」
教授にさっさとレポートを手渡し、難癖つけられる前にとそそくさと教員用の準備室を後にする。ああ、もう、生きた心地がしない。無論、気分一つで次の瞬間には首を取りに来るような危険サーヴァント──代表例:バーサーカー、鬼種、ノッブ等だ──を相手取ることに比べればなんということはないけれど、緊張の種類が違う。近いのは、まだカルデアが南極にあった頃の査問会耐久六時間だろうか。あれも胃をぶっ壊されるかと思った。ひたすらチェイテピラミッド姫路城についてどう説明したものかと頭を悩まされた。
ふう。安堵と疲労に息をついて、地下から陽が落ちかけの地上へと出たそこに、太陽の残光を受ける金髪が見えた。フォウがお出ましだとばかりに鳴いて、マーリンがわざとらしく嘆いてみせた。
「日曜日になんでお前がこんなところにいる」
スリザリンのドラコ・マルフォイ少年だ。立香からすれば数日ぶりの小憎たらしい顔だが、二次世界換算では三週間と少しぶりといったところか。
「スネイプ先生に、ちょっと」
「劣等生のイエローごときがスネイプ先生相手に点数稼ぎかい? 残念だけれど、あの人はスリザリンを心から愛してらっしゃる。その鼻をいくらひくつかせたところで餌はもらえないよ。さっさと温室にでも漁りにいくといい。君のところの寮監だ、育ちの悪い芋くらいは恵んでもらえるんじゃないか」
師そっくりの嫌味ったらしい口調で、休日もきっちりオールバックにキメた少年はせせら笑う。相変わらずだなあ、と立香は胡乱げに少年を見遣る。マーリンが立香だけにしか見えないのをいいことに、愉悦のテクスチャを貼り付けて横槍を入れる。
『マスター。今、君が思ってることを当ててみせようか』
『はい、マーリンさん早かった。どうぞ』
『『よく回る口だなあ』』
思わず吹き出してしまいそうな口を咄嗟に噛むことで堪える。ちなみに共犯者のマーリンは思いっきり腹を抱えて笑っていた。無声で。器用な魔術師だ。
間一髪失笑は堪えられたものの、立香の妙なふうに歪んだ顔面をマルフォイは怒り由来のものであると捉えたらしい。途端に口ごもり何やら言い訳めいたものを口の中でごにょごにょ転がし始めた少年に、微笑ましくてつい立香は丁寧に整えられた金髪を撫でていた。
あ。空気が固まる。ついでに互いの挙動も停止する。
「ゃ、あの、これは、ツンデレに見せ掛けたヘタレかわいいなとか、おっきーに需要がありそうだなとか、そういうアレではなくてですね」
「…………」
「決して下心では、ない、ん、ですけど…………ごめん」
ぎこちなく手を引っ込めた先、マルフォイ少年は透き通りすぎて蒼っぽくすらもある肌をほんのり赤らめると、おもむろに口を開いた。ようやっとかち合った目はギラリと開かれていた。
「──ッ調子に乗るなよ、たかが黄色猿のジャップごときが!!」
「わっ──」
肩で立香を押し退けて、全身全霊をもって
彼は確かに怒っていた。立香を睨み威圧した。けれども、あれは──今のは、どう見たって────
「……ジャンヌ・オルタにも需要ありそうだね」
「フォウ」
照れ隠しがわかりやすすぎるツンデレ美少年とか、ぜったい好きでしょ、ジャルタ。