波乱であると既に予告されているハロウィン当日。立香はマーリンの保証通りにスッキリと目覚めた。この二次世界で連続起床したのは久々だ。
なんだか早くもやり遂げた心地で談話室へと顔を出すと、ハッフルパフ一年生の中でも特に立香と親しくしている男女四人組──アーニー、ジャスティン、ハンナ、スーザンの通称ハッフルパフカルテット(立香の一存的内輪命名である)がわっと賑やかしく立香を囲んだ。
「リッカ! 君、昨日も起きていたのに今日もだなんて、近頃は調子が良いのかい? それとも昨日の君は幻? いいや今の君が幻かい?」
「どっちのオレも本物だって。おはよう、アーニー」
「ああ、よかった! 聞いてちょうだい、リッカ。今日は夕食がまるごとハロウィンパーティーになるらしいの! けれど、リッカはそれを知らずにひとりぼっちで眠っているのかもしれないと思うと……わたしたち、あなたのことが気掛かりで仕方なかったのよ。けれど、これならリッカも楽しめそうね。もちろんフォウも」
「フォウ!」
「一年生は朝から元気で良いねえ。ちなみに僕はリッカ双子説を推すよ。ほら、ジャパニーズは生まれると必ずカゲムシャがつくんだろう?」
「ガブリエルのその微妙にずれてるステレオ日本人像は一体どこから仕入れるの……」
入学初日から曰く付きであることを憚りもしない藤丸立香を、おおらかに受け入れてくれるハッフルパフの彼等へと笑う。
立香が羽織る魔術協会制服のローブとハッフルパフ生に与えられるカナリアイエローのローブは、形こそ似通えど全く違う質の物だ。けれども、カナリアイエローに囲まれる立香の姿は異物でありながら絶妙に溶け込んでいた。それもこれも、ハッフルパフの彼等彼女等が立香を差別しない善良な人々であるからだろう。無論──全員が、という訳にはいかないが。
「ザカリアスはまたクィディッチ練習の見学?」
「そうみたい。朝から熱心よね。二年生になったら、絶対に選手になりたいと思ってるんじゃないかしら。わたしとしては、アーニーの方が向いてると思うけど」
スーザンに、クィディッチ選手を目指すザカリアスよりも箒操縦の才能があるとほのめかされたアーニーは、照れ臭そうに頬を掻いていた。こんな日にもクィディッチ(立香は魔法使い専用のサッカーみたいなものだと認識している)の朝練はあるんだなあ、と筋トレが日課の立香は一方的に親しみを覚えた。道理でハッフルパフの代表的良心セドリック・ディゴリーの姿もないわけだ。彼は──確かシーカーとかいう花形ポジションの選手なのだったか。
「さあ、まずはともあれ朝食よ! 後であなたが眠っていたあいだの薬草学のノートを見せてあげるわ」
「それならわたしは魔法史を」
「じゃあ僕は呪文学と変身学のノートを貸してあげるよ」
どこまでも親切な級友達の気遣いに立香の瞳が潤む。感涙一歩前の顔でズズゥンッと鼻を啜った立香に、フォウが半目でその頬を甘噛みした。
「やはり持つべきものは後輩と友。ギルガメッシュだってそう言ってる」
別にギルガメッシュはそんなことは言っていない。が、ともかく。青春の証のような無垢な友人達に囲まれて、今日も立香はただの学生の藤丸立香としてここホグワーツで過ごす一日を開始した。
◆◆◆
さて。昼食を終え級友達から離れて腹休めにフォウと散歩していた立香は、周囲に人気がないことを良いことにふとサーヴァントへと尋ねた。ずっと気掛かりだったのだ。
「──自分がいることで、未来が変わったりしないかな」
藤丸立香は異物である。本来完成された物語であるハリー・ポッターシリーズのストーリーに藤丸立香という人物は存在しないし、作者の意図にない第三者が主要人物達へと介入を試みるなんてのは絶対的に有ってよい事ではない。
それはこれまでの特異点でも同じことだが、今回はまだテーブルクロスのシミ──特異な点が判明していない。何もかもが不明瞭な状態で、さて藤丸立香の行動はさらなる問題に発展しやしないだろうか。
「マーリンの千里眼は現在を見るものだから──未来はわからないんだよね」
「そういうことになるね。未来視が可能なのは君もよく知るギルガメッシュ王くらいのものさ。もしくは──ソロモンだとかね。そして未来視は決して万能ではない。未来が視えるからこそ確定される
「…………」
「どちらにしろ、動かないよりは動いたほうが建設的だと、私は考えるけどね。なにより──巻き込まれつつも自分で道を切り開いていく
「マーリンさあ……」
「フォウ……」
欲望に素直なマーリンにこれ見よがしに呆れたポーズを取りつつも、彼から何気なく発せられたソロモンの名に立香は静かに目を伏せた。
ソロモン──かつて己が使役する魔術式に遺骸を巣食われた魔術の王。座からすらも消滅した、立香とマシュの兄のようだったひと。──ロマニ・アーキマン。
ああ、と思う。マーリンを喚ぶ際、立香は咄嗟にソロモンの名を大師に置いた。それは無意識のことだった。
魔術師が指す大師とは、すなわち一族に魔術を伝えた師となる存在のことだ。個人の師ではなく一族の師──仮に宝石剣の設計図を継承し宝石魔術を発展させた生粋の魔術家系・遠坂を例に上げるとするならば、彼等の大師は宝石剣の製造者・魔導元帥キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグとなり、サーヴァント召喚時には彼の名を大師に冠するのが通常だ。
だがしかし立香は魔術師の家系ではない。一般人。エキストラ。モブ。本来ならば魔術だとか世界の破滅だとかそんなものは耳にすることさえない──きっと、有象無象と同じくなにも知らないまま災害に巻き込まれ滅んでいた存在。
ただの藤丸立香に魔術の世界を教えた師は──ロマニ・アーキマンだ。
そのロマニはもういない。ソロモンだっていない。
「────」
だからだろうか、と立香はマーリンを見上げた。どこにも存在しないひとの名前を呼んだから──サーヴァントとして在る筈のないマーリンを喚べたのだろうか。
「マスター?」
「……マシュと話したいなあ」
「それ、私を見て言うことなのかい?」
今度はマーリンに呆れたふうに肩を竦められた。マーリンはいつだって人間の鏡写しだ。
ふとそんな中、立香の肩を居場所にくつろぐフォウがくるんと愛らしい仕草で首を傾げた。立香もそれに続く。隣のマーリンを窺い見れば、透明な彼は作り物らしく完璧な笑みを立香へと返した。うわ、うさんくさ。これはなにかあるな。
「ちょっとマーリン、なに──」
「マーァリィィィン?」
男の声だ。ドキリとして、そして嫌な予感が濁流のごとく襲い来る。彼の声に反射的に警戒心を駆り立てられるのは、立香ばかりではない筈だ。ここホグワーツに在籍する人間ならば誰もが「ゲッ!」となる存在────
鈴飾り帽子に首元にはオレンジ色の蝶ネクタイをちょこんと締めて、ピエロじみた小男が立香の前で踊る。フォウがグゥと唸る。
「マーリン! マーァリン! 偉大なる大魔法使いのマーリン! なんだって仲間外れのジャップちゃんが、その名前を呼ぶんだァい?」
「な、なんでだろねー……ハハハ。それじゃ、自分は授業あるんで」
「怪しいなァ、怪しいねェ、イエロージャップのリッカちゃんは頭がイカれているらしい。あの偏屈爺のマーリンがお好きだなんて!」
ケタケタ嗤いながらピーブズが立香の周りを飛び回る。進行方向を邪魔してやろうという魂胆が丸見えだ。ホグワーツに住み着く基本的には無害のゴーストと違って、ピーブズは現象なのでその気になれば立香に掴み掛かり物理で足留めすることだって可能なのだ。
これ、どうしよう。とピーブズいわく偏屈爺のマーリンを見れば、若々しい見た目の彼は物凄く微妙な顔をしていた。流石のマーリンもピーブズの相手は遠慮願いたいらしい。どれだけ厄介なんだよ、ピーブズ。
「ごめん、ピーブズ。オレ、ちょっと急いでて」
「トリィィィック・オア・ト・リィト?」
「えっ」
黒々した瞳がニンマリと三日月に歪んだ。今日はハロウィン。朝から甘いお菓子の匂いが漂う、ちょっぴりダークで愉快で美味しいイベントの日だ。カルデアでハロウィンといえばトンチキイベントの始まりだが、ここホグワーツでも立香はトンチキ現象から逃れられない運命にあるらしい。
「ビーンズにガムにタルトにパァイ! お持ちかな、ジャップちゃん?」
「……お持ちじゃ、ないです」
「
ぐわしと。悪意の塊にとんでもない力で掴み上げられた。文字通り、掴んで上げられたのだ。立香の足裏は、ホグワーツの廊下にさよならを告げていた。
「え」
ぐるり。姿勢が変わる。顔のすぐ横にあるずんぐりむっくりなポルターガイストを呆然と見る。揃わない歯が目と同じく三日月を真似た唇の間から剥かれる。
「ピ、ピーブズさん?」
「ハッピーハロウィン♪ ジャップ・ニップ・リッカ♪」
そして。
「ちょ──うそ──おま、ぉ、わぁぁぁぁあああッ!?」
「フォオオオオオウッ!?」
投げられた。窓から。二階から。どこかの中庭だか広場だか校庭だかへ。立香は見本のような放物線をえがいて地面へと吸い込まれようとしていた。
「アーラシュフライトよりはマシ! だけど怖いものは怖いッ!! 着地は任せたマーリンンンン!!」
「災難だねえ、マイロード」
白くはためく袖がスルリと己の胴に回るのを感じながら、ハロウィンはやはり鬼門だ。と魔術師のくせにしっかり鍛え上げられた身体にしがみついて、立香は沁々するのだった。嫌な沁々だ。
どうにか笑う膝に力を入れて、マーリンから離れ立ち上がる。足裏が無事に地面とただいまできているのを確めながら、周囲を見回す。煤けた城壁には苔。足元には雑草。そして刻に朽ちゆく様を刻んだ煉瓦らしき残骸。
「……マーリン」
「なんだい、マスター」
「ここどこ」
「どこだろうね」
たぶん、城のどこかの裏側。人の手が入っているとはとても思えない荒れ地だった。
藤丸立香。神に嫌われ──否、愛されているかの如く、お決まりの迷子である。
◆◆◆
少女は待ち人を待っていた。約束したのだから。午前にはその人が目覚めていることも確認した。彼は級友のハッフルパフ生に囲まれて楽しそうにしていた。
きゅっと胸が嫌な痛みを訴える。篝火のウィル・オー・ウィスプがお前も仲間だと囁く。自分とは違い、寮問わず人気者の彼だ。もしかしたら──
「リツカ……わたしとの約束、忘れちゃったのかしら」
声にしてみれば、不安はズンッと重力を持って少女に襲い来るようだった。リツカはそんなひとじゃない。わかってる。わかってるけど。
少女は拳を握って歩き出した。──迎えに行こう。自分から。
わたしにだってそれくらいできる。ひとりぼっちだって──友達に会いに行くくらい、爪弾き者のハーマイオニー・グレンジャーにだってできるんだから。
そして少女は、ハロウィンパーティーで賑わう大広間へと背を向け駆け出した。──────慌てふためく
◆◆◆
「──リツカ!」
「ハーマイオニー?」
かくして少年少女は出会った。残念ながら運命の──という枕詞は彼等の間には付かないが、少なくとも互いに焦がれた再会ではあった。
全く見知らぬエリアから生還を果たした立香の姿は、それは酷いものだった。なんたってプチ冒険だ。ホグワーツの校長たるダンブルドアですらも全てを理解しきってはいないとされる謎めいたホグワーツ城を彷徨ったのだから。毛先の跳ねた黒髪は元気を通り越して砂やら小枝やらを巻き込んで爆発していたし、スラックスやローブの裾には跳ね返りの土が付着していた。ヤンチャな子供が野山を駆けずり回ってきたかのようだ。元の毛が白いフォウなんて、色味がくすんで別の生き物みたいだ。
思わずハーマイオニーがハンカチを差し出せば、立香は遠慮した後おそるおそると少女のハンカチを受け取った。
「あなた、今までどうしていたの? わたし、ハッフルパフの子から聞いたのよ。あなたってば、午後の授業に丸ごと出てないらしいじゃない。例の発作のせい?」
「いやぁ……ハハ。ちょっと迷っちゃった、ていうか」
「入学してもうすぐ二ヶ月なのに? ……あ、そっか。リツカにとってはまだ数日なのね」
立香の迷っていた発言にオーバーに肩を落としては胡乱気な目で立香を見遣ったハーマイオニーだが、ふと適当に納得するとその目は同情めいたものへと変わった。
「あなたも大変ね。“
「あ、そういうことになってるんだ」
「え?」
「いえ、そのとーりです。」
「今からでも遅くないわ。体調に問題ないのならハロウィンパーティーに行きましょう。わたしお腹ぺこぺこよ。でも、そうね……いくらドレスコードは必要ないにしても、その格好は……」
ハーマイオニーの懸念は尤もだ。ただでさえツチノコ扱いのアジアンピクシーだというのに、このまま「やんごとなき事情があります」と言わんばかりの格好で大広間へと足を踏み入れたならば、途端に立香は尾ひれ背びれ胸びれの餌食となるだろう。仮にこの場にマシュがいたなら彼女が持ち歩く便利スクロールのうちの一つ、洗浄スクロールでささっと身綺麗にできたのだろうが、そのマシュはいない。いるのは幻術が頼りの花のお兄さん一人だ。奪われたものは取り返す方針だが、無い物ねだりは良くない。
どうしよう、一度寮に戻ってスペアと替えて来ようかな……と、立香が現在地からハッフルパフ寮への道のりを脳内で反芻していると、突如フォウが立香の肩から飛び降りて警戒の姿勢を見せた。無惨にも土だったり木の葉だったりが絡まる毛を逆立てて、愛らしくも獣らしい牙を剥いて何かを待ち構えている。
「フォウくん?」
反射的にマーリンを見上げた。マーリンは立香にとってはすっかり見慣れた笑顔でニッコリすると、唇だけで『く・る・よ』と伝えた。
………………来るよ?
「リ、リツ──」
少女の震える指が立香の袖を握る。ぬっと地面に影が掛かる。大きすぎる人型のような、影。──歪な巨人の影。
面を上げる。今さらな悪臭がツンと鼻を刺激する。巨体に反してアンバランスにちょこりと乗った頭が立香達を見下ろしている。
────トロールだ。