思慮深い、と思われていることが多かった。
目の前に座っている記者も、サカキのことを思慮深いと形容していた。ジムリーダー対四天王。つい先日行われたエキシビジョンマッチについての取材だった。
カンナとシバが二人ずつ、キクコが三人のジムリーダーを倒し、疲れ果てたキクコをサカキが一蹴した。
ワタルとサカキの対峙は二時間の長丁場となり、互いに最後の一体を繰り出す激戦の末にワタルが制した。
「世間じゃ、あれをチャンピオンの勝利とは思ってませんよ。キクコ氏との短い勝負。あの僅かな消耗が、勝敗を別けたと、そう言われています」
記者の言葉に、サカキは微笑んで見せた。記者が頭を掻いた。
「オーキドキクコ時代はオーキドの引退に幕を閉じ、ワタルサカキ時代は真っ当な直接対決なし。カントーのファンは不幸だと思いませんか?」
「チャンピオンと真っ当な勝負をするのはポケモンリーグを勝ち抜いたものだけですよ」
「勝っておられる。サカキさんの殿堂入りの表彰状は今でもセキエイに飾られています。しかしその時、ワタル氏はまだ無名の少年だった。そしてサカキさんは、チャンピオン就任を拒否された」
「故郷でなにかをしたくてね。幸い、トキワジムのジムリーダーが引退を公表していた」
「今から、というのは?」
「さて、今さらチャンピオンロードを抜ける体力が残っているかな」
「これだよ。弱ったな。実は、編集長から刺激的なコメントを取ってこいと言われましてね」
「そういうのはワタル君に頼むんですな」
ワタルは、どこか挑発的なチャンピオンだと言われていた。実際にそういう振る舞いもしている。本来はもっと物静かな青年であることを知っているのは、四天王とジムリーダー以外にほぼほぼいない。ワタル自身が、挑戦者を刺激するようなチャンピオン像を作ろうとしているのだ。
「別の記者が行きましたよ。会場など作るな、だそうです」
「先の試合は、途中から屋外競技場に場所を移しましたからね。まあ、地面とドラゴンの試合を屋内でやろうと言うのが土台無理な話だ」
「主催はウチのスポンサーですよ。あの物言いを記事にするのはちょっとね」
「じゃ、諦めるんですな」
「普段思慮深いサカキさんから、大きな発言が出てくる。そういうものの方が面白いんですがね。どうです?なにか、野望のようなものはお持ちでは?」
同席していた秘書の目が、一瞬揺れた。そのことに、サカキは気付かない振りをした。
「野望、ですか。ないこともないな」
「それはどんな?」
「トキワの、いや、カントーのトレーナーを世界最強に育て上げることですよ」
ジムリーダーとしては、模範的な解答だった。記者も苦笑いしている。秘書の表情だけが固い。サカキが本当のことを語ったと、理解しているからだ。
現在のトレーナー情勢についてしばらく雑談を交わして、記者は帰っていった。それなりに真っ当な記者なので、発言を誇張されたりすることもないだろう。
「コーヒーを淹れてくれないか。それと、午後の予定を」
「十三時に、挑戦者が来ることになっています。三名。ジムトレーナーを突破できそうな実力者はいません。しかし」
「勝負に絶対はない。私はここで、挑戦者を待つこととしよう」
「よろしくお願いします。十六時に、ニビの博物館で仕事が一つ。新しく発掘された化石周辺の地層について、サカキ様の見解を訊きたいとのことで、博物館に足を運んでいただくことになります」
「オツキミ山のものか」
「詳細な研究はタマムシ大学から調査チームが来ることになっているようです。サカキ様のコメントはあくまで館内の展示物としてのものだと」
「わかった。精々、一般受けしそうなコメントを書くこととするよ」
「その後はしばらくフリーになっています。二十一時に、ポケモン協会のトキワ支部長と会食。トキワの未来についてということで、ジムトレーナーを何人か伴っていただくことになります」
「漠然とした話だ」
「協会本部から配分された資金を消費しつつ、実績を作ろうということでしょう」
「人選は任せる。たらふく食う人間を選んでくれ」
「昼食は抜くよう伝えておきます」
コーヒーが差し出された。ブラックだ。コーヒーなど本来は砂糖を入れて飲むものだと思うが、一度この味を覚えると、舌というより脳がこれを求めてしまう。
口をつける。苦味が通り抜けた後は、頭の中がすっきりとしたような感覚になる。今後もきっと、ブラックを飲み続けるだろう。
「タマムシに行く」
人選を終え戻ってきた秘書に、サカキはそう言った。彼女は僅かに周囲を気にする素振りを見せた。このムツキという秘書は、どこか神経質なところがあった。神経質であり、鈍感なのだ。
ジム周辺ぐらいの範囲までならば、サカキは気配を読みきることができた。そのぐらいのことができなければチャンピオンロードを安全に抜けることはできないし、ハナダの洞窟などに行けば死ぬしかなくなる。殿堂入り後の一ヶ月を、サカキはハナダの洞窟で過ごした。地獄の特訓だったが、今思うと余計なものに煩わされることもない甘美な時間だった気もする。
「ニビの後になります。ピジョットを用意します」
「ガラルという国では航空網が発展しているらしいな。カントー、いや、この国全体でああいうものを整備しなければならん」
「クチバが許さないでしょう」
ムツキが目を伏せた。
戦争に負けたのだった。サカキの生まれるずっと前で、オーキドやキクコでも、まだ幼いと言われるぐらいの頃だ。
進駐軍が、クチバに入った。国内最大の港であるクチバは言ってしまえば口のようなもので、食事をするにも息を吸うにも進駐軍の顔色を伺わなければならないということだ。生殺与奪を握られているという意識は国民の多くに恐怖と反感を植え付けた。激しい抵抗運動が起こり、武力決起も視野にいれた活動すら進んでいた気配だった。
進駐軍も硬軟織り混ぜた対応を取り、懐柔を図った。最終的に繋がりを同盟に変え、いくつかの強硬な権利を手放すことで進駐軍は同盟軍となり、カントーに溶け込んでいくこととなる。それでもその影響力は大きく、国内の自由な航空網というものも、ムツキの言うとおり同盟軍からの承認が出ないことで難航していた。今、『そらをとぶ』の権利を持つ権利者と技マシンは全て協会に把握され、そのデータは同盟軍にも流れているようだ。無許可での『そらをとぶ』使用やその技マシン保持は固く禁じられていて、違反者の捕縛の権利は警察だけでなく同盟軍も持っている。外国の軍隊がカントーの人間を問答無用に拘束する権利を持っているというのも、馬鹿げた話だった。そんな有り様であるから、最盛期ほどの勢いはなくとも、いや、勢いのない分、反同盟軍の活動は地下で活発に動いているようだ。
サカキの父も、活動家の一人だった。サカキが地面タイプを使い始めたのは父の影響だが、父が地面タイプを使い始めたのは、当時クチバの進駐軍の中核となっていたのが電気タイプのトレーナーだったことに依るものが大きいようだった。電力を用いて最新鋭機器や航空機などを動かし、ポケモンと連携するのが進駐軍のスタイルだったのである。マチスなどは、その進駐軍の気っ風が産み出したトレーナーと言えた。
「クチバか。忌々しいものだ」
「サカキ様、そのようなことは」
「わかっている。あまり、口にはすまい。私は活動家ではないのだからな」
父は、活動家として大きな仕事をした。クチバ近郊にあった小さな洞窟を拡げ、それからディグダが住みやすいような環境に整備していった。かなりの時間をかけてだ。同盟軍が気付いた時には、二番道路まで開通したこの洞窟はディグダの穴として一般に認知され、民間事業者なども活用する場となっていた。例えその成り立ちが同盟軍中核部隊との戦闘を見据えた、アンチ電気タイプとしての拠点作りであろうと、簡単に取り潰すことはできなくなったのだ。
そして、父は死んだ。オツキミ山へ登山中に滑落したとのことで、遺体さえも帰ってこなかった。捜索隊にはなぜか、ニビの救助隊だけではなく同盟軍の部隊も派遣されていた。まだ幼かったサカキの手にチョコレートを一つ置いていった軍人の表情を、サカキは忘れたことがない。
「とにかく、ピジョットは用意します。一度タマムシ大学の携帯獣学の学部棟へ顔を出してください。手の者がおります。トキワの出身です」
「わかった。地元の若者に目を掛けていて、度々タマムシに足を運ぶ。そのついでにゲームセンターにでも寄ってくる。これでいいな?」
「しばらくは。新しい理由も、準備しておきます」
「愛人がいる、というのが楽な気もするがな」
「それなりに容姿が整っていなければ説得力がありません。そして、秘密を守れることも」
「君はどうだ、ムツキ君?」
サカキがからかうと、ムツキは顔を伏せた。僅かに見える頬は染まっている。
「サカキ様に愛人となりますと、その、マスコミの目を引きますので」
「そうだな。それに君には補佐をして貰わなければならない」
冷めたコーヒーを呷り、サカキは立ち上がった。
「どちらへ?」
「トレーニングだ。午後から挑戦者が来るのだろう?」
「はあ。サカキ様のお手を煩わせることはない、と思いますが」
「私はトレーナーなのだよ。来る、来ない、強い、弱い。そんなことは関係なく、勝負の前には昂ってしまう。トレーナーとはそういうものだ」
「今後は、影武者などを用意してジムを任せることもあるかと思います」
「その時はその時で構わん。今私の頭にあるのは、目の前のことだけでね」
偽りではなかった。挑戦者の手持ちを、それに対する選択を、読みを外した際の対応を、サカキは頭に思い浮かべては消した。思考は固めず、かといって無策にはならない。ボールが震え、ニドキングの昂りが手のひらに伝わった。
ジムリーダーという役職も、ロケット団総帥という立場も、今だけは忘れていられた。
◇
フミツキは、一つ息を吐いた。ゲームコーナー地下。アジトのトレーニング場である。
普段は、喫茶店でバイトをしている。
学生ということにしてあった。実際、籍は残してある。タマムシ大学とは比べるのも烏滸がましいような専門学校だが、就職には太いパイプがある。ありがちな進路といっていいだろう。
秀才と言われてきた。ニビシティ東部の村の一つに生まれて、十歳頃までは敗北を知らずに過ごした。ニビに出ると流石に負けたが、埋められないほどの差ではなかった。
はっきりと壁を感じたのはタケシだ。試合自体は勝ったが、それはジムチャレンジャーとジムリーダーだったからである。
自分が長じても、彼に勝つような才能はない。そう悟った。あるいは、そう悟ってしまうことこそが、才能の無さだったのかもしれない。
バトルを専門とする学校は見ずに、就職率だけを考えてタマムシに出てきた。ロケット団と出会ったのはその頃だ。
汗を拭う。
「よろしく」
対面に立った団員がズバットを繰り出してきた。フミツキの相棒はサンドパンである。相性は微妙だが、ポケモン自体の強さはこちらが上だ。
飛行タイプを仕留めるには、焦らないことだった。機動戦には応じず、近寄って来るのを待つ。特に、視覚に難を抱えるズバットは、動かない相手との戦闘が苦痛な筈だった。
「『ちょうおんぱ』」
「『まるくなる』」
温い応酬だった。自分がズバット側なら、リスクを冒してでも攻め込んだだろう。持久力に欠けるズバットが『ちょうおんぱ』などを飛ばしているのは、いかにも悠長だった。その悠長さに付き合わざるを得ないのが、今の自分の力量であり才能だ。
『まるくなる』を幾度か繰り返してからは、特に指示も出さなかった。相手の焦りがはっきりと伝わってくる。ズバットの高度が下がってきていた。今攻めかければ、押しきることもできるかもしれない。それでも、フミツキは待った。
周囲が騒がしかった。フミツキの試合運びは、同僚からも冷ややかな目で見られていた。陰口を叩かれたことも一度や二度ではない。臆病者、凡人。その通りだ、という思いしかなかった。模擬戦の勝率は良い。それがまた、陰口を加速させているようだ。
「『つばさでうつ』」
「サンドパン、伏せて」
ズバットの翼が空を切った。低い位置への降下は、ズバットには恐怖でしかないだろう。目が見えない上に足も発達していないのだ。よほどトレーナーとの信頼関係が出来上がっていない限り、地に伏せたサンドパンを打つことはできない。
相手が声を荒げて、再び『つばさでうつ』を指示した。先ほどよりは高度が下がったが、やはりサンドパンに当たるほどではない。
「『つばさでうつ』。もっと低くだ」
怒鳴りながら、相手が細かい指示を出し始めた。ズバットが少しでも浮かび上がる度に、怒声が飛ぶ。フミツキは意識を集中させた。ズバット。向かってくる。唾を飲み込んだ。待つ。相手の怒声が、なんとかズバットの高度を抑えている。サンドパンは伏せたままだ。もうしばらくだけ、耐えて。心の中で呟いた。
交錯する。不意に周囲が湧き、怒声も途切れた。ズバットの挙動が不安定になる。全て、フミツキの意識の外だった。一瞬の機。
「『きりさく』」
サンドパンが跳ね上がった。交錯したズバットが地に落ち、瀕死状態の特徴である躰の縮小を始めた。そこまで見届けて、周囲が静まり返っていることに気付いた。
「何をやっている。ボスの前だぞ」
「ボス?」
トレーニング場の入口に、一人の男が立っていた。黒のハットにロングコート、それから仮面。襟元には、品の良い白のシャツが見えている。フミツキも、遠目に幾度か見たことのある、ロケット団総帥の姿だった。
対戦していた相手は、直立でボスに躰を向けていた。最後にズバットへの怒声が途切れたのは、ボスへ挨拶することを優先したかららしい。遅れて、フミツキも頭を下げた。
「なぜ、試合を止めなかった?」
低い声だった。
「君の相手はすぐに私に気付き、指示を中断した。君はなにも気付かずにズバットを切り裂いたな。トレーナーからの指示の途切れたズバットをだ」
「あの、すみません。試合の方に集中していて」
「集中?なぜだね」
「えっと、サンドパン対ズバットは飛行と地面ですから、その、近付くことが難しくて、機会は僅かしかないと」
「なるほど。しかし私の見るところ、君のサンドパンにはまだ余力がある。次を待っても良かったのではないか?」
「必要ならば、待ちます。ただ、無駄に待つことはしません」
口にしてから、何か失礼な物言いのような気がしたが、どうしようもなかった。
「ふむ」
ボスが近付いてくる。大きな男だ、と思った。体格ではなく、存在感のようなものの話だ。圧倒されている自分を、フミツキは自覚した。厳重に顔を隠しているのも納得できた。一度見たら忘れられないタイプの人間だ。
「君は、正しい」
「え?」
「戦いの中で集中を切ることは死を意味する。自分が死ぬのならばそれも良いだろう。しかし、戦っているのはポケモンだ。傷を負うのもな」
ボスがズバットを見て、それから対戦相手に顔を向けた。呆けたような表情をしていた相手が、大慌てでズバットをボールに戻した。
「良いサンドパンだ」
「え?」
「ズバットが頭上を飛び回っても、決して頭を上げなかった。君の指示で初めて、勇ましく飛び上がった」
「昔から、よく私の言うことを聞いてくれます」
「信頼しているからだ。そして君も信頼に応えた。決して、勝負から目を離すことはしなかった」
「気付かなかっただけです」
「名は?」
「フミツキと言います」
「視野は、広く持ちなさい。そして、最後の最後まで勝負を見続けなさい。例え私が入ってきたとしてもだ。私が、それを許す」
「はい」
「励みなさい、フミツキ君」
軽く肩を叩かれた。なにか、どうしようもないほど熱い物が触れたような気分に、フミツキはなった。
タケシと戦ってから、ずっと冷めていた。ロケット団というヤクザ紛いの団体に飛び込んだのも、順風な進路を進んでいる自分がある日突然つまらないものに思えたからだ。しかし飛び込んだ先で出会ったのは、冷めた自分にすら勝てず、陰口を叩くような連中だった。
胸の中が熱かった。経験はないが、あるいは恋というものはこんな感じなのかもしれない。
最後の最後まで勝負を見続けなさい。呟いてみた。なにか、締め付けられるような気分に襲われて、訳もわからずフミツキはサンドパンを抱き締めた。