罅割れた夢   作:島ハブ

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第10話

 

 

 

 

 

 

 ムツキが、部屋を右往左往していた。

 サカキは報告書を眺めた。ハナダの洞窟の計測結果である。全ての数値が、安定的な上昇を見せていた。昔、サカキと交戦した後に一旦は力を落としたようだが、下手をしたらジムリーダーですら対抗できない存在まで、今のミュウツーは進化している。これがチャンピオンの力を超えた時、ミュウツーという存在は人類の軛から抜けることになる。

 間違いなく脅威だったが、ムツキが狼狽しているのは全く別の理由からだった。

 

「コーヒーをくれないか」

 

 弾かれたように、ムツキが顔を挙げた。それから真っ直ぐに給湯室へと向かう。その動きには、狼狽などなかった。仕事さえあれば落ち着けるのだ。

 逮捕者を出したことが、ない訳ではなかった。暗闘だったとはいえ、山吹組との抗争は組対にもしっかりと見張られていたのだ。ただ、捕まったのは下級の団員で、さしたる尋問もなく懲役に送られた。あの時、組対が考えていたのは山吹組の力を削ぐことだけだったのだろう。ロケット団は、有象無象の組織の一つとしか認識されていなかった筈だ。

 クリードという団員の階級は、決して高くない。しかし、本部と言っていいタマムシのアジトに所属していた。捕まえたのは老いぼれ犬である。一人の団員が懲役に行って終わり、などと楽観する訳にはいかなかった。

 ムツキが、サカキの前にコーヒーを置いた。途端に、表情から落ち着きがなくなった。

 

「どうなるでしょう?」

 

 サカキは苦笑した。あまりにも漠然とした問いで、普段は冷徹な秘書然としたムツキが、幼子のように見えた。

 

「フミツキ君はどうしている?」

 

「ハナダの隠れ家で養生しているようです。負傷などはありませんが、酷く憔悴しているようで。タマムシへと帰させますか?」

 

「憔悴か」

 

「やはり、荷が重かったのでしょうか?」

 

 報告書は上がってきていた。戦闘要員として連れていった一人と、発掘要員の研究員からそれぞれ届いている。

 ほとんど成功しかけていた、と言っていいだろう。人員の配置や時間のコントロール、安全マージンの取り方も悪くはない。

 研究員の一人が、暴走した。それが、まず一つだ。それを見捨てる判断をせず、追いかけた。これがもう一つ。

 研究員がニビの自警団に捕まる程度なら、どうでもよかった。組織にとって損失ではあるが、痛手ではない。自警団の認識なら、精々窃盗集団の一人として処理されるだけだったろう。あるいは、火事場泥棒を企んだ名もなき理科系の男として扱われたかもしれない。

 しかし、そこにいたのは老いぼれ犬だった。これも一つだ。

 フミツキの作戦を破綻させた大きな要因はこの三つだろう。ただ、そこに駄目押しをした存在がいる。サカキが一番興味を惹かれたのは、そこだった。

 

「この、レッドという少年について調べはついたのかな?」

 

 ムツキが、自分の机から封筒を一つ手に取った。ただ、厚みはない。

 

「駆け出しのトレーナーで、数日前にタケシを破っています。特に、終盤タケシがかなり厳しめの攻勢を見せたようですが、なんなく捌いて勝利したようで、観戦した者の間ではちょっとした評判になっているようです」

 

 ジムリーダーとしてのタケシの試合は、とにかく受けだった。それは挑戦者の手並みをしっかりと見定めるためで、『がまん』などといった一風変わった技を選ぶのも、状況を把握して攻めを中断できるか確かめるためだ。

 つまりは一つ目のジムリーダー、教育者としての試合運びである。苛烈な攻勢に出るのは、タケシ本来の戦闘スタイルだった。

 当然、レベルを抑えたポケモンを使用してはいるだろう。それでも、まだバッジも持っていないようなトレーナーに捌けるものではない。

 

「それ以前は?」

 

「それが、その、マサラタウンの出身のようで」

 

 ムツキが、躰を縮こませながら言った。

 

「まあ、そんな気はしていた。気に病むことはない」

 

 マサラタウンは、ナナシマやグレンを除いたカントー本土では唯一の、ロケット団が全く手出しできていない町だった。

 オーキド一族の町なのだ。町長こそ違うものの、警察所長と郵便局長をそれぞれオーキド家の長男と三男が務めている。その背後にいるのが、次男であるオーキド・ユキナリだった。役場でポストを占めているのも一族の者で、町長などはただのお飾りでしかない。

 実質的には一族による独裁と言ってよかったが、有能かつ善良な者が治めている限り、独裁に欠点はない。何度か諜報員を潜入させてみたが、全く身動きが取れないまま、やがて怪しまれ帰還させるだけだった。

 

「ただ、ポケモンの捕獲に勤しんでいる姿が随分と目撃されています。恐らくは、オーキド博士の例の研究かと。それらしい機械を持ち歩いているという報告もあります」

 

「ポケモン図鑑だったか。ということは、やはり博士の秘蔵っ子という訳だ」

 

 サカキは報告書に目を落とした。戦闘員から上がってきた方の報告書だ。

 報告者の所感として、何が起きたのかわからない、という言葉が添えられていた。フミツキがほとんどマトモな抵抗もしないまま、負けていったと見えたらしい。裏切りとは思えず、という文言は部下からの信頼と取るべきだろう。

 どういう動きで戦闘が展開されていったのかが、淡々と記してあった。ムツキなどは首を傾げていたが、サカキにはどういった駆け引きがあったのか手に取るようにわかった。

 全てを、叩き潰されていた。それも、行動をではない。一手を思考に浮かべた瞬間に、更に先回りした一手をレッドという少年が打っている。

 魚の泳ぐ先々にガラス板を打ち込んで、いつの間にか水槽のように覆ってしまう。そういう試合運びだ。魚は動くことを恐怖し、やがて藻掻くことすらできなくなる。呼吸をすることすら躊躇する心境に陥る。

 過呼吸を引き起こしたフミツキに代わって、クリードが飛び込んだ。現場の混乱からか内容は途切れ途切れだが、フミツキのサンドパンを回収して撤退させるぐらいの奮闘をクリードは見せたようだ。あるいは、あくまで民間人であるレッドが無理押しをしなかったのか。

 とにかく、クリードが捕縛されフミツキ達はニビまで撤退した。ロケット団はミュウツーについて確度のあるデータを得た。結果を見れば、そういうことだろう。

 コーヒーを口に運んだ。カフェインの摂取を目的とした、作業的な飲み方だった。コーヒーに拘りはない。ただ、気紛れで薫りを嗅いだりしても、ムツキの手抜きを感じたことは一度もなかった。

 

「余裕が出来たら、フミツキ君をトキワに呼んでくれ。無理はさせるな、使い物にならなくなる。それから、ジムの備品を頼む」

 

 ジムリーダーとしての貌で、サカキは言った。この辺りの切り替えはムツキも心得たもので、帳簿の用紙を用箋挟に挟むと、サカキに一礼して部屋を出ていった。どこから見てもジムリーダー付きの秘書、あるいは事務員といった姿だ。

 しばらく、椅子に背を凭せた。大仰なソファーなどを拵えるジムリーダーもいるが、サカキが使っているのは何の変哲もないオフィスチェアだった。質素で、頑丈である。

 タマムシのアジトに行けば、四、五人が優に座れるようなソファーが準備されている筈だった。サカキにとっては、飾りのようなものだ。

 ニドキングをボールから出し、それからグラスクロスを手に取った。ライトはデスク用のものがある。

 ニドキングが手持ち無沙汰に床に寝転んだ。天井は高く造ってあるが、それでも多少窮屈だろう。普通のニドキングと比べて、かなりの巨体だった。角まで合わせると三メートル近くなるのだ。

 自分が入ったままボールを磨かれることを、ニドキングは嫌がる。旅をしていた頃はそうではなかった。サカキが磨くボールの中で眠っていたこともあったのだ。そうせざるをえないような状況が、旅の途上ではいくつもあった。

 ジムリーダーになってしばらくしてから、ボールを磨く時は必ずニドキングを出すようになった。本来ポケモンを出せないような場でも、サカキが頼めば許可は降りた。

 

「脂肪が付いたのかもしれんな、俺やお前にも」

 

 ニドキングがちらりとサカキを見て、それから小さく唸り声をあげた。威嚇のようにも見えるが、本当は呆れているのだ。サカキは苦笑した。

 付き合いは長かった。二十二番道路で、生まれて初めて捕まえたポケモンがニドラン♂だ。父の葬儀の三日後だった。どういう経緯で草むらに飛び込んだのかは、もう覚えていない。手持ちのポケモンも居らず、偶然手に入れたモンスターボールを一つだけ持っていた。捕獲に失敗したら、毒針で死んでいてもおかしくはなかった。

 ニドキングにだけは、不思議と弱音のようなことも言えた。他人や、他の手持ちポケモンの前では、一度もそういう姿を見せたことはない。殿堂入りしてからも、ニドキングだけは常に連れ歩いている。

 心の底からの弱気は、もう何年も感じていない。それでも時折こうやって、弱音のようなものを吐いてみたりする。いつも、呆れられるだけだった。

 ボールに、光沢が出てきていた。四方から光を当て、僅かに光線の強い部分をグラスクロスで擦った。もう一度光を当てる。反射とも拡散ともつかない鈍い光を、ボールは湛え始めている。

 気配。事務室に向かってくるのはムツキだろう。しかし、もっと複雑な、あるいはもっと深い気配が、玄関の辺りにあった。

 

「サカキ様、お客様です。その、タマムシのタカギ警部だと」

 

 頷いて、ニドキングをボールに戻した。厶ツキの額に、汗が一筋流れている。

 

「私、席を外します」

 

「取り調べではない。秘書が席を外す理由もないだろう」

 

「ですが」

 

「お呼びしなさい」

 

「はい」

 

 入ってきたのは、若い男と初老の男だった。若い方には見覚えがあった。トキワ署の刑事で、年二、三回ほどある講習会で顔を合わせている。

 タカギは、老いぼれなどと言われる程の歳には見えなかった。ただ、髪はほとんど白くなっている。そして、眼には不思議な光があった。頻りに、コートの中で何かを擦っている。それがなぜか、神経質には見えなかった。

 

「いや、サカキさん、いきなり申し訳ないですね。こちら、タマムシ警察のタカギ警部。今、ロケット団について追っているとかでね」

 

 ムツキは、無心に書類に向かっているようだった。前日の在庫表と先ほど確認した在庫を見比べている。そして、所々でペンを走らせていた。

 若い刑事が、話を始めた。タカギはその後ろでなにか身じろぎをしている。

 

「実は、オツキミ山で色々ありましてね。まあ、新聞でも大きく取り扱われたからサカキさんも知っていると思いますが」

 

「化石でしたか。学術的価値を軽視し、好事家への売り物とする。嘆かわしいことだと思っていましたよ」

 

「ま、所詮こそ泥連中で。こちらのタカギ警部が姿を見せると尻尾を巻いて逃げたようだが。実は、タカギ警部はちょっとした有名人でね。凄腕なんですよ」

 

「心強いことです。それで、私には何を?」

 

「ああ、そうだった。その化石が見つかった場所がですね、なんだ、地層というのかな?とにかく、そこについてサカキさんがなにやら詳しいとかでね」

 

 若い刑事は、誰かに指図されていることを露骨に態度で表していた。演技ではないだろう。そこまで器用な男ではなかった筈だ。

 あの地層についてサカキが触れているのは、ニビ博物館の展示に寄せたコメントだけだ。そこに目を留めてトキワまで来たのならば、老いぼれ犬の洞察は噂程度のものではない。

 

「実に、興味深い地層でしたよ。露頭を見ても、オツキミ山の他の場所とは明らかに違う。時間間隙と言われたりもするが、ポケモンに依るものは特に携帯獣性の不整合と呼ばれましてね。地質学だけでは読み解き難いのですよ。そういった地形はいくつかあるが、オツキミ山は隕石の影響を多分に受けたとも言われますから」

 

「ああいえ、講釈は勘弁してください。自分は、学もありませんから」

 

「私も、まともに学んだ訳ではない。ただ、地面とはなにか、と時折思いますよ」

 

「いや、弱ったな」

 

 若い刑事がちらりとタカギを見た。手を背広のポケットに突っ込んだまま、タカギは何をするでもなく立っていた。

 若い刑事が二、三質問をして、サカキはそれに対して完璧以上の解答を返した。意地の悪いやり方で、若い刑事も途中で自分がからかわれていることに気付いたようだ。

 

「トキワジムのトレーナーは皆優秀でしてね。あまり、こういった講義をする機会もない」

 

「本当に、勘弁してくださいよサカキさん。自分も一応は刑事ですから、情けない姿ばかり晒せないですよ」

 

「知らないものは知らないでいいんですよ。特に専門知識はね。人生で一度、役に立てば御の字でしょう」

 

「随分、綺麗にモンスターボールを磨くんですね、サカキさん」

 

 タカギが割って入った。タイミングよりも、その内容にサカキは不意を突かれた。

 

「若い頃から、磨く習慣が付いてましてね」

 

「ボールに思い入れでも?」

 

「いや。ない、と思いますよ。勿論、中に入っているポケモンとの思い出は語りきれないが」

 

「尋常な磨き方ではないという気がするな。その光沢を見てると、私は一瞬、気圧されたような気になるんですよ」

 

「これは、お目障りでしたかな」

 

「理由を知りたいと、ふと思ってね」

 

「理由か。どうだったかな。そんな話を聞いて、どうされるんです?」

 

「つまらないことが、時々気になる。無性にね」

 

 そう言った割に、タカギの顔には興味の色もなかった。

 

「煙草、構わないかね?」

 

 サカキは、なんとなく頷いた。タカギがライターを擦る。火は、中々点かなかった。幾度か繰り返され、やっと火が灯る。その間、誰も口を開かなかった。

 

「随分、骨董品のようですな」

 

「古い、ということだけが取り柄になりつつある。若い者が安売りのライターを使っていたりすると、時々腹立たしくなりますよ」

 

「ライターにですか?それとも、ご自分に?」

 

「どうかな。サカキさんのボールと、似たようなものじゃないかと思いますがね」

 

「腹立たしいと思ったことはありませんよ」

 

「そうですか。考えてみれば、私もないかも知れない」

 

 タカギがちょっと笑って、煙草を吸った。

 唄。タカギが、鼻唄をやっていた。どこか、物悲しい曲だ。暖かい陽光の中で別れを告げるような、物悲しさだった。

 ムツキが顔をあげていた。タカギは、自分が鼻唄をやっていることに気付くと、忌々しげに口を閉じた。ムツキが慌てて顔を伏せた。

 

「化石とは思えないんだな」

 

 どうでもいいことでも呟くように、タカギが口にした。

 

「化石を好事家に売り付けるようなつまらないことで動くとは、どうにもね」

 

 それだけ言って、タカギは立ち上がり部屋を出ていった。

 ムツキが顔をあげた。書類は全く進んでいないようだ。

 サカキは灰皿を見た。ゴロワーズ。いがらっぽい煙を出す煙草だった。窓を開けた。既に、タカギ達の背中は遠ざかっていた。

 

「タマムシのアジトは、必要最低限の人員にしろ」

 

 ムツキが目を見開いた。

 

「それは、人員は移動できますが、設備や開発品は」

 

「仕方あるまい。機密は隔離のうえ、常時痕跡を残さず移動できるように。最重要機密さえ保持できれば削除でも構わん」

 

「資金ルートも、削除対象に含まれますが」

 

「構わん。残ったものも即時退却できるようにしておきなさい。クリードが知っている逃走口は?」

 

「二番と五番です」

 

「二番と五番出口は破棄。その二つしか知らされていない団員には三番と六番を案内しなさい」

 

「クリードは喋りますか?」

 

「易々とは喋るまい。しかし、老いぼれ犬の前では無理な話だな。想像以上に鋭く、そして人の心を突く」

 

 ボールを磨くことについて問い質された時、自分でも意外なほどの不快感がサカキを襲った。自分の中の何かにタカギは触れ、そして足跡を残すような形で去っていった。

 キクコの試合運びと、どこか似ていた。ああいう手合には、安易に動かない方がいい。しかし、既に団員が一人、あちらの手に陥ちているのだ。

 

「ヤマブキ周囲の通行所に手は回してあるな?」

 

「はい」

 

「差配しているのは?」

 

 ムツキが挙げた名は、サカキも知っていた。幹部の一人で、バトルの腕前は良い。しかし、部下に配慮できないところがあった。休息を取らせずに任務に就かせて、失敗を引き起こしたこともある。

 

「他にいないか?できれば、人望の厚い人物で」

 

「タマムシ所属だと本部長ぐらいしか。クリードも慕われていたと聞きますが」

 

 どちらも、動かしようがなかった。本部長、タマムシでは支配人と呼ばれている男は、それこそタマムシ近辺の要である。クリードは牢屋の中だ。

 フミツキならば、とも思う。しかし、今は心失すに近い状態にある。

 

「そのまま、進めるしかないか」

 

 一度、目を閉じた。

 サカキの計画が全て完了すれば、ロケット団はおいそれと手出しできるような組織ではなくなる。活動家に限らず、反同盟軍的な思想の人物はいくらでもいる。それこそ、政治家にもだ。それに、ゲームコーナーの利権に溺れている者も少なくない。

 時間の勝負かも知れなかった。ただ、まだ仕掛ける訳にはいかない。

 

「シルフカンパニーの開発中のボールは、まだ完成しないだろうな」

 

「恐らく、ですが。社内のネットワークからも独立しているとのことで、詳細は。ただ、特殊研究室の動きはここ最近特に活発なようです」

 

 特殊研究室は、特殊とは名ばかりの何でも屋だと思われていた。そこで極秘の、そして全てのボールを過去にするような物が開発されているとわかったのが数年前だ。

 

「スケジュールに、まとまった時間を取ってくれないか。三日ほどだ」

 

「三日となりますと、多少無理な調整でも二週間は先になりますが」

 

「構わんよ」

 

「わかりました。いくつか、キャンセルを出します」

 

 フミツキはいくつかのバインダーを手に取ると、外に駆け出して行った。

 サカキはしばらく天井を見上げていた。それから、グラスクロスをボールに当てた。ニドキングは、嫌がる素振りを見せなかった。

 

 

 

 

 


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