罅割れた夢   作:島ハブ

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第12話

 

 

 

 

 

 

 旅というほどのものではなかった。素性を隠したままの『そらをとぶ』は発覚した場合が面倒なのだ。だから、自分の足で歩くことにした。

 トキワからタマムシまでは『そらをとぶ』で来た。ポケモンバトルを中心に取り扱っている月刊誌からの依頼で、地面タイプについて一つ書かなければならなくなったのだ。今サカキは、ホテルに缶詰めで原稿を書いている、ということになっている。

 参考にと見た先月の特集は水タイプで、カスミの文章が載せられていた。水タイプの強みがこれでもかと書かれていて、炎、岩、地面タイプには負ける要素がないとまで豪語してある。その次にサカキを持ってきた編集部の意図は透けていた。大会やエキシビションで、カスミに負けたことはない。理論などなくとも、サカキが反論するだけでカスミはやり込められることになるだろう。

 サカキが書いたのは、カスミの言をほぼほぼ肯定する内容だった。草や氷、飛行タイプとの対面についても書き綴った。地面タイプの弱味について一通り書き出したといっていい。

 強味など勝手に活きてくるものだ。対戦の最前線ならばともかく、一般トレーナー達が理解すべきはポケモンの弱味だとサカキは考えていた。弱味を知らなければ、いつか必ず不幸になる日がくる。ポケモンも、トレーナーもだ。

 出版社に持ち込めば渋い顔をされるだろう。どう言われようと、書き直す気はない。

 空が暮れなずんでいる。サカキは、変装用のロングコートの前を掻き合わせた。こういう日は、不意に夜がやってくるものだ。

 既に地下通路は抜けて、八番道路に入っている。夜通し歩けば、朝方にはシオンタウンに着くだろう。それはわかっていたが、サカキは夜露を避けられる場所を探し始めていた。

 鞄二つにもなろうかという大荷物を準備しようとしたムツキを尻目に、サカキが持ち出したのは最低限の医薬品と火を起こすためのライター、保存食、飲み水だけだ。テントだの寝具だのを持った旅など、旅ではない。安物のレインポンチョにくるまって、いざとなればポケモン達と身を寄せあって夜を越える。それがポケモントレーナーの旅であり、サカキもずっとそうやってきた。

 ベルトに固定した二つのモンスターボールのうち、手前のものを掴むと、縮小を解いた。第一関節程度の大きさだったモンスターボールが掌大に膨らむのを確認してから放り投げる。

 

「風を凌げる所はあるか?」

 

 飛び出したペルシアンに、サカキは問いかけた。ペルシアンが目を閉じる。敏感な髭は僅かな空気の動きまで感じとることができるのだ。目を開き、一つ頷いて歩き始めたペルシアンの後ろをサカキはゆっくり追いかけた。気ままな性格で、急かされることも歩みを遅くさせることも嫌う。生半可なトレーナーでは振り回されるだけになるが、それが却って富裕層や一部トレーナーに人気になったのがペルシアンというポケモンだった。

 サカキのニドキングは、いくらなんでも目立ちすぎた。身から離すつもりはないが、ロケット団の総帥として大っぴらに使用することは憚られる。そういう時に用いるのがペルシアンだった。額の宝石を理由に乱獲された過去があり、現在でも闇市に多くの個体が出回っている。足が付きそうになれば、形だけ闇市を経由することで追跡を躱すこともできる。

 見えてきたのは、丘の麓にある大人ほどの高さの土肌だった。同じようなものが土肌を登った先にもあり、何段か続いたさらに向こうには地下通路の入り口が小さく見えていた。サカキが降ってきた道も元々は険しい段差が続いていたのだろう。半分ほどが道として整備され、残ったもう半分がここという訳だ。人目はそうないだろう。

 サカキは干し肉を一つ千切ってペルシアンに与えると、周囲の枝を集めた。懐に抱えようとしたサカキから、ニドキングが枝を奪う。サカキは苦笑いした。今着ているのは安物のレインポンチョなどではなく、機能美に富んだロングコートだった。

 集め終わる頃には既に日も沈んでいた。雨を凌げそうな場所を選び火を起こす。ひっそり漂い始めた宵の冷気が、それで霧散していく。

 小さい鍋を一つだけ持ってきてあった。湯を沸かし、三等分にした干し肉を柔らかくなるまで茹でると、逆さにした鍋の蓋に取り出して胡椒を一振りした。それを、無造作に口に運ぶ。火はしっかり通っているが、簡単には噛み切れなかった。噛み続ける。最初は強い塩味が段々と軽くなり、肉の旨味がでてくる。ニドキングも同じようにしていた。ペルシアンだけが、僅かに戸惑ったように干し肉とニドキングとサカキを見回していたが、意を決したように干し肉を咥えた。野宿などさせたこともないポケモンなのだ。はっきりと顔をしかめている。

 肉を胃に納めると、サカキは鍋の湯を飲んだ。塩と旨味が溶け出していて、なにより躰が暖まる。ニドキングが続くと、ペルシアンも恐る恐る口を付けた。肉とは違い、こちらは気に召したようだ。

 やがて、火が燠になると、ペルシアンはその横で丸くなった。寝息が小さく聞こえる。土の上では眠れないなどという柔な鍛え方は、流石にしていない。

 

「懐かしい、などと思うのはポケモントレーナー失格だろうな」

 

 夜空を見上げていると、自然に言葉が出た。星空など、飽きるほど見た筈だった。しかし今、散らばった星々はどこか新鮮さを伴って映る。

 ニドキングは横になりながら、時折耳を動かしていた。ニドラン♂の頃からの癖だ。旅を始めた頃、まだ一人と一匹だけだった夜には、ひっきりなしに耳を動かして周囲を警戒していたものだ。

 眠気はやってこなかった。これといった疲労も感じてはいない。まだ若い、ということか。

 

「同盟軍と戦闘になるのも、そう遠くはないだろう。俺もお前も、まだ若いままだろうな」

 

 資金ルートに誰かが触れた気配があった。十中八九、老いぼれ犬だろう。

 ルートは、同盟軍内部の参謀部を通っていた。はっきりと誰を通しているのかはサカキも知らない。それを知っているのはタマムシの支配人だけだ。同盟軍のどこを通そうが、この国の役人には手が出せない筈だった。ただ、内部調査で浮かぶ危険性はある。

 しかし、大々的に行うことはできないだろう。同盟軍は、あれこれと理由を付けてクチバ港を締める動きを見せた。内部調査の動きが取れていない証拠だった。内側ではなく入り口を絶とうという動きだったが、締め付けの後も資金ルートは事も無げに稼働していた。

 そろそろ、外に出てくる筈だ。本来殺人を担当する一課の老いぼれ犬がロケット団を嗅ぎ回るのも、同盟軍の影がちらついていた。資金洗浄に使われたなど、あってはならない不祥事だろう。その事実を消すためならば、強引な手段も厭いはすまい。

 戦うための算段はついている。しかし、必要な要素がいくつかあった。今、サカキがシオンタウンに向かっているのも、そのうちの一つを固めるためだ。

 諸々の事情を、ニドキングに喋ったことはない。聞きたいとも、思ってはいないだろう。

 高みを目指す。サカキの立場がどのように移り変わっても、ニドキングとの間にあるのはただそれだけだった。それ故に威厳も尊敬もいらず、弱音を話すことも厭わなかった。

 

「俺は、まだ強くなっている気がする。お前もそうだろう。しかし、いつかは老いるだろうな」

 

 弱音を吐いているのだろうか。自分でもよくわからなかった。老いるというのがそれほどの弱味だとは思わない。キクコなどは今でも最前線で力を振るっているのだ。

 ふと、一つだけ思い当たった。ニドキングに見せたくない姿。いや、見たくない姿か。高みを目指せなくなった姿。

 ニドキングの耳に触れた。背中を中心に刺々しい印象の強いニドキングだが、耳の先は意外なほど柔らかい。

 

「もしお前が死ぬ時は、俺の前から消えてくれるか?」

 

 ニドキングが体勢をそのままに見上げてきた。不満げな色がある。

 

「わかっているさ。俺が先に死ぬ時は、お前の前から姿を消そう」

 

 鼻息を一つ吐き出して、ニドキングが目を閉じた。ペルシアンはすっかり寝入っているようだ。サカキは燠の様子をちょっと確かめてから、コートを襟元まで掻き合わせて一本の木に背を凭せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静かな町だった。町全体がどこか澄明で、煌めく朝の日射しにも騒々しさがない。音もなく息を吐けそうな町だ。

 ポケモンセンターにも寄らず、ハットを目深に被って町の中心地へ向かった。建物は全て背が低い。最初に霊園があり、その後に町ができたのだ。遥か昔はヤマブキの一部だったようだが、ハナダやセキチクなどから山や海を越えて人が訪れるようになり、シオンタウンとして独立した。

 便宜上町となっただけで、村の規模を出るほどの人口はいない。それでも今では、カントーのどの町の人間でもポケモンを亡くせばまずシオンを目指すようになった。

 一軒の家で、サカキは訪いを入れた。応答はない。敷地内に気配もなかった。足を北東に向ける。十分と経たない内に、ポケモンタワーが見えてきた。

 ポケモンを亡くしたという記憶が、親族を含めてもサカキにはなかった。その分、父が幼い頃に死に、母もサカキがジムチャレンジを終えた頃には逝った。両親が持っていたポケモンは親族に引き取られ、今ではどうしているのか見当もつかない。

 菊を買ってから入った。知人のポケモンの墓に一輪ずつ添えるなら、これで不自然はないだろう。

 ゴースがうろうろとしている。それは別に、珍しいことではなかった。力量差がわかるのか、サカキに突っかかってくることもない。ただ、祈祷師がいないのは不自然だった。

 祈祷師というと仰々しいが、要は人の通るルート上から野生ポケモンを排除するのを生業としている人間だ。警備員やレンジャーなどが行うことが多いが、ゴーストタイプの特異性とシオンという町の性質からポケモンタワーでは祈祷師がその役を務めている。

 その祈祷師が見当たらず、建物内をゴースやゴーストが我が物顔で徘徊している。何か異常があったと見るべきだろう。

 階段。はっきりと、気配を感じた。

 靄。離合集散しながら、時折、手や躰のようなものを形作っては崩れていく。

 

「新種のポケモン、という訳でもなさそうだな」

 

 目ができている。というより、靄が形作った中で欠け落ちている部分が目に相当していると言うべきか。

 前に出た。靄が揺らめき、それから猛ったように押し拡がった。

 

「土の匂いがするな。カラカラ、いや、ガラガラか」

 

 靄が止まった。

 

「何に憤っているのかは知らん。それなりに、不幸な身の上だったのだろう。そのまま、死んだのか」

 

 サカキは、持っていた菊の花を供えた。どこの墓でもない、ただの道の真ん中にだ。

 

「存分に恨むがいい。ただ、全てを自分で決めろ。恨むも、消えるも、託すも全て自分で」

 

 それだけを言って、サカキは階段に足をかけた。靄はもう遮ってはこなかった。

 地面タイプを選んだのは、様々な成り行きからだった。今では、不思議と心が通う部分がある。それは理解とは違って、わからないままに共鳴できるなにかだった。

 あのガラガラに必要なのは意志だ。なんとなくそう思い、口にした。そして、もうガラガラのことは考えなかった。

 最上階に足を踏み入れた。弾かれたように、二人の男が振り返った。その間には老人が踞っている。サカキは思わず苦笑した。二人の男は、ロケット団の団服を着ていた。

 一人がマルマインを繰り出してきた。サカキへ向かって猛然と回転しながら、点滅を始める。

 『だいばくはつ』。咄嗟にしては、随分と思いきりのいい判断だ。サカキごと吹き飛ばすつもりでいる。常人に下せるものではなかった。

 

「『ねこだまし』」

 

 飛び出したと見えた時には、もうペルシアンはマルマインの目前にいた。攻撃を受けたマルマインが点滅を止めた。

 

「『きりさく』だ」

 

 ペルシアンが跳びあがる。不意に、もう一人の男がサカキへ距離を詰めてきた。

 拳。退こうとしたサカキの肌に、なにか嫌な直感が走った。その直感に逆らわず、前に出た。

 男のパンチが途中で軌道を変え、サカキの腕に絡みつこうとしてくる。掴まれる寸前をすり抜けながら、肘打ちを飛ばした。上体を仰け反らせながらも、男は蹴りを飛ばしてきた。足を折り曲げることで、太腿の外側で受けた。タックルに移行しようとした男が束の間棒立ちになる。サカキは今度こそ退いた。

 

「『スピードスター』」

 

 既にマルマインを蹴散らしたペルシアンが、サカキの指示に素早く反応した。額の宝石が一瞬光を帯びると、無数の星形を宙に噴き出した。その全てが不規則に、時には星同士で衝突して方向を変えながら拡散していく。横に飛ぼうとした男を流星が薙ぎ払った。

 

「躊躇なく『だいばくはつ』を敢行するマルマインとトレーナー。それに今の動きは、多少の差異こそあるもののクラヴ・マガか。お里が知れるな」

 

 呟きに反応したマルマインのトレーナーが、隠すこともなく殺気を見せている。見せかけだけで退くだろう。ペルシアンを呼び戻すと、サカキはポケットに手を入れ、姿勢も崩した。男達は顔をはっきりと歪めたが、冷静に撤退していった。軍人らしい動きだ。

 老人が顔をあげた。腫れぼったい目と真っ白の眉が左右に振られ、やがてサカキに焦点を合わせた。

 苦悶も恐怖も怒りも、その目にはなかった。小うるさい蝿が飛び去った時のような、ささやかな不快の余韻だけだ。

 

「助かった、と思っていいのかな」

 

「さて、どうですかね。先程の連中が去ったのは確かですが」

 

「正義の味方という訳ではないか」

 

「残念ながら、悪党ですよ。先の二人組と同じ程度にはね」

 

「腕っぷしは、比じゃなさそうだね。あの二人も随分な遣い手に見えたが、勝負になってはいなかった」

 

「ならば、私の方がタチの悪い悪党かもしれません」

 

「正直、君の方が怖いという気持ちはあるよ。私に、なんの用だね?」

 

「先の二人は何を?」

 

「お金だよ。これでも昔は、ちょっとした学者でね。その頃の資産を残していると思われたのだろう。先に言っておくが、私はほとんどの資産を寄付した。ポケモンタワーや、だいすきクラブや、なんらかの愛護団体なんかにね。今持っているのは、年寄りが細々暮らすだけのお金だ」

 

「あの二人にもそう仰ればよろしかったでしょう」

 

「信じてはくれまい。ロケット団というらしいね。金に強欲な者は、他人も強欲で秘匿的だと思い込む」

 

「ロケット団とは、そんなものですか」

 

「ポケモンを金稼ぎに使う、ろくでもない悪党集団と聞く」

 

「悪党が三組も集まった、ということですな」

 

「三組?」

 

「遺伝子から人造兵器とでも言うべきポケモンを生み出す。それは、悪党の所業でしょう、フジ老人」

 

 感情の薄い目元に、束の間鋭い眼光が走った。すぐに、加齢と諦念がそれを覆い隠した。

 

「ありそうもないことが、人生には時々おきる。大抵は過去に起因するというがね。この齢になって、過去が追いかけてくるとは思わなかった」

 

「金などではないな、やはり。あの二人も、ミュウツーのことで来たのでしょう?」

 

「ロケット団がミュウツーを求める理由など、見当もつかないよ。碌な理由ではあるまいが」

 

「ロケット団でないとすれば?」

 

「どういうことかね?」

 

「例えば、同盟軍。いえ、あえて進駐軍と呼びましょうか」

 

 フジが沈黙した。目尻から頬を通り首に至るまで、細かい皺が刻まれている。俯きがちになると、それは一層深く見えた。

 急かさなかった。フジが考え込んでいる間、サカキはペルシアンの点検をした。マルマインに直接攻撃をしたポケモンは麻痺を受けることがあるのだ。個体によっては麻痺状態にならないペルシアンもいるが、サカキのペルシアンはそうではなかった。そういったことは、世話をすると決めた時に徹底的に確かめる。

 

「ここに来るまでに、なにかを見なかったかね?怨霊のようななにかを」

 

 顔をあげたフジは、全く関係のないことを言った。ペルシアンの筋肉を触診しながら、サカキは答えた。

 

「怨霊は見ませんでしたよ」

 

「そんな筈はない」

 

「本当です。私が見たのは、一匹の憐れなガラガラだけだ」

 

「馬鹿な。ガラガラを見たのかね?」

 

「言い直しましょう。ガラガラだと、私にはわかった。ガラガラは私を通してくれましたよ」

 

 フジが、大きく長く息を吐いた。

 

「彼らがロケット団ではないという根拠は?」

 

「簡単な話です。私が、ロケット団だからですよ」

 

「なるほど。確かに簡単で、明瞭だ」

 

「あの二人は何を?」

 

「何も。ただ痛めつけてくるだけだったよ。ミュウツーのことだというのは、なんとなくわかったが」

 

 そういう拷問のやり方があると、聞いたことがある。求める物を提示すればそこには駆け引きが生まれるのだ。駆け引きならば手札の切り方がある。ただ痛めつけられると、どの手札をどう切ればいいのかすらわからなくなってしまうのだ。やがて、手当たり次第に手札を明かすようになってしまう。

 ペルシアンがくすぐったそうな声をあげた。気位の高いポケモンで、無遠慮に撫で回せば爪の餌食になる。サカキだけは受け入れるが、他人が手を出せば五秒も触らせたりはしないのだ。大抵のペルシアンがそうで、撫で回すサカキをフジは珍し気に見ていた。

 筋肉のどこにも強張っている部分はなかった。サカキは干し肉を取り出し、一切れを与えた。木の実があれば食べさせるところだが、生憎手元にはなかった。トレーナーとしての心構えが、やはりどこか弛んでいる。

 ペルシアンをモンスターボールに戻してから、資料をフジに差し出した。何枚もの書類が留められている。怪訝そうな顔で受け取ったフジの両腕が、読み進めるほどに震えを帯びた。

 

「なんだ、これは」

 

「我々がハナダの洞窟で、ある波長を観測し続けたデータです。あまりに危険なので、洞窟の外から計測したものですがね」

 

 フジの目がサカキを見上げてくる。ハットのつばで、その視線を遮った。表情を読もうとしたのか、それともサカキの正体を見定めようとしたのかがはっきりしなかったからだ。

 

「一つお訊きしましょう。それは、完全体ですか?」

 

 フジは返答を躊躇っている気配だった。それも、サカキは辛抱強く待った。

 

「違う、とは言えない。しかし、これが完成かと言われれば、私にはわからんよ。慮外の存在になっている」

 

「訊き方を変えましょうか。そのデータの生物は、電子機器への干渉能力を獲得していると思えますか?例えば、進駐軍の電子機器にね」

 

 はっきりと、フジは絶句した。父の書斎で見た資料は、あるいは研究の深部にまで迫った情報だったのかもしれない。

 次の言葉は絞り出すようだった。

 

「電子機器に干渉できたとしても、同盟軍に勝つ力はない」

 

 ロケット団という存在の目的を、フジは察したようだ。声の響きには、宥めるような音が含まれていた。そして、真実が表面に表れていた。

 ミュウツーという存在の根源を考えれば、進駐軍相手のシミュレーションは数限りなくやっただろう。現在のミュウツーのデータを見ても、すぐに結果が想像できるほどに。

 ミュウツーでは同盟軍に勝てない。その言葉を聞いて、サカキは笑った。そうだろうと思っていた。いや、そうであるべきだと思っていた。

 

「よければ、ロケット団にお越しいただけませんか。研究は好きなようにしていただいて結構」

 

「私は死んだ、と思っている。世の中に影響しようという気が、ある時すっかり消えてしまった。今はただ、肉体の死を待っているんだ」

 

「ポケモンタワーに足を運んでおられる」

 

「贖罪などという気はない。この場は、世の中ではないと思い定めたよ。あの世でも、この世でもない」

 

「残念です。もう少しお若い時にお会いしたかった」

 

「私が死んだのは、もうずっと昔だよ。死人の戯れ言としてもう一度言おう。君たちは勝てない」

 

「先程と言っていることが違いますよ。勝てないのはミュウツーでしょう」

 

「ミュウツーでなくば手段はない。万に一つも。いや、ミュウツーですら無理なのだから、つまり手段など最初からないのだ」

 

 不意に、サカキはフジが哀れに見えた。それは生きている人間の哀れとも、死んだ人間の哀れとも違う。生きたままに停止した人間に対する哀れみだった。フジは現世を断ち切ったような物言いをするが、サカキの眼には、現世へ干渉する力を失った老いぼれとしか見えなかった。

 現世に干渉できないならば、知識を持った骸も同然だった。そんな存在に訊いてみたいことが、サカキには一つだけあった。

 

「ミュウツーを使い強力な野生ポケモンを捕獲する。それこそ、ハナダの洞窟のポケモン達を。そのポケモン達を団員に配備し、ミュウツーで電子機器を抑える。それでは、戦えませんか?」

 

「ただの博打だろう」

 

「そうですかね」

 

「他人から譲り受けたポケモンは、トレーナーの指示を受け付け辛くなる。それは、錬度が上がれば上がるほど顕著になる。ハナダの洞窟に住むようなポケモンであれば、携帯獣学の観点から見てほぼ野生と変わるまい」

 

「全く、ごもっともですよ」

 

 サカキは フジに背を向けた。フジという老人は予想以上に見識が深く、そして無価値になった存在だった。その答えだけでサカキには充分だ。

 知識だけは持っている。そして、知識を持っているということを同盟軍も知っている。それは、ムツキに人を派遣させればいいだろう。ロケット団に成り済ましていた所に、同盟軍の微妙な動きや立場が読み取れる。本物のロケット団がフジの周りをうろついていれば、動きは取りづらい筈だ。

 他人から貰ったポケモンは言うことを聞かない。誰でも知っていることで、どうすれば解消できるかも誰でも知っていた。

 階段を降りた。靄のような姿も、菊の花も既になかった。菊の匂いと、僅かな土の薫りだけがサカキを迎えた。新品のロングコートなどよりは、ずっと鼻に馴染んだ薫りだった。

 

 

 

 

 

 

 







もう2週間ほどで職場が一段落しそうです。
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