罅割れた夢   作:島ハブ

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第14話

 

 

 

 

 

 一日が速かった。

 苦しみが短い訳ではない。むしろ、苦痛ほど長く感じた。一日を振り返ると、なにも成したことがない。だから、その日の終わりには速く過ぎたように感じるのだ。

 躰はとっくに癒えている。元々、洞窟内での炎と過呼吸によって酸欠を起こしただけなのだ。数ヶ所の切り傷と、倒れた時に右足首の軽い捻挫。数日大人しくしているだけで充分の負傷だった。

 窓の外を見た。数本の街路樹と隣家の屋根があり、そのずっと向こうにトキワジムの外壁が見えた。

 トキワにロケット団が潜伏していると、フミツキは知らなかった。なぜハナダの隠れ家からトキワに移されたのかも知らない。知らないままに、流されてきたのだ。

 最初に目が覚めたのはハナダの一軒家だった。ハナダ団員の隠れ家の一つである。見舞いと称して、代わる代わる団員が訪れた。クリードの顔が見えないことに気付くのに、大して時間は掛からなかった。

 自分に才能がないことなど、ずっと昔からわかっていた。

 勝ち続けるなど不可能で、悪の組織の敗北にはきついリスクが伴うことも承知していた。

 部隊を任された時は、自分の敗北に他人を巻き込んでしまうと思った。しかし、ロケット団に所属するならば誰でも覚悟するリスクでもある。他人を巻き込むことが心に重かっただけだ。

 自分が助かり、他人だけがリスクを負う。それは、全くの埓外だったと言っていい。

 共に戦った団員達はそれぞれの持ち場へと戻っていったようだ。一人だけ、フミツキに付き添うように療養していた団員がいたが、それもトキワに移る際に離れていった。

 誰もフミツキを責めなかった。直接率いた戦闘員の面々は、むしろフミツキを慰めようとしていたぐらいだ。

 仕方がなかった。やれるだけのことはやった。誰にも責任はない。

 慰めの言葉はそんなものだった。誰も悪くなくとも、結果に対して責任を負うのが隊長ではないのか。そう思ったが、口にはしていない。居たたまれなくなるだけなのはわかっていた。

 束の間、眠ったようだ。躰を起こした。いつの間にか掛けられたカーテンの隙間から、うっすらと一筋の夕陽が床からベッドを這い、フミツキの躰に迫っていた。もっと伸びて、脇腹から肩へと両断していけばいい。そう思ったが、それ以上陽射しは迫ってこずに、輪郭を薄ぼんやりとさせて、やがて消えた。

 躰を倒す。再び眠った。今度は三十分ぐらい眠っただろうか。

 深く眠ることができなくなっていた。長くても一時間で、酷いときは十分と経たずに目が覚める。短すぎる眠りは疲労と倦怠感をやたらと際立たせた。今の自分の顔は病人さながらだろう。

 ドアが開いた。フミツキは一度掛け布団に頭を伏せて、顔を揉みほぐした。

 

「おかえり」

 

 のっそりと顔を覗かせてから、サンドパンが入ってきた。フミツキが寝込んでいる間は自由にさせていて、昼にどこかへ出かけては、日が沈む頃にこうやって戻ってくるのが日課となっている。

 ベッドの傍までやってきたサンドパンが挨拶代わりに両手を挙げる。片手でそれに応えながら、フミツキはサンドパンの手の付け根、人間で言う左肩に当たる部分を盗み見た。

 負傷したのだということは、トレーナーとしての勘が教えてくれた。扉を押す時の重心の位置、歩き姿、右に比べて僅かに動きの鈍い左手。それら全てが、フミツキのトレーナーとしての勘に働きかけてくる。

 勿論、傷が残っている訳ではない。メディカルマシーンを使えばポケモンの傷はたちどころに治癒できる。よほど深い傷や、負傷してから長い時間が経過した場合を除けば傷痕が残ることはないのだ。

 ただ、それは形としては残っていないということで、負傷した記憶そのものが消える訳ではない。

 負傷部位を庇いながら動いていたポケモンが、傷が癒えた途端に元の動きに戻れるということはまずなかった。重傷の場合は一時的に幻肢痛に近い症状を発症した例もある。メディカルマシーンは、決して万能ではないのだ。

 

「おいで」

 

 ベッドを軽く叩きながら言うと、僅かに躊躇した様子を見せてからサンドパンが飛び乗ってきた。やはり、動きはぎこちない。

 首元や鼻先を柔らかく擦ってやる。背中の棘が春風に捲られた外套のようにふわりと膨らみ、ゆっくりと元に戻った。サンドパンにどこか漂っていた緊張や警戒は、それで解けたようだった。

 どこで、何をしてきたのか。フミツキの懐に戻ってきてもなお容易には解けない緊張感など、いったいどんな怪物と(まみ)えたというのか。

 問い質すことがトレーナーとしての責務だと、頭ではわかっている。しかし、言葉はいつまでも口を衝かなかった。

 サンドパンを抱き寄せて、フミツキは躰を倒した。サンドパンがするりと腕の中を抜け出して、器用に部屋の明かりを落とすと、再びフミツキの腕へと戻ってきた。

 久しぶりに深く眠れそうな気がした。安堵と自己嫌悪を、ほとんど同時にフミツキは感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 日差しが深々と突き刺さる気がした。盛りはとうに過ぎて、いよいよ沈むのを待つばかりの太陽でも、今のフミツキには厳しい光線だった。

 手洗いや入浴以外はほぼベッドの上で過ごしていたのだ。屋外に出たのは、トキワに来た日以来だった。

 サンドパンの後ろ姿が建物の陰に消えた。呼吸を四つ数えてから、フミツキはその背を追った。

 トキワの町並みが次々にフミツキの視界を通りすぎる。この数日間のうちにサンドパンは随分とトキワに精通したようだ。迷いのない足取りで進みながら、時折、住人に声をかけられている。

 散歩をしている男性、夕方に備えて掃除をしているポケモンセンター職員、道端に蹲っている酔っぱらいの老人。

 一言二言の言葉を投げ掛けてくる彼等と、それに反応するサンドパンを、フミツキは建物の陰から盗み見ていた。

 私は何をしているのだろう。それはサンドパンを尾行し始めた時から。いや、もっと前に、ハナダのベッドに躰を横たえている時から考えていたことだ。

 自分は一体何をしているのか。復帰していく同僚を見送った。わざわざ見舞いに訪れた人を前に、怪我人らしく振る舞った。掛け布団を少し捲れば、完治して捻挫の痕もない脚を見せることもできたのだ。

 また、サンドパンが誰かと話していた。トキワの住人達は地面タイプに対して親しみを持っているらしい。トキワ周辺には生息していないサンド系列についても、ある程度の理解はあるようだった。

 サンドパンが動き出す。いくつか呼吸を数えてから、フミツキも建物の陰を出た。

 サンドパンと話していた男とすれ違い様、会釈をした。男はどこか戸惑うようにフミツキを窺いながら会釈を返してきた。

 サンドパンのトレーナーだと認識されなかったことに、しばらく歩いてから気付いた。滑稽な話だ。トレーナーらしからぬ行動をしながら、トレーナーであるという自認だけはある。

 町中を抜けると、サンドパンは真っ直ぐ西へ進んでいった。遠方にはセキエイ高原へと連なる山々が日差しの中で影を伸ばしていて、風向くままに空から地へと落ちる雲の影を、無造作に呑み込んでいた。道は意外なほど拓けていて、山に至るまでの数キロを見渡せる。

 サンドパンが足を止め、木陰に座り込んだ。何をするでもなく、フミツキはその姿を見守った。

 一時間ほど経っただろうか。サンドパンが立ち上がり、遠く一点を見詰めた。フミツキも目を凝らした。

 男。山と雲の影が入り交じった大地から、不意に湧き出てきたように見えた。トキワへ向かって走っているようだ。トレーニングかなにかだろう。興味を失いかけたフミツキは、男の走りに目を見開いた。

 速い。それも、ただ速いというだけではない。脚力自慢の男が八百メートルを走るような速度を、既に二キロ以上続けていた。遥か遠くに見えたと思った姿は、あっという間にサンドパンの前まで来て足を止めた。

 

「また君か。あれだけ打ち倒されて、よく気力が続くものだ」

 

 息を整えながら話しかける男の顔を見て、フミツキは声をあげそうになった。サカキ。カントー最強のジムリーダーの姿がそこにあった。

 サンドパンが臨戦態勢を取る。サカキが仕方なげに、しかし、どこか楽しげな雰囲気も醸しながらモンスターボールを投げた。

 現れたニドキングの威容には、声を出そうという反射すら起きなかった。とにかく、大きい。並のニドキングの倍近い大きさの躰には、余分なものがほとんど見受けられない。小柄なサンドパンとの対比は、どこか悲劇的にすら見える。

 

「出てきてやってはどうだね?君のサンドパンは、例え一匹でも戦うつもりのようだが」

 

 フミツキが身を隠している木を横目に見ながら、サカキが言った。姿を見せると、サンドパンが驚いたように跳び跳ねながら駆け寄って来た。フミツキはその頭を撫でた。

 

「私のニドキングと戦いたがるものはそう多くない。まして連日挑みかかるなど、トキワジムの者でも稀なことだ」

 

 サカキが言う。フミツキは慌てて立ち上がった。

 

「構えなさい」

 

「あのっ、サカキさん」

 

「君のサンドパンは力に飢えているよ。それも、随分と真っ当な飢え方だ。つまり、トレーナーの為に強くなろうというのだな」

 

「私は」

 

「君がトレーナーであるならやるべきことは、いや、サンドパンの為にしてやれることは一つしかない」

 

 言い切って、サカキは目を閉じた。その佇まいは、鞘から放たれる前の刃に似ていた。

 サンドパンの為にしてやれることが私にあるだろうか。してやれる力が、私にあるだろうか。

 サンドパンと目が合う。無邪気に笑顔を見せると、サンドパンはニドキングに向き合った。しかし、動こうとはしない。フミツキから指示が出ると信じて疑わないのだ。

 私は何をしているのだろう。ここしばらく、ずっと繰り返した疑問だった。今でも、自分の感情に整理はつかない。しかし、何をすればいいのかは、目の前にはっきりとした形で示されている。

 力は足りないかもしれない。いや、サカキという相手を考えれば足りる筈もないだろう。

 それでいいとは思わなかった。ただ、サンドパンのトレーナーとすら認識されない滑稽さは、もう耐えられないという気がする。それならば、力不足のトレーナーとして認識される方がずっとマシだ。

 

「フミツキといいます。ジムバッジは、二つしか持っていません」

 

「構わんよ。目と目が合った。そういうことにしよう」

 

 サカキが目を開く。思わず、唾を飲み込んだ。今まで出会ったどのトレーナーでも比類できないほどの、圧倒的な存在感だった。それでも、あくまで一人のトレーナーなのだ。そしてフミツキは、サンドパンのトレーナーだった。

 

「行きます」

 

 試合は一方的という言葉では表せないほど、無惨に進んだ。フミツキが声を張り上げる。答えるようにサンドパンが駆け、時に跳び、時に這う。それら全てが、サカキとニドキングによってあっさりと受け止められた。咄嗟に反応しているのではない。ほとんど未来予知としか思えないほどの先読みで、こちらの行動を潰しているのだ。オツキミ山で赤い帽子の少年が行った試合運びとどこか似ていた。違うのは、先手を取ることで行動を潰した少年に対して、サカキはあくまで後手で対応していることだった。絶対に読み間違えない自信がサカキにはあるのだろう。事実、サンドパンの攻撃は爪の先すら掠っていなかった。

 『こうそくスピン』で突撃しようとしたサンドパンが、明後日の方向へと動き、木に接触しながら止まった。『おだてる』だろう。いつ技にかけられたのかは全くわからなかった。尾の一撃にサンドパンが弾き飛ばされる。辛うじて受け身を取ったようだが、追撃を躱す余力はどこにもなかった。

 ニドキングが迫ってくる。不意に、眼を閉じてしまいたい衝動がフミツキを襲った。

 

「最後まで勝負を見続けなさい。私は、そう言った筈だ」

 

 声。弾かれたように顔をあげ、フミツキは眼を閉じそうになったことを恥じた。サンドパンが爪を振り上げている。迫りくるニドキングに一矢報いようと、力を振り絞っている。

 

「『ひっかく』」

 

 叫んだ。最後の一撃を加えようとするニドキングの尻尾を、確かにサンドパンの爪が捉えた。それで終わりだった。瀕死による躰の収縮を始めたサンドパンへ、フミツキはモンスターボールを向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ボス」

 

 呼びかけたフミツキを一瞥して、サカキはニドキングの尻尾を観察していた。その横顔を、フミツキはぼんやりと見遣った。

 最後まで勝負を見続ける。フミツキがボスから言われた言葉だった。

 考えてみれば、サカキがボスであるというのは想像できることではあった。ゲームコーナーの支配人は、ボスが出陣すればキョウを突破できると言ったのだ。キョウが四天王級の腕前とされる以上、それを成し得るのは他の四天王かチャンピオンであるワタル、そしてワタルと互角とされるサカキぐらいだろう。

 サカキがニドキングを触診している。その姿は僅かな不調も見落とすまいとする誠実なトレーナーそのもので、事実を知った今でも悪の組織の首領とは到底見えなかった。

 やがて、ニドキングをボールに戻すとこちらに向き直った。口を開こうとして、慌ててフミツキは周囲を見回した。

 

「心配するな。付近には誰もいない。ピクシーが聞き耳を立てている、ということもないさ」

 

「しかし」

 

「修行をしていた頃に敏感になってね。本気で気配を消したキョウを察知できるというのが密かな自慢でもある」

 

 そう言って、サカキは道沿いの小岩に座った。促され、フミツキもその向かいに腰を降ろす。

 いざ対面に座ると、言葉は出てこなかった。訊くべきことがあるという思いと、なにも知らずにいるべきだという考えが頭の中で打ち消しあい、言葉まで巻き添えにしている。

 

「君は多分、苦しむだろうな」

 

「え?」

 

「逃げるべき時というのが人間にはある。弱ければ弱いほど、その機会は多いだろう。私の見る限り、君が直面した問題は逃げるに足るものだった」

 

「そう、なんでしょうか」

 

「ロケット団にいればもう一度レッド君と立ち合うことになるかもしれんぞ。君が敗北した、赤い帽子の少年だ」

 

 レッド。赤い帽子の少年。圧倒的な才覚で、フミツキが育んだすべてを擂り潰した少年。名前を聞いただけで、フミツキは鳥肌が立った。

 

「マサラタウンには時々ああいうのが生まれるそうだ。古くはオーキド・マサラが、直近ではオーキド・ユキナリがそうだな。レッドという少年もその類いだろう」

 

「天才、ですか」

 

「怪物というべきだろう。ワタル君などもそうだ。私もあまり、人のことを言えた義理ではないがね」

 

 そう言って、サカキはニドキングが入っているボールを撫でた。確かに先ほど感じた威圧感は、真剣勝負ではないにも関わらずレッドのそれを凌駕していた。

 

「目を覚ました時、逃げるべきだったんでしょうか?」

 

「逃げて当然、と言っただけだ。君は観察力があり、自身の身の丈も知っている。君の自己認識は、私から見ても間違っているものではない」

 

「私は」

 

 言葉が詰まった。サカキは急かすでもなく、時折地面を見詰めていた。

 

「自分は何をしているんだろうと。そればかり考えていました」

 

「そうか。ならば私は、見誤ったということだな」

 

「そんな」

 

「何をしているのか悩むというのは、何をするべきか考えていたということだ。逃げる者の思考ではない。ただ、苦しむことになるだろうが」

 

「弱いから、ですか」

 

「君の場合は立ち向かうべき相手が悪い」

 

 サカキが笑った。ふと、フミツキは動悸が速くなるのを自覚した。

 なぜロケット団に集まった人間がこの男に惹かれるのか。それが、なんとなくわかった気がする。

 複雑なのだ。サカキという男は、強者が持ち得ない筈の複雑さを持ち、理解し得ない複雑さを理解しているのだ。それも、物事を単純に処理するだけの力と精神を持ちながら。

 道を踏み外す人間はどこかに弱さを持っている。社会に理解されずに切り捨てられるような、そんな弱さだ。

 クリードは自制ができずに踏み外した。フミツキも、才能の壁に向き合えずに踏み外した。どちらも、社会から理解は得られないだろう。内面の動きが複雑だからだ。そんな人間が縋りたくなるものを、サカキは備えていた。

 笑みを収めたサカキが、枯れ枝を拾い地面に何かを描き始めた。

 

「ハナダの洞窟の最奥にミュウツーというポケモンがいる。それを観測するために、陽動が必要だった。ハナダの洞窟は協会の職員が常駐しているのでね」

 

「え?」

 

「敗北は君の弱さ、あるいはレッド君の強さに依るものだ。ただ、君が作戦の全体像を知っていれば違う展開が拓けた可能性はあると思っている」

 

 地面に丸が二つ描かれ、その中心に星形の図が置かれた。

 

「聞くかどうかは任せよう」

 

 枝が動く。星形にハナダの洞窟という名が彫られると、二つの丸にもそれぞれ内容が描かれていく。一つはオツキミ山だ。

 今さら、背を向けようという気はなかった。ただ、気になることはある。

 

「機密になるのではありませんか?私が聞いていい領分を越えているように思います。機密の保持に関しても正直、自信はありません」

 

「心配はいらん。ロケット団に残っているのはこれだけだ」

 

「これだけ?」

 

「次の作戦が成功しなければ、ロケット団は解散ということになる。成功すれば全てが新たな段階に進む。成否を問わず、今ある機密など役に立たなくなる訳だ」

 

 事も無げにサカキは言った。

 

国家(システム)に目を付けられているのが一つ。目的に対する最適化、言い換えれば先鋭化が進みすぎたのも一つだな。次の作戦が成就しなければ、その後の展望はない」

 

「わかりました」

 

「ほう、なにがわかった?」

 

「ただ、全力を尽くすだけだということが」

 

 サカキが頷いた。やはりどこか、気のない表情をしている。

 

「恐らくは終戦直後、一匹のポケモンが研究施設を脱走した。名はミュウツー。ミュウの遺伝子を用いて生み出された、対進駐軍用の人造ポケモンだ。類稀な戦闘力と、同盟軍が用いる電子機器、兵器に対して強い妨害能力を保有している」

 

「同盟軍の兵器、ですか」

 

「連中は電気タイプのポケモンを主力として電子機器や兵器と連動した作戦行動を主眼としている。手持ちの電気タイプ一匹だけで、複数の戦闘車両などを無人走行させることが可能と言えば、その厄介さはわかるだろう」

 

「つまり、ミュウツーを用いてそれらを妨害、撃破するというのが最終目標ですか。私たちの作戦はミュウツー捕獲の下準備だった訳ですね」

 

「捕獲については想像の通りだ。だが、私は同盟軍をもう少し優秀に捉えている。ミュウツー一匹でどうにかなるのならば、旧軍が敗戦を喫することもなかった」

 

「ミュウツーでは勝てない、ということですか?」

 

「私はそう考えている。ミュウツーを生み出したフジという研究者も同意見だった」

 

「では」

 

 どうするんです、というフミツキの言葉をサカキの枝が遮った。地面に描かれた図を枝がなぞり、やがて一点を指して止まった。ハナダの洞窟。

 

「まさか」

 

「ハナダの洞窟の野生ポケモンを捕獲し、団員に支給する。同時に溜め込んだ技マシンを開放することで、野生ポケモンにありがちな技の不足を補う。高レベルで技の揃ったポケモン軍団ができあがる訳だ。ミュウツーの役割は、同盟軍の兵器を抑え込んでポケモンでの勝負に持ち込むことだな。これで、同盟軍と五分五分の勝負を展開することができる」

 

「賭けの要素が強すぎる気がします。高レベルのポケモンを支給されても、指示を出すことは」

 

 そこまで口にしてから、フミツキは愕然とした。ある。高レベルで、他人から貰ったポケモンであっても、指示を聞かせる手段が一つある。そのことに思い至ったのだ。

 

「ジム、バッジ」

 

「ポケモンを落ち着かせる作用を持った、特殊な鉱石でできている。特にグリーンバッジは、鉱石そのものと言ってもいいだろう。最低限の信頼関係は必要になるが、ハナダの洞窟のポケモンであろうと指示を出すことはできる」

 

 そして、グリーンバッジを大量に所持しているのはこの世にただ一人。トキワジムジムリーダーであるサカキだけだろう。

 フミツキは条件反射のように、なにかの欠点、落ち度を見つけようとした。しかし、見つけきれなかった。目の前の男は、ハナダの洞窟のポケモンであろうと問題なく捕獲できるだろう。大量の技マシンはロケット団が蓄えており、グリーンバッジは他ならぬサカキ自身が唯一の保有者といってもいい。作戦に必要な要素のほとんどは、既に手中に収まっていた。不確定な要素は一つだけだ。

 

「ミュウツーは類稀な戦闘力を持っているのですよね?捕獲は可能なのですか?」

 

「無理だな」

 

 あっさりとサカキが言う。

 

「一度、ハナダの洞窟で戦ったことがある。まだ自己進化の途中だったが、私の手持ちを壊滅させてくれたよ。ニドキングがいなければ、今頃私はこの世にいないだろう」

 

「それほどに」

 

「再生能力も持っている。あれを弱らせて捕獲など夢のまた夢だろう。全霊を尽くせば瀕死に追い込めるかもしれんが、そうなるとキャプチャーネットにかからない」

 

 モンスターボールは、瀕死時に躰を縮小させるポケモンの性質を利用したものだった。モンスターボールに依って縮小を起こすことで捕獲するのだ。先に瀕死にしてしまうと、捕獲は不可能になる。

 ミュウツーが捕獲できないのならば、作戦は成り立たなくなる。そう危惧したフミツキを尻目に、サカキが枝を動かした。表情は相変わらず、興醒めて見える。

 枝が止まった。ハナダの南。ヤマブキシティ。

 

「三年前、ある情報が入った。シルフカンパニーが新型の、これまでにない性能を持ったボールを開発するという噂だ。実際はもっと前から動いていたのだろうな。噂が入った頃には既にプロジェクトの立ち上げも終わり、スケジュールも稼働し始めていた」

 

「三年前というと、もしかして」

 

「競合他社が山吹組を動かして、シルフカンパニーを妨害しようとした。私は山吹組を叩き潰すことに決めたよ。それだけの価値が、シルフカンパニーのプロジェクトにはあった。警察の眼をタマムシから逸らせたのは副産物のようなものだな」

 

 地面に文字が描かれる。M。

 

「Mプロジェクトは箝口令が敷かれるようになった。息のかかった研究員を送り込めたのは幸運だったな」

 

「そのボールなら、ミュウツーでも?」

 

 サカキが頷いた。

 

「マスターボール、と呼称されているらしい。もっとも、こちらの研究員は末端になんとか潜り込んだだけだがね。ボール本体や研究資料には近付けもしないようだ」

 

「マスターボールを盗み出すのが次の作戦ですか」

 

「いや」

 

 サカキが首を振る。口の端に、ちょっと楽しげな笑みが浮かんでいた。

 

「シルフの現会長は一角の人物だよ。警備の徹底は当然として、盗まれた場合のことも想定している筈だ。マスターボールにはセーフティが掛かっている可能性が高い。それも、自壊しかねないようなセーフティがね。我々が狙うのは設計図だ」

 

「設計図の場所は?」

 

「わかっていない。データのみなのか、紙媒体に出力されているのかすら不明だ」

 

 それでは、盗み出すのは不可能だ。見つけるだけでも随分な困難だろう。シルフカンパニーの本社ビルを、上から下までしらみ潰しに探さなければならない。

 そこまで考えて、フミツキは一つの方法に思い至った。まさか、という思いと、この男ならやりかねないという納得が同時に浮かんだ。

 

「シルフカンパニー本社ビルの占拠」

 

 サカキが笑みを深めた。

 

「悪くはない。しかし、スケールに欠けるな。シルフ周辺の区画は通行をゲートで制限されている。本社ビルと言わずとも、区画まるごと孤立させることも不可能ではない」

 

「それならば、撤退時にも余裕ができます」

 

「ゲートには既に手を廻してある」

 

 フミツキはため息を吐いた。自分の頭で思い付くような懸念など、もうなにも浮かばない。全て、自分に想像できる範疇を超えた勝負となっている。スケールの差は、そのまま人間としての器の差だろう、とフミツキは思った。

 

「一つだけ、お訊きしても構いませんか」

 

「言ってみなさい」

 

「同盟軍を倒したとしてロケット団は、いや、ボスは何に成るのですか?」

 

 それだけが、フミツキにはよく見えなかった。これだけの器を持った男だ。非合法な手段など用いなくとも、いくらでも成り上がることはできるだろう。

 現時点でも、カントーを代表するスターの一人といっていい。これだけの思慮とカリスマがあれば、政治家になって首長を目指すことも容易いように思える。

 

「ふむ。私の目指すところか」

 

 サカキが枝を小刻みに動かした。なにかを描いている訳ではない。形を成さない線が、訥々と地面に横たわった。

 

「重力というものがあるだろう。これは人々の自由を奪うと同時に、生活を安定させてもいる」

 

 語りだした内容は、質問となんら関係ないように思えた。フミツキは一つ相槌を打って、続きを促した。

 

「それを悪いというつもりはない。自由などというものが、世間が標榜するほどに甘美な豊かさを備えている筈もない。重力の中で身を低くしていれば世界は、まあ優しいものだろう」

 

 枝は動き続けている。描かれる線は全て直線で、鋭角に曲がっていく。それは全て内側へと入り組んでいき、やがて塗り潰された円のようになった。

 重力というのが同盟軍を指すのは、フミツキにも理解できた。彼らの存在はカントーを締め付け、同時に安定ももたらしている。

 不意に、枝が激しく動こうとした。円の中心から一気に外側へ突き抜けようとし、耐えきれずに手元から折れた。サカキがちょっと苦笑した。

 

「私は、この重力を無くしてしまいたい。多くの人々が無重力という、自由の苦しみに藻掻く羽目になるとわかっていてもね。自由で、苦しく、懸命に生きなければいけない世界を作ってしまいたい。そして、戦いたい。懸命に、戦いたい。不自由の安穏を我慢できなくなってしまったのさ」

 

「そのために同盟軍を倒すのですか?」

 

「ロケット団が新しい重力になってしまうだけだな、それは。ロケット団と同盟軍という逆方向の力が互角に向き合うからこそ、無重力は生まれる」

 

「なるほど」

 

「私が生まれたのは終戦後だ。進駐軍のいない時代を、私は知らない」

 

「私などは、在って当たり前の存在でしたよ。同盟軍がいない世界を考えたことがありません」

 

「考えても意味はない。そういう時代に放り出されれば、それなりに身を処すだろう。君は私が何に成りたいのかと訊いたが、成りたいものなどないのだよ。一人のポケモントレーナーとして全身全霊で、無重力の世界に挑みたい。そのために世の中を苦しめようとしている」

 

「人々を無重力の世界へと連れていく。ロケットとは、そういうことですか」

 

「言い出したのはゲームコーナーの支配人だ。なかなか洒落たことを言うと感心した」

 

 サカキの口元が綻んだ。それはどこか少年のような、無邪気な笑みだった。心のどこかが、弾んだ。

 

「微力ながら、お手伝いします」

 

 笑みはもう消えていた。どこか望洋とした表情でサカキが頷いた。

 

「まあ、しばらくはゆっくりするといい。君のサンドパンはトキワジムでも人気でね。稽古をつけてやろうという者が何人かいる」

 

「ヤマブキに移動しなくともいいんですか?」

 

「タマムシの動きを待っている。老いぼれ犬はアジトの存在を掴んでいるだろう。多少警察に手柄を立てさせてやった方がこちらも動きやすい。それに、タマムシ次第で老いぼれ犬の肚も読める」

 

「肚、ですか」

 

「まともな刑事なら警察組織の力を頼るだろう。そして、同盟軍の介入を招く」

 

「頼らなければ?」

 

「無重力に生きている男が一人、という訳だ」

 

 笑いながら立ち上がったサカキが、腰のモンスターボールを宙に翳した。どこか凄惨な予感を孕んだ鈍い斜光が、フミツキの爪先を横切った。

 

 

 

 

 

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