罅割れた夢   作:島ハブ

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第15話

 

 

 

 

 三日も屯っていると、住民の顔や町の性質も見えてくる。刑事の習性のようなものだ。

 昔ながらのタマムシと言ってよかった。閑静な町に、背の低い家が軒を連ねている。行き交う人々の足並みは緩やかで、ちょっと会釈を交わしながらすれ違って行く。十一時を過ぎる頃になってようやく、個人経営の食堂が暖簾を店先に掲げた。これがタマムシの中部から北部ならば、二十四時間営業のチェーン店がいくらでもあるのだ。

 サイクリングロードができる前のタマムシは、都市全体がここと同じような空気感を持っていた。ヤマブキに近いということがほぼ唯一の取り柄で、これといった産業もなく、無駄に広い土地になんとなくという感じで植えた花畑だけが、街の特色だったのだ。

 サイクリングロードができ、その利用者を待ち構えるような位置にタマムシデパートができた。タカギが少年の頃の話だ。

 そこからは速かった。タマムシを東西に走っていた旧道沿いの家々に一斉に立ち退き交渉が行われ、完了を待たずに建物の取り壊しが始まった。周囲が次々と更地と化していく中で、立ち退きを拒否し続けることができる者はいなかった。拡張された旧道はメインストリートなどと呼ばれ、タマムシはカントー第二の都市となった。

 決して悪いことではないが、失ったものはある。ここには、その失ったものがまだ静かに息づいていた。

 男が一人、タカギをちらりと見て、下卑た笑みを浮かべた。同類を見る眼だ。馴れ馴れしく近付いてきた男の鼻先に、タカギは警察手帳を突きつけた。飛び上がった男が曖昧な愛想笑いを浮かべると、風でも避けるように身を縮ませながら立ち去っていった。タカギはコートの襟を一度立たせてから、丁寧に折り込んだ。

 

「もう。あの方は放って置いてくださいとお頼みしましたのに」

 

 ジムから出てきたエリカが、着物の袖を揺らしながらちょっと周囲を見回して言った。

 

「異性の視線が大事だというのはなんとなくわかるが、刑事としては賛同できんよ。もう少しマシな方法はないかね?好色な中年男の覗きなど不快極まるだろう」

 

「だからこそ、ですわ。不快な視線を意識しないのは不可能ですから。うちの子達、スカートが翻らないような歩き方をすっかり身に付けてしまいました」

 

「作法というよりは、自衛手段だね」

 

「あら。作法がただの見栄え造りだと思われているのなら、とても心外です。なにかしらの手段、合理的な理屈から作法は生まれるものですよ」

 

「そういうものかね。傍目には、合理性など見つけられんが」

 

「タカギ様が古いライターをお使いになられているのと同じですわ」

 

 クスリと、エリカが品の良い笑みを溢した。

 警察では年に二回、ポケモンバトルについての講習があり、ジムのある町はジムリーダーが、それ以外は協会が認めた有力なトレーナーが指導を行うこととなっている。

 タマムシは当然エリカを教官に迎える訳だが、彼女の指導は当初難航した。

 警察では、炎タイプや飛行タイプをパートナーとする者が多かったのだ。特に、初代警視総監の相棒だったとされるウインディに憧れる者が多く、ガーディ、ウインディは警察のシンボルとも言われているほどだ。

 不慣れな環境で不慣れなポケモンについて指導することがエリカの大きな負担になっていた。

 白羽の矢が立ったのが、タカギだった。ウツボットを相棒とするタカギはエリカにとっても指導しやすく、練習台には最適だったのだ。講習前にエリカが訪ねてくるのが通例のようになり、多少話をする間柄になった。

 若い刑事などは、羨望の眼差しでタカギを見たりする。苦笑いするしかなかった。遅くに出来た息子と一つ二つしか変わらない年齢で、並んで歩くと滑稽な気分さえするのだ。羨望に添うような実態がある筈もなかった。

 

「それで、ご用件は?覗きに来た、というのなら、(わたくし)としては歓迎いたしますが」

 

「現役の警部が覗きか。洒落にならないな、それは」

 

「それは残念。今日はミニスカートでも穿こうかと思っていましたのに」

 

 タカギはエリカの横顔を盗み見た。薄く浮かんだ笑みを手の甲と袖で隠している。

 

「どうも、機嫌が良くないらしいな」

 

「ポケモンセンターへ行ってみることをお勧めいたしますわ。タカギ様の探し物はそちらです」

 

「探し物?」

 

「待ち人、と言った方がよろしかったでしょうか。タケシさんから、色々とお話は伺っていますので」

 

「そうか、ニビのジムリーダーから」

 

 オツキミ山への道中にレッドを同行させることを勧めたのがタケシだった。当然、新聞に出た少年という文字が誰を指しているのかもわかっただろう。

 

「有力な挑戦者について、事前に連絡を頂いたりすることもありますわ」

 

「試合はもう?」

 

「今朝早くに。私が一蹴されただけの試合でしたが。三日も張っていらしたのに、タカギ様の到着まで持たせられず面目もありません」

 

「張り込みが無駄になるなど、刑事をやっていれば日常茶飯事だよ。それより、君の目から見てレッド君の実力はどれほどだね?」

 

「バッジ三つ用のパーティーではどうしようもありませんわ。私が岩や水タイプのポケモンを使ったとしても勝負にはならなかったでしょう」

 

「それほどか」

 

「これでも抑えられている方なのですよ。あの方の瞬発力、自由な発想はむしろルール無用の戦いでこそでしょう。試合形式の枷を外せば、バッジ八つのトレーナーでもどうなることやら」

 

「バッジ八つとなると、一流のトレーナーになるが」

 

「ですから、そう申し上げているのです。ルール内であっても既に六つは軽く取れる実力だと思いますわ。あのリザードが進化する頃には、ジムリーダークラスのトレーナーになることでしょう」

 

 タカギは腕を組んだ。エリカの言葉が、真に迫ってはこなかったのだ。

 間違いなく天才ではある。しかし同時に、子供でもあった。

 

「オツキミ山の頃にどれほどのお手前だったのかは存じませんが、おそらくタカギ様の想像とは別物となっておりますよ」

 

「男子三日会わざれば、ということか」

 

「タケシさんの言葉を信じるなら、元々阿蒙などとは程遠いでしょう。そこから更に躍進したのですから」

 

「私の想像など超えていく訳だな」

 

「タカギ様があの方をどうしたいかは存じませんが、恐らくは、期待の上を行くと思いますわ」

 

 含みを持った流し目を送りながら、エリカはそう言った。タカギは礼を言い、足を北東へ向けた。

 まだ十一時になったばかりだ。ポケモンセンターは空いていて、壁際の椅子に腰かけているレッドはすぐに見つかった。

 

「やあ」

 

 片手を挙げたタカギのことを、レッドは一瞬思い出せなかったようだ。僅かに目を白黒させてから、思い至ったように、ああ、と声を漏らした。

 

「タカギ、さん?」

 

「思い出して貰えたかね」

 

「その、はい」

 

「改めて名乗っておこうか。タマムシ警察のタカギだ。ジムリーダーとは多少の仲でね。君のことは色々聞いたよ」

 

「タマムシの方だったんですね」

 

「旨い飯屋ぐらいなら、いくつか案内できる。オツキミ山では随分助けられたことだし」

 

「いえ、そんな」

 

「好意には甘えるものさ。どうせ、今回の賞金もモンスターボールへ消えるのだろう?」

 

「はい」

 

「タマムシではまともな食事もできなかった、などと思われるのも地元民として看過できんね」

 

 レッドがはにかんだ。了承の意と受け取ったタカギが歩きだそうとするのをレッドが手で制し、傍らのリザードを観察し始めた。特に右腕は、細かく触診している。

 

「『まきつく』を受けたんです。右腕だけ、ちょっと引っかかってしまって」

 

「メディカルマシーンの治療は受けたのだろう?」

 

「なんとなく」

 

 そう言って、レッドは視線をリザードに集中させた。

 なんとなく気になる、あるいは不安になる。そういうことだろう。言葉を切ったのは口下手故か、それともポケモンセンターの職員に配慮したのか。

 タカギも近くの椅子に腰を降ろした。言葉こそ丁寧だが、頑なな気配をレッドは滲ませている。梃子でも動きはしないだろう。

 コートの内側を探った。煙草とライター。タカギは周りを見回して、苦笑いした。ポケモンセンターは当然禁煙で、喫煙所は外、という案内が天井からぶら下がっている。煙草を内ポケットに仕舞い直して、コートの襟を掻き合わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 いくつかの候補の中からレッドが行きたがったのはラーメン屋だった。それも、手頃な値段とメニューの豊富さを売りにした大衆店である。

 レッドの前に運ばれてきたラーメンを見て、タカギは閉口した。秘伝のタレにマトマの実の絞り汁を混ぜたというラーメンは、真っ赤な表面から立ち上る湯気ですら、咳き込みそうなほどの刺激臭を漂わせていた。

 

「辛いものが好きなのかね?」

 

「いえ。でも、慣れました」

 

 レッドは一回り小さい丼にラーメンを取り分けながらそう答えた。横には、目を輝かせたリザードが座っていて、その手にポケモンでも使いやすいように改良されたスプーンフォークを握っている。

 辛味と渋味の合わさったマトマの実は、戦闘を得意とするポケモンに好まれることが多いようだ。レッドのリザードの好物でも不思議はなかった。

 タカギは自分のラーメンに口を付けた。なんの変哲もない、醤油ベースのラーメンである。

 

「そういう特訓方法でもあるのかね?つまり、手持ちのポケモンと同じ食事を取るとか」

 

「さあ。聞いたことはないです」

 

「君のオリジナルという訳か」

 

「特訓ってつもりもないんです。ただ、同じものを食べたいと思っただけで」

 

 事も無げに言って、レッドはラーメンを啜った。その横では、リザードが器用に麺を口に運んでいる。

 不意に、タカギは羨望に襲われた。タカギが子供の時分には、旅などする余裕はなかった。タカギがではなく、国全体がそうだったのだ。だから、旅を羨むことはなかった。若い刑事などがジムバッジをちらつかせながら昇進していくことも、苦々しくはあっても羨ましいとは思わなかった。出世コースに乗るためにジムバッジが必要などという風潮ができ、いつのまにか慣習となって若い連中を押し上げた。それだけのことだった。

 先に食べ終えたリザードが、物足りなさそうに一つ鳴いた。レッドが自分の蓮華に麺を乗せ、リザードの器に移した。そこには慣習もなにもなかった。

 これが、旅か。一人と一匹を眺めながら、タカギは胸中で呟いた。麺を啜っていたレッドが、顔を上げてタカギを見た。いつの間にか鼻歌をやっていた。誤魔化すように、タカギはコップの水を飲んだ。

 

「一つ、頼みがある。付いてきてくれんかな」

 

 食事を終え、人心地ついていたレッドへタカギは言った。レッドは束の間、望洋とした眼でタカギを見つめ、行き先も訊かずに頷いた。タカギは伝票を手に取り店員を呼んだ。

 昔ながらのタマムシが左右に広がっていた。背の低い家々が密集し、窓から道路へと昼食時らしい喧騒が溢れている。内緒話をするように肩を寄せあった主婦達が、その距離からは想像もできないような大声で世間話を交わしていた。その横では手持ちらしいラッタが時折髭を揺らしながら眠っていた。

 レッドが意外なものでも見るように辺りをキョロキョロと見回した。想像の大都会、タマムシシティとは様相が違ったのだろう。どんな街も、いくつかの貌を持っている。タマムシはその落差が激しいというだけのことだ。

 不意に、視界が開けた。道幅は広く、ビルが建ち並び、ネクタイを締めたサラリーマンやヒールのオフィスレディが混雑の中をうつむきがちに、しかし器用にもぶつかることなく行き交っている。ポケモンを連れ歩いている者などおらず、モンスターボールは窮屈そうにベルトやカバンの内側に収まっていた。

 振り向けば、すぐ目の前に古いタマムシが広がっている。南北の境界線となるこの通りは、タマムシという街に走った亀裂のようでもあった。その亀裂に忍び込むように、ゲームコーナーは建っていた。

 この三日間、心のどこかで燻っていた逡巡が消え去っていた。当たり前のことだ、と思った。間違いなくレッドは子供だ。しかし、ジムリーダーからジムバッジ八つのトレーナーと互角と評され、タカギに羨望を抱かせた男でもあるのだ。

 ゲームコーナーを通り過ぎ、裏手の建物へ向かった。

 

「入って右奥の張り紙に開閉スイッチが隠されているらしい。入口は手前の床で、つまりは地下アジトという訳だな。ロケット団というのは大変な組織だよ」

 

 レッドに背を向けたまま、タカギは続けた。

 

「色々と事情があって、私は入ることができないんだ。公に君に頼むこともできない」

 

 レッドが自身の判断で突入し、そこで起きる全ての出来事の責任を自分で負わなければいけない。それで初めて、同盟軍の介入を防いだままアジトを世間に晒すことができる。

 無責任としか言いようがなかった。断られて当然の話だ。タカギは振り向いた。望洋とした眼で見上げてきたレッドが小さく顎を引いた。頷いたとも、そうでないとも取れる仕草だ。

 

「オーキド博士にも、できるだけロケット団を倒してほしいと頼まれてますから」

 

「何?」

 

 擦れ違い様に呟かれた言葉に、タカギは顔をあげた。まるで見知らぬ他人のように、レッドはタカギを無視したまま建物へと歩いていった。その背をしばらく見送ってから、タカギはゲームコーナーへと向かった。

 エントランスに公衆電話があった。受話器を取り、小銭を投入した。

 

「始めるぞ。彼はアジトへ行ってくれた」

 

「わかった。予定通り、私は脱出ルートを張っておこう」

 

「小者は捨て置いていい。必要なのは資金ルートに関する証言だ」

 

「精々、善意の第三者をやってくるさ。暴力組織の幹部級だけを狙う、第三者をね」

 

 受話器の向こうで、キョウが笑いを洩らした。二、三個の決め事を確認して、タカギは受話器を置いた。ポケモンや盗品の技マシンの扱いなどで、改めて確認するほどでもなかったが、なにかを声に出しておきたい気分だったのだ。

 自動ドアを潜り抜けると、不意に活気づいた騒音がタカギを包んだ。

 

「いいかね?」

 

 ゲームコーナーは盛況だった。スロットの列を覗き込み、最奥に二つ並びで空いている台を見つけてから、店長に声をかけた。

 

「これはタカギ様。何かご用でしょうか」

 

「スロットを打ちたくてね」

 

「それはもう、ご存分に」

 

「ところが、コインケースを失くしてしまった。コインケース無しでは打てない決まりだろう?」

 

「困りましたね。確かに、あれが許可証を兼ねている部分はあります。紛失された場合は再度のご購入をお願いしているのですが」

 

「生憎手持ちがない。そこで、君に三枚の貸しがあったことを思い出してね」

 

「あれはお返しした筈ですよ」

 

「君が勝手に置いた。私は拾っただけさ」

 

「それはまたご無体な」

 

 店長が苦笑いした。

 

「なにもコインケースを渡せと言っている訳じゃない。一緒に打とうと誘っているのさ」

 

「勤務中なんですがね」

 

「接客は立派な勤務だろう」

 

 タカギが歩きだすと、ちょっと肩を竦めてから店長も付いてきた。二つ並びのスロット。タカギが何かを言う前に、店長はコインを一山、タカギの目の前に積んだ。

 

「意外に几帳面だね。灰皿にでもぶちまけられると思っていたよ」

 

「灰皿はきちんと磨いていますよ。お客様への礼儀として置かなかっただけです」

 

「灰皿からコインを取るのは、お断りだな」

 

「そう仰るだろうと思いましたよ。巷の成金などよりはずっと小綺麗でいらっしゃる」

 

 言ったきり、店長はスロットに集中しだした。タカギもコインを入れた。てんでバラバラな絵柄が、画面に散らばった。何十回かの回転の間、互いに無言だった。

 時間を稼げればそれでよかった。サカキがトキワにいるのは確認が取れている。タカギが目を付けている中で、レッドを負かすとしたらこの男だけだ。少なくともキョウは、この男をジムリーダーに迫る実力者と見なしている。

 一時間ほど、スロットを続けた。コインは微減といったところだ。タカギは店長と時折言葉を交わしながら、コインを入れてボタンを押す作業を繰り返した。店長も微減だろう。ただ、タカギの負けまで合わせると多少の損にはなるかもしれない。

 店内放送が流れた。タカギの名前が呼ばれている。

 

「お電話だと思いますよ。お客様のお名前をお呼びするのはその場合だけですので」

 

 頷いて、タカギはカウンターへ向かった。名乗ると、口元を押さえた受話器が差し出された。

 

「やられたよ」

 

 キョウ。どこか投げやりな言い方だった。

 

「何があった」

 

「何も。脱出口からは、誰も出てこなかった」

 

 咄嗟に、クリードが虚言を弄した可能性が頭に浮かんだ。しかし、あの直情な男がタカギとキョウをまとめて欺けるのか。むしろ、欺かれていたという方が自然だ。

 

「脱出口は一つじゃないな」

 

「やはりそう思うか。クリードが知っていたのはいくつかあるうちの一つ、ということだろうな」

 

「そして、クリードから情報が漏れる可能性を考慮していた。誰も出てこなかったならば、そういうことになる」

 

「重要な証拠など、まず残っていないな。そちらに動きは?」

 

「ない。ずっと横並びでスロットを打っていたよ」

 

「刑事の横にいたか。大したアリバイだ」

 

「今から行く。どちらだ?」

 

「脱出口の方さ。入口にはもう、野次馬が集まり始めている」

 

 受話器を店員に返した。いつの間にか後ろに立っていた店長が、接客業の笑顔でタカギを見ていた。

 

「用事が入ってね。損をさせちまったな」

 

「いえ、私もいい気分転換になりました」

 

 何か一言言おうとして、タカギは口を閉じた。出る言葉は負け犬の遠吠えにしかならないだろう。ただ頷いてゲームコーナーを出た。

 脱出口はそれほど遠くなかった。真ん中に溜め池のある小さな公園の裏手で、ゲームコーナーから数分歩けば行ける場所だ。管理人用の小さな小屋。壁に背を預けるように、キョウは立っていた。

 

「通路は見た目だけが残っていてね。気付くのが随分遅れた。中は物理的に塞がっているんだ」

 

「鍵かね?」

 

「それならば開けてみせるさ。完全に埋め立てられているよ」

 

「レッド君は?」

 

「先に逃がした。今頃、ポケモンセンターの辺りではないかな。ああいう若者の時間を、マスコミなんぞにくれてやるのはカントーの損失だよ」

 

 キョウに倣って、タカギも背を壁に凭せた。煙草を咥える。硬質な音を立てながら、ライターがたった一度の着火で火を点した。煙を一度吐いてから、ちょっと雑な手つきでタカギは火を消した。

 

「中にはほんの少数の団員が居ただけだそうだ。その割には盗品と思しき物が散乱していたという」

 

「餌だな。三課辺りが喜んで飛びつくだろうさ。そして、タマムシをひっくり返すような捜査を始める。ロケット団がとっくに捨てたタマムシを」

 

「霊視用のスコープとやらがあって、拝借したと言っていた。丁度必要としていたらしい」

 

「報酬としては不足なくらいだ。技マシンを持っていっても、私は目を瞑るよ」

 

「そう言うだろうと思っていた」

 

 煙を吐いた。それは一瞬だけタカギの前を漂い、やがて千々に吹かれて消えていった。落ちそうになった灰を、携帯用の灰皿で受け止めた。

 四課ならば、アジトを一つ潰してやったと誇るだろう。普通の組織が相手ならば、タカギも多少は得意になったかもしれない。

 潜行された。そうとしか思えなかった。逃走や撤退ではなく、潜行。それも、手繰れる糸を全て振り切っての潜行だ。

 次にロケット団が浮上してくる時は、半端な事件では済まないだろう。それは予感というよりも確信だった。

 

「新米の頃以来だな」

 

「なにがだね?」

 

「ここまで後手を踏まされることがさ」

 

「かの老いぼれ犬にも、そういう時代があった訳だ」

 

「不甲斐なさに酒を呷ったことも、何度かある。どれも若い頃のことだがね」

 

「今は煙草を吹かすだけか」

 

「不甲斐ないと感じなくなった。次があるとも、思うようになった。捜査については、そうだね」

 

 風が強くなった。みるみる短くなっていく煙草をしばらく眺め、それから念入りに消した。

 

「トキワに行く」

 

 キョウがちらりと、横目にタカギを見た。

 

「何かができるとは思わんよ。証拠はなく、向こうには社会的地位がある。腕っぷしでどうにかなる相手でもないだろう」

 

「まあ、やめておいた方がいい。彼は間違いなく最強のトレーナーだ」

 

「チャンピオンには僅差で劣ると聞いたぞ」

 

「ワタル君は最強のドラゴン使いであると同時に、最強の飛行使いでもあってね。本来ならば地面タイプでは勝負にもならない程の相性差があるんだよ」

 

「それが僅差か。なるほどな」

 

「地面技の奥義に『じわれ』という技がある。途方もない威力だが、超一流トレーナーでも三割当たるかどうかという技でね。彼とニドキングは、これをほぼ確実に当ててくる。何度苦い思いをさせられたか数え切れんよ」

 

 言葉と裏腹に、キョウは楽しげに語った。そこには、優れたトレーナー同士が持つのであろう親近感、理解、尊敬があった。

 

「私がサカキを疑うのは、不快かね」

 

 思ったことをそのまま口にしていた。意味のない問いだった。警察とはそういうものだ。幼い子供の目の前で、父親に手錠をかけた経験もタカギにはあった。バディを組んでいた刑事に白い目を向けられようと、気にはしなかった。警察とはそういうものだからだ。

 どんな犯罪者も平等に逮捕する。それが犯人に対して刑事が持てる唯一の誠意だと、若い頃は思ってもいた。

 

「いや」

 

 顎に手をやったキョウが、僅かに思案してからそう言った。

 

「君は、評判通りの腕っこきの刑事だ。私だって、密猟者達の奸計を見破ったことは一度や二度じゃない。それが二人揃ってこうもあしらわれている。これほどの人物がカントーに何人いるか、と考えざるを得ないよ」

 

「思い当たるのは、サカキだけか」

 

「残念ながら、そうだ。トキワに行ってどうするつもりだね?」

 

「サカキに会う」

 

「それから?」

 

「それだけだよ。もう一度、あの男と言葉を交わしてみたくなった」

 

「同盟軍の尾行は、今はない。しかし君がタマムシから出れば流石に気付かれるだろうな。恐らくはトキワに行ったことも」

 

「わかっている」

 

 同盟軍がサカキに目を付ける。あるいは、ずっと直接的で過激な手段に出るかもしれない。

 ボスは殺せねえよ。クリードの言葉が、頭の中に甦った。危険な賭けになるのかもしれない。クリードの言葉に、タカギは賭ける気になっていた。私が逮捕するまでは、殺されない。分が悪いのかどうかも、判断が付かなかった。

 

「私は一度セキチクに戻るよ。レッド君が来るだろう。彼とは、腰を据えて対戦してみたい」

 

「そうか」

 

「待つ刑事というの、中々のものさ」

 

 それだけを言って、キョウは背を向けた。見えなくなるまで、タカギは見送った。

 もう一本、煙草に火を点けた。ライターはやはり、素直に一度で火を点した。煙は西へ、小綺麗で新しいタマムシへと流れていった。

 

 

 

 

 

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