罅割れた夢   作:島ハブ

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第16話

 

 

 

 

 眼下の競技場を、サンドパンが転げ回っていた。

 トキワ郊外に建ったジム別館である。元々はここがトキワジムだったというが、サカキが就任する遥か前に今の地点に本館が新設され、こちらは練習場となっている。いつでも指導できるよう、事務室の壁はガラス張りになっていた。巻き上がる砂埃の内側にサカキは目をやった。

 サイホーンがサンドパンを追っているが、紙一重で捉えきれずにいた。元々、直進以外は苦手としているポケモンなのだ。フミツキとサンドパンは実に巧い試合運びをしていた。競技場というフィールドをよく利用しているのだ。

 サイホーンの突進が躱される。屋外ならば遠くまで距離を取ってから反転すればいいが、室内競技場には必ず壁というものがある。急停止し、振り返ろうとしたサイホーンの背をサンドパンの爪が捉えた。既に何度も繰り返された光景だった。サイホーンのトレーナーが唇を噛んでいるのが、サカキのところからも見えた。

 後ろ足で『ふみつけ』を狙う手があった。サイホーン側はそれを狙っているが、タイミングを外されている。フミツキにではなく、サンドパン自身の判断に因ってだ。

 フミツキは観察力や判断力に優れる代わりに、機を捉える力や反射で劣る。それが、彼女がそこそこのトレーナーにしかなれない理由だったが、サンドパンがその欠点を埋めていた。

 

「強さとは、不思議な物だな」

 

 デスクにかじりついていたムツキが顔をあげた。作成しているのは、来年度の予算について協会に提出する資料だった。一昨年までトキワジムに在籍していたトレーナーが、どこかの大会で入賞したという。それを、トキワジムの実績として高く評価してもらう為の資料作りだった。試合内容を羅列して、サカキの薫陶が活きていると思える点を抜粋する作業を朝から続けているのだ。

 ジムリーダーとしてのサカキに来年はない。それがわかっていても手を抜けないのは、ムツキらしくはあった。

 音が止んだ。サイホーンのトレーナーがフミツキに一礼し、自分のポケモンに駆け寄った。屋外ならば、という考えは当然あるだろう。それをおくびにも出さず、サイホーンの手当てをしていた。

 

「彼女が、一番の若手とはいえトキワのジムトレーナーに勝てるとは思いませんでした」

 

 ちらりと階下を窺って、ムツキが言った。不思議という言葉をフミツキの勝利と結び付けたようだ。そんなつもりで言ったのではなかった。

 

「私やワタル君は、強みを活かす。自分の強みをポケモンの強さに上乗せする。私があのサイホーンを指揮すれば、恐らくフミツキ君には勝てるだろう」

 

「サカキ様やチャンピオンの強さは誰もが知るところです。疑う者などいませんわ」

 

 もし、サンドパン同士の戦いになったらどうなるのか。サカキが考えたのはそれだった。それも、フミツキのサンドパンがこの世に二匹存在したらという、荒唐無稽な考えだ。

 客観的に見て、トレーナーとしての能力でフミツキに劣る部分はない。それでも、負けた自分の姿がふと頭を過った。ジムリーダーどころか、四天王相手でもそんな姿が浮かぶことはなかった。全く同じ条件で戦って負けるとしたらワタルぐらいのものだろう。そう思ってきたのだ。

 考えても意味はなかった。フミツキのサンドパンはこの世にただ一匹しかおらず、自分とフミツキが戦えばニドキング対サンドパンの構図にしかならない。勝負にもならないだろう。

 強さとは。トレーナーとしてのサカキとロケット団総帥としてのサカキにはっきり共通することがあるとすれば、その問い掛けぐらいのものだ。常に問い続けてきたといっていい。意味のない仮定だなどと、簡単に割り切るには時を重ねすぎた。

 考え込むサカキを見てムツキが困惑気味に首を傾げた。サカキは苦笑して、なんでもないという風に手を振った。どんな理由にせよ、フミツキに負けるかもしれないと考えていたなどと知られれば、団の命運を決める戦いを前に怖じ気づいたようにしか見えないだろう。ムツキを相手に、強さとは、などという問答をする気はない。

 ふと、一つの気配がサカキに触れてきた。建物まで数十メートルといったところか。誰の気配かということも、なんとなくわかる。特徴的な男だ。

 

「ムツキ君。下に降りて、フミツキ君を下がらせてくれるか。女子更衣室まで踏み込むようなことは流石にすまい」

 

「はあ。その、何かありましたか?」

 

「来客だよ。老いぼれ犬だ」

 

 ムツキの表情に、はっきりと緊張が走った。

 

「フミツキ君は一度顔を見られている筈だ」

 

「すぐに下がらせます」

 

「君も下がっていい。老いぼれ犬とは、私だけで話そう」

 

「アジトには何も残さなかった筈ですが」

 

「私を拘束するつもりならジムリーダーの一人でも連れてくるだろう」

 

「ではなぜ?」

 

「嗅覚というやつだろうな。面白い男だ。何かしら、私を追い詰める道筋を見つけたのかもしれん」

 

 ムツキの顔がますます強張った。サカキは笑って、手を払った。表情をそのままにムツキは退出した。

 席を立ち、コーヒーを淹れようとした。といっても、半分以上は機械が勝手にやってくれる。サカキのやることは、豆を挽いて機械に放り込むだけだ。カップとビターチョコレートを二つずつ、コーヒーメーカーの横に置いた。

 デスクに戻ってグラスクロスを取り出し、モンスターボールに当てた。光沢が鋭かった。宥めるように、サカキは少しずつグラスクロスを遣い、光に翳しては別の箇所を擦った。光沢が鈍くなるのを待っている。そんな気分になってきた。

 コーヒーメーカーが完成を告げた。サカキはボールを擦り続けた。光。まだ、くすんだ中に射してくる筋がある。慎重にグラスクロスを当てた。鋭さをボールの中に押し込んでいく。光沢が曖昧になってきた。これがはっきりと鈍くなるのは、いつなのか。光が鈍くなる前にボールが磨耗してしまうことも、あるのではないか。それでも、擦り、磨き続けるしかない。

 コーヒーの薫りが室内に立ち上って、サカキは顔をあげた。タカギだった。

 

「邪魔をしちまったかな」

 

 どこか気安い感じで、タカギが言った。サカキはちょっとボールを確かめ、布でくるんだ。目元に微かな疲労があった。

 

「訪いを入れたが案内がいなくてね。悪いが、勝手に上がらせてもらった」

 

「秘書は出払っていましてね」

 

「若いトレーナー達がいるだろう」

 

「来客を気にしていられるような、悠長なトレーニングはさせていませんよ」

 

「確かに。凄まじいもんだね」

 

 タカギが階下に目をやった。ガラス張りの向こうでゴローンが飛び上がり、それから地面を叩いた。衝撃を逃す構造でなければ建物の一つぐらいは軽く崩せるほどの『じしん』だ。競技場はかなり揺れた筈だが、バランスを崩すようなトレーナーは一人もいなかった。

 トキワジムの特訓は地獄の苦しさだと言われていた。体幹のできていないトレーナーは話にならない。そして体幹とは、躰の一部分だけを鍛えれば身に付くというものではなかった。ポケモンに求める以上のストイックさをサカキは己に課し、トキワジムのトレーナー達にも求めた。それが周りには地獄のような特訓に見えるようだ。

 地獄のようなものは、決して地獄ではない。サカキはそう思っていた。だから、他人に求めることも許される。

 

「我々警察も年に何回か、護身術程度の訓練はするがね。私ぐらいの歳になると参加している態を装っているだけで、まともに組みやしないが」

 

「それで充分でしょう。警察の方にはもっとやるべきことがある。苦しいトレーニングとは、ある意味で合理性から外れるのですよ」

 

「強くなるのだろう?」

 

「ほんの僅かに。一個人のほんの僅かな強さは、世間に何の影響も持ちませんよ」

 

「しかし、君たちはそのほんの僅かの差を競っている。違うかね?」

 

「まさしく。トレーナーの宿運のようなものでしてね。誰でも一度は悩むのですよ。この僅かな差に何の意味があるのかと。いや、強さそのものにかな」

 

 立ち上がり、コーヒーを淹れた。薫りはどこか統一性をなくし、まばらに浮かんでいた。不味くはない。しかし、旨くもなかった。ムツキが淹れたものと同じ銘柄とは到底思えない。タカギも一度口を付けたきり、机に放り出してしまっている。

 

「私が準備しまして。お口汚し、と言っておくべきでしたか」

 

「そう悪くもない」

 

 言ったが、タカギはコーヒーに手を伸ばそうとはしなかった。サカキは灰皿を勧めた。タカギが軽く会釈し、煙草を咥えた。オイルライター。フリントホイールから火花が散っている。三度やっても火は着かなかった。焦った様子もなく、タカギがホイールを回す。なかなか火を見せないライター。老いぼれ犬にはぴったりだ、という気がした。

 着火した。タカギの目尻に僅かな影が走った。それが消えると共に、いがらっぽい煙が拡がった。

 

「強さとは、なんなんだね?」

 

 俯きがちにタカギが問うた。サカキは内心で笑みを溢した。強さの価値ではなく、もっと観念的な問い。清々しいほどに、人の心の内を突いてくる男だ。

 

「禅門問ですか」

 

「君がどう答えるか、ふと気になった」

 

「戦うことですよ」

 

「それで?」

 

「それだけです」

 

「戦って、終わりかね?」

 

「次の戦いがどこかにあるでしょう。終われば、またその次が」

 

「負けたらどうする?」

 

「死ねば終わりますよ。死ななければ、次の戦いが」

 

「戦うだけの人生が強さか。軍人でももう少しマシな答えを出すだろうな」

 

「ポケモントレーナーなのですよ、私は」

 

 言ってから、酷い欺瞞のように思われてサカキは自嘲した。表向きは最強のジムリーダーとして栄誉を受け、裏ではロケット団の総帥として暗躍している。純粋さを持ってポケモントレーナーなどと名乗る資格がある筈もなかった。

 本当のポケモントレーナーとは、ポケモン達と旅をし、粗末な食料を分けあい、身を寄せ合って眠る人間のことだ。そういう人間こそがポケモントレーナーを自称することを許される。サカキはそう思い続けてきた。

 タカギが気のない表情をしながら煙草を吹かした。コーヒーの湯気はもうか細くなっている。

 

「父親を、子供の頃に亡くしているね」

 

「幼いといってもいい頃でしたよ。登山中に滑落したと聞いています」

 

「なぜ、オツキミ山で登山を?」

 

「さあ。父の物はなに一つ帰って来ませんでしたので。遺体すらもね。損傷が激しかったらしいと、母が言っていましたよ」

 

「捜索にはなぜか同盟軍が出動しているね」

 

「チョコレートを一切れ貰いました。そのことだけは、今でもよく覚えています」

 

「仇をか」

 

「チョコレートを貰ったことを、ですよ」

 

「私は同盟軍に見張られている」

 

 タカギが煙草を置き、コーヒーに口を付けた。それも、熱いコーヒーでも飲んでいるかのようにゆっくりとだ。

 

「ロケット団についての捜査情報提供を求められたが、拒否した。連中は私を泳がせて、最後の獲物だけを横取りすることにしたらしい」

 

「ご苦労はお察ししますよ」

 

「奴らはロケット団の首領を殺したがっているだろうな。私は警察だ。生きたまま逮捕し、取り調べ、全ての悪事を明るみにしなければならん。全ての、だよ」

 

 タカギはコーヒーカップを持ったまま語っていた。本心を語っている。それは見ていてわかった。

 全ての悪事。つまり、同盟軍を介して行われた資金洗浄も明るみにすると言っているのだろう。ロケット団は勿論、同盟軍にとっても大きな痛手となる。本国でも海外派兵の賛否がわかれているという。不祥事は大きな火種になり得るのだ。

 並みの刑事なら圧力に揉み消されて終わりだろうが、老いぼれ犬ならあるいは遣り通すかもしれない、とも思えた。

 

「私がトキワに来たこともすぐに掴まれるだろう。君の滑落死体を、見つけたくはない」

 

 一瞬だけ、サカキはタカギに好感を覚えた。

 悲しみを抱えた男なのだ。決してまともな刑事とは言えないが、その一点だけでこの男を嫌いになりきれない気がした。

 

「謂れのない話ですよ。しかし、もし」

 

 煙草の煙がうねって、そのまま消えていく。コーヒーの薫り。

 

「もし私が死んだとすれば、力の限り戦ってのことでしょう。例え不本意な形であろうとも」

 

「そうか」

 

 タカギは頷くと、煙草を灰皿に擦り付けて消した。コーヒーも律儀に飲み干して、タカギが腰を上げた。

 

「君と一度、勝負をしてみたかった。刑事としてではなくポケモントレーナーとして」

 

「ジムへの挑戦に年齢制限はありませんよ。これから各地を周られれば良い」

 

「無理さ。私は刑事なのだから」

 

 ドアを開けながら、タカギはちょっと笑ってそう言うと、丁寧にドアを閉めて去っていった。

 サカキは自分のコーヒーを時間をかけて飲むと、流しに持っていってスポンジを泡立てた。戻ってきたムツキが慌ててスポンジを取り上げた。

 

「私が洗いますから」

 

「そうか。すまないな」

 

 椅子に腰を降ろし、グラスクロスを手に取った。しかし、ボールを磨く気にはなれなかった。ぼんやりと虚空を眺める。

 

「最低限の団員を各地に残して、それ以外は総員ヤマブキに集結させる。シルフカンパニー内部に潜入している者にも連絡を取ってくれ」

 

 洗い物を終えて戻ってきたムツキに言った。ムツキが表情を強張らせた。

 

「配置については以前から話していた通りだ。シルフ周辺やゲートを押さえる部隊と内部に突入する部隊に分かれる。内部組は更に制圧班、設計図の捜索班、シルフ社員等を拘束隔離する班へと分かれ、全工程を同時に進行する」

 

「フミツキ隊員は?」

 

「制圧班だ。制圧完了後は半数を捜索に回し残りを警戒に当てる。彼女には警戒を担当してもらう」

 

 ムツキが何かを言いかけ、ためらったように口を閉じた。サカキは無言で促した。

 

「ゲートの方へ彼女を回せないでしょうか?今の担当者は細かな配慮に欠けるところがあります。彼女が適任という気がするのですが」

 

「もっともな意見だな。私の見方とも近い」

 

「ならば」

 

「彼女とサンドパンは戦おうとしている」

 

 一度区切り、それから諭すようにサカキは続けた。

 

「戦う意志を遮ってしまえば、ロケット団はロケット団ではなくなる。わかってくれるな」

 

 一瞬口を開きかけてから、ムツキが項垂れた。

 

「私はどうも、理屈ばかり先走ってしまうようです。大事なことがなにかを忘れて」

 

「我々は悪の組織だ。一つだけ他の組織と違うことがあるとすれば、戦う意志だろう」

 

「お言葉は忘れません。本部長と連携して作戦の体制を整えます」

 

「頼む」

 

 ムツキが駆け足で部屋を出ていった。

 サカキはガラス窓へと身を寄せ、階下を見下ろした。ジムトレーナーがサイホーンを駆け回らせ、その動きに合わせて自身も走ることで指示を出すのに最適な位置取りをする訓練をしていた。公式戦では大して役に立たない技術だ。しかし、これをこなすことこそがトレーナーの実力とされる時代もあったのだ。

 苦しいトレーニングだが、サイホーンは活力に満ちていた。もう数ヶ月もすれば進化するだろう、とサカキは見た。

 サイホーンとサイドンでは戦い方が全く異なる。

 サカキはノートを手に取り、サイホーンとサイドンの扱い方の違いについて思い付く限りの注意点を書き込み、参考になる書籍や映像のタイトルを付け加えた。そして、棚の目に付きやすい場所にそのノートを仕舞った。

 

 

 

 

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