罅割れた夢   作:島ハブ

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第17話

 

 

 

 

 からりと晴れ上がっていた。シルフカンパニーを横目に見ながら、フミツキは首を滴る汗を拭った。

 

「隊長、水です」

 

「ありがとうございます」

 

「こう暑いと参っちまいますね。合図が来ればすぐ突入するのに」

 

「北との兼ね合いもありますから」

 

 ペットボトルを一度呷ると、蓋は閉めずに隣へと渡した。全員で回し飲む。汗は全員が等しく掻いているのだ。

 ジムリーダーのナツメはタレント業を始めるとかで一時的に海外に行っているらしい。ただ、古くはヤマブキのジムリーダーを務めていた格闘道場があり、支配人がそちらに備えることになっていた。ジムトレーナーや自警団の方が警察よりも身軽なことは、フミツキも実感をもって覚えている。

 全員私服だった。だから見た目にはわからないが、今この区画を歩いている人間の半数以上はロケット団が占めている。ゲートを担当する班が少しずつ人の入出をコントロールしているのだ。やがて、シルフカンパニーが社外秘の実験を行うという名目で完全にシャットダウンされる筈だ。ボスや支配人の手腕を考えれば、政治的な部分からも手を回しているだろう。

 そういった事情や、ボスの持っている遠大な計画についての一切を、フミツキは頭から追い出した。

 シルフカンパニーにも警備員などの戦力はいる。事前に知らされた情報によればバッジ持ちも少なくはないようだ。そういった相手を無力化し、拘束隔離を担当する班へと引き渡す。それだけに集中すべきだった。

 トキワでは、ひたすら自分の限界へ挑むような訓練を続けた。走り、筋力トレーニングをし、ポケモンバトルをし、また走った。途中から自分が何をしているのかも怪しくなってくる。それでも、指示されるままに続けた。トキワジムの誰一人とて、トレーニングに不満はなかった。サカキ本人が一番キツいトレーニングを自身に課していたからだ。それを見ながら泣き言など言えなかった。

 今、バッジ持ちのトレーナーと戦えと言われても、フミツキはさほどの恐怖は覚えなかった。

 

「もう躰の方は大丈夫なんですか?」

 

「ええ。トキワの方でしばらく療養させてもらいましたから」

 

 訊いてきたのはオツキミ山でも一緒だった隊員だ。あの時の隊員で突入部隊になった者は全員、フミツキが指揮するメンバーに入っていた。フミツキを含めて五人の部隊だ。

 やりやすくはある。それと同時に、いなくなった顔のことも思い出された。

 今の自分があの時のレッドと相対したらどうなるだろうか。勝てる、と思えるほどの自信はフミツキにはなかった。しかし、撤退ぐらいはできたのではないか。

 全て終わってしまったことだ。次の機会があるかもしれない。その時に、自分にできるだけのことをすればいい。脇に抱え込んだ上着に、フミツキは目をやった。

 

「隊長」

 

「ええ」

 

 二十人程の人間がシルフカンパニーの入口に集まっていた。シルフ内部に潜入している団員が、建物内のセキュリティや外部との通信を切ることになっている。

 腰を上げた。ドアが開き一人の男が出てきた。男が合図すると、二十人が一斉に飛び込んでいった。一瞬の静寂の後、何かが割れるような音と悲鳴が街をすり抜けた。動揺したような気配を見せた通行人が、数人の男達に包み込まれた。

 三十秒待った。警報は鳴らない。周囲の部下に目線を送ってから、フミツキもシルフカンパニーへ向けて駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 入ってすぐにフミツキはマスクで顔を隠し、抱えていた上着を団服の下に着込んだ。

 明るい照明と真っ白な壁、磨きあげられたタイル張りの玄関フロアにはいくつかの噴水と受付があり、その奥に階段が見えていた。先に突入した二十人が社員達を壁に追い詰めて一纏めにしている。数人の警備員は軽く蹴散らしたようだ。

 二十人を横目にフミツキは階段へと駆けた。外の通行人は粗方押さえたのか、後続も次々とシルフカンパニーに突入してきている。

 二階に上がり後続を待った。警備員が二人、立ち向かってきた。ケーシィとスリープ。サンドパンが容易く蹴散らした。トキワのジムトレーナーと比べればまるで素人だ。

 

「こちらは終わりました」

 

「こっちもです、隊長。順調ですね」

 

「そろそろポケモンバトルに手馴れてる人間が出てくるはずです。気は抜かないようにしてください」

 

「やっぱりいますかね?」

 

「専門家というほどではないようですが、事前情報によればバッジ持ちがいます。一番多い人でバッジ四つ持ちとか」

 

「そりゃ、俺達から見れば専門家と一緒ですよ」

 

「できる限りは私で受け持ちますが、いざという時はお願いします」

 

 遅れてやってきた団員達が散らばっていくと同時に、いくつもの足音が一階から駆け上がってきた。フミツキは五つ息を数えて、それから階段に向かった。すぐ後ろにフミツキが率いている団員が、さらに後ろには三階の制圧を担当する部隊が続いていた。

 後ろが遅れ始めた。シルフカンパニーは大型のポケモンや飛行タイプでも不自由しないように設計されていて、天井はイワークが躰を起こせるほどに高い。一つ階を昇るだけでもかなりの負荷になる。フミツキ達五人だけが突出している格好になった。

 

「復帰したばかりとは思えないな、隊長の体力は」

 

「みなさんも、以前よりずっと体力が付いたように見えます」

 

「オツキミ山以降ずっと、隊長にやらされたメニューを続けてたんですよ」

 

「俺達の頭じゃ他にやることなんて思い付きませんでしたから。走ってる方がずっと性に合ってるってもんです。なぁ?」

 

「違いない」

 

 療養中は私が隊長だった訳ではない。それぞれ、直属の上司がいただろう。そう言いそうになって、フミツキは口をつぐんだ。

 私が隊長なのだ。上がる笑い声を聞きながら、フミツキはそう思った。自分がどう思うかも、組織の形式も関係ない。私を隊長と呼ぶ人間がいる限り、私は隊長なのだ。自分が、サカキのことを何があってもボスだと勝手に思っているように。

 重かった。心地よい重さでも、あるのかもしれない。

 サンドパンのトレーナーとして相応しくあろうとするだけでも苦労するというのに。そう思いながら、フミツキは薄く笑って三階に飛び込んだ。

 制服を着込んだ男が三人、待ち構えていた。左の二人が手強い。そう判断した瞬間にはフミツキは左に跳びながら、後ろにハンドサインを送った。四人がフミツキとは逆に駆けていく。

 

「オコリザルっ」

 

 左の男がオコリザルを、真ん中がモルフォンを繰り出してきた。残りの一人は四人と相対している。

 どちらのポケモンも等しく鍛えられているように見える。一瞬、迷った。フミツキが指示を出すよりも先にサンドパンがモルフォンに躍りかかり、『きりさく』を見舞った。そのまま、オコリザルのことなど忘れたかのように追撃を加えている。

 フミツキはオコリザルのトレーナーと相対して、腰元のボールに手をやった。ハッタリだったが、相手は一瞬二の足を踏んだ。サンドパンがモルフォンを倒すには充分な時間だった。

 

「なにをやってる。そいつ、一匹だぞっ」

 

 仲間からの叫び声に、オコリザルのトレーナーは顔を紅潮させた。フミツキは敢えて笑みを浮かべてから、これ見よがしに空のモンスターボールを放り捨てた。

 

「『こうそくスピン』」

 

 怒りのままに飛び出そうとしたオコリザルの横っ面を、サンドパンが弾き飛ばした。

 『きりさく』でも悪くはなかったが、オコリザルの中には急所への攻撃で怒りを増幅させ力を発揮する個体もいる。素早さを上げつつ攻撃できる『こうそくスピン』がベターだろう。

 自分の指示を振り返り、そう評価を下した。本当の意味での実戦はオツキミ山以来だが、戦況ははっきりと見えている、という気がする。

 

「オコリザル、『かたきうち』だっ」

 

 怒りに筋肉を膨張させたオコリザルが向かってくる。ここが競技場ならば『あなをほる』だろう。しかし、タイル張りの床が素早く潜れるような構造になっているとは思えない。

 

「『まるくなる』、それから『きりさく』」

 

 サンドパンが飛び上がりながら、空中で躰を丸める。オコリザルの拳がその上部を殴り付けた。芯は外している。躰を開いたサンドパンがそのままオコリザルに飛びかかり、その爪で逆袈裟に切り裂いた。オコリザルの躰が瀕死時の収縮を始めた。

 

「馬鹿な、俺がロケット団なんかに」

 

 相手のトレーナーが愕然としている。恐らく、バッジ四つ持ちのうちの一人だろう。

 男は目を剥くと、怒気を撒き散らしながらフミツキに向かってきた。数歩踏みしめるように歩き、それから勢いを付けて走りだそうとしたその躰を、横から数人の男達が取り押さえた。ロケット団の団員達だった。後続もようやく追い付いてきたようだ。

 反対側に目をやった。四対一の戦いは、流石に数の利で圧倒している。問題無しと判断したフミツキがサンドパンに傷薬を塗っているうちに、勝負は終わっていた。

 

「ジム巡りでもしてたんですか、隊長?」

 

「特にはなにも。いい環境でトレーニングできた、とは思っていますが」

 

「あのハンドサインは速く倒して加勢しろ、の意味だと思ってましたよ。まさか隊長の方が先に終わっちまうとは」

 

「逡巡みたいなものが一切見えなかったな。プロのトレーナーかと思いましたよ」

 

 逡巡はあった。サンドパンが咄嗟に判断したおかげで、周りからはそう見えなかっただけだ。

 そのことで自分を卑下しようとは思わなかった。サンドパンが判断してくれることまで織り込んで、フミツキは動いているのだ。

 フミツキが人並み以上の実力を発揮できるのはサンドパンとのコンビでだけだろう。それならそれで構わなかった。自分は、サンドパンのトレーナーなのだ。サンドパンのトレーナーとして優秀であれば、それでいい。

 

「このまま、最上階を目指します」

 

 三階の制圧完了の報告を受けてから、フミツキは言った。フミツキの隊だけでなく、その場にいた団員皆が神妙な顔でフミツキの言葉に応答した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 やるべきことはなかった。

 タマムシでは、三課が血眼になってロケット団が盗品を捌いていたルートを洗っている。四課は残党狩りで、タカギの出番はどこにもなかった。

 ゲームコーナーも表向きは何事もなく営業している。あくまでロケット団とは無関係だという態度を貫いていた。店長など、被害者面でマスコミのインタビューに答えていたぐらいだ。

 アジトを壊滅させたのは謎の少年ということになった。タカギはたまたまゲームコーナーにいて、現場に急行した格好だ。信じてもらえる訳もなく、課長からはロケット団の案件から外れることを命じられた。

 

「タカギ警部、また独断専行ですか?」

 

 歳の近い同僚が揶揄してくるのを無視して、タカギはコーヒーを淹れた。デスクに着き、新聞を広げる。

 捜査ではロケット団の痕跡が至るところで見つかっていた。マスコミもこれを大きく報じ、捜査の進捗はお茶の間の娯楽と化している。警察が犯罪組織を追い詰める、ドキュメンタリー番組のような扱いだ。捜査関係者の証言として、大物幹部の逮捕が近い、などと書いてあった。

 これ以上進展はないだろう、とタカギは見ていた。出てくる情報はどれも単体のもので、初見のインパクトこそあるものの捜査状況を大きく前進させるものではなかった。他の情報と一切連動しないのだ。意気込んで出かけていった捜査員はみな、尻切れトンボの内容に首を傾げながら帰って来た。

 痕跡は意図的に残された物だと判断するしかなかった。課長もここ数日は憔悴しているようだ。ここで逃せば警察の威信に関わる。かといって、有力そうな情報はなにもなかった。

 

「課長もずいぶん焦ってるみたいですねえ」

 

「そうだろうな。手がかりがない」

 

「やっぱりタカギ警部から見てもまずい状況だと思いますか?」

 

「間違いなくな」

 

「ですよね。これで逃げられたら大変なことですよ」

 

 タカギが懸念しているのは、逃げられることではなかった。このまま消えてくれるのなら有難いくらいだ。

 ロケット団が大きく動くとしたら、警察や世間の目がタマムシに向いている今ではないのか。そして、潜行し続けたあの組織がその力を全て顕したら、一体どういうことになるのか。

 暴力団やマフィアと抗争を起こすぐらいならばいい。しかしもし、ロケット団が同盟軍と争う覚悟を決めているのなら、どこかで大きな勝負に出る筈だ。

 

「まあ、一課(うち)が気にしたって仕方ないんですがね、本来なら。課長もなんだって首を突っ込んだんだか」

 

 同盟軍絡みなどと言う訳にもいかず、曖昧に頷いてからタカギはコーヒーを口に運んだ。

 サカキの淹れたコーヒーは誉められたものではなかった。ふと、そう思った。

 トキワジムでそれを飲んだのだった。以前見た秘書はおらず、サカキ自らコーヒーを淹れた。

 どこかに、無骨さがあった。優れた銘柄に優れた機械を使って淹れても、薫りの中に一本の線があった。それは、サカキが磨きあげているモンスターボールから時折射してくる鋭い光線に似ていた。

 上品な薫りや磨きあげた鈍い光で誤魔化そうとしても、どうしようもないものだ。あの男の中には、獣染みた意思が一本の線となって通っている。

 

「警部、どこか出るんですか?」

 

「歳を取ると、じっとしているのも腰が辛くてね」

 

「やだな、そんな歳でもないでしょう。外に行ったって暑いだけですよ」

 

 部屋を出た。行く宛はない。今さらタマムシを歩き回っても、まともな手がかりなど出てくる筈もなかった。コーヒーと新聞を手に、管を巻いているのが馬鹿らしくなっただけだ。

 

「はあ、それは、国からの許可は降りているってことですよね?」

 

 声が聞こえた。交通部だった。受話器を耳に押し当てている警官の横で、スーツに身を包んだサラリーマンが大声で喚いていた。

 

「なあお巡りさん、こっちは困ってるんですよ。なにせ急なことで」

 

「ちょっと待ってください、今問い合わせていますから」

 

 一旦受話器から耳を離した警官はサラリーマンにそう言うと、再び通話に戻った。タカギはそちらに近寄った。

 

「どうしました?」

 

 タカギが警察手帳を見せながら言うと、サラリーマンはちょうどいい話し相手を見つけたとばかりに口を開いた。ハンカチで額の汗を頻りに拭っている。

 

「いや、本当に困っているんですよ。シルフカンパニーの区画が全面通行禁止って連絡が急に回ってきて。同僚は朝から出かけていったってのに、ゲートの所で止められましてね」

 

「シルフの区画が通行禁止?」

 

「そうですよ。それで今、こっちのお巡りさんに色々訊いて貰ってるところ」

 

 タカギはそちらを見た。若い婦警で、顔にははっきり迷惑そうな表情が浮かんでいた。

 

「一課のタカギだ。君、相手は?」

 

「シルフ区画の西口ゲートです。行政の許可が降りてるのは確認したんですが、そちらの方がダメ元で訊いてみて欲しいと」

 

「ちょっと替わってもらえるかな」

 

 言いながら、タカギは受話器を奪い取った。

 

「あのね、お巡りさん。いくら言われたって駄目なものは駄目なんですよ。わかるでしょう」

 

「ちょっと聞きたいんだがね。ああ、私はタカギって者だ。刑事だよ」

 

「刑事さん?」

 

「こちらでも確認はした。ずいぶん、急な話のようだね」

 

「そんなこと、こっちに言われたってわかりませんよ。下っ端ですから」

 

「こちらの方はシルフカンパニーとも取引があるようだ。それでも駄目なのかな?」

 

「ですからね、刑事さん。ただでさえ暑いのに同じ事を何回も言わせないでくださいよ」

 

「そりゃ申し訳ないが、こちらも仕事でね」

 

「通りたけりゃ、タマムシでもなんでも連絡取って許可取ってきてくださいよ。こっちもね」

 

 そこで一度、男が言葉を切った。

 

「ああもう、ちょっと待っててください。子供が入ってきたんで」

 

「構わんよ」

 

 タカギは受話器を強く耳に押し当てた。何か急かすようなことを喚き立てているサラリーマンを一睨みし、手錠を取り出して見せた。サラリーマンが口をつぐんだ。一言も聞き逃したくなかった。聞き逃してはならない、という気がした。

 

「だから、さっきも通せないって言ったじゃねえか。聞き分けのねえ坊主だな」

 

「あの、そうじゃなくて」

 

「何だよ。忙しいんだよこっちは」

 

「これを」

 

「なんだよこれ?お前これ、水か?ずいぶんあるじゃねえか」

 

「キツそうにしてましたから」

 

「買ってきたってのかよ、お前」

 

「水分は補給した方がいい、と思います」

 

 しばらく声が途切れた。

 

「友達に会いに行くって言ったな、お前」

 

「幼馴染がちょうど、昨日から来てるって聞いて」

 

「友達に会うだけなんだな?」

 

「その予定です」

 

「ああもうっ、ちょっと待ってろ」

 

 受話器が持ち上げられたような音がした。タカギは何も聞かなかったような声音を心掛けた。

 

「とりあえず無理なもんは無理ですよ、刑事さん。これ以上時間取らせないでくださいよ」

 

「そのようだね。忙しい時に悪かったな」

 

「じゃ、これっきりでお願いしますよ」

 

 電話が切られた。縋り付いてこようとするサラリーマンを無視して、タカギは外に出た。日差しが強かった。

 電話口から聞こえてきた声は間違いなく、知っている少年の声だった。縁、というやつだろうか。

 ヤマブキで何かが起こっている。それは間違いないだろうが、タカギが行ってもゲートを通れはしないだろう。交通規制自体は正規のルートから出ているのだ。

 歩きだした。待つ刑事か。口の中で呟いた。

 

「最後にもう一度、待ってみるか」

 

 今度は、声に出していた。

 

 

 

 

 

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