罅割れた夢   作:島ハブ

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第2話

 

 

 

 

 ノートを捲る。前のページは、余白すらないほどに書き込んでいて、サカキ以外の人間では読むことも困難だろう。構わなかった。どの道、他人が読むことなどないのだ。

 内容はジムトレーナーについてである。手持ちはもちろん、選出の傾向や交換のタイミング、指示の方向性、ボールを投げる際のコントロールと肩の力まで、バトルに関わる全てのことを網羅していた。僅かな変化がある度に、書き足している。

 書き始めた当初は一冊のノートに全員の情報を書き込んでいたが、ほんの数年で一人一冊の状態になった。サカキの着任時からいる古参に至っては三冊目も埋まる勢いだ。

 他のジムがこういう記録を取っているのかは知らない。やるべきだと思ったから、やっているだけだ。

 ふと思い付いて、一冊のノートを開いた。先ほどまで、ポケモン協会のトキワ支部長と机を囲んでいた。そこに同席していた一人のノートである。

 料理は、流石に豪勢だった。油ものが多くサカキはあまり箸をつけなかったが、若いジムトレーナー達は掻き込むように食べていた。一人だけ、サカキと同じように食が進んでいない若者がいた。

 パートナーのサイホーンのために、持って帰ってやりたいんです。尋ねたサカキに、彼はそう答えた。

 トキワ支部長は乗り気ではなかった。余り物を包んで貰うなど意地汚い。その言葉に、サカキはかっとした。

 ポケモンに旨い物を食わせてやりたい。トレーナーならば持って当然の感情で、意地汚いことなどある筈がない。怒鳴りつけるのをこらえながら、サカキはそう言った。

 結局、いくつかの使い捨て容器に包んで貰うことになった。当たり前のことをしたつもりだったがジムトレーナー達はそうは思わなかったようだ。特に、サイホーンの彼はいたく感動したようで、しきりに頭を下げていた。

 ノートに、ポケモンを思いやれる者、と書き込んだ。その文字はサカキの胸に、気持ちのいい若者を見た晴れやかな想いと、微かな自嘲を同時に呼び起こした。良心が咎める、というのではない。真面目腐った顔でこんな文言を書き綴れる自分が、滑稽なだけだ。

 ポケモンを友とする、ポケモントレーナーのサカキと、道具や商品として扱うロケット団総帥のサカキ。二つの貌は、特に矛盾することなく同居していた。人間など、そんなものだろう。

 

「入ってもよろしいでしょうか?」

 

 サカキが返答すると、ムツキが入ってきた。手には書類の束を抱えている。

 夜分遅いが、サカキとムツキの間に色めいた事情はなかった。ただ、ジムに出入りする人間の中には邪推する者もいる。殊更に否定もしていない。男と女というのは、根拠や過程を必要としない便利な方便だった。

 

「ヤマブキからです。例の観測データの」

 

「三回目だな。結果は?」

 

「数値上はどれも上昇しています。ただ、やはり読み解ける者がおりません」

 

「まあ、わかっていたことだ」

 

 差し出された資料にサカキは目を通した。可視化された状態にあるので、変動自体はサカキでも易く読み取れる。

 

「エスパータイプのポケモンの波長に符号する、と言った研究者がいるようです。ただし、数値の規模から懐疑的な見方をされているとのことです。前例がないと」

 

「ほう。抱き込んである研究者かね?」

 

「いえ、純粋なシルフカンパニー勤務の者です」

 

「気質は?」

 

「研究が第一でしょう」

 

「よし。こちら側に取り込むよう指示を。ロケット団とは無関係にな」

 

「グループ内で孤立させるよう命じておきます。その後に引き込めば、あくまで研究グループを移っただけ、という格好を作れます」

 

「余計な情報は与えなくていい。ハナダの洞窟の観測データだけを渡しておくことだ。根っからの研究者ならば、それで事足りる」

 

 再び資料に目を落としたサカキに、ムツキがおずおずと声をかけた。

 

「サカキ様、それでこのデータは、その、一体何のデータなのか尋ねても?」

 

「これかね。そうだな。神、のようなものさ」

 

「神、ですか?」

 

「並外れたエネルギーを神と称するならば、だがね」

 

「それほどに」

 

「もっとも、悲しい神だ。人の業に生まれている」

 

「サカキ様はどこでそれを?」

 

「殿堂入りをした直後に、ハナダの洞窟に入った。そこで戦ったよ。なんとか退けたが、あそこで死んでいてもなんの不思議もなかったな。いや、今生きている自分こそ不思議という気さえしてくる」

 

 ミュウツー。その名は、父の書斎の隠し床にあった手帳で知った。武力決起を目指した活動家達が目をつけ、詳細な調査をしたようだが、肝心のハナダの洞窟に入れるような力量を持った者がいなかった。

 

「とにかく、解析を進めるしかない。一つだけ当てがあるが、協力を得られるかは疑問だな」

 

「お聞きしてよろしいですか?必要と判断したら、私の方で手配します」

 

「いいだろう。シオンタウンのフジという老人だ。元々は研究者で、その神を造りだしたのも戦時中の彼らだ。今となっては、唯一の生き残りだな」

 

 頷いて、ムツキが手帳を開いた。とにかくメモを取る、というところがある。勿論、直接の名称は避け、いくつかの符丁を用いて読み解くタイプの暗号になっている。

 

「タマムシはどうでしたか?」

 

 一段落したらしいムツキが顔を上げた。

 

「資金ルートは、今のところ安全だろう。馬鹿馬鹿しいカラクリで、遊技場の経営者が一儲けしている、という形はできている」

 

 ポケモンの売買は違法だが、譲渡については大して拘束力もない条例があるだけだった。ある程度の年齢に達した子供にポケモンを譲渡して旅立たせるというのは、ほとんど文化となっている。その文化と上手く折り合いをつけられなかったために、有名無実の条例だけで済ませたのだ。杜撰な仕事というべきで、穴はいくらでもあった。

 ゲームコーナーの隣に老婆が住んでいる。年老いて面倒を見切れなくなったポケモンの引き取り手を探していて、たまたま通りがかった青年にポケモンを譲渡する。青年は感激して、お礼の気持ちとして何らかの品物を置いて去る。

 譲渡されるのがやたらと希少なポケモンで、置いていかれる品物がゲームコーナーのコインであることを除けば、ありがちな話といっていい。

 

「同種の遊技場を作ろうという動きもあるようです」

 

「タマムシならば潰せ。ヤマブキもだ。それ以外の場所ならば放置でいい」

 

「クチバは?」

 

「あそこでやる度胸があるなら支援してやってもいい」

 

「同盟軍お膝元では阿漕なことはできませんね」

 

「やるだけならば簡単だ。ただ、揉めた時の収拾がつかない。鼻薬も効かないとあってはな」

 

 ゲームコーナーの利益は莫大だった。おしぼりや花束などとは桁が違うのだ。しかも、曲がりなりにも正業としてそれができる。

 ただ、そこで得た資金をロケット団に動かすことには苦労した。今は、クチバに一つカラクリを仕掛けてある。ゲームコーナーの資金は一度クチバを通ることで、まったく新しい金としてロケット団の手元に入るようになっていた。

 いつかは、手繰られるだろう。その時はゲームコーナーを完全に切り離していい、とサカキは思っていた。資金があるに越したことはないが、金稼ぎを主眼にこんなことをやっている訳ではないのだ。

 

「ああ、そういえば、一つ拾い物があった。フミツキというトレーナーだが、知っているかね?」

 

「彼女ですか。昨年に入団した者ですね。少々変わった経歴をしていたので覚えております」

 

「経歴?」

 

「ニビの郊外に生まれています。幼少期から頭角を現し、将来について期待されていたようです。実際にニビの少年大会では複数回の優勝歴があります」

 

「華々しいことだ。それで?」

 

「十四歳で旅に出て、一度の挑戦でニビジムを破っています。続くハナダジムでは、タイプ的に不利なサンドパンのみで突破したことで、ローカル誌に取り上げられたりもしたようです」

 

「その頃ならば、カスミ君のジムリーダー初年度か。大したものだ。彼女は、手加減が下手なのだがな」

 

「当然、電気タイプのジムであるクチバジムは易く突破するものと思われていました。しかし、クチバに挑戦することなく、彼女は地元に帰っています。それ以降は、そこそこ優秀な学生として暮らしていたようです。正直なところ、トレーナーとしての力量がどれほどなのか私には読みきれませんでした。模擬戦の成績が優秀だという報告は受けていますが」

 

「優秀か。そうだろうな」

 

「拾い物、ということはやはり才が?」

 

「いや、ない」

 

「ない?」

 

「全く、ではない。部分的には人に先んずることもあるだろう。特に観察眼は、人よりも優れている。それだけに、哀れでもあるが」

 

 タケシやカスミと戦ったというのならば、その力量をおおよそ理解できてしまっただろう。きわどく勝つ、あるいはきわどく負ける。ジムリーダーは、役職としてそういうことをするが、本来の能力は一般人とは隔絶したものがある。フミツキは、その本来の能力まで見通してしまったに違いない。

 才は、サカキの見る限りなかった。遺漏は、まったくない試合運びだった。それだけに、サカキが入ってきたことにすら気付かない異常さが際立つ。

 『きりさく』のタイミング。あれほど優位な状況なら、二、三の意識配分でも捉えられた筈だ。彼女は、意識の全てをそこに注いでいた。才は、そういうところに現れる。

 勘違いであってくれ、と望んだことも一度や二度ではない。しかし、サカキが才がないと見た者で、トレーナーとして大成した人間はいなかった。

 

「ハナダジムまで突破したのは、恐らく意地だろう。彼女の絶望はニビから始まっているはずだ」

 

「そういうものですか。しかし、拾い物だと」

 

「君も、トレーナーとして優秀ではあるまい。彼女も似たようなものだ」

 

 ロケット団にいるうち、トレーナーとしての才に溢れている者が何人いるか。多くは、多少の得手不得手を抱えた凡人だ。そしてフミツキは、とりわけ優れた、凡人である。

 

「ハナダの洞窟の観測は続けなければならん。陽動の一つや二つは必要だろう」

 

「いくつか、事件を起こす計画をしています。警察が動かざるを得ず、かといって殊更遺恨の残らないもの。例えば、盗みとかを」

 

「もう一つだ。オツキミ山で一暴れさせる。名目は化石の収集でよかろう。多少問題になるぐらい横暴にさせて、機を見て引けばいい」

 

「その機を見る役をフミツキに?」

 

「状況を、よく読む。その能力だけは私も感嘆するほどだ」

 

「わかりました。ハナダの桟橋の団員にも、観測の用意をさせます」

 

 ムツキの言葉に、サカキは笑った。桟橋の名称はとかく女性受けが悪い。あれを恥ずかしげもなく口にするのは、カスミぐらいのものだろう。

 何を笑われたのかは、ムツキにもはっきり伝わったようだった。むっつりとしたまま、顔を上げずに書類に没頭し始めた。

 夜が更けている。早朝にトレーニングをしよう、とサカキは考えていた。その時間だけ、サカキは煩わしい物事から解放される。あらゆるものを些事と思えるようになる。甘美というには程遠く、花の露でも吸っているような僅かな時間だが、欠かせるものではなかった。

 仕方のないことだ。自分自身で、こんな道を選んだ。義侠心や道徳ではなく、ある種の狂気とともにだ。

 サカキも書類に目を落とした。ゲームコーナーの支配人から、サファリゾーンのポケモンをもっと、という要望が出ている。幾度か検討したが、キョウの目を掻い潜れないという結論を動かしようがなかった。サファリゾーンの密猟者に目を光らせるのが、キョウの仕事の一つでもある。実力はジムリーダーの中でもサカキの次に頭一つ抜けていて、サファリゾーンのことさえなければ四天王になっていてもおかしくはなかった。

 書類には、カイロスやラッキー、ケンタロスを取り扱った時の利益予想まで、根拠やグラフとともに載せてある。思わず、検討したくなるような数字ではあった。実現は不可能と思っていても、サカキはしばらくその夢想に熱中した。

 不意に、顔を上げた。気配。深夜に差し掛かったジムの入り口に、誰かの気配が近付いてくる。やがて、インターホンが鳴った。

 

「誰でしょう、こんな夜更けに」

 

「私が出よう」

 

「いえ、サカキ様はそのままで。こちらの書類は、サカキ様でなければ判断できないものです」

 

「やれやれ、うんざりとしてくるな。大丈夫かね?」

 

「いざとなったら声をあげます」

 

 気配は一つで、不審な動きもなかった。ムツキが応対している間、サカキは再びサファリゾーンの資料に向き合った。やはり、防備に穴はない。正攻法の検討もしてみたが、サファリボールの捕獲率と、一度の入場に掛かる費用はどうしてもプラスに転じさせようがなかった。ゲームコーナーのミニリュウは、全て竜の穴産である。

 気配が動いた。やがて、ムツキがサカキの部屋へと戻ってきた。

 

「子供でしたわ。どうも、ジムに挑戦する順番を知らなかったようで」

 

 ムツキが呆れたように言った。そのどこかに、サカキは違和感を覚えた。

 

「バッジを賭けなくてもいい、と言っていましたが」

 

「野良でのバトルということか」

 

「そういうものは受け付けていないと教えたら、しぶしぶ帰っていきました」

 

「随分と時間がかかったな」

 

「口下手というか、無口な少年でした。暗がりで姿もよく見えなくって。赤い帽子と連れているヒトカゲの尻尾だけが、やたらと明るかった」

 

「熱意のある若者か。顔ぐらいは見てもよかったかな」

 

「本当に、子供ですよ」

 

 それきり、ムツキは資料に向かい始めた。サカキもまたサファリゾーンの資料を見ながら、しかし先ほどのようにのめり込めずにいた。

 気配が鋭かったのだ。唐突に、サカキは違和感の正体に思い当たった。鋭い気配で、バッジの二、三個は持っている実力者が来たと思ったのだ。挑戦の順番を知らないということは、まだバッジを持っていないということである。

 惜しいことをしたかもしれない。才あるトレーナーならば、引き入れてもよかったし、それが叶わぬなら潰しておくのもありだった。

 しかし、気配はもう遠く過ぎ去っていた。もう一度書類に目を落とす。目を通すべきものはいくらでもあった。やがてサカキは、少年のことを忘れた。

 

 

 

 

 

 

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