暇だった。それはタカギだけで、周りの人間は目の回るような忙しさの中にいた。
ロケット団に関しての捜査は独断専行を続けてきたと言ってもいい。課長がロケット団の案件からタカギを外そうと考えたのは当然だろう。シルフカンパニーから逃走中のロケット団と一戦交え取り逃がしたのが決定打となり、口頭ではなく正式な指令として外されることが決まった。その矢先に、あの事件だった。
同僚達の捜査状況を覗き込みながら、コーヒーを淹れた。恨みがましい視線がいくつか飛んできたが気にしなかった。
世間は大混乱の中にいた。その発端がタマムシに潜んでいたロケット団である以上、この騒乱は仕方のないことではあった。こうやってコーヒーを啜っていられるのは、多少の幸運でもある。指令を撤回するべき課長は、自己保身のために走り回っていた。
「タカギ警部、お電話です」
電話番が心底迷惑そうな顔で告げてきた。もう十二時間は電話対応を続けている。マスコミから善意の個人まで、タマムシ署の電話は休む間もなく鳴り続けていた。
「相手は?」
「さあ。店長と言えばわかるとか」
「回してくれ」
電話番がいくつか操作をして、それから合図を送ってきた。タカギは受話器を取った。
「お忙しいところ申し訳ありません。ゲームコーナーの者ですが」
「店長だろう。いつかのコインでも回収する気になったかね」
「ああ、タカギ警部。ご無沙汰をしておりました。お時間よろしいでしょうか」
「忙しい。手短にしてくれ」
同僚達から視線が飛んでくる。見ていたかのように、店長が低く笑った。
「タマムシ警察は大忙しでしょうね。トキワ戦争について、世間の誰もが知りたがっています」
「『トキワの森大規模テロ事件』だよ。間違えてもらっては困る」
「そういう名前になったんですか。ワイドショーなんかでは、トキワ戦争としか呼ばれていませんが」
同盟軍の特殊部隊二百人、ポケモン総数四百匹超。戦争と言われても仕方なかった。
これだけの人員が市井の人々の目を盗んで軍事行動を行っていた事実は、世間に大きな衝撃を与えた。それでも、普段の同盟軍ならば功績を盾に批判を押し切れただろう。
問題は、負けたことだった。瀕死に追い込まれたのはもちろん、モンスターボールの開閉スイッチまで残らず破壊され、にっちもさっちもいかずにトキワシティまで撤退してきたのだ。トキワの住人達の驚きと恐怖は想像するまでもない。大批判が巻き起こった。
「映像を見ましたが、トキワの森は酷い有り様のようですね。トキワシティの人間がいきり立つのもわかります」
「壊滅状態だよ。再生計画は十年単位だ」
「抗議運動なんかは益々激しくなっているようですよ。何より本国の方でも、海外派兵について論争になっているようで」
「次回選挙の争点らしいな。同盟軍は苦しい立場だろう。場合によっては大幅縮小もあり得るというが」
「創設以来の危機でしょうね」
「それで、用件はなんだね?世間話ならば切るぞ」
「以前、話していた件を実行しようかと思いましてね」
「以前の件?」
「タカギ警部から手錠を頂戴するかもという話ですよ」
言われて、タカギはスロットを打った時のことを思い出した。店長は確かに、そういう言い方で自首を仄めかしていた。
犯罪組織について捜査していると度々、こういう話が持ちかけられてくる。大抵は落ち目の組織を見限った構成員による密告混じりの自首だ。
ロケット団だろう、と睨んでいた男ではあった。しかしなぜ、今頃自首をする気になったのか。情報の売り時を待っていたというならあまりに遅かった。タカギの見る限り、ロケット団は逃散してしまっている。
「何を考えている」
「良心の呵責に耐えきれなくなった、ということにしておきましょうか」
「別に理由があるということか。しかし」
そこまで言って、タカギは一つの可能性に思い至った。今売れる情報。それはロケット団ではなく、同盟軍の情報ではないのか。
「君は、どういう地位にいた?」
「ナンバーツーと言って良い位置だったと思いますよ。組織にとって重要な仕事をいくつか任せて貰っていました」
「君達の資金源については」
「まさしく、私の管轄でした。タカギ警部はボスではなく、私を追うべきでしたよ」
店長がちょっと笑った。タカギは一度腰を浮かせ、椅子に深々と座り直した。長くなる気がした。
「資金は、同盟軍を通したマネーロンダリングで賄っていたのだな?」
「ご明察です。参謀部のお歴々の力をお借りしましてね。私の自首で彼らが苦境に立たされると思うと心苦しいばかりですよ」
「証明はできるのかね?」
「書類がありますよ、先方のサイン付きで」
「書類?そんなもの、よく連中が応じたな」
「この国のマフィアは形式に拘る、とお願いしましてね。契約さえ終わればすぐに燃やす約束で」
「燃やしたのかね?」
「目の前で火に投げ込みましたよ。ところで私のキュウコンは、燃やさないまま炎で紙を包めるほど器用でしてね」
「誰の目にも明らかな形で書いてあるんだな?」
「それはもう。なにせ、燃やす筈のものでしたから」
タカギは背凭れに躰を預け、一つ息を吐いた。
苦境に立っている同盟軍を辛うじて支えているのは、ロケット団という悪と戦ったことだった。正義という大義名分が越権行動を正当化する最後の砦といっていい。しかしこの資金洗浄が表沙汰になれば、正義の戦いは不祥事の隠蔽へと成り下がる。
以前ならば適当な人間を本国に左遷する程度で済んだだろう。しかし今、トキワの森への甚大な被害とともに敗北を喫した同盟軍には、批判を封じ主張を通すだけの権威は残っていない。
失墜は免れないだろう。あるいは、事実上の撤退も考えられる。
「この戦い、君達の勝ちか」
「それは勘違いですよ。ボスは同盟軍を潰したい訳ではありませんでしたから。これはあくまで、私の八つ当たりです」
「同盟軍を狙っていたんじゃないのか?」
「誰もが戦う意志と力を持たざるを得ない世界。ボスは無重力の世界と言ってましたがね。そんな世界で力の限り戦いたかっただけですよ、あの人は。同盟軍はそういった世界でバランスを取るための都合の良い重りといったところです」
「無重力の世界を目指すか。なるほど、ロケットという訳だな」
「団の名前は私が言い出したものですがね。ボスも案外気に入っているようでしたが」
「君達の夢は、同盟軍を倒すことではなかったか。協力を得られないのも道理だ」
「ボスの夢は、ですよ。我々の夢はボスそのものでしたから。ボスが同盟軍打倒に拘ればそれが夢ということになったでしょう」
「彼が夢?」
「自分の全てを賭けても良い。そう思わせてくれる存在でした」
一瞬、受話器の向こうで気配が遠ざかった。僅かな沈黙。タカギは何も言わなかった。自分の全てを賭けられる存在。確かに、それは紛れもなく夢だ。
「ボスは、どうなりましたか?」
戻ってきた店長の声は常と変わりなかった。
「不明だ。捜査範囲を拡げているが足跡すら掴めんな。ただ」
「ただ?」
「現場には多量の血痕が残っていたが、そのほとんどが彼のものだと判明した。誰が見ても致死量だそうだ」
「そうですか」
「死んだとは思っていないようだな」
「戦って死ぬのは私のような半端者の特権ですよ。本当に強い人間は死ねません。ボスはそういう末路を羨望しているでしょうが」
「そうか、彼は死ねんか」
言われると、タカギにもそんな気がしてきた。あのニドキングと相対した記憶が甦る。彼らが敗れて死ぬなどあり得ないことのような気がする。なにより、死ねないというのがどこかサカキらしかった。
「今から向かう。旨い料理を用意してくれ」
「食事ですか?」
「
「最後の晩餐ですか。悪くないですね」
「二人前だ。忘れるなよ」
「やれやれ。とんだ刑事もいたもんだ」
店長の苦笑いを聞きながら、受話器を置いた。周りから不審げな視線が突き刺さってくる。素知らぬ顔をしながら、タカギは上着を手に取り立ち上がった。