ノックをすると、入室を促された。ゲームコーナーの店長とアルバイト、という風になりすましているが、ロケット団の実態はヤクザのようなものだ。気軽にドアを開ける訳にもいかない。
組織の実態ということについて、フミツキはあまり興味がなかった。つまらない人生から脱出できるならなんでもよかったのだ。そして今は別の理由から、組織について気にしなくなった。最後まで勝負を見続けなさい。ボスの言葉を思い出しては、胸を熱くする。自分でも不思議なほどだ。カリスマ、というべきなのだろうか。あのボスがいるのなら、組織の実態などなんでもいい。
「来たな。喫茶店のバイトの方はいいのか?」
「大丈夫です、本部長」
「本部長はやめろ。ここはゲームコーナーだ。支配人でいい」
「失礼しました、支配人」
「呼び出してすまんが、少し待ってくれ。飲み物は好きに取っていいぞ」
支配人が、机の資料に視線を落とすのに釣られて、フミツキもちょっと目を向けた。呼び出された理由に関係するのなら気になるが、だからといって覗き込むほど軽率ではない。ボスの側近、という意味では秘書の女性がナンバーツーといっていいが、組織としての位置付けではこの支配人こそがナンバーツーである。機密書類なども当然扱っているだろう。
だが、フミツキの目線に気付いた支配人は、気安く書類をはためかせた。
「気になるか?」
「いいんですか?」
「大して重要な書類じゃない。正確に言えば、重要になり損ねたってところかな。却下されてな」
軽く流し見る。ケンタロスという名前が見えた辺りで、大体のことは察せた。サファリゾーンのポケモンを取り扱いたいというのは、支配人がよく言っていることだ。
「ま、頭じゃわかってるんだが、どうしても惜しくてな。挙げてみるだけは意見を挙げたってとこだ」
「やっぱり無理ですよね、キョウの腕前は四天王級だと言いますし。力ずくではどうにもできない」
「本当にどうにもできないなら惜しくもなんともないさ。やりようがあるからこそもどかしいんだ」
「キョウを相手に、やりよう、ですか?」
「ボスにご出陣願うことになるがな。まあ、無理だ。ボスを今表に出す訳にはいかん」
「ボスはそれほどに?」
「そういえば、お前が入ったのは去年だったか。三年前の山吹組との抗争は知らんのだな」
「ニュースで見たくらいです。三年前なら私はまだニビにいましたから」
「指揮は俺が執っていたんだが、一進一退だった。ただ、ヤマブキに長年巣食っていた山吹組と新興のウチじゃ体力が段違いだったんだ。負け戦だった。それをあっさり覆したのがボスさ」
「確か、一晩で終わったんですよね」
「警察なんざハイエナみたいなもので、どっちかが負けるのを遠巻きに待っていた。だからあの時、ボスは自由に動けた。奇襲作戦だが、俺達は包囲してるだけで良かったよ。ボスが、喫茶店にでも立ち寄るように山吹組の本部に入って行って、出てきた時にはすべて終わっていた」
俄かには信じ難い話だった。ヤマブキはカントー最大の都市で、そこを本拠地にしている山吹組の構成員は直系だけでも百は下らないだろう。その百人が、それぞれ別で部下を率いていて、カントー全土でどれほどの人数がいるのかは計り知れない。その本部に一人で襲撃をかけるなど、あり得るのだろうか。
しかし、三年前に山吹組壊滅のニュースが世間を賑わせたのも事実だった。逮捕者の数も尋常ではなかった記憶がある。
「半信半疑、という面だな」
「そんなことは」
「いいのさ。情報は、自分で選べ。聞いたことをそのまま受け取るような奴は好きじゃない」
「山吹組の規模を考えると、少し」
「それでいい。ボスの戦いを見たこともない奴なら信じられなくて当然なんだ」
支配人はゲームコーナーについての書類を脇にどけると、茶封筒から別の書類を取り出した。開きつつ、セーラムに火を点けている。メンソールの匂いが室内に広がった。支配人はキュウコンを相棒としているが、煙草に火を点ける時は必ずライターを使う。ポケモンに火を点けさせようとする団員がいると、激しく怒鳴りつけるので、喫煙者全員がライターを持つようになった。
「ゲームコーナーの収益は絶大だが、いずれは目を付けられる。別の手段を講じておく必要がある。それも、いくつもだ。わかるな?」
「はい」
「それに、ロケット団の存在感が世間から消えても困る。自称ロケット団が下らない悪さをしてるだけの状態は避けたい」
「最近は多いそうですね」
「厳しく取り締まろうという気はないからな。俺達は正義の味方じゃない。連中が暴れてこちらから目が逸れるなら大歓迎さ」
「ただ、チンピラの集団とは思われたくない、と」
「話が速いじゃないか」
茶封筒ごと、書類を渡される。
「化石ですか。オツキミ山ですね」
「小金稼ぎだがな」
オツキミ山での化石採集は禁止されていない。あくまで、個人の範疇ならばだ。集団で動けばニビの自警団が出動することになるし、ロケット団だと知られれば警察も動き出すだろう。ニビ自警団の実働部隊トップは、あのタケシである。勝負にすらならないことは、誰よりも自分自身がよく知っている。ただ、支配人が相当の手練れだという話も聞いていた。
「化石採集の部隊に参加すればいいんですか?」
「惜しいな。お前は、指揮さ」
「え?」
「戦闘要員十名、発掘運搬要員二十名、計三十名。アジトから好きに選抜して連れていけ。ハナダ近郊で待機、こちらからの指示が届き次第オツキミ山に突入し作戦行動を開始しろ。突入からハナダへの撤退までは全てお前の裁量でこなせ。作戦前後に関してはハナダの団員が受け持つ」
「冗談ですよね?」
「大真面目さ。俺はここに残って通常業務と中継点を務める」
「そんな馬鹿な」
「書類の下までよく読め」
言われて、目を走らせた。簡素な書類である。下部には、作戦の総責任者として支配人の名前があり、現場指揮としてフミツキの名があった。最下部には、円に罅割れが走ったような印が捺してある。見間違える訳はない。ボスの印だ。
「ボスが、私を?」
「理由はボスにしかわからん。ただ、人の能力を見抜くということについてボスが間違えた記憶はほぼないな」
多幸感に似たものが、フミツキを襲った。自分でも戸惑うほどで、フミツキは必死にタケシとの試合を思い出そうとした。圧倒的な才の隔たり。その壁を感じながら、機械的にジムリーダーを打ち倒す自分と抗わないタケシ。不甲斐なささえも、どこへ吐き出すこともできない絶望。今でも、寸分違わずに思い出せる。しかし、多幸感は消えなかった。逆に、過去の影が光を際立たせるかのように、それは顕著になっていく。
なぜなのか。ボスに認められたからか。一人の上司に認められただけで舞い上がるほどに、承認欲求は肥大していたのか。あるいは、ボスのカリスマが自分を誑かしたのか。
想いは方々に伸びては消え、そして、たった一つだけが残った。自分の為すべきことだ。
「支配人。質問しても?」
「いくらでも」
「誰でも、と仰られましたが、階級の高い方は」
「俺以外なら好きにしろ。例え副支配人を連れていったとしても、指揮はお前だ。好きに使え」
「オツキミ山周辺の、現在の情勢は?」
「悪いが、それはハナダで訊いてくれ。ただ、ニビの自警団には未だタケシが所属しているようだ。週に一度、オツキミ山にも顔を見せている」
タケシと聞いても、フミツキに動揺はなかった。絶望は忘れていない。しかし、多幸感は治まった今の状態でも、絶望がフミツキの身を切ることはなかった。
「交戦はできませんね」
「当たり前だ。ジムリーダーと正面から切った張ったをやる馬鹿がどこにいる」
「支配人ならできるのでは?」
「やらんよ、俺は」
できないと言わないのは、流石にロケット団のナンバーツーだった。
考える。集団での採掘が目撃されたら、ほぼ間違いなく自警団へ通報が飛ぶ。ということは、まず周辺のトレーナーのポケモンを瀕死に追い込み、ポケモンセンターに追い返した後に採掘場を囲む形がいいのか。
自警団がやってくるのは避けようがなかった。しかし、時間は稼ぎたい。ただ、フミツキの記憶にある採掘場は、少人数で隔離できるようなものではなかった。どう配置しても、隙間が空くはずだ。
「ズバットを使う団員がいましたね」
「悪くない。腕はへっぽこだが、地形と作戦次第では使い道があるはずだ。オツキミ山なら尚更」
ズバットの超音波ならば、広い範囲の人やポケモンをカバーできる。群れによって超音波が微妙に違うので、野生のズバット達を煽動して暴れさせることもできるかもしれない。
ぼんやりとだが、形は見え始めた。しかし、一つだけ確認しておくべきことがあった。
「この作戦、化石を捨てることは許可されますか?」
「おいおい。化石を売って金を稼ごうって作戦だぞ。それを捨てるってことは失敗と一緒じゃないか」
「ですので、この質問は一度だけです」
「愚問だと思わないか?」
「あるいは」
じっと、支配人がフミツキを見つめてきた。セーラムの紫煙が揺れている。見当違いを言ったとは思わなかった。見つめ返した瞳が閉じられ、ふと煙が途切れると、支配人はくつくつと笑った。
「ボスがお前を指名した理由、なんとなく俺にもわかる気がしてきたぞ」
「それで」
「構わん。化石なんぞ適当に捨てていい」
「やはり、陽動ですか、私達は」
支配人が中継点と言ったのが、なんとなく気になったのだ。ボスと現場との中継と聞こえなくもないが、現場の細かい事情に遠距離から指示を出せる訳がない。また、化石の収支なんぞをボスに逐一報告するとも思えなかった。
オツキミ山以外にも動いている作戦がある。そちらについては現場と支配人、ボスでやり取りをする。その間、フミツキ達が陽動になる。それならば、話はわかる。
「ハナダの方で一つ動きがある。お前達とは別に、ハナダの東部でも騒ぎを起こすつもりでいる。俺は三ヶ所の情報をまとめなきゃならん」
「東部でも」
「これ以上は言えん。お前の仕事は騒ぎを起こして、しばらく粘り、ハナダ側へ撤収すること。逮捕者を出さずにだ」
ニビの自警団から要請が入れば、ハナダ警察はある程度の人員をオツキミ山方面に割かざるをえなくなるだろう。東部でも騒ぎが起きるのなら、北から南へと手薄な線が出来上がる。ロケット団が活動している場所としてぱっと思い付くのはゴールデンボールブリッジだ。しかし、あそこに何があるのか。
そこで、思考を切った。明らかにフミツキの領分を超えている。
「どれほど、時間を頂けますか?」
「三日後の午後には発ってもらう」
「わかりました。できれば、名簿を頂きたいのですが。手持ちまで載っているものをです」
「ここにはゲームコーナーの名簿しかない。後で届けさせよう。念のため言っておくが、出立が三日後だぞ。人員の提出は」
支配人は突然言葉を切ると、キュウコンを繰り出した。炎が、フミツキの手に絡みつく。熱いとは感じなかった。ただ、手の中で書類だけが燃えていく。書類が燃え尽きると同時に、キュウコンの火も消えた。凄まじい技量だったが、それに感嘆する暇もないまま、フミツキは自分の意識をただの専門学生に切り替えた。外から、誰かが近づいている。
「おい、待てってんだよおっさん」
「邪魔するよ」
扉から現れたのは、茶色のロングコートを羽織った男性だった。髪が全体的に白く、老齢に見えたが、顔を見るにそこまでの歳ではない。なんとか止めようとしているのは、カウンターを任されているスタッフだ。
「君が、ここの店長さんかね?」
「お客様、ここは従業員以外立ち入りをお断りしています」
「ほう。私服の子もいるようだが」
男がフミツキを見て言った。
「面接を受けに来た子でしてね。それより、お引き取りを」
「私はこういう
男は懐に手を入れて、何かを取り出した。
「これは、警察の方でしたか」
「旦那と呼べ。阿漕な商売をしている連中は、みんなそうする」
「真っ当な商売をさせて頂いております」
「真っ当だと?あちらこちらに賄賂を撒いて、グレーを見逃して貰っているだけだろう」
「それは、あんまりなお言葉ですよ」
「私が気に入らんのはな、私の元に賄賂が渡ってこないということさ」
男が言うと、支配人は苦笑いした。
「贈賄で挙げる。そういう手は勘弁して頂きたい」
「詳しいじゃないか」
「多少の世の中は見てきました」
「名乗っておこう。タカギという」
「タマムシのタカギ警部。『老いぼれ犬』の。あ、いえ、失礼を」
「面接と言ったが、履歴書もないようだね」
状況はよくわからなかった。そして、それを隠さずに顔に出した。今のフミツキは、バイトの面接を受けに来ただけの少女、ということになる。不安が顔に出て当然だろう。
「履歴書不要とは、求人チラシにも載せていますよ。ホールスタッフでしてね。若い女の子が回ってくれるだけでいいというところがありまして」
「あの、私、帰りましょうか?」
「ああ、ちょっと待ってくれ。おい、どう思うかね?」
タカギが背後の誰かに呼び掛ける。現れた顔を見て、支配人の表情がはっきりと変わった。
「そちらの女の子は、それほど。そこの男はできるな」
キョウ。ジムリーダーのユニフォームではなく、ワイシャツに身を包んでいるが間違いなかった。
「これは、お会いできて光栄です」
「私は君の顔に見覚えがない。バッジ五個程度の実力じゃなさそうだが」
「ジムチャレンジはタマムシで止めました。そのまま燻っていたら、こんな商売に行き着いた身で。まさか、キョウさんにセキチク以外でお会いできるとは」
「長男が長じてきて、サファリの仕事をさせても良さそうでね。ジムもいずれは娘に継ごうと思っているが」
「なるほど」
「今はちょっとした縁で、タカギ警部の捜査を手伝っている」
「それは何を、いえ、失礼しました」
支配人と二人は、それから話を始めた。タカギという刑事の質問に、支配人が当たり障りのないことを答えるだけの時間だった。フミツキは、なにも知らない少女として、時たま左右に視線を走らせながら終わるのを待っていた。
他愛ない話も交えながら、二人は事務所を観察しているようだった。事務所はゲームコーナーカウンターの裏で、アジトの入口は全く別のところにある。見られて困るものは何も置いていない。
「もう、勘弁して頂けませんか。点数稼ぎなら、ジムの覗きでも捕まえればいいでしょう。仕事がありましてね」
「ま、今日のところはこの辺りにするか」
「それでは」
「邪魔をしたね。ああ、あの親父はジムリーダーの要望で放置しているのだよ。異性の目がないと、人間弛んでしまうようでね」
「お嬢様の考えることは、私どもにはわかりませんな」
「同感だ」
立ち上がり、出ていこうとしたタカギが、ちょっと振り返った。
「煙草は好きなのかね?メンソールの匂いがする」
「禁煙をとは思っております」
「なに、私もゴロワーズをやるよ」
それだけ言い残して、タカギとキョウは出ていった。支配人に目をやると、もう帰っていいというように手を振った。微かな疲れが滲み出している。
「老いぼれ犬に、キョウだと」
扉を閉める寸前、絞り出したような声がフミツキに届いた。