「このクズ!」
「どうしたんだ、霞」
「…………」
「…………」
「……………………」
「……………………?」
「なんでもないわよ! バカァ!!」
「そうか?」
今日の秘書艦は、どうやらご機嫌斜めのようだ。
朝、〇九○○に執務室に来た時から様子がおかしかった。常にソワソワしているし、視線はあっちこっちへ忙しなく動いている。いつもは秘書艦用の机に座って黙々と書類の処理をしてくれているのに、今日は集中出来ていないのか5分毎に背筋を伸ばしたり立ち上がって御手洗いに行ったり、神棚や机上の掃除を始めたりしている。さながらテスト前日に勉強せず部屋の大掃除を始めてしまう学生のようだ。
あと、お茶を淹れてくれない。いつもなら何を言わずともすぐに隣の給湯室で淹れてきてくれるはずなのに。お茶1つで細かい男だと思われるかもしれないが、霞に淹れてもらったお茶はとても美味しいのだ。本人が厳選したらしい茶葉を使い、訓練生時代の先輩に教えてもらったという直伝の方法で淹れてくれたお茶は、執務の合間に欠かせない大切な癒しの1つになっている。
それに、いつも習慣的にやってくれていた事を急にやらなくなったというのも、彼女に何かあったのではないかと心配になる。
「……こ、このクズ!」
「どうしたんだ、霞」
「…………」
「…………」
「……………………むぅ」
「……………………?」
「なんでもないわよ! バカァ!!」
「そ、そうか?」
このやり取りも何度目だろうか。朝から今に至るまで、かれこれ10回は繰り返している気がする。
俺は、なにか霞を怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。いや、違うな。霞はなにか怒っている時は一切話しかけてこない。ただムスッとして、いつも以上に寡黙で、仕事にひたすら没頭する。1日どころか翌日分の仕事まで午前中に終わってしまった時はどうしようかと頭を抱えたものだ。あの時はたしか、不知火が霞のために買ってきてくれたという有名店のプディングをそうと知らずに食べてしまったのだったか。慌てて休暇を取って2人でプディングを食べに行ったのは良い思い出だ。あの時の霞は精一杯にオシャレしてくれていて、とても可愛らしかった。
ただ、あの時も終始落ち着かなさそうにしていたが、今日はそれ以上にソワソワしている。どちらかというと、照れ隠ししているような、後ろめたいことがあるような、そんな様子に感じる。
コンッコンッコンッ
『提督、大淀です。大本営からの定期連絡の件でお伺いしたいことがあります』
「入ってくれ」
「え!? ちょっと待っ――」
「失礼しまs…………!?」
入室許可を出すと、なぜか霞がアタフタと慌てる。そして入室してきた大淀も、そんな霞の様子を見てギョッとした表情を浮かべた。
「どうした?」
「い、いえ。あの、霞さんは……」
「~~!? こ、このクズゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!」
全力疾走で執務室から出ていった霞の叫び声が、廊下の向こうへと消えていった。
困惑している様子の大淀と顔を見合わせる。
「気にしないでくれ。朝からあの調子なんだ」
「は、はぁ……」
納得いかない様子だったが、とにかく今は勤務時間内だ。大淀と手短に用件だけ済ませて退室させる。彼女は今日の午後、半日休暇を取得していたからな。時計を見れば一一三〇。霞はまだ戻ってこない。
それにしても、喉が渇いた。朝食の時に水を飲んでから今まで、一滴も口にしていない。霞がお茶を淹れてくれる様子はないし、自分で淹れてくるとしよう。そう思って腰を浮かすと、
ガチャッ
執務室のドアが開き、そこには湯呑み2つを乗せたお盆を持った霞が立っていた。
「わ、忘れてたわ。ごめんなさぃ……」
「いや。淹れてくれてありがとう」
忘れていたのが恥ずかしいのか、俯いて顔を真っ赤にしている霞が可愛くて、少し笑ってしまう。
「な、なに笑ってんのよ! このクズ!」
「すまんすまん」
何はともあれ、霞がお茶を淹れてくれたんだ。それを飲んでから、霞の話を聞くことにしよう。何か悩み事でもあるんだろうから、それを聞いてやるのも提督としての務めだろう。
ちょっと拗ねたような表情をしつつも慣れた足取りで俺の座る席までお茶を持ってきてくれる霞は――
「あっ」
何もないところで盛大にズッコケた。
「霞!?」
転ぶ、と思った瞬間には体が動いていた。宙を飛んだ湯呑みが引っくり返って中身が霞に降り注ぐ直前、霞を抱きかかえて俺の下になるように庇う。背中に感じるお茶の温度を感じて思った。
こいつ、いつもより熱いお茶を淹れたな? いつも霞が怒っている時にやってくるイタズラだ。何か様子がおかしいとは思っていたが、やっぱり俺に怒っていたのか。だとしても、思い当たる節がまったく無いんだが。
「し、司令官!? 何やってるのよ!」
「やけどはしていないか? 転んで足をひねったりは?」
「私は大丈夫よ! それより司令官は?」
「俺も大丈夫だ」
どうやら怪我はないらしい。いくら艦娘、多少の傷はすぐ治るとはいっても、やけどしたまま入渠するのはツラいだろうからな。
「どうしたんだ今日は。集中力が散漫しているし、どこか身体の調子でも悪いのか?」
「うっ…………ごめんなさい」
「謝ってほしいわけじゃない。今みたいに怪我でもしたらどうするんだ」
「……………………」
だんまり、か。今日が出撃じゃなくて本当に良かった。こんな様子では最悪、轟沈してしまうだろう。それにしても心配だ。いつもはすぐ「アンタに怒ってるのよ!」とか「ちょっと頭が痛くて……」と教えてくれる霞がだんまりとは、らしくない。
「とにかく、気を付けてくれよ? ただでさえ今日はいつもより薄着――『水着』なんだから」
「……………………ふぇ?」
聞いてくれるか分からないが、注意はしておく。今日は執務もそこまで多くないし、このまま午後は休ませてしまおうかと考えていると、腕の中にいる霞に襟元を少し引っ張られた。
「いま、なんて言ったの?」
「……うん?」
「だから、何だから気を付けろって?」
「水着を着ているんだから、怪我には気を付けてくれと――」
「やっぱり気付いてるんじゃないの!! このクズゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!」
零距離で放たれた霞の悲鳴が、俺の鼓膜を貫いた。
「――はい、こちら大淀です」
もうすぐ正午。半日休暇を取っているためそろそろ帰り支度をしているはずの大淀は、いつもと変わらず書類の処理を進めていた。
そこにかかってきた内線電話。受話器を取ると、尊敬するこの鎮守府の提督が、申し訳なさそうに用件を告げてきた。
「はい、半日休暇ですね。承りました」
提督の声と、もう1つ。提督をクズと罵る少女の声がわずかに聞こえてくる。
「…………はい、明日の休暇もですね。かしこまりました」
いつもは凛としていてハキハキ喋る少女の、蕩けるように甘えるフニャフニャな声を聞きながら、大淀はため息をついた。
「私ですか? いえ、別に何か用があっての休みではないので。はい、ただの有給消化です」
「……お詫び、ですか? そんな気にせずとも――いえ、やっぱり1つ」
手元のスマートフォンで何かしらを検索していた大淀は、その1つに目を止めた。
「○○のラブホテル。内装も充実しているそうですが、食事も絶品だそうです」
「特にデザートのシフォンケーキが大人気だそうで、持ち帰りもしているそうですよ」
「…………はい、ありがとうございます。それでは良い休日を」
受話器を置き、メガネを外す。レンズを拭きながら、窓の外に目を移せば、昨晩から降り続いている白い雪が目に入った。
「……………………リア充、爆発しろ」
親友の工作艦から教えてもらった言葉を口にしながら、今日の昼食は奮発してカツカレーにしようと、そう決意したのだった。
爆ぜろリア充、慈悲はない。