鎮守府に広がるのは大規模作戦に備えての喧騒ではない。執務室の白瀬にもその揺らぎは感じられた。
「第八駆逐隊か」
艦隊の一つが危機を脱した時点で安堵するのはあまりにも安易だった。むしろ深海棲艦の活性化を確認した時点で警戒を強めるべきだったと悔やんでももう遅い。
「提督、気に病まないでください」
鳳翔が心配そうにのぞき込んでくる。その声と無意識に噛んでいた唇の痛みで我に返る。冷静に考えればどうしようもないのは理解できる。それだけに指示を出すしかできない立場の無力さがのしかかる。
白露型と同様に調査に出ていた朝潮を旗艦とした第八駆逐隊も想定外の深海棲艦に遭遇した。異なったのは駆逐本隊と朝雲がはぐれてしまったことだ。捜索を望む朝潮を説き伏せ帰投に着かせたが、荒れる海域を進むのでは1日近くかかる。
白瀬はこわばった腰を上げた。
「どうする気だ?」
長門の落ち着いた声を背中で聞きながら上着を羽織る。
「大規模作戦前の会議だ。通常なら1週間は準備期間を取るが事態が事態だからな。すぐに鎮守府が連携をとって作戦を開始できるように掛け合ってくる」
「…そうか、上手くいくといいな」
いつになく乾いた長門の声が背中を掻いた。
白瀬が提督たちの会議に参加するのは初めてだ。間接的にやり取りすることはあったが顔合わせは元帥以外したことがない。それでも緊張よりも焦りが先立つ。直接のやり取りの価値を否定しないが、今はわざわざ集まる時間が惜しかった。
「提督!はしたないですわ!」
会議室に入るなり叱責が聞こえた。提督ではなく艦娘が声を上げている。会議には秘書艦を連れていくことが通例だ。白瀬も鳳翔に付いてきてもらっている。会議の透明性だとかの理由が付いているが、すでに形骸化している気がしてならない。
その連れてきた艦娘に叱られた提督は一向に動じずに湯呑に入れられたお茶をすする。
「この菓子、おかわり自由だってさ。くまのんもどう?」
「お断りします!」
椅子に胡坐を組んでいる唯一の女性提督が白瀬に気づいて軽薄に手を振る。
「はじめましてー、新人くん。あたしよか若い人いなかったから嬉しーよ。新人くんもどう?」
各席に1つのみ用意されているはずの茶菓子の包みを3つまとめて差し出される。本人の言とは異なり白瀬よりも若そうに見えるがその要因が見た目なのか行動のせいなのかは分からない。困惑する白瀬の横を若い提督が通る。
「あ、あたしは亜庭ね。んで、これが宗谷先輩」
自己紹介以上に雑に親指で指された男が無表情に通り過ぎる。
「時間だ。早く席に着け」
あっけにとられてはいたが時間が惜しいのは白瀬も同じだ。熊野に抑えられる亜庭をしり目に迅速に席に着くと提督唯一の上司に当たる元帥、有賀が入ってきた
「くだらん」
白瀬の提案は宗谷に一言で否決された。反論の余地も与えられない。
「万全を期すための時間だ。たかが駆逐艦一隻のために覆すことはない」
白瀬は奥歯を噛み締めた。言わんとすることは分かる。各鎮守府の状況を把握できていないが、作戦も情報も少ないまま大規模作戦を行うリスクは理解している。しかし
あんたの後ろにいるのは駆逐艦だろ…!
宗谷は自分の連れてきた秘書艦を顧みる素振りがない。控える駆逐艦同様に表情を変えず、微動だにしない。
白瀬の感情を一切無視したまま沈黙が続く。
「まー、そうなるっすよねー」
お茶を口に流し込みながら放つ亜庭の緊張感のない声が沈黙を破り、そのまま白瀬が口をはさむ余地のないまま会議は進んでいく。
「作戦概要は以上だ」
有賀が終了を宣言して会議は終えた。
「提督…」
鳳翔の気遣うような声を聴きながら席を立った。