朝潮の腕は掴みかかるというよりは縋り付くに近かった。背の高い長門をにらんでも威圧感などないことは当人も分かっていただろう。それでも朝潮は腕の力を緩めない。
「あなたは…霞を…」
――利用した。
偶然ではあるが、霞の言葉をうまく利用すれば士気が上がることは分かっていた。作戦が失敗すれば霞がどれだけ苦しむかも。
だから長門は沈黙による肯定をするしかない。
「あの子は、あなたのせいで…」
朝潮のこぶしの衝撃が肋骨を抜けて心臓に突き刺さる。あるいは自分一人なら耐えられた重みに動けなくなり、ただ朝潮の嗚咽が鼓膜を震わせるのに任せた。
陸奥の報告に提督は神経質に机を叩いた。うわごとのようなつぶやきは次の出撃を決めていた。
「…もう、いいじゃない」
もう散々繰り返した沈没報告に慣れてしまう前に漏れ出した、擦り切れた神経の最初で最後の悲鳴だった。提督が不機嫌に何か返そうとしたが、それが陸奥の意識に入る前に断ち切る。
「大和は死んだの!何をしても無駄なの!」
机に着いた腕は崩れ落ち、視界が暗転する。それで今更、自分の言葉の意味を知る。
――私はいま、大和を
――殺した
諦めるとは、そういうことだ。
どう言い訳しようと、動悸が収まることはない。体が立ち上がることを拒んでも後悔だけはなかった。誰かがこの罪を背負わなくてはならないなら、それが長門でないことに安堵すらした。
まもなく、鎮守府の出撃が止まり、大規模作戦は終わりを迎えた。
長門は力なく立ったまま、静かに見下ろした。いつかと逆の構図だと思った。違うのは、その相手が見えないことだけで。
代わりに目に映るのは鎮守府の端に置かれた小さな石だ。遺体が海の底に沈む艦娘に墓などできはしない。申し訳程度にある慰霊碑も艦名しか刻まれないなら、何も書かれていない粗石のほうが、まだ個人が宿っている気がする。そう思った誰かが作り、賛同した誰かが守ってきたものの前で、長門はそこに本当は誰も眠っていないことに感謝した。
…もう一発くらい殴ってくれても良かった
そうすれば少しは赦されたのだろうか。ぼんやりと流れる思考のままに頬をさする。
戦いは終わってしまった。何も変えられないまま。ならば、何のために沈んでいったのか。
開いた口から息が出ない。それでも肺から絞り出そうとする。
ここに来たのは、懺悔のためだ。長門は未だ指揮官の務めを果たそうとしていた。ならばつぶやくことすら許されない言葉を死者にだけは告げたかった。
「すまな――」
一瞬の淀みがあり、あれほど体が拒んでいた息があふれ出た。
「ごめんなさい、ごめんなさい!ごめんなさ――」
崩れるからだが後ろから抱き留められた。馴染んだ体温と匂いが長門の意識を縫い留める。
「もう、いいの」
嗚咽がゆっくりと引いていき、冷静になった心が罪を述べる。
どうしようもなかった。大和を助けようと思ったのならば他に手はなかった。だが、叶うことがないのならば、もとより望んではいけなかった。
――そうか、
「…もう、いいのか」
陸奥の腕の中は何も見えない袋小路でありながら、どこか安らかだった。
もう奇跡など願わない。それで犠牲を減らせるならば。
仲間を見捨てることが罰ならば、ただ従おう。どんな罪を重ねることになっても――