「おーい、吹雪―!」
背中から深雪の呼ぶ声が聞こえ、吹雪は振り返る。その姿を認め、屋上から見える港に背を向ける。
「ごめんごめん、もう時間?」
「どうせここだろうと思ったぜ。毎日よく飽きないなー」
毎日といってもそこまで長いものでもない。
吹雪が別の鎮守府からこの泊地に移ってから1か月余り。配属泊地が新造艦が実践投入されるまでの養成所だったこと、自身が教官に任命されたことにはもう慣れたが、港を一望できる景色はまだまだ新鮮なものだった。
「まあ、煙となんとかは高いところが好きだっていうしなー」
…教官としての威厳はまだ身についてないのかも。少し肩を落とす吹雪を見て深雪はとても楽しそうだ。
「教官様が遅刻しちゃかっこが付かないだろ?」
「そうだね、急がなくっちゃ」
深雪がいたずらげに見せる歯に吹雪も微笑み返す。そして走り出す。
「あ、待てって」
追いかけっこの終点である出港ゲートの扉が唐突に開き、人影が出てきた。
「うわっ、初雪ちゃん!?」
吹雪は止まることができず、進路を急いで変更する。勢いそのまま壁にぶつかろうとする体を腕で支えて止める。
「ねる」
ためらいなく放たれる宣言に、吹雪は跳ね上がり回り込む。
まだ朝だから、これから訓練だから、といった反論も音にならず口をぱくぱくさせる。
「な、急いでよかったろ?」
深雪が笑いながらも初雪を引っ張って行ってくれる。
「ねむい」
「きょ、今日終わったら、明日は休みだから…」
「うん、がんばる」
素直なのか、粘るのが面倒だったのか、大人しくゲート内に戻ってくれた。
吹雪は大きく息をつきながら後に続く。他のみんなはもう並んで待ってくれている。
まだまだ慣れないことが多く、威厳なんてこれからも身につくとは思えないが、吹雪は今が気に入っていた。艦娘になる決意をした日から、本名も捨て、家族とも会えなくなった。多分本当の決意なんてできていないまま、戦いの日々に流されていった。それでも、艦娘になってから出会ったみんなに感謝できる今がある。
「出撃です!皆、準備はいい?」
軽やかにステップしながら、屋上から見渡していた海に飛び出した。
「ベリーグッドデース!上手くなりましたネー」
金剛は勢いよく親指を立てた。こぶしを突き出すと先ほど演習を終えた艦娘は嬉しそうに顔をほころばせた。
「今日はもうティータイムにしまショー」
我先にと港に向かう金剛の横にその艦娘は並んできた。それだけでも1か月前を思えば成長が感じられる。
「もうすぐお別れですカ。寂しくなりマース」
戦艦は全体的に不足気味でもとより耐久力があるため訓練期間が短くなっている。始めから分かっていたが、期限が決まった付き合いとは慣れないものだ。
「金剛さんのおかげです。吹雪さんとかもですけど、帝国海軍発足当時から艦娘をされている方は本当にすごいですね」
「亀の甲より歳の甲デース…って、おばあちゃんじゃないネー!」
「そこまで言ってません」
金剛が一人で騒いでいるのをいなしながら、前から訊きたかったこと、と前置きして続ける。
「でも、そんな方々が教官をされていていいんですか?いや、私からすればありがたいんですが」
「テートクが言うに、ゴホービらしいデス」
「ご褒美、ですか?」
「長い間前線にいましたからネ。のんびり海に出る時間も大事だって、演習予定とかも自由に決めさせてくれてるんですヨ。…って老後じゃないデース!」
「だから言ってないです」
適度に合いの手を入れてくれる生徒に金剛はうれしくなる。配属されたときは不安と緊張でほとんど声にならなかったのに。
これからもこうなのだ、と漠然と思った。ここでいろいろな出会いを繰り返し、互いに成長していく。そしていずれの日かまた戦いの海に戻るのだ、と。かけがえのない友と再会し、守るために。
「そうデシタ!今日は特別にスターゲイザーパイも用意してるネ!…どうしましタ?」
それを聞いた艦娘は速度を落とし、結果金剛と離れてしまう。それどころか、反転して速度を上げようとする。
「すいません、やっぱりまだ訓練を続けます。気になるところが残ってるので」
「なに言ってるデス!パイは焼き立てがベストデスヨー!」
スピードに乗る前に捕まえて強引に引っ張っていく。
金剛に不満――というか疑問だが――があるとすれば、紅茶とスコーンを除いて誰も金剛自慢の料理を食べてくれないことだ。魚の頭が上に飛び出している様を「星を見るもの」と名付けるのはとてもロマンチックだと思っているのだが。日本人はわびさびの文化と聞いていただけにがっかりだ。
「食べればやみつきになりマース!」
周囲から何を吹き込まれたのかいまだ食わず嫌いを続けている生徒へ自慢の手料理をふるまえることに心躍らせながら帰路に就いた。