「霞ちゃん…?」
吹雪の声が耳に響く。霞が理性の限りを尽くした叫びがそれだけでかき消された気がした。滲む涙と共に零れ落ちそうになる本能ごと隠すように朝潮が前に立つ。それでも情動が迫り言葉が漏れる。
「だって…私が、大和を……」
崩れる霞の声が届かないように居てくれる姉妹に甘えた。
あの日、大和が沈んでいくのを目の前で見た。初めて見る轟沈は受け入れがたいほど冷酷だった。だから願ってしまった。
――助けて、と
それが未曽有の作戦の始まりだった。本当にきっかけだったかどうかは分からない。が、そんなことはどうでもよかった。
「だから…今度は…言わないと――」
声が出ない。姉妹を見捨てるための言葉を脳が、喉が拒否する。それでも言わなければまたたくさん沈む。乾き張り付く喉元を引き離し――
「大丈夫だよ!」
朝潮にすがりながら出そうとした言葉は能天気な声に止められる。姉妹全員で見た視線の先には声のまま能天気な吹雪の顔があった。
「朝雲ちゃんは助けられるよ!頑張ろう!」
「頑張ろうって…」
あまりにも場違いな吹雪に毒気を抜かれた朝潮から声が漏れる。それでも何か返そうとする肩を掴まれる。
「だから、教えて。私も司令官も頑張るから」
悲壮感のない顔でもどこか真剣で、確信的で。これは――
頭によぎった言葉がはっきりと形になる前に吹雪は走り出していた。
陸奥は金剛を追いかけた。どこに行くのかは分かっていたから追いつくのは簡単だった。
「私たちだってこれでいいと思ってるわけじゃないの!」
返ってくる言葉はない。それでも祈るように呼び続ける。
「でも無理なの。あなただって沈むかもしれないのよ。だから――」
伸ばされた金剛の腕をつかむ。
「――だから、馬鹿な真似はやめて」
出撃ゲートにつながる隔壁を開くボタン。金剛の指は触れる直前に止められる。金剛の行動が自身のためでも、朝雲のためですらないとは分かっている。だからこそ問う。
「そんなに提督が大事?」
「…テートクは言ってくれたんデス。誰も沈ませないッテ」
うつむいた金剛が自分の言葉を確かめるようにゆっくりとつぶやく。その意味を、陸奥には理解できなかった。
「たったそれだけで――」
「それだけで嬉しかったんデス。誰も言ってくれなかったから……誰にも、言ってあげられなかったから…」
黎明期の艦娘。絶望の片鱗を味わったからこそ、陸奥にはその意味を真に理解するのは不可能なのだろう。誰かが沈む日常など。
「さっき、ホントは少しホッとしたんデス。テートクは私たちのために悩んで、ずっと辛そうでシタ」
何も知らずに誓った言葉を、白瀬は現実を知ってなお愚直に守ろうとしたのだろう。だから金剛はどこかで願っていた。その呪いが解けるときを。
「でもダメなんデス。ここで諦めたらもう私たちは…」
何も知らずに誓われた言葉を信じてしまったら、もう守ることしかできない。
希望を捨てて生きていけるほど、金剛の世界は甘くなかった。それを知っているから、白瀬を茨の道に引きずり込もうとしている。いずれ途切れる理想へ続く道に。
金剛の震えを受け取りながら、陸奥はつばを飲み込む。
…どうしてこうなったの?
正しいのは何か分かっていた。正解にたどり着くのは簡単なはずだった。
白瀬が馬鹿な事を言いださなければ
長門が撃っていれば、とは言わない。ただ話を終わらせていれば
金剛がここへ来なければ
陸奥がこの手を離さなければ――
金剛を握る手に静かに力を込める。
そう、この手を――
かすかな押下音とともに隔壁が開き始める。
…離さなければよかったのに――
奥行ができていく景色に後悔と諦めが心を占める。それでも仕方がなかった。誰かを失うつらさなら、陸奥にも理解できてしまうのだから。
「ムツ…」
だからせめてもの償いはしなくてはならない。
「私も行くわ。あなたみたいには速くないけど、いないよりは――」
「あ、金剛お姉さま!遅いですよー!」
扉の向こうで比叡の大声が聞こえた。
「だからもう少し装備を整えてからでもいいと言いましたのに」
「霧島、金剛お姉さまを待たせるなんて榛名が許しませんよ」
緊張の糸が弛緩し、港がにわかに騒がしくなる。
「ヒエイ、キリシマ、ハルナ…なんでここにいるデス?」
「金剛お姉さまであればこうされると思いましたので」
「私たちもお供しますよ!」
まっすぐ向けられた目線を受けて、金剛はわずかに俯く。金剛とて覚悟は自分のみに向けたものだったのだろう。
「…危ないですヨ?気持ちは嬉しいデスガ――」
「金剛さん!」
背後から呼吸にあえぎながらの叫び声が聞こえた。
「ブッキー…!」
「良かった!間に合った!」
吹雪が手を膝につき呼吸を整えながら金剛とその後ろの3姉妹を認めて安堵のような少し残念そうな息を吐く。
「比叡さんたちがいるなら私はお留守番ですね!…金剛さん?」
吹雪は金剛たちのやり取りを知らない。そもそも葛藤があったのだとは思ってもいないのだろう。誰かを助けることに正誤も善悪もなく、誰もがそうであると信じている。そんな吹雪を見ると、陸奥はなんだか肩の力が抜けた。
「やっぱり、ブッキーはキュートデース!」
「こ、金剛さん、くるしっ――」
金剛が吹雪を抱きしめて頭を激しくなでる。必死に抜けだした吹雪に金剛はこぶしを突き出す。
「私とシスターたちに任せるデス。ブッキーは鼻を高くして待っててくだサイ!」
「はい!…はな?」
枕の間違いだと思うし枕だとしても使い方がちょっと違うと指摘するのは野暮だろうか。陸奥が少し悩んでいるうちに金剛は踵を返していた。
「みんな、行きますヨ!」
三人の肩を抱いて海に向かいながら、背に声をかける。
「ブッキー、ムツ、鎮守府は任せましたヨ!」
速度を求めるなら、金剛型の中に入っても邪魔になるだけだ。なんだか自分の決意も徒労に終わったようで、陸奥は肩をすくめる。結局、事態はただ前に進む者が開いていくのだ。
それを知ってか知らずか、吹雪は大きく手を振る。
「はい!いってらっしゃい!」
金剛自身の希望をかけた出撃。それはなにも変わらない出撃風景だった。遠ざかる金剛たちを見ながら陸奥は問う。
「吹雪、あなたは怖くないの?」
いち鎮守府で大規模作戦を行うことの意味を分かっていないはずはない。なのに、吹雪はその質問の意味を理解できていないような顔をする。
「はい。だって、諦めたくないですから」
誰も沈めない――それは吹雪にとって呪いどころか願いでもなかった。
「司令官が頑張ってくれるから、私も頑張るんです」
絶対の命令であり、成し遂げるべき行動原理としてあった。
諦めたくないから諦めない。
それが信頼なのか妄信なのかなど知ることはできない。吹雪は白瀬なら成し遂げられるとただただ信じている。空恐ろしいものを感じかけたが、少し抜けている吹雪を思い起こして笑ってしまった。
「なら、私たちも早く金剛たちを追いかけないとね。留守番なんて言ってないで」
「…え?」
「――えっ?」
他愛ない言葉の綾を指摘すると、吹雪が今度こそはっきりと困惑を顔に出す。朝風救出の可能性を模索して数十時間、陸奥はようやく
「だって、この作戦って私たちは――」
ようやく己の間違いを悟った。