艦これ回想録~波濤の記憶~   作:COOH

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第21話 Inversus

金剛とそれを追った陸奥がいなくなり、執務室の空気はわずかに弛緩していた。長門が機銃と目線を下げると鳳翔が安堵の表情を見せる。

「すまない、提督。気持ちは分かるが、この鎮守府の戦力であっても単独で作戦を行うなど出来はしないさ。」

「方法はあった」

もう決まった結果の検分を行うように落ち着いた声で白瀬が告げた。それは悔いではなく後始末のための言葉だったのだろう。それでも長門は白瀬を見た。

見てしまった。

「通常兵器では深海棲艦を沈められないように艦娘は深海棲艦の砲撃に一撃では沈まない。不意の遭遇を防ぎ引き際を誤らなければ沈むことはない」

原理は分かっていないが、艦娘にも深海棲艦にも今の人類には認識できない力場が存在している。深海棲艦は通常兵器に、艦娘は深海棲艦に対して確実に優位に働くものが。数で劣る艦娘が対抗できているのはその優位を正しく運用できているからだ。それでも不意の遭遇は発生するし、深海棲艦の勢力圏に飛び込めば撤退ができなくなる。だから大規模作戦では時間をかけて一つずつ勢力を削っていく。そのセオリ―を無視してでも正面衝突するには――

「深海棲艦の動きが完全に分かればいい」

長門には白瀬の言葉が理解できなかった。それができるならとっくにしているはずだ。

「深海棲艦の発生は完全なランダムじゃない。海域によって深海棲艦の傾向があるのは気温、海水温、風、海流などが影響しているといわれている。仮説にすぎないけどな」

深海棲艦の活性化も海の荒れと伴ってもたらされる。もっとも、深海棲艦が増加したことにより海が荒れるとの見方もあるが。

どうであれ、懐疑の答えにはなっていない。可能なら実現している。たとえ傾向を理解したところで、人類には海の総てを把握はできない。どれだけ膨大に、精密に観測しなくてはいけないか。深海棲艦に海のほとんどを奪われたこの時代では不可能に近い。

「もちろん条件は限られる。深海棲艦が多数いたうえで、明確に進行方向があることだ」

大きな流れの中にある小さな力の影響は無視され、単純になる。水たまりに浮かぶ葉の動きの予想は困難でも、急流に流される葉の道筋は同じになるように。

要は深海棲艦が活性化している今でしか使えない手段なのは理解できた。だが、それでも不完全だ。問題は葉の行く先だ。激流の勢いを受け止めるための。

「理屈は分かったが、やはり机上の空論だな。あの海域では予測に足る情報など得られないだろう。得られたとしても即座に艦隊が出撃できなければ意味がない」

白瀬の返答は少しの間が空いた。その空白は白瀬は長門より早く認識の違いを理解した瞬間だ。

「1つあるだろ。世界中が持て余した観測装置が眠っているおかげでデータに事欠かず、出撃も撤退も即座にできる場所が」

長門が白瀬の意図を理解できなかったのは致し方ない。朝風の救出を目的としても艦娘の存在の最大前提、人と国土を守ることから離れられていなかった。長門はようやく――

「この鎮守府だ」

ようやく己の間違いを悟った。

「ふざけるな!」

机を叩いたのは怒りではなく恐れからだった。ならばその声は悲鳴と呼ぶべきだろう。

「落ち着いてください」

そんな長門を鳳翔は軽く制す。いささかの動揺も見られない振る舞いが長門の心をさらに乱す。長門にはようやく見慣れたはずの目の前の男が理解のできない何かに見えた。それすら織り込み済みのような鳳翔も。

白瀬が単独で救出を行うと決めたとき、あの悲劇を許すわけにはいかないと誓った。それでも、十数人の犠牲だと思っていた。鎮守府近海まで深海棲艦を迎えるのであれば敗北の代償はその比ではない。

だが、白瀬は確かに言っていた。他の艦娘を危険にさらすと。長門が他の全ての艦娘、と読み取れなかっただけで、始めから白瀬はこの鎮守府を賭けに差し出すつもりだった。

「…正気か?」

訊くまでもなく狂気でしかなかった。だが、白瀬はどこまでも冷静で、夢想家なのは長門だった。

長門たちがかつて失敗した理由は――

「当然だ。深海棲艦の根城に残された艦娘を犠牲なく救おうとするんだ、これくらいのリスクは当然だろう?」

――単純にチップが足りなかった。

いくつかの艦隊を死地に送る程度で賭けの俎上に上がろうなど、ただの妄言でしかない。

長門は悟ってしまう。かつて奇跡を成しとげられなかった必然を。

誰かを救うなんて大義名分でしかなかった。確実に誰かが沈んでいくこの世界を変えたかった。そんな大それた願いを叶えようとするには長門は常識的で良識的過ぎた。

ならば当然の誘惑が鎌首をもたげる。この狂気を受け入れれば、と。

「深海棲艦といえども無限ではないからな。比較的数の少なくなった背後に別動隊を浸透させて救出をする」

これは悪魔との契約なのだと思った。この鎮守府全てを差し出して結ぶ契約。

だが、その悪魔はあっさりと遠ざかる。

「別動隊が早急に出撃することが前提だけどな。今から準備しても――」

「もう出たわよ」

振り返ると陸奥がいた。開けた扉にゆっくりともたれかかる。

「金剛型4隻。足りないかしら?」

「…陸奥」

「それはずるいわよ」

咎めるつもりだったが先に制された。そう、これは長門の決断だ。

動悸がさらに激しくなり、目の前が赤く滲む。それでも、一言ひとことを噛み締めた。

「提督、あなたがどう思おうがこれで動かないわけにはいかなくなったな」

金剛たちのせいにするくらいは許してほしい。この契約を交わすのは長門なのだから。

白瀬もだた無言で頷く。静かに、だが確かに交わされた証を見て長門は最大の懸念を口にする。

「そもそもこの鎮守府全ての艦娘を動員する必要がある。どうするつもりだったのだ?」

「そうだな…危険な作戦をさせるんだ。それを伝えたうえで頭を下げるしかないか…」

長門は思わず笑ってしまった。急にいつもの調子に戻った白瀬に、その男を悪魔と違えた自身に。

「確かに、提督は指揮官には向かんな」

ようやく白瀬を理解できた気がした。長門は白瀬に背を向け陸奥の方へ向かう。

白瀬がここにいる理由は簡単だ。狂気と才覚を持っていようと、この男はすべてに誠実すぎるのだ。

「動員できればいいのだろう?」

ならば、不誠実は――

「この長門に任せておけ」

 

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