「…勝った…の?」
空気を求める肺を無視してまで放った言葉は僚艦に目の前の事実を確認するためのものだった。たとえ交戦が終わっていなくてももはや放てる矢も握力もないのだが。
「ええ…そうですよ、加賀さん」
赤城が手を差し伸べながら答えてくれた。膝をついている加賀を引くだけの力は残っているが、加賀よりも被弾箇所は多い。これが実戦ならば二人ともまともな航行はできないだろう。
「参りました。お二人とも、お見事です」
交戦相手である鳳翔が赤く染まった頬をぬぐいながらゆっくり近づいてきた。もちろん演習用のペイント弾だが、片口から胴体まで染め上げられた衣服は血を見慣れない加賀と赤城にとっては十分に刺激的だった。
「ここまで強くなられてしまっては、私が師事を仰がなくてはなりませんね」
「ご冗談を…」
軽く息を整えながら微笑む鳳翔に、加賀はなんとか立ち上がって向き直る。
軽空母1隻で空母2隻と渡り合うことができる鳳翔の練度とそれを許す己の未熟さを、経験の浅い加賀ですら分かっていた。
「私たちの回避も命中も狙ってできたものではありません。それに航空機の損耗率も鑑みれば…」
「加賀さん」
赤城に呼ばれ口をつぐむ。本当は分かっている。鳳翔の賞賛は本心であり、成した成果は喜ぶべきことなのだ。赤城の微笑みを見て、それをかみしめる。
「失礼しました」
「いえいえ。私は夕飯の支度があるのでもう帰りますが、お二人はどうしますか?」
そう聞かれても加賀達はしばらく休まないと動けそうもない。
「せっかく夕日がきれいですし風も気持ちいいので、それがいいかもしれませんね」
鳳翔は朗らかに微笑んで背を向ける。
「かないませんね」
「…ええ」
敬礼を終えても、艦載機を周囲に巡らせながら軽やかに航行する鳳翔から目を離さなかった。空母は艦載機を飛ばして終わりではない。航空機の視界を一手に受け個別に操作をする必要がある。当然高い集中力が必要になり、加賀も赤城も今はまともに操れると思えない。
鎮守府には鳳翔以上の練度を持つ艦娘が多くいるという。鳳翔の謙遜を差し引いても、二人にはまだまだ先の見えない道だった。
「まだまだ精進が必要ですね」
「はい。頑張りましょう」
それでもようやく一歩を踏み出せた感覚を体になじませ、落ちていく夕日を眺めた。
「ふう…」
小さな共有キッチンで鳳翔は夕飯の下ごしらえを終えると、椅子に身を預けて右足をあげる。かつて大破した影響で全速航行を行うことができなくなった。日常生活に問題はないものの、機関出力を上げるとしばらく鈍い痛みに苛まれる。
それでもその痛みに赤城と加賀を思い出すと笑みがこぼれ、それがまた嬉しかった。
以前は動けない自分を忌々しく思っていたのに、誰かの成長の証だと思うと受け入れられた。
「お疲れ様です!」
吹雪が小走りで現れた。
「お疲れ様です。他の方は?」
「おなかがすいていたので、先に来ちゃいました」
照れたような笑みを浮かべながらカウンターの席に飛び乗る。ぶらぶらと足を振る吹雪を見て、鳳翔は立ち上がりコンロに火をつける。吹雪と言葉を交わしながら、父の背中を思い出していた。料亭で働いていた父に料理を学び、父のようになりたかったことを。急変した社会から必要とされなくなった父を救いたくて艦娘になったことを。
しばらく思い出すこともできていなかったからか、思っていたよりもずっと穏やかな気持ちで当時を思い起こせた。
あの人はどうなのだろう。この機会を与えてくれた人は、この時間を休息だと言ってくれた人は、何も話してくれなかったが胸に鉛のような記憶を抱えているようだった。その何かは癒されているのだろうか。
「テートク、早く来るデース!もうおなかペコペコデス」
吹雪が魚の煮つけを口にしたとき、金剛の声が聞こえた。
「いや、まだ仕事が…」
金剛に引っ張られ、思いをはせていたその人が見えた。
「あ、司令官、お疲れ様でふ」
吹雪が白米を口に含みながらこっちを見た。挨拶もそこそこにみそ汁をすする。
「良いにおいデス。ブッキーが我慢できなかったのも納得ネー」
「えへへ。お先です」
吹雪が箸をおいて手を休める。そういえばいつの間にか金剛がブッキーと呼ぶのに抵抗しなくなっていた。配属されたときにはどこかよそよそしかったが、いつの間にか姉妹のように歩く姿を見るようになった。時間を考えると当たり前なのだろうが、ほっとする。
自分もそうなっているのだろうか。
「どうぞ。あり合わせで作ったものですけど」
白瀬が椅子に座ると、鳳翔が小さな小鉢とおちょこを置いた。
「あ、司令官と金剛さんだけずるいです」
「大人の味ですカラ、ブッキーにはまだ早いデス」
金剛が吹雪に見せびらかすように箸でつまみ上げて口に運んだ。それをみて吹雪が頬を膨らます。
「Oh!これは辛めのお酒が合いますネ。今日は熱燗の気分デース」
「こだわるな…」
金剛は鳳翔といろいろと話しているが、白瀬は日本酒の名前を出されてもさっぱりわからない。金剛はイギリスから日本に留学してきたと聞いていたが、当たり前のように料理と会う日本酒を選び出している。
「司令官!」
吹雪が金剛の前に体を倒して箸を伸ばしてきた。言いたいことは分かったので溜息をつきつつ無言で小鉢を差し出す。
「吹雪、出撃します!」
謎の気合を入れて肴を口に入れる。
「うーん…」
「ブッキーはまだまだ子供デース!」
金剛は顔をしかめる吹雪の頭をわしわしと撫でた。それで吹雪はますます頬を膨らます。
「ホラホラ、提督も呑むデース!」
「いや、だから仕事があるって…」
「提督、たまにはいいではありませんか」
鳳翔が徳利を傾けたのをみて、大人しくおちょこを差し出す。
「提督が頑張ってくれているのは、みんな分かっていますから」
「むしろまかせっきりなのは俺のほうだな。艦隊運用も戦術も、分からないことだらけだ」
そろそろ甘えてられないな、とひとりごちながらおちょこを口に運ぶ。
「Hey Hey、テートクー、ホーショーのお酒は素直に呑みますネー」
金剛が肩に手をかけて酒を注いできた。もうすでに息からアルコールの匂いがする。
「お前、もう酔ってるのか」
「まだまだこんなもんじゃないデス!ほらほら、ジョッキが空いたら満杯にするのが日本のマナーでショー!」
「吹雪さん、お酒は節度を守って呑むものですからね」
「はい、吹雪、気を付けます!」
それぞれに新しくなった日常をかみしめながら夜が更けていった。