「加賀さんはこの後訓練ですよね」
赤城は一般的に考えられるより明らかに過剰に盛られたご飯と加賀より早くたいらげ、お茶をすする。
「え、ええ。そうね」
加賀は感心しているが、加賀が食する量も初見の艦娘は二度見するほどだと本人は気づいていない。
「最近は別行動が多いですね」
赤城は眉を下げるが声は穏やかなままだ。加賀も昼食を終えて立ち上がる。赤城が出撃の準備のために自室に戻るのを見送る。
ここ最近は加賀と赤城の別行動が増えてきた。空母が2隻必要な場合でも他の艦娘と組むことが多く、それは指導する立場になったために自然な流れなのだが寂しさは感じてしまう。赤城も寂しいという感想に同意を示してくれるが、本当のところは分からない。加賀は己の不安定さを自覚しながら目下の悩みの種のもとへ向かった。
「瑞鶴はこの後訓練よね」
瑞鶴は姉である翔鶴の食事を見て普通だと思っていたので少し返事が遅れた。なぜわざわざそんなことを考えたのか不思議に思ったが、思い当たる節はあった。よく空母のくくりでまとめられるが、エンゲル係数がとびぬけて高いのは一航戦と二航戦の先輩たちだけだ。
「そうそう。翔鶴姉は?」
上げた視線を再び落とした。それをのぞき込むように翔鶴が見てくる。
「私は出撃だけど…なにをしてるの?」
「手紙。最近友達と連絡とってなかったから」
そういいながら手を止めて伸びをする。
「うーん…検閲にかからないようにするのって結構難しいのよねー。届かないのはもちろん困るけど、黒塗りされても変に誤解されちゃうから」
瑞鶴自身は戦闘や作戦について漏らすつもりはないし、重要な秘密を知っていると思っていないから検閲に不満はある。けれども結構最近までは外部との連絡はほぼ不可能だったと言われると食い下がるわけにもいかなかった。
「翔鶴姉も書いてみたら?みんなが頑張ってるの知ったら私も頑張ろうってなるし」
「そうね。手続きが大変だから敬遠してたけど、書いてみようかしら」
「うん。私が教えて――」
前に戻した視線の先に目下の悩みの種がやってくるのが見えた。この後の訓練にはまだ時間があるが、訓練前に艤装の手入れをしなければいけないのでのんびりもしてられない。
「あ、加賀さん…今から――」
「いいわよ」
急ぎ片付けようとする瑞鶴の手元を見て加賀は告げた。そのまま出口へと方向を変える。
「大切な便りなんでしょう?しっかり推敲したらいいわ」
いつになく、といっても瑞鶴の主観だが、穏やかな加賀の言いようにぽかんとしてしまう。何となく取り繕わなくてはいけない気がして澄ました横顔に声をかける。
「加賀さんも手紙出したらどうですか?家族とかともだ――」
「瑞鶴」
指導中でも聞いたことのない声音に拒絶を感じた瑞鶴は口をつぐむ。
「無駄話をしていいとは言ってないわ」
「は…はい」
小さいつぶやきを返事とするしかできず、去っていく加賀を見送る。背中が角に消えたのち、翔鶴と目を合わせた。
初めて見たとき、彼女が航空機を飛ばす姿に目を奪われた。航空機の制御どころか自分の持つ力が何かも分かっていなかったが、天へ駆け上がっていく航空機に胸がすくような思いがしたのは初めてだった。
名前などただの役職であって、史実とつなげたことなどなかった。でも思ってしまう。自分が加賀ならば、彼女が瑞鶴の名を与えられたのは必然なのだと。
師など適さないことは分かっている。でも伝えたかった。未来をその手で選べるように。技も、できれば想いも。そう遠くないうちに超えていくだろうその日が来るまで。
「あーっ、瑞鶴だ!」
「飛龍さん、蒼龍さんも」
とぼとぼ歩いていた瑞鶴は曲がり角でぶつかった飛龍の柔らかい何かに弾かれたが飛龍は全く動じていない。
「すいません!私の不注意で――」
「いいっていいって。私も悪いんだし」
笑いながら手を振る飛龍と心配そうにしてくれる蒼龍に安心して、むしろほぼ反射的に平謝りしている自分に気づいてしまい、先ほどと違った溜息をついた。
「ちょうど良かった。今から夜ご飯行くけど一緒にどう?おごってあげるよ、蒼龍が」
「ええー、今日は私が勝ったのにー」
言い争いながらも瑞鶴には有無を言わさずに両脇を固める二航戦にされるがまま移動が始まった。
「なに悩んでたの?って加賀さんかー」
蒼龍が好きな食べ物を聞くノリで核心をついてきたので瑞鶴はたじろぐ。
「えっ、なんで…」
「私たち二航戦の目はごまかせませんよ」
「いつものことだしねー」
そんなふうに見られているのか、と恥ずかしさの混じった苦々しい感覚が胃のあたりに落ちてくる。
事実、今日は特に道具の手入れについて指導された。訓練の時間にギリギリとはいえ間に合ったことには何も言われず、つまりは普段から整備をおろそかにしていなければ良かったのだから筋は通っている。使う前にしか手入れをしないのが自分のさぼり癖なのは分かっているし、訓練前後も使わない間も管理を怠らない加賀には言及する権利があるのは分かっている。分かっているからこそそれでも出てしまう愚痴をどこにもぶつけられない。
「でも、今日調子が悪かったのは別に関係ないわよ…」
「お、いいじゃん!今夜は吐き出していこう!」
気づくと目の前にのれんが見えていた。瑞鶴にはあまりなじみのない店。
「ここって――」
「鳳翔さん、こんばんはー」
少したじろいだことなど気づきもしない2人に挟まれて入店する。
「いらっしゃい。あら――」
「珍しい顔がおるやん」
鳳翔の言葉をカウンターで向かい合っている艦娘が引き継ぐ。
「お、龍驤さん!おつかれさま!」
「おつかれさまです。龍驤さんは今日は1人なんだー」
「あとから瑞鳳は来るで。今日はうるさい連中がおらんから静かに呑めると思っとったんやけどなあ」
言いながらも椅子を寄せてきて3人の席を作る。気づけば発生していた流れに逆らえないまま席に座らされる。初めて見る店内を見回していると鳳翔と目が合った。
「あ、どうも…」
来た事のない理由の1つが鳳翔だ。といっても瑞鶴と鳳翔本人は軽く挨拶をかわしたくらいしかない。ただ、加賀の師に当たるとは聞いているし、親しそうに話しているのも何度も見かけた。いまいち険悪な関係の加賀と親密となれば何となく距離を置いてしまっていた。
「瑞鶴さん、いらっしゃい。今日はどうしました?」
「鳳翔さーん、ビールちょうだい!」
「わたしもー。いやー瑞鶴が加賀さんに不満ためてたからさー」
「ちょっ――」
瑞鶴が距離感を計っているのとなど思ってもいないのか蒼龍がさらっと爆弾を投下した。うすうす気づいていたが、二航戦の先輩たちはそういった繊細なところに無頓着だ。
「あら、そうですか」
「加賀もむつかしいやつやからね」
少し困ったように笑いかけてくる鳳翔と変わらず日本酒を口に運ぶ龍驤の反応に胸をなでおろす。考えすぎかと思ったとき、なにも考えてなさそうな両隣はからになったジョッキがカウンターに置いた。
「おかわりー。でもいいなー。私たちも後輩ほしいなー。提督に言っても聞いてくれないけど」
「だよね。私に弟子なんていたら絶対甘やかしちゃうね。提督はさせてくれないけど」
何を聞いていたのか勝手に盛り上がる先輩たちにあきれながら、このくらいゆるい感じなら楽しいだろうなと思ってしまう。
「わたしも飛龍さん達のほうがいいかも…」
「本気でゆっとんのか、じぶん…」
「ちょっと、どういう意味よ」
ハイタッチしかけた二航戦は噴き出した龍驤に水を差されて頬を膨らます。
「あんたらにまともな指導ができるかいな!いっつもむちゃくちゃやりおって!随伴する身にもなってみいや!」
「…そうなんですか?」
「瑞鶴、心配しなくていいからね―。龍驤さんが大げさに言ってるだけー。敵艦なんて先に沈めちゃえばいいんだし」
「そうそう。爆撃なんてよけりゃいいんだし」
龍驤から隠すようにはさまれた瑞鶴は顔にフィットして酸素を遮るものをかき分けながら加賀からは教えられたことのない理論を聞く。
「瑞鶴も一緒に出撃してみたらわかるで…。ま、司令官の見る目はなかなかのもんっちゅうこっちゃ」
「龍驤さんはひどいなー」
大して気にしてなさそうな二人の間をようやく抜け出した瑞鶴の目の前に泡が見えた。
「それは置いといて、瑞鶴、今日は飲もうよ。出撃のあとの一杯は最高だよ!」
「いや、私は…」
この店に来たことのない最大の理由は、酒を飲まないことだ。記録の上では年齢の概念がない艦娘は規定上だれでも飲酒可能だ。だが人の換算で未成年の瑞鶴は別に飲みたくならなかったし、一度試してみたが苦いだけだった。
「ほらほら、ぐいっといっちゃて」
「瑞鶴、こいつらはこんなやつやで」
「飛龍さん、蒼龍さん。無理させちゃ駄目ですよ」
消えていく泡ををじっと見つめる瑞鶴を見かねて鳳翔が助け船を出すが、瑞鶴は意を決してジョッキを掴み喉に流し込む。相変わらずの苦みが口の中に広がったが。空になったジョッキを机に乱暴に置く。
もうすでに回りだしたアルコールが今夜の目的を思い出させた。航空戦にだっていろいろな考えがあるのなら、別に加賀の言うことだけが正解ではないはずだ。
「加賀さんがなんぼのもんじゃ!」
「おおー、いい飲みっぷり!」
「もう一杯いっとこう!」
「…ほどほどにしとくんやでー」
宙に浮く感覚に包まれたこの時の瑞鶴は、明日胃の中身が浮かび上がるような感覚に襲われながら、蔑むような加賀の目と正座させられる二航戦を見ることを知らなかった。