「ホーショー、ここにいましたカ。いい紅茶があるのでティータイムにしまショー」
「いつもは金剛型の皆さんが一緒でしたが」
「シスターズは最近甘やかしすぎたネー。たまにはごちそうしますヨ」
「ではお言葉に甘えましょうか」
微笑んで立ち上がった鳳翔は目線を下げる。鎮守府の隅、いつも誰かが花を供えてある小さな石積み。
「無縁墓、ではないですね」
「ムエンバカ?」
聞きなれない単語に首をかしげる金剛を見て鳳翔はゆっくりと口を開ける。
「彼女だと分かっていたのは私だけでした。彼女が着任してからずっと見てきたのは私でしたから」
金剛は唐突に始まった話に口を挟まず歩み寄る。
「面影を見た深海棲艦を討っても、彼女は帰ってきませんでした。でも、消えていく彼女の声が聞こえた気がして、私は何もできなかったのだと思い知りました」
本当に聞こえたわけではないのかもしれないその声が何を言ったのか、金剛は問わない。その意味があるとも思えない。
鳳翔を少しだけ越した金剛は石の前に置かれた小さな花を手に取り眺める。
「昔、友達に聞かれまシタ。私たちが必死になってまで守る意味があるのか、この世界を好きだと言えるのか、ッテ」
「その方は…」
「私が撃ちマシタ」
鳳翔は驚きを見せなかった。損耗の激しい時代の艦娘は誰もが前を向いて戦えるわけではなかったし、艦隊の損害につながるようであれば相応の対処を求められた。それを分かっていて問うてしまった自分を責めるように表情を曇らせただけだ。
「最期の言葉に私は答えることができませんデシタ。人として生きたかったはずの友達に、私はただ主砲を向けることしか…」
金剛は花をそっと戻し立ち上がる。鳳翔と合わせた表情はかすかで、それでも確かに笑顔だった。
「デモ、今なら答えられマス」
それが、それだけで十分幸福だと言うように。海に散った誰のものでもあり、だからこそ誰もいない墓標に背を向け鳳翔の手を取る。
「それはこの鎮守府のみんなのおかげデス」
今なら誰かのために戦うことも、信じることもできる。そう教えてくれたから、これからするのは未来の話だ。
「だから、大丈夫デス。絶対にヤマトを連れて帰ってきますヨ」
「はい」
「この作戦が終われば反攻作戦が始まりマスし、航路が開けばヨーロッパとの同盟もできマス。そうしたら私の故郷の庭でティータイムをしまショー」
「それは賑やかになりそうですね」
微笑んで返す鳳翔の想像を知り金剛は頬を膨らます。
「ホーショーは見たことないかもしれマセンが、私の妹たちは私がいないところではしっかり旗艦できるんデスヨ」
何も変わらないと思っていた日々も、少しずつ変わっていく。誰かに未来を託すことができる日が、艦娘でなくなる日がいつか来るのだろう。
そんなまだ見えない未来の話をまだまだしたくて、金剛は鳳翔を引く手を強めた。
張りつめた意識を引いた弦と共に緩めた。先頭の加賀に倣い飛行甲板を掲げて着艦に入る。ほとんど損耗のない艦載機は矢に戻った。
「おつかれさん。しばらく見んうちにうまなったな」
後列の龍驤に背中を叩かれるが、瑞鶴は気もそぞろな返事を返すだけだった。
加賀に不満はある。口うるさいくせに褒めてくれたことはない。でも、戦闘機で守りを固めてから始まる航空戦も、守りに裏付けられた安定姿勢で操作する攻撃機も、加賀自らの言葉を丁寧に実行し続けた成果だ。万全の準備と平常心、目の前で見せられれば認めるしかなかった。示された道が正しいことも、自身がまだ未熟なことも。龍驤に褒めてもらったところで、戦果は加賀の庇護のおかげでしかない。
「そろそろ分かれるわよ。正規空母とはいえ2隻しかいないのだから、無理はしないようにね」
「わかったわかった。のんびり行こうぜ」
「あんたには言ってへん。てかあんたはもうちょっとがんばりや」
漫才を始めた軽空母2隻を横目に飛鷹は瑞鶴に向く。
「瑞鶴、ちゃんと加賀の指示を聞くようにね」
「…分かってます」
叱責でも釘をさすでもなくただ心配する声音が、取り繕えないほどには瑞鶴をへこませた。
海域の地理的問題で少数しか動けないためこのような編成になるのは説明されていたが、訓練以外では加賀と2人で出撃したことはない。訓練でさえも赤城や翔鶴と一緒がほとんどだった。正直に言えば軽空母の3人とは別れたくなかったが、そんなわがままを言えるものではない。
「瑞鶴、なにをしているの?早くいくわよ」
そんな瑞鶴の心境を知ってか知らずか、加賀は航行を始めていた。
戦闘機とすれ違った敵航空機が抱えていた魚雷の爆炎に包まれて落ちていく。その軌道上に自分がいないことを知る加賀は視界の端に捉えた瑞鶴の戦闘機とその背後に付く敵戦闘機に意識を向けた。さらに背後から迫り、友軍誤射にならない火線を取って撃ち落とす。
「瑞鶴、あなたは艦隊への攻撃に専念しなさい」
瑞鶴がなにかを口にする前に指示を出す。
空母は放った艦載機すべての操作を行う。航空機の位置やそれぞれが認識した敵影はすべて意識に入ってくるがはっきりと指示を出すことはほとんどなく、何となくかほぼ無意識の処理だ。ばらばらに動かすより編隊を組んでまとめて操作したほうが精度は上がる。攻撃と防御に分かれたほうが効率的だ。
瑞鶴が攻撃機とそれを守る戦闘機をまとめたのを見て加賀は自身の攻撃機を収容して戦闘機を放った。戦闘機よりもはるかに遅く航行する自身の上に留めながら、同様の陣形をとって迫る敵航空機への迎撃態勢をとった。
魚雷が爆ぜる音が最後の敵空母を沈黙させたことを確認して、瑞鶴はようやく深く息をつく。帰還させた艦載機の姿は、分かっていたことだが少ない。
「こんなものかしらね」
一足早く収容を終えた加賀は少なくなった矢筒を握る瑞鶴を見て小さく告げる。別になにを失敗したわけではない。航空機の損失は戦闘がある限り必然だったし、空母本隊を撃沈した戦果がある。それでも――
もっとうまくやれてた。
航空戦が始まってから、一度も姿勢を崩されなかった。行動指針が決まっている攻撃より、相手に合わせて対処しなくてはいけない直掩のほうが難しい。それを完璧にやり遂げた加賀を前にして、瑞鶴は奥歯を噛み締めた。加賀ならば1人でも、といった思考はかろうじて押しとどめる。
加賀なりの誉め言葉に気づかないままうつむく瑞鶴とすれ違い帰路に入った加賀が立ち止まり振り返る。何があったか分からず加賀を見ていると、一瞬顔をしかめた。
「彩雲が堕とされたわ」
「それって…」
ようやく加賀が認識した光景を理解し、同じ方向をみる。視認できない距離だが、広がる水平線の先に新たな敵艦隊がいる。
「交戦は1回だけのはずじゃ――」
口に出す途中で意味のないことに気づき、押し黙る。ろくに観測できない海で、海底から湧き上がる戦力を予測するのにそもそも無理がある。第一陣が予想通りだっただけで十分すぎた。
「敵機動部隊、正規空母5隻確認。撤退するわ」
「ちょっと待ってよ!」
機関をふかす加賀の肩を急いで掴んだ。加賀は溜息をついて振り返る。
「ここで叩いておかないと、本隊と接触されたらどうしようもないじゃない」
攻略本隊は艦隊決戦のための編成だ。機動部隊は主戦場の前で航空戦を仕掛けて抑えておくことが前提となる。だからといって正面衝突してまともに戦うビジョンも見えなかったが――
「それもそうね。この海域の通過を許すわけにはいかないわ」
加賀は少しの思案の末肯定した。
「応援の要請をして、到着の間足止めをする。それが妥当かしらね」
自ら言い出したことだが、今まで以上にリスクの高い戦闘を前に呼吸が浅くなる。落ち着かせるためにつばを飲み込み震える肩に、加賀の手が置かれる。その感触で戻された意識がはじめに認識したのは加賀がすれ違った風だ。
「あなたは龍驤たちと合流しなさい」
意味を飲み込めず、急いで振り返り加賀を見ると、すでに弓を構えて戦闘態勢に入ろうとしていた。
「ここでは鎮守府どころか軽空母への通信もできないわ。彼女たちに状況を伝えて、判断を仰ぎなさい」
「でも加賀さんは――」
1人で戦うことになる。そんな分かり切った言葉は胸元に差し出された矢に遮られる。
「替矢で持っていた烈風よ。もう必要ないからあなたが持っていなさい」
矢を手に取り加賀を見る。いつものような無表情がようやく瑞鶴に落ち着きを取り戻させる。
1回の交戦では使わないが、連戦に備えて補充用の航空機は持っている。予備が烈風ということは、加賀がこれから使う戦闘機も烈風だ。加賀が最高性能の戦闘機を使うこと以上に、先ほどの戦闘でも予備を残せる余裕があったことに安心感を覚える。
気に入らないことは多く、表情も読めないが、加賀を信頼してしまっていた。だから指示の通りに動き出そうとしたところ、
「瑞鶴」
加賀に呼び止められる。少しばかりの面倒くささを感じながら振り返ると、加賀の背が見えた。
「これからはあなたの好きにしなさい。あなたが選ぶ道なら、正しいでしょうから」
「…はあ」
気の抜けた返事を聞いた加賀が笑った気がした。その表情は見えなかったが。
「早く行きなさい」
自分で引き留めたくせに、と呆れた溜息をついて加速する。
いつも反発しながらも近くで見ていた瑞鶴は、加賀を信じていた。だからこそ、気づかなかった。加賀の最善と瑞鶴の最善は違っていたことを。